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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
“非日常”という“日常”
3/411

貴族に博士に助手に彼女

 朝だ。この世界にも当然…と言っては何なのだが、一日という基準はある。日は昇るし、また沈む、太陽が沈んだら月が昇る。そう言ったところは俺と彼女がいた世界と同じだ。例え異世界であっても、こう変わらないところがあると分かると、親しみ易いものだと思う。太陽、バンザイ。月、バンザイ。

 朝の始まりは何か? 歯磨き、洗面、排泄。更衣…はまだ出来ていないが、人によって様々な始まりがある。

 今日の始まりは、ラジオ体操から始まった。


「一、ニ、三、四…」


 穏やかな朝の始まりを謳歌する。

 体操は良い。筋が伸ばされる感じが素晴らしい。

 それ、一、ニ、三──。


「弓弦、居る?」


 部屋のドアが叩かれ、体操を中断させられる。

 ドアの向こう側から聞こえてくるのは男の声、鼻を通って出されているような、聞く者によっては青々しさを感じさせる声。

 イケメンボイスだ。少し羨ましい。


「あぁ。入って「入るよ」」


 返事を待たずして部屋に入って来た、失礼極まりないのは若い男。

 ここに来てから、何かと世話をこんがりと焼いてくれる彼の名前はディオルセフ・ウェン・ルクセント。他の人はルクセント少尉と彼のことを呼ぶ。年齢は十九歳。俺よりニ歳年上だ。 

 育ちが良さそうな中性的な顔立ちで、白銀色の髪を肩まで伸ばしている。瞳は海のように青い銀髪蒼眼。背はあまり高くなく、性格は簡単に言えば…繊細? 肌は白く、一見貧弱に見える。彼の居た世界では貴族だったらしい。イケメン貴族だとさ、ファンタジーだ。


「やぁ弓弦…って、眼が死んでるよ?」


 貴族ならせめてこちらの返事を待ってから部屋に入るという、礼儀を弁えていても良いと思うのだが、良く分からないもんだ。

 そういった文化が無かったのかもしれない。俺の居た世界では、マナーの一つなんだが、世界が違えばルールも違うのだろう。


「はぁ…」


 貴族とは言え、よく城の騎士団の訓練に混ざっていたらしく、剣の腕は中々立つそうだ。因みに彼の居た世界もまた、俺や、「彼女」の世界が崩壊する四年前に崩壊したらしい。

 その後ここの実行部隊隊長に助け出されたそうだ。

 その時のことは本人もあまり語らないので、俺も本人からではなく人伝いに聞いたことしかない。自分が居た世界が滅んだ時のことなんて人に語るようなものでもないし、センチメンタルになってしまう問題だ。俺もこうして語ってはいるが、人に話す気がある訳ではない。

 じゃあ俺が誰に向かって語っているのか。強いて言うなら自分に語っている…って、それはそれで痛いな。

 これは…そう、思考の整理だ。頭の体操。脳のトレーニング。

 自分の置かれた立場の再理解。状況を分析し、相も変わらず動揺に明け暮れる心の清涼剤投下作業。

 こう言う時、もう少しサバサバした性格だったらな…とは思う。


「起きてる? 博士が僕と君を呼んでいるらしいんだ。君もまだここに来て日が浅いしあまり勝手が分からないみたいだから、一緒に行こうと思って誘ったのだけど…どう?」


 そう言や、焼き鯖が食べたいな。


「ん。了解」


 「博士」と呼ばれる人物からの呼び出し、了解。

 ディオの道案内付き、了解。

 案内付きなのは嬉しい申し出だった。

 確かにまだここの構造(中々複雑)を完璧に把握していない俺からすれば、特定の部屋──それも、行ったことのない部屋を目指すことなんて迷路のゴールを目指すようなものだからだ。だから断る道理は無い。

 寧ろ、折角の好意を無下に断るのは気が引けてしまう性分でもあるのが理由。勿論例外は、ある。


「良かった。断られたらどうしようかと思っていたんだ。じゃあ行こう!」


「まてまて、俺まだ着替えてないからちょっと待ってくれ」


 あぁ、ディオと言う人間はせっかちである。…そんな性格に関する補足も付け加えた方が良いな…と考えつつ、急いで服に着替える。


「じゃあ今度こそ、行こう」


「あぁ」


 そんなこんなで、俺とディオは研究室へと向かう。

 普通に歩くと俺の方が速いので、彼の歩幅に合わせてペースを落とす。


「そう言えば弓弦、ここでの生活はどうかな? 不自由とか、無い?」


「不自由は無いが…あぁいや、ないことは無いな。まだここについて、分かっていないことも多いし…」


 分からないことだらけなのが実情だ。

 右を見ても、左を見ても、鉄の視界。

 ハリウッドの世界に飛び込んだ気分。そう、夢気分だ。

 …良い旅、なんてものじゃあないんだが。


「何でも良いから、良ければ教えてくれないか?」


「了解だよ」


 ディオは二つ返事で応じてくれた。

 良い奴だ。嫌な顔一つしない…きっと親の育て方が良かったのだろう。

 多分この後、俺と彼女を呼び出した『博士』から多少はここについて訊かせてもらえるのだろうが、手間を省かせるという点について、先に彼に訊いていた方が良いだろうな。


『…ふぁ…ぁ、おはよう弓弦』


 ん? 今何か聞こえたか?


『無視!? 私を無視なの!? お~い!!』


 さて、伝え忘れていたことがある。

 今俺の頭の中に響いている声の主が、俺がこれまで数度話に出した“彼女”だ。無論妄想や空想の類ではないと信じたいが…怪しいところである。

 何せ声しか聞こえないんだ。存在を確定付けるものが、殆ど無い。


飲茶ヤムチャ並みの存在無視っ振りだよ!!』


 …見よ、このアホさ加減。

 少し前の彼女を知る者にとっては、眼が点になりそうなアホさだ。明るいのは良いことだが、そうまでして人にツッコミを入れてほしいのだろうか?


『選ばれたのは、鷲鷹でした』


「(何に対して選ばれたんだ……)」


 何故このような謎なことが俺の脳内で起こっているのか。

 ここに来たばかりの頃に聞かされたことがあった。

 今から会いに行く“博士”曰く、本来の彼女の身体は何らかの形で失われていまい、その時に何らかの形で、精神が俺の身体に入ってしまった…そうだ。

 何らかが何らかで、何なのか分からないが大丈夫。俺も分からない。


『鳩胸下野、し~りフェチ~…か~らあげ♪』


 …あぁ、昔は違ったのだ!! 昔は…もっと、大人しかった、そう! 大人しかったんだ!! こんな、分かる人にしか分からないネタを歌にするなんて…紘さん、すみません。悪いのは70%彼女です。

 後は…そのような知識を蓄えていたことで彼女にそう言ったことを学習させてしまった俺が…悪いんだよな。


「弓弦? 訊いているのかい? …折角人が説──」


 そんな若干挙動不審気味な俺の様子を見咎めてか、ディオが低い声で小言を言おうとした。


「ディオッ!」


 間髪入れずに言葉を飲み込ませる。

 彼に『説明』という言葉を使わせないため、声を上げざるを得なかった。


「ッ! 教えているのに」


 …何故説明という言葉を使わせなかったのか。それはあの人、通称説明大好きおb…コホン、お姉さんが飛んでくるからである。『リィル・フレージュ』と言う名の女性だ。

 歳は現在、十九歳と四千三百八十日(?)

 金髪を後ろでポニーテールにしていて、瞳は空色。一見するとロシア風の美人だ。 IQ三百オーバー(自称)の才女で科学者。…因みに、脳内の彼女も一応! 三百オーバーなのだとか…はぁ。ポンポン居過ぎだろうが。そこはせめて、二百とかにしてほしい。

 だがこれも異世界クオリティと言うことだろう。世界に一人しか居ない天才だったら、世界の数だけ天才が一人は居ると言うことだ。勿論、天才の安売り感は否めない。


「注意を怠ると、簡単に口を衝いて出るぞ?」


 話が逸れたが、リィル…彼女は、科学者にありがちな風呂嫌い、片付けられない等の雑な性格ではなく、面倒見が良くて家事万能、綺麗好きなので、説明癖と突飛な行動さえなければ振り向かない男は多いはず。


『…話が長いんだよね、本当に』


「(人の台詞を取るな)」


 そう、彼女は兎に角話が長い。

 配慮してくれることが多いので、最初から最後で訊ける機会は殆ど無いのだが、フルの場合、文字通り日が暮れる。いや、日が変わる。トラウマになった人も居るらしいが、実際はどうなのか分からない。


『弓弦君、私のことを褒めてみてよ。私のどんなところが好き? 後、どうしてそんな自分語りをしているの? それはちょっと…私でも擁護出来ないぐらいにはイタいんだけど』


 等と話してくる脳内彼女。

 無視。今は構うだけ時間の無駄だ。


「危なかった…助かったよ弓弦。あの人の話は長いから…」


「…どちらにせよ、この後会うんだがな」


 普通に考えて、居るだろう。…と言うか、居ないはずがない。

 長い話にならないことを祈ろう。


「…で、訊いていなかったよね? 僕の話」


 ディオのジト眼が刺さる。


『で、どうなの? 教えて?』


「…はぁ」


 話は誤魔化せず、脳内彼女は執拗しつこい。困ったものだ、まったくな。

 溜息吐きたくなるのを、堪えられなかった。


* * *


「…弓弦って時々抜けているところ、あるよね」


 僕は隣を歩いている弓弦にちょっとした皮肉を言ってみる。

 慣れない皮肉。皮肉に包んだホントのこと。

 彼は僕の皮肉に頭を振った。


「あぁ…すまないな」


 弓弦はどこか、きまりの悪そうな顔でそう言った。


「すまないことをされたよ、話して損した気分だ」


 橘 弓弦と言う男。

 彼は今から一週間程前、『崩壊した世界』から隊長に助け出されこちら側の世界に来た、ここの部隊の新人候補。性格はどこか捻ている面があるけど、優しい人柄であるのは僕にでも分かる。

 時々遠い眼をして独り言…と言うよりは誰かと会話していることがあるのだけど、頭、大丈夫かな? …って酷いこと言っているなぁ僕。


「…だろうな」


 …でも、何か事情があるのは、分かる。僕もそうだから。語る必要のない事柄と言ってしまえばそこまでなんだけど、語ることで思い出したくないんだ…いつも黄昏の空を見て思い出してしまうから、特に。

 そうそう! 彼を見ていて分かったことがあるんだ。こっちはもう、確信しているね。分かるんだよ、うん。分かってしまう。何を隠そう彼が、ツッコミ役であることが。彼、良いセンスを持っているよ…? 何で上から眼線なんだろ。

 僕自身は、そうツッコミとかボケとかは良く分からないんだけど。「お笑い」っていう文化で大事なものなんだとか──そんな話を、遥か彼方に消えた世界で聞いたことがある。


「ディオ、すまないがもう一度最初から話してくれないか?」


 申し訳無さに言う弓弦。

 全部聞いていなかったんだ。逆に凄いよ。それに、凹む。

 でも…仕方無い。まだ話せる時間はありそうだし、もう一頑張りしてみよう。


「じゃあ、もう一度最初から。今僕達が居る場所、この艦のことだよ」


 弓弦が耳を傾ける。

 今度こそは、しっかり聞いてくれようとしてくれているみたいだ。


「この艦の名前は『アークドラグノフ』って言うんだ。名前の由来はよく知らないね。気になるんだったら隊長か博士あたりに訊いてみても良いかも」


 カッコ良い名前だと思う。

 そんな個人的な感想は置いといて。


「次にこの艦がある、世界について。え~と…あった。そこの窓から外を覗いてみると分かると思うけど、パッと見はどこにでもあるような風景が広がっているよね。…あぁでも、これはどうでも良いか。簡単に言ってしまえば、多数の世界と世界の間の亜空間、『狭間の世界』と言うべきかな。基本的にそこで停泊しているんだ。何でも下手な世界に常駐するより、こう言った世界の方が安全らしいのだけど…これは微妙なところ」


 『狭間の世界』。

 どうして世界の狭間に世界があるのか。僕には良く分からない。僕だって、自分の世界が全てだと思っていた日々から時間が経っていないんだから。

 世界と世界がどんな風にくっ付いているのか。そんなことも分からない。

 だけど無数の世界それぞれを一つの箱とした時、箱と箱を繋ぐ架け橋のようなものがこの世界なんだとか。橋の長さは自由で、短い時もあれば長い時もある。

 『狭間の世界』だけど、そこはやっぱり「世界」の枠組みに入っていて。ただの架け橋でしかないんだけど、それでも「世界」なんだ。そこに明確な距離の概念は無い。

 だから例えば僕が、一生『狭間の世界』を歩き続けたとしても、この『アークドラグノフ』のような世界を行き来出来る戦艦が無ければ、別の世界に行くことなんて早々出来ないだろう。

 …。難しいな。ちょっぴり混乱してきた。


「でも、『魔物』の襲撃が滅多に無いから、その点については安心だよ。…魔物については…流石に分かるよね? 普通、どこの世界にでも居るから」


「…定義が違うとは思うが、居ないことはないな」


 定義が違うってどう言うことだろう? …ま、いっか。

 流石に魔物が居ないなんて平和な世界は無いもんね。

 そんな世界があるのだとしたら…。是非とも行ってみたいな。

 それはさておき。次のお話だ。

 

「そうそう、商業区にはもう行ったよね?」


「ん? あぁ、色々な店があるんだな。驚いた」


 商業区。

 この艦の後ろの方にあるんだけど、彼の言う通り色々なお店があるんだ。雑貨屋、服屋、はっぴゃくや、もあったはずだ。…八百屋はっぴゃくや…で、合っているよね?

 皆凄いもので、知らない内に商品を仕入れて販売してくれる。

 他の世界に寄った時に仕入れてくるそうなんだけど…。どうやって仕入れてくるんだろう。元の世界がある人は、時々帰省している時もあるし。

 この商業区は、言ってしまえば小さな街みたいな区画。

 質を求めても、大概何でもある。

 勿論お金は要るんだけど。


「なら、良いね。…そろそろ研究室に着くから少し早口でいくよ。じゃあ次は、この艦に居る部隊のこと。総人数は三十人…と言っても、その中で戦闘が出来る人は七人! 実行部隊と呼ばれている部隊だ。その目的としては、ざっくばらんに言うと、世界を救うこと!」


 無数にある世界の数々。

 その中には、“とある事情”によって滅亡の危機に瀕している世界もある。

 僕達実行部隊における最大の目的は、世界の滅亡を防ぐことないし、少しでも多くの人々を助けること。

 ちょっとした救助隊みたいなことを組織立ってやっているんだ。


「…救う、か」


「…あ、うん、冷めた視線をどうもありがとう…でも本当だよ? 弓弦、君にも出来れば入ってほしい。きっとこの後博士に訊かれると思うけど、考えておいてね」


 橘 弓弦。その身体能力は分からないけど、身体付きはとても良いように見える。

 筋肉にあまり無駄が無いことが、素人眼ながら僕にでも分かる。長年に渡って鍛えられてきた肉体だ。

 元居た世界の兵士よりもマシな身体付きだ。

 多分鍛え方だけを見れば…僕よりも上。僕も鍛えてはいるんだけど…この現実は、ちょっぴり悔しい。


「あ、あそこだね」


 角を曲がると、見えた。

 通路の最奥。壁際に見えるのが、目的の研究室だ。


「話も…うん、こんなところ。大体分かってくれると嬉しいけど…どうだった?」


「うん分かっ…コホン!! あぁ、ある程度は分かった。ありがとな、ディオ」


 弓弦は無理矢理な咳払いをした。

 一瞬砕けた口調が聞こえたような気がしたけど、聞き間違いかな。

 チラリと横眼で弓弦を見たけど、いつもの彼が居た。


「お安いご用。さ、早く行こう!」


 時々不思議な部分はあるけど、彼は良い奴だ。

 もし彼が新人隊員として入隊してくれたら、その時は今以上に仲良くなって、一緒に実力を高め合っていこう。

 この艦、実は僕と同年代の男が居ない。同い年の異性は居るけど…部隊での階級は、雲泥の差。だから気軽に話し掛けることが出来ないんだよね…。

 彼の不幸を幸いとしているようで悪いけど、彼が命を落とさなかったのは紛れもない彼の幸運。そして彼が『アークドラグノフ』に来てくれたことは、僕の幸運だ。

 だから僕は、この幸運を活かしたい。彼と友達になりたい。

 そんなことを考えながら──


「失礼します」


「…失礼します」


 僕と弓弦は研究室の扉を叩いた。


* * *


「やぁ、待っていたよ。弓弦君、ルクセント少尉」


 扉が開いた。

 中に入った俺とディオに掛けられた声は、飄々(ひょうひょう)とした響きを持つ男の声。


「ご苦労様ですわ」


 男の名前は、八嵩はちがさ セイシュウ。

 博士の愛称で親しまれているそうだ。歳は三十二。

 頭はやはり、良い。例によって、300を超えるのだとか。

 IQの診断基準に物申したくなる程、ここにも天才が居る。

 だが並み居る天才の中でも、セイシュウは真の天才らしい。天才の中の天才。並み居る天才が小学生レベルになる程、彼の頭脳は優れているのだとか。馬鹿みたいな話だが、事実だそうだ。

 極度の甘党で、現に研究室内にはちらほら菓子のゴミが見受けられる。ちょっとしたゴミ屋敷…というよりは、散らかった男子の部屋か。一時間と要さずに掃除が出来そうな程度だ。

 くすんだ鈍色の髪にファッションで伊達眼鏡を掛けており、レンズ越しにこちらを見る瞳の色はダークブルー。

 やっぱり、イケメンだ。ナイスミドルな雰囲気を漂わせている。


『後ろに居るリィルさんに比べると、研究者らしいけどね』


 …彼女の言う通り、入って来た時に掛けられたもう一つの声の主が、先程名前が挙がったリィルだ。

 …どうやらこめかみの辺りが若干引きつっている。

 アレは怒っている。何で怒っているのかは知らないが、そんな気がする。そんな気…いや、これは断言だな。


「セイシュウ、要件は何だ?」


 あまり時間を掛けるといけない。

 触らぬ神に祟りなし。リィルの怒りが分からない以上、セイシュウには悪いが話を済ませてしまいたい。


『弓弦君!? 年上の人を呼び捨てにしちゃいけないよ!』


 確かにもっともだが無視。


『弓弦君、甘い物のゴミを見て自分も食べたくなったからって、色々と雑にするのはいけないと思うよ。主に私への態度について』


 どうでも良いので無視。


『無視っ!?』


「…以前話したけど」


 セイシュウの言葉に意識を向ける。


「実行部隊に入る気があるかどうか…。それを訊きたい「分かった」…って早いね!?」


 セイシュウは驚いたように声を上げた。

 ──実を言うと、入ること自体はもう決めていた。傍観者で居るよりは、当事者の方が良いと思ったからだ。一応頭の中の彼女も了承済みだ。

 それに、何かをしていないと自分が潰れていってしまうような危機感があった。だから、猛烈に何かを成したかった。誰かのために動きたかった。

 偽善の心──と言うよりは、惰性への恐怖。

 何も出来ない自分になってしまうのが、ただ怖かった。

 それに…。


「‘な、なぁディオ…’」


 俺は小声でディオに話し掛ける。


「‘…アレ、かなり危険な気がするんだが…気の所為か?’」


 ディオの視線が俺と同じ対象に辿り着くと、途端に顔を引きつらせた。

 ──セイシュウが驚いたような声を上げてからと言うもの、ひっきりなしにリィルの眉が動いていた。


「‘部屋が汚れているし、博士がお菓子をたくさん食べていたこと丸分かりだからね…怒ってるよ、絶対’」


 実はセイシュウ、あまりに糖分を摂り過ぎるのでリィルから糖分摂取を控えるように言われている。厳命の域だ。

 しかし今俺の前に広がっている光景は一体何だ? 菓子ゴミの祭りだ。ワッショイ。

 ゴミを根こそぎ集めて積み上げれば、鉄の天井にまで届いてしまいそうだ。


『確か、リィルさんも博士と一緒にこの研究室内の、別々の空間で生活しているんだよね?』


 彼女の言葉通り、セイシュウはこの研究室、扉一枚隔てた奥の部屋をリィルが使用している。

 加えて床に散乱しているゴミは、食べている時を始めとして「ガサガサ」と音が鳴りそうな袋に包装されていた。

 つまり必然的に音を立てて食べることになる訳だ。

 セイシュウの糖分摂取を気にしている以上、リィルが菓子の音を聞き逃すと言うことは早々ないはず。その中で部屋がこの状態になったと言うことは、リィルが居ない短時間でこれだけのお菓子を食べたことに他ならない。

 一体どれだけの速さで食べていけばこれだけの量を食べきれるのか…そんな疑問を覚えた。


「本当は隊長である、“アイツ”の役目なんだけどね。今はリィル君に軟k…何も言ってないから取り敢えず鞭をしまってくれ…いった!?」


 今、「軟禁」と言いかけたな。

 必要とあれば、閉じ込めることも辞さない。鞭も振るう。

 リィルは、そんな厳しい女性だ。


「弓弦君、ルクセント少尉、非常に申し訳無いのですが。お話は次の機会にお願いしても…よろしくて? …わたくしちょっっと、ゴミを捨てなければいけませんの」


 成程、ゴミを捨てるのなら仕方が無い。

 あまり人様のゴミ捨てを見るような趣味が、俺には無い。いや、大体の人には無いだろう。


「はっはっは。ゴミぐらい自分で片付けられるよ、リィル君」


 空々しい笑い声を発しながら、セイシュウがリィルヘと視線を移す。

 その手が震えているのは、何故か。


「いえいえ博士、博士の手は煩わせませんわ。介錯はお任せくださいまし」


 セイシュウへと視線を移すリィル。

 その笑顔は、まるで張りぼてのようだ。


「介錯…?」


「えぇ、介錯」


「介錯?」


「介錯」


「僕の解釈違いでなければ…ゴミに介錯は要らないと思うのだけど…?」


「くどいですわ」


 バシンッ、と床を打つ鞭。

 鋭い音、次いで生じた風が散乱したゴミを僅かに散らした。

 …おい、袋の一つが破けたぞ。何て鋭い鞭捌きなんだ…っ!?


『私でなければ見逃しちゃうかもね』


 等と話す彼女。俺にもディオにもセイシュウにも見えていたと思うが、放置。

 そして光が消えた瞳のリィルから、ジリリと距離を取る。

 頬を伝う脂汗、早金を打つ鼓動。妙に身体が底冷えする。

 これは所謂、恐怖と言う奴だろうか。


「分かった良し、帰るぞディオ」


「了解。失礼しました」


「ちょ…っ、君達──ッ!?」


 助けを求めているセイシュウを他所に、研究室を出る。


──り、リィル君眼が…怖いよ? 


 逃げ出すような、暴れるような音から暫くして。


──う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああっっ!!!!


 悲鳴。

 俺とディオは顔を見合わせ、言葉も無く、静かに黙祷した。


『カレノタマシイニヤスラギノアランコトヲ』


「…戻ろっか」


「…そうだな」


 頭に響いた片言に少しだけ同意して、自室への帰路に就いた。

 悲鳴はずっと、聞こえていた。 











 艦内のとある区画にある506号室。

 ここに来てから仮の部屋として使わせてもらっていたのだが、今日から正式に俺の部屋となった部屋だ。

 間取りは、それなりに広いと思う。と言うか、かなり広い。

 狭く見積もってもニ十畳はあるんじゃないだろうか。隊員一人の部屋にこれだけの広さを与えられるのだから、この『アークドラグノフ』の大きさが分かる。

 扉を出た向かいには505号室があるが、そこはディオの部屋。アイツが言うには、501号室以降が隊員居住区──つまり、実行部隊隊員に充てられた部屋らしい。つまり実行部隊は俺を含めて計六人。これが多いのか少ないのかは分からないが。

 そしてディオが言っていた戦える人間、残り二人はおそらくセイシュウとリィルだろう。


『おぉ…』


 そんなことを考えながら。一人で住むには広過ぎる部屋から移動する。

 広過ぎると言って良い部屋とは別に、洗濯機の置いてある脱衣所で衣擦れの音が静かに立つ。

 嫌な汗を掻いてしまったので、シャワーを一度浴びようと考えたためだ。

 綺麗好きと言える程のものではないが、寝る前にはシャワーを浴びる。それは俺がずっと続けていた習慣の一つ。

 それは、寝床で心地良く眠るための儀式に近いのかもしれない。

 ──少しでも寝れる工夫をしないと、どうせ今夜も(・・・)悪夢(あの日の出来事)うなされるのだから…。


『弓弦君』


「うん…?」


 外で話す分には、独り言を言っているヤバい男として見られる危険性があるが、一人っ切りならその心配も要らない。

 彼女のことをずっと無視していたが、声に出して対応することに。 


『…。弓弦君って本当に引き締まった身体をしているよね。服の上からだと分からないけど』


 シャワーを浴びながら、そんな感心したような声に耳を傾ける。

 そう大した身体付きはしていない。それに──


「…知影さん、仮にも女の子だろう…俺の身体をジロジロ見るのは止めてほしいんだが」


『違うよ弓弦君。俺達の(・・・)身体だよ? だから私が、いくら自分の身体を視姦しても問題無いでしょ?』


 普通自分の身体をまじまじと見ることを、視姦とは言わない。

 精々観察とか、その辺りの言葉を選んでほしかった。

 だが彼女が敢えて、「視姦」と言った。つまり、ワザと言っていると言うことだ。

 俺の身体、そんなに見ていて楽しいものなのだろうか?


『うん、すっっっっっっごく楽しい』


 訳の分からないことを当然とばかりに言い切った彼女は、本当に俺が知っている「彼女」なのだろうか? そんな疑問が生じた。

 何せ、こんなことになる前の彼女はもう少し大人しかったはず…。


『…酷くないかな。そう言う弓弦君だって、こうなる前はもう少し素直だったような気がするけど?』


 等と思っていると、聞こえてくる抗議。

 こうやって人の思考を覗いて言葉を返してくる彼女は、やはり以前の彼女とは少し違うように思えた。


「悪女め」


 彼女の存在は一体何なのだろうか。幻覚? 確かに納得出来る。

 俺が彼女──「神ヶ崎 知影」と言う名の女の子をベースにして作り上げた、妄想だと。

 今となっては遠い日々の中で喪ってしまった彼女を、自分の中で作り上げているだけなのかもしれないと。


『また悪女って言った! ねぇ本当に酷くない!? 私を何だと思っているの!? 弓弦君の、バーカ!』


 ──だが、だが妄想なら…こんなにムカつく言葉を言ってくるだろうか?


「…誰が馬鹿だ!! 自分の頭が人より数倍良いからって偉そうに…っ!」


『そりゃあ本当のことだから、私は弓弦君より数倍? ううん、数十倍賢い女の子なんだからね! 後自分語り痛いよ!!』


「俺の妄想の分際で、人より数十倍賢い女の子だって? 人を馬鹿にするのもいい加減にしてくれ! 俺だって…やりたくてやっているものじゃないんだ…!」


『そ、それは…ね』


 不毛な売り言葉に買い言葉状態…傍から見ると風呂場で一人叫んでいる男…何とも虚しい。

 虚しいが、心の内に巣食う寂しさが紛れる感じがする。


「で、後。俺が知っている知影さんは、俺の数百倍は頭が良い」


『ッ!? …え~と、弓弦君…。で、でも私、そこまでは…賢くないかも…一応、高校生だし』


「…そうですか」


 湯に当てられたためか、感情を興奮させたためか、頬が熱くなっていた。

 しかしそれも、風呂を出たら涼やかな空気に当てられる。

 自分は何を言っているんだって、身体を拭きながら思った。自分が馬鹿みたいに思えてくる。

 いや、本当に馬鹿か。


『ほらアレだよ、神様じゃないんだから。全知の存在じゃないし…あ、でも…弓弦君のことだったら…今となっては殆ど知っているかなぁ…なんて♪』


「…例えば?」


『…細かいところでだと…歩幅。弓弦君の歩幅は一歩あたり56.903cmだよ。簡単なところだと…シスコンかな』


「前者は測ったことがないからそれでも良いと思うが、後者は全力で否定するからな」


 会話に花を咲かせながら、パジャマに着替える。

 と言ってもここに来た時渡された支給着の中で、勝手に俺がパジャマとしているだけだが。

 その内、ちゃんとしたパジャマを買いに行こう。シスコンを否定しながら、ベッドに座る。


『…じゃあそう言うことで良いよ。お休み弓弦君』


 勝手に会話を切り上げたらしく、そのまま頭の中では何も聞こえなくなる。どうやら、理解してくれたようだ。


「はぁ…」


 脳内に響く彼女の声が妄想だとしたらかなり、生々しい妄想だ。妄想なのかどうかの確信は無いが、「彼女」がもう、俺の前に居ないと言うことは確か。

 ──アイツは、神ヶ崎 知影は俺の前で…。俺は消えゆく彼女に何も出来ずに…。

 ……。


「…おやすみ」


 独り。見知らぬ世界で、日々直面する非日常の中で、たった独り。

 …それが少し寂しくて。一眠りしてそんな気分を紛らわすべく、そっと布団に身体を入れる。

 不思議と生じる眠気は、自分が疲れていると言うことを雄弁に語ってくる。

 ──あぁ…良く眠れると良いな。

「ババンと登場! 皆様どうも、リィル・フレージュですわ!」


「……な、何が始まったんだ?」


「いきなりの登場に驚かれる方も、そこの弓弦君のように居るでしょう。ですが安心くださいまし。この作品は、本文の後に予告がある作品ですの。後付けですけど。で〜す〜の〜で、第一話から早速予告が入りました。流石に、キャラクター紹介の予告はありませんけど」


「…何か、いきなりだな」


「まぁまぁ。ここは時空が捻じ曲がっていると言うことでも有名ですの。本編の進行とは、それ程関係ありませんわ。細かいことは気にせず、予告と参りましょう!」


「…いつ、有名になったんだ? いや、それを訊くのは野暮か。…時空が捻じ曲がっているとか言われたし」


『う〜ん。ご都合主義の塊なのかも。ここ』


「(…突っ込むのも野暮…か。仕方無い、受け入れるか)」


「では、予告でしてよ。『彼女は一人、考えていた。変わってしまった日常。望みの代償として喪ってしまったモノ。彼女は気丈に振る舞うその裏で、日常の痕を省みる──次回、終わる日常 前編』。…そして全てが、始まった」


「……」『……』


「…では、また次回お会いしましょう!」

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