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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
女二人湯煙客旅編
299/411

湯煙旅と知らぬが仏

 人影が、静かに動く。

 夢を彷徨いながらも、徐に隣を探る手に意識を集中させていると。


「…?」


 宙に触れた。

 もう一度触るも宙に触れるだけで、現実の何にも触れることは出来ない。

 薄っすらと開いていた瞼を少しだけ開き、隣を確かめた。


「あれ…」


 そこには、誰も居ない。

 布団から身体を起こして部屋を見回すも、自身の他に人は居なかった。


「晴美さん…?」


 瞼を擦った男の名は「草津くさつ 雄一」。彼が探したのは、隣で寝ていたはずの女性の存在だ。

 共に布団に入り、共に想いを確かめ合い、共に夢への旅だったはずなのだが、彼女はどこに行ってしまったのだろうか。

 乱れた着衣を直すと、彼は身体を起こした。

 探し人を探すためもあったが、どうにも眼が冴えてしまっていたために、少し歩きたくなったのだ。


「…(どこに行ったんだろう)」


 部屋を出ようかとも考えたが、少し悩んだ後に窓の付近へと移動した。

 空が見たかったのだ。空を見ながら、帰りを待とうと思った。

 見上げた夜空には星が輝いていた。

 一つ一つの星が眩しくて、心が躍る。

 静かな夜だ。これまで自分が過ごしてきた、一人ぼっちの夜。

 つい最近まで見ていたはずの夜空なのに懐かしく思えてしまったのが、おかしかった。


「あーあ、本当…不思議だなぁ」


 友人に誘われた合コンでの出会いがなければ、積極的に自分に話し掛けてくることがなければ、こんな旅行に赴くことはなかっただろう。

 こんな、婚前旅行にーーー。


「はぁ、恥ずかし」


 早速色々やってしまっているように思える。

 だがそれは仕方が無い。男と女が二人切りで旅行をする。ならば後はもう、察しろという他無い。

 良いではないか。羽目を外すのも旅行の醍醐味なのだ。

 恥じらいを納得させ、風で頬の熱を冷ます。

 涼しい風だ。昨日の臭いのキツい無風が嘘のような心地良さだった。


「…本当、何だったんだろう」


 風の香りを確かめてみる。

 街の、夜の香りがした。少なくとも、変な香りではない。

 安堵を覚えた。というのも雄一は昨晩、おかしな匂いを嗅いだのだ。それが今では異臭の名残すら感じられない。

 あの異臭。甘い墨のような匂いは初めて嗅いだ。一体何を燃やしたらあんな臭いがするのだろうか。甘いとはいっても、決して食欲を刺激されるようなものではなかった。

 やはり、異臭のしない普通の風が一番なのだ。この街の場合、温泉の香りが混じっている。

 それが、この街らしさ。だから、街の香りがすると感じたのだ。


「……」


 雄一は眼を伏せる。

 視線は自然と下がり、家が見えた。しかし、彼の眼に映るのは現実ではなく夢だ。


「…結婚…かぁ」


 式場。

 自分の友人と、相手の友人。家族に囲まれたレッドカーペットの先。

 ゴーンゴーンと鐘が揺れている。式場の扉の前で立つのは、自分とーーーもう一人。


「うわぁ…恥ずかしっ」


 想像力を働かせるが、自分にどんな衣装が似合うのか全く分からない。

 何を着ても絶対服に着られる。似合わないと笑われる。友人達の生温かい笑みが擽ったい。

 でもそんな自分の姿を見ても、親は泣いてくれるのだろうか。「彼女」は「素敵だよ」と言ってくれるのだろうか。

 何もかもが初めてだ。何もかもが新鮮で、何もかもが心騒めく。

 自分は「彼女」で良かったのか。「彼女」は自分で良かったのか。出会ってから一年余り経った今も答えは出ていない。

 でも、出会ってからの一年は間違い無く、楽しかった。それは友人達と遊ぶ楽しさと近いようで、遠くて。そんな、唯一無二の楽しさがあった。

 この旅行だってそうだ。ただひたすらに、楽しい。一人じゃ絶対に味わえない楽しさばかりを感じていた。

 そんな旅行も、いよいよ終わりに近付こうとしている。

 この街を訪れるのが最後だったのだ。この街を訪ねたのは、どうしてもここの風呂に入りたいと、「彼女」が希望したために訪れただけ。

 「湯処蜜柑」や「既婚者の少女」という思わぬ発見もあったが、実際の目的はこの旅籠屋に宿泊する時点で達成されていたのだ。

 つまりこの旅籠屋を最後として、旅行は終わりだ。後は精々蜜柑を買って帰るぐらいか。自分の独身生活というのも終わりを迎えているということである。

 それを友人に話した時、「そんなに早くて大丈夫か?」と言われた。

 雄一の歳は二十だ。同年代の人間が、稼いだ金を元手に毎晩遊び回っているような年頃。友人の数人は社交性があるためか、毎晩様々な異性と夜の街に出ている。

 「羨ましい」と、素直には言えなかったが、雄一の中には憧れの感情がある。

 男なのだ。色んな女性と仲良くしたいという欲求は、確かに存在していた。だから、すぐには返事を返せなかった。

 なのにそれでも、「大丈夫、問題無いよ」と返せたのは何故だろう。この出会いを実らせたいと強く願ったからなのかもしれない。


「あ…」


 襖が動く音がした。

 音に反応した雄一が振り返ると。


「…驚いた。起きてたんだ」


 言葉通り驚いた様子の待ち人が、そこに立っていた。

 晴美だ。

 何をしていたのか。それに対する疑問は、彼女の手に握られている一本の牛乳瓶によって霧散する。

 どうやら、飲み物を買いに行っていたようだ。


「それとも、私が起こしちゃった…?」


「ううん。何となく眼が覚めただけだよ。何か…興奮して眠れなくて」


 考え事の内容が内容なので気恥ずかしかった。

 思わず視線を斜めに逸らした行動を、別の羞恥由来の行動と受け取ったのか、晴美は得意気な表情を浮かべた。


「興奮…もーっ、雄一君ったら! あんなに激しくしておいてまだするの?」


「ちっ、違うそんなつもりじゃっ」


「ぷっ、冗談冗談♪ 揶揄い甲斐があって可愛いなぁ♡」


 雄一は「揶揄うなよー」と抗議する。抗議はするのだが、心の底から嫌な訳ではない。

 それが分かっているから、晴美は揶揄うのだ。揶揄うと楽しいし、反応が可愛くて嬉しいから。

 歳下の男の子、雄一。その歳の差は四つある。彼を見ると、どうしても自分の内の何かが刺激され、優しく守ってあげたくなってしまうのだ。


「じゃあこれ半分こで許すってことで、どう?」


 そう、これも優しさ。

 半分残したのは自分への優しさだ。


「貰うよ」


「先飲む?」


 蓋の開いた瓶から甘い香りがする。

 嗅いだことのある香りだ。それも極々最近に。


「残り一本しか無かったから人気なのかなぁって思って、つい買っちゃったんだ。お先にどうぞ?」


 雄一は瓶を受け取った。

 甘酸っぱく爽やかな香りは柑橘系の香り。

 この香りはーーーそう、蜜柑の香りだ。瓶のラベルには、「フルーツ牛乳」と書かれていた。


「雄一君は間接キスがお好きってことで」


「…そう言うことにしておいて」


 冗談めかす晴美の言葉を流し、半分程飲んでいく。

 フルーツ牛乳にしては、香り通り蜜柑の味が強い。これは蜜柑好きには堪らない一品だろう。無論他の果物も入っているのか、味わいとしては実にフルーティーだった。


「ごちそうさま」


「どーも♪」


 晴美によって残りの半分が飲み干されていく。

 躊躇いの無い飲みっ振りだ。瞬く間に瓶は空になった。


「ぷはっ。人気なのも分かる気がする。美味し〜♪」


「はは…だね」


 その人気の大部分は、某悪魔によって演出されたものとは知らず。二人はフルーツ牛乳を堪能した。

 空瓶は晴美が持って行くことになった。というのも、瓶を持っているのが晴美だったために彼女が持って行くのが自然な形となった。

 しかし雄一は感じていた。

 何故か晴美から、有無を言わせぬ迫力が静かに放たれていたのだ。

 何も瓶を片付けに行くのに、譲れない意思を示されても面食らうしかない。あっという間に部屋を出て行ってしまった晴美を見送った雄一は、布団に入った。

 「先に横になって待ってて」と、晴美が言い置いて出て行ったためだ。

 特にすることもないし、何より今は夜中だ。今思い出したかのように、眠気を覚えていた。

 雄一はうつらうつらと夢に向かう。

 夢の先にある明日はきっと、晴れだーーー。


* * *


「…成程。最後に女湯を清掃していた所、死体を発見したと言うことで御座いますね」


 旅籠屋の外れにある、男性従業員の休憩所。そこに風音の姿はあった。

 彼女は現在、メモ帳を片手に聞き込みを行っているところだ。聞き込みの相手というのが、事件当時この旅籠屋で清掃をしていた第一発見者、「三付 他人」である。


「あんだ。あれはびっくりしただなぁ。奥さ行っだら急に人が倒れてたんだしなー」


「発見時刻は二時とのことでしたが、それ以前…清掃時に何か変わったことはありませんでしたか?」


「そう言えば風呂の香りが強かった気がするんだな。んだども、昨日は風無かったし、香りが強いのは当然だべさ。風の無い日は極たまにあるべ。おかしいとは言わなんだしなぁ」


 男の言葉の要点を書いていく。

 死体発見時刻は二時で間違い無し。変わったことは無し。風が無いのは時折あること。

 まだまだ、何かしらの情報が引き出せそうだ。


「(もう少々、質問内容を絞ってみましょうか)」


 風音はこれまで集めた情報を整理する。

 実はここに来るまでに出会った人、一人一人に話を訊いたのだ。

 その中に一人、大変興味深いことを言ってくれた人が居た。

 「彼女」の言葉が確かならばーーー


「では出勤されてから、何か奇妙な臭いを嗅いだことはありませんか?」


「奇妙な…? あぁ! あったべ! あれは中庭掃除している時だったかなぁーーー」


 ーーー甘く、焦げたような臭いが一時期香っていたそうなのだ。

 これが中々不思議な香りらしく、嗅いだことのない香りだったそうだ。

 事件に関係あるかどうかはまだ分からないが、極めて怪しい情報であるのは確か。

 男の話も、これまでに集まった情報をなぞる内容だった。

 しかし、一つだけ新たな情報があったのだ。


「…頭がクラクラ?」


「あんだ。ふわぁっとする臭いを嗅いでっと、頭がクラクラしてきただよ。アレは何だったんだべなぁ」


「…中庭の掃除は何時頃されていたのですか?」


「中庭は調理場の後に、ゴミが無いよう掃除するから…十一時から日付が変わるぐらいだと思うだよ」



 二十三時から二十四時までの一時間。

 被害者が殺害現場に向かった時間帯だ。


「(…重要な情報かもしれませんね)」


 事件との関係性は定かではないが、何かしらの関連はあっても不思議ではない。

 メモに書いた内容を確認して小さく頷いた。

 他に訊きたいことが出来たのだ。

 風音は小梅から渡された紙の内、一枚を見る。

 それはこの旅籠屋の見取り図だ。

 正確には緊急時の避難地図か。大まかな旅籠屋の構造がそこには書かれていた。

 真下に入口の戸。少し上に進むと番台がある。番台から左右に進め、それぞれが突き当たりで上に進める。

 右側左側にそれぞれ宿泊出来る部屋が配置されている。「客間」と書かれているからだ。これが一階部分と、途中で階段を昇ってからの、二階部分に三部屋ずつある。風音達の部屋は二階の入口側だ。

 左右それぞれ伸びている道は、そのまま交わることなく上に続き、左側の行き止まりは浴場だ。そして右側の行き止まりはここ、休憩所だ。

 中庭は番台の裏、左右に伸びる廊下に挟まれた場所にある。靴さえあれば、縁側のどこからでも入ることが出来る場所だ。

 改めて位置を確認してみて分かった。

 とある可能性がある。もしかしたらーーーの、可能性が。



「三付様。中庭の掃除中、浴場に向かわれた方を何方か見ませんでしたか?」


 風音はペンを握る手に力を込めた。

 第一発見者の返答を聞き漏らさないように、心の準備をしたように。


「あぁ〜」


 想起のために思案を始めた三付の顔を、険しい面持ちで見詰めた。


「そう言えば」


 やがて口を開いた三付の言葉。

 風音は動揺を外に出さないように、ペンを走らせるのであった。

「食べ終わった食器はこっちに持って来るのよ」


「はーい」「…はーい」「はい」


「ありがとう。じゃあセティは知影の見張りをお願いね」


「…コク」


「…うぬぬ」


「(ふぅ…美味しかった。いやもう、ホント、美味しかった。パァスタ…最高だっ。…それにしても知影さん、逃げることを心配されてるなんて、どれだけ信頼が無いんだろう。こう言っては何だけど面…)」


「…ギロリ」


「(…擬音語付きの物凄い形相で睨まれた。怖い怖い)」


「まったくもう、失礼しちゃうよね! どうしてディオ君はそんな眼で見てくるのかな? かな?」


「(どうして二回も。)別に変な意味で見ていた訳じゃないけど、一応謝っておくよ。ごめん」


「一応は要らないから。心の底から謝ってほしいね! ぷんぷん」


「(ぷんぷん…。)ごめん」


「足りない。ここは一つ土下座だね! 知ってる? 土下座って、土の下に座るって書くの。じゃあベランダ行こっか」


「…えっ」


「さぁさ、ベランダにゴーゴー♪」


「…知影、外行くのは駄目」


「えー、駄目?」


「お願いっ」


「…少し、頭冷やそっか」


「うう。セティが冷たい……」


「(…今の副隊長の眼、怖かったなぁ。…何か、副隊長も少し怒っているみたいだ)」


「…もっとご飯食べたかった」


「(うわぁ…分かるなぁ。本当に、もう少し食べたかったよ……」


「ううぅ……」


「もぅ。育ち盛りなのよ? ご飯を沢山食べたくなるのは当たり前じゃない」


「…物凄く反省してます。けど、後悔はしたくないです」


「…駄目ね。じゃあ、ベランダ出なさい」


「へ」


「抵抗するだけ無駄だから、大人しく付いて来なさい」


「え、ちょっと、フーーーーー……」


「(…行っちゃった。知影さん、結局ベランダに行くことになるんだね)」


「…因果応報。ルクセント君を巻き込もうとしていたから、ああなった」


「…副隊長」


「…可哀想だけど。悪いことをしたらお仕置き…当たり前。知影のことは忘れて、予告」


「え…でも」


ーーーやぁぁっ!?


「(…凄い小気味良い音が聞こえるんだけど)」


「…お尻叩かれてるだけだから」


「…うわぁ。(痛そう)」


「予告、しよう」


「…分かったよ。『風音で御座います。また困ってしまいました。考えども考えども、答えは出そうにありません。…ここはやはり、詳しい方に御伺いするべきですねーーー次回、湯煙旅に、悩む風音』…少しだけ、本当に叩かれているのか見てみたい気がする」


「…それは駄目。知影だって一応女の子だから」


「あ、そうだった」

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