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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
女二人湯煙客旅編
297/411

湯煙旅と二人の女将

 灯りが揺れる。

 薄暗闇の中に蠢く双眸は、鋭く見詰める。

 双眸が放つ光は、悪視界の中でも持ち主の所在を明らかにしていた。

 ここは奥に浴場のある廊下の途中にある部屋。従業員の待機室とは違うこの部屋は、旅籠屋の中で唯一ある程度の乱雑が許された個人的なスペースだった。

 入室者ーーー小梅は光を放つ双眸を認めると、しゃがんで両手を広げた。


「ミヤコ、こっちにお出で」


 双眸が動く。


「にゃぁ」


 双眸の主は、猫だった。


「御利口さんにして居ましたか? 良し良し良し良し……」


 顎の下を撫でる手付きは慣れたものだ。撫でられている猫は気持ち良さそうに唸っている。

 しかし、


「んみゃぁぉぅっ」


「あらっ」


 暫くしていると逃げて行ってしまう。

 どうやら撫で過ぎてしまったようだ。部屋の隅に逃げて行ってしまった。

 猫に戻って来そうな気配は無い。

 部屋の隅に集められた、乱雑の正体ーーー円形物質の数々。

 ミヤコは、丸い物を集めて遊ぶのが好きなのだ。丸い物を見付けると、近付いて猫パンチで奪っていく。そして奪った物を大切に保管するのだ。

 これまで何度丸い物を奪われただろう。取ろうとすると引っ掻かれる恐れがあるので奪い返すことが出来ないのだ。

 対策としては、丸い物を持ち込まないこと。現にこの部屋には、丸い物が置かれていなかった。

 そんな猫の様子を見て溜息を吐く。



「はぁ……」


 機嫌を損ねてしまった以上触る訳にもいかない。

 机に向き合うと、ボードに乗せられた用紙に眼を通す。

 それは、今晩宿泊している客のリストだ。夕方までは番台に置いてあるのだが、夜になると部屋に持って帰り保管する。

 所謂個人情報保護のためだ。また朝になり、番台に立つ早出の従業員が出勤し次第再び向こうに置いてもらっている。

 客のリストに書いてある名前の数は、三組。人数にすると、五人だ。

 宿泊者数が少ないのには理由がある。

 前日のリストにある名前。リストの先頭には特定の人物の名ではなく、とある組合の名称が書かれている。

 この組合の名というのが、「ユドコロ視察隊」。陳腐な名前だが、この街に代々ある歴史の長い組合だ。

 視察隊の隊長の名は「飯坂いいざか 大輝だいき」。その名は、『ユドコロ』の長の名でもある。

 彼は一年に一度、一日だけ旅籠屋のサービスの質を確かめるため、『ユドコロ』全ての旅籠屋に宿泊する。その日に限っては、どこの旅籠屋も宿泊者に人数制限を設けるのだ。

 何せ一度に、十人近く泊まるのだ。前々から予約されていたものの、どうしても当日は従業員の間に緊張が走ってしまう。たった一日でその後一年の評価が決まってしまうからだ。

 そんな大切な一日に、こんな事件が起こってしまうとは。既に帰宅された組合にどう説明すれば良いのだろう。

 何せこんな一大事は初めてだ。どうすれば良いのか分からず、ずっと困惑している。

 おまけに事件の解決を別の宿泊者に任せてしまったのだ。心配もしていた。

 分かっている。自分は、死んだ宿泊者が自ら命を絶ったことが信じられないのだ。だから、微かな望みに賭けてみた。

 手元にあるのは、死んだ女性の遺書。内容としては、懺悔の文章だった。

 曰く、自分のしていることに嫌気が指した。曰く、ここが自分の死に場所と相応しいと思ったから、悪いとは思ったが決行した。曰く、それに対しての懺悔の文。

 懺悔するぐらいならそもそもしてほしくなかった。独り善がりな理由で謝罪されても、被害を被っている側からすればとんでもない迷惑だ。

 思えば、死んだ女性は確かに我儘な女性だった。食事の時間も個別に擦らされ、入浴は誰も入らない時間を狙って済ませる。昼夜問わず酒を要求されたかと思いきや、いつの間にか外出している。それが二日、三日と続いていた。

 時折見られるタイプの客なので、さして気に止めることもなく放っておいたが、その結果が現在だ。

 だがもし、連続した宿泊が死への迷いがさせていたものだとしたら、気付けていれば未然に防げたかもしれないのに。そう、もし自分が、浴場に向かっていた彼女を呼び止めていれば結果は変わっていたのかもしれない。

 もっとも起こってしまったことは仕方が無かった。

 願うのは、一刻も早い真相の究明。

 浴場に向かった今頃どうしているのだろうか。懸命に事件の解決を目指しているのだろうか。

 幸い、見廻組は到着に時間がかかるそうだ。何でも街へと、魔物が付近の森から大挙して押し寄せて来ているそうで、対処に追われているらしい。

 不謹慎だが、少しだけ魔物に感謝したい気分だった。お蔭様で時間が稼がれているのだから。

 遺書からの手掛かりはもう得られそうにない。そう判断した矢先に、扉を叩く音が聞こえた。


「どうぞ」


「おう…っと」


 男の声だ。

 背後の扉が突然開かれ、ミヤコが跳び上がる。


「みゃぉぅ……」


「はいはい、今日も驚かされましたね。良し良し良し……」


 驚くと分かってるのに、どうして隅に座るのか。分からないものである。

 そのお蔭で撫でられるのだが、今回は程々にしておいた。


「また隅に居たのかミヤコは。邪魔臭い奴め」


 悪態を吐く闖入者の名は、「下部しもべ 早吉」。この旅籠屋の料理長を二十年以上に渡り務めている男だ。

 住み込みで働く彼の部屋は、丁度この部屋の隣だ。夜になると、翌日に提供する料理の献立を確認しに、こうして隣の部屋の戸を叩く。

 話し合いが終わり次第睡眠を摂り、明朝に食材の買い出しに朝の街へと消える。彼はこの旅籠屋で二番目に忙しい人物だ。


「動物には優しくするよう御願いしているのですが」


「隅で寝ている方が悪いんだよ、こんなのは」


「取り敢えず謝って下さい。ミヤコに」


「何で俺が謝らねぇといけないんだ。知るか。それよりも問題は明日のことだろう?」


 翌日提供する料理。

 事件のことも考えないといけないが、その先も考えなければ。

 別のリストを取り出し、眼を通していく。

 今度のリストでは、紙面に薄く走る線に縁取られた枠を埋め尽くさんばかりに数字が並んでいる。

 数字が示すのは、旅籠屋の収支だ。

 昨年以前の同じ日にどのような料理を何人前提供したのか。どこから食材を用意し、幾ら支出があったのか、正確に記録されていた。


「何でも風呂で人が死んだそうじゃねぇか。宿泊している客にどう対応するつもりだ」


「十分な説明をした後に、宿泊料の返還を行う予定です。料理については、予定通りの物を御願いしようかと」


 料理については悩んだ。

 変に質素にする訳にもいかず、かといって逆は問題外だ。

 ならば、変に考えずにそのまま予定通りの料理を出すべきと考えたのだ。


「…分かった」


 早吉は頷くと、部屋に戻って行った。

 朝は必ず訪れる。どんな夜でも、必ず。

 すべきことが決まった以上、すぐに備えを行うべきなのだ。行動を起こすのは、遅きに行うよりも早いに越したことはないのだから。

 頼り甲斐のある料理長のいびきが聞こえ始めた。

 相変わらず寝付くのが早い。酒を飲んでいた所為もあるのだろうが、襖が閉まってから十秒も経たずのいびきだった。

 クスリと笑みを零すと、収支表をしまう。

 次に取り出したのは、従業員の勤務表だ。

 明日は誰が、どんな予定の下行動するか記入された紙と睨み合い、小さく息を吐く。

 今日勤務した人間は、殆どが翌日が休みなのだ。出来れば家に帰らせてあげたいのだが、出来るはずもない。

 取り調べのために残らせないといけない義務と、帰らせてあげたい本音の葛藤に彼女は悩まされる。

 額に手を当てる彼女の膝を、フサフサな感覚が襲った。


「みゃおう……」


 再び跳び上がったミヤコが近くにやって来たのだ。

 構ってとばかりに擦り寄る猫の頭を撫で、今一度気合いを入れ直す。心なしか元気が出てきたようだ。

 勤務表と睨み合っていても始まらない。一度従業員の様子を見に行くべきだと思い、立ち上がったその時。


「…?」


 控え目に襖を叩く音が聞こえた。

 愛花だろうか。この旅籠屋に住み込みで働く自分の姪は今、従業員と共に休憩を摂っているはず。

 まさか従業員達の不満が大爆発しようとしているのだろうか。緊張に唾を飲み、襖を開けた。


「…これは天部様」


 襖の向こうに立って一礼したのは、この旅籠屋で起きた自殺騒動に、「他殺」と別な可能性を指摘した少女の保護者らしき女性だった。

 小梅も一礼を返すと、用件を問う。


「斯様な夜分に何用で御座いましょうか」


「少し御話を聞かせて頂きたいかと思い、参上した次第に御座います」


 事件のことだ。すぐに思い至った。

 小梅は視線だけを左右に動かし、周りを。そして風音が、丸い物を持っていないか確認する。

 ーーー取り合えず、持っていないようなので安心だ。


「…承知致しました。立ち話も何でしょう、どうぞ此方の部屋へ……」


 内容が内容だ。立ち話では済ませない。一歩下がり部屋への道を開けると、風音は応じた。


「失礼します」


「其方の座布団にでも座って下さい。何分私室故、そう上質な物では御座いませんが」


「いえ、滅相も無い。では失礼して」


 狭い部屋の中で、二人は向き合った。

 ミヤコはまた、隅に帰って行った。人見知りをする猫は、部屋の隅で丸まっている。

 そんな猫の存在に気付いたのか。風音は暗がりを数秒見詰め、その後に小梅の視線と交わした。


「さて、何から御話すれば宜しいのですか?」


「そうですね…。ひとまず、如何様にして発見されたか。御聞かせ願えますか?」


「畏まりました」


 小梅は事件のことを思い出す。


「…御存知かと思いますが、湯河原様…『湯河原ゆがわら 京子きょうこ』様の御遺体が発見されたのは、月が夜天を下って暫くした、二時のことに御座います」


「湯河原…京子さん……」


 それが、自殺者の名前らしい。

 死体が発見されたのが二時。早速、二つも重要な情報を得られた。


「御遺体を発見されたのは、当旅籠屋の従業員である『三付みつけ 他人たひと』です。この方の主な業務は当旅籠屋の清掃。もう一人の方と隔週交代にて清掃業務を務めておられます」


「(三付 他人さん……)」


「二十一時から三時頃までの勤務。昨日も二十一時頃には出勤されています。浴槽の清掃は一番最後に行いますので、発見が二時になってしまったのはその所為に御座いましょう」


 第一発見者。

 後で話を訊きに行く必要があるだろう。風音はその名を口の中で反芻した。


「その方は今、何方に?」


「第一発見者として見廻組の自重聴取を受けることになっております故、休憩所にて待機しているはずです。発見当時の状況は彼に御尋ね下さい」


「はい、分かりました。大変貴重な御話をありがとう御座います」


 風音は座礼の後に、部屋より退室しようとする。座布団から動こうとした彼女を、「御待ち下さい」と素早く小梅は呼び止めた。


「此方を、どうか」


 彼女は机から数枚の紙と、京子の遺書をボードに挟んで手渡す。

 一番上に挟まれている遺書を眼に留め、風音は驚いた。


「遺書…それに、こんな物まで…宜しいのですか?」


 遺書の他に挟まれた紙に眼を通し、舌を巻く。

 そこに書かれていたのは、当日中に勤務していた従業員の、一時間毎の業務内容だ。いつの時間に、どこで、何をしていたのかが明確にされており、捜査の上でこの上無く強力な武器だった。


「えぇ、構いませんよ。御役に立つと良いのですけど」


「いえ、そんな…。ありがとう御座います…!」


「それと、もう一つ。浴場に湯河原様が向かわれたのは、二十三時です」


「!!!!」


「湯河原様が何時に如何様な行動をされていたのか、私が把握している範囲のみではありますが、最後の紙に書いておきました。どうか御役立て下さいね」


 そこまでしてもらえるとは思わなかった。

 宿泊する利用客のプライバシーを最大限守るのは、旅籠屋にとっての常識であり、礼儀である。小梅は、それを違えてまで協力してくれた。

 この期待。違えることはしたくない。

 風音はボードを大事そうに抱え、最後に深く礼をすると、部屋を退室した。

 少女と男に旅籠屋の明日を託してから、自分に出来る全てを追求した彼女の成果という名の花。

 花が実になるのかどうかは、少女達次第である。

 一人になった小梅が手招きすると、ミヤコが近くまで寄って来た。


「…これで、良いと思いますか?」


「みゃー」


 膝に乗ってきた猫の毛を撫でる小梅の表情には、迷いがあった。

 通報を受けたは良いものの、伝令のみに止め蜻蛉とんぼ返りした見廻組の伝令が語った内容。

 見廻組が戻って来るまでは現場の保存に止め、現在旅籠屋に居る人間は帰宅させないこと。また、勝手な行動を禁ずる。

 そのため、誰もが神妙に時が経つのを待たねばならない状況の中で、皆を諌めねばならない立場にある自分が、大々的に行動を起こしてしまった。多少の刑罰は逃れられない。

 最悪、自分が全ての罪を問われることとなるのだ。

 だからこれは、賭けなのだ。

 確固たる真実さえあれば、正義の執行人は真実を突き止めたことに対して報いなければならない。軽い罪に問われこそはするが、実質あってないようなものだ。

 もっともそれは、賭けに勝ってこそだ。負ければその時はーーー


「…そう言えば」


 ふと気になったことがあったのを思い出し、小梅は部屋の時計を見た。

 ミヤコを撫でながら暫し見詰めていると、三時を過ぎていた。

 もう日が昇るまであまり時間は無い。

 東の空に昇る日輪が照らすのは変わることのない現実か、埋もれた真実か。

 明暗を分けるにはまだ、時は早い。

「手、洗って来た」


「ふふ、偉いわよセティ」


「(オープスト大佐…副隊長のお母さんみたいに見える)」


「…うぅ」


「早く手を洗って来なさい。彼、待たせているし、言い訳は食べた後に訊くわ」


「…ちぇっ」


「(…。何故だろう。知影さんも子どもに見えてきた。大体、ちぇって何だろう)」


「‘…ディオ君の分際で’」


「(分際って何っ!?)」


「こら、悪態吐かない」


「…うぐぐ」


「(…凄い。大分小さな声だったと思うけどちゃっかり聞こえちゃってる。耳良いなぁ、オープスト大佐)」


「私、いつもの所?」


「えぇ、私の隣。どうせ知影はあの人の席に座るわよ」


「コク」


「(副隊長…僕の前か。と言うことは、知影さんは僕の隣…か。ううん…何とも思えないや)」


「ルクセント君…また会った」


「あはは。先程はお世話になりました」


「…良きに計らえ」


「(副隊長…か。わっ、眼がキラキラと輝いているよ。お腹空いているんだろうなぁ)」


「チャンチャチャン♪ チャチャチャン♪ チャンチャチャン♪ チャチャチャン♪ チャカチャ、チャカチャ、チャカチャンチャカチャン、チャチャチャカチャン♪」


「…? 副隊長、何ですか? その鼻歌は」


「上手に焼けました的な音」


「はぁ」


「新作」


「はぁ」


「世界」


「…はぁ。(意味が分からないや)」


「ふふ…♪」


「(…斜め前から視線を感じる。何だろ、何か…何か、生暖かい視線だ…)」


「わー♪ 弓弦の席いっただき♪」


「(…知影さんが戻って来た)」


「ディオ君、また会ったね♪ わ、グーゼン♪ わわ、凄い偶然だぁねぇ♡ はー、それにしても弓弦の席は良いなぁ…はぁ、座り心地サイッコー♪ わぁ♪ ふふふふふふ♪」


「「「…………」」」


「さぁさぁ♪ ご飯食べよ♪ 弓弦の上でご飯♪ 騎乗しながらのご飯♪ ふふふふふ♪」


「「………………」」


「(な、何なんだこのテンション…っ。きょ、狂気をそこはかとなく感じるっ!?)」


「…ルクセント君」


「ん?」


「キリが無いから予告言った方が良い」


「…はぁ」


「……」


「えっと…じゃあ、言います。『我こそは主がしもべが一人、アスクレピオスである。支配の者は一体何を考えているのだ。急に茶を淹れ出したかと思えば湯呑みの中を見詰めて…実に怪奇だ。…しかし、ああも見詰めていると、中々どうして気になるものだな。どれ…ここは一つ、私も覗かせてもらおうーーー次回、湯煙旅と硫化水素』」


「予告任務、お疲れ」


「あ…ありがとう?」


「コク」


「ふふ…♪ さぁ、手を合わせるわよ?」

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