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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
女二人湯煙客旅編
295/411

湯煙旅と凸と凹

 少女は戸惑っていた。

 この旅籠屋を切り盛りする女将が、どうしてこんな所に居るのだろうか。


「こんばんは。やっと気付いて下さいましたね」


「…こ、こんばんはっ」


 頭を下げ、気付かなかったことを詫びる。

 まさかこんな所に居るとは思わなかった。まだこの通路の奥ーーー浴場に居ると思っていたのだが。

 チラリと通路の奥を見遣る。

 人の気配はするが、疎らだ。少なくとも先程までの人数は居ない。元々数人程しか居なかったのもあるのだが。


「その、大変なことになっちゃった…っすね。…人が死ぬなんて」


 話す内容が見付からなかった。どんな話から話して良いのか分からず、本題から質問してしまった。


『主よ、それをいきなり訊くのか』


 アスクレピオスから指摘された。

 確かに、もう少し他のことから訊くべきだ。小梅はいきなりの本題に、面食らった様子だった。


「…御存知なのですか。…本当に、一大事です」


 少女から視線を外し、庭園を見る。

 現実から視線を背けたかったのだろう。現実から、一人静かな空間へと逃げる。

 彼女がここに居るのもそれが理由だろう。

 浴場から一旦離れ、眼前の美しい景色に心を浸らせながらまずは落ち着く。

 逸る心、焦る心を落ち着け、冷静に物事を判断出来るようにする。現実を受け容れようとしている。それもまた、ここに居る理由だとーーーそう感じた。


「…ボク、難しいことは良く分かんないっすけど、人ってお風呂場で…死んじゃうんすか?」


「…。まさか。普通ならばあり得ないことです。…あんな姿で」


 オルレアはアスクレピオスから聞いたことを思い出す。

 浴場の奥で、湯船に浸かるようにして死んでいたのは、女性だったそうだ。

 その肌には抹茶に近い色ーーー緑褐色の斑点が生じていたとか。

 確かに、聞く限りでは普通の死に方ではなかった。


「…ですが、遺書があったそうです」


「…遺書?」


 死体の発見後、すぐ従業員に死亡者の部屋を当たらせると、遺書が見付かったそうだ。

 更に小梅は語った。その人物が浴場に向かうのを見たと。

 時間は二十三時頃だそうだ。


『ほぅ……』


 バアゼルが意味深に息を零す。

 心の中で、「何すか?」と訊いてみるが返事は無かった。


「あの折に異変に気付いていれば……」


 気付いていれば、止められたかもしれない。

 気付ける(・ ・ ・ ・)はずがない(・ ・ ・ ・ ・)。そう言いたかったが、上手く言葉に出来なかった。

 そんな言葉、慰めにもならない。

 当事者と傍観者の関係。当事者の気持ちを推し量ることは出来ないのだから。


「こんなことを言っても、栓の無いことですね。ふふ」


 オルレアの表情が歪んだのを見てか、小梅は話を打ち切った。

 こんな少女に対して愚痴を言ってしまうとは。まだ動揺が冷めていない証だ。


「…では、失礼します」


 これ以上、大人の情けない姿を見せる訳にはいかない。

 小梅は少女の下を離れようと立ち上がった。

 もうじき見廻組が来る。自分の見たことを全て話し、死体を引き渡し、その先を見据えなければ。また誠心誠意宿泊者に謝罪をしなければならない。

 そのための準備を他の従業員と話し、取り掛かる。まずは当日の宿泊者に対し、宿泊料の払い戻しをしなければならない。

 朝食に提供する料理も見直さなければ。今日の出来事に繋がるような縁起の悪いものを全て省く旨を料理長に伝えなければ。

 宿泊者には、暫く滞在してもらわなければ。自殺とはいえこれは事件だ。見廻組による事情聴取を受けなければ、あらぬ嫌疑をかけられかねないために。だから従業員にも、休憩室で待機してもらっている。彼等にとっても災難だが、仕方が無い。

 今日のことは十分に備えた。だから今度は、明日のことを考えよう。この旅亭を仕切る立場である自分が、いつまでも引き摺る訳にはいかない。例えどんな障害があろうとも、ここを寂れさせることだけは避けなければ。

 それが、先代より旅亭を継いだ女将としての責務なのだから。


「……」


 少女は去り行く後姿に、責任ある者の背中を見た。困難にもめげずに立ち向かおうとしている人の。

 不幸は往々にしていつ訪れるか分からないものだ。たまたま泊まった宿で、人が自殺した。自分達にとってはそれだけの不幸。

 でも、


「……」


 自分達は何もやっていない。本当のことを正直に話せばすぐに解放される。

 でも。


『……』


 過ぎ去れば、今日の出来事もこれまでの出来事のように思い出になるだけだ。

 自分達は事件と直接の関係が無い傍観者。大人しくしていれば勝手に時が過ぎていく。

 でもーーー


「待ってほしいっす!」


 ーーーでも、納得がいかない。


「…はい?」


 どうにも腑に落ちず、少女は小梅を呼び止めていた。

 理由は無い。あるかもしれないが、彼女を呼び止めるに足る理由なんて、何にも持ち合わせていなかった。


「えっと…その…っ!」


 声は出してしまった。

 理由。理由は何か、無いのか。

 オルレアが頭の中で考えを巡らす。


「どうかなさいましたか?」


 どうかした訳ではないがどうかせねばならない。

 それらしく、かつ小梅の意識をこちらに向けられるような言葉を探す。


「あの…その…小梅さんに伝えたいことがあるんすけど…」


 探す、探す。ひたすら探す。

 何か無いのか。藁にも縋りたい感覚だった。


「…はい、どうぞ何なりと」


 どうしようもなく、諦めかけた時。


『他殺だ』


 そんな声が頭の中に響いた。

 少女は藁に、縋る。


「そうそう、他殺! ってえぇぇっ!?」


 とんでない藁を掴んでしまった。


「…他殺?」


 諦めの決意から、驚愕へ。小梅の眼の色が変わる。


「(バアゼル…ぅっ)」


 少女は藁を投げた存在に恨み節を打つけるが、責めても始まらない。

 今は、走る時だ。


「…そうっす! これは自殺じゃなくて、他殺の可能性があるっす!!」


「…本当ですか?」


「…本当っす。(…多分)」


「…でもお嬢ちゃん、遺書があったの。どう自殺じゃないって証明しますか?」


 確かに、それが問題だ。

 口で言うのは容易いが、証拠を提示せねばならない。

 だが、証拠が無い。

 出任せにするつもりはないが、このままでは何の説得力も有していなかった。


「それは…」


 証明する方法が何かあるか。

 どうすれば証明出来るのか。


「それは…(バアゼル、どうすれば良いっすかっ!?)」


 心の中でバアゼルに問い掛ける。

 しかし、返ってくる言葉は無かった。


『支配の者よ。私は、投げっ放しと言うのが少々問題に思えてならない。主を唆かしたのならば、何故なにゆえ何の返事もしないのか』


 見兼ねたらしいアスクレピオスの声が聞こえた。

 そう、その通りだ。バアゼルの言うがままに「他殺」と言葉を発してしまったのだ。根拠があるのなら教えてほしかった。


「(バアゼルっ)」『支配の者よ』


 茶を啜るような音が聞こえた。その後に聞こえたのは、一息か溜息か。


『現場だ』


「げ、現場っす。(…って、現場?)」


『…現場を一見せねば、あかしも何も、立てる術が無い』


「現場をい、いっけんせねば…」


 溜息が聞こえた。

 オルレアの中に住んでいる存在の眼には、少女の頭より湯気が立つ様が見えているであろう。


『あ、主よ…』


 アスクレピオスは言葉を失う。

 主に何があったというのか。まさか、言葉の復唱さえ難しくなるまでに思考が停滞しているとは。

 あの聡明な主はどこへ行ってしまったのだろう。まさか、熱でもあるのか。湯気も出ているのだから。


『主よ、申し上げるが、もう無理はしなくとも良い。今日の主は疲れているのだ。だから…『黙せ』』


 “サイレント”、発動。

 アスクレピオスの嘴は塞がれた。


『…己の言葉で話せ。「設定」とやらが如何程肝要かは知らんが、貴様は我の言葉を鸚鵡おうむが如く返そうなぞと、努努ゆめゆめ考えるな』


 バアゼルの言葉が、混乱しつつあったオルレアの思考に道を示す。

 馬鹿でも分かる、何とやら。自分の言葉で話せと言われた少女は、一呼吸置くと小梅の顔を見詰めた。


「現場を見ないと分からないけど…でも話を聞く限りだと、自殺にしてはおかしな点があるっす。だからーーー」


 真っ直ぐ見詰める少女の瞳が、爛々と輝いた。


「ーーーボクが、隠された真相を暴いてやるっす!!」


 その瞳に真実を見据えて。


「(決まったっす…)」


 小梅は驚き、数度眼を瞬かせた。

 そんなことを言われるとは思わなかったーーー言葉が、顔に書いてあるようだ。


「ふふ」


 そして小さく笑みを零した。


「…嬉しい言葉です。ですが」


 しかし笑みは、翳りを帯びる。


「その御気持ちだけ、受け取っておきます」


 提案は、否定された。

 申し出は嬉しいものであった。だが頼もしいかと訊かれるとーーー首を縦に振れないのが現実だった。

 事件発生時は、発見当時の状況を保存せねばならない。その際、現場は関係者以外立ち入り禁止となるーーーこの街の人間ならば誰もが知るルール。このルールに違反すればあらぬ疑いを掛けられても仕方が無いのだ。

 ましてや、事件当時に宿泊していたことで被疑者となる人物を現場に入れるに値する全うな理由が無かった。「この少女が事件を解決してくれるから」ーーーそんな理由では見廻組を納得させられないのである。


「ぅ……」


 気持ちしか受け取れない訳を話され、少女は肩を落とす。

 確かに、それではどうしようもない。諦めたくはないが、諦めるしかない。

 バアゼル曰く、「自殺に見せかけた他殺」。あの悪魔が言うからには何らかの根拠があるのだろうが、オルレアの頭の中には根拠の「こ」の字も無いのだから。

 言葉を失ってしまった少女に悪いと思いながらも、「これで良かったのだ」とーーー小梅は自身を納得させる。

 一礼し、少女に背を向ける。

 一旦自室に戻ってすべきことがある。見廻組の到着までに、終わる目処を付けねば。そう思い角を曲がった時だった。


「気持ちだけじゃ、ちと勿体無ぇような気がするなァ。女将」


 角の先に人が立っていた。

 足を止めた小梅を後退らせると、まるで話は全て聞いていたとばかりに姿を見せた男は、不敵に笑った。


「ゔぇ」


 喉が潰れたような声を上げ、オルレアは固まる。

 仁だ、何故ここに。風音はどうしたのか。

 そんな疑問を他所に、男はとんでもない発言をした。


「なァ女将。チビだけじゃ不安なら俺が面倒を見る。ここは一つ便宜ってヤツ、見せてくれても良いんじゃねぇかァ?」


「…ですが、本当に他殺の証拠が見付かるのですか? 私とて信じて差し上げたいので御座いますが……」


 仁は笑い声を上げた。

 豪胆で、夜半にするものとしては少々騒がしい部類に入る笑い声が、小梅の反論を一蹴した。


「チビが言ったじゃねぇか。自殺にしては少しばかりキナ臭ぇ。これだけで現場見る理由としては十分だ。な? 頼むぜ〜」


「………。承知致しました。ですが一つ御願いが御座います」












 小梅は今度こそ去って行った。

 遣り取りに付いていけず、オルレアは固まったままだ。


「…おいチビ、面白いことを言うじゃねぇか」


 仁はそう言うと、少女の髪をグシャグシャと撫でた。

 粗雑な手付きに髪が乱れていく。


「良いぜ、この話。この仁兄さんも一枚噛んでやる」


 一頻り髪を乱し終えられ、少女は再起動する。


「…は?」


「おら、行くぞ。事件の秘密は現場にありだ! だっはっは!」


 ようやく男の言っていることの意味が分かり、口をあんぐりとした。

 まさか、本当に協力するつもりだというのか。

 その間にも仁の姿は遠去かり、女湯の暖簾を潜って行った。


「あ、待つっす! へんたいっ、へーんたーいっ」


 浴場に消えた男を追う少女は気付いていない。

 自らの頬が微かに緩んでいたことを、鏡も無しにどう気付けば良いというのか。

 そんな少女を客観的に見ることが出来る存在ならば、今の彼女の様子をどう見るのか。

 少なくとも、この言葉に当てはめられるのではないだろうか。「喧嘩する程何とやら」。

 そんな人の諺を思い出した悪魔は、静かに茶を啜る。

 もしもの際は、何らかの手を打つべきかと策を講じていた悪魔は、この場では事の成り行きを暫し傍観しようと蜜柑を剥くのであった。

「(爪の中も洗って…一分は…洗ったよね。良し、お終い)」


「‘ここ覗いてみ~よ~♪’」


「…? (あまり聞きたくない声が…)」


「‘ドアを開けて~’」


「(…開けたくない。この隣にあるお風呂場の扉を開けたくないっ)」


「‘まずは話そう’」


「(やだ)」


「‘どうして’」


「(どうしても)」


「‘出て行っちゃうの~?’」


「(オープスト大佐を待たせているからね。うん、聞かなかったことにして向こう行かなきゃ。…何か、これ以上ここに居るといけない気がするし)」


「‘前は…っえ、待ってっ’」


「(待たない)」


「‘うぇぇぇぇっ!? 折角ギャグ補正…じゃない、不思議パワーでお風呂場にまで忍び込んだのにっ。無視、無視なのっ!? ディオくぅぅんっ’」




「‘うはぁ…ディオ君、とうとう私を無視するまでになっちゃったよ。ディオ君がグレちゃった。酷いっ、乙女をこんな所に置き去りだなんて酷いよっ。うぅっ。…仕方無い、予告しよっと。『天が呼ぶ、地熱が呼ぶ…以下、略! 俺の名は俵山 仁! 風呂で殺害とはなァ…何てことをしてくれんだ、えぇ? 犯人さんよ。…風呂を穢す輩を俺は許せねぇんだ。おいチビ、さっさと証拠見付けるぜーーー次回、湯煙旅にて調査の始まり』…誰この人…っと、それよりどうやってディオ君のことを観察しよう!? お風呂場の中じゃ難しいし…うーん…あ、次回もお楽しみねー…はぁ」

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