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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
女二人湯煙客旅編
287/411

湯煙旅の風呂上がり

 風音より先に脱衣所に出たオルレアは、身体を拭くと髪にタオルを巻く。


『主よぉっ! 私が何をしたと言うのだぁっ!?』


 アスクレピオスは、つい先程戻って来た。

 彼女の脳内で悲壮な声を上げているのは、無慈悲な仕打ちに対してのものであった。


「え~、だって女湯に入って来るとか本気であり得ないっす。マジでないっす。馬に蹴られて三途の川っす。大体いつどこで人の眼があるか定かじゃないのに、あんな堂々と顕現するなんて、何のためにシテロ置いて来たか分からないっすよ。そこんとこ分かってるっすか?」


 椅子に腰掛けたオルレアの眼は冷えた光を放っている。

 アスクレピオスにバアゼル。この両悪魔は真面目で覗きなどしないだろうと考えていたのを、見事に裏切られてしまったからだ。


『いやしかし…っ』


「しかしも案山子かかし束子たわしいわしもお菓子も庭師も銚子も無~いっす。覗き、悪いこと、故に、制裁、以上。判決有罪異議無しっす」


 これは手厳しい。

 冷ややかな言葉にアスクレピオスは叩きのめされ、ぐぅの音も出なかった。

 やっと出てきたらしい言葉が、


『く…支配の者…私を謀ったな…っ』


 バアゼルへの恨み節であった。


「…バアゼル?」


 二悪魔の遣り取りについて何も知らないオルレアは、眉を顰める。

 無くはない話だ。バアゼルは支配魔法の使い手ーーーそれはつまり、他者を支配することが好きな存在を意味している。

 風音の暴走振りは、おかしかった。

 羽目の外し過ぎと考えていたが、彼女の潜在意識に働きかける「何か」があったのならば、それはそれで説明がつくような気がした。


『…待て、我が貴様の身体に興味がある筈も無いだろう。下らん妄想を広げるな』


 バアゼルの反論が聞こえた。

 口では何とでも言えるのだ。ましてや悪魔の口先ーーー万の甘言を弄する口先は信じるに値するのだろうか。少女は真剣に悩んだ。


「…バアゼル、蜜柑抜きッ」


 バアゼルへの罰、決定。


『なっ…貴様…己が何をほざいているか解せているのか!』


「決定事項っす」


『貴様の肉体になぞ、微塵の興も乗らんわッ!』


 バアゼル、猛反論だ。

 彼は彼で少々危う気な言葉を言っており、オルレアの眉がピクンと動いた。

 自分の身体のことを誇りに思ってなどいない。だが、そこまでに貶されると腹が立ってくるというもの。

 そう、女心(?)は複雑なのだ。


『はっはっは! 支配の者よ、これでお前も同罪よ! 私を謀った罪、償うのだな!!』


『下衆めが…!!』


 震え始めたオルレアの頭の中に、険悪な遣り取りが聞こえる。

 蜜柑によって結ばれた繋がりなぞ何処へやら。一触即発の気配が窺えた。

 誰が最初に爆発するか。開戦の火蓋を切るのは誰となるのか、一人と二悪魔による三つ巴の喧嘩は街一つでは足りないかもしれないーーー


「ぷっふふふ」


 ーーーはずだった。


「あっはは…っ。あ~面白いっす♪」


 堪え切ないとばかりに少女は笑い始め、二悪魔は困惑した。まさか頭がイかれたしまったのかもしれない、と。

 一頻り笑ってからもオルレアは肩を震わせている。


「バアゼル、蜜柑が絡むと本当に必死になるっすね。ふふっ、楽しんだっす」


 蝙蝠悪魔からの返事は無かった。


『…主よ』


 代わりにアスクレピオスがおずおずと声を上げる。


「何すか」


『私も許されたのだろうか』


 オルレアは笑顔になった。


「アスクレピオス、一つ教えておくっす。…どんな状況でも、覗きの実行犯は等しく罰を受けてきた。…後は、分かるっすね?」


 後半になるにつれて、声から抑揚が失われていく。

 顔は笑顔だ。声は、あまりにも対照的だった。


『…ぬぅ……』


 放たれる威圧感。

 冤罪に対して、男はここまでに弱いのか。

 逆らってはいけないと分かっている。しかし、アスクレピオスは思うことがあった。

 確かに主人の裸体を見るには見た。透き通るような肌も、蕩けたように微かに開かれた唇も見てしまった。だがそれは仕方無くだ。

 自分は何をしたのか。覗きではない。覗きをする鳥など文字通り飛ぶ犯罪ではないか。神鳥かむどりの名にかけて、断じて不埒な行動はしていないのだ。

 何をしたのか。答えは勿論、主を魔の手から救い出したのだ。それだというのに。


『(…理不尽だ)』


 叩かれた顔が痛い。

 まさかビンタによって、彼方まで飛ばされてしまうとは誰が思ったであろうか。戻るのに苦労したし、顔は痛いし、実に散々なことになった。

 何が、いけなかったのか。

 助けたのは、いけないことだったのかーーーだとしたら、オルレアは助けないでほしかったということになる。

 そう考えてみると、最初の頃は「止めて」と拒絶していたのだが、後半になるにつれて、自らがされていること、自らが置かれている状況に浸っていたようにも思えた。

 自分が余計なことをしてしまったがために、ビンタを見舞われることとなったーーーすれば、どことなく辻褄が合う。

 倫理の下、極々普通考えれば他者に弄ばれて喜ぶ人間は居ない。だが人間の中には、他者に弄ばれたり、虐げられたりすることに悦びを覚える人々が居るのは事実だった。


『(…主は、被虐的趣味を持っていたのか)』


 オルレアが、彼等と同じ人種であったとしてもおかしくはない。

 俄かには信じ難い。だが、現に疑わしい行動を取っているのだ。現実を柔軟に受け入れなければ、また知ったか振りになってしまう。

 高貴なる森の妖精の言葉。忠言であるとするのならば、こんな時にこそ耳を傾けなければならなかった。


『(主に仕える者として、私は理解者にならねばな)』


 こうしてアスクレピオスは、誤解という結論に達するのであった。


「まぁでも、お仕置きは止めておくっす。ビンタで十分痛い思いをしたと思うっすから」


 優しさを見せるオルレアは、神鳥かむどりが誤解を深めていることに気付いていない。

 だがそれは、アスクレピオスも同じであった。主に対する優しさが皮肉となり、


「アスクレピオス。…‘助けてくれて…ありがと’」『それは実に光栄だ』


 言葉が被ってしまった。

 何ということだ。オルレアの感謝の言葉を聞き逃してしまったアスクレピオスは、自分の名前だけを呼んだ主の言葉を待つ。

 だが恥ずかしそうにそっぽを向いたオルレアが何かを喋るという訳でもなく、焦れて言葉を掛けた。


『私の名を呼んで如何したか、主よ』


 オルレアは軽く眼を見張り、瞬きをする。

 聞こえなかったのか。瞬きの後に眼を伏せた。


「何でもないっす」


 聞こえなかったのならば、無理に二度目を言う必要も無いのだ。

 おかしな主の様子を訝るアスクレピオスだったが、疑問は口にしなかった。引戸の向こうから人の気配がしたためだ。


「あ」


 浴場から風音が戻って来た。

 身体から湯気を立ち昇らせる姿は艶やかで、見る者が息を飲む程だ。


「御待たせ致しました」


 風音は少女の視線を受けて小さく笑う。

 優しい笑みだ。思わず恥ずかしさを覚えてしまい、オルレアは視線を横に外した。


「どうかされましたか?」


 バスタオルで身体を拭きながら、行動の理由を問う。

 浴衣姿のオルレアは顔までも背けると、「何でもないっすよ」と呟いた。

 そんな言い方をされると気になってしまうのだが、風音は取り敢えず身なりを整えることに。

 身体の水分を拭き取ったので、慣れたように浴衣を着用していく。そしてオルレアと同じように髪をタオルで包むと、彼女の隣に腰掛けた。

 時計を見た。夕食の時間である六時まではそう時間も無い。そのため入浴時間は、一時間に満たない程度であろうか。過ごした時間に対し内容が濃いために、もう少し時間が経っていてもおかしくはなかった。しかし実際は、意外な時間がそこにあった。


「何か冷たい飲み物が飲みたいっすね~」


 オルレアの言葉に風音は同意した。

 入浴に際して失われた水分を補おうと、喉が渇きを覚えていた。

 暑い時にはアイスを食べたくなるように、入浴の後にはキンッキンに冷たい何かを摂取したくなるのだ。


「恐らく番台で牛乳等を取り扱っているかと思います。まずは其方に移動してみては如何でしょうか」


 「そうっすねぇ」お、オルレア。その瞳は揺れていた。

 何故揺れているのか。迷いに揺れているのだと仮定すれば、自ずと選択肢が見えてくる。

 しかし風音は、見えてきた選択肢に待ったをかけた。何故なら見えた選択肢は、「酒」か、「牛乳」かであり、その選択肢がオルレアに適当かが分からないからだった。

 もしオルレアが「弓弦」ならば、この待ったは必要無い。というか、彼自身迷うことなくお酒を選んでしまいそうだ。

 だが「オルレア」は、どのような選択肢を選ぶのだろうか。弓弦と同じ選択肢なのだろうか。それとも、オルレアとしての選択肢が別にあるのだろうか。本人でないため真偽は定かでない。


「…決まったっす」


 脱衣所を後にした。

 番台の前。冷蔵ケースの中に収納されている様々な飲料の中から一本、オルレアが取り出したのは。


「フルーツ牛乳下さい!」


 淡い黄色をした牛乳が入った瓶だった。


「フルーツ牛乳…ですか?」


 冷蔵ケースの中には普通の牛乳、コーヒー牛乳、飲むヨーグルト等が入っている。

 風音が選んだのは普通の牛乳だ。蓋を開け、口に含むと広がる風味は爽やかで、円やか。冷たいのが、実に良い。


「ふぅ。美味しいっすよ♪ 甘~くて、果物の味がすっごくして」


 瓶は見る見るうちに空になった。

 身体が冷えたことによる爽快感を感じながら、二人は部屋に戻ろうと足を進める。

 旅籠屋の廊下は美味しそうな香りが漂っている。

 考えるまでもない、食事の香りだった。

 ぐぅ、と音が鳴る。あまりに唐突な腹の虫に、丁度横を通った年配の女将が小さく噴き出してしまった。


「ふふ…今暫く部屋で御待ち下さいね」


 通り過ぎて行った女将と、隣を歩く若女将。二人分の視線に当てられたオルレアの顔が、茹で蛸のようになった。


「だそうですよ、オルレア様」


「分かってるっすっ」


 頬を膨らませた少女は、部屋への道を急ぐ。

 そのあまりの速さは、風音が瞬きした瞬間に襖が閉じている程だ。


「あらあら」


 どうやら置いて行かれてしまったようだ。風音は頬に手を遣り、困ったように首を傾げる。

 立ち止まっていても仕方が無いので襖に手を掛けると、中から声が聞こえてきた。


ーーーんえー、そんなこと言われても困るっす。大体、いざと言う時どうするんすか。見られちゃうっすよ? どうやっても無理だと思うっす。


 オルレアの声だ。誰かと会話をしているようだがーーー?


ーーーそれされても困るっす。怪しまれるかもしれないし…。気持ちは汲んでやりたいっすけど、そんなことしたら思いっきり疲れちゃうっす。分かってるよね? この街、何か魔力(マナ)の流れが悪いし…え、ご、御託って何すかっ!? 嫌っすよっ、嫌っす疲れるっす疲れちゃうっすぅ…ぅ、んぁっ……。


 一体何を。風音は襖を少しだけ開けて中を見ていた。

 部屋ではオルレアが頭をうな垂れたまま机に向かっていた。

 風音は会話している相手の姿が無いことから、会話の相手は隼か蝙蝠のどちらかだと判断する。因みに覗いたのはオルレアの変な声が聞こえたからではない。決して。

 部屋の中を覗く風音。側から見ると非常に怪しい。

 そんな彼女は、先程のオルレアの言葉に眼を細くした。


「(魔力(マナ)の流れが悪い…?)」


 どういう意味なのだろうか。少なくとも、先程魔法が発動しなかったのと関係がありそうだ。

 そう思ってしまう辺り、風音は心の中で魔法の不発のことを根に持っていた。

 覗き見を止めて部屋に入ろうとした風音は、襖に触れる手に力を入れた。

 横に開ける視界。自分が通れるだけの空間を確保しようと視界を戸に移した時、視界の隅で動く袖があった。


「まぁ」


 声を上げてしまった。気配を感じることなく正面に立たれていたのもあるが、何より驚いたことがあった。視界を外した間に、部屋に居た少女の様子が変わっていたのだ。

 視線を外した隙に何が起こったのか。否、外す前から既に変化は起こっていたのだろう。

 髪は白い。円らなはずの瞳は鋭く、知性を窺わせる光が名残を隠している。色は紫だ。

 風音は少女の異変に覚えがあった。これは、少女の身体の支配権が彼女の中に住まう精霊に移った証だ。

 その時は確か、瞳の色だけが変わっていたが今回は髪と瞳のようだ。元の少女と可愛らしいが、今の少女は威厳に満ちた凛々しく厳かな雰囲気を発していた。


「其処を退け、生娘」


 しかし身長が全てを台無しにしていた。

 足らない。圧倒的に足りな過ぎて威厳も何もあったものではない。

 言葉こそ冷たく、命令口調であるが、声音はオルレアが数トーン低く話しているものそのものだ。

 加えてある程度接近して話されると、風音は少女を上から見下ろさねばならない。当然少女は風音を見上げている状態だ。


「…畏まりました」


 道を開けると、少女は番台の方へと向かう。

 小走りで角を曲がった姿を見て、背伸びしているみたいで可愛い、と思う風音なのであった。


「‘食堂着いたぁ…。まさか追い掛け始めてから時間経っていないはずなのに、背中すら見えないとは思わなかった。…二人共、早過ぎだよぉ。…と、ディオ君にセティは…あ」


「はぐ…んぐ…もぐっ」


「‘居た。うわぁ、あの食べっ振り…半端なっ。滅茶苦茶食べてるし…何食べてるんだろう。…じー’」


「はむぐ…あむっ、ふむふむぐっ」


「‘…ディオ君。えぇ…あんなに頬張っている所これまで見たことないんだけど。…これも秘孔突かれた所為なの? どんだけ…えぇぇ」


「サラダバー…サラバダー」


「‘駄洒落? さらばだとサラダバーの駄洒落なの? と言うか、どうして私がツッコミ入れ続けないといけないのか。この状況にツッコミを入れてほしいよ。はぁ…弓弦ぅ。恋しいなぁ。こーいしーなー……’」


「ふぅ! 食べた食べた…。一杯食べたなぁ。お腹一杯だよ。でも副隊長は何も食べなくて良かったのかい?」


「…私は、良い」


「でも僕だけ食べて……」


「一杯食べる君が好き」


「‘…へ’」「へ」


「一杯食べる君が好き」


「‘……’」「……」


「お金は払っておくから」


「‘…え。えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ?!?! 嘘ぉぉぉっ!? 何々なにっ、告白ぅぅっ!?!? え、ちょっ、うぇぇ!? まさか、いきなりにも程が…って、えぇっ。ちょ、えぇ? 待って待って待って、私動揺してる。凄い動揺してる、うん。落ち着こっ、ここは一旦落ち着こう!! 落ち着かなきゃ…ぅぅ、ぁぁっ、駄目だっ。無理! 落ち着けない! 私見ちゃった。恋の始まり見ちゃった! これ凄い! うん、青春! 突然始まる恋、実に青春!! そう、愛物語は突然なんだから!! わぁぁぁぁっ♡ この胸の高鳴り…あの時に似てる! 弓弦の(※自主規制)時に似てる!! キャーッ、キャーッ!!’」


「じゃあ、次行こ」


「…へ?」


「…行かないの?」


「行くって…どこに?」


「…ひ、み、つ」


「‘秘密の場所? いく!? フフフフフフ…青春がすぐここにある! 着いて行くよ…私…絶対にこの先を見逃してなるものですかっ、てねっ。良し予告言おう! 迅速に!! 『我? 我が名は…そうだな、今はオルレア…そう、名乗るべきか。ク…美味だ、美味。実に美味ぞ。此の地は我にとっての楽園か? 此の幸福…最後の一滴に至るまで飲み干してくれる!! …む、何だ、此の痛みはーーー次回、湯煙旅と、茶目悪魔』! じゃね♪’」

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