湯煙旅と、和菓子好き弐
暖簾を扉代わりの仕切りとして用いているその店は、日々繁盛している。
外より訪れた客を魅了するのは、店中に香る仄かな桜の香り。強く香る訳ではなくあくまでそこはかとなく香る春の香りは、この店自慢の餅より漂うものだ。
桜の葉に巻かれた餅は鮮やかな桜色。満開の桜をそのまま餅の形に落とし込んだような餅米の造形は、非常に独特なものとなっていた。
「何すかね、コレ…丸い形をしてるから関西桜餅の系統っすけど……」
それをまじまじと見詰めるオルレア。
やがて恐る恐るとばかりに口を小さく開けて一齧りする。
「…! 美味しいっす!! 風音、これ美味しいっすよ! 桜の味がするっす!! 桜が咲き誇っているっす!!」
気に入ったようだ。
「クス…美味しゅう御座いますね。えぇ…ほんに」
美味しい。確かに美味しいが、風音はどうしても気に入らなかった。
どうしてそんなにも喜ぶのか。
悔しい。子ども染みているが、本当に悔しい以外の感情が浮かんでは消え、また浮かんできた。
「そうっすよね! 美味しいっすよね♪ あ~もう、どうしてこんなに美味しいんすかねぇ♪ はふ…もぐもぐ…えへへっ、幸せっす」
そんな間に、オルレアは皿に三つあった桜餅の内一つをすぐに食べ終えていた。
少女の隣では、またも蝙蝠が顕現している。
オルレアが手を付けている皿の隣にあるもう一つの皿ーーーその上に五つも置かれている、湯処蜜柑餅が目当てのようだ。
「…左様で御座いますか」
どうにか取り繕って声を発したつもりなのだが、声音が暗くなってしまう。
「…何だか風音、元気無いっすね」
「…そんなことありませんよ、ないです、本当に御座いませんよ」
取り繕うとすればする程、底無し沼に沈み込んでいく。
感情が明らかに表出してしまっている風音に、オルレアが気付かないはずがなかった。
この街に来てからーーー否、正確には店で和菓子を食べ始めてから、風音の様子がおかしい。
風音の笑顔に変わった様子はないものの、どこか表情が固いように思えたのだ。
勘といえば、確かに勘だろう。だが、明らかにおかしいと断言出来た。
「嘘じゃないっすか?」
「はい」
「正直に白状しなかったらボク、風音を連れて帰るっすよ。体調崩したら大変っすから」
風音は閉口した。
オルレアの瞳は、彼女が本気であることを物語っている。それはつまり、彼女が求めていない答を返してしまえば、即座に連行されてしまうのだ。
「‘…いけず’」
そんなの、誤魔化し切れる訳がない。
「…白状する気になったっすね。どうして元気無いんすか」
それを言えというのか。
貴方が自分ではない誰が作った和菓子を美味しそうに食べているものだから、嫉妬していると。
誤魔化したい。無理に決まっている。だが、言わねばならない状況に追いやられてしまった。
風音はオルレアを直視出来ず、視線を逸らしてしまう。
動揺していた。言いたくない気持ちと、言わねばならない現実に彼女の気持ちが揺れた。
「…悔しいのですよ。あまりに美味ですので」
結果、言いたくない気持ちが勝ってしまった。
間違ったことは言っていない。だが、正しいことを言ってもいない。
悔しいことも、この街で食べる和菓子の味が美味であることも確かだが、肝心の「嫉妬」を省いてしまった。
「あー、負けた気がする~とか、そんな感じっすか。あむっ」
一瞬鋭い視線を感じた。
それとなく視線をオルレアに向けるも、彼女は美味しそうに桜餅を齧っているところだった。
彼女に察されてはいないらしい。とすると、視線の主はまたも蝙蝠だったのだろう。「湯処蜜柑餅」がいつの間にやら全て無くなっていた。
「っ!?」
オルレアが眼を見開いた。
息が詰まり、肩が上下している。
「オルレア様?」
トントンと、胸を叩き始める。どうやら餅を喉に詰まらせてしまったらしい。
「此方をどうぞ」
空かさず風音はお茶を手渡す。
元々熱かったのだが、少し冷めたので温めのお茶だ。熱かったら大惨事になるため、冷めていて良かった。
「ぅぅ…ありがとっす」
お茶を一気に飲み干したオルレアは、店員を呼ぶと茶のお代わりを頼んだ。
「死ぬかと思ったっす。食べながら喋ろうとした罰っすかねぇ」
「…どうでしょうか」
罰ーーーという訳ではないように思えるが。ただマナーとして悪かったのは事実なので、言葉を濁す。
「えへ、ちょっぴし驚いたのもあるっす」
「…驚かれたので御座いますか?」
オルレアに頷かれ、風音は面食らう。
何を驚くようなことがあったというのか。心外だ。
「風音って闘争心あったんすねぇ。あんまし無いと思っていたので意外っす」
「な…ありますよ。あって当然です。無いはずありません。私だって一人の人間ですよ?」
風音にとっては、オルレアに言われた言葉自体が意外だ。
「えー。風音って大人っぽいし。そう言うの無縁の人間だと思っていたっすから」
無縁な訳がない。
対抗心も覚えれば、嫉妬も覚える。それは人だからだ。
言葉通り意外そうなオルレアに対して、それとなく口調を強めた。
「…御忘れではないと思いますが、私、十八歳です。オルレア様に比べれば、未だ子どもに等しい年頃なのですが」
「ボク十五歳っす」
風音はあっけらかんと言って退ける少女に閉口する。
そうだった。オルレア・ダルクは、そんな設定だった。
自分よりも三歳年下の存在。「一応」という前置詞が付いてしまうものの、肉体的には十五歳なのだ。
膨らんだ胸も、引き締まった腹部も、丸みを帯びている臀部も、肉体的には十五歳のはずだった。
「(十五歳にしては…顔立ち以外、身体つきが大人びている気が致しますが、そこは置いておくとしましょう)」
作られた身体であるため、整い過ぎている容姿は気にするだけ無駄。特に、スリーサイズに関しては女性泣かせのものだった。
この設定も、彼女の先輩の趣味なのだろうか。だとしたら、中々の趣味だ。
「(…身体つきに関しても後程観察をしなければなりませんね。)クスッ」
眼で見て、触れて確認しなければ。
先輩の趣味がいか程のものなのか、確かめようではないか。
邪な思惑が風音の中で渦を巻いた。
「…な、何すかその笑いは」
本能的に危険を察知したのか、オルレアは胸元を両腕で隠す。
いつの間にか攻守が逆転していた。
「別に。特に理由あってのものではありませんので」
「腑に落ちないっす! 今の風音の笑み、視線、何か…何かっ」
「私の視線、ですか?」
言葉に詰まるオルレア。
普段通りの笑顔を向けていたはずだ。風音は自分の行為を省みたが、特におかしな笑みは向けていないことで一人合点した。
しかしオルレアは、自らの身体を抱く力を強めると息を吸い込んだ。
「…っ」
鋭い視線。
顔の赤いオルレアから放たれている威圧感は、何だ。
「…風音の…えっち」
その正体は、これまでにない程のあざとさであった。
「っ?!?!」
本人としては素で出た言葉なのだろう。だが、それだけに重みが違った。
衝撃であったため風音は湯呑みを倒してしまう。
「うっ」
反応した時には既に、湯呑みから溢れたお茶が風音の着物の裾を濡らしていた。
「あ…もー、何やってるんっすかぁ」
オルレアはボヤきながら、手拭きを片手に立ち上がった。濡れた部分の水分を取り除こうと、裾を叩く手付きは優しい。
「…申し訳無いです」
風音は側にまで移動して来たオルレアに謝罪した。
言葉一つで動揺するとは、何をやっているのだろうか。湯呑みを倒してしまうとは実に不注意だった。
「(えっち…えっち…。微かに胸が苦しくなります。何と蠱惑的な…っ)」
動揺は冷めやらない。
胸に手を当てると、普段よりも自分の拍動が強く感じられた。
「はーい、許してあげるっす。…と言うか、ボクに謝る必要は無いっすよ。 …うーん、染みになっちゃいそうっすねぇ」
「仕方ありません。 染みが出来ても取り除き様はありますので…どうか御気になさらず」
「うううん…でも、何か嫌っす。取り除きたいっすぅ」
オルレアはそう言うと、表情を険しくして裾を叩く力を強める。
もうそれ以上やっても意味が無いだろうに、それでも彼女は止めない。
「う~っ、取れろ~っっ!!」
「オルレア様…」
顔を真っ赤にして手拭きを裾に擦り付けるオルレア。
ゴシゴシ、ゴシゴシと動く手拭きの速度は、まるで分身しているかのようだ。
「(それですと、逆に服の繊維を痛めてしまう様な…。…これは、伝えるべきでしょうか…?)」
考えたが、止めた。
言うだけ無駄だ。今の少女の辞書に「止める」の文字は無いのだから。
どうしたものか。風音が考えあぐねていると、
「うぬぬぬぬぬぬ…んえ?」
オルレアの手は止まった。
「…?」
誰かと話しているのか、小さく頷いたり首を傾げたりしている。
「分かったっす」
何を分かったのだろうか。
手拭きを机に置いたオルレアは、空いた両手を染みに向けて眼を閉じた。
「ーーー……」
詠唱ーーーではない。
意識を集中させていたのか、呼吸を整えた少女は小さく息を吐く。
すると、風が吹いた。
「…。はい、これで大丈夫っすよ。
気が着くと、はにかむ少女の顔が眼の前にあった。
「ぁ……」
染みが取れている。
一体何をしたのだろうか。魔法を使ったということのみ明らかになっている疑問をオルレアに打つけた。
「ん…ぁぁ、風魔法の応用っす。汚れの原因となるお茶の成分を、全て風に溶かしちゃったっす。…不思議と、ちょっと疲れちゃったっすけど」
衣服の繊維の間に染み込んだお茶を、吹き飛ばす。そんなことが可能だったらしい。
「クス…ありがとう御座います♪ ところでオルレア様」
風の可能性に驚いていると、ふと気付いたことがあった。
それは先程ーーー必死に裾を叩いている時に、ちょっとずつ悪化していったものだ。
「…前身頃が乱れています。襦袢が此方から丸見えですよ」
「え、あ…っ。ありがとっす」
眼福であった。十五歳とは思えない双丘を見ての感想だ。
衣服の間から僅かに覗いていた、気の緩み。もう少し見ていたくはあったが、タイミングを逸してしまう可能性を風音の恐れた。
慌てて前身頃を整えたオルレアは、赤く染まった頬を隠すように湯呑みを傾ける。
「(…そろそろ、でしょうか)」
オルレアの背中越しに見える店の内部。入っていた時に居た客の殆どが姿を消していた。
和菓子も堪能したので、これ以上の滞在に意味は無い。風音はオルレアが一息吐いたタイミングを見計らって外に出られるよう、次の目的地を探した。
「(…あら)」
先程のカップルだ。今度はどこを目指しているのだろうか。
恋人繋ぎで手を繋いでいることは結構なのだが、見ていると妙に心が騒ついた。
視線を外すと、今度は時計が視界に入る。
「(…三時半)」
次に向かう店で最後だろうか。
チェックインの三十分前を示す針の位置に、彼女は通りにある店を慎重にかつ迅速に吟味していくのであった。
そして、店を後にした。
真剣に店を探していた風音なのだが、「あ、行きたい所があるんすけど、良いっすか?」と言うオルレアに従った彼女の姿は、通りから少し歩いた所にある小さな店にあった。
「ふむふむ…良いっすねぇ。あ、これ箱詰めであるっすか? うーんと…四箱ぐらい欲しいんすけど」
「(…買い過ぎでは…?)」
飲食店のオーナーでも買わないような量を平気で購入しようとした少女は、決して安くはない料金を支払った。
二人が向かったのは、和菓子の店ではなく、街の八百屋。少女の大人買いに驚いた店の主人の視線は、風音とオルレアの間を往復し、伏せられた。
旅のお嬢様一行とでも見做され、「ある所には金があるもんだ」とでも思われたのだろう。容易に想像出来る羨望の視線であった。
「ありがとっす~♪ ん…しょっ。美味しい蜜柑、貰って行くっすね♪」
店主は眼を丸くした。
少女が段ボール四箱を軽々と持ち上げたのだ。眼の前で起こったことが信じられないらしい。
「(あらあらオルレア様…)」
これには風音も苦笑を禁じ得なかった。
せめて二箱ぐらい自分に保たせてくれれば良いのだが、何故二箱ずつ積まれた段ボールを片手で持ち上げるのか。まるで今から大道芸をやろうとでも言わんばかりの行動だ。
「あ、風音。こっちの分、一緒に裏まで持って行ってほしいっす」
成程、こちらまで持って来てくれたのか。さり気ない(?)優しさだ。
「はい、畏まりました」
風音はオルレアから段ボールを二箱受け取った。
「…っ」
流石は蜜柑がズッシリと詰められた段ボール。オルレアが軽々と持ち上げていたために軽く見ていたのもあるが、渡された瞬間風音はバランスを崩してしまいそうになった。
重い。歩けない程ではないが、片手で持てるような重さではない。
「こっちっす~」
人眼を憚るために、オルレアは路地裏へと歩いて行った。
両手で重そうに持っているように見えるが、アレは演技だろう。恐らく風音の様子を見ての判断だ。
悪くない判断だった。あんな物を片手で軽々と持ち上げている少女が居れば、ただでさえ集め易い視線に拍車を掛けることになってしまう。それはあまり好ましくなかった。
「(私も…急ぎましょうっ)」
それにしても、良くもこの重さを片手で持てたものだ。
ズシンと沈む足を何とかスムーズに運びながら、風音はオルレアの姿を追うのであった。
「‘ささぁ、ドキドキワクワクディオ君短編。本日もレイアルートで進んでおります♪ レイアさんの笑みにドギマギするディオ君の運命やいかに?!’」
「…あ、そうそう。ディオルセフ君は、ここに来たばかりのユ~君のお世話をしていたんだっけ」
「(ユ~君っ?! …恥ずかしい呼ばれ方されてるなぁ。)…はい。本当に短い間だったんですけど」
「へ~。じゃあ私、訊きたいことがあるんだ。ここに来た時のユ~君、どうだった?」
「え…。(どうしてそんなことを)」
「うーん、知りたくて。ユ~君がどうしてユ~君のままで居られたのかなぁって。だって違うでしょ? その頃のユ~君と今ユ~君、違うでしょ?」
「(そんなこと訊かれるとは思わなかった。)…来た時はもっと捻くれていた気がするけど……」
「うんうん、やっぱりそうだよね。ユ~君素直じゃないし。私も訊いてみたのだけど、色々あってここに来て…とか言ってて誤魔化されちゃったんだ。どう? ディオルセフ君なら知ってるかなぁって」
「…因みに弓弦は何て言っていたんですか?」
「それがね? 色々あって色々あったから色々こうしてこうなった、そして今に至る…だってさ。お姉ちゃんちょっっとユ~君の言うこと分からないかなぁってなっちゃって」
「弓弦…(逃げ方雑いよっ?! 抽象的過ぎて訳の分からないことに……)」
「‘ううん…弓弦の逃げ方とか、隠し方とかは割とどうでも良いんだけど。…これじゃあ青春違う! 青春じゃなーいっ!! 何か、何か無いかな…テコ入れッ!!’」
「分からないのなら良いの。少しだけ知りたかっただけだから」
「‘…ん、そう言えばレイアさん…スカート穿いてる。…閃いた! キュピーン的に!!’
「…影のある人。そんな印象でした。(…嫌な予感がする。凄く、凄くっ)」
「影のある…かぁ」
「‘吹きたまえ…吹きたまえ……吹きたまえ’」
「痛みを抱えている…みたいな。(…風?)」
「そっかぁ。痛み…辛いことだっただろうし……」
「辛いこと? (…強くなってきた……?)」
「ん? うん、だって自分の住んでいる所が無くなっちゃうって大変…でしょ? …知っている人とか皆居なくなっちゃって」
「…でも弓弦にはかーーー」
「‘吹きたまえッ!!’」
「へっ!?」
「わっ!?」
「……」
「(…見えた)」
「……見えちゃった?」
「えっ!? (…ごめんなさい見ちゃいましたピンク色見ちゃいました……)」
「‘カーット♪ 今日はここまで♪ じゃあ次回予告いきまーす! 『大いなる風を司りし「流離いの双子風」の僕、希望の運び手の一人である私、アスクレピオスだ。食卓とは良いものだな。微笑ましく、落ち着く…団欒の場だ。食卓即ち、食事。食事は楽しくなければな。…支配の者よ。私も一つ、この「湯処蜜柑」を食しても良いか許可を貰いたい。如何だろうかーーー次回、湯煙旅は旅籠屋にて』’…ふふふふっふふふっ…レイアさん、中々乙女なパンツ穿いてるなぁ。レースが大人らしさと清純さを表していて…うん、これはディオ君ドっキドキだね♪」