避けろヴェアル! その動きは三倍!!
『紅念の賢狼』は、一悪魔逃げていた。
「待てッ!」「キシャァッ!」「ニャヒィッ!!」
それを追う三悪魔。
『炬燵空間』の中を悪魔達の逃走劇が繰り広げられる。
『大人しくするが良い!!』
バアゼルの支配魔法を、
「甘いッ」
避けた。
「覚悟ッ!」
空間跳躍で前方に現れたアデウスが鎌を振り上げた。
「当たるものか!」
ヴェアルは元の速度の二倍程度にまで加速して、振り上げられた鎌に肉薄した。
「やらせん…!」
尻尾と鎌が衝突する。
「何っ!? 何故切れない!!」
「意志の欠けた刃では、切れるものも切れんよ! …もらった!!」
尻尾が何故か押し勝った。
何故か散る火花が、互いの得物の鋭さを物語る。
「キシャァっ!?」
「数で勝ろうとも、戦いに勝てるとは限らんよ!」
二悪魔の追撃を退けたヴェアルは十分に安全を確保出来る位置に腰を下ろそうとした。
バアゼルとアデウスの位置を確認し、次いでクロルの位置を確認しようとした、その時だった。
「ニャヒィッ!!」
ヴェアルは悪魔猫の姿を、本棚の上に認めた。
流石はクロルといったところであろうか。猫爪が向けられようとしているのは、棚の上のティーセット。
ヴェアルが最も大切にしている宝物だった。
「ちぃっ!!」
クロルの横暴を許す訳にはいかない。
ヴェアルの身体から放たれた魔力がティーセットを包み込み、悪魔の爪から逃れさせる。
「ニャヒィ、ニャヒヒヒヒニャヒィっ!!」
「く…ッ!!」
その様子は、正に決死の追いかけっこだった。
獣のように狂うクロルの爪牙は純粋にティーセットのみを狙うので攻撃を読み易い。
『ほぇ…ふむふむ、自分だけの素敵にゃ寝床…か。材料は…ありそうだし、作ってみるのも良いかにゃ♪』
「ーーーッ!?」
「ニャッヒィィッ!!」
『『支配の王者』、この段ボール使っても良いかにゃ? …感謝するのにゃ! これで…にゃは、作れるかもしれにゃいのにゃ!!』
だが一つ、問題が発生していた。
「ニャヒ、ニャヒヒヒヒニャヒィ!!」
『ふっふ〜ん、にゃ♪ ここをこうして、ここを折って…っと!? にゃぁぁぁぁぁっ!? 穴が空いてしまったのにゃぁぁぁぁっ!?』
クロルの放つ闘気がヴェアルに牙を剥いた。
哀しみが、伝わってくる。
「(…ば、馬鹿な…何だこのプレッシャーは…!?)」
狂ったようなクロルの叫びは、号哭そのもの。
地獄の底から湧き出るような、妄執がクロルを衝き動かしているようだ。
『…出来たにゃぁぁぁぁ!! あぁ夢のマイベッド…見ただけで惚れ惚れするようにゃ出来栄えにゃのにゃ♪ ぐるりぐるり…と…おお、おおおおおお!』
「く…っ」
集中が乱される。
一瞬でも対応が遅れれば破壊されてしまうというのに、過去の妄念がそれを阻もうとする。
『わぁ…♪ この安っぽい寝心地が何とも趣があって…良いのにゃぁ…♡ それにこの自分の空間と言う落ち着きが…はぁ♪ 快適過ぎるのにゃ♪』
「(私は惑わされているのか…!? このままでは…っ!)」
『何か大仕事した後のベッドの安らぎは凄く素敵にゃのにゃ♪ ごーろごーろ、ごろー♪ はぁ…この幸せにゃ時間がずっと続いてほしいのにゃ……』
「(こんな無様な戦いをさせるとはな…! 奴のプレッシャーは、化物か!?)」
「余所見とは随分と余裕のあるものだな、賢狼…!」
「大人しくしろ!」
迂闊だった。
ティーセットの防衛に集中しようとするあまり、ヴェアルは二悪魔に囲まれてしまっていた。
支配と空間の包囲網は、ヴェアルを着実に追い詰めているのだった。
「当たってはやれないのでな…!」
「ク…其の余裕、何時までも続けられるとはよもや、思っていないだろうな?」
「フ…ならばこの余裕とやらを止められないお前は無能だな。王者……」
「吐かせッ!」
だが、それでもヴェアルは彗星の如く駆け抜け、二悪魔を翻弄する。
「王者、先走るな!」
包囲網が崩れた。
蜜柑が数個食べられなくなったのが余程ショックだったのか、今の彼は相当自棄になっているようだ。
「く…蜜柑をこよなく愛してしまった王者を弄ぶとはおのれ賢狼ッ! おのれ!!」
「(窮地を乗り切れはした。だが…!)」
自らは二悪魔から逃れながら、魔力で暴走悪魔からの魔の手からティーセットを遠去ける。ヴェアルの消耗は、次第に動きに現れ始めた。
「ニャヒィッ! ニャヒヒヒヒヒヒヒィッ!!」
それを見計らったかのようにクロルの魔力が高まる。
この魔力の高まりが示しているのは、単純な魔法を用いようとしているのではないということだ。
「何…っ!?」
「ニャヒー、ニャヒ、ニャヒヒッ!!」
この魔力の高まり、覚えがある。
そう、確か“クロルスペシャル”といったか。
「冗談ではないっ!!」
何という所業をしようとするのだろうか。
ヴェアルは呆れを吐き棄てると、自らも魔力を高めた。
「ニャヒーッ!!」
「ティーセットをやらせはせん!」
初動はヴェアルの方が速かった。
ティーセットに追い縋ろうとするクロルを目掛け、机の上から何かが突撃した。
「行け、チャンネル!!」
複数の物体を自由に動かすことの出来る封級の念動魔法、それが“シャノン”だ。
「ニャァァっ!?!?」
クロルの胴部にチャンネルが刺さる。
徐々に減り込む一撃には流石の彼も、詠唱を中断せざるを得なかった。
「(この感覚は…ッ)」
集まっていた魔力が霧散するのを確認すると、ヴェアルは素早く念を送った。
「もらったぞ、賢狼!」
アデウスがヴェアルの頭上に転移した瞬間、フレクサトーンが奏でる鋭い音がどこかから聞こえた。
「フ…墜ちてもらおうか!」
チャンネルによる待ち伏せがアデウスを弾き飛ばした。
「何…ぃっ!?」
「ニャァッ!?」
アデウスはそのままクロルを巻き込み、背中を強かに強打したのか気を失った。
ーーーしかし、何故たかが逆恨みでこのような事態になっているのだろうか。
「戯れは其処までだ!」
「当たらんな…!」
人間化したバアゼルの太刀より逃れながら、ヴェアルはふと彼方を見遣った。すると、
「……」
シテロと弓弦が、思い思いの表情を浮かべてそこに立っていた。
「ほらな? 動物園やってる」
「…ユールの言った通りだったの。…信じられないの」
新たに現れた男女と、悪魔達は温度差が明らかに違う。
弓弦からの視線も、シテロからの視線も、明らかな呆れが込められている。
「…アデウスとクロは伸びてるし。まったく…何をそんな燥いでいるんだ…って、蜜柑臭いな」
弓弦はそう言うと、周囲を見回す。
そして一人、合点すると肩を竦めた。
「…余計に酷くなってるじゃないか。あれからまた一層暴れたな?」
「「……」」
バアゼルは蝙蝠の姿に戻り、ヴェアルはチャンネルとティーセットを元の位置に戻す。
いつもは止める側にある二悪魔が静止役を買って出るどころか、寧ろ焚付け役となってしまったために一連の「喜劇」は起こってしまったのだ。
「バアゼルもヴェアルも、何をそんなにムキになっているのか分からないの。…悪魔として大人気無い」
「「……」」
悪魔として大人気無い。実に面白い表現に弓弦の眉が上がる。
何という見事なオチだろうか。あぁ、実に愉快だ。実に、良い光景を見させてもらっている。
「…ま、蜜柑と言いハリセンと言い、それだけ大切にしているんだよな。皆。…微笑ましいと言うか何と言うか」
バアゼルに蜜柑の良さを伝えたのは、弓弦だ。
勝手に心の中に入って来られ、何故か蜜柑を食べられていたあの時も、そんな呆れの気持ちが先行していた。
それにしてもまさか、強大な悪魔が半ば我を忘れかけるまでに蜜柑を愛して止まないとは、誰が信じるであろうか。
「面白いな」
「……」
蜜柑大好き蝙蝠悪魔が渋面を作る。
甚だ遺憾なのだろう。何か小言の一つでも言おうと考えているのか、口を開きかけるが弓弦の笑みに押し黙る。
「…ユール? 何か、悪いことを考えている眼をしているの」
「ははっ、無い無い。悪いことなんて、全く」
どう見ても何か考えているようにしか思えない笑みだ。
もし彼が眼鏡をかけていたのなら、今の彼の瞳は光の加減で見えなくなっていだろう。
「…個性豊かな悪魔達に囲まれるのも悪くないものだよなぁ」
笑いを堪え切れていない弓弦は口元を押さえ、肩を震わせる。
染み染みと言ってのけている彼だが、嫌味にしか聞こえなかった。
「認めたくないものだな」
「全くだ」
嫌味を受けた悪魔達の心が一つになったようだ。
まるで何事も無かったかのように机と布団の無い炬燵に戻った二悪魔は、思い思いの愛飲物を用意し始めた。
「「……」」
しかし、置く所が無い。
「…シテロ、悪いが布団を持って来てくれるか」
「…分かったの」
用意してから気付くなと言いたい。
しかし炬燵をいつまでも裸にしておく訳にもいかず、弓弦は机を持ち上げた。
「良し、じゃあ良い具合に敷いてくれ」
「うん…とこしょ」
シテロが布団を持ち上げ、裸炬燵の上に乗せる。
「これでどう?」
布団は長方形だ。上手い具合に載せないと、見た目が悪くなってしまう。
シテロの載せた位置は、少々右にズレていた。
「ん…あ〜、もう少しだけ左だ」
「ならこれで…どう?」
今度は左にズレ過ぎていた。
「…行き過ぎたな。それだと右側から熱気が出てきてしまう」
「む〜、じゃあここ」
「違う。…あぁそこでもない。…惜しい、もうちょっと右。…あぁ、左だ、左」
そんな遣り取りが、続く。
「…主よ、それでは効率が悪くないか? そこまでに細かい指示をするのならば布団ぐらい二人で敷いた方が」
二人で布団の位置を調整すれば良いことに気付いたのは、鶴の一声ならぬ、隼の一声だった。
「ん…それもそうか」
「なの」
弓弦とシテロは二人で布団を敷くと、その上に机を置く。
暖かい炬燵の完成だ。
バアゼルやヴェアルが左右を陣取ったので、弓弦はテレビを背にする部分から炬燵に足を入れた。
「私も隣から入るの。きゃっほ〜♪」
子龍の姿になったシテロが彼の膝の上に乗る。
「…アデウスとクロは……まだ起きそうにないな。ま、いつものことか」
それは、安らかな姿だったと表現する他無いだろう。
ピクリとも動かず、二悪魔は沈黙していた。
「バアゼル、蜜柑一粒だけ貰うな」
「…好きにするが善い」
蜜柑を一粒だけ弓弦は口に運ぶ。
甘味の強い果実を咀嚼し、束の間の休息を摂り、一息吐いた。
「…さて。そろそろ『アークドラグノフ』に戻らないといけないな」
弓弦はシテロを膝の上から降ろすと、炬燵の中に腰まで入った。
「あ、降ろされちゃったの」
そのまま、肩まで入る。
「アスクレピオスはこっちにでも居てくれ」
「了解した」
そして、一気に頭まで入った。
* * *
「…終わったなぁ」
瞼を開くと、巨大な樹が弓弦の視界に入った。
「…帰り道は…あっちか」
“ベントゥスアニマ”の魔法を発動させ、海を渡る。
やがて着地すると、必死になって潜り続けた絶海の孤島を背に、弓弦は林道を歩いた。
「…何か…疲れたなぁ」
踏み固められていない地面を踏み締め、一人呟く。
来た時のように絶景が広がっている訳ではなく、ただ先には木々が並んでいるだけ。特にこれといって注意を引くものは無かった。
「…向こうへ戻ったら…さて、何をしようか」
弓弦の頭の中で、これからの予定が浮かんでいく。
まずはーーー
「…ぁぁ」
頼み事を頼まれてくれたであろう風音に、何かしらのお礼をしないといけない。
出発前に色々煽るようなことをしてしまったが、怒っていたりはしないだろうかーーー?
「(自業自得…か)」
何が来ても良いように、心を決めようとする。
だが、
『クス…ッ』
「…わーい」
嫌な予感しかしないのは、勘違いだと思いたい。
どこか憂鬱な気分の弓弦が現実逃避気味になったのは、驚く程に転送装置が近くにあったことに由来する。
起動させれば、すぐに『アークドラグノフ』だ。
「…帰るか」
弓弦は装置に手を触れるのだった。
「…ありゃ」
「…レイア、間違えた」
「…あはは、そだね。何か恥ずかしいなぁ…中途半端に読み間違えちゃうなんて」
「…読み間違えるなんて、珍しい。…何か、あった?」
「別に何でもないよ。えへへ」
「…ふ~ん」
「…えっと、セティちゃん。そんなに見詰められると私、恥ずかしいなぁ」
「…ふ~ん」
「…えへへ」
「ふ~ん」
「えへへ」
「…動揺…してた?」
「…動揺? 私が? そんなことないよ~」
「ふ~ん」
「してないよ」
「ふ~ん」
「も~、予告いこうね?」
「…コク」
「『…こんなはずでは、なかった。こんなはずではなかったのだ。…この結果が予測出来なかった訳ではない。だがどこかで…っ。…私は認めない。認めるものかーーー次回、一人歩めアンナ! 遺されたマグナム!!』…馬鹿者めが……」
「…馬鹿者?」
「前回は間違えちゃいました。次回こそは本当の本当にお話としては最後だよ! お楽しみにね!!」