直せシテロ! 小さな小さな誤解!!
話題を変えようとしたらしい少女の言葉が、予感を裏付ける。
少女が見付けたそれは、帰還するための扉だ。未来へと向かう、迎い風。
「…そっか」
弓弦はしゃがみ込むと、アイの頭を撫でる。
「…お兄さん?」
「…その扉はね、お兄さんの世界へと繋がる扉なんだ」
別れ話を切り出すべきタイミングだと、そう思った。
「お兄さんの…世界?」
「そう。遠い世界がお兄さんに、『帰って来て』って迎えに来たんだよ。…ありとあらゆる世界を駆け巡る…旅人がね」
少女の背後から向けられる視線が鋭くなった。
「じゃあ…お兄さん、帰っちゃうの?」
「…うん」
「アイも連れてって」
弓弦は首を小さく左右に揺らした。
「どうしてっ」
「……」
「住んでいる世界が違うから」とは、言えなかった。
何というブーメランだろうか。アスクレピオスに対して否定した言葉を、直後に自分が用いなければならない立場に置かれてしまうとは。
「行かなければならない、理由があるんだよ」
しかしどうあっても、この世界に留まる訳にはいかなかった。
「理由…?」
「…お兄さんにはまだ、助けないといけない人が居るんだ」
外の世界で戦っている女性の顔が、今の帰還場所に残して来た面々の顔も、次々と浮かぶ。
「だからお兄さんとはここでお別れ。アイちゃん、君にはそこに居る二人と一匹の力になってほしいと考えているんだ」
「私は一匹ではない!」と、抗議が視線に込められているような気がした。
「…。お兄さんにそんなこと…決められたくない」
そよ風を肌で感じるようになった。
「(…風…か)」
どうやら扉が呼んでいるらしい。
「…じゃあこうしよう。今は一旦お別れするけど、いつか…そう、ここじゃないどこかの世界で逢えたら…アイちゃんの願いを叶えさせて」
弓弦は少女が拗ねる前に、自分なりの最大限の譲歩を伝える。
色々の後に問題となりそうな、嫌な予感がする弓弦だが、今はそれしかない。
「…じゃあもし、その時に別のお願いに変わっていても叶えてくれる?」
「…良いよ。お兄さんに叶えてあげられるものだったら、叶える。…『約束』する。指切りだ」
互いの小指を絡めて、指切りする。
懐かしの歌が聞こえた。
世界が、時代が違っても、何故か共通していたりするモノ。
少女の歌は、弓弦が記憶しているものと比べ細部こそ違うものの、メロディーや歌詞に多くの共通点があった。
「うん、じゃあ約束する」
小指が離れると、感じている風が強さを増した。
「…そろそろ行った方が良い」
「ティアンとニアは?」
「主達は奥で待っている。何でも、伝えたいことがあるらしい」
どうやら、アスクレピオスが風除けになってくれていたようだ。偶然かもしれないが。
「あぁ。あの子を頼むな」
「…依頼、確かに請け負った」
洞窟の奥へと進む。
徐々に勢いを増す風に逆らいながら歩いていると、光が見えた。
「「待ってたの~」」
禍々しさとは程遠い輝きを放つ扉の両隣に、ニアとティアンはそれぞれ立っていた。
「(…何だ? 心なしか…雰囲気が変わったような……?)」
少し、大人びただろうか。
何となくだが、そんな気がした。
「あのね~、訊きたいことがあるの~」
「あるの~」
「何だ? 訊きたいことって」
双子は心地良さそうに風に当てられられながら、言葉を続けた。
「私達、アシュテロと一緒に暮らせるようになりたいの~」
「けど~、一杯溜まってる配達屋さんのお仕事を終わらせないといけな~い。ずっとお仕事お休みしちゃったから~」
「…はぁ」
一体何年分の希望の配達物が溜まっているのだろうか。それを全て配達するとなると、それなりに時間がかかるだろう。
配達物を書類と置き換えると目眩を覚えてしまいそうで、弓弦は眼を瞬かせた。
「僕達知ってるよ~。あなたはアスクレピオスのお願い事を引き受けて、僕達を助けに来てくれたって~」
「風が教えてくれたの~。ここは、私達の夢の中だって」
「だってこの風は~、未来に続いているから~」
期待に瞳が輝いている。
二人共、アシュテロに会うことを、それ程に楽しみにしているということだろうか。双子の雰囲気が微かに変わった理由は、悪夢の中で微睡んでいた二人の意識が覚醒に向かいつつある影響か。
「「ね~ね~、アシュテロは向こうに居る~?」」
弓弦は頷いた。
すると双子は嬉しそうに飛び上がった。
「じゃあ~、向こうでアシュテロに会えて~僕達の配達に終わる目処がついたら…一つだけ、お願いしたいことがあるの。ね~、ニア」
「うん、ティアン」
「僕達」
「私達」
はしゃぎ過ぎたのか、息切れする双子。
「「ふぃ~」」
呼吸を整えて二人顔を見合わせると、
「「あなたと一緒に、絶望と戦いたい」」
真剣な面持ちで決意を口にした。
「…良いのか?」
願ってもない申し出に、弓弦は思わず訊き返してしまう。
「あなたは僕達を悪夢から覚ましてくれた」
「あなたは私達に希望を届けてくれた」
「僕達は希望の運び手。絶望を無くす者」
「私達は希望の配達屋さん。一番の商売敵は、絶望~」
「あの陰は絶望の塊。だから、やっつける」
「(…陰が…絶望の塊)」
「深い深い、深~い誰かの絶望の塊。だから次の絶望を生む前に、慰めてあげる」
「(…誰かの絶望の塊…か)」
だとしたら、誰の絶望が元となっているのか、気になるものだ。
事象を捻じ曲げ、生命を喰らう絶望ーーー生命の想いとは、恐ろしいものだ。
「「希望を届ける風の配達屋…『流離の双子風』、出動なの~♪」」
だがそれも、この双子という希望の風ならば吹き飛ばしてくれるかもしれない。
「それまでは僕達の力を少しだけと~」
「アスクレピオスと一緒に置いて行くの~」
「ははっ、心強いな」
アスクレピオスが地味に厄介払いされたのではないかーーー? そんな疑問が浮かんだが、気の所為だと思いたい。
「「『約束』~♪」」
「あぁ……」
指切り。
「「ふぃ~、一杯話し過ぎて疲れちゃった~」」
小指が離れると、双子は揃ったタイミングで腰を下ろした。
「おわっ」
それを待っていたかのように扉が開き、弓弦の身体を吸い込み始める。
「「ばいば~い♪」」
双子に手を振り返し、風に身を任せる。
次に瞼を開けば、向こうのアスクレピオスの下に戻っているはず。
ーーーさん!
弓弦が瞼を閉じようとした時に、子どもだと分かる声が聞こえ、咄嗟に瞼を開いた。
「お兄さーん!!」
アイが立っていた。
「また会おうね!!」
勢い良く手を振る彼女の表情は、どこか翳りを帯びながらも、時々歪みながらも、確かなこれからへの希望に満ちていたーーー
* * *
「…山場…無事に乗り越えられたんだよなぁ……ふぅ」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
結局のところ、アスクレピオスが二人に置いて行かれたのかそうでないのかは定かでない。
ただ、今彼が弓弦の一部として吸収されているのが現状だ。
「ユ~ル~!」
シテロの声が聞こえたので頭上を見ると、彼女の姿が近くに迫って来ていた。
「よっ」
間一髪。弓弦がボディプレスを避けると、彼女はそのまま、
「はぁぐぶふぉうわっ!?」
アスクレピオスの上に着地した。
「む~。足が痛いの」
ある程度勢いを殺したものの、衝撃を完全に殺し切るまでには至らなかったらしく、少しアスクレピオスの飛行高度が下がった。
「痛いのは私の方だ、アシュテロ!」
いきなり上空からのキックをお見舞いされたアスクレピオスの抗議は、当然のものだ。
だが抗議の声に対し、シテロはキョトンと惚けた顔で弓弦を見るだけだった。
そして、
「…アスクレピオスっ!?!?」
これ以上にない程驚いた様子で声の主の名を呼んだ。
「…何だ急に。主達から訊いていないのか? 主達の代わりとして、私がこの者の中に滞在することとなったと」
「…じゃあティアとニアンの代わりに、アスクレピオスがユールのお手伝い? …これからよろしくなの」
明らかに残念そうな表情を浮かべている彼女に、弓弦は苦笑した。
選り好みという訳ではないが、何となく気持ちが分かるような気がしたのだ。
「…アシュテロよ。今更と言う気がしないでもないが、主達の名を混同しない方が良い。色々と誤解を生む場合がある故に」
「…誤解?」
「主が主達の性別を間違え、あまつさえ胸を揉んでしまったのだ。主達は主達で遊んでいたから良かったが、他の者にも同じことをするようでは、いつか問題を起こしてしまうかもしれん」
その言い方では別の誤解を生んでしまうのではないだろうか。
嫌な予感を感じつつも、弓弦は腰を下ろした。
「…え、ユール…ティアの胸…揉んだの?」
誤解が生まれてしまった。
「ティアンではない。揉んだのはニアの方の胸だ」
「ニアンっ!? え、えぇ…どうしてニアンの胸を!?」
更に別の誤解が生まれてしまった。
アスクレピオスとシテロの会話はさながら、変化球の投げ合いだ。
伝わっているようで、微妙に伝わっていない。そして、誤解が生まれるということはーーー
「ユール…男の子が好きなの?」
傍観者では居られないということだった。
「…は? いや、いやいやいや…どちらかと言われると女の子の方が好きなんだが……」
シテロは動揺しているようだが、弓弦としては自分の方が動揺したかった。
「あのな、シテロ。お前は一つ大きな誤解をしているんだ。ティアが男の子で、ニアンが女の子。お前が思っているのとは逆だからなっ」
「む~…ユールが男の子好きにならないように私が一肌脱ぐの」
「おいっ」
訊く耳を持ってもらえない。
謎の義務感に突き動かされているらしいシテロは、とうとう自らの衣服に手を掛けた。
「(一肌脱ぐの意味…っ。実際に服を脱いでどうするんだっ)…シテロっ、落ち着こう、な?」
誰が彼女に間違った言葉を教えたのか。すぐに悪魔猫の笑い声の幻聴がしたが、彼は現在、笑えるような余裕が無い状況に居る。あの悪魔を恨む前にこの暴挙を止めなければ。
「主よ、私の上で乳繰り合わないでくれないか!」
「するかそんなもんっ!!」
誰の所為でこうなったと思っているのだろうか。文句はこっちが言いたいところだ。
「む~」
どうやら思い留まってくれたらしい。服から手を離したシテロは頬を膨らませ、明らかに「拗ねてますよ」アピールをしてきた。
何故拗ねられなければならないのか。悪気は無かったのだ、悪気は。
「(…無かった…よな?)」
混乱していたその時の自分が何を思っていたのか、今となっては知る由も無い。
「人の胸を揉むなんて、私でも駄目って分かるようなことなの。む~」
「それは…そうだな。悪かった」
シテロに謝る必要性があるかどうかは別だとしても、彼女の言っていることは至極もっともだった。
「…ねぇ、ユール。皆が静かなんだけど…何かあったの?」
素直に弓弦が謝ったのが功を奏したのか、話題が変わった。
「あぁ…それはな。色々あったんだ」
「色々…?」
「あぁ、色々…ちょっとした、喜劇の連続が起こったんだ」
悲劇の連続ならぬ、喜劇の連続。
本悪魔達にとっては災難でしかないのだが、災難でしかないからこそ実に面白い。
「ぷっ…ふふ、はは…あぁ、思い出すだけでも笑えるんだが、実はなーーー?」
* * *
ーーー時はそれなりに、遡る。
そう、具体的にはバアゼルが弓弦の下に力を送った時の話だ。
「にゃ?」
バアゼルの下より放たれた力は天へーーーと向かった訳ではなく、炬燵の中へと向かった。
「「「「……」」」」
集った力の衝撃に炬燵机が、布団が吹き飛ばされる。
ついでに蜜柑が飛び、段ボールもひっくり返り、蜜柑が幾つも散乱した。
「……」
飛んだ蜜柑が、段ボール製のベッドを破壊し、中から液体を滲ませる。
「……」
飛んだ机が落ちたのは、ハリセンの上。紙が折り重なることによって形成される段の数々が、無残にも机の重みに押し潰された。
「……」
何とも酷い有様である。
凄惨な光景が広がる空間の中で、悪魔達の視線が各々が被った被害に向けられる。
「……」
そんな中、吹き飛ばされた布団の行方を追う狼が居た。
彼の視線の先で布団は、何も無い所にフワリと落ちた。
「フ…ッ」
失う物の無かった悪魔による、勝者の笑みだった。
「剥き出しのエゴは粛清の対象となる…と言うことだ。私も気を付けねばな……」
「「「……」」」
虚ろな瞳がヴェアルに注がれる。
それはもう、長い時間注がれていた。
その間に弓弦が来たり去ったりしたのだが、妙に緊迫した空気は場を常に支配し続けた。
「…裁きは等しく訪れるもの。…そうは思わんか? 『紅念の賢狼』」
「…我等、生きるも死ぬも一緒よ。…賢狼」
「…にゃひ…にゃひひ……」
一悪魔、虚ろどころの問題ではないような気がしなくもない。
幽鬼のような足取りで近付く三悪魔より、ヴェアルはジリジリと距離を置いていく。
そして、
「冗談ではないっ」
どこかで聞いたような言葉と共に逃げ出すのであった。
「事件です、事件です。弓弦が女の子胸を触りました」
「ありゃ、それは本当? 知影ちゃん」
「本当みたい…。どうして触ったんだろう」
「誤解だよ。ユ~君だもん。ね?」
「確かに」
「男の子には、良くある話だから許してあげよ♪」
「…レイアさんがそう言うのなら」
「えへへ…何か照れるなぁ」
「…だって弓弦、もうそろそろ帰って来るでしょ?」
「おろ、知ってたんだ。次々回が今の章最終話ってこと」
「そりゃあヒロインですから。自分の出番が近付いているぐらい分かるよ」
「…うーん? 出番…ね」
「…え」
「ううん……次章は……」
「…私メインじゃないんだ」
「うーん…うん。知影ちゃんメインじゃないかな?」
「……」
「それは次回の次回の次回。キャラクター紹介での予告をお楽しみに! と言うことで。次回の予告をしよう!」
「…んー、でも弓弦の予告文じゃないし。レイアさん、お願いしても良い?」
「良いよ♪ じゃあお任せされちゃおう♪ 『炬燵の悲劇はエゴが起こしたものだ。自業自得なものだが、今は逃げるしかない。何故か? それは今の彼等が…暴徒だからさーーー次回、避けろヴェアル! その動きは三倍!!』…フ…ならばこの余裕とやらを止められないお前は無能だな。…だね。次回のお話のメインは決まりだね♪」
「…ネタでしかないよね。そのキャラクター」
「こう言うキャラクターも必要だと思うな」
「…認めたくないものだな?」
「おろ、それ以上は止めとこっか」