結べシテロ! 小指を立てて!!
天へと伸び行くは、太く立派な幹。
巨大だ。その巨大さたるや、雲を貫く程だ。
「…本当に…ここまで……」
天空よりシテロが放ったのは、確かに純粋な「力」だった。だが、それは破壊のための力に非ず。
彼女が放ったのは「生命の力」。自身に流れ込む魔力を直接ティニアンに打つけることで、絶望と瘴気に穢されてしまった彼等の魔力を浄化出来ないかと考えての行動だった。
天空に葉を生い茂らせた枝を伸ばしている大樹にも、意味がある。
この大樹は、清浄な地の魔力そのもの。激しい戦闘の影響を受けて弱ってしまった大地を癒し、豊かな緑が育つよう手助けをする。一種の浄化装置だ。
身を結ぶ果実は食べれば味良し、枯らしても肥料効果が高く、前者は動物の、後者は大地の養分となる。
どんな結果になってしまったとしても、恩には報いなければならない。弓弦ならばきっと、「そうしろ」と言ってくれるはずだ。だからそれはシテロなりの、力を貸してくれた緑への恩返しだった。
「…ティア…ニアン……」
多くの力を貸してもらった。なのに声を届けることは出来なかった。
悪魔の気配を感じられないことが、かつての友をその手にかけた証明だった。
「ぅぅ…っ。どうして……っ」
空は晴れ渡り、海は澄み渡り、世界は元の姿を取り戻していた。
破壊から世界を守れたのに。なのに、あの二人とあの頑固な神鳥を助けることだけが出来なかった。
「私の力じゃ足りなかった…? …私じゃ…ぅぅっ」
頼るように、縋るように抱いている者を抱きしめる。
強く、強く、温もりに触れ痛みに耐えるしか今のシテロには出来なかった。
「ぅっ…ぅぅぅっ…ティア…ニアン……ぅぅっ」
弓弦の鼓動が伝わってくる。
悪魔の魔法の効果が失われ、弓弦は助かった。それは良いのだ。
だが求めていたハッピーエンドからは、決定的に遠過ぎた。
足りない。足りないのだ。
こんな終わりでは、物足りない。
「…っ」
胸にぽっかりと空いた穴を風が通り抜けた。
物悲しい風だった。淀んではいないからこそ、どこか空々しくて。
「…あ…れ…?」
どこか、懐かしくて。
「…っ」
仄かな温もりを覚えさせる不思議な風の風上は、遥かな空の上。
シテロは地を蹴り地面を隆起させ、大樹に沿うように上昇した。
上から下へと変わっていく景色が暫く続いた後、急激に視界が白く染まった。
白景色の正体は雲。それもすぐに終わり、大樹の頂上が見えた。
「…あ……」
周囲に広々と広げられた幹に飛び乗り、歩く。
緑葉のベッドの中心に、大きな蕾があった。彼女の視線は、今にも花開かんとしているそれに釘付けになっていた。
歩きは早歩きとなり、小走りに。
シテロの沈んだ面持ちは、驚きと不安が入り混じったものになった。
「…え…」
蕾が、彼女の眼前で花開く。
閉じ込められていたらしい甘い香りが漂い始める中、静かに聞こえるものがあった。
「「くぅ…くぅ……」」
「……!」
ガサッ。
シテロが二人分の寝息を耳にした途端、抱き上げられていた弓弦がベッドの上に落下した。
「…?」
「……?」
寝息が途切れ、瞼が開く。
懐かしい。とても懐かしい茜色の瞳が瞼の下から覗いた。
「「…ふぃ〜」」
小さな旋風が、若草の髪を撫で、シテロの頰を擽った。
それは懐かしい香りのする風で、
「…ぁぁ…!!」
正しくシテロが求めていた風だった。
「ティア! ニアン!!」
衝撃のあまり、最初の一歩で躓きそうになりながらも二人の下へ駆け寄る。
ガサッガサッ。
風がどうやら枝を揺らしたようだ。葉擦れの音が聞こえた。
「良く寝たね〜」
「うん〜、良く寝た〜」
懐かしい声。
「「良く寝たの〜♪」」
この声を、この姿をーーーそう、求めていたのだ。
この二人に、また会えることを。
「あ、アシュテロ〜」
「アシュテロだ〜」
「うん…アシュテロなの…」
「「その節はご迷惑をお掛けしましたの〜」」
堪え切れないものがあった。
それは幾ら拭っても、止まらなくて。
シテロは両腕を広げ、二人を抱きしめた。
「二人共元に戻ってくれて…良かったの!」
「わわ〜」
「はわわ〜」
「「苦しいの〜」」と言われ、二人を解放する。
興奮に躍る胸を落ち着かせ、気を取り直す。
訊きたいことがあったのだ。
「これからは一緒に居られる?」
二人は悩むように、可愛らしい声で唸る。
「ユールの中ってとても住み心地が良いの。二人もおいでよ。バアゼルと、アデ…えっと、私の他の仲間も居るし、楽しいから」
意識を取り戻したといっても、二人が妖精から悪魔になってしまったことには変わりない。
一度で悪魔の門を潜ってしまえばもう過去には戻れないのだから。
「ううん。違う、もう僕達悪魔じゃない」
ーーーそんな常識が覆された瞬間だった。
「私達の魔力で、分かるの。もう、悪魔じゃない」
言われてみて、初めて気が付いた。
同胞の、悪魔の気配は感じない。感じることが出来ない。
「「元通りなの〜♪」」
嬉しいことのはずなのに、複雑だった。
「…でもどうして……悪魔の枷が外れるなんて…。ううん、そんなことはどうでも良いの。良かったの……」
再び抱きしめる。
何となくだが、答えを訊かなくても分かってしまった。
「……」
「本当のアシュテロはこんなに温かな温もりを持った人だったんだ」
ティアの感慨深そうな声音が耳に届く。
「まるで…人間のお母さんみたい」
顔を摺り寄せてくるニアンの髪を撫でようとしていたシテロの手が、ピクリと止まる。
「〜〜っ」
そんなことを言われるとは、思わなくて。
彼女の顔が、湯気が出るまでに赤く染まった。
「…温かいね」
「温かいの」
「…覚えてる? 風の先に見たあの緋くて黄色い十六番目の日のこと」
「…覚えてる! まだ未来か、もう過去か分からないけど。あの日に見た温もりに近いの」
「この温もりって…アレだよね」
「この温もりって…アレだよ」
二人は顔を見合わせると、コクリと頷いた。
「「お母さんの温もり〜」」
巻き起こった風が、ガサガサと枝から葉を散らせる。
「ぁぅ」
お母さんときたか。
恥ずかしさのあまり、変な声を出してしまうシテロだ。
「こんな温もりも届けたかったんだよね」
「こんな温もりも届けたかった〜」
何かを確かめるように頻りに頷く。
深く、まるで自分達が呟いた言葉を噛み締めるように、何度も互いに頷く。
「「ふぃ〜」」
温かい息が服越しに皮膚に触れる。
擽ったい。だが笑わなかったのは、二人が覚悟を決めた表情で見詰めてきたからだった。
「僕達は希望の運び手」
「私達は願いの運び手」
「僕達は想いの運び手」
「私達は西風の運び手」
「「そう、『流離の双子風』」」
かつての二つ名。風の妖精である彼等の通り名。
シテロも勿論聞いたことがあった。頑固な神鳥が、「自分が名付けた」と誇らし気に語っていたからだ。
「でも…僕達は希望を見失った」
「そう…私達は絶望に堕ちてしまった」
「だから、一からやり直す」
「一からやり直して、行く風と向かい合う」
「絶望を人に送っても、それは悲しみしか生まないから」
「…え」
耳を疑った。
「希望は悲しみ以外のものもきっと、生み出してくれるから」
「…え」
偶然の一致ーーー運命の悪戯か。それはシテロが二人に言いたかった言葉と全く同じであった。
届けたい言葉とは別の、言ってやりたかった言葉。彼等の口から発されたのは、何故なのであろうか。
「僕達は知ってる」
「うん、私達は知ってるね」
どこからか吹いてきた清らかな風が、二人を包み込む。
「…やっぱり…行くの?」
二人の身体が微かに持ち上がる。
決意に溢れた表情が既に答えだった。だが訊かずにはいられなかった。
「…うん。僕達、見付けないといけないものがあるから」
「二人で一緒にしなければならないことがあるから、私達はまだアシュテロとは一緒に居られないの」
「まだ…?」
それはつまり、いつかまた一緒に居られるという訳で。
「じゃあいつか…! いつかまた、会える? 会えるよね?」
今は、無理だとしても。いつか、また昔のように共に居ることの出来る日が来る。
それだけで、十分だった。
「「なの♪」」
「うふふ、嬉しいの♪」
「約束、したからね」
「約束、したもん」
嬉しそうに離れた場所に視線を向ける二人。
その方向には、誰も居ない。
「さぁ、行こう。届け物をしに」
「うん、行こうよ。待っている人が居る」
二人の風の妖精は手を取り、空へと昇って行く。
シテロは見送ろうと、手を振った。
「(何か忘れている気がするけど…今は良いの♪)」
梢が揺れ、音が囁く。
甘い香りは、何処からか運ばれた果実の香りか。それとも舞い上がる花弁か。
『流離の双子風』は希望を運ぶ風となって空に溶けた。
「飛んで行ったなぁ」
突如として巻き起こり続けた旋風により、ベッドの上から落とされ挙句、忘れられた男が青空を見上げている。
気が付いた時には既に落下していたために、彼は頂上での出来事は知らない。しかし旅立つ双風の表情から察するに、それぞれが納得する形での別れが出来たらしい。
「疲れたなぁ……」
溜息と共に倒れ込んで四肢を投げ出すと、背中側から溜息が聞こえた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
こちらはもっと疲れたような溜息だ。
「癒しの神の御使と称された私としたことが…はぁぁぁぁぁぁ」
「…まだ言っているのか」
面倒臭い鳥。
それがこの悪魔鳥ーーーアスクレピオス改めダスクレピオス改め『ティニアン』に対する弓弦の印象だった。
「私は決めていたのだ。主達の助けになろうと。なのに…私は何の助けにもなれなかった。私の…私の存在価値は……」
「取り敢えず、厄介な相手だったぞ?」
「何の慰めか!?」
隼に似た嘴が、クワッと開かれる。
「それに、お前がこの世界に居て、俺達と戦って、あの二人を呼んでくれたからこそこんな終わりになったんだ。十分慰めになると思うんだがな」
「主よ、私が最も嫌うものを教えてやろう。それは……絶望だ」
「だろうな」と、心の中で相槌を打つ。
絶望が嫌いらしいこの悪魔鳥。何が面倒かというと、嫌いと言っておきながら、自分が一番絶望感に浸り易いのだ。
「絶望は希望の影。最大の敵だ。なのに私としたことが…絶望の尖兵となってしまうとは…はぁぁぁぁぁ」
要はネガティブなのである。
つられて溜息を吐きたくなるネガティブっ振りにこれから悩まされるのだと思うと、こめかみが痛くなりそうだ。
「絶望だって時には必要かもしれないだろう。そりゃあ悪いことには違い無いが…引き立て役としては悪くないと思うが」
「私をミンチではなぁい!!」
「そっちの挽くじゃない。『引く』…だ」
「…了解した。失礼を詫びたいが宜しいか、主よ」
「あぁ」
「失礼した」
面倒臭い。何故一度で済ませられないのか。
頭痛が始まったような気がする弓弦だ。
「主は寛容だな。主達程能天気ではないが」
「(アレに比べられたくはないな……)」
レオン並みの伸ばし言葉に、シテロ並みの天然さ。両者を足して二で割ったような二人だった。
「寛容な主と巡り会えて私は嬉しい。この出会いに感謝する」
「あぁ…こちらこそありがとう」
風の悪魔の魔力が加わり、一段と弓弦の魔力容量は増加した。その結果これまで以上に魔法を多く使用出来るようになったのは喜ばしいことだ。しかし、
「主よ…私は…私は何故、主達を守れなかったのだろうか」
しかしそれ以上に、面倒な悪魔である。
「…さて、な」
溜息、愚痴、溜息。実にキリが無い。
とんだ厄介者を迎え入れてしまったものだ。
「ただ…そうだな、ちょっとした不幸が重なっただけさ。不幸が次の、そのまた次の不幸に続いて、大きな大きな不幸の海に浸かってしまったんだ。だからーーー」
広がる空を見詰める瞳の裏に映るのは、自らの内なる世界での出来事。
どうしてこうなったのか。
口にしてしまうと、悪魔鳥に余計な溜息を吐かせてしまいそうなので、言葉を飲み込んだ。
「(…絶望と、希望…か)」
希望の風の絶望。
二人の風の妖精から訊いたその訳を、弓弦は回顧するのだった。
「回想入りまーす」
「…お~、これは入りそうな雰囲気だな~」
「…長い」
「うむ。長いな」
「僕達の出番無いね、トウガ」
「俺は予告にちょこちょこ出してもらえてるからな。そこまででもない」
「…あ、それを言うのなら僕もだね」
「その度にリィルちゃんの被害に遭ってるけどな~」
「人を暴力魔みたいに言わないでくださいまし、隊長」
「…リィル…暴力魔?」
「違いますわよセリスティーナ。私は、単なる博士の助手で、礼節を弁え殿方の面目を立たせる淑女でしてよ」
「それはリィルちゃんよりかは、風音ちゃんに当てはまりそうだな~」
「私ですか? うふふ、ありがとう御座います♪」
「…で、ユリちゃん。今回人多くない?」
「多いな、うむ」
「お~お~、豪華で良いじゃないか~」
「うーん…でも、フ~ちゃんが居ないけど……」
「…レイアさん、これ多分ね。フラグなんだと思うんだ」
「おろ、どうだろうね。実際そうなってみないと分からないけど」
「よ~し、んじゃ予告と行こうや~。『…頼まれ事をされといて、全力を尽くさないって言うのはアレだよな。美郷姉さん辺りに怒られてしまいそうだ。ifルートなんてものがあっても良いだろうし。…さて、この町に何があるのか、何が起こるのか…調査開始だなーーー次回、探せ弓弦! 絶望の訳!!』…この子、連れて行くから。…って、弓弦の奴…人拐いでも始めたのか~っ!?」
「えぇっ!? え、ちょっ、えぇ!? ヤダ、訊いてない、訊いてないよ弓弦ぅっ。拐うなら私を拐えば良いじゃんっ。たっぷりしっぽりしてあげるのにっ」
「しっ、しっぽり…弓弦が子どもと…しっぽり…ぁぅ……」
「…ありゃりゃ」
「…誰が誰だか、分かるのかな、コレ」
「分かったキャラに関しては印象が強いキャラと言うことになるな、ディオルセフ」
「…さて問題。私は誰でしょうか?」
「…暴力魔?」「暴力魔がふっ」
「クスクス…皆様、御元気なようで何よりで御座います♪」