Battle of “TYNIAN”
衝撃の後にシテロの身体が風に流される。
これが、死へと通じる道なのか。
【(ごめん…なの……)】
自然の力を借りたのに。それでも、足りなかった。
言葉すら届けられないのか。今の自分には。
【(うぅ…っ)】
そして、
「ぐ…ぅぅぅ…っ!?」
自らが見出した居場所も守ることが出来ないのか。
【ユールっっ】
庇われた。
その光景になると知っていて、「来ないで」と願ったのに。現実のものになった。
弓弦の身体が、落下する。
陽溜まりが黒く染まり、温もりは薄れ、やがて冷たくなっていく。
背中で彼を受け止めたシテロは瞬きと一つで人間の姿になると、身体を反転させて彼を抱きしめた。
【無駄。死ノ風ヲ受ケタソノ男ニモウ未来ハ無イ。アルノハ迫リ来ル「死」ダケダ】
「…っ」
弓弦は苦しそうに胸を押さえ、深い呼吸を繰り返している。
危険な状態だとすぐに分かる。このままでは彼の命が危ないのだとも。
「止めてティア…ニアン…。死の風なんてあなた達の風じゃないの……」
命を奪う風ではない。シテロの良く知る風は、命を運び与える風だ。
こんな風では、なかった。
「一体何があなた達を変えたの…? 元の二人に戻ってほしいの…」
希望を運ぶ、あの優しい運び屋。
もう会えないのか。もう、全てが手遅れなのか。
戻ってほしいと願う彼女は、唇を噛み締めた。
【ソノ男ガオ前ニ希望ナンテクダラナイモノヲ与エタノナラ…。ソノ男ヲ殺スコトデオ前ニ絶望ヲ送ロウ】
血の味が染みる。
「くだらなくない……」
複雑に絡み合った感情が、一つの感情へと変化する。
誇らしそうに自らの役割について語っていたティアとニアン。彼等が輝いて見えたのは、彼等が「希望」を背負っていたから。そして背負う「希望」を何よりも大切にしていたからだ。
「希望は、皆に優しさを与える温もりなの。皆が皆求めている優しい願い…。くだらない訳がないの!!」
眼前の悪魔は、確かに二人なのかもしれない。だが、優しさを否定することは例え、当人達であったとしても許せなくて。
【クダラナイ。クダラナイクダラナイクダラナイ! 打チ砕カレルダケデ容易ク絶望ニ転ズル希望ナンテ、クダラナイ!!】
「あの時」の出逢いが、今に繋がっている。
今という希望の芽吹きをもたらしたのは、幸せ運ぶ希望の風。
その、恩返しをしなければ。
「…ティア、ニアン。分からず屋には、実力行使で分からせてあげるの…!」
今度は、自分が教える番。
荒っぽい恩返しだが、それもまた良し。寧ろそれこそが良し。
【何ヲ分カラセルト! ソノ腕ニ抱クモノスラ守レナイオ前ガ!!】
「まだ守れないと決まった訳じゃない!! あなた達を倒して魔法を解除させればきっと…!!」
賭けたかった。
弓弦なら、耐え続けてくれると。それまでに眼前の悪魔を倒すことが出来ると。
シテロの姿が悪魔龍のものに変わる。
彼女は弓弦を背中に乗せると、“ロックコネクティング”の魔法を使い弓弦を固定した。
【今の私なら、それが出来る!!】
【愚カ! ナラバソノ希望ヲ壊シテヤル!】
魔力を解放する。
【私の希望は、壊させないッ!!】
背中に希望を背負い、『萠地の然龍』アシュテロは咆哮を上げた。
【空デ風ニ勝テルモノカ!】
魔法陣が展開した。
ティニアンの動きが加速し、残像を残すまでになる。
確かに状況的には不利かもしれない。高高度での戦いでは、大地の力を活用し難いのだから。
【それでも、負けないのッ!!】
再度咆哮を上げる。
高められた魔力が空気の振動を起こした。
やがて地上から天へと続く絶壁から、高速で蔦が伸び、シテロの周りを覆った。
蔦の色は緑。生命の活力を感じさせる鮮やかな緑色が、彼女の身を黒風より守護する。
切断されては伸び、切断されては伸び、やがて蕾が一つ生えてきた。
【『血滴る鮮血の毒花、繁り、縛り、犯し尽くして!!』】
咲いた真紅の花が、花粉を撒き散らす。
散らされた花粉は風に巻き上げられ、周辺を蹂躙していく。
【ソンナモノデ絶望は覆ラナイ!】
蔦の守護壁を掻い潜り、風が駆け抜ける。
【ッ!!】
命を育む大地と、命を奪う黒風が激突する。
相克するニ属性が互いを喰らい合おうと唸り、空間を揺らし魔力を散らす。
明るい黄と暗く濁った緑の衝突に、光が吸い込まれる。
次いで音が吸い込まれた。
雲が裂ける。海が二つに割れる。そして、
【くぅっっ】
刃の飛来が増し、嵐が競り勝った。
龍の巨躯に高速で叩き込まれる風弾の銃口が、ついに龍鱗に迫った。
隼のような頭部の嘴から、黒風の魔力が溢れ出す。
【消エロ! ソノ胸ニ宿ス希望ト共ニ!】
二つの口から放たれた魔力が、絶望を宿した奔流と化す。
黒く、深いモノが、流れる。
全てが吐き切られることなど、ありはしない。虚無と、絶望と、破壊の塊は、やがて訪れる終焉を呼び寄せる以外の目的を持たない。
悪魔とは、終焉の徒。
既に自壊を終えたモノが、それ以上壊れることなどないのだ。
【ティア…ニアン…っっ!!】
これが絶望か。
己が知らない間に、二人に何があったのか。知る術の無い自身にシテロは歯を噛み締めた。
「ぅ…」
弓弦にももう、時間が残されていない。死への時間制限が迫る中、出来ることは限られている。
【負けられない…のッ!!!!】
自らの内に流れ込む魔力を、一気に高める。
そして防御のために身に纏っていた魔力も併せ、吐息と共に吹き出す。
龍の吐息は、神の身体すらも塵に返すと謳われる程の破壊力を持つ。
シテロの吐息は黄色の炎の形を取ってはいるが、炎を形成するのは地の魔力。地属性の炎だ。
地と風。劣位であれば相手の優位を許してしまう相克の関係であるニ属性。
【な…のぉぉぉぉッ!!】
逆も、然り。
【ーーー!?!?】
劣位を跳ね除け、相殺すら起こさせず魔力は突き抜けた。
その先にあるのは隼の片方。魔力に灼かれた首から先は爛れ、原型を留めていなかった。
【…馬鹿…ナ】
黒風が止む。攻撃の気配は見受けられない。
終わったのだろうか。
上がった息を整え、ティニアンの下へ。
【…ティア、ニアン。もう止めよ? 昔の二人に戻ってほしいの。希望を運ぶ運び屋さんに】
悪魔は沈黙している。
【ねぇ、お願い。悪魔なんか止めて。悪魔になっても、何も良いことなんて無いんだから……】
シテロは自嘲とも取れる言葉を用いて語り掛ける。
経験者は語る。そんなや系統の話ではない。ただ、今の二人よりは昔の二人の方が良いと強く信じていた。
戻ってほしい。そして、叶うのならばーーー
【お願い、お願いなのっ。ティア、ニアンっ!!】
また、「あの時」のように。共にあの時のように穏やかな日々に身を置きたい。
一緒に居られれば、きっと今以上に楽しい日々を過ごせる。
叶わないと思っていた願いを叶えられるチャンスを手放さずにいられようか。返事の無い相手に向かって彼女は懸命に呼び掛けた。
【ウルサイ…!】
風魔力が荒れ狂い、シテロを襲う。
退け反らされた。身が切り刻まれ、裂傷が次々と作られる。
【希望ハ絶望ノ糧…源! 単ナル希望ニ何ノ意味ガアルト言ウッ!?】
【くぅぅっ!?】
龍の鱗すら、絶望の風は容易く抉る。
至る方向から切り刻まれる中、背中側の防御を優先してシテロは耐えている。
むざむざと弓弦へ、攻撃されるようなことだけにはさせたくなかった。
【絶望ニ屈セ! 悲嘆ニ暮レ号哭シロ、慟哭シロッ! 消エロ…! 消エテシマエ! オ前ニ何ガ分カルゥッ!!!!】
黒い風が集い、玉になる。
【例エ幾ラ希望ヲ運ボウトモ! 強者ハ弱者ヲ淘汰シ絶望ヲ振リ撒ク! 希望ヲ与エタトシテモ! ソノ者ガイズレ己ガ欲望ニ溺レ絶望ヲ振リ撒ク存在トナル!! 生命ガ生命デアル限リ、希望ニ意味ハ無イ!!】
玉は高速で回転を始め、やがてシテロへ向かって複雑な軌道を描く。
それはまるでティニアンの感情が投影されたかのようだった。荒ぶるように縦横無尽に飛行し、生命を嬲ろうと加速し続ける破壊がシテロの希望を狙う。
【死ニ呪ワレロ! 絶望シロ! 絶望…シィィロォォォォォォッ!!!!】
ティニアンは叫ぶ。
あらゆる生命の絶望を願う姿からは、最早かつての意識は失われていた。
対峙する存在は、『死風の誘い手』でありティアとニアンではない。
希望の運び手はもう、居ないのだ。
【ティア…ニアン……!】
ーーー物分りが良ければ、そこで諦めただろう。だがシテロに諦める心算は毛頭無い。
声を届けたいのだ。眼の前にその相手が居るのに届けることが出来ない。
力不足だというのか。自分が?
【(そんなはず…ないのッ!!)】
まだ、手はあるはず。
方法はあるはずなのだ。
【(まずは…押さえ付けるのッ!!)】
シテロは全身に魔力を纏わせると翼を畳み、より高高度へと上昇した。
ある程度の高さにまで上昇すると翼を広げ、静止する。
魔法の攻撃はその間も延々と続いていたが、龍の翼は全てを擦り傷に留めた。
自然から送られてくる魔力が、守ってくれる。
嬉しかった。この感覚を彼女は、遥かな過去よりずっと恋い焦がれていたのだ。
希望はある。根拠は無い。
背中の温もりが、自然の力が勇気付けてくれたただの直感だ。
【(私は…まだ取り戻してみせるのッ!】
防御に用いていた魔力を、背中部分を残して全て攻撃へ。
【(この一撃で…お願いなの!)】
流れ込み、シテロの体内に充填されていた地の魔力が、圧縮された。
極限にまで圧縮された大地の力が、微かに開かれた龍の顎を広げていく。
魔法陣が形成されたが、それは意味のあるものではない。溢れ出す魔力が勝手に形を成しただけのものだ。
自然の理が乱され、いつしか雷が鳴り響いていた。
雨が降る。豪雨だった。
飴大の大きさであった魔力は、拳大の大きさへと巨大化していた。
妨害はされない。それどころか攻撃が止んでいた。
ーーーキェェェェッ!!
真紅の花の毒牙が、悪魔の内部に達したのだ。
“ラフレシア”が撒き散らす毒は神経毒。遅効性なのが玉に瑕だが、その効果は殆どの生物の運動機能を麻痺させるまでに強い。
毒牙を研いだのは、魔法陣を形成していない分の魔力。
捕らえた。
これで、終わりだ。
【こっのぉぉぉぉぉぉッ!!!!】
そして、有りっ丈の魔力が放たれる。
美しい軌跡を残しながら直進する光は流星のよう。圧倒されるまでに純粋な「力」はやがて、
【ガッ!?】
身動きを封じられ落下する悪魔を貫いた。
【馬…鹿…ナ…ッ!?】
貫通。
風の悪魔の身体を容易く貫き、呑み込む。
断末魔が上がると共に、天空より降る一筋の流星が地表へと吸い込まれたーーー
世界が揺れた。
贈り物の魔力の殆どを使ったシテロの姿が、ほぼ人間の女性のものになる。
「ん…っしょ」
魔法を解除し、弓弦を前から抱き抱えると地上を目指し降下する。
疲れを覚えた。緑からの協力はここまでということらしい。
天空に咲く一輪の花の存在感が静かに薄れるのを横眼に、自らが放った一撃の軌跡を追った。
悪魔の姿は無い。だが、雲の下一面に広がる海に一箇所大きな穴が空いているのが見えた。
向こう側に何も見えない暗闇に向かい、海水が重力に従っている光景はもう一つの瀑布。といったところか。
揺れが強くなった。
轟き渡るような振動の発生源は、あそこだ。
「…きたの」
魔力が膨れ上がっていく。まるでシテロが降りて来るのを待っていたかのように、急速に。
シテロは指を組み瞑目すると、深く呼吸した。
「…生命は地にて萠え出づる」
木の葉の舞に囲まれて、静かな声音が風に溶けていく。
打たれた楔が、地に根を張る。
それは、胎動。
「命よ応えて。私の声に」
根は注がれた力を集め、地を巡っていく。
それは、生動。
「共に奏でましょう。生命の讃歌を」
始まりと、張り巡らされた終わりは出逢い、重なり、絡まり合い、一つの幹となる。
それは、萌動。
瞼を開けたシテロは柔らかな笑みを浮かべた。
「ーーーさぁ、芽吹きなさい」
それは木蔭に射し込む木漏れ日のように控えめな笑みだ。
しかし控えめであるものの、その笑みは生命への慈愛に満ち溢れていた。
「…ん……」
そして今、生命の祝福を受けた希望が地に立つーーー
「久々にこんな感じのタイトルになったね」
「そうだな。確か前回は…私と弓弦とアンナ殿とレイア殿の章での話だったか」
「そうそう♪ 弓弦と、その他の章だったね♪」
「…ほぼ全ての章がその枠組みに当てはまると思うのだが、知影殿」
「え? じゃあ、私の旦那様と女狐abc?」
「…もう何も言わんぞ私は」
「…でもさ。一悪魔分少ないような気がするんだけど」
「む。言われてみれば……」
「まぁそんなこと言っても、私達の前には姿見せてくれないんだけどさ、弓弦の中の悪魔。…と言うか、弓弦の中に悪魔が居るってこと、本編じゃ知らないんだよねぇ」
「…確かにな。言われてみればそんな気もするが。…シテロ殿が実は悪魔と言うことも知らないしな、本編では」
「たわわ…ね。昨日だよ、たわわ」
「む? 何のことだ?」
「…いつ、言ってくれるんだろうね」
「…ハイエルフ組しか知らない秘密…か」
「待っていればいつか、言ってくれるかな」
「…弓弦殿ならば、言ってくれる。私はそう信じているぞ、うむ」
「うんうん。じゃあここで、予約いこう! 『どわぁっ。何だあの風…って、わっ!? お、落ち…っ、どうしてこうなったぁぁぁぁーーー次回、結べシテロ! 小指を立てて!!』…疲れたなぁ。…だってさ♡ あぁぁぁぁ弓弦弓弦弓弦…ぁ~~っ♪」
「…予告の文を読むだけでああも喜ぶとはな。恐ろしいな……」
「…? ユリちゃん何か言った?」
「私は何も言っていないが」
「?? おっかしいなぁ。赤い声が聞こえたような気がしたんだけど……他に誰も居ないしてっきりユリちゃんかと」
「……?」
「うん、あんな声ユリちゃんには出せないし。一体誰なんだろう」