構えろ弓弦! 其は絶望の風!!
「…え」
その言葉に弓弦は、意図せずして固まってしまった。
何となくそんな気はしていた。だが、そんな気がしていたのとは裏腹に、どこか期待をしていた。
微かな望みとはまた違うが、アテにしていたのだ。
満身創痍の身で剣を向けるかもしれない相手は、【リスクX】
もし戦闘になれば、自身だけでの勝率は絶望的だ。
故に、アテにせずにいられようか。
カザイは元帥だ。その実力は折り紙付きであり、共に戦ってくれるのならば心強い味方となってくれるはずだった。
「俺はここから先へは行けない。やり残したことがある」
カザイがもう一度、伝えたばかりのことを言う。
言われなくてももう、理解するしかない。
カザイとは、ここでお別れだ。
「てっきり付いて来てくれるものだとばかり思っていたんだが、お別れなのか」
男は徐に腕組みをする。
「今の俺は表舞台に立てない人間だ。お前と共に行くことは出来ない」
「…ここから出られないって訳じゃ…ないよな?」
シテロがビクリと身体を震わせた。
「……」
カザイは無言でそれを視界の中央に捉えた。
すると、シテロは弓弦の服の袖を摘んだ。
「……」
男は無言のままだ。
無音の時間が、少しの間流れていく。
生唾を飲む音が耳朶を打つ。
シテロが生唾を飲んだようだ。
「…無言…か?」
「俺は死んではいない。安心しろ」
何故それをすぐに言わないのか。
無駄に間を取る発言に溜息を吐いた。
「…正直、疑ったぞ」
「…疑ったの」
「何を疑う必要がある」
濃過ぎる瘴気の中でも平然と行動し、顔色一つ変えなかったカザイ。
人間の身であっても、何かしらの反応を見せても良かったのに、それが無かった。
「疑う必要しかなかった」とは言えるはずもなく。
「そうか、お別れか…何か寂しいな」
誤魔化しに入る弓弦だった。
「互いに進むべき路がある。それだけだ」
「その路は交わるん…だよな? これからも」
以前二人で行ったミッション、そして今回。
カザイと行く冒険は静かなスリルがありながら、とても落ち着く一時だった。それを今回までというのは、あまりに勿体無い。
「……」
男は、無言で返した。
肯定で受け取るか、否定で受け取るかは弓弦次第。
「分かった」
弓弦それを肯定として受け取った。
「今日のこと、誰にも話さない方が良いか?」
魔法陣に片足を差し入れる。
一方通行の道ーーーもう、ここ戻って来ることは容易ではないだろう。
せめて“シグテレポ”用の印を壁に刻んでおきたかったが、今は“アカシックボックス”すら発動させることが出来そうにない。
「助かる」
それはこの地でカザイともう会えないことを意味している。
もし外に出てから急いでこの地に戻って来たとしても、その場にカザイは居ない。
寂しく思えてしまう。だがここでの用事は終わり、外に出なければならない状況でこれ以上の長居はあまり良いものではない。
「行け。おまえには帰るべき場所があるはずだ」
急かすようにカザイが語尾を強めた。
「…あぁ、じゃあまたな」
躊躇いは不要だ。
何故なら、また会えるはずだから。
「弓弦」
二人は魔法陣の上に乗った。
すると、待っていたかのように魔法陣が強く光を放った。
「何だ?」
「元気でな」
一人この地に残る男は、表情を緩めて二人を見送った。
「……」
魔法陣が消えると、男の微かな感情も消える。
懐の得物を撫で、次に所持弾を瞬時に確認すると、空気を吸い込んだ。
「出て来たらどうだ」
誰何の必要は無い。この地に戻って来てから常に感じていた気配だ。
弓弦が気付かなかったのは疲れによるものなのか、それとも敢えて放っておいたのか。
紛れもなく前者だ。いかに彼に対しての殺気が放たれていなかったとしても、気配に気付いていたのなら声を掛けていたはずだ。
「……」
靴音を鳴らし、入口に気配が生じる。
暗闇に包まれているため姿は窺えないが、近付いて来るのが分かる。
「趣味が悪いな」
「フン…こうでもしなければ、貴様は尻尾を出さないと思っていたからな」
光球が生じる。
眩く照らされた視界の中で、鳶色の髪が靡いていた。
「貴様のことだ。何らかの形であの男に接触するとは思っていたが…まさか、こんな辺境の異世界で息を潜めていたとはな」
「……」
髪と同じ鳶色の瞳が壁画を捉え、鋭く細められる。
靡く髪は風によるものではない。魔力によるものか。闘気と呼べるものがその身を覆っていた。
「犯人は現場に戻って来る…か。先人の言葉は正しかった訳だ。あの男は気付いていなかったようだが」
「残っていたのか」
先人の言葉は兎も角、『禁忌』を弓弦に授けるためには、『禁忌』そのものが眠っているこの地でなければならかった。
それよりも問題だったのは、消したはずの映像が残されていたこと。
この地に関する映像が残されており、眼の前の人物がそれを見てしまっている。意味することは一つ。情報の流布が行われたということだ。
「『太古の記録書』に残っていないはずがないだろう。カザイ貴様、ふざけているのか?」
「……」
消去したはずの情報が、第三者等の眼に触れてしまった。何らかの方法で、バックアップでも取られていたのだろう。
大きな痛手だった。『禁忌』を結果的に弓弦に託せたので良かったものの。
この場所の情報が、大々的に公開されてしまった。これでは、情報を知り得た者を片っ端から抹殺することは不可能に等しいだろう。
誰が知っている? と考えるよりは、『組織』人間ならば誰もが知っている可能性があると考えた方が良い。
「…そうか」
事態の全てが飲み込めた。
ある意味行動が裏目に出てしまったといったところであろうか。
どうやら「敵」を作り過ぎてしまったらしい。当然といえば当然かもしれないが。
「…何がおかしい」
「望むところだ」
「…ッ!!」
誰が相手だろうと、最後の一人になるまで戦い抜く。
男は一人の修羅。相対する誰もに死を届ける告死者だ。
「……」
「ッ!!」
身構えられる。
一触即発の空気が場を支配していった。
「カザイ・アルスィー元帥。貴様には大元帥暗殺の嫌疑で『本部』から逮捕令が出ている。武器を捨て、手を挙げろ。拘束後、同行してもらうぞ。従わない場合には、殺害命令も出ている」
最後通告のようだ。
返答を待っているような様子ではなく、返答を知っている様子だ。
「……」
分かり切った返答を今更言うまでもない。
男は誰にも従わない。例え大元帥だろうと神だろうと、従わせようとしてくるのなら双銃にて打ち砕く。
それは、同僚とて例外ではない。 邪魔をするのなら、打ち砕くまで。
「良いだろう。『剣聖の乙女』の名の下、貴様を…討つッ!!」
抜き放たれた双刃に対し、双銃が火を噴いた。
* * *
光が薄れる。
「…わっ」
気が付くと、洞窟の入口へと二人は戻されていた。
足下を見てみるも、魔法陣は無い。
カザイの言葉通り、一方通行ということらしい。
だが弓弦が声を上げたのは、別のことだった。
「…緑が、泣いているの」
空が暗雲に覆われている。
聖域とばかりの景色には影が差し、いつしか何とも物悲しい風が吹いている。
ーーーキェェェェッ!!
耳を劈くような怪鳥の声が頭上から聞こえてくる。
『ダスクレピオス』はどうやら、頭上に居るらしい。
「…はぁ、カザイと別れたのが悔やまれるな」
いつ戦闘に入ってもおかしくはないこの状況は、実に危険だ。
カザイが居ればと思ってしまうのが、何とも虚しい。
「(さて、どうなるか…?)」
「あっ、『アスクレピオス』! アシュテロなの! 覚えてる?」
空に向かってシテロは叫んだ。
どこか戸惑いがありつつも、その面持ちは懐かしい友を見付けたかのような喜びに溢れていた。
「(『アスクレピオス』…か)」
あの鳥が魔物となる前の名前。記憶にある存在の名とは違うが、その名が示すのは、同じく癒しの者であるということ。
死者を蘇らせる魔法の下に居たのは、かつての自身の姿と近しかったためか。
『追い求めていたのさ。在るべきかつての姿を……』
ヴェアルの声が聞こえた。
『奴にもう心は無い。あるのは本能とも呼べる抜け殻…。用心することだ』
「(…何とかして、元の姿に戻せれば良いんだが…難しいか?)」
『私の口からは何とも言えんよ』
空を睨む。
「おーい! 『アスクレピオス』~!!」
シテロの呼び掛けに反応している様子はない。
魔物は上空を旋回しているらしく、ひたすら円を描くように飛行していた。
「(…何をしているんだ?)」
来た時とは違うこの状況。何もしていないという訳ではないはずだ。
あの旋回には訳がある。だが、特に加速している訳でもなく、魔法陣らしきものも描かれていない。
竜巻を起こそうとしているのでもなければ、こちらに降りてくる気配もない。
「…全然返事してくれないの。何か見た目も変だし、不思議なの。お~い!!」
シテロはそれから何度も呼び掛けた。
だが、変化は一向に訪れなかった。
「…耳が遠くなっちゃったみたい」
そういう問題ではない。
呼び掛け疲れたのか、小さく息を吐いたシテロは腰に手を当てた。
「む~」
ご不満のようだ。
頬を膨らませて唸る彼女の隣で、弓弦は地面に視線を落とす。
注視したのは、足下の緑。
シテロ共々頭上の魔物に気を取られてしまったが、変化の見受けられない頭上よりも、明らかな変化がある足下を見なければならない。
「(元気が無いな…)」
腰を落としてまじまじと見詰める。
あれ程生命力に満ちていた草花は、少し萎れており活力に陰りが生じている。
恐らく、風だ。洞窟を出てからずっと吹き付けている風が、この草花達から、延いてはこの世界から生命力を奪っている。そんな気がした。
「風…か」
物悲しく吹く風。
洞窟に入る前の風を春風と例えるならば、今の風は秋の風。冷たく、渦を巻くような空っ風だ。
「…秋の風?」
引っ掛かった。
思考の過程で流れていった言葉の内、その言葉だけが妙に謎の後味を残してくる。
「…ユール?」
秋の風が何だというのか。
秋の風の何が引っ掛かっているのか。
秋の風が指し示す何かが、間違い無く引っ掛かりの原因だ。
その原因は旋回する鳥型の魔物、萎れた草花、物悲しい風、秋風を結び付けることが出来るーーーそんな直感があった。
指し示すのは、一つ。そう、一つだ。
その一つが分かれば、引っ掛かりはなくなるはずだ。その一つが分かれば。
「…秋風って、冷たい風なの」
「…?」
冷たい風。
そう。冬の風程ではないが、秋の風は冷たい。
木の葉を散らし、冬の近付きを知らせてくれる。それも、秋の風の特徴だ。物悲しさを孕み、落葉させるーーー
「ーーーそうかッ!!」
ーーー繋がった。
思い付きに近い発想だったが、間違い無い。
ーーーキェェェェッ!!
怪鳥の咆哮が響いた。
まるで弓弦が、「そのこと」に気付くのを待っていたかのように。
「待ち人来たれり…だな」
「え?」
風が、勢いを増し始める。
「ーーーどうやら、お出ましのようだ」
暴風。雲を突き破る。
シテロが驚いたように空を見上げた先で、黒い風が、渦を巻く。
「会いに来てくれたみたいだぞ、お前の言う、友達が」
「…なの。でも……」
生命が、悲鳴を上げている。
宙に巻き上げられた緑は、やがて黒く染まり、朽ち果てていく。
「どうして風が、あんなに黒いの…? どうして緑が…?」
風は、その流れに様々なモノを乗せる。
ある時は、生命。生命の香りを乗せる。
ある時は、記憶。懐かしき故郷の香りを乗せる。
ある時は、声。誰かの想いを乗せることもある。
良いことばかりではない。硝煙、異臭、悲しみーーーそんな良くないモノも運ぶ。良いことも、悪いことも、どちらも運ぶ気儘な運び手だ。
しかしあの風が運ぶのは、一つ。そう、一つしかない。
「…おかしい。これは…あの子達の風じゃ…ないの」
シテロの身体を魔力が覆う。
「行って来るの!」
その背中の龍翼を大きくさせ、彼女は飛翔する。
「うぐ…」
見送るしかない。
後を追おうにも、消費魔力の多い“ベントゥスアニマ”なんて魔法は、使っていられないのだ。
『大丈夫かにゃ?』
「あぁ…何とかな」
気力だけで立っている状態だった。
しかしこの後起こるかもしれないことを考えると、弱音を吐いてもいられない。
「…平和に済むか?」
『にゃはは。そこは…アシュテロ次第にゃ』
クロが答えてくれた。
腰を下ろすともう立てなくなりそうなので、立ったまま空を見上げる。
遣り取りを聞こうと犬耳をそば立て、意識を向ける。
遥か空で、地の悪魔は何を友と呼ぶ存在に語るのか。
予想が外れる可能性に賭ける弓弦は、力の入る感覚が薄い両手を握り締めていた。
「悪魔との戦い…新年早々めでたくないお話だな~」
「前回からリアルタイムでの間隔空いてるからね。それに…割と今回の目玉話って聞いてるよ」
「お~? あ、酉年だけに相手も鳥だしな~!!」
「いやそうじゃないよ。寧ろそっちは偶然かな」
「ん~? アレだな。さっぱり分からんぞ! よ~し、新年一発目だ~!」
「ははは。目玉って言うのはね…彼女の過去に触れるお話のことだよ」
「彼女?」
「我等がメロン」
「…。成程な。つまりはアレか? 攻略の緒でも狙っているのか?」
「…。ふっふっふ……攻略…良いね。新年と言うことで、ここは一つ頑張ってみようかな」
「新年早々血塗れの光景が浮かびそうだな」
「さ~予告いこう! 『永き時と永き時の間。狭間の刻の一場面。…陽、射し込む前の曇り空。…私の中に眠っていた、小さな小さな棘。…私は、確かめなければならない。その理由を、その風を。…あの日の風よりも冷たい向かい風をーーー次回、求めよシテロ! かつての友の真意!!』…確かめなきゃ…。だよ」
「…かつての友…か」
「年の初めのお話にしては暗いかも、ね」
「……」
「…レオン」