気を付けろ弓弦! 口は災いの元!!
緑の草原。
優しく照らす日輪の下で少女は待っていた。
少女ーーーとするよりは、女性か。
無邪気そのものな表情、そこから醸し出される無垢な雰囲気が彼女を少女と思わせる要因だろう。しかし女性を象徴する豊満な胸部が、彼女の幼さを打ち消していた。
「な〜の〜♪」
彼女は歌を歌っていた。木製のベンチに腰掛け、澄んだ泉の向こうに見える花壇を見ながら、待人が来るのを待っていた。
「あっ」
歌が盛り上がりを見せつつあったところで扉が開いた。
歌を止めてその様子を窺っていたのだが中に入って来た人物の姿を認めると、彼女は立ち上がった。
「っ、眩しっ」
「ユール♪」
日輪の光から手で眼を隠し現れた人物ーーー弓弦の下へと、彼女は小走りで寄る。
「ユ〜ル♪ 待ってたの♪」
彼女の頭に伸ばされた手が、クシャクシャとの髪を撫でる。
「わ…っ」
ぽわぽわした。心が温かくなって、擽ったくて。
「〜♪」
自然と緩む頰をそのままに、シテロはユールに微笑み掛けた。すると彼の面持ちが、より照れたようなものに変わった。
「ユール、顔が赤いの」
しかし照れてることが察せられれば、彼女は「天然」と称されていないであろう。
誤魔化すように咳払いをしてから花壇へと、足早に向かう弓弦の分り易さといったら相当なのだが彼女は気付かない。鈍い、実に鈍い。その鈍さは、弓弦の鈍ささえも上回り、所謂ラブコメ的な立場を逆転させていた。
「…おっ、良い具合に育ってきているじゃないか。…収穫までは…まだまだ時間が掛かりそうだな」
少々無理矢理な話題の転換だろうか。しかし彼の言葉を裏付けるように、最初に見た頃に比べどの植物も大きく成長していた。
「順調そのもの…と言ったところか」
暫くここに来れない状態が続いていたので気になってはいたが、元気な様子には安心だ。
「うん、うん。良い感じだな。流石はシテロだ」
土弄りの知識はあまり無いので何ともいえないが、植物、土の生命力とも換言出来る魔力が豊富なので、このままスクスクと育ってくれる。そんな予感がした。
「一人で頑張ったの。ここまで大変だったの……」
「う…っ、悪かった」
まさかシテロが居ないとこの空間に来れないとは思わなかったので、弓弦は旅行の間一度もここに来ていない。
その間ずっと、彼女は土弄りをしていたのだから弓弦としては頭が下がる状態だ。
「どうして謝るのか分からないけど…兎に角頑張ったの」
思わず謝ってしまったが、別に責めているつもりはなかったようだ。
「凄いなシテロは。お疲れ様」
「えへへ…なの」
今度は咳払いをせず、気を取り直して頭を撫でるとシテロはされるがままになる。
されるがままになっている彼女の様子を見ていると、撫でる際に動く手の範囲が広くなり、
「偉い偉い…撫でり撫でり……」
結果シテロの頭を回していた。
「うぁぁ…ね…眠くなるの…ぉ…っ……」
徐々に身体に力が入らなくなっているらしく、とろんと蕩けた表情を見せる彼女の足が震え出す。
扇情的だ。噛み砕いた表現だと、エロい。
何かいけないような気がしたので手を離すが、そうすると彼女の身体がフラついた。
「…眠いの…ぅぅ、酷いの…」
咄嗟に抱き寄せると、半開きだった眼が閉じられてしまう。
「すぴー」
抱き寄せられて安心したのか、程無くして寝息が聞こえ始めた。
「…おいおい。まさかこうも早く寝てしまうなんてな…驚いた」
身体を抱え上げてベンチに横たえる。寝返りを打った彼女の顔は見えなくなった。
「さて、どうしたものか……」
何をすべきだろうか。
シテロと共に昼寝するのも悪くないが、それではここに居る意味が無いというもの。
「…と、そう言えば今の相対時間はどうなっているんだ?」
しかし何をするのにも、ここでは把握しなければならないことがある。
外の世界と変わらない時間が流れるように変えたと記憶しているが、念のために一度確認しなければいけない。二倍の時間が外で流れでもすれば、大幅な時間のロスになってしまうからだ。
もしあまりに待たせ過ぎてバアゼルの機嫌でも損ねたら、どれ程の蜜柑を要求されるのだろうか。蜜柑さえ積めば許してくれるような悪魔というのも首を傾げるものがあるが、いずれにせよ怒らせないに越したことはない。
『ただ今の相対時間は外界に等しい』
相変わらず理系な発言が植物よりもたらされる。
外界と時間が等しいのならば、変に長時間過ごさない限りは大丈夫そうだ。
「んーっ」
何となく伸びをしてみる。
空気が良く、開放感のある空間だと何故だかしてみたくなる伸びーーー覚えのある人も居るはずだ。
そのまま体操へ。体育会系の人種ではない弓弦だが、ふと体操をしたくなるーーー覚えのある人も居るはずだが、若さが無いとはいってはいけない。
「一、二、三、四…ん?」
体操の最中、柔らかそうな土の外れに生える小さな草を見付けた。
チラホラと不規則に生えているようだが、雑草だろうか。
「…んん…?」
近くで見るが、どうにも雑草にしか見えない。
確か以前居た世界で似たような雑草を見た気がする。同じ種だろうか。
「どれ…雑草でも抜くべきか? 軍手軍手……」
土弄り用の軍手を探す。
「…と、あった」
花壇の端に置かれたバケツにそれはあった。
「してろ」と書かれた白色の軍手に手を入れようとしたが、流石にサイズが小さいか。
「俺のは……っと」
一瞥したところ自分の軍手が見付からなかったので、試してはみたがやはり完全には着けられない軍手を元の場に戻し、視線を左右へ。
前回はあったので今回無いということはないはず。大方見落としでもしているのだろうと思い、具に周囲を探す。
花壇、泉、ベンチ、そしてシテロ。
一箇所ずつ観察していくと、ある一箇所で白いものが見えた。
「……っ」
すぐに視線を外す。
シテロのアレは見てはいけないものだ。彼女の体型に合うように縫ったのは弓弦自身だが、実際に着けているのを見ると、妙にいかがわしく思えてしまう。「下着の価値は、着けている人によって左右される」ーーーそんなどこかで聞いたような言葉が過ぎった。
「はぁ…。俺の軍手…どこだ?」
シテロの軍手以外の白い物質は、彼女の胸元以外のどこにも無い。
これは困った。別に素手で植物を掴んでも良いのだが、爪で茎等を傷付けたくはないので軍手が必要なのだ。
このままでは土弄りが出来そうにないので困ったものである。
「おーい、軍手さーん」
返事をするはずがない物に声を掛ける。
当然何も返ってくるはずがなく、弓弦の声だけが周囲に響く。
「軍手さんやーい」
だから何故呼び掛けるのか。
弓弦の声だけが再度周囲に響いた。
「…仕方無い。シテロの使うか」
このままでは単なる時間の無駄でしかない。なので仕方無く自分のサイズよりも一回り小さいシテロの軍手を、少々強引に着けて雑草を抜き始めた。
根を千切らないように丁寧に土から引き抜いて、花壇の外へ。
雑草抜きは地味な作業だが非常に大切な作業だ。これを欠かしてしまえば花壇は無法地帯となり、本来注がれるはずの栄養が雑草に奪われてしまう。十分な栄養を作物に与えるためには欠かせない作業だ。
「これは雑草。これも…雑草っと。これ…? …ううん…中途半端な位置に生えてるな。雑草…なのか?」
端に生えていて、いかにもな雑草と分かる草ならば迷わずに引き抜くことが出来るが、植物の茎と茎の間に生えているものーーーとなると、非常に迷うところだ。
「んん…抜くべきか? 抜かないで置いといた方が良いのか? …抜いて大事な草だったらシテロが悲しむしな…止めと「ユール?」」
すぐ背後から聞こえた予想外の声に、思わず身が強張る。
そしてーーー
「…あ」
見事引っこ抜いてしまった。
「わっ、すまんシテロ! 雑草っぽくないこの草抜いてしまったんだがどうすれば良い!」
ブチブチという音がしたことから、根が千切れてしまったのだろう。もうこの草を戻す方法は無い。
せめて雑草であってくれと、恐る恐る彼女に差し出すが、果たして彼女の反応はーーー?
「……」
言葉が来ない。
謎の、しかし恐ろしく痛い程の沈黙に俯いた状態で引き抜いてしまった草を掲げている弓弦は、恐る恐る顔を上げていく。
「ユール……」
シテロの眼が、据わっていた。
これは、危険だ。果てしなく危険な瞳で、最悪逃げ出さなければ命が危ぶまれる瞳だ。
「悪かったっ、この通りだ!」
再び頭を下げて謝罪の意を示す。
彼女は緑を兎に角愛している。またここにある植物は、彼女がどこからか調達し、丹精を込めて育てているものなのだ。全力で許しを請わなければ許してもらえないようで、弓弦は冷汗を掻き始めていた。
「……」
無言の圧力がもたらされる。
相当に大切な草だったのか、とんでもないことをしてしまったのではないかと考えが巡った。
「許してくれっ、詫びの気持ちとしては何だが、な、何でもするから!」
「何でもするから」は所謂最終手段の一つである。
知影達の下でこの言葉を用いることは、自殺行為であり、用いてしまえば最後、何を言われるか分かったものではない。
男として、自分から一度言ってしまった言葉を撤回するというのは憚れるのであまり用いたくない手段だが、シテロならば安心だろう。身や、貞操の危険に陥る可能性は皆無に等しいはずだ。
「…何でもする?」
「…。あぁ」
何故だろうか。嫌な予感がした。
落ち着かなければならない。シテロなのだ。あの天然娘のシテロ、頭の中が緑で一杯のシテロなのだ。身の危険など、及ぶはずがないのに。
「…美味しそうなの」
「…は?」
素っ頓狂な声と共に顔を上げると、彼女と眼が合った。
「美味しそうなの…食べさせてほしいの……」
最初は草に対して美味しそうと言ったのだと思った。
しかし彼女の視線は草ではなく、それを持つ人物に対して向けられているような気がした。
「…もう我慢出来ないの」
そう、彼女の視線は間違い無く弓弦に向けて注がれていたのだ。
「ッ!?」
肩を掴まれた。
動揺する弓弦の視界でシテロの顔が迫る。
一体どうしてシテロがこうも肉食になっているのか。そこには理由があるはずだ。
「(これか…っ!?)」
すぐに思い至った。
手に持つこの謎の草、これが原因なのだろうかーーー?
「いただきます…♪」
「ぐっ!?」
考えは強制的に中断させられた。
体勢上、当然としてシテロの豊満な胸が圧迫を掛けてくる。
美女の果実。並みの男なら喜ぶ状態だがしかし、弓弦にとっては単なる凶器だ。
彼女がやろうとしていることが分かると、弓弦は顔を青くした。
「ふ〜」
吹き掛けられる息の向かう先は、弓弦の犬耳。
「うっ」
背中に走るものがあった。
むず痒いような感覚に、身体が勝手にビクンと動いた。
彼女の顔の接近は、至近距離になっても止まることはない。
弓弦の眼が泳ぐ。この先に待ち受けるである光景は、間違い無く一つだ。
「はむ…はむ…あむ……」
そして、犬耳がとうとうシテロの口の中に入った。
柔らかい唇と、微かに触れる歯の硬さが吐息と共に犬耳を食べていく。
「ぅ…ぁ…ぅぅ…っ」
シテロによって犬耳が犯されていく。
一噛み毎に感度を伝える信号が強くなり、意識を霞ませる。
頭が、回らない。大き過ぎる情報に、思考がそれ以外の情報処理を拒んでいるかのように。
何とか耐えようと、彼女の服を掴み、歯を食いしばった。
このままでは彼女のされるがままにされると、頭の隅で危機感が過りはした。だが、もう何も考えられない弓弦は、自分の身体を駆け巡る甘い感覚に堪えるので限界だった。
どうしてこんな目にばかり遭うのだ。
一様に誰も彼もが人の犬耳ばかり攻めて、人の頭を混乱させてくる。こんなことばかりでは身体が保たない保つはずがない。
「(どうしてこう…なっ…たぁ…っ!)」
果実由来の酸素不足と、犬耳由来の自失への誘い。
弱点を持ち、執拗にそこを狙われる魔物の気持ちが分かるような気がした。
天国のような地獄が天国に変わった瞬間、ヒトは堕ちるのだ。人間もハイエルフもそこに違いは無い。
弓弦は戦った。二種類の快楽を相手取り、自らの意志をもって。
「はむっ」
「ぅっ…っ!? はぁっ、はぁっ」
だが、勝てるはずがなかった。
「は〜むっ♪」
コリ、コリコリと甘嚙みされた犬耳から流れるのは、この日一番の快楽の電流。
頻繁に彼自身が止めとして某女性に行う刺激は、同じ魔力が流れるがための因果なのか。彼自身への止めとしても、有効過ぎた。
「ーーーっっ!?!?」
弓弦の眼がキュッと閉じられ、身体が大きく跳ねた。
息が詰まり、声にならない声が上がる。
力が入らなくなった身体はシテロの拘束から離れ、地のベッドに横たわった。
「…ぁ…ぁぁ…っ」
仰向けの体勢から見える空は青い。澄み渡る水の流れのように、青い。
「…あ、は…は……」
たかが草一本のはずが、されど草一本だったか。
後悔するも既に時遅く、荒くなった息を整えている彼の手から、引き抜いてしまった草が落ちる。
「…はっ!? あっ、やってしまったの!!」
近くでシテロが我に返ったようだが、もう少し早く戻ってほしかった。
自分のしたことを棚に上げるようでアレだが、人をこんなにした責任を取ってほしいところだ。
なので弓弦は潤んだ瞳そのままで、シテロに抗議の視線を向けた。
「ユール、ユール違うのっ。これはこの緑の仕業なのっ」
シテロは弓弦が引き抜いた草を手に取る。
「これは『美味し草』と言う草の所為なのっ。『美味し草』の成分の『チョウコレパナーイ-S-オイシケド』がっ」
慌てているのだろうか。言語がどこかの国の言葉のようになっている。
『美味し草』に、『チョウコレパナーイ-S-オイシケド』ーーー突っ込みを入れる余裕は無い。
「『チョウコレパナーイ-S-オイシケド』がユールの犬耳に一杯付いちゃって、凄く美味しそうな雰囲気を出していたから我を忘れた私も悪いけど、でも、一番悪いのはこの『美味し草』なのっ、ユールの犬耳を美味しそうに見せちゃった『美味し草』が諸悪の根源なのっ」
少々、アレだ。解説が欲しい気分である。シテロの言葉が一切頭の中に入ってこなかった。
意識はある。ハッキリとしているはずだが、どうにも夢見心地の感覚が否めない。身体は動くのに頭が寝惚けているみたいだった。
「ユールの犬耳…‘元からはむはむしたかったけど’…攻めちゃったのはっ、だから、『美味し草』の所為なのっ。でも私も悪いの…全部『美味し草』の所為にしちゃ駄目。私も悪かったの。…
あっ、許してほしいの! 何でもするからー、なのっ」
後半の台詞は何か閃いたらしく、得意気に言ってみせる彼女。
「何でもする」よりかは、「○○をさせて」と言ってくれた方がお願いをし易いのだが、それは無理な話であろうか。
欲に塗れた、所謂下衆なお願い事をする訳にもいかない。なので弓弦は回らない頭を懸命に回しながら、一つだけ思い付いたものを彼女に伝えた。
「…む〜」
「ボ〜っとさせてくれ……」との頼みに対するシテロの反応が、これだ。
少々不満そうに見えるが、きっと回らない頭が無理に弾き出した様子の感想だとし、勘違いとするのだった。
「ちょっっと待ってくださいまし」
「ん? 何だいリィル君」
「何故説明と言わないのですか。言えば例え地の果てまでも参上しますのに」
「雰囲気打ち壊しちゃうからね。あの番組。それに君よりも適任の子が居るからだよ」
「博士! 私よりも適任の人なんて居ませんわっ! 説明と言えば私、私と言えば説明。説明は、私のためにあるような言葉ですのに、どうして使わないのでして!?」
「君のためにあるような言葉だから使えないってこと、分からないのかい?」
「出番欲しいですわっ!」
「君はヒロインじゃないからね」
「はい?」
「いやだから、君はヒロインじゃないから」
「…歳のことが言いたいのでして?」
「そんなことは一言もぶぐぉっ!?」
「じゃあ胸のことが言いたいのでして!?」
「だから一言もうぐぉぁっ!?」
「…どうやら本格的に殴られないと気が済まないようですわねぇ。でもその前に。『ぅぅ…ユールに悪いことしちゃったの。だってユールの犬耳モフモフしてて…はむはむしたらユールが可愛くなるから…ズルいの。何か…ズルいと思うの。む~…。気を取り直して緑のお話しないといけないのーーー次回、覚えろ弓弦! トゥメイトにキューリ!!』ぐ~~るぐ~る♪ …ですわ!」
「今だっ」
「あっ、お待ちなさい、博士!!」