交差する糸と糸
彼には、驚かされてばっかりだわ…。
「…どうかしたか?」
「…何でもないわ」
私達ハイエルフには、他の種族には使えない──言わば種族特有ともいえる『幻属性』の魔法が使える。また同時に生まれながらにして、世界に流れる魔力を「視る」能力が備わっている。
それが、妖精の瞳。生物に用いれば、対象が使える魔法属性と、行使する魔法の種類が視分けられる能力。
それを使って彼を視ると、にわかには信じ難い光景が視えてしまった。
「ちょっと動かないで、そして待ってて」
「あ、おいっ。」
驚きのあまり、奥の部屋の棚から人間についての文献を出して彼と照らし合わせてみる。途中足が覚束無くても、椅子や壁を支えにして彼の下に戻った。
「うわ…凄い分厚さの本だな…」
今のが私の視間違いじゃなければ、ユヅルは空間、光、火、氷…風…そして支配の魔法属性を持っていた。
──文献によると、人間は例外無く一属性の魔法しか使うことが出来ない。他の種族は──勿論エルフ等の妖精と呼ばれる存在も含まれるけど、複数の種類の魔法を使うことが出来る。
種族で使える魔法の種類、数に一つの個性があるけど、それが一般的。例外が居る場合もある…とは書いてるあるけど。
でも、例え例外に位置付けられる才能持つ存在だとしても。
…彼は基本属性の他に、特殊属性を二つも持っている。
六属性もの魔法を扱える…正直信じられないわ。
ハイエルフでも、ここまでの属性が使えれる人は殆ど居ない。
彼って本当に人間なのかしら? …それとも、私の眼がおかしいだけ。
「…そんなに見られると…照れるな……」
一応念のため、私自身も視てみる。
──火、水、風、地、雷、氷、光、闇の基本属性と種族特有の幻属性を持ってるのはこれまで通りだけど、
「(……どうして支配属性が)」
そこに支配属性が加わっていた。
どうしてなのかしら?
倒した悪魔の属性を得てしまった…なら、これは討伐報酬のような一種の恩恵なの? 本当に? 説明は出来なくないけど、説明出来るのは、他に考えようがないからで。
「(…ゴクリ)」
私にも宿っている支配属性の魔法…。
試してみる価値は、あるわね。
「……ユヅル」
「ん?」
好奇心が身体を動かしている感覚。
気絶しない直前まで魔力を使って、魔法陣を展開した。
『汝の心、言霊にて縛らん。さぁ…従ってもらおうかしら?』
魔法陣から解れた糸が、ユヅルの身体に入っていく。
「…? フィーナ!? 何を──」
驚愕に彩られたユヅルの表情。
してやったり。諸々の仕返しも兼ね、私は支配魔法を発動させた。
『マインドケッテ』
“マインドケッテ”。
対象の精神を拘束して使用者の支配下に置く魔法。
簡単に言ってしまえば強力な催眠術に近く、この魔法に掛かってしまった者は発動者の命令に逆らえなくなる──それがこの魔法の効果。
私が、あの悪魔に掛けられた魔法だった。
「ユヅル」
「……………………」
ユヅルは俯いたまま、虚ろな瞳で沈黙している。
「(…効いたわね)」
体感したからこそ分かる、確かな手応え。
今ユヅルに、自分の意識は無い。
操られている時に私の意識があったのは、辛うじて行った抵抗が効力を弱めていただけ。
どんなに弱っていても、私の魔法はそう簡単に人間が抵抗出来るものじゃない。
さぁ、どんなことをしようかしら…ふふっ。
まずは簡単な質問から…!
「ユヅルは、何のためにこの時代に来たのかしら?」
この魔法、実に多くの用途がありそうだわ…っ♪
どう答えるのかしら? そして次はどんなことを訊こうかしら?
何だか新しい玩具を見付けた気分。凄く楽しいわ♪
「黙れ」
「え?」
楽しい…わ…?
「黙れと言ったのが分からんのか? 雌犬風情が」
ユヅルの様子がおかしい。
眼付きは鋭く、私を見下すように高圧的。
まるで人が変わったように、野生的な雰囲気を纏っていた。
「ユ…ユヅル…?」
“マインドケッテ”…使用者の支配下に置く魔法ではなかったの?
魔法は発動して、彼は私の支配下になったはずなのに…どうして?
「め、雌犬って何よ。確かに私達の耳は犬耳みたいな形をしているけど……」
「チッ、何突っ立ってる。犬は犬らしくお座りでもしておけば良いものを…」
し、舌打ち…っ!?
今、舌打ちされた? どうして私、舌打ちされないといけないの…。
「ユヅル…?」
突然の出来事に、足の力が抜けてしまう。
腰にも力が入らず、立ち上がれない。
不自然に胸は弾むし、意識が眩む。
もしかしなくても、体力の限界が近付いている。分かってはいるけど、上手く言葉が出てこない。
「犬の分際で人の言葉を喋るな」
腕組みをしたユヅルの表情は、言葉程に険しくはなく──寧ろ無表情。
冷たく、浴びせている罵詈雑言を何とも思っていないような表情。
その冷え切った眼を見上げていると、背筋がゾワリとした。
「え…わ、わん?」
な、何なの…。お、おかしいわね…。
でもこの魔法の効果は間違っていない。対象を意のままにする魔法のはず。
なのに、どうしてこんな……っ。
「フン…犬らしい良い返事じゃないか」
あくまで犬並みの存在として扱ってくるユヅル。
私の前でしゃがむと、相変わらずの視線で私を見詰めてくる。
嫌な予感がした。
それは彼に関するこれまでの経験と、彼が発した言葉に対する謎の既視感が警鐘を鳴らしている。
もしこの既視感が確かなら、次に彼はとんでもないことを言う。これは予測でも何でもなく、決められた事実。
これから彼が言う言葉は、決まっていた。
「良いか、お前はこれから一生俺の犬だ、俺だけの雌犬だ、俺がお前のご主人様だ…分かったか?」
「…っ!」
そ、そうよ…やっぱりそう。聞き間違えるはずがない。
この台詞…ユヅルに読まれてしまった「あの本」一巻の、最終項の台詞。
一人が寂しくて落ち込む妖精に、不器用な人間が不器用ながらも愛情の裏返しである冷淡な態度で想いを伝えるシーンの…。
……それをどうして彼が…。
「ユヅル…あなたまさか」
…いいえ、違うわ。
だって彼…夢で見せた地図の文字を読めていなかった。だから、私達の言語で書かれた書物を読めるはずがない。
じゃあどうしてこの台詞を言えるの…?
それに待って、この後の台詞って確か…!
「ふむ…雌犬には雌犬らしく見えるよう、首輪が必要だな。それに名前も…そうだな、ポチ。…あぁいや、それでは全国(?)のポチに失礼だ」
「う…」
「フィリアーナ…フィーナ…フィー、ナ…フィー…? あぁ、これ良いな。よし、これからお前の名前は“フィー”だ」
所々改変されている台詞の数々。
後半の部分は、物語の主人公の名前が呼び易いように変えられていたけど、その人物の名前は私とは違う。
それは、私がとある夜のこと。月夜を眺めながら暇潰しで考えてみた台詞だった。
ほんのちょっとした出来心。でも私の中で、確かにそんな言葉を掛けられたい欲求はあった。
信頼出来る人に、心を寄せる証としての愛称。
私という存在を独占してほしいという欲の表れとしての愛称で。
そんな欲求を見透かされているようで…胸が苦しい程に騒々しい。
「…っ!?」
──いいえ、何を考えているのよ私。
駄目よフィーナ、あなたは変態じゃないのよ、変な趣味なんて持っていないわ。
確かに少しカッコ良くて少し可愛いごしゅ…ん゛んっ、人間だけど駄目よ、相手は人間。
人間は駄目。私の天敵、仇。
でも、ユヅルは…一応命の恩人。人間だけど、恩人。
だけど…だけど…っ、本当に何かに眼覚めてしまいそう…っ。
「首輪は…そうだ」
ユヅルが指をパチンッと鳴らすと、指の先に小さな空間の穴が開く。
空間魔法…好きな物をどこかから取り出すと言った魔法みたい。
彼はそこに手を入れると、シンプルな茶色の首輪を取り出した。
良い首…っ、便利な魔法ね。
ユヅルは首輪の留め具を外すと、私の首へと腕を伸ばしてきた。
「ちょっと…っ」
「動くな」
強い語気。
たったそれだけで、逃げようとした私の意思は砕かれてしまう。
身体が命令を受け付けない。まるで彼の言葉に従っているかのように。
「ぅ…」
外された留め具が、程良く私の首周りを閉ざす。
私はされるがまま。首輪に首筋を微かに締められ、生じた圧迫感と屈辱感が良い感じな刺激に…っなってしまう訳ない…はずなのに…。
「フン…よく似合っているぞ雌犬」
思わず、胸を押さえてしまう程に苦しくなる胸。
誰かに──その中でもユヅルに強く求められていることに、どうしようもなく幸せを感じている自分に、気付いた。
気付いてしまった。
「わ、わん…♪」
「返事も良いじゃないか。物分りが良い奴は嫌いじゃない」
頬が、口元が──緩む。
「ふふ…っ」
思わず、笑みを零してしまうのが抑えられない。
ユヅルに褒められている私は、きっと人に見せられないような酷い顔になっている。そんな思いが、両手で顔を隠させた。
この後、自分はどうなってしまうのか。
少しの不安と、それ以上の──期待。
「(…あ)」
そこで、重要なことに気が付いた。
まるで突然水を被せられたように、熱が収まっていく。
「はは、後はじっくり調きょ……ん、んん? 俺は何を…?」
気付いてしまったのだ。
魔法を発動したのなら、発動を取り消せば良いことに。
「確かフィーに何かの魔法を掛けられて…」
ユヅルは正気を取り戻したみたい。
右手に持った鎖に眼を遣り、不思議そうに見詰めた後。
「何だこの鎖?」
グイっと引っ張った。
途端、首が圧迫される。
「きゃんっ!?」
首が軽く絞まると、身体に電流が走ったような気がした。
堪らず立っていられなくなり、崩れ落ちてしまう。
「(何…この感覚…っ)」
胸の鼓動が騒がしい。
無性に切なくなって、息をするのも苦しかった。
…私もしかして、アレな趣味を持っていたり…するの? それとも、疲れ過ぎているあまり神経がおかしくなっているかしら。
だって普通…こんな感覚は感じない。
日常的に感じていたら、おかしくなりそう。
でも問題は、別のこと。
ユヅルの意識が戻ったと言うことは、魔法が解けたと言うこと。解けたと言うことは…魔法は発動していたと言うこと。
つまりご主…ユヅルは魔法を掛けられてからずっと、私の支配下に置かれていたってことになる。
じゃあ、これが意味することは何?
「(もしかして…でも…っ、そう言うことになるのよね…きっと)」
意識してしまうと、不思議と腑に落ちてしまった。
「な…!? その首輪…! と言うかこの鎖…ッ!? まさか俺、無意識の内にフィーを…? いや少し待て! 待ってくれ! その首輪、すぐに外すから…」
…そうなの? 私本当に…そう思っていたの?
つまり…支配魔法で彼に命令したことは、私が無意識の内に彼にしてほしかったことで……。無意識があるとするなら…だけど。
でも…認めてしまった途端に、心が軽くなった気がする。
「(…っ、そうよ…)」
自分の心に嘘を吐くのはいけないわよね。
それにこの人…ユヅルは、命の恩人になるもの。人間とか、ハイエルフとか関係無く、命を救ってくれた恩人に想いが向く…そんなことも、きっとあるわよ…。
…。何か違うような気がするわ。でも……。
「……。このままで…良い…ですか?」
これは、良い切っ掛けかもしれない。だから、
「…は?」
首輪に向けて伸ばされた手を、優しく留めさせる。
首輪は兎も角、いい加減人間を嫌うのも…どうかと思うから。
…悪魔は、斃れた。復讐は、終わった。
私ももう十八歳。そろそろ大人にならないと…。
「このままが…良いです……」
大人の階段…よりは別の階段を昇ってしまったような気はするけど、この感覚…悪くないわ。
「え? フィー? あれ、なんで俺フィーナのことフィーって…じゃなくて!! どうしたんだ急に!?」
あぁ…何だか開き直ってみると、見方が変わってくる気分。
眼の前に居る戸惑っている彼が、可愛らしく見えてくる。
「“フィー”と呼んでくださって結構ですよ?」
ユヅルは口を、あんぐりと開けた。
全く話に付いてきていない様子。そこがまた、可愛らしい。
「…折角ご主人様が私に与えてくださった名前です。それに呼び易くて、愛着も湧くと思います。フィリアーナという大切な名前はありますけど、ご主人様だけ特別に許可しますよ?」
「いや許可って…は!?」
正直なところ、『フィリアーナ』でも、もし他の名前でも良かった。
けど何よりも大切なのは、私と言う存在を彼に──ユヅルに意識してほしかった。
押し付けがましいのかもしれない。でも…それでも彼にとって特別な存在になりたいと思ってしまった。
心が、強く思っていた。
命を救われ、支えられ──そんなことをされていく内に、彼のことを知りたいと思ってしまった。
「まるで頭が付いていかないんだが…っ!」
ユヅルは頭を抱えながら唸っている。
今にも湯気が出てきそうな程に苦しそう。
「ご主人様…こんな私…変でしょうか」
自分でもこの変わり様は変だと思っているわ。
だけど、きっとこれが本来の私だったのかも。
それまでずっと、復讐一筋に生きてきたから…。
「そうだな…だが…アレだ」
だから、何となく分かる。
この人の中には、どうしても譲れない想いがある。そのために、彼は生きている。
行動原理、理念。どんな冗談で飾っても、心は誤魔化せない。
もし私が食事をご馳走してなくても、この人は私を助けてくれた。
この人が私を助けてくれた理由の根源は、たった一つ。失うことの怖さを知っているから。
とても大切な人を何人も…それだけじゃない。本当に多くのモノを失って、この人は未だ癒えない傷を抱えている。
だから、ゆっくりと。傷を癒やすために、乗り越えるために生きている。
だからこそユヅルは、誰かのために優しくなれるのね…。
自らの命を天秤に掛けても、守りたいと思えたモノを守ろうとする──そんな素敵な人。
ふふ、とても可愛いじゃない。
「可愛いと思うぞ、うん」
「えっ!?」
かっ、可愛い…っ!?
「ご主人様…っ」
どうしてかしら…凄く、凄くくっ付きたくて仕方が無い。
不思議と身体が動いて、ユヅルの肩を掴んで座らせた。
「…ゆ、ユヅル…っ、ご主人様…」
床の上で。
ご主人様の身体に寄り添い、そっと体重を預ける。
その温かさを全身で感じながら、瞼が重くなっていく。
「あ、あら…? ははは」
生命を助けられた。
今こうしていられるのは全部、この人のお蔭。
救われた命…。恩返しの言葉で片付けられたくはないけど、この人の恩返しに私も恩で返そう。
この人が困っている時に、誰よりもこの人を側で支えてあげよう。それが私の恩返し。
そして……
「……どうしてこうなった」
「ふふっ」
「…どうかしたか?」
「いえ、何でも…あ、ありました」
一つだけ、これまでの仕返しをして。
「ん? むぐっ」
柔らかな感触を、心から楽しむ。
「ふふふ、お返しですよ♪」
好奇心が、あった。
私はこの人のことを、もっと知りたい。
穏やかな春のように温かく、だけどもどこか小さくはない傷を抱えているこの人のことを。
そしてこの胸の高鳴りの意味を、知りたい。
もし“そう”なら、この人と──交わしたい。
「〜っ!?」
──『エルフの契り』を…いつか、この人と。
この人なら…私は…。
「…な、何だいきなり…驚いたじゃないか」
「ふふっ、ご主人…様♡」
私は今、幸せを感じている。
生きていることが、幸せ。
皆の敵を討てたことも、勿論幸せ。
でも、何よりも幸せなのは──
「…はぁ、参ったな…」
──こんな素敵な人と、また出逢えたこと。
「えぇっ!? 何で…何でいきなり、即、女の子を落としているの!?」
「ふぁ…朝から騒々しいな。知影殿、どうされたのだ?」
「これ見てよこれ!!」
「む…。どれ…何だこれは?」
「読んで!!」
「……。『弓弦が世界を救った一方、知影達が過ごしていたのは、南国日和な砂漠の国。日々をのんびり過ごしていた彼女達が居る国に、砂煙を立てる隊員靴。肩に担がれた大剣が、灼熱の太陽を照らしている。異世界の地を一人で往く中、出番を飛ばされた一人の男がフラリと立ち寄る──次回、商業王都カリエンテ』」
「決め台詞も、どうぞ!」
「き、決め台詞!?」
「ほらほら♪」
「む…なら…ん゛んっ! …次の話も、捉えたぞ!」
「おぉ…」
「…こ、これで良いのか?」
「……意外と乗り気だったし、何だかカッコ良いし…。もう少し恥ずかしがっても良いと思うなー」
「…知影殿は、良い性格をしているな」
「褒めても何も出ないよ?」
「……ぬぅ」
「…んー、じゃあユリさんを弄ったし、散歩にでも行こうかな」
「…私を弄るのは朝の日課なのか」
「あ、弓弦の服見〜っけ。るんる〜ん♪」
「…何と自由な」