闇色のカオリ
エレベーターを降りること数度。
開けられた扉の先に居る人物を見付け、ガノンフとスートルファは口をあんぐりと開ける。
何とも不思議な姿だ。扉を開けたレティナは呆れ、デイルは眉を顰めた。
「…姫様…お美しくなられて……」
「…あのままですとレティナ二号になるとまで言われた姫様がんっ!?」
鉄拳一発がスートルファの頭に下された。
「…悪かったわね…!!」
「…っ」
ギラリと擬音が聞こえそうな鋭い睨みが、もう一名にも。
射殺すような瞳だ。これ以上の刺激は危険である。
「久し振り。スートルファ、ガノンフ。…これであの時の五人が揃ったのね……」
話を変えようとフィーナは、感慨深いことを語る。
理由はどうであれ、懐かしい面々に会えたことが嬉しかった。四人共が、死別した頃の姿で現れたのだから。
「我々としても、つくづく感慨深いですなぁ。姫様の成長をこうして、四人で眼にすることが出来た訳ですから」
「(それ一人の時にも言ったじゃない…と言うのは藪蛇かしら)…恥ずかしいわね」
「うむうむ。それで…そろそろ紹介しても良いのではないですかな? 彦様とのこと」
四人が集まった。
つまり、これまで何かと先延ばしにしてきた弓弦との馴れ初め話に移行することを意味している。
「爺に彦様のことをあれだけ雄弁に話されたのだ。よもや、ここに来て先延ばしにされるとは思いたくないのう」
「一体何を話したっ」と語る視線を横から受けながら、彼女は四人を見るが、向けられる眼の輝きが尋常ではない。
いかにも、訊きたくて仕方が無いとしている様子に恥ずかしいものを覚える。
話しても良いけど恥ずかしい。
しかし、自分から言うのは嫌だ。どうしてもと言われるのならば、言わないこともないーーーそんなもどかしさと戦った結果。
「…あの子が帰って来る前までなら話さないこともないわ」
仕方無しとばかりに折れた。
だが帽子の中の犬耳が興奮に荒ぶったのを弓弦は見逃さない。
「えっと…そうね……どう…しようかしら」
弓弦にどこから話すべきか相談したい。が、彼のことを本人の前でどう呼ぶべきなのか悩みどころだ。
普通に考えれば「ユヅル」だ。デイルの前でもそう呼び、以前人前では「ご主人様」とは呼ばずに話すことを決めたのだから。
しかし本人を眼の前にすると、どうしても「あなた」という言葉が口を衝きそうになる。どうしてそんな悩みを抱いているんだとツッコミを入れてしまいたくなるが、彼女にとってはそれなりに切実な悩みになっていた。
「…?」
彼女が困惑している様子に弓弦が微かに首を傾げる。
「俺とフィーの出会いからで良いんじゃないか?」
少しの思案の後どうにも、これといった理由が思い付かなかったので取り敢えず話を進めてみることに。
「フィーですって?」
「フィーですか」
「フィーか」
「フィーとな」
視線が生温かい。
呼び方一つでこのような反応をされるとは恐ろしいもので、フィーナの顔が赤くなっていくのが面白い。
弓弦といえば、これまた彼女の反応の珍しさに面白そうな視線を向ける。
「でもそれはもうデイルにある程度話したのよ。…ユヅルが私の水浴びを覗いた時までね」
「それは懐かしいと言うか…まだ根に持ってるのか。…覗きたくて覗いた訳じゃないけどなぁ」
「…結構な言い草。拗ねるわよ、もぅ」
「一応事実だ。前に言ったような気がするが、変に誤魔化さなかっただけ褒めてほしいぐらいだし…な。ま、拗ねないでくれーーー」
フィーナが言って、弓弦が返して、時折二人で納得する。
そんな遣り取りが繰り返されていく内に、時は静かに流れていく。
バアゼル討伐の話になった時は盛り上がったものだ。
共倒れを図ろうとした当初の話こと、結果的として今は丸く収まっていることに呆れた表情をされた。
楽しそうにフィーナも弓弦も話した。
契りを交わした夜の話になると、流石に弓弦は照れ臭そうに外を見ていた。
肝心な言葉はぼかされていたが、フィーナ視点での話を聞いていた彼の脳裏には。
二つの月、檜の香りに彩られて。美しさを、女性らしさを纏いながら包容してくれた女性の温もりが、あの晩の告白が複雑に反響していたのだ。
『にゃはは、罪にゃ男にゃ。フィーニャにばかりそんにゃ姿見せて、他の女の子の前ではどうするつもりにゃのか』
そして。クロの言葉に弓弦が閉口したために、二人がそれぞれ話し合う形で語っていた内容に当然の変化が現れていく。
「まさか指輪を渡された時は驚いたわ。一週間かしら? 部隊の任務で外出していた時にお土産で用意していたみたいでーーー」
フィーナによる独壇場がいつしか形成されていた。
次から次へと良く話が出てきており、良くも話のネタが尽きないとものだと一同感心する。
もっとも、喋っている本人は引っ込みが付かなくなっているだけだ。いつ止めようかタイミングを探っている彼女は、レティナが死にそうな顔をしているのを見て話を中断した。
『…弓弦、弓弦。しっかりするのにゃ。これからのこと考えての現実逃避にゃんかせずに戻って来るのにゃ』
「‘…はっ!?’」
弓弦、帰還。
「…コーヒーでも入れようと思うが、誰か飲みたい人は?」
挙手される手は四つ。
「だろうな」と内心苦笑しながら弓弦は席を立った。
「…そう言えばイヅナ…帰って来ないわね」
代わりに話はイヅナのことに移行した。
日が落ち、夜の帳が街に下りているのにも拘わらず、少女の魔力は依然として外から感じられる状態だ。
夕方までには帰って来るように伝えられている彼女だが、今頃どうしているのだろうか。
「ん…そうだな」
コポコポと、カップにコーヒーが入れられる音と、香ばしそうな香りが部屋に広がっていく。
「魔物と戦っていたみたいだし。一回帰って来たのかなと思ったら離れて行った…街で何をしているのか気にならない?」
「ん…気にならないことはないな。帰って来たら本人に訊いてみたらどうだ? 『お散歩』って答えが返ってきそうだけどな」
角砂糖を溶かして混ぜてから机に並べていくと、席に着く。コーヒーを入れている傍ら流し台に置いてあった券を手に取ったので、もう少しで食事に出るつもりのようだ。
「ありがとう。そうよね…はぐらかすに決まってるわよね、あの子は」
コーヒーを傾けながら溜息を吐く。
イヅナにグレられてしまった気分でどうもやるせない。
まったく誰に似てしまったのやら。
「…何故俺を複雑そうな顔で睨む」
「…何でもないわ。…で、大体のことは話したと思うのだけど。皆、他に何か訊きたい話はある?」
「何でもお訊かせくだされい。姫様の話ならばこの爺、幾らでも歓迎ですぞ」
「私もよ、姫様」
「俺も…だな」
「このまま訊きたいです」
全員一致だった。
一人ぐらい、もう十分だと言い出す人が現れても良い頃合いには話したつもりである。そのためこの返答には驚かされた。
本当に珍しいものだと思ったが、暫く会わないと沢山話を訊きたくなるものなのだろう。
微笑ましそうに見られるのは恥ずかしくて、あまり良い気はしないが、期待されていて話さないというのも良い気はしない。
「…ヤケに訊きたがるなんて物好きよね、皆。でもその前に、今度は皆が話して。…色々なこと」
だがそのまえにフィーナとしても、四人に訊きたいことがあった。
そもそもどうして今に生きてるのか、生きていたとするのならば、どうして今まで隠れていたのか。もしそうではないのなら、どうやって今に居るのか。
後者ならば、思い当たる節が無くもない。実行出来る方法こそ定かではないものの、不可能と言い切れる方法ではないものが。
「…。それはもう少し後で話すとしましょう。それよりも姫様、もう少し爺は姫様と彦様の話が訊きたいですぞ」
「…でも、デイル…。これは私としても退けない話よ。疑問点を前にして、長々と放っておく程注意散漫じゃないの」
「姫様…。いいえ、まだ姫様の話が先ですぞ。さぁさ、この老ぼれと仲間達の言を訊き入れてくだされ」
声音こそ優しいものの、デイルの顔は真剣そのものだ。
真に迫った面持ちは、何故そうも真剣であるのか不思議な程。迫力を帯びていた。
フィーナは他の面々の表情も確認してから弓弦に目配せする。
アイコンタクトだ。更に突っ込むべきか、否か。
瞬時に返ってきた返事は、「止めとけ、無駄だろう」ーーーそんな言葉が聞こえてきそうなものだった。
「…分かったわ。でも次は何を話すべきかしら」
次に何を話すかの話へ。
弓弦はコーヒーカップを片手に思案した。
「そうだな…。さっき省いた話があっただろう。『ポートスルフ』での話だ」
カリエンテから砂漠を越え、海を渡り、東大陸へ。
その話はにはある一部分が足りない。
フィーナが意図して不足させていたのは分かっていたが、他に話すことが無いのであれば、話すかどうかの問いにもなってくる。
「ぅ……」
言わなきゃ良かったと後悔するも、もう遅い。
「言わなきゃ…駄目…?」
「さぁて、な? だが、前に進むしかないんだ。…それが本当のことに関するのならば尚更な」
コーヒーを口に含んでいる弓弦は、タイミング良くフィーナの上眼遣いが視界に入らなかった。
勿論凹むフィーナだ。何故そのタイミングでコーヒーを飲んだのか。ただでさえ恥ずかったのが、余計に恥ずかしくなってしまった。
「…ユヅルどうしたの? 何か変よ?」
「…ん、そうか? 気にするな」
妙に心ここに在らずといった様子の弓弦。
「気にするな」と言われ、更に反応以外に気になる部分も無かったので、仕切り直しとばかりに深呼吸をする。
「デイル、話しておきたいことがあるの。…ケルヴィンのことよ」
デイルの眼の色が、変わった。
ケルヴィンーーーその名はデイルにとって、特別な意味を持つ名だからだ。
ガノンフ達も息を飲んだ。
まさか、話に出てくるとは思わなかったためだ。
「ほぅ…それは、どのようなことですかな」
「…生きていたのよ。去年まで」
上げてから下げる。図らずしてそのような言い方になってしまった。
もう少し言い方を考えれば良かっただろうか。伝えている事実が伝えている事実なのに。
「ほほぅそれはそれは。アレも長生きしてくれたものですな。末期には何と言っていましたかな」
しかしデイルは、眉一つ動かさなかった。
ただ淡々と、在る事実を受け入れる姿のみがそこにある。
多くの同胞の死も、村の滅亡も、彼は嘆くことなく、ただ受け入れていた。
悲しむ表情を見せたのは、一度切りだっただろうか。彼自身の死の時。彼の最期になってようやく、彼は涙を流したのだ。
「…大して何も言ってなかったわ。人間への怒りで復讐に取り憑かれた挙句、『闇堕ち』していたもの」
「…我々を殺した人間への復讐がキーとなっての、『闇堕ち』ですか。アレも子どもだった故に仕方が無いことですな」
「…『闇堕ち』?」
非日常に身を浸らせてから、初耳の単語に弓弦が眉を顰めると、驚いたとばかりに三人分のハイエルフの視線が集まった。
「お、意外だな。『闇堕ち』を知らないなんて。姫様から教わらなかったのか?」
「普通に生活する分には必要無い知識だもの。それにこの人の『闇堕ち』なんて…本当に洒落にならないし、させないわよ絶対」
「っ」「待った! レティナ、意識し過ぎですよっ」
アンテナを張り巡らしたレティナは、些細な言葉にでも意味を見出して反応してしまうのである。こじ付けという名の意味を。
空かさずレティナを声で制したスートルファは、言葉を続けた。
「熱り立つ前に魔力を視てください」
場の空気に心なしか変化が生じた。
「こんなノリ…あったわね」と、フィーナは改めて旧知の人物達のことを思い出す。
「…あっ」
気付かされたように口に手を当てたレティナ。
「おぉ」と声を上げたのは弓弦。
今のやり取りの、何かが彼の琴線に触れたのだろう。
「分かりましたか? これ程の魔力の持ち主の『闇堕ち』…あってはならないに、決してが付きます!」
スートルファ、レティナを指で指し示す。
「きゃ、きゃぁぁぁぁぁっ!?!?」
謎の風。
スートルファの指から発せられた風魔力が、レティナの身体を椅子から転げ落とさせた。
「…『闇堕ち』…良いものではなく、危険…か」
「あぁ、危険だとも。とんでもなく…な!」
「危険ですね。彦様の場合は絶対的に」
「…そう…なるわね。ぅぅ…‘僻んで何が悪いのよ…あんなに、あんなに姫様幸せそうな顔になってるのよ? 女の顔よ女の顔…女の顔…女の顔…女の顔……’」
恨みの言葉が、ヒソヒソと。
暗く湿った雰囲気が一部分でのみ漂う中、視線を交わしたスートルファとガノンフは彼女を部屋の外に連れて行く。
「…彦様、少し付き合ってくれないか?」
「…ん、あぁ」
ガノンフに促され弓弦も部屋を出て行き、部屋にはフィーナと一頻り頷いているらしいデイルが残された。
「…ふむ。身内の不始末を片付けてくれた姫様には、感謝の言葉もありませんな」
「…。感謝…されるようなことかしら」
膝の上で拳を握り締める。
罪の無い人々を殺め、悪戯に平和を脅かしていたケルヴィンを倒した時。フィーナは、自分の取った行動が正しいと確信していた。
だが、今になってそれが分からなくなった。
デイルの顔を見て、今になって。あの時殺める以外の手段を探さなかった自分をーーー否、今になって後悔している自分が分からなくなってしまった。
だから、意図して話さないようにしていた。考えてしまえば、時既に遅過ぎる意味の無い後悔に襲われるからだ。
「姫様。我々はかつて、何のために悪魔と戦ったのですかな?」
「…え? それは…悪魔を倒すためじゃ…いいえ」
「復讐」とは言わなかった。
あの時まで“復讐”に拘っていたのは、ただ一人だけだったのだから。
これは、二百年越しの問い掛けだ。
フィーナが弓弦と出逢って、“本当に変われた”のか、その確認の。
だから今の彼女にとっては、答えられて当然の問いだった。
「…人々が助けを求めていたから。でしょ?」
「そうですな。その通り。『復讐』などと戯言を申されなくて爺は嬉しいですぞ」
ーーーそう。簡単な問いだった。
フィーナの答えはそのまま、フィーナへの答えだった。
『ポートスルフ』に住む人々に罪の無かった。だから、ケルヴィンの意味の無い復讐を止めたのだ。
どのような理由があれ、罪の無い人々を殺めることに意味があってはならないのだからーーー
「…悪かったわデイル。甘えちゃった」
「いえいえ、爺として嬉しい限り。それにこんな老いぼれよりも、お礼を伝えた方が良い者が居るのではないですかな?」
「ふふ…そうね」
フィーナの小さな迷いを見抜いたから、その人物は彼女に話を振ったのだ。
どうりでコーヒーを飲むタイミングが良かった訳である。あれはワザとだったのだ。
「立派な御仁ですな。姫様が見初められたのも、こうして契られているのも頷ける話ですぞ」
「ふふ、変に立派過ぎても苦労があるわよ?」
その人物への想いは、その苦労すら当然のように愛おしいことのように思えてしまうのだから、相当だ。
ーーー無性に抱き着きたくなってきたフィーナである。
「…元々は人間だったのでしたな」
フィーナ達は、ケルヴィンのことを除けばほぼ全てのことを話した。そこには『カリエンテ』での不思議な現象のことも含まれている。
驚きを持って迎えられたが、デイルだけは何故か得心がいっていたようである。「お導きなのじゃろう」とは本人の言だ。
「複数人の女性からも言い寄られていても、おかしい話ではないですな」
「そう。それでなんだけど…私達って一夫多妻大丈夫よね?」
デイルの眉が上がった。
「別に問題無いですな。『契り』結んだ者を本妻、それ以外の者を側室とすれば何とか」
「…その…“アレ”は起こらないわよね? 本妻にしか」
声を潜めたフィーナの目的は、それを訊くことだった。
ずっと気になっていたことだったのだ。しかし、“アレ”についての知識には今一つ確信が持てなかった。
それは「まさか」、「もしかして」の話で、可能性の域を出ない話だ。
訊ける人が居なかったので困っていたのだが、デイル達と再会出来たことによって解決する。
「“アレ”と申しますと…“アレ”ですか。起こりませんな、本妻にしか」
この話は、デイル達がどうしてこの国に居たのかという問いの、次に重要度のあるもの。
自分達の思い出話が終わり、更に一番訊きたい問いに答えてくれないのならば、二番目に重要な問いを打つけるだけの問題。
その結果、答えが出された。
「…例外無く?」
「例外無く、間違い無く、起こりますな、必ず」
嬉しいような、困ったような断言だ。
答えが得られたのは嬉しいものだ。しかし答えによる不安をこれから抱かなくてはならないことーーーそれがフィーナに苦笑をさせるのであった。
「…来ましたわ」
「…?」
「ふっふっふ…おーっほっほ!!」
「……り、リィル君どうしたんだい?」
「キマシタワーっ!!」
「!?」
「ふっふっふ……予告ですわ!! 『ポッポッポン…ハトポッポン…豆が欲しいかそらやるぞ…皆で仲良く食べるが良いーーー次回、まいったユリタヌキ』…悲しいんだポン。……ですわ! おーっほっほ!」
「……元気だね、リィル君」