支配の終わりに
「…ハックションッ!!」
激闘が終わった直後の静寂を、緊張感の無いくしゃみが打ち壊す。
「…勝利の余韻が台無しよ。変態さん」
氷は溶け、戦いの余波で乾いた荒地に染み込んでいた。
氷の跡に、悪魔の面影は無く──戦いが終わったことを雄弁に語っていた。
いつしか荒地に草木が根差しても、この場に悪魔、ハイエルフの像が遺ることはないのだ。
そんな予感が、緊張を解したのだろう。火、氷の魔法に晒されることの多かった弓弦は、くしゃみを堪えられなかった。
「……すまん」
弓弦に掛けられたフィーナの言葉は、辛辣だ。
激闘の最中。行われたとある行為が彼女に与えた衝撃は、とても大きかった。
仕方無しや勢いで片付けられる程、世の中も乙女心も甘くはない。
甘くはない。世知辛いのだ。
フィーナは肩を震わせていた。
「初めて…だったのよ…? それなのに…あんな…あんな乱暴に奪うなんて…酷いと思わない…っ?」
──あの時、精神を支配されていたといっても、朧気ながら彼女の意識はあった。
弓弦に攻撃を加えたのは悪いと思ってはいるのだが、乙女の純情とは別問題である。
「…ユヅルは…初めてじゃないの…?」
せめて、せめて初めてならばまだ許そう。
ほら、初めて同士なら何か──許せるではないか。私、あなたの初めてを貰ったのよ──と何か、得意気になれるような、なれないような。
そんな勇気を出しての質問だった。
「え」
一縷の望みを込めた問い掛けは。
「………」
答えが返ってこないのが答えだった。
無返答、つまり否。それは応に対しての、否。
弓弦にとって、突如復活した知影とキスをしてしまったのは未だ記憶に新しい。
感情が高まったというか、向こうから唇を重ねてきたので自分からしていないという点では初めてになるが。そんなポジティブ的なそれはそれ、これはこれ思考に弓弦はなれなかった。
気不味そうにフィーナから視線を逸らしてしまったため、余計に彼女の心証は悪化した。
「…最低」
やはり人間は最低だ、軽薄だとフィーナの中で一つの方式が成立しようとしていた。
人間の男は、好きでもない女と平気でキスを出来るのだ。なんて軽薄なのだろうか。顔立ちやスタイルが程々に整っているから、さらにたち悪い。
その場の勢い? 仕方無し? 知るかそんなもの。こちとら乙女の一大事なのだ。「ノーカウント」なんて言われた日には、氷漬けにしてやる。フィーナは静かに誓った。
「…悪い」
込み上げてくる怒りからか。彼女は、夢の中で弓弦に見られた本の内容を思い出した。怒りの連鎖である。
やはり異世界人らしく文字は読めなかったようだが、絵の内容から見当をつけた彼の見解はある意味では間違ってはいない──そういった場面の描写が、何度もあるからだ。
だがそれを除いても物語が面白いのに(?)絵を見ただけで決め付け、人のことを変態呼ばわりする──あの時は、あんまりな言い方についやり込められてしまった。
そう、やり込められてしまったのだ。妙に強い口調で、自信満々、余裕綽々、大胆不敵に。想像を超えた罵倒に、思わず屈しかけてしまった。
「(…屈しかけたって、何よ)」
兎に角、腹が立ってきた。
今さらではあるのだが、今さらであるからこそ余計に腹が立った。
もし世に変態グランプリがあるとするのなら、彼は間違いなくその頂点に立つだろう──そんな予想が彼女の中で立てられた。
「ユヅルは不潔…変態…色魔…変態…変態」
「ははは…酷い言われようだ…」
帽子を眼深く被り、フィーナはそっぽを向いた。
随分と嫌われてしまった。確かにそれだけのことをした自覚はあるのだが、それでも悲しい。
肩を落とす弓弦だったが、ふと視線を上げる。
「そう言えばその帽子、やっぱり君の帽子だったんだな」
「…話題転換にしては無理があるわよ。変態」
話題転換失敗。
弓弦はさらに肩を落とした。
フィーナは蔑むような瞳で見下ろしていたのだが、
「…これは最初から私のものだけど。何が言いたいの」
妙に気になる言い方をされたために、話題の根拠が気になってしまった。
「(…あ)」
そして気付く。
根拠が気になるであろうことを見越して、質問されたのだと。
なんて悪趣味なのだろうか。簡単に、自分の思考は弄ばれてしまったのだ。
この男はなんて狡猾なのだ──と。
フィーナの中で、悪い予想がグルグルと回っていく。
そんな時だった。
「(あら…?)」
視界が揺れた。
「ぁ…」
途端に足に力が入らなくなり、フィーナの身体が大きく揺れた。
どうにか踏ん張ろうとするが、まるで足先の感覚が急激に怠くなった感覚に身体が付いていかない。
「フィーナ!」
結果、倒れそうになったところを弓弦に受け止められる姿となる。
背後から優しく肩を支えられ、どうにか地面に伏すという醜態を晒さずには済んでいるが。
「(嘘でしょ…)」
フィーナにとっては、少々屈辱であった。
恐らく、バアゼルとの戦闘で魔法を使い過ぎたのだ。血液と同じようにして体内を流れる魔力があまりにも減り過ぎ、貧血に近い状態になってしまった。
人間よりも体内を流れる魔力が多いハイエルフにとっては、時折死にも直結する死活問題だ。出来ればすぐに身体を休める必要があった。
あったのだが。
「大丈夫か? フィーナ」
変態の前で、意識を失いたくはなかった。
「(大丈夫じゃないけど)…大丈夫よ」
こんなところで意識を手放してしまったら、眠っている間に何をされるか分かったものではない。
一体何をされるか。想像するだけで、身の毛もよだつ。
想像しようとするだけで、胸が不自然に騒いだ。
「いや、お前…殆ど足に力入っていないだろう」
「そんなこと…」
そんなことはあるし、完全に弓弦に身体を預けてしまっているのだが、認める訳にはいかない。
抵抗する力が無いと教えるのは、まるで「襲ってくれ」と言っているようなものではないか。
「そんなことないわよ」
だから、絶対に認めない。意地でも。
フィーナは鼻を鳴らしながら、そっぽを向いた。
「…ふーん」
背中の温もりを感じながら、時が流れていく。
すぐに治るかと思ったが、これが中々落ち着く気配が無い。
それどころか、足の力はさらに抜け──とうとう腰を支えられていないと立てない程になってしまった。
「(…何が、ふーん、よ……)」
腰に触れる腕を払い除けたかったが、そんな力が残っているはずもなく。意識は徐々に溶け、まるで夢の中に居るような奇妙な感覚に陥ってしまう。
「…なら、自分の足で立ってみたらどうだ?」
そんな時に限って、この変態はとんでもないことを言い出すのだ。
先に見た夢でもそうだ。
想像を遥かに超えた発言で、胸の奥を激しく揺さ振ってくる。
無遠慮にも鷲掴みしながら、強く、激しく──。
「そんな…そんな言い方…ないわよ……」
揺るがされた気力の糸が、プツンと。遂に解ける。
気力の失せた身体は、弓弦の腕を擦り抜けるように崩れ落ちてしまった。
「お、おいっ」
弓弦は慌てて、フィーナの身体を掬い上げた。
しゃがみ込みながら流れるように左腕を首の後ろを通過させ、左肩へ。右腕は膝裏を通って左膝に触れた。
あり得ない程に、あまりにも慣れた手付きだった。
「(…こうやって、女を手込めにするのね……)」
身体が急に軽くなった。
弓弦に抱き上げられたのだ。程良く引き締まった腕や胸が、身体に押さ当てられている。
包まれているような感覚だ。薄れゆく意識の中で体温を感じ、鼓動を感じる。
「(…何よ…もぅ……)」
不思議と、嫌ではなかった。
それどころか、寧ろ──猛烈な程、眠気を催してくる。
全身を、綿で優しく包まれているような感覚だ。その綿は温かくて、少しだけ擽ったくて。
──取り敢えず、家に連れて行くからな……。
まるで魔法に掛けられたように、眠りに落ちていく。
意識が現実から、夢の奥へ、奥へ──。
心地良さに包まれ、夢へと向かう。
そんな中で、
「(どうして…こんなに……)」
フィーナは幸せを感じていた──。
* * *
…。
……。
──夢を、見ていたような気がした。
どんな夢だったか…正直、見たばかりのはずなのに朧気になっていて…どんな夢だったかは覚えていない。
そもそも本当に見たのかさえ曖昧で、今一つ信じ切ることが出来ない。
それでも、何か強い感情が心の奥に残っていた。
温かくて、少しだけ胸が苦しくなって、だけど楽しくて…。
だから、それはきっと…とても素敵な夢。
夢のような夢。突拍子も無いはずなのに、何故だか納得してしまう夢。
もし夢じゃないなら、覚めないことすら願ってしまう悪い夢。悪過ぎるけど、悪夢じゃない夢。罪な夢。
だから夢見ていたとするのなら、それはきっと…幸せな夢だった。
「(そう…私、名残惜しかったのね……)」
微睡みの中から、意識が覚めていく──。
「ん……」
緑の香り、土の香り。
眼が覚めると見えたのは、青い空。
眩いばかりの世界から、少しだけ眼を背けてみると。
「…お」
清々しい気分を濁らせてくれる、人間の姿が。
「…はぁ」
「人を見て最初にすることが、溜息かよ……」
呆れた様子の変態が、額に手を当てる。
私の方が溜息を吐きたいのに、先に吐かれるとどうにもやり難くなってしまう。
「こちらが吐きたいわよ…」
「なら、吐けば良いじゃないか」
余計に気分を害されたところで、身体を起こして周囲を確認。
見回してすぐ気付いたのだけど、見慣れた島の中でもさらに見慣れた場所で横たわっていたみたい。
隣にユヅル、すぐそこに私が住む小屋があった。
「嫌よ。変態が伝染るわ」
「溜息で伝染るはずがないだろ」
「気分の問題よ。最悪が、最最悪になる」
ユヅルは、首が落ちてしまいそうになる程に肩を落とした。
不憫なように見えなくもないけど、変態に掛ける情けは無い。
「あのな…」
髪を掻き、ユヅルは「いや…」と頭を振った。
明らかに言葉を飲み込んだ様子だ。わざとらしさのあまり、気になってしまう。
視界に映すと気になって仕方が無いので、敢えて視界から外した。
「…分かってるわよ」
気になってしまうのは、彼が何を言いたいのか分かっているから。
分かってる。私、かなり酷い態度を取っている。
命を呈して助けに来てくれて…本当に助けてくれた彼に対して。
小屋に帰って来れたのも、きっと彼がここまで運んで来てくれたから。
一食の…恩と言われるようなことはしてないつもりだけど。少なくとも今の私の態度は、報いてくれた人に対するものではなかった。
「これでも、色々と感謝しているつもり。…助けてくれたことも、ここまで連れて帰ってくれたことも」
「…別に感謝してほしくてやったことじゃない。ただ俺なりに感謝を返したかっただけだ」
本当…お人好しな人。
「…そう」
人間にも…こんな人が居るのね。
少しカッコ付けているけど…嫌に思えない自分が居るような気がした。そんなカッコ付けが、どこか様になっていると思っている自分が──。
「…戻って来たのね」
いいえ、気の所為…きっと。
「…森の奥から…ここまで……」
あの森は、実際のところそこまで広くはない。
所詮は孤島の森。端から端まで、そう長い時間を掛けることなく抜けることが出来る。
でも、問題なのは道。注意して歩いていないと、似たような道の連続に方向感覚を失う。失って、迷う。
私の故郷の森程じゃないけど、悪戯好きな森。
幾ら彼が、一度森に認められたからと言って…少なくとも森の奥からここに帰るまでの間、私は…。
「まさかとは思うけど…あのまま、私をここまで?」
あのまま。つまり、抱き上げたまま。
お姫様抱っこ…と言うのかしら、人間の中で。凄く…変な気分にさせられたのだけど。
「…まぁ、持ち直すよりは…な」
「…はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「長いなっ」
確かに持ち直されるよりはマシかもしれないけど、あの抱き方のまま…か。
「…恥ずかしいわ。人間ってそうなの? 誰これ構わずあんな抱き方するとか……」
「…遠回しに、俺が恥ずかしい奴と言われているような気がするんだが。あの抱き方は…まぁ、時と場合によるだろう」
「ふぅん…」
「…フィーナの場合、完全に意識失ってたし、あの抱き方の方が運び易かった」
彼なりに考えての行動…ね。
それを完全に否定することは出来ない。けど…もう少し遠慮しても良かったと思ってしまう。
「…私、重かったでしょ」
「いや? 羽のように軽かったけど。軽過ぎて…逆に不安になった」
「……」
ユヅルは本当に困ったらしい。
でも私も困ってしまう。この言い方も、遠慮してほしいわね。
「その言い方…ワザと?」
「…?」
ユヅルは、訳が分かんないとばかりに眉を顰めた。
天然…か。
天然の無遠慮人間…。何だか一緒に居ると、心臓に負担が大きくなりそう。
「まぁ、抱かれたのが気になるのなら。そんなに長い時間抱いていないから安心してくれ。あそこからすぐここまで跳んで来たから」
「跳んで? そう言えば……」
ユヅル。彼の不思議な点は、魔法。
私の“フィンブルコフィン”を持って空間跳躍したし…バアゼルの障壁を、一の太刀で中和していた。
そんな芸当が出来る魔法属性は…一つ。『空間』属性。
私でも、文献でしか知らない魔法。彼、珍しい属性の適性があるのね…人間のクセに。しかも、それを少しでも扱えるだけの魔力の量を有している。
基本の八属性以外の魔法は、基本的に空気中に漂う魔力が少ない分消耗も激しいのに。…そこは、大したものだと思う。
「珍しい魔法の使い手なのね。空間属性使いを見るのは初めてだわ」
立ち上がると、服に付いた砂埃を払う。
魔法付与された革の鎧を着ていたけど、悪魔に壊されたし、ワンピースもボロボロ。
命があるだけ喜ばしいけど、それなりに残念な気分に。
「まぁ…珍しいだろうな。俺でもそう思うよ。ところで…」
そんな私を見上げ、ユヅルは眉を顰める。
「立ち上がって大丈夫か? あんなにフラフラだったのに」
「大丈夫よ。数時間は寝ていたでしょ? なら身体も十分動くわ」
立ち上がってから身体の感覚を確かめたけど、普通に動く分には問題が無さそう。
やっぱり、戦闘による消耗が激しい。殆ど限界まで戦い続けたから…。
「…そうか?」
指先や足先の感覚に鈍いものはあるけど…意識すれば問題無い。
流石に、戦闘行動は取れそうにないけど…。
「だが草の上だ。あまり疲れが取れていないんじゃないか?」
「大丈夫って言ってるじゃない。…それよりも、まるで本当は草の上以外で寝かせてようとしていた風に聞こえるけど」
「あぁ、出来れば家で寝かせてあげたかったんだが。鍵が掛かっているみたいでな。悪いとは思ったが」
つまり、鍵さえ掛かっていなければ部屋に入られていた…と。
「…そんなことだろうと思ったわ」
家の扉に掛けておいた魔法の鍵を解除して、開けられるようにする。
戸締まりは肝心。人の居ない孤島と言っても、いつ何があるか分からない。今日みたいに。
彼に入られなくて良かった。…また要らないものを探られそうだし。
「何で勝手に人の家に上がろうとしているのよ…」
「いや、寝かせるとしたら普通、本人が楽な方を選択するだろう。外か中か、だったら中を選ぶのが当然だよ。…取り敢えず肩を貸させてくれ」
ユヅルは立ち上がると、私の隣に立とうとする。
彼の手が届く範囲から逃れるようにして、家へと向かう一歩を踏み出す。
「…要らないわ。…大丈夫って言ったじゃない」
片足を上げた時に、身体がフラついた。
「…は?」
少しずつ回復していた魔力を、“ディスペルマジック”を使う時に消費してしまったみたい。
倒れる前と同じく、立つことだけに意識を費やさないと立てなくなりつつあった。
早く、身体を休ませたい。少しだけ休んで、また動けるようになったら心の落ち着くハーブティーを淹れて一息吐く。
でも彼の前でそんな弱い姿を見せたくなかった。
弱味に付け込まれるような…ううん、ただただ見せたくない。
そんな私の内心を見透かしたように、ユヅルは表情を険しくした。
「大丈夫とは訊いてない。大丈夫ってのは、大丈夫じゃない奴に限ってよく使う言葉だ」
揚げ足を取るようにして、ユヅルが迫って来る。
彼からはほんのりと、汗の香りが香っていた。
「人を酔っ払いみたいに言わないで。…歩けるわよ」
不潔だとは思うけど…嫌だと思えない。
まるで勲章を漂わせているような、ちょっとだけ微笑ましく思えてしまうような香り。
「知るか」
何故だか、少しだけ意識が眩んだ。
ただでさえ疲れているのに、変な匂いを嗅いだから…でしょうね。
「ほら、行くぞ」
有無を言わせない物言いで腕を取られ、肩に回される。
やがて家の前にまで辿り着くと、扉を開いて中へ。
息遣いさえ聞こえそうな距離感の中、でも息遣いは聞こえない。
まるで身体の全身から聞こえるような爆音が、外の音を全て閉め出している。
きっと血液とか、魔力だとかが足りないのよ。だから余分に心臓が動いている。
「もう少しだからな」
そんな爆音の中でも、ユヅルの声は不思議と届く。
絶対に支える、そんな気迫と共に。
そして扉に手を掛けられる。
…そう言えば、家…片付いていたかしら…。
「…ちょっと…待って…。家片付けるから…」
「後で、な」
何も私の行動を許してくれない。
…どうでも良いけど、くしゃみは治まったみたい。
色々と無理矢理だし…何この人…。普通、片付けの余地ぐらい残してほしい。
私の権利無視…? 常識が全然なっていないじゃない。
これだから人間…と言うより、男ね…もぅ。
「…人の家に上がる時は…ね? 普通は許可を取らないと駄目…夢の中では若干遠慮がちだったのにどうして今はそう、無遠慮なのよ…」
「……」
もしかして、夢では家に上げてくれたから現実でも上がって良いとか思っているのかしら。
だとしたら呆れたわ…夢と現実の区別が出来ていないみたい。
どうしようかしら…? そう、中級辺りの雷魔法でショック療法でもやってあげようかしら?
そうよ…ショック療法よ…っ。
そうね…キスもきっっっと、ショック療法の内に入るのだとは思うけど、許せないわ…っ、許しを請うまで寝室に監禁しちゃおうかしら? 仕返しよ、やられたらやり返すのが鉄則なんだから…。
…あら、それ妙案だわ!
罪を償ってもらって…後は、ちゃんと誠実に謝ってくれたのなら…。どうせ私は、この島を離れるつもりなんてさらさら無いから話し相手には丁度良いかもしれないし…閉じ込めてたら安全。何なら必要に応じて家事でもしてもらおう。
あまり人間と関わりたくはないけど、彼なら…そうね、命を助けてくれたお礼の代わりで考えないこともないわね。
…意外と可愛い顔もしているし。
森の皆も居るけど、あまり頼ってばかりはいられない。戦いの中で、沢山力を貸してくれたのだから。
その分彼なら、色々と面倒も省けるわ。頼むことに罪悪感を感じないし、きっと色々手伝ってくれる。
何なら、一緒に家事するのも良いかも。森の皆はほら…土とか毛とか落ちちゃうし、やっぱり自分達の生活があるから頼み辛かったけど、彼なら…。
…コホン、駄目よ私。彼にはまず、二階の寝室で反省してもらわないと。書庫でまた変に物色されても困るし…お風呂入っている時に見られると困るから…。
…あら?
「(私どうして…え?)」
二階なんて…この家には無い。
そうよ、扉を開けてすぐ階段が見えたから…あら?
「ん…どうしたんだ?」
…階段なんて、無いわよ。
そんなもの、造ってない。
「な、何でもないわ…何でも」
じゃあ今見たものは何? 白昼夢?
…やっばり、疲れているのかしら。
きっと全部…疲れの所為。
だから…。
「おかえり…」
そんな言葉が飛び出てしまうのも、きっと疲れによるもの。
何故か彼を家に上げるのは“当たり前”だと、いつの間にか思っている自分が居ることに気が付いた。
「…ただいま?」
意識せずに飛び出た言葉。
殆ど反射的に唇が紡いだ言葉。
分からない、分からない。
分からないけど、何故だか腑に落ちている。安心感と共に。
それはまるで、ずっと言いたかったとばかりに──。
「…ははっ。まさか言われるとは思わなかった。…何だか、久々に聞いた気分だ」
頬を掻きながら、照れ臭そうにユヅルは言う。
「…」
満更でもなさそう。…可愛い笑顔。
…はっ。
「(どうして…?)」
もう訳が分からない。魔法? 魔法なの?
これは…視て、確認しないと。
意識を集中させ、瞳に映る世界の景色を変える。
ユヅルの身体に宿っている魔力の色は…。
「…えっ!? 嘘…」
瞳に映ったのは、驚愕の事実。
現実だとしても嘘に思えてしまい、嘘だと思いたいけど現実で。現実だからこそ、とても生々しい。
普段より増えた視覚情報の中で、視えてしまった確固たる事実。
思わず私は、暫く固まらざるを得なかった。
「(…今日もよく…橘殿の話を聞かされた)」
「(知影殿は…もう寝ただろうか。良くもまぁ…一人のことを、あそこまで多く語ることが出来るものだ。毎日毎日、結局は格好が良いだ何だの話で収束するが…呆れを通り越して、ただただ驚愕するしかない)」
「(…明日もまた、橘殿の話を聞かされるのだろうか。次はどんな話なのだろうな…)」
「(そう言えば、数日前の…橘殿の香りがどうとか言う話があったな。知影殿の隊員服、どうりでいささか丈が長いと思っていたが、あれがまさか橘殿の隊員服だとは…)」
「(まったく…好んで袖をを通しているとは大したものだ…なんて思っていたが、確かに。悪くない香りではあった。あれはきっと…使用している柔軟剤が良いのだろうが…。はたして艦内で販売されていただろうか。…あるのなら、是非使わせてもらいたいが…)」
「(しかしあの香り…知影殿に無理矢理嗅がされた時には何事かと思ったが、そのお蔭で気付くことが出来たのだ。その点には感謝しないこともないが、やはり彼女は変わっている。何故ああも橘殿のことを好いているのか…。不思議なものだ)」
「(さて、今度こそ本当に寝るとしよう。何だか、今日は熟眠することが出来そうだ。…最初の頃は慣れなかった王宮のベッドだが、今日は中々どうして…落ち…着く……)」
「すぅ……」
「Zzz…」
「‘ん……ぁれ…。まだ夜だ…。うーん…外も暗いし…朝まで時間もある…。何か変な時間に起きちゃったなぁ…’」
「‘何かさ、夜中に当然起きると…これは何かの報せだ第六感だ〜…ってなること、あるよね? …うん、あるある…って、虚しっ。虚しいよ弓弦〜…あ、弓弦も居ない。…弓弦の服も見当たらない。…うう、なお虚し。いと虚し…’」
「(…。ユリちゃん寝てるし、起こすのも悪いから…明日探そっかな。じゃ…寝ないと…うーん。時間が時間だし、数え歌代わりに予告言おっと。…ひとーつ…弓弦の生き血を啜り…と冗談はさておき。『復讐に終止符を打ち、女は平和に足を踏み入れる。修羅の日々で欠けてしまった心は、温もりに触れて満たされ始める。未来に眼を向けた彼女が、求めたものは──次回、交差する糸と糸』…ううん…むにゃ…)」