戦うウェンドロ
「着いた」
鬨の声は吹く吹雪を荒々しく飾る。
銃声や雄叫びが織りなす多重奏は、戦の激しさを象徴しているようだ。
「な…っ! (私はいつ東口に辿り着いた…っ!?)」
建物の上だからだろうか。そこからは戦の惨状が良く窺えた。
街の東口を塞ぐようにして展開している兵。指揮官の下、ある程度の統率が成された状態で彼等は街を守っていた。
そんな彼等に魔物の軍勢が衝突している。
種類としては、北大陸において然程珍しいものではない。強さも特段として挙げる必要も無い魔物共だ。
しかし、数が多い。
見れば、吹雪の向こう側から続々と魔物が現れているではないか。
「っ!!」
悲鳴のした方を見ると、兵の一人が魔物に取り囲まれていた。
それを仲間達が助けようとしているも、自分達に襲い掛かる魔物の相手精一杯だった。
このままではあの兵は死んでしまうだろう。そしてあの兵が死ぬと、魔物が増えるーーー
また別の所で上がった悲鳴が聞こえた。
それを皮切りに、あちらこちらで悲鳴が。悲鳴響き渡る戦場は、混迷の様相を呈そうとしていた。
兵達に恐慌の魔の手が忍び寄る光景。恐らく、程無くして部隊は総崩れになってしまう。
「…このままだと魔物が入って来る。転進でどうにかなるのか!?」
何を避けたいのか?
この戦闘の根底にある目的は、「街に魔物が入るのを防ぐ」こと。各員がそのために奮戦している。
街に魔物が侵入したらーーー入り組んだ構造の街なのだ。魔物の掃討は困難を極めるだろう。住民にも少なからず被害が及ぶ。
「…気にしなくて良い。…それよりも撤退令、早く!!」
また、侵入者の少女の言を訊き撤退令を出したとする。
命令が部隊全体に届くーーーそんな希望的観測を抱ける程、生易しい状況ではない。
切っ掛けーーー転進の緒を作られば、兵の撤退は叶わないことだ。
しかし、緒を用意する暇が無い。支度も無い。
この場合、部隊全体の転進の緒を作る方法は、系統として一つしかない。
その方法とは則ち、「魔物をどうにかする」こと。
例えばここに居る魔物をある程度倒すこと、あるいは魔物の注意を逸らすことーーー兵達が転進する余裕を、時間的にも精神的にも作るにはそれしかない。
「出せたらしている! 戦闘と吹雪に遮られている以上、兵全体に即時の撤退令を出すには天恵の大音声でもなければ不可能だ!」
「大丈夫。…お腹から声を出せば」
それでもきっと無理だから言っているのに、聞く耳を持ってもらえない。
堂々巡りになるのぐらいならば、何を持って大丈夫なのかが謎だが、やるしかない。
「全兵、訊けッ!!」
ーーーここまでの大声を出したのはいつ以来だろうか。最早怒鳴りでしかなく、全兵に聞こえるかも気になった。
「魔物を引き付けつつ市街部に撤退ッ!! 背中は向けるなッ!! 各々の命を守ること、それを最優先にし戦線を維持したまま退けぇッ!!!!」
届くかどうか不安だった。
それに、突然の命令に兵達が対応できるのかどうか。
仮にウェンドロが兵の立場ならば、困惑してしまう。撤退令が届いたとしても。
「…これで、良いのか?」
全てが賭けだった。
だがどうやら、勝てたようで、果たして兵にウェンドロの声は届いた。
兵達に後退の動きが現れ始める。
俄かには信じ難いものだ。まさか、あの程度で撤退令が行き渡るのは。
「…コク」
どよめきながらも撤退を始めた兵達。
魔物との戦闘を熟しながらの撤退なので速度は緩慢だが、部隊全体に大きな乱れは窺えない。
大きな乱れは窺えないが、小さな乱れーーーつまり、魔物に取り囲まれた兵達は撤退が出来ず、逃げ遅れる。
侵入者の言を信じるのならば、これ以上の兵士の死は、非常に危険な事態を引き起こすことになる。
今すぐ救助に動きたい。魔物を蹴散らして、兵撤退の殿を努めたい。
夢のような希望に対し、そこにあるのは実力の不足という現実だ。
兵を助けなければならない。しかし、如何ともしようがない。二つの葛藤がウェンドロを襲った。
「(…そろそろか)」
撤退兵の先頭が街に入った。
沈黙したまま戦場を見ている少女の隣で、ウェンドロは拳を握り締める。
「(…往くッ!!)」
甘さは要らない。
甘さは、逃げること、弱さだ。
甘さの塊ーーー臆病者は、忌むべき者。故に、レガーデスが忌々しいのだ。
建物から飛び降りた彼は、着地と同時に“雪の上を跳ねるようにして”街の外に出る。
兵達は驚いたようだ。
城に居るはずのウェンドロがこの場に現れ、号令を発したのみではなく魔物と、相対しようとしていることに。
「魔物の軍勢とて、何するものぞーーッ!!」
囲まれた兵を救おうと、剣を振るう。
魔物の体躯を斬る手応え、それは巌を絶つような感覚だ。
腕が耐えられるのが不思議だった。
「撤退しろ!」
囲んでいた最後の一体を斬り伏せ、次の兵を救出に向かう。
目視の距離よりも短かったのだろうか。すぐに兵の下に辿り着いた彼に、魔物達が迫って来た。
「ーーーッ!!」
背中に一撃をもらった。
痛みが広がるが、戦闘による高揚感が身体に影響をもたらしているのか平気だ。
一撃を加えてきた魔物を斬って、街を一瞥する。
兵達の殆どが街の中に入り、王による救出劇を見守っている。逆に魔物達は、街の入口の少し手前で進撃を止めていた。
そんな魔物達の様子を見て、中の兵には再び外に出ようとする者もあるが、他の兵に阻止されているようだ。
それもそのはず。まるでそこに、見えない壁があるかのように、魔物達は宙に攻撃を放っていた。
それを見て外に出ようとする者は、余程の命知らずである。
兵達に見守られ、彼は剣を振るう。
他には誰か居ないのか、危険な魔物は居ないか。周囲を見渡すと、どうやら今ので魔物に囲まれた兵は居なくなっていたようだ。
「(良し、ならば、このまま私も撤退……?)」
ーーー影が見える。
視界の少し先まで伸びている、大きな影。
吹雪が冷たい。荒ぶ音の中に聞こえる、悍ましい音。
「な…っ!?」
振り返ったウェンドロの視界に、主が映った。
拳を振りかぶった巨躯は実に5m程。白い毛に覆われた肉体は、並の魔物とは異なった威圧感を放っている。
知識が告げている。「逃げられない」と。
彼の背後に現れた魔物は、名を『スノージャイアント』という。
文字通り氷巨人の魔物であり、北大陸の奥地に生息している魔物。
時折大陸中央部にまで姿を見せる場合があるが、その場合は部隊が派兵され討伐される。
それなりの大部隊だ。『ベルクノース』の騎士団の存在理由の一つでもあり、『スノージャイアント』の出現は一大騒ぎになる程に。
そんな魔物が、眼の前に居た。
迫る拳が、死神の鎌に見えた。
あれを食らったら、全てが終わってしまう。
抱いた夢も、積み重ねた努力も、その全てが水泡に帰する。
そんなこと、あってはならない。ならないのに、あろうとしている。
「(私が…ここで果てる? いや、ならん、それだけは、ならん……っ)」
どうしてここまで接近されるのに気付かなかったのか、どうしてここまでの取り返しが付かない場面にまでになったのかーーー疑問符が浮かぶ。
同時に、様々なものが浮かんだ。
一種の走馬灯だろうか。記憶にある景色ーーー『ベルクノース』の街並み、玉座の間、炎に包まれた草原、読んだ文献、決意の呟きと共に掲げた剣が浮かび、続いて人の顔が。
兵達、街民、先王、甥ーーーそして、姉。
「(…姉、ミレーヌよ。…私も……私もここまでのようだ……)」
剣を下げ、迫るその時を、待つ。
こんなにも呆気無いものだったのか。かつての先人達も、死の間際はこんな感覚を抱いたのかーーー
瞼を閉じたので、視界が暗闇に閉ざされた。
長い。間近にまで拳は迫ろうとしていたのに、衝撃が来ない。
早く終わらないものか。その時よ、来れーーー
「…っ」
重い音が耳朶を打った。
あぁ、これか。これが身体の骨という骨が砕ける音なのか。
痛みは、無い。
そうか、これか。これが一瞬の内の死ということなのか。
納得と、虚無感。
その身は、雪に沈んでいった。
「…む…っ!?」
北国の雪が、ヒヤリと冷たい。
顔への衝撃だ。どうやら俯せに倒れたのだろうか。
それにしても、身体が冷えていく感覚にしてはヤケに物理的だ。
手を使って付着物を拭うと、そこで、おかしいことに気付く。
「…雪…?」
感触だ。感触がある。
死んだ後も感触は残るのだろうか。
「(いや、そんなはずはないっ!)」
開いた視界が眩しい。
ここは天国なのだろうか。天国にしては随分な吹雪の雪原風景だ。
「(…いや、違う。…そうか)」
そうか。天国とは雪景色が広がり、雪のように透き通った天女達がそれはそれは冷たく出迎えてくれる、正に選ばれた者だけが誘われる楽園だったのだ。
そう、選ばれた者。その名は、マゾヒスティック。
被虐的な刺激に快感を得る人物。彼等が正に、選ばれた人間だったのだ。
ーーーある種救いようがないといってはいけない。
「(私は……)」
思わずトリップしてしまいそうになったが、光に慣れた瞳に映ったのは、先程拳を振りかぶっていたスノージャイアント。
「(…生きていると言うこと…か!!)」
近くに、大きな腕が落ちている。
改めて見ると、大きな腕だと感じる。
もし殴られたのなら、一瞬にして命を奪われていたはずなのにそうでない。つまり、ウェンドロが瞼を閉じてから開けるまでの間に、何かが起こったということだ。
再びスノージャイアントを見る。
魔物の意識はどうやら、彼に向いていないようだ。
「やッ!!」
大きな魔物に対峙する、小さな人間。
少女が、刀と呼ばれる剣を手に渡り合っていた。
どうやらウェンドロの近くにある腕は彼女が斬り落としたようで、魔物は片腕を失っている状態だ。
身軽な動きである。翻弄するかのように“雪の上を跳ねている”姿は、氷上の踊り手を思わせる。
巨撃と振動を物ともせず動き回る姿に、ウェンドロは視線を奪われそうになった。
彼が見惚れずにいられたのは、周囲に他の魔物が居ないかの警戒心があったため。助けられた生命なのだ。呆然としている間にすぐさま奪われるようなことがあっては、不義理そのものだろう。
しかし、周囲に魔物が見当たらなかった。
街の入口に居た魔物も姿を消しており、どうしたものかと警戒範囲を広げると、少し離れたところから別の戦闘の気配がした。
不明瞭な視界の所為で何が戦っているのか定かでないが、何かの影らしきものが二つ、チラリと窺えた。考えるに魔物達は、影の主が倒していたようだ。
スノージャイアントが拳を振り上げ、少女に向けて振り下ろす。
丁度良い。どのようにして腕を斬り落としたのか、確認するチャンスだ。
眼を凝らして戦闘を食い入るウェンドロ。手袋の内側では微かに汗が滲み始めており気持ち悪いが、そんなことは気にしていられない。
スノージャイアントだ。あの、騎士団の好敵手と呼ばれる凶悪な魔物。それを一人で相手取る幼気な少女の戦いは、男達を魅了するものだ。
まず、攻撃を当てさせない。
片腕を失い、発狂状態に陥ったらしいかの魔物は、攻撃方向の予測が容易い一辺倒で直線的な攻撃しか行わない。
ーーー思えば、人壁にされたのではないかとウェンドロは考えた。
一辺倒で直線的な攻撃を行わせるには、片腕を斬り落とす必要があった。
所謂逆転の発想だ。
更にここから、片腕を斬り落とし易い状況を出現させるためには、自らが当事者ーーーつまり、攻撃をされる側であってはならなかった。
それには囮が必要であったため、自分が動かされたのだと彼は考えた。
囮戦法は、戦法としては初歩的なものだ。しかし、実行するのは難しい。
囮に注意を向かせるのが大前提ではあるが、そちらは大した問題ではない。囮に攻撃が及ばないように確実な一撃を、瞬時に叩き込むことが難しいのだ。
この場合での囮戦法は、囮にさせた方が実力を要求される。この場合でなくとも囮には危険が及ぶ可能性があるのだが。
少女のその実力。見事という他無いだろう。
現に少女は攻撃を逆手に取り、腕を足場にして駆け上がっている。そして、
「終わり…ッ!!」
魔物の首を、得物を下段に構えた助走からの跳躍逆袈裟斬りで、一刀の下に切断した。
上がる歓声。
一つの華麗な討伐劇が、終幕を告げた。
「…ありがとう。…お蔭で危な気なく戦えた」
少女がいつの間にか眼の前に居た。
告げられた感謝の言葉に手で応えると、ウェンドロは遠い景色を見た。
「…これで終わり…か?」
少女は頷かず、否定の意を示す。
指で示された方を見ると、魔物の姿らしきものが見えた。
「…まだ、これから」
少女の肩には蝙蝠、足下には金毛の狼がこれまたいつの間にか居る。
ペットだろうか。魔物と戦える強さと、知能を持った二匹の動物を見たら自分もそんなペットが欲しくなるウェンドロだ。
しかし残念。城はペット禁止だ。
飼いたくても飼うことは、出来ない。
ならば、こっそり部屋の隅に隠して飼うのはどうかーーーいや、匂いでバレてしまう。
餌はどうする?
国庫から出す訳にはいかない。国民の金に手をつけること、断じてあってはならないのが当然だ。
なので当然自分の銭を持ち歩いているーーーにはいるのだが、どうしたものか。
どのような餌をあげれば良い? タイミングは?
どのように躾ければ良い? 鍛えさせれば良い?
文献を探せば見付かるのだろうか。しかし待て、人に見付かってはならない。
別に王が動物を飼うための文献を読んでいても、別段おかしなことはない。強いていってしまえば、官能的な文献を読んでいても、それなりにおかしくはない、はず。
だが、もしそこから動物を飼おうとしていることを察されるのは歓迎すべきでない。
どうしたものだろうかーーー?
「…来た」
小休止はどうやら終了のようだ。
先程のような事態にならないため、またこれ以上の兵の負傷を避けるためには、魔物と戦わせる訳にはいかない。
だがかといって、旅行者に街の守りを任せるのは色々と国としての沽券に関わる問題だ。
ならば誰が動かねばならないのか。
ウェンドロの考えとしては当然、国主だ。
兵を動かせぬのならば自分が動くしかない。それがウェンドロの結論だった。
甥とは違うのだ。逃げる訳にはいかない。だから、戦うしか、ない。戦って、生き延びるしか。
兵の声援、国の威信、民の命を背に彼は剣を握り直した。
ーーーほぅ、その眼差し…何処となく…。
声が聞こえたような錯覚を覚えたが、少女に聞こえた様子がないので気の所為として。
「…出番無しか。ま、ちょっとぐらいの休憩も良いこと。こんな場所でぐらい居眠りして…も…良いよな? ふぁ…ぁ…。お休み……」
「…zzz」
「……zzz」
「…すぅ……zzz」
「‘…あ。ユール…凄い偶然なの。きゃっほ~♪ 起きてる? それとも…寝てる?’」
「zzZ」
「‘…寝てるの。ぐうぐう寝てるの。おーい、もしもし~、なの’」
「Zzz…」
「‘む~。起きないの。折角お話出来ると思ったのに…残念無念なの。…いつもの場所でも会えないのに……’」
「…すぅ、すぅ……」
「‘……気持ち良さそうな…の…。…ん…お休み…ぅ…すぅ…すぴ……’」
「‘…すぅ、すぅ……’」
「‘すぴ……すぴー……’」
「‘…すぅ、すぅ……’」
「‘…すぅ、すぴー……’」
「‘すぅ……ん…? あれ…俺…抱き枕なんて抱いて寝たか…?’」
「…すぴー…zzz」
「‘…優しい香りがする…良い抱き枕だ…。…丁度良い…。良い夢見れそうだ…ん…ん…すぅ……’」
「‘…すぴー……’」
「…すぅ……」
「…? ‘…ぽかぽか…陽溜まりの…中…? はぅ…顔が熱いような…気がするの…。…幸せ…なのすぴー…。すぴー……’」
「…すぅ……すぅ……」
「…すぴー……はぅ…すぴー……」
「…すぅ…すぅ……」
「…すぴー…すぴー……」
「…誰かこのほのぼの空間を終わらせるのにゃ」
「…キシャシャシャ」
「断らにゃいでほしいのにゃ」
「…キシャ」
「知らん顔…にゃ? にゃは…にゃぁ……予告言うのにゃ。『…こうしてこの場で会えたのも、何かの巡り合わせ…にゃ気がするにゃ? …にゃは、実際…そうにゃのか。…にゃはは…まさかと思ったのにゃ。…やるか…にゃーーー次回、抱擁する蛇リュウ』…お前に冷たき十字架をくれてやろう…。か、にゃ。…十字架って昔言ってたかにゃ? …いや…昔は堕せし白鳥の断罪架って言ってたようにゃ気がするのにゃ。あぁ…どうやら次は頑張らにゃいといけないみたいにゃのにゃ。僕の活躍、お見逃し無くにゃ♪」
「キシャキシャ!」