Battle of “BAZELE”
景色をも呑み込む奔流の中で、一際。
一際強く、魔法陣が輝いていた。
『惑いなさい!』
──溶かされた全ては、幻。
真実の弓弦は、バアゼルの背後に移動していた。
背後を向いた悪魔の拳が弓弦ごと大地を穿つが、それすらも幻。
【──!】
さらにその背後から現れた弓弦が横薙ぎに剣を走らせた。
翼の付け根に走る感覚によるものか、小賢しさに対する怒りか、悪魔の顔が僅かに歪んだ。
全ては、フィーナの幻属性初級魔法“ディスミスト”によるもの。バアゼルの視界を、幻が阻害していた。
「はぁぁッ!」
バアゼルの身体を斬撃が走る。
強い生命力によるものなのか、斬った側から塞がっていく傷を、フィーナが魔法で追撃する。
戦況は極めて優勢。バアゼルとの激闘はこれで二回目のフィーナであったが、前回よりも確かな手応えを感じていた。
「(効いてる…! これなら…!)」
封印から開放されて間も無いためか、バアゼルの動きは元のものより鈍いこともあった。
しかしそれだけではない。自身の行動と、「彼」の行動が不思議な程噛み合っていることも大きな要因だ。
まるで糸と糸が交わるように。綿が美しく絡み合い、連綿となってバアゼルの首を絞めている。
「(でも、まだ…ッ!)」
フィーナは、己に喝を入れた。
油断するな、確実に──勝つ。
己が精神力を高め、致命的な一撃を加えるための詠唱を紡ごうとする。
【なれば】
その時、悪魔が嘲笑った。
無駄な足掻きとばかりに、紅の瞳が奇怪な光を湛えてフィーナを見下ろす。
【此れならばどうだ…?】
たった今、弓弦によって斬り飛ばされた腕の姿が霞んで消えた。
霞は白い霧になると、一瞬にしてフィーナへと襲い掛かった。
* * *
世界が暗闇に覆われていた。
「(しまった…っ)」
敵の術中に陥ったと気付いた時にはもう遅い。
何も無い空間で、フィーナは孤立していた。
──応え。
脳内に声が聞こえる。
まるで頭の中を直接撫でられているかのような、不快な声だ。
心臓がドクンと跳ねる。
「何か」が、身体の内部に手を伸ばしている。
──応え。
相手方の魔法に囚われたのは分かっていた。
囚われる訳にはいかないと分かっていた。
身体の中を覗かれる、探られる、弄られる。
故に応じてはいけない。そう、分かっているのに。
その声は、フィーナの意識を麻痺させていく。
心が、絡め取られていく。
──応えよ。
心臓が跳ねる。
うるさい程に、不快な程に。
脂汗が、全身から滲み出た。
それでも懸命に、精神を集中させる。
──応えよ。
「…あ…ぐ…っ」
抵抗し切れない。
精神力も、魔力も、相手は格が違うのだ。
「(こんな…ところで…っ!!)」
──応えよ。
魔法陣が打ち砕かれた。
硝子が割れる音。身体の奥へ、奥へと「何か」が伸びてくる。
「ぐ…」
自分が二つに別れるような気味の悪い感覚が生じた。
重い頭を左右に振り、顔を上げると、
『……』
何も無い空間に、もう一人の自分が立っていた。
しかし、よくよく見ると少し違う。
髪は銀。瞳は紅く、肌は浅黒い。
無表情。しかし明確な殺気を漂わせて、フィーナの下へと近付いて来る。
後退りするフィーナ。しかし、もう一人の彼女の方が速かった。
「っ!?」
触れられた。
届いてしまった。
もう一人のフィーナは黒い粒子となって、フィーナの身体へと入っていく。
「か…は……っ!?」
カチャリ、と嫌な音が聞こえた。
突如として生じ始める、強い衝動。
心に扉があるとするのなら、無理矢理抉じ開けられてしまった感覚だ。
「…よく…も……っ!」
早金を打つ心臓が、警鐘を鳴らしている。
自分の中の“何か”が増幅されていく。
──憎悪だ。人間への、憎しみという黒い感情がフィーナの中に広がっていく。
憎い、憎い、憎い。
解き放たれた黒い心が命じている。「人間を殺せ」と。
殺せ、殺せ──皆殺しだ。
「(い…や…だ……っ!)」
悪魔なんかの言いなりになりたくない。
それではハイエルフを虐殺した人間と同類になってしまう。
抗い、逃れようとするも、既に身体が命令を受け付けない。
「(デイ……ガ…ンフ……ス……ルファ……レ……ナ……っ!)」
かつて共に戦った、既に亡き四人の戦友に乞う。
誰か、止めてくれと。
取り返しの付かないことになる前に、どうか。
「(た…す…けて……っ)」
悪魔の手先となってしまう自分を、止めてくれ。誰か。
「う…ゆ……ユ……っ!!」
誰か──!
──弱いものよ。
「────!!!!!!!」
声にならない悲鳴が、上がった。
* * *
不思議な感覚が弓弦を動かしていた。
それはまるで、自分が世界よりも速く動いているような感覚。
相手の動きが遅い。回る思考が、次の驚異に対する対処を即座に弾き出す。
感覚が研ぎ澄まされているのだと分かった。
「いける…ッ!!」
幾度となく斬り、穿ち、砕いた。
バアゼルの一撃は想像を絶する程、重い。
しかし、重いだけだ。全て避ければ良い。避けられなければ、最悪フィーナの援護がある。
きっと、一人では無理だったであろう。多少の善戦は、肉塊のミンチが三分クッキングとなるかそうでないかの違いだ。
二人だから、ここまで戦えている。
だから力を合わせれば──勝てる。
【…クッ】
そう、思った直後だった。
──ッ!!!!!!!
背後から、悲鳴が聞こえた。
聞き覚えのある悲鳴。フィーナの悲鳴が聞こえたような気がして、後ろを振り返ろうとした。
「──ッ!?」
背中にゾクリと悪寒が走った。
まるで背後に殺人鬼が立っているかのような、明確な殺気を叩き付けられている。
弓弦は咄嗟にその場を大きく跳び退いた。
反射的な行動だ。そこに理屈や思考は介在しない。
だから素早く、迅速に回避出来たのだ。
氷の槍が、心臓を貫くのを。
「おい! 今はそんなことやってる暇ないだろうっ!?」
文句と共に魔法の発動者を確認し、眼を見張る。
「……」
フィーナの瞳に光は無い。
翡翠の奥が、紅く淀んでいた。
画面の向こう、紙面の向こうでしか見たことがなかったが、何となく分かる。直感的に気付いてしまう。
「(まさか…。確か奴は…支配を司ると…っ!)」
フィーナが、悪魔の手に落ちてしまったことに。
「うぉぉっ!?」
追撃が、始まった。
展開された魔法陣から、風の刃が放たれる。
【弱いものよ…然し耐えたとも云える】
背後からの攻撃を掻い潜る弓弦。
不規則な風の刃が、時折彼の衣服や肌を切り裂いていた。
【貴様は運が善い】
弓弦を見下ろし、バアゼルは嘲笑う。
【眼前に相い容れない存在が居るのにも拘らず、彼の者は独り抗ったのだ。恐るべき精神よ、高貴なる森の妖精…余程我が憎いと見える】
フィーナは炎で作り出された剣を手に取ると、瞬時に肉薄して来た。
速い。瞬きの刹那の接近に、間合いに入れられる。
「(カッコ良いなぁ、おいっ!)」
刃同士を掠めると、どうやら実体があるようだ。
しかし、いつ剣を擦り抜けて斬られるかは分からない。
可能性が否定出来なければ、その可能性を十分に考慮した立ち回りが求められた。
【だが所詮は、脆弱な存在。内に秘められし激情の運命には抗えぬ】
「反則かよ、くそ…ッ!」
剣の軌道に身体を入れないよう往なしつつ、弓弦は歯を噛み締める。
立ち会って分かる。彼女と自分は、身体能力が桁違いだ。自分が上の立場なら良かったのだが、現実は逆。
腕力の時点で、拮抗──否、敗北を喫していた。
「ぐっ!?」
柄が手から離れた。
衝撃を受け止め切れなかったのだ。
足で柄を蹴飛ばし、刃を避け、避け、跳び超えるように転がり込む。
「──ッ!」
身体の下直前を、刃が通過する。
刃が前から後ろへ。僅かに掠めた炎に、身体が熱を持つ。
そんな光景が、まるで映画のようなスローモーションのように流れていき──避け切った。
弓弦は地面に転がり込みながら剣を回収。追撃で振るわれた縦斬りを、振り向き様に構えた剣で受け止める。
「ぐ…ッ!」
刃が滑る。
勢いを殺し、往なし、右側に抜けるようにして距離を取る。
絶体絶命のピンチは、何とか乗り切れた。
「(何なんだよあの馬鹿力…ッ! もう身体に力が…)」
息が切れる。汗が滲み出る。足が僅かに震える。
少しずつ、しかし確実に追い込まれつつある。
【ク…無様なものよ】
「…ン…だと……ッ!!」
フィーナが氷の槍を構えた。
投擲か──否、こちらに向かって来た。
「おいフィーナッ! いい加減にしろッ!!」
嵐のような刺突を避けながら、弓弦は怒鳴る。
バアゼルの魔法に精神を支配され、自分に対する憎しみを爆発させた彼女に声が届く気配は無い。
氷の槍で串刺しにせんと、殺意を叩き付けてくる。
「言われてるぞ! 悔しくないのか!? ぐぁッ!?」
槍の石突きが、腹にめり込む。
鳩尾に入ったのか。息が詰まり、吹き飛ばされた弓弦は立つのがやっとになっていた。
「(クソっ…どうすれば!)」
出来れば気絶させてやり過ごしたい。
そんなことが出来れば苦労しないのだが。
【…ニンゲンよ、一つ選ばせてやろう】
剣を支えにして立つ弓弦を見下ろし、バアゼルが口を開く。
【我に殺されるか、女に殺されるか。…女を殺し、我に挑むか。選べ】
フィーナは槍を消すと、糸の切れた人形のように沈黙した。
質問タイムというヤツだろう。余興の一つとばかりに話す悪魔は、余裕の様子だ。
それも当然か、弓弦の体力に「限界」という文字が見え隠れしていたのだから。
悪魔なりの慈悲なのか。弓弦は息を整えると、バアゼルを睨み付けた。
「俺の…答えは一つだ」
だが、例え限界が迫っていても。
限界を超えるまでのこと。
「ふざけんな」
理不尽な選択肢なら、選ぶものか。
弓弦は切先を悪魔に向け、駆け出した。
「(どうする!? いや、考えるまでもない!!)」
逡巡は一瞬。
迷いを捨て去り、駆ける、駆ける。刃を構える。
「(…そもそもここには何のために来た?)」
フィーナが動き出した。
炎の剣と、彼女の力と打ち合えるよう全身の力を振り絞る。
「(…決まっている、悪魔討伐で世界を救うとかそんな大業なものではなくて、ただ、女の子一人助けに来ただけなんだ)」
衝突。力で競り合う。
先程は屈した。
それは何故か。魔法の剣故に、刃を通り抜けられる可能性を考えていたからだ。
だがそんなことを考える暇があるなら、身体を動かす。
「…それだけなんだぁッ!!」
力で──拮抗する。
気迫の宿った刃が、憎悪に染まった刃と鬩ぎ合う。
【抗うか! 無駄な事を…愚かな傀儡の瞳を見るが善い!】
「…ッ!」
足が地面に沈み込む。
だがそれでも──押し負けない。
【憎悪に染まっているわ!】
「黙れよ! 無理かどうかは今、俺が証明してやる…!」
刃が徐々に、フィーナの方へと動いていく。
「ぐッ!」
弾かれた。
フィーナは剣を氷槍に変え、弓弦の首を狙う。
間合いが変わり、剣に慣れていた身体を穂先が掠めようとする。ギリギリで避けているが、一歩間違えれば大惨事。
だが、力で競り勝てたという事実が戦意を高めてくれた。
「(…行けるッ!)」
弓弦は、反撃に転じた。
「フィーナァァッ!」
打ち合う。
「俺の声がっ、聞こえるかッ!!」
次々と繰り出される氷の槍を弾きながら、フィーナに呼び掛ける。
火花が散り、視界が焼ける。
しかし彼女の瞳に光が戻ることはなく、攻撃は一層激しさを増した。
【其れでも足掻くと云うのか…。ク、面白い】
バアゼルは高みの見物を決め込んだろう。勝手なことを言ってくれるが、弓弦に危害を加えてくるような様子は見られない。
それは当然──弓弦にとって好都合だ。
「もらった!!」
槍を弾き飛ばすと同時にフィーナを組み倒す。
「──!」
「何だよこの力は…っ! ッ!?」
抵抗する彼女の手を両手で。身体に馬乗りをして押さえ込んでいく。押し返してくる剛力に驚いていると、彼女の口が何かの言葉を呟き始めた。
魔法だ。
「(…どうする!?)」
どのような魔法かは分からないが、塞がっている手ではそれを止めることが出来ない。
だがこのまま詠唱を完成させられてしまったら、恐らく自分に命は無い──そんな寒気がした。
身体能力の違いからか、両手も、両足も、いつまでも押さえ続けることは出来ない。マウントを取って行動を制限したのは良いのだが、口まで塞ぐようなことは出来なかった。
「(…そうだ)」
しかしそんな中で、防ぐ方法を一つ、彼は思い付いた。
悪魔がいつ心変わりするかは分からなく、もしかしたらもう自分を殺す算段を考えているのかもしれないが、それもまたどうでも良かった。
しかしこれはやって良いものなのか。やったらいけないような気がして、思い止まりかけるが──彼女と、自分の命には代えられない。
「(そう、これは助けるため。生存のための正当防衛。良し、やるぞ、俺。柔らかそうだ、やるぞ、うん。死んでも少しだけ本望。良し、うん)」
あれやこれやと言い訳を考えそうになるが、案ずるより産むが易し。
考えるな、動け。
決心を固めた弓弦は──
「ッ!」
躊躇いと後ろめたさを覚えながらも。
自分の唇を、彼女の柔らかな唇に強く押し当てた。
【ほぅ…!】
「…!!!!」
口が塞がれたことで詠唱は中断され──
「──な、な!? なななななな…ァッ!?」
フィーナの瞳に、光が戻った。
ショックからか、彼女の意識も戻ったのだ。
眠れる美女を起こすのは、王子のキスと相場が決まっていた──ということだろう。
そう、だから正当防衛。
やってることは正しい。きっと、多分。
「…すまん」
頬を羞恥の色に染めながら眼を白黒させる彼女に背を向け、逃げるようにバアゼルに向かう。
不謹慎ではあるが、その柔らかさにはただただ頬の緩みを抑えられない。
「…さて、仕切り直しといこうじゃないか…ッ!!」
緩んだ気持ちを、背後を鳥がゆっくり飛んでいきそうな雰囲気を引き締める。
剣を構えた弓弦を見据えるバアゼルの瞳が、闘志に満ちた。
【興が乗るとは、正に此の事よッ!!】
大きく開かれた翼から、無数の炎弾が放たれた。
夜闇の冷たさに満ちていた周囲が一変、灼熱の世界となる。
まるで火山の中に立っているようだ。弓弦は炎弾を避けながら、バアゼルに迫る。
「それは光栄だなッ!」
背中で灼熱の余波からか、衣服が焼けるような感覚を覚える。
前の次は、後ろ。熱世界に晒され過ぎるあまり、そろそろ服が心配だ。
この服を失ってしまったら、待ち受ける生活は当分の間原住民生活だ。葉っぱを身に纏う日々はさぞ、寒いことだろう。
それに人里にも出られなくなる。流石に恥ずかしかった。
攻撃の直撃が死を意味している状況であっても、不思議とそんなどうでも良い思考が過っていた。
「負ける気がしない…いや、負ける要素が、全く無いなッ!!」
身体に力が湧いてくる。
漲り、高まり、溢れてくるような強い感覚だ。
地を踏み締める毎に、弓弦は速くなった。
速く、疾く、風を纏って加速する。
「これは…まさか…!」
“クイック”だ。フィーナが唱えていないというのに、彼の身に風が宿っている。
それだけではない。刃も火の力に輝いている。
“パワードエッジ”も発動していた。
まるで今までに唱えた詠唱が木霊となり、再び魔法を発動させたかのように。しかし、そうとしか思えない光景であった。
「(風に消えた私の詠唱を、森が呼び戻した? まさかそんな、森に認められたと言うの!?)」
フィーナは周囲を凝視した。
彼女の視界に映る、世界のもう一つの景色。
木々が、花々が、身を潜める動物達から離れた光の粒子が、彼の下へと集まっている。
森が、力を貸している。
自然から力を引き出し、受け止めて自らの力とする。
そんな芸当は、長らく自然と命を共にしてきた者にしか出来ない。自然に愛され、自然に認められた──そんな者にしか。
「(…そう、皆…認めるのね)」
信じ難い光景に、フィーナの動揺は上書きされていた。
森が認めた。そして力を貸した。
それはつまり、森が願っているのだ。
「(何よもう…私の時は、殆ど諦めていた癖に)」
半ば拗ねながらも、分かっていた。
恐らく森は、フィリアーナ・エル・オープストに生きてほしかったのだ。だから敢えて彼女には、積極的に力を貸そうとしなかった。
力を貸さずに、温存したのだ。
いつかの未来から、「彼」を連れて来るために。
「ッ、はぁぁぁぁぁぁッッ!!」
森の──命の力を宿した弓弦が斬り上げると、眩い光がバアゼルの左翼を斬り裂き──落とした。
【ぬ…ッ!】
「嘘…っ!?」
微かによろめく悪魔の頭上に移動した弓弦は、身体を反転。
「まだ終わりじゃないッ!」
重量で加速しつつ、残った片翼の付け根に向けて刃を振り下ろした。
「うぉぉぉおおッ!!」
残ったバアゼルの翼が、更に腕が斬り落とされる。
斬り落とされた箇所は灰になり、消えていった。
「(まさか本当に…悪魔を追い詰めていると言うの…!?)」
翼と腕の切断という驚異的な光景を目の当たりにしたフィーナに、弓弦が叫ぶ。
「魔法、一番強いの頼むッ!!」
フィーナは思わず、口元を手で隠してしまう。
「お断りよ、疲れるもの。自分で何とかなさい!」
「その冗談こそお断りだ!」
未だに警戒心はあったが、流石に状況が状況だ。
不服を感じながら、彼女はそのままの姿勢で詠唱を始めた。
「(仕方が無いわね…!)」
否。もう詠唱は済んでいた。
フィーナの身体から溢れた光が、文字となる。
『全てを凍てつかす、女神の氷槍、事象の彼方より來て敵を穿て』──文字は瞬時に魔法陣となり、冷たい輝きを周囲に放った。
「良し…ッ!」
「お断り」と言いながらも、ちゃんと魔法を詠唱してくれる彼女に弓弦は安堵した。
──実をいうと、魔法の詠唱は弓弦が背を向けた直後から心の中で始めていたのだ。ただ、「ななな」と固まっていただけではなく、弓弦が感じた殺気の正体でもあった。
そんな背景までは知らないが、詠唱の内容から効果を何となく理解した弓弦は、バアゼルの背後に回り込む。
片膝を付いた悪魔が障壁を再展開するが、弓弦によって容易く斬り裂かれる。
「…終わりよ、悪魔…ッ!」
守りの破られた悪魔に向けて、フィーナは右腕を振りかぶった。
魔法陣が、眩い光を放つ──!
『氷柩にて、永久に眠りなさいッ!!』
完成した魔法陣から生じる氷の槍。
美しく、透き通るように透明な槍は水晶を思わせる。
「(皆の仇…今こそ……ッ!)」
今まで放っていた槍よりも、一段と清冽な槍の柄を握り締め、フィーナはその翡翠色の瞳を見開く。
「はぁぁぁぁぁぁ──ァァァアアッッ!!」
そして踏み込みと同時に、全霊の力で投擲した。
極限までに研ぎ澄まされた氷の槍は、音速を越える──!
【ォォオオッ…!?】
バアゼルの胴体を、貫く。
──ゴウゥッ!!
遅れて響く音。続いて、物質が即座に凍て付く甲高い音。
貫かれた箇所は一瞬で凍り付き、動きを阻害する。
胴が、脚が──氷はやがて、首元まで覆う。
「おわっ…危ないな」
腰に帯びた鞘に剣を戻した弓弦は、悪魔を貫いただけではなく自分をも狙ってきた氷槍を掴んだ。
意識が研ぎ澄まされていく。悪魔を討つ──そんなフィーナの願いが、槍に込められているのを感じたのだ。
万感の思いが込められた一撃を、一撃だけにしてしまうのは勿体無い。そう考えた弓弦の思考が、止めの一手を放つための手段を導き出していた。
「(やってるさ…!)」
詠唱を、始めた。
──先程から生じている力の充足感に混じり、彼の脳裏にとある魔法の名称が浮かんでいたのだ。
彼が意識すると、詠唱や行使の方法が次々と浮かび上がり──まるで、「使え」と誰かから言われているようだった。
『思い繋ぎて、誘え!!』
詠唱が完成した。
弓弦の足下に、バアゼルの遥か上空に同じ魔法陣が展開する。
「──高…ッ!」
魔法陣に落ちて行った弓弦の姿は、一瞬にしてバアゼルの遥か上空にあった。
「(この魔法、凄いな…!)」
魔法、“テレポート”。
魔法陣から魔法陣へと対象者を通過させるこの魔法が、瞬間移動の種明かし。
何故そんな魔法を使えるのか。
それは今後、考えるとして。
弓弦は落下しながら、氷槍を真下に向け──。
「一撃と言わず…もう一撃だッ!」
投げた。
「…光が」
光が、バアゼルに向かって落ちていく。
まっすぐ、ひたすらに。
そして──脳天を捉えた。
【グ!? 善くぞ…!?】
氷の槍は重力に従って突き刺さると、悪魔の体躯を氷結させた。
上下に伸びる、氷の柱。螺旋階段のように、雲を貫く。
それはまるで、一種の芸術品だ。
「あぁ…っ」
フィーナの脳裏に、予知で見た光景が思い浮かぶ。
予知で見たのは、天を突くような光の柱。
しかし今天を穿ったのは、氷の柱。
完成したのは悪魔の石像ではなく、氷像。
予知で見た未来が、変わろうとしている瞬間だ。
「これで…!!」
落下しながら身を捩って、柱の真隣に移動した弓弦は剣を抜き放つ。
「シフト」。刃を銃口に変えると、照準に据えるのは氷像の頭部。
多少の誤差は承知の上。上空から地上へと落ちる最中、足が持ち上がり、頭から落下する体勢になった弓弦を風圧が襲う。
激闘に終止符を打つために、引鉄を──引いた。
「止めッ! 一斉発射ぉぉぉぉッッ!!」
弓弦は上空からありったけの弾を発射し、氷像を粉々に撃ち砕いた──。
「ねぇユリさん」
「む」
「弓弦、カッコ良過ぎ」
「…む」
「あ〜も〜辛い! 弓弦が辛いよぉ〜っ!」
「またか…」
「え〜も〜…カッコ良い…あぁ…語彙力が死んじゃう。かっこいい……」
「……」
「え? あっ、待ってよユリさ〜ん!! 聞いて〜!」
「似たようなくだりを、何度聞かされたと思っている。…そうこうしている間に、もう夜になっているぞ…」
「朝でも昼でも夜でも、私は弓弦に恋愛しているの!」
「はぁ」
「ほら、こう夜の会話って…何だかとっても良くない?」
「…確かに同年代の同性が集まった夜は、そんな話にもなるだろうが…」
「でしょ!? じゃあさせてよ!」
「(何故私が聞き手なのだ…)」
「あのね、兎に角弓弦がカッコ良いの。…(省略)で、…(省略)で、(省略)なの!」
「……」
「でね! 弓弦の自主規制が自規制で規制なの、もうっ、制!」
「…橘殿が橘殿なのだな、うむ。では予告だ! 『訪れた静寂を、二つの月が照らしていた。刹那の邂逅がもたらした運命の交錯は、糸同士が互いを補うように交わり続ける。今日も、明日も──次回、支配の終わりに』…さて、寝るか……」
「あっ、寝ないでよ!」