落ち延びて来たキシ
男は、一人そこに座り込んでいた。
寒さと、痛みに耐えるようにして、静かに休憩をしていた。
「……」
幾度と無く負わされた手傷が痛覚を刺激する。
数こそ多いものの、どれもそこまで深い傷ではなかったので応急処置は済ませてあったのだが、裏道に吹く寒風が刺すような痛みをもたらした。
「(陛下……)」
彼は名を、センデルケン・ガトルナフという。
昨晩自らが仕える主であるこの街の王、レガーデス・ヴァルクロベルセを刺客の手より逃してから、彼もまた城からの脱出を図り、こうして何とか落ち延びてくることが出来た。
現在街の北東部にて休息を取って犬彼は、位置にして正反対の南西部にある隠れ家を目指して動いていたのだが、痛みに耐えつつ騙し騙しで歩いている最中に、戦闘の気配に気付いた。
目的地に辿り着く前に命を落としてしまうようなことは、きっと逃げ延びているであろうレガーデスに申し訳が立たず、また自分自身の力不足に嘆くしかなくなる。そのために彼は、兵達と接触することをひたすらに避けて、少しずつ歩みを進めていた。
「ガルルルル…」
ーーーだが、それもどうやら終わりのようだった。
昨晩街を、何故か密かに襲撃し密かに撃退されたはずの魔物の生き残りが、唸り声を上げている。
全開状態ならば、造作も無い相手だ。そう、全開状態ならば。
今のセンデルケンは、全開とは程遠い身体状況であり、十全な戦闘は行えない。
ーーー詰みだった。
「…陛下の御為…みすみす散る訳にはいかない。このセンデルケンの命…ただで喰らえると思う…ぐっ!?」
応急処置した傷口が開いた。
流れ出る血が、止まらない。
「ガルルル…!!」
「…っ…ぅ…ッ!!」
情けない話だった。
兵達を指揮する将軍の地位にあった者が、三下の魔物に命を取られるとは。面黒過ぎる。
「く…づ…ッ!!」
力の入らない足の代わりに、流血している手で建物の凹凸部を掴み、手の力だけで身体を起こす。
また出血個所が増えたが、手の力は緩めない。掴んだものは離さない。
残る片手で剣を引き抜き、水平に構える。喰らい付こうと飛び掛かるであろう魔物の勢いを利用する算段だ。
「ガルルル…ガウッ!!」「ッーーー!!!!」
ーーー退いて。
「ッ!?」
タイミングを計り剣を突き出そうとした瞬間に声。
上の方から聞こえたそれに魔物が反応し、微かに動きが鈍ったその瞬間ーーー
「止め…!」
空から少女が降下して来た。
「…大丈夫だった…?」
下に向けた刀で魔物を串刺しにした少女は、センデルケンの傷口を凝視する。
「…痛そう」
「…どこの迷子かは知らないが、助けてくれたことには感謝する。だが、あまり見ても気持ちの良いものではないぞ」
傷口を少女の眼から隠しつつ、常備していた包帯で新たな出血個所の応急処置を行う。最低限の知識しかないので、あまり満足といえるものではないが、やらないよりはマシだ。
「…少し手伝う」
それを見ていた少女が包帯の部分に手を翳し、小さく何事かを呟いたかと思うと、
「な…っ!?」
チリチリと焼けるように生じていた痛みが徐々に引いていった。
「(これは…魔法!? この子は一体…!?)」
「…これで取り敢えず大丈夫。…もう魔物は居ないはずだから安心して」
「…すまんな」
立ち上がる際に違和感は感じない。至っていつも通りの身体の調子にさせた、謎の少女の謎の行動。
刀の扱い方から、見た目の印象以上の何かを感じる彼だが、動けるようになった以上こうしてはおられなかった。
取り敢えずは、少女を家に送らなければならない。市街閉鎖令が敷かれている現在の『ベルクノース』内に居られるのは、街の住人か、閉鎖令発令以前にこの街に入った旅人かーーーどちらにしても、見た目幼い少女を戦闘が起こっている市街部に放置する訳にはいかないのだ。
「ところで君…君は、どうしてこんな危険な街の中に出ている。助けてくれた礼だ。家さえ教えてくれれば送り届けたい」
「…家? …大丈夫、一人で帰れる」
孤児の可能性も捨て切れなかったが、その言葉に安堵する。
「いや、送り届けたい。家は近いのか? 街のどの辺りだ」
「…南の方の大きなホテル。…けど、一人で帰れるから別に良い」
「武器を持った怖い大人に捕まれば、最悪脅迫と言う形で君の両親に危害が及ぶかもしれない。それでも大丈夫と言えるのか?」
ウェンドロ側に付いたとはいえ、実際にそのようなことをする兵は少ないだろうが、子どもに注意を促すのには効果が見込めるもの。
「…コク」
ーーーしかし、肯定の頷きに悩まされることに。
中々に頑固な少女のようで、どうやら意見は訊き入れてもらえなさそうだ。
「…君は何の目的で外に出ている? 街の外には出られず、天気も今日は比較的不良だ。こんな日にわざわざ外出することもないはずだ」
攻め方を変更。少女の外出目的を訊いてみる。
「…お城に向かってる」
「城に? 一体何故」
「…旅行の邪魔」
「…?」
今一つ要領を得ない。
分かったのは、少女が旅行者であるということだけだ。
「…旅行の邪魔…許さない…ッ!! …だから、頭を潰す」
随分と物騒なことを言うものだと、呆れさせられた。
「頭…? あの城の主ということか」
焦点を絞っていく。
「…コク。王様降参させて…戦い止めさせる。…あなたを助けたのはそこに行くついで」
どうやら少女の目的は、センデルケンの目的と似通ったものだ。
直接的か間接的かの違いはあるが、センデルケンもまた今の城主であるウェンドロの打倒を目指しているので、少女が少女でなければ、協力を頼む可能性も存在したのだ。
残念ながら少女は少女なので、例えどのような目的があったとしても安全を確保させなければならなかった。
「今の城は危険だ。君のような子どもが冒険感覚で行くような所ではない。親を悲しませるのが関の山だろう」
「…もう行く。時間の無駄にしかならない」
「待て」
少女の腕を掴む大の大人の男。絵面としては非常によろしくないものだが、彼は必死だった。
ウェンドロは子どもの命を取るようなことはしない男だ。戦争を起こそうとしている人間だが、わざわざ“正義の味方”まで喚んだ以上、そこに何らかの思惑があると、彼は見ていた。
“正義の味方”というのは他でもない、かつてのこの国の救世主達のことだ。
他の国では恐らく、二百年余り前の偉人といえば、『二人の賢人』の方がメジャーだろう。だが、この国では彼等と同程度の知名度を誇る五人が居る。
二つ名こそ無く、一人は賢人と被るものの、“あること”に立ち会っている人物達にとっては、彼等の名は、自分達の子どもの名前のように分かるのが当たり前のものとして認知されていた。
レティナ、ガノンフ、フィリアーナ、デイル、スートルファーーー五人のそれぞれの名。
細かな容姿は伝えられていないものの、城からの脱出を決意する切っ掛けとなった光景は、その内四人が“喚ばれたことをセンデルケンに信じさせた。
少し前まで聞こえた爆音は既に聞こえなくなっているが、もしそれがその四人によるものだとするのならば、戦っていたであろう相手はーーー
「駄目だ。城へは行くべきではない」
ーーーいずれにせよ、ウェンドロが他にも謎の行動をしていないとは限らない。少女の実力がどれ程のものだったとしても 、城には行かせられない意地があった。
意地とするよりは彼の我儘に近いだろうか。振り解こうとする少女の腕を離すつもりはなかった。
「…離して」
「子どもが動いてどうにかなるものじゃない。大人しく帰ると良い」
「…それは駄目。…離して、おじさん」
想像以上に強い少女の力に片手では抑え切ることに限界を感じ、とうとう離してしまう。
「ま、待て!」
その次の瞬間、少女は屋根の上に上がっていた。
背を向けた少女はそのまま城の方へ向かおうとしたところで、
「待ってくれ」
別の声に呼び止められた。
ビクッと肩を竦ませた少女に年相応の行動をさせた人物は、センデルケンが身体を寄せている建物の屋根に立っているようで、見上げても姿は見えなかった。
「朝からずっと出突っ張りだろう。ちゃんと防寒対策しているか?」
「…コク。…厚着してるから大丈夫」
「そうか。風邪を引いたら大変だからな、注意するんだ」
少女の身内の人間だろうか。
身内の人物ならば、少女がこれから何をしようとしているのかいち早く気付き、止めるべきだと思うセンデルケンだが、男と思わしき声の主は止める気配を漂わせていなかった。
「…コク。…お散歩、街の北に行くつもり」
「分かったが、あまり遅くならないようにな。そうだな…まだ小学生の歳なんだから、十八時には帰って来い。後一時間と少しだ」
「…コク、はーい」
それどころか、少女がこれから取るであろう行動を肯定までしてしまった。
良いのかと声を上げそうになるが、
口内に押し留める。身内の会話に口を挟む無粋さは持ち得ていないのだ。
「…行ってきます」
「あぁ、行ってこい」
少女はそのまま北の方へ姿を消した。
唖然とその姿を見送るセンデルケンだが、上に居るであろう人物が気になった。
降りて来ないかと様子を窺っていると、頭上から物音が聞こえる。
「っと」
眼の前に男が飛び降りて来たことにより、このまま相手にされず去られるという事態が無くなる。
「うちの子が邪魔したみたいで悪かったな。迷惑じゃなかったか?」
「父親か」と判断する。
「いや、寧ろこちらが助けてもらった。感謝したいぐらいだ」
「そうか、なら良かった」
そう言うと、男は街の南西の方向を向いて頰を掻く。どうやら、何かを思案しているようだ。
「…ん? あぁ、気にしないでくれ。こっちの話だ」
センデルケンが理由を訊くと、話を逸らされる。見たところ、困った表情にさせる何かしらを考えたようだが、それを教えるつもりはないようだ。
もっとも、男とセンデルケンは初対面だ。訊かれたからといって教えるような関係でも、教えてくれないことをわざわざ深く訊ける関係ではない。
結局センデルケンは、男の背も見送ることになった。
「ーーーと、言い忘れていた」
男が戻って来るまでは。
「今この街で戦闘が起こっているのは知っていると思うが、その戦闘に参加しないでほしい。そして出来れば、もし戦闘が起こりそうな場面に立ち会ったら、戦闘を止めてほしいんだ」
戻って来た男が口にしたのは、「戦闘を止めてくれ」という何とも不思議なお願いだ。
戦闘が起こっていることを勿論センデルケンは知っている。衝撃によるものなのか、振動が伝わってくるのを感じていたし、身を隠している傍、ウェンドロの兵と思わしき一団がどこかに向かっている光景を目撃していたからだ。
「何故、俺にそれを頼む」
「たまたまさ。近く居たから頼んだだけで、深い意味は無い。…それに正直言って、見たところ軍人のようだから適役だと思ってな」
服装を見ればすぐに思い至ることなので、大して驚くようなことではない。適役かどうかは怪しいものだが、戦闘が終わるのならば動くのも吝かではないのが本音だ。
「了承した、だが一つ訊きたいことがある。お前は何故戦闘を止めようと動いている」
「ざっくり言うと、戦闘が起きて人に死なれると、目的を達成するために邪魔になるんだ。達成さえすれば再開してくれても構わないんだが」
「…目的? それは何だ」
しかしこの男。戦争をどうにかしてくれるのかと思いきや、戦争自体はあくまで障害物でしかないようで、当然気になる点だった。
「…さぁて、な。だが、別に無抵抗の人を手に掛けるとか、そんなことはしない。誰かが仕掛けてさえこなければ、気付かない内にこちらは終わっているから」
更にはぐらかされる。
どうやら、言うつもりはないようだ。
「…もし何者かが攻撃してきたらどうするつもりだ」
「場合によるな。だが応戦は当然する」
この男とは戦いたくないと、ふとそう感じさせられた。
触れてはならない逆鱗が、この男にはあるようだ。
「…あんた…城側の人間か、それとも反抗している側の人間か、どっちだ?」
「…反抗している側だ」
城側と反抗側。つまり、ウェンドロ側かレガーデス側かということだ。
センデルケンはレガーデス側であることを即答した。
「そうか。じゃあ取り敢えず付いて来るか?」
どうして付いて来るかどうこうの話になるのか、全く見えてこない。
「何故だ?」
思わず訊き返してしまうも、次の言葉を訊いた瞬間ーーー
「知り合いに会えると思うぞ」
「行こう」
センデルケンは男の提案を、二つ返事で了承した。
知り合いーーーつまり、散り散りで戦っていたでたろう味方が集まっている場所があるのならば、是非向かいたいのだ。
男が思案の意識を向けた方角はここより南西。センデルケンも、ここより南西の方角にある建造物に向かおうとしていた。
「知り合いに会える」と言うからには、恐らくこの男の目的地は同じ。渡りに船とはこのことで、否定をする必要性が無かった。
「わざわざ道なりに行くのは面倒だから屋根の上を走るが、行けるか?」
『ベルクノース』の家々は、一部を除いて屋根の傾斜角が大きいものが多い。
屋根に雪が降り積もることで、天井が抜けないようにすることが目的のこの建築方式。ただでさえ傾斜が大きいのに、運悪く(雪にとっては落ちなかった点において運良くともいえるが、雪掻きをする住民にとっては堪ったものじゃない)張り付いた雪が、氷となって足下を滑り易くしてしまうので、屋根の上を渡るのは転落の可能性上、非常に危険だ。が、通りを歩いて戦闘に巻き込まれるのに比べ、可能性が低いのは確実だった。
「行こう」
積まれているドラム缶の上から二人で屋根まで上がり、南西部を目指す。
雪の勢いが増し始め、視界は悪くなりつつある。敵から発見され難いのが利点だが、足下に気を配らないと転落する悪点もあった。
男が屋根を、さも道端の段差を飛び越えるような感覚で移動しているのに対し、センデルケンは道中何度も滑りそうになり肝を冷やす。
「まだか」、「もう少しか」と、内心疲れ果てながら進んでいる彼だが、現在地が街のどの辺りであるのか既に認識出来ていない。
中々の速さで男が移動するため、付いて行くのに精神力を消耗しているセンデルケンに、周囲の景色を気にする余裕は無いのだ。
「よし、付いた」
その言葉でセンデルケンが感じた安堵感や達成感は、大きい。
長い旅を終えたような心持ちの彼はその場所を、見上げることになった。
「…ここか?」
おかしい。レガーデスが、その他の仲間達が潜伏していた隠れ場の入口は、こんな見上げるまでに高い建築物ではない。というより、明らかに違っていた。
「さ、行くぞ」
構わずその中に入って行った男に続き中に入ると、そこはホテルだった。どうりで外観が高く見えた訳だ。
入口で雪を払ってから、周りからの視線を気にせず男はエレベーターに乗る。センデルケンも倣って彼に続くと、エレベーターの扉が閉じた。
重力に逆らい、エレベーターが上に上がっていく。
「ここに居るのか?」
どうにも疑わしく思ってしまい、その最中壁に寄り掛かって溜息を吐いた男に確認すると、
「…一人居る」
どうして分かるのかは知らないが、眼を細めた男はそう答えた。
「……」
予想よりも四人少ない。
ここに五人集まっていればと、願っていたのだがまさか一人だけとは。
ならば、ここに居る人間は、レガーデスでなければ困ることになる。
万が一の事態は避けだったのだが、それも考えなければならないようだ。
エレベーターを降りた男は、奥の部屋への扉の前で、立ち止まる。
「…この先に?」
扉の先は大広間だと、記憶していた。どうやらこの先に数人居るようで、話し声が聞こえてきた。
「‘…良くこんな部屋を取れたな’…よっと」
取っ手を押すと、扉が開いていった。
「甘いねレオン! たわわな果実は僕が連れ帰るよ!!」
「おいおい! 下心丸出しはいけないぞ、セイシュウ! …おいこらっ、手! その手はもう少し擦らせ~!!」
「はっはっはっ!! 不可抗力と言うヤツだよ! 彼女の果実は大きいからね、抱え上げるとどうして、そう! どうしても手が触れてしまうんだ!!」
「お前さんの『どうしても』は、別の意味での『どうしても』だ~!! っ!? そんな大胆に太股を掴むな! マズいぞ~っ!?」
「嫉妬は駄目だよ、レオン? …うわぁ、柔らかい……」
「マズいってセイシュウ! そいつはセクハラだ! シテロちゃんから訴えられたら独房行きだぞお前~!!」
「…ねぇレオン」
「…何だ~?」
「寝取るって…どう思う?」
「お前まさかーーーッ!? Dを拗らせ過ぎだっ! いい加減にし」
「負け犬の遠吠えさ! …じゃあそうだな…VR4なら今大丈夫かな。クアシエトール大佐は任務中だから…ふむ。じゃあ行こうか「どこに行くつもりでして?」…ッ!?」
「…た方が良いって言おうと思ったんだがな~。ん~? ここで予告か~。『…久し振り…か。思わぬ再会になっちゃったわね。本当…本当に…。ダメよ、私。話したいことがあるのなら、それは全部終わってから…と、言いたいのだけど…もぅーーー次回、二人とフタクミ』…はいはい、そうね。そうさせてもらうわよ、もうっ。…とさ。じゃ~セイシュウの行く末は次回の予告でだ~!」