剣心シッソウ
「こう言う時…魔法で出来ることが意外に少ないんだと思い知らされる。…まぁ、健康のありがたみっていうのはお蔭様で分かるようなものなんだが」
ようやく咳が落ち着いてきたフィーナの髪を弓弦が撫でていると、身体をベッドに寝かせている彼女は、「そうね」と同意し同時にクスリと笑った。
「薬のありがたみも良く分かるわね。…と言っても人間は本来一属性の魔法しか使えないから、全ての『魔的要因』に対応し切れる訳じゃないのだけど」
「…『魔的要因』と『非魔的要因』…か。そう言や昔フィーに教えてもらったっけな」
「ふふ、そんなこともあったわね。あなたったら飲み込みが早くて…あの頃からただの人間じゃないと思わされたものだわ。…はぁ、懐かしいわね」
昔を思い出す。
その度に、良く今の関係にまでなれたと改めて染み染みと実感する弓弦だ。
「あれはフィーの教え方が良かっただけだろ? 猿でも分かる、何とやらさ」
「…それはさり気無く、分からないであろう人のことを馬鹿にしていることになるわよ? 教育課程が組まれる程には魔法の理論は理解が難しいもの。それに私自身、自分の言っていることが誰にでも理解されるとは思っていないわ。あまり買い被ってもらっても少ししか嬉しくなかったりするし」
少しだけでも嬉しいと口にしてくれる辺り、また照れてくれる辺り可愛い。
『にゃは、あぁ…だからあんにゃ番組が突然放送されたのかにゃ』
「(あんに…あんな番組? 一体何のことだ?)」
返事は返ってこなかった。
一体どんな番組がやっていたのか気になる彼だが、フィーナが怪訝そうに見詰めてきていたので、思考を中断した。
「考え事? …そう言えばイヅナ…帰って来ないわね……」
ベッドの隣に置いた椅子に腰掛けながら外を見る。
先程大きな爆発が起こっていたが、二人にとっては知らなくても良いものだ。
「…今は街の北部に居るみたいだ。さっきから魔力を感じる方角が変わっていないが、何かしているってところだろうーーー」
爆発が生じた。
「「ッ!?」」
同時に四箇所だ。
だが、爆弾等による単なる爆発ではない。
「フィー、今の」
「……」
「フィーッ!!」
知覚した魔力を視た限りでは、話題に出ていた少女のものとは異なっていた。
魔法具の類とも異なっており、四箇所で異なる魔力が、突如として発生したのだ。
かつて『大災害」と呼ばれた大災厄によって、世界より精霊、妖精。人間の間より魔法が消えて久しい現在、魔力を感じるということは、街に魔物が現れたのか、あるいはーーー
「…まさか…いいえそんなはずは…でも…「こらしっかりしろっ」あうっ」
動揺するフィーナの額を指で弾く。
人間同士の争いで魔法が用いられたことは、明らかに只事ではない。それは、フィーナの動揺も手伝い強く実感させられるものになった。
「落ち着け。変に興奮してまた咳き込んだら大変だろ?」
「…えぇ、そうね。ごめんなさい」
「分かれば良い。それで、この魔力の持ち主について何か知っているのか?」
このまま傍観者に徹するのも良かったのだが、場合によってはイヅナの下へと向かう必要があった。
それに、やはりフィーナの動揺振りが気になったのだ。
「…けほっけほっ。…それを確かめたいのだけど…風邪で動けないのが悔やまれるわね、もうっ」
どうやら体温が上がっているのか、触れた手は熱い。
また別に風邪であったとしても、全く動けないフィーナではない。多少の無理を通せば、外出して疑問の正体を確かめることが出来るが、余計に身体を崩してしまうような行為を許す視界の人物ではないので、それを踏まえて「動けない」と言ったのだ。
『僕が行って来るのにゃ』
「(あぁ任せる)…イヅナの方はクロが行ってくれるようだ。…心配だが、任せておいて良いだろう」
『…安心じゃにゃい…虚しいのにゃ……』
それだけ言うと、クロルは弓弦の身体から外へと出て行った。
弓弦に他意は無かったのだが、バアゼルに対しては安心、自分に対しては心配と言われてしまえば、心中さぞ複雑だろう。
「…別に私のことは放っておいて、あの子の迎えに行っても良いわよ? 心配でしょう?」
「はは、『任せろ』と言われたのに任せないようじゃな。それに…あー」
「…?」
「…寒いのが嫌なんだ。俺まで風邪引いたら大変だしな?」
口籠って言い直した弓弦の言葉。
寧ろフィーナと一緒に居る方が風邪を移されてしまう可能性があるのだが、そこを言及する程彼女は馬鹿ではなかった。
どちらかというと、「是非ッ!」と甘えてしまいたい気持ちなのだが、素直に言わず、言葉を何重ものオブラートで包んだ弓弦の意思に、しょうがないと言わんばかりの態度を見せつつ頷いた。
「ふふ…そうね。別にあなたが風邪を引いたとしても付きっ切りで看病するだけなのだけど」
「はは、その時は頼む。もっとも、風邪なんて引いて堪るかって言ったところなんだがな」
「えぇ? 別に良いわよ? それとも私の看病…嫌?」
「まさか。フィーの看病が嫌な訳ないだろう? 悪いとは思ってしまうが」
「良いじゃない。私は喜んでするわよ?」
言葉の端々で咳き込み掛けてしまうのを抑えている彼女だが、無理しないでほしいのが弓弦の本音だ。
同時に、外に出たくないのもある種彼の本音だ。
人間同士の争いーーー昔の彼ならば、謎の正義感に駆られて首を突っ込んでもおかしくないものだ。
だが、蚊帳の外の人物達がどうこうしたところで何の意味も無いし、昨日の人物のように、『二人の賢人』のことを知っている人物が居るかもしれない。
それだけで注意するには十分過ぎるものであり、『ジャポン』での経験もあるのだ。この世界では、あまり表舞台に立つべきではないと、弓弦はフィーナと二人で決めていた。
ーーーしかし、彼の中では妙な胸騒ぎがあった。
それは先程感じた魔力ではなく、それよりも少し前に感じたパンドラの箱を開けたような感覚に対してのもの。
フィーナには悪いのだが、どうしてもそちらの方が気になってしまうのだ。
「(…俺の勘違いなら良い。だが妙に胸が騒つくこの感覚…俺が以前、似たような感覚を覚えたことでもあると言うのか…?)」
間違い無く感じたことはあるはずなのに、思い出せない雲掴みの感覚。
思考の無駄と切り捨てることも出来るには出来るのだが、どうにもそれが出来そうにない。
「…(あの魔力は…でも……)」
疑問は、大きな渦のように渦巻き、思考を錯綜させていく。
「(だがそれよりもイヅナだ)」
「(だけどそれよりもイヅナね)」
しかしそんな疑問よりも、少女が今どうしているのか気になる二人なのであった。
* * *
ーーー時は少し遡る。
「…?」
イヅナは、首を傾げた。
あちらこちらで戦闘行為が行われている中、彼女はある発見物を見付けたので、その場に急いでいたのだ。
首を傾げたのは、現在近くで繰り広げられている戦闘に関するものについてだ。
「…刀の…使い手?」
視線の先では兵と兵が衝突している。
おそらくこの街で勃発している戦闘の規模では、ここが一番大きいであろうか。
彼女が眼を奪われた存在は、多くの兵が入り乱れている中、まるで荒れ狂った竜巻のように敵兵を斬り刻む男だった。
「チェストォォォォォッッ!!」
いや、兵が入り乱れてはいるのだが、その竜巻の周囲にだけはまるで、避けているかのように一方側の敵兵しか居ないようだ。
しかしそれも当然であろうか?
「斬鉄剣・竜巻斬りィッ!!」
渦を巻くような猛々しい斬撃は、巻き込むものを微塵も残さない。
あの剣の渦に巻き込まれてしまったらきっと、敵も味方も無いのだろうと、そう思わせてしまうーーー否、思うしかないが正しいか。
「‘…カッコ良い…!!’」
敵味方構わず巻き込むその竜巻を作り出す人物を見た少女は、瞳を輝かせる。
グッと握り締めた両手は彼女の興奮の度を表しているのであろうが、何とも愛らしいもの。
しかし無慈悲でもあった。
眼の前で命の遣り取りが行われているというのに、自身もその場に居るのに、あくまで傍観者に徹する。それは、散り行く者にとっては残酷極まりないことに相違無い。
それは、少女が少女であるからこそ起きるのだろうか。
いかに残酷であっても、凄惨であっても、少女にとってはまるで、面の向こうーーー時には画、時には紙の向こうで起きるものでしか、認識出来ないのだ。
危機感の欠如とも表することが出来る無垢さは、一つの問題としては内包している危険度の高さが計り知れない。
また危機感の欠如とは言い換えるならば、無知。
無知であるからこそ探求する。智慧を得るためにーーーそれは、人としては当たり前の欲求だ。探究心の深さが人の有り様を決めるというのも、一つの意見としては、有りなのだ。
探究心とは、則ち探求する“欲求”のこと。欲求は人の持つ本質的な意志を示している。
欲求。つまり、“欲し求める”こと。それ自体に善悪があるという訳ではない。
だが欲求の対象が、倫理に反するものであったとしても追い求めてしまうーーーさながら禁断の果実の誘惑。それに勝てない者の、なんと多いことかーーー
「(…此れ以上の迂闊事は些か危うい。何事も無ければ重畳と云えるが……)」
少女の肩に乗っているバアゼルは、そんなことをふと考えていた。
蝙蝠悪魔は、彼女がホテルを離れようとした際に制止したのを否定されてからは見守りに徹しており、直接口には出さない。
「唸れ! 巨獣の如く!」
男は、握る刀を上段に構えた。
「(ほぅ…中々の業物。輝きは娘の得物を優に越すか)」
「斬鉄剣・大、切ッ、ダァァァンッッ!!」
振り下ろされる。
だが、その刀身の二倍以上の長さの範囲から離れるように距離を置いた兵達には届かなかった。
「…ぁ、外した……」
期待外れであったかのように肩を落とすイヅナだったがしかし、
「おー…!」
鋒の軌跡に沿うようして放たれた地響きの如き衝撃波が、縁方まで兵を切り裂いていくのを見て興奮を取り戻した。
「‘…あの人…強い…! 刀も…凄い…!!’」
そして程無くして、戦闘が終わった。
『斬鉄剣』という銘らしき刀を携えた男は、その最中常に武神の如き刀捌きを見せていたのだが、現在は勝鬨を上げた姿勢のまま静止していた。
「‘『零式斬鉄剣』の前に栄える悪は無い…。凄い凄いっ! カッコ…良いっ!’」
どうやら一回聞いただけで頭の中に入ったのか、言葉を繰り返しながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねているのは非常に愛らしいものだ。
「‘バアゼル、バアゼル! あの人の剣…近くで見てみたい…出来れば欲しい…!!’」
「‘…莫迦を吐かせ。自ずから勇んで戦場に出る者が居るか。言付けられている故に自粛するが良い、分かったな?’」
欲するまでに希望する程の物なのか、バアゼルは今一つ解していない。
確かに名刀だ。店等で販売されていたとするのならば、バアゼルとて手に取ってしまうかもしれない程の。
だが、わざわざ譲り受けて貰うまでかーーーと、問われると、「否」と返すだろう。今の彼に美味い蜜柑以外の物欲があまり無いのも、刀に興味を示せない一因ではあったりするのだが。
確かに戦力を増強する上で得物を強力な物に変えるのは、本人の実力向上と同程度に大切なことだ。
「…コク。…でも…貰いたい…。…戦って勝ったら貰えると思う…?」
しかし、今日のイヅナは押しが強かった。
「‘武士に得物を譲れとは、則ち命を断てと宣告している様なものだ。娘、彼奴に去ねとでも云うつもりか?’」
そこに並々ならぬ意志を感じたが、彼としては止めるしかない。
先程から街に漂い始めている穢れた気配。それが懸念でならないのだ。
「‘…ううん、それは駄目。…弓弦とフィーナに怒られちゃうし…殺してまでは欲しくない…私も嫌だ…’」
「‘(ふむ、然もありなん)…ならば、時勢が落ち着きし時、機を改め交渉に赴けば良いだろう。我も其方を強く推す’」
「‘…コク。…?’」
話が一段落終わる。
するとバアゼルが頭上を見上げたので、イヅナは首を傾げた。
影から覗ける範囲では分からないが、どうも次の部隊が現れたようで兵達が身構えているのが気配より分かった。
ーーー兵達が鬨の声を上げた。
銃声、銃声、銃声、その最中で空を凪ぐ風切りの音。
男の姿が見えなくなってしまったので、もう少し近くから見てみようと動こうとしたイヅナの視界に、黒き翼が映る。
「‘止まれ、様子が不穏だ’」
「…?」
邪魔されたとばかりに不満気な表情を見せたイヅナも、バアゼルと同じ何かを感じたのか周囲の警戒に神経を研ぎ澄ませる。
「ーーー臥せッ!!」
なので、バアゼルの鋭い声に素早く反応することが出来た。
雪に沈むようにして伏せた少女と蝙蝠悪魔の背中のすぐ上を、衝撃が突き抜けていく。
「‘…魔力の…爆発…? …どうして?’」
上がる悲鳴。断末魔だ。
火の魔力による熱波が、背中越しに伝わってくる。
発動された魔法が、火属性中級魔法“フレイムボムズ”ということは分かった。しかし、『魔法具』を用いて発動されたのではない純粋な魔法というのが謎の点だ。
イヅナはすぐに周囲の魔力を探り、魔法の発動主を見付ける。
「‘……火属性魔法使い。…『組織』の…『革新派』の回し者…? …でも…この魔力の感じ…?’」
ここだけではない。別の場所でも属性の違う大きな魔力を知覚した。
ーーーそして、多くの生命の灯火が失われようとしているのも。
範囲外にされていたのか、建物の中に隠れているであろう人物達は無事のようだが、先程までここで戦闘を行っていた、一方側の兵の数だけ黒煙が上がっている。
悲鳴が上がる。苦しそうな悲鳴だ。
その度に、命の灯火が消えていく。
例え中級魔法であっても、人の命は容易く奪えるのだ。
「‘…娘、他に目的があるのだろう? 此処を離れて其処に「見付けたのにゃ!」’」
身体を起こして光景を窺おうとしているイヅナの背後から、声。
クロが追い付いて来たのだ。
「弓弦とフィーナが心配してい「しっ」‘…心配しているのにゃ’」
「っ、おのれ……戦士を一撃にて屠るか! だが俺の命にまでは届かなかったようだなッ!!」
たった一人生き延びたらしい刀使いの男の声が聞こえる。
同時に聞こえてくる銃声から、どうやら一体多数の状況となっているようだ。
「‘…見付かる前に早く二人の下に帰るのにゃ’」
「‘ううん…行きたい所がある’」
「‘にゃらどうしてそこに行っていにゃいのにゃっ。…じゃあ早くそこに急ぐのにゃ’」
戦闘の行末を見たい少女は何とか待ってもらいたかったのだが、それをクロによって逆手に取られてしまい、頬を膨らませる。
フィーナと弓弦が心配しているのならば、イヅナとしては帰らなくてはならないという義務感が生じるのを否めない。
だがそれでも眼の前のカッコ良い光景を見ーーーもとい、目的地に向かいたかったので、
「‘…もうちょっ「‘不許可だ’」’」
ーーー向かいたかったのだが、バアゼルの後押しによって結局、その場を離れることにしたのだった。
「え、えぇぇぇぇっ!? 何あの色物!? 色々と何か心配なんだけどっ!!」
「お、お~? どうしんだ知影ちゃん。鼻息荒くして~」
「鼻息は荒くなってないです隊長さん! 私が鼻息荒くするのは弓弦のことに関することだけで…って、私はツッコミ役じゃなくて弓弦にツッコまれる方なのですけど!!」
「ぶっ、知影ちゃん!! 女の子がそんな言い方をしちゃいけないよ!!」
「お~お~、セイシュウの言う通りだぞ~?」
「本当のこと言って何が悪いんですか。私は女の子の本能に従っているだけです。女の子の本能、本能、即ぁち、セッ「わぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」」
「だ、駄目だよ知影ちゃんそんなこと言っちゃ!! 弓弦君に怒られるよ!?」
「…あー、それは微妙です……私はフィーナじゃないし、構ってもらえるのは嬉しいし、気持ち良いのは大歓迎だけど…何か、嫌です」
「…意外にまともだよな~」
「そうだね」
「失礼しちゃうんですけど」
「あはは…まぁ気にしないでね。日頃の行いってヤツだよ」
「んじゃ~、予告いくか~!」
「また急だね。どうぞ」
「『だぁぁあっ!? ほ、本当に…夢でも何でもなく化けて…っ!? 祟りじゃないかこれ…っ! ははははは…。だか、やるしかない。…俺はやってやる。必ず…ウェンドロの喉元に食らい付いてやるーーー次回、沈むはハクゲシキ』…雪…冷たい…な……。らしいぞ~」
「……うん、面白そうだね」
「ところで、あの人…やっぱり一刀両断とか、武神みたいな装備で攻撃したりするのかな……? にしても…本当に危ないなぁ」