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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
最初の異世界
21/411

支配する者

 日がかげり、周りが暗闇に包まれ始めた時。

 どれだけ歩いたのだろうか。時折走り、時折(つまず)きそうになり、それが三回程続いた時にとうとう歩くことにした──そんな時間が続いてから暫くして。

 二つの月に照らされる広場にて、弓弦は“それ”を見付けた。


「…ここは…?」


 森の奥深く、もうどれぐらい奥なのかは分からない。というか、右も左も分からない森道だったため、単に同じ所を迷い続けていただけなのかもしれない。

 しかしそれでも挫けずに探し続けた結果、“それ”はあった。

 左右前後に続いていた木々が数を減らしていき、小さな広場となっているその空間に弓弦は足を踏み入れた。

 空が仰げる広場は、所々の大地が抉れている。中心に向かって棚田のように段が変わっている大地が、凄まじい衝撃波の痕であると分かった。しかしどこも微かな緑に覆われているのは、時間の経過によるものか。

 小さな花が咲いている部分は避けて歩く弓弦の耳に、葉擦れの音が届く。夜露を乗せた風は仄かに湿っており、頬を撫でた後は森へと帰っていく。

 梢が微かに動く景色の中、“それ”はあまりにも静かに存在していた。

 歩速が速くなり、やがて走行となる。

 駆け寄って触れてみると──掌が冷えた。


「…っ」


 温もりの跡は──無い。

 最早動くことのない、完全な石造物。

 躍動感に満ちているだけの、美し過ぎる石造物だった。


「…生きては、いないか」


 決死の表情を浮かべ、両手を突き出している彼女。

 まるで何かしらの一撃を放っている様子──と表すのが正しいだろうか。石と化してもなお美しさを放つ髪が、大きく持ち上がっていた。

 世が世なら、美術館にでも並ぶ世紀の美術品として扱われるのだろう。髪の合間から覗く犬耳──のようなものは、まるで彼女が神話の存在であるとばかりに幻想的であった。

 しかし何故だろうか。弓弦は無惨な物を見ている感覚に囚われた。


「…フィーナ」 


 静寂に支配された空間に、弓弦の声が染み入っていく。 

 まるで──そう、時が止まっているみたいだ。

 巨大な蝙蝠型の悪魔と、夢で会った女性の石像。

 両者とも、微動だにしない。


「…!」


 だから、僅かな変化に弓弦は気付いた。

 向かい合っている二つの石像の間にある僅かな空間。

 色と色が混ざり合うような、微かな歪み。

 一度意識すると、猛烈な違和感を発する揺らぎが揺らめいていた。


「何だ…? 身体が…」


 ふと、弓弦は自分の中に何らかの力が湧き上がる感覚を覚えた。

 身体から溢れていく見えない粒子が剣を包み込み、淡く発光させる。


「おわっ、光ったっ!?」


 弓弦の眼では、突如として剣が発光し始めたようにしか見えなかったものの、眼の前の揺らぎと関係があるのは分かった。

 しげしげと剣を眺めた後に、剣を掲げてみることに。


「そらっ!」


 しかし、何も起こらなかった!


「…おいっ」


 零した文句が、それはもう虚しく空気に溶けていく。

 剣は淡く輝いたまま、それ以上の変化は無い。

 どうやら掲げても、特に意味は無いようだった。


「…こうか?」


 押して駄目なら引いてみよ、とはよくいったもの。

 今度は、切先を反対に向けた。

 柄を胸の前にまで持ち上げ、一度に刺し込んだ。


「はぁッ!」


 気合も入れた。


「……」


 しかし、何も起こらなかった!


「…何なんだよ」


 剣は確かに輝きを帯びているのに、それを活かせない。

 眼の前に、明らかな違和感があるというのに何も出来ない。

 もしかしたら、輝きも揺らぎも単なる錯覚ではないのだろうか。

 自問自答しそうになりながらも、眼の前の光景は確かな現実の景色。決して夢ではないと言い聞かせ、気持ちを落ち着かせる。


「ん…?」


 落ち着かせてみると、どうだ。

 光を帯びているのは、剣だけではない。フィーナの石像もまた、微かに光を帯びていた。


「…寄せろってことか?」


 弓弦は持ち直した剣を、静かに彼女へと寄せていく。

 すると、フィーナを包んでいた光が剣に宿る。


「っ!?」


 光が解けた。

 解けた光は形を成していき──文字となる。

 文字は組み合わさると文章となり、弓弦の前で光り輝いた。

 淡い、しかし力強い光。

 読み進めてみると、随分と詩的な表現がされていることに気付いた弓弦。


「(…まさか)」


 もう一度文字を確認し、頷く。

 これは──詠唱文だ。

 これまで似たような文句を眼にしていたからこそ、そんな確信に至った。

 この状況下で、現れた文字。

 読むしかない。弓弦の口は、徐に動いていた。


『過ぎ去りし時の流れよ…色褪せぬ思いの欠片よ…』


 文字の明滅が強くなる。

 まるで、紡ぎ出された言葉に応じるように。


『開くは道。導かれ、辿るは途。この一刀を以って扉を…!』


 文字が解けた。

 光の線となった文字は、模様を縫うかのように複雑に絡み合い──空中に陣を形成した。

 魔法陣だ。空間の揺らぎを包み込むと、綺麗に覆った。


「(…そうか!)」


 剣の輝きが強くなる。

 その輝きは、最初とはまるで違う。

 弓弦は静かに剣を構えた。

 これから行うべき動作が、彼の脳裏に浮かんでいた。

 上段に構えられた剣が振り下ろされる──ッ!


『路を開かんッ!』


 縦一文字。

 魔法陣が、空間の揺らぎごと斬り裂かれた。

 斬撃を中心として、二つに擦れる世界。軌跡は円状に膨れ上がり、穴となった。

 それは、少し前に弓弦が吸い込まれた穴──アデウスが用いた、転移のための(ゲート)に酷似していた。 


「…時間跳躍タイムワープ…」


 使用した魔法の名前と思われる名称に、疑問が脳裏を掠める。

 何故自分がそんな魔法を使えたのか?

 考え込もうとして、諦めた。

 何はどうあれ、自分が目指す場所がこの先にあるような──そんな強い予感が身体を動かそうとしている。

 「彼女が待っている。この先に行け」、と本能が命じていた。


「…行くしかないか!」


 弓弦は脇目も振らず、穴の中へと飛び込んだ。











 ゲートから続く道は、歪んだ景色の連続であった。

 捉えどころのない、様々な色が滲むように混じった世界を駆け抜けていると、彼方に扉が見えた。

 扉を潜った弓弦を迎えたのは──見覚えのあるような、ないような景色。


「…ここは」


 背後には木造の小屋。

 先程までは、過去の残骸が遺っていただけの場所に小屋が立っていた。


「帰って来たのか?」


 戻って来た。

 しかし喜びも束の間、島が僅かに揺れた。


「もう、始まっているのか…ッ!」


 二度目の振動。

 間違い無い、揺れている。

 それを確認すると、弓弦はボロボロ帽子を脱ぐ。


「…必ず」


 誰の眼にも触れないように、近くにあった薪の山に隠し、強く願った。


「必ず…連れて帰るからな…!」


 生還を誓い、森に向かって走り出した。

 先程通ったばかりの道をもう一度駆け抜けて奥へ、奥へと向かう。

 進めば進む程に空気が酷く淀んでいくのが分かった。

 きっと話に聞いた悪魔が、間違い無くこの先に居るのだ。


「頼む…!」


 ──そして、きっと。

 きっと、フィーナも。


「間に合ってくれ…!」


 止まることなど許されない。

 一刻も早く彼女の下へ。

 焦りながら急ぐ森の中。不意に、再び身体の内に力が湧いてくるのを感じた。


「──ッ!?」


 身体が、羽のように軽くなる。


「これなら…いける…!!」


 自分の身体に起こっていることも加え、分からないことばかりだ。

 だが、間に合った。それだけは確かだった。

 ──視線の彼方に光が、見えた。

 可能性に満ちた、希望の光だ。

 弓弦は銃剣の変形機構を起動させた。

 絶対に掴まなければならない勝利を前に、開戦の銃声が響き渡る。


「当たれぇッ!!」


 放たれた牽制弾と共に、弓弦は前へと躍り出た。


* * *


 決死の覚悟を、固めていた。


──当たれぇッ!!


 響く銃声。

 高めていた集中が、突然の闖入者によって乱された。


「えっ、あなたは…!?」


 眼前に躍り出た人物。

 何ということだろうか。フィーナが昨晩見た夢に現れた人間の男に似ていたからだ。

名は、確かユヅルといったか。

 料理を振る舞い、世界のことを教えた。

 夢だと分かっていたから色々と世話を焼いたのだが、まさか正夢になるとは──。

 いや、そんな筈はない。フィーナは頭を振った。

 悪魔の封印が今日破られることは予知していた。

 それと相打ちになる形として、自分が命を落とすであろうことも予知していた。そんな不思議な道具を、彼女は持っていたのだ。

 生命を落とす──互いに物言わぬ石となり、長い時を過ごす。

 そしていつの未来か。復活した悪魔によって、自分は破砕されるのだ。

 そんな未来が待っているとしても、彼女は悪魔と戦わなければならなかった。

 生命を賭して、悪魔の好きにはさせない。

 それが全てを奪われた彼女の、復讐だった。

 両親も、まるで兄弟姉妹のような存在だった仲間も、悪魔は全てを奪っていったのだから。

 それ故の復讐。多くの同胞達を手に掛けた人間達も憎悪の対象ではあったが、その裏で糸を引いていた悪魔の方が、復讐の優先度は上。そのために、先の戦いでは人間に力を貸して共に戦った。

 願わくば悪魔を討ち、その上で人間達にも報いを受けてもらうつもりだった。内心での思いと裏腹に叶わぬ夢だと知ったのは、一時的な封印をすることでしか悪魔を封じられなかった時。

 己が使える攻撃魔法の限りを尽くしたが、封印が精一杯だったのだ。

 だから、生命を触媒とする魔法の使用に踏み切ったのだった。

 せめて、一矢報いるための足掻きとして。


「間に合った…みたいだな」


 しかし彼女が見た予知では、悪魔と戦うのは自分一人だったはず。何故、他の人物が現れたのだろうか。

 動揺が、集中を呑み込んでいた。


「どうしてここに」


 本人なのだろうか。

 だが夢に出たユヅルという人間と瓜二つなその人物は、悪魔から庇うようにしてフィーナの前へと立った。


「君を死なせる訳にはいかない。そう言うことだ」


「…どう言うことよ。でも…礼は言っておくわ」


 “ユヅル”と全く同じ声に、何故だか安心してしまった自分が居た。

 いや、声の所為ではない。

 悪魔を討つため──ではあるが、横眼同士が交わった時、彼の瞳は自分だけを見ていた。

 自分のために、来てくれた。不思議なオッドアイに吸い込まれそうになりながら、そんな確信を抱いた。


「(だから…利用出来る)」


 正直者の瞳だ。自分を助けに来たと話す瞳に、嘘は見えなかった。

 自分を守るため、悪魔と果敢に戦ってくれるだろう。

 だから、利用価値があった。

 最悪、肉壁にでも使えるだろう。そんな冷静な思考が、刹那の熱を冷ましていく。


「さて…どう戦うか」


 不気味に動きを止めた悪魔を前に、男は出方を窺っている。

 そんな彼の背中を見ながら、フィーナは眼を細めた。

 人間というのは、ハイエルフよりも脆い生き物。

 身体能力も低く、使える魔法は一属性だけ。悪魔の腕の一振りで、身体が横に引き裂かれるだろう。

 すぐ殺される。だが、一瞬でも時間を稼ぐことは出来るだろう。

 そう、利用しない手はない。

 思考が冷静に回る。

 そう、利用出来るのなら利用する。

 それが、たった一人で生きてきた彼女が取れる最善手だ。

 同族が存在しない世界で、たった一人生きてきた彼女の作戦。

 一人、独り。孤独な日々に、これで終わりを告げられる。

 悪魔に一矢報いることが出来れば、幽世に旅立った仲間達に顔を合わせられる。

 頼りない援軍だが、勝利に近付く援軍だ。

 相殺という勝利に。


「(…落ち着くのよ、フィーナ。利用するには、利用するだけの工夫が必要だから……)」


 しかし、たかだか人間の男が一人だ。

 状況は、決して良くない。

 フィーナにとって好都合な状況だが、風の一吹きで変わる状態だ。安心は出来ない。

 さぁ、精々引き付けてくれ。

 引き付けてくれればくれる程、自分は残った魔力マナを封印呪文に集中させることが出来るのだ。

 あの人間を犠牲にしてでも、復讐を成し遂げる──変わらない終末が約束されていたとしても、やれることはやる。


「フィーナ、君は魔法が使えるんだよな。俺が前衛をする。君は後方から援護を頼む」


「(…前に出た。…今)」


 フィーナは空中に素早く魔法陣を描き、精神を研ぎ澄ませる。

 杖を通して、森に生きる生命の息吹が自分の中に流れていくようなイメージを感じながら、詠唱を始める。

 紡ぐ言葉が、自らの生命を代償として対象を封印させる禁忌魔法の詠唱となる──!


『我が命を…』


「ストーップ!」


 斬り裂かれる、魔法陣。


「っ!? 何をするのっ!?」


 突然の事態に、声音が鋭くなる。

 いきなり眼の前に現れた男が、魔法陣を斬り裂いたのだ。

 発動出来ると思われた魔法は、魔法陣を破壊されたことで魔力マナごと霧散する。

 当然抗議の声を上げるが、その人間はまるで、やはり当然だと言わんばかりに口を開いた。


「君を死なせるわけにはいかない。それに奴は、ここに封印ではなくて、ここで討たなければならない。…だから、何の魔法かは分からないがその魔法は、絶対に使わせない」


 絵空事も程が過ぎる。

 討つことが出来るのならフィーナもこんな最終手段は取らなかった。

 自分一人でこの終末の使者を倒せればと、何度、幾度願ったことか──何度、諦めたことか。


「大丈夫だ。俺と君が力を合わせれば、きっと討てる…信じてくれ」


 なのに何故、こんなにこの人間の言葉が心に響く。

 何故諦めを選んだ自分の心が──こんなに、勝利への活路を見出そうとしているのか。


「(信…じる…ね)」


 フィーナは分からなかった。


「人間の言うことなんて、その人間に同胞を何人も殺された私が信じると思う? …戦闘に紛れて背後から殺すかもしれないわよ?」


 否。それ以外、人間に対して理解したくもない感情が一つだけあった。

 何故ならそれを理解することは、散った同胞達に対しての裏切りとなるのだから。

 だが彼女の心が──孤独を拒んでいた。


「俺は君を信じるよ。君はそんな人じゃない。それに、そんなことをする暇なんて無いはずだ。…分かっているだろ?」


 悪魔は男を見定めでもしているのか、まだ沈黙を保っている。

 こちらが動くのを待っているのかもしれない。だとしたら、随分と余裕を見せてくれる。

 もしかしたら攻められる好機なのかもしれない。ならば、今すぐに攻撃を──だが、真摯な言葉に揺さ振られる彼女の脳裏には、一つ疑問が浮かんでいた。

 悪魔への攻撃よりも先に、どうしても気になってしまう疑問が。


「…どうして、そこまでして信じられるのよ。…どうして私を助けようとするのよ」


 背中に問い掛ける。

 男は顔だけ振り返ると、頬を緩ませた。


「一飯の恩を返しに来た。それが理由じゃ駄目か?」


 訳の分からない訳と共に。


「心の温まるご飯を作れる人に、悪い人は居ない。…俺はそう思っている」


 謎の持論も添えて。


「…馬鹿みたい」


 でも、馬鹿過ぎる程に素直で。

 まっすぐ、心に届いた。


「…っ、良いわ。そこまで言うのなら、この場でだけ…信じてあげないこともないわ」


 フィーナの心は、動かされていた。


「そこまで言い切られたのなら私も、賭けてみようかしら…。封印(敗北)ではない勝利に」 


 たった一食振る舞っただけなのに、ここまで喜ばれるなんて。

 だから、次に振る舞ったらどれだけ喜んでくれるのだろうか。

 また(ユヅル)に料理を食べさせてみたいと、思う自分が居た。


「…その意気だ」


 そう言い残し、弓弦の背中は遠去かった。

 地を蹴り、下段に構えた剣が風を切る。


「はぁぁぁッ!!」


 跳躍。

 上段に持ち上がった剣が、裂帛の気合と共に振り下ろされる──!


「駄目ユヅル! そんな直接的な攻撃じゃッ!?」


 しかし、刃は振り下ろされる途中で火花を散らす。

 まるで巌と衝突しているかのように、悪魔の前で空間とせめぎ合っていた。


「(障壁ッ!?)」


 高位の悪魔が有する障壁。

 往々にして「鉄壁」とも称される守護は、これまで数多の武器と魔法を阻み続けてきた。

 この障壁が破れなかったからこそ、障壁ごと行動を封じられる封印という選択肢をこれまで取り続けたのだ。

 ゼリーと呼ぶより、壁。

 衝突と同時に刃ならば根本から折れ、魔法ならば霧散する。

 現に障壁と競り合う刃は、障壁に滑り込む前に──。


「おぉぉぉぉおおおッ!!」


 ──否。弾かれる前に、滑り込む。

 フィーナが眼を見開く先で、障壁に刃が走る。


「っらぁぁぁぁぁぁッ!!」


 一閃。

 障壁は、バターのように斬り裂かれた。


「嘘──ッ!?」


「まだだッ!」


 ニの太刀が、悪魔の胴体を横に走る。


「!」


 悪魔が動いた。

 刃を振り抜いた弓弦に向かって、悪魔の腕が伸びる。

 驚異的な一撃こそ見舞えたが、攻撃への反応が僅かに遅れた。

 跳び退こうとしたが、それよりも悪魔の腕が速い。

 それだけで弓弦の身体を覆い隠せる掌が、命へと狙いを澄ました。


「危ないッ!」


 直撃の寸前、フィーナが放った火球が悪魔の腕を擦らす。


「おわっ!?」


 爆風に煽られた弓弦が、後ろに倒れそうになりながらも着地に成功。フィーナの隣にまで戻って来た。


「カッコ付けも大概になさい。勝つのでしょ?」


「…あぁ、助かった」


 冷汗を拭いながら胸を撫で下ろす弓弦に、フィーナを思わず胸を撫で下ろしていた。


「‘何か……ほっとけないわね’」


 どこかで感じた、懐かしい感覚だった。

 危なっかしいところが、何故だか見過ごせない。

 もし自分に弟が出来たら、毎日こんな気分になるのかもしれない。

 そんな思いを胸に、呟いた時だった。


【ニンゲン…その力…もしや】


 低く、心が底冷えするほど低い声が辺りに響いた。


「……喋れるのか」


 言葉を話せたのか。

 暗く、威厳に満ちた声。それは例えるなら、強者の声。

 数多の勇士を闇に葬ってきた、古強者の声だ。

 耳に届くだけで、心に恐怖を植え付けてくるような声に、弓弦は剣を握り締めた。

 臆する訳にはいかないのだ。自分達は、勝つ(・・)つもりなのだから。


【ほう…震えながらも尚、己が足で踏み締めるか。…此の支配を司るバアゼルを前にして…。余程の阿呆か、命知らずか】 


「ははは、そりゃあそうだ。勝つ気でいるから…なッ!!」


 弓弦が地を蹴ってバアゼルと肉薄すると、熾烈な戦いが幕を開ける。 

 戦いの最中でフィーナが抱いた感想としては、弓弦はそこまで強くないということだ。

 攻撃、回避、回避、回避。ヒットアンドアウェイを繰り返しているが、攻撃に力強さがある訳ではない。

 しかし、悪魔の攻撃に対しての予測が出来ていた。

 次にどんな攻撃が繰り出されるのか。まるで予知しているかのように、ギリギリの回避が出来ていた。

 だからこそ眼に捉えられるか、捉えられないかの瀬戸際であっても、何とか立ち回れていた。


「(回避は出来ている…。なら、今必要なのは攻めの一手ね…ッ!)」


 そんな光景を見、フィーナは詠唱を始めた。


『鋭き一撃鬼神の如し…受け取りなさい!!』


 展開された魔法陣から、紅の閃光が放たれる。

 光は弓弦の得物へと宿り、薄暗闇を照らした。


「せやぁぁぁぁッ!!」


 回避、攻撃。

 加えた斬撃が、悪魔の身体を穿った。

 先程よりも、斬撃の手応えが確かなものになっていたのだ。


「(攻撃力の向上魔法か!)」


 その効果は、フィーナが彼に掛けた火属性初級魔法“パワードエッジ”によるもの。

 強撃となった攻撃を加えようと、彼は一気にこれまで以上の攻勢に転じた。

 繰り広げられる、激しい攻防。

 戦場が忙しくなく移る中で、悪魔の攻撃も激しくなった。

 一振りの刃と、一対の腕、翼。

 手数の差が次第に現れ、弓弦を襲った。

 腕の一振りで生じた風圧が地を、木を切り裂き、弓弦の頬を掠める。

 フィーナの援護によって魔法等は相殺されているが、物理的な連撃に毛先が散り、掠り傷は増え、遂に。


「(──ッ!?)」


 弓弦が一瞬怯んだ。

 生じたのは瞬きにも等しい刹那の隙。しかし、死戦の最中では致命的過ぎる空白の時間。

 それを悪魔が見逃すはずもなく。弓弦の死角に黒い炎球を放った。

 存在するだけで大気を焼き、自然を燃やし尽くす紅蓮の業火。弓弦が気付いた時には──あまりにも距離が無い。

 跳び退こうとするが、着弾の方が速いことが眼に見えていた。


「(馬鹿! もうっ!)」


 逃れるには──遅い。

 迎撃も間に合わない。

 しかしフィーナは、既に詠唱を完成させていた。


『鉄壁たる守護よ!!』


 弓弦の背中を守るように現れた光の障壁が、火球と衝突した。

 衝突音。次いで、爆音。

 熱波が世界を焼くが、その後も弓弦は地に立っていた。

 フィーナの隣に着地すると、額に滲んだ汗を拭った。

 光属性初級魔法“プロテクト”が、放たれた火球を彼の少し手前で防ぎ切ったのだった。


「守りが疎かよ。気を付けなさいッ!」


「…っ、すまん…だが、前だけで手一杯だ。背中は任せた!」


 まだまだ言い足りない文句に、フィーナは肩を落とす。

 思わず鋭い声を上げたが、弓弦はさして気にすることもなく。向かって来た悪魔の前に戻ってしまった。

 相も変わらず薄い背中の防御が気になる中で、フィーナは微かに乱れてしまった精神を集中させる。


「(…何が背中は任せた、よ)」


 しかし、彼の気持ちが分からないでもない部分はあった。

 彼の胸の内にあるであろう安心感。

 それは何故だかフィーナの胸にもあり、しかし同時に不安も生じていた。

 視線の先で戦う弓弦は危なっかしくて──放っておけない感覚は、なお強くなる。


「(…でも、少し)」


 それでも、やっぱり少しだけ頼もしかった。

 独りじゃない。そう思わせてくれるだけで、ほんの少しだけ。

 だからであろうか。頼りない背中に手を添えて、


「もぅ…まぁ良いわ。あなたはそのまま攻撃をお願い。私が可能な限りで援護するから」


 もう少しだけ頼もしくなって、と後押したくなった。


「あぁ!!」


 了承した弓弦は、直線的な動きでバアゼルに突撃する。

 だがその動きは、一つ一つが鋭く、速い。

 まるで風を纏っているかのように、疾かった。


『動きは風の如く、加速する!!』


 その理由はフィーナが使った風属性初級魔法“クイック”にあった。

 加速した動きから繰り出される弓弦の斬撃が、バアゼルの身体に刻まれる。


「はぁッ!」


 飛沫の華が、咲く。


【ぬぅんッ…!】


 全身から放たれた衝撃破が、地面を抉る。

 跳び退った弓弦の頭上で、雷鳴が轟いた。稲光が周囲に降り注ぎ、弓弦に向かって集束する──!


「動かないでッ!」


 爆音に負けない大声を上げ、フィーナは両手を伸ばす。


たけりの風よ!』


 風属性中級魔法“エアバズーカ”の詠唱を素早く終え、展開された魔法陣から拳大の風弾を放つ。

 唸りを上げて弓弦の足下に着弾すると、風が爆発。


「おわっ」


 弓弦の身体を吹き飛ばした。

 吹き飛ばされた弓弦は雷の間を潜り抜け、バアゼルの背後に移る。

 空中で身体を捻った後に剣を握り直して、構えた。


「ッ!」


 着地と同時に地を蹴る。

 一瞬のしゃがみ込みから生まれた脚力が、爆発。

 さながら放たれた弓矢のように、素早く悪魔の背に迫った。


「はぁぁぁぁぁぁッ!!」


 引き摺るようにして構えた刃に、雄叫びが宿る。

 一歩毎の踏み込みに、弓弦の姿が左右に動く。

 稲妻の如き軌道に、先程切られた頬の皮膚がめくれるが、それでも止まらない。

 猛る、吠える、獣のように。

 ただ貪欲に、勝利を、明日を求める。


『凍って!』


 フィーナが発動させた“吹雪(ブリザード)”が、吹き荒れる。

 氷属性中級魔法による氷点下の風が、悪魔の足を氷で包みこんだ。


「ぉおおおおおッ!!」


 その瞬間を、弓弦は逃さない。

 僅かに動きの鈍った悪魔の胴を絶つ、逆袈裟斬りを見舞う。


【!】


「これで…終わるかァッ!」


 振り向き様に剣を変形させ、銃口を悪魔へ。


「ッ!」


 両指で引鉄を握り締めた。

 マズルフラッシュが一、ニ──五。

 牽制弾として用いた一弾を除いた一斉発射(フルバースト)が、放たれる。


「シフトッ!」


 まだ終わりではない。

 再び得物を剣に戻すと、弓弦は駆け出す。

 駆け出し、地を蹴った。


「悪いが、一気にいかせてもらう…ッ!」


 横にではなく、上への移動。


「でやぁぁぁぁああッ!」


 跳躍。体重を乗せた弓弦の刃が、紅の軌跡を描いた。

 三日月を上からなぞるように、胴体に走っている斬撃痕がなぞられる。

 上がる血飛沫。連撃が、確かに悪魔に届いていた。


【小癪なァッ!】


 悪魔の口が開く。

 直後、轟音。いや、爆音か。鼓膜を突き破らんばかりの大音量が、大気を震わせる。

 その衝撃の強さたるや、地を、木々を抉り取り、扇状に万物を削り取っていく。

 破壊音波だ。悪魔を斬り付けたばかりの弓弦が、巻き込まれた。


「うわぁぁあッ!?」


 吹き飛ぶ弓弦。

 衝撃を受け、受け、受け続け。

 剣が、服が──身体が消えていく。

 音の衝撃が、弓弦の命を溶かしていった。

「キャー、弓弦、カッコいい! キャーッ! キャーキャーッ!!」


「…む、知影殿! まさか橘殿が見付かったのか!?」


「そうなの! 弓弦が本当カッコいいの!」


「ほぅ、それは…。してどこだ、橘殿は?」


「こ〜こ♪」


「む、頭? どこだ? 頭のどこに居る」


「居ると言うより在ると言うか。こう、ビビーって」


「ふむ…。隊長殿ではないが、さっぱり分からん。もう少し私にも分かり易く説明してほしい」


「何かさ、ビビーってくると繋がってる感じがしない?」


「私は知影殿と意思疎通出来ている感じが、まるでしないのだが。せめてもう少し理解し易いように…」


「甘えだよユリさん! 自分が分からないと決め付けるだけで終わっちゃうなんて! もっと相手のことを理解出来るようにしないと!」


「何故私が責められているのだ!?」


「言葉だけじゃないよ? 思いを伝えられるのはさ」


「ならばもう少し伝える努力をしてほしいっ!」


「ビビーで分からないかなぁ」


「何故分かると思ったのだ…」


「だって頭にビビーだよ?」


「…それは、電波的なアレか? そのようなアレは、困るのだが…」


「…あ。ちょっとユリさん今! 私を、変な人を見る眼で見たでしょ!!」


「いや! 別にそこまでは…!」


「ちょっとユリさん今! 私を、変な眼で見たでしょ!!」


「省略しろとは言っていないっ!」


「ちょっとユリさ、変でしょ!!」


「もう良いっ! 予告だ! 『救いを求めた女と、救いになろうとした男。繰り広げられる激闘の中で、僅かながらも二人は心を交わし、背中を預け合う。約束された死の未来、滅びの未来へと進む世界を踏み締める二人に、運命という壁は高く、険しく──次回、Batlle of “BAZELE”』…それでも彼は抗う。『守る』と決めたから…。ふむ、守る…か。良い響きだな。…でだ知影殿。本当に橘殿はその…知影殿の頭にビビーと来ているのだな? 良く分からんが、近くに居るのなら探しに行って来る」


「まー、アレだよ。とどのつまり? そんな夢を見たって話なんだよね」


「…そうだったのなら、最初からそう言ってくれ……」

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