解放感と響くコダマ
「まさか寝てしまうとは思いませんでした……」
セティを挟んで弓弦の隣を歩いていたフィーナは苦笑する。
弓弦が部屋を出て行ったあの後、一時間弱の時間が経過してから彼女はセティに起こされたのだ。
「ははっ、疲れていたんだろ? 仕方が無いさ。それに少しぐらい寝てても旅行は逃げないしな」
疲れていたーーーフィーナが寝てしまった理由で確かにそれはあるのだが、厳密にいうとそれだけが理由ではない。もう一つ理由があったのだ。寧ろどちらかといえば、そちらの方が寝てしまった理由の直接的な原因である。
「もぅ…‘疲れさせたのはあなたですよ?’」
「バ…っ、突然何を言うんだっ」
「‘ふふ…相変わらずのテクニックですよね? 私の弱い所を的確に攻めて……♡’」
声を裏返らせた弓弦に追い打ちを掛けるようにフィーナは、耳元で言葉を囁く。が、
「…二人共…疲れてるの?」
間を歩くセティが顔を上げてそう訊くと、すぐさま顔を離して小さく咳払いをする。
「ねぇセティ、訊いて? この人ったら犬耳を触ってきたのよ。嫌がる私を無理矢理押し倒して、魔法で拘束して自由を奪ってから両手で私の犬耳を鷲掴みにして言葉攻めをしたの。酷い人だと思わない?」
言葉とは裏腹にその声音は、嬉しさが今にも爆発してしまいそうな程の弾んだ響きを伴っている。頬も緩んでいるそんな彼女が可愛くて、反射的に帽子の上から髪を撫でたくなる弓弦だが、撫でると拗ねてしまうような気がしたので思い留まる。
フィーナはフィーナで、冗談であっても「酷い人」と夫を罵ってしまったことによる後悔の念に苛まれていたのだが、チラリと見えた弓弦の様子に内心安堵していた。
「…私…弓弦に犬耳触られると嬉しい。…フィーナもそうじゃないの?」
しかしこの発言は、そんな彼女の安堵をどこかに吹き飛ばしてしまった。
驚く彼女の姿が不思議なのか、セティは首を傾げる。
「はは、まぁ確かにな。実を言うと俺も触れられるのは嫌いじゃない。程々が一番であるのは違い無いが、マッサージ的な感覚で気持ち良いんだ」
「…コク。…凄く気持ち良い」
弓弦の瞳が一瞬だが、鋭い光を帯びたのをフィーナは見たような気がした。
残念そうに肩を落とす弓弦は、艦底区画にある転送装置に数字を入力していく。
「だけどフィーはどうも、嫌みたいだしこれからは止めといた方が良いよな?」
「…コク。…嫌がっていることを無理矢理するの…良くない」
「そうだ。嫌がっていることを無理矢理するのは良くない…良く分かっているな、偉いぞ♪」
「…気持ち良い……」と、髪を撫でられて眼を細めるセティの姿が、針のようにチクリとフィーナの胸に刺さった。
「…弓弦」
「ん?」
大きな翡翠色の瞳が弓弦を映す。
「…これからはフィーナの代わりに…私の犬耳を撫でて。…弓弦とかなら…撫でられても嫌じゃないから。…寧ろ…嬉しいから」
フィーナは、自身の胸に何かがグサリと刺さるような感覚を覚えた。
セティなら、何かしらのフォローの言葉を言ってくれると思っていたのだが、まさか完全に向こう側に付いてしまうとは思わなかったのだ。
しかし弓弦とは違って悪気があるようには見えない。何故ならセティのフィーナを見詰める瞳にはただ、彼女への心配という優しさの感情が込められていただけであったからだ。
「…そうだな、じゃあこれからはずっとフィーの代わりに…イヅナの犬耳を撫でることにするか。フィーにも悪いしな」
「…それが良い。…平和」
「あぁ、平和が一番だ」
セティの本名を呼びながら、ワシャワシャと彼女の頭を撫でる弓弦は微笑を浮かべる。
眼を細めてされるが儘になる少女の姿が自分と重なり、「ん…っ」と思わず悶えてしまうフィーナはしかし、どう話を切り出せば良いのか迷っていた。
セティは喜んでいるのだ。これから弓弦に撫でられる割合が増えるのかと思うと、そう思わずにはいられないのであろうことは確実だ。
フィーナも同じ立場に立てば同じ感情を覚えてしまう。頭に乗せられる男性らしい大きな手。優しく撫でられた彼女は、愛されている安心感と幸福感に包まれ、彼に身を任せたくなってしまうからだ。
彼女としては、見られることも悪い気はせず、寧ろ弓弦によってそうさせられることは逆に、精神の高揚さえもたらすので、いつでもどこでも彼に身を任せたかった。
しかしこの場で身を任せる訳にはいかなかった。
彼女な意地を張っていたのだ。理由は本人ですら分かり切ってはいないのだが、少なくとも嫉妬の感情ではない。
「じゃあそろそろ行くか。皆が起き始める頃だ」
「…旅行♪ 旅行♪」
「ははっ、元気で何よりだ。じゃあ…出発だ!」
「おー」
弓弦がボタンをを押すと、周囲を光が包み始める。
その最中、弓弦はセティの頭を撫で続けているのだが、それを見ているとどうしてか、身体が熱を持ち始める感覚をフィーナは覚えた。
ーーー放置プレイだ。
彼女は今、放置プレイをされていることによって快感を覚えていたのだ。
「…っ」
構ってほしいはずなのだが、構ってほしくないような気もする。冷たくされるとその分、身体が火照っていくような感覚を覚えたのだ。
『構ってほしければ言ってくれ。勿論、それはもうそれはもう、誘っているようなおねだりでな?』
挙句幻聴まで聞こえ、彼女の興奮度は鰻登りになっていく。
そして、光が色を持ったーーー
* * *
ーーー界座標【51694】『名無しの森』
異世界の中でも、比較的に自らが見慣れた世界に転移した弓弦にどて。見慣れた周囲の光景に感慨深い。
「はぁぁ…ん…っ」
森の最深部にある開けた広場。かつての戦闘の壮絶さが未だに窺える森の木々は淡く、雪化粧をして森の妖精達を迎えた。
興奮のあまり、一人身体を抱いてしゃがみ込んだフィーナや、そんな彼女を愛し気に盗み見る弓弦に注げられる森の木々の視線は、呆れの感情が込められているようだ。
「んぁ……ぁっ、そ、そんな眼で見ないで皆…ぁぁ…そんな眼で見られたら……っ」
当然このドM乙女はそんな視線にも敏感に反応して、身を震わせる。
そんな彼女を見た弓弦は、セティーーーイヅナがこの場に居たことに感謝した。何故なら、もしこの場でフィーナと二人切りであろうものならば、早速朝の続きが開始されるところであったのだ。
訴えるように見詰めてくる翡翠色の瞳を見ないようにしーーーようとしても、結局は彼女の発情を促してしまうだけなので、取り敢えずしゃがみ込んでいる彼女に手を差し伸べた。
「…森を出るぞ。一応他の動物達にも、顔を見せないといけないからな。だから立て」
「…。ん``んっ。分かりました……」
差し伸べられた指を前に彼女が何が何を欲したのか。理解出来ている弓弦だが見なかったことにする。ようやくいつもの調子に戻ってきたというのに、何か下手をしたらまた逆戻りしてしまうからだ。
フィーナの手を引いて立たせると、その手が彼女の手から離れなくなった。
「〜♪」
フィーナに手を繋がれたのだ。
絡められた指は、折角掴んだ彼の指を離さまいと強く握る。痛くはないが、柔らかくスベスベした手の感覚に弓弦の表情が固まるも、それ以上は何か苦言が言われるようなことはなかった。寧ろ、
「きゃ…っ」
彼は彼で、握る力を強めてきたのだ。
変な声を上げてしまった彼女に少女の、無垢な視線が向けられるが、すぐに外された。
そうして三人で、森の中を散歩する。
踏み締めた土は微かな弾性力を持っており、まるで綿のように一行の足を下から押し上げてくる。
ガサガサという音と共に森の小動物が姿を見せ、彼等の隣を付いて行く。
「お」「あら」
その中に二匹、他の動物達と比較して見知った小動物が居た。
「…兎」
イヅナがその動物の種名を言うと、澄んだ黒色の双眸が彼女を見詰めた。
「『神獣イナバサギモドキ』…兎の神様の、僕とされる生き物よ。もっとも神様が居るって言うのは俗説の一つなんだけど…イヅナは神様の存在、信じてる?」
「…神様? …コク、信じてる」
兎の前で中腰になったイヅナは兎を抱いて持ち上げる。
「…フサフサモフモフ」
「ふふ」「はは」
ちゃっかり魔法で兎の汚れを落としてから抱きしめる少女の姿に、二人は笑った。
「…?」
「遊びたかったら暫く遊んでもらえ。…良いよな?」
「えぇ良いわよ、じゃああなたは私と遊びましょうか♪」
寄道の提案に快く了承したフィーナは、近くの若木の前に腰掛けることを勧めてきたので、従った。
「わんわんっ♪ うふふっ♡」
「な、何だよ突然……」
すると突然フィーナが身体を擦り寄せてきた。
犬の鳴き真似をしているその姿を見ていると彼は、自分の意思ではないとはいえ、二百年前に彼女をそう躾けてしまったことを思い出した。
「わおわおーん♪ ご主人様ぁっ♡」
「…はいはい」
甘えてくる彼女の帽子を取って髪を撫でると、女性の香りが鼻腔を通っていった。恐らく呼びに来る前にシャワーを浴びたのであろう。当然ではあるのだが、魔法で済ませてしまった自分の身体が不潔に思えてきてしまった。
「フィー、確か向こうに泉があったよな?」
「わん、一緒に水浴びしたじゃないですか。あなたったら…あの刺激的な水浴びを忘れたの?」
「刺激的と言うか…あの時あそこにお前が居るとは思わなくてな。…いやはや、痛いビンタだったな」
頬を摩る動作をした弓弦に小さく噴き出すフィーナ。思えばあの時は初心だったと思う彼女だ。
勿論今は、恥じらいの気持ちこそあるのだが、それよりも彼と繋がっていたいと感じる彼女は、彼の前で裸身を晒すことに抵抗はあまり無い。
もしあの頃の自分が今の自分みたいであったら、ビンタはせずに抱き着きに行っていただろうと、視線を彼方に遣った。
「よし…じゃあ行って来る」
「行ってらっしゃいませ…ふふ」
足音が遠去かるのを耳にしながら、兎と戯れるのに夢中になっているイヅナを見る。
普段は黒髪に隠れている犬耳は興奮からかピコピコと動いており、そんな彼女の姿を見ていると、胸が温かくなった。
「ああ言うの見てるのってやっぱり、愛しいと思えるものにゃんかにゃ?」
そんな彼女の隣にクロが現れ腰を下ろした。
「…何のつもりで現れたの? あまり水入らずの邪魔をしてほしくないのだけど」
「にゃはは、もしもの場合の保険だそうだにゃ。気にしないでほしいのにゃ」
「…保険? 何の…あ、まさか私が後を追うとでも思っているのかしら? …心配性ね」
ジト眼を向けられるが無視を決め込む。「何を」と言われていないのに、勝手に判断する辺り、やはり考えていたようだ。
「にゃはは。眼は口程に物を言う…背中を向けた弓弦に向ける君の眼、凄く熱っぽかったのにゃ」
あまり意識していなかったので、分かり易い自分の行動に内心溜息を吐く。
向こうでイヅナがキョトンと首を傾げたが、「何でもないわ」と首を左右に振った。
「…あなたの他に、誰が今のあの人の中に居るの? …シテロは居ないわよね?」
「心配しにゃいでほしいのにゃ。今居るのは僕と『支配の王者』と『紅念の賢狼』…男だけにゃ。今は二悪魔ともどこかに行っているけどにゃ」
わざわざ風音を置いてまで、自分とイヅナ以外の女性を排除したのに、シテロが付いて来てしまってはそれも無駄になってしまう。可能ならば悪魔全てを置いて来てほしかったのだが、それももしもの場合の保険ならば仕方が無い。
「にゃはは、ちゃんと席は外すから大丈夫だにゃ。寧ろセティが起きにゃいかどうか見張るつもりにゃ」
沈黙を返す。
確かにその時は二人だけにしてほしいのだが、そういうのはわざわざ言ってほしくない言葉であった。
「まぁやり過ぎには注意するのにゃ。…抑えられにゃくにゃっても、知らにゃいのにゃ」
「抑えられるわよ」と低い声で返すフィーナはこれからのことを考えたためか、口元を押さえる。
「…やっぱり一番乗り狙ってるかにゃ?」
「当然よ。流石に今回の旅行だったらあの人も拒まないはずだもの。…絶対に勝ち取るわよ」
「…知影に殺されても知らにゃいにゃよ」
「逃げるだけよ。今の彼女はまだ、あまりあの人の近くを離れられないから」
「…策士だにゃ。でもその策が成っちゃうと……」
言葉を濁したクロは、視線を少女に向ける。
「…もふもふもふもふ……♪」
「…あ、『支配の王者』にゃ」
その奥の森からバアゼルが現れ、クロの頭に降りた。
「久々の森、どうだったかにゃ?」
「生命力に満ちた森だ。其れ以外に思うことなぞ無い」
小さな体躯からは想像も付かないような、低い声が蝙蝠から発される。
「にゃは。それにしてはあっちこっちフラフラしにゃがら飛んで行ったように思えるけ『黙せ』…っ!?」
バアゼルが発動させた“サイレント”によってクロの口が塞がれる。
もがくようにして抵抗する悪魔猫だが、やがてその姿が消えた。どうやら弓弦の下に帰ったようだ。
「…複雑なものね。こうしてあなたと話す機会が出来てしまうだなんて」
そのまま下に降りたバアゼルは「此れも一つの因果だ」と返した。
「先日突然現れた時はどうしたものかと思ったけど。改めて感謝するわ。あの人を助けてくれてありがとう」
「礼を云われる筋合いは無い。我は悪魔、あくまで気紛れよ」
微笑んだ彼女の側に居るのが居た堪れなくなったのか、その言葉と共にバアゼルの姿はイヅナの隣に移っていた。
「…どうしようかしら」
言外のメッセージを正確に理解した彼女は、少しの間思案を巡らせる。が、
「…善は急げね」
すぐに行動に移る彼女であった。
フィーナは茂みの後ろに隠れて、泉の様子を窺っている。
「ふぅ…水浴びって良いもんだな〜」
飛び散る水飛沫が陽光に当てられて虹色に輝いている。
晒されている肉体に程良く付いた筋肉を見ると、フィーナの心は躍動した。
本来彼女と彼の立場は逆であるはずなのだ。女性が水浴びをしている姿を男性が見つめるのが、本来の立ち位置であるはずなのだ。
「だが…つつ…っ、変に筋肉の筋が張ってるし…ここは一つ、体操でもするか!」
視線の先で弓弦は体操を始める。
身体を捻ったり、左右に曲げたりーーー
「‘素敵…素敵よあなた……♡’」
ーーー素裸で。
「一二〜、三っ、四〜っ、五〜六七八っ!」
この『名無し島』は、およそ二百年前の戦いの舞台ということで神聖化されており、昔から訪れる者は殆ど居ない。つまり、昔から半ば二人のプライベート島とも換言可能な島だ。
故に人眼を気にせず様々なことが出来たのだ。フィーナもここで水浴びをする際は一糸纏わぬ姿で泉に浸かるし、弓弦もそれに倣った。その結果、時折鉢合わせするという事件も生じてしまった訳ではあるが。
他人にこのような姿を見られれば当然、羞恥心のあまり悶絶してしまいそうな弓弦でも、堂々と肉体を晒しているのはここが、プライベート空間であることに起因しているーーー羞恥心は一応抱くのだ、決して裸族ではない、決して。
「ん〜…っと。クロ、イヅナは今どうしてる? …ん、そうか。じゃあもう少しゆっくりするか…」
再度体操を始める弓弦。
身体を回したり、捻ったり、伸ばしたり、曲げたりーーー知影が見たら興奮のあまり発狂してしまいそうな光景が続く。
「……んっ」
「はい、はい、はい、はいっ、飛んで回って捻って着水! それ、飛んで回って捻って着水…」
体操の仕上げか、ジャンプしては後方宙返りを繰り返している弓弦の、それはそれは楽しそうな姿を見たフィーナは思わず胸を押さえた。
罪の意識だ。今の自分に彼女は、罪の意識を抱いていたのだ。そしてそれは、今の彼女にとって快感に他ならない。
ご主人様に怒られたい、命令されたい、激しく罵られ、乱暴されたかったのだ。薄い本みたいに。
しかしここで一つの葛藤が彼女の凶行を阻もうとしていた。それは彼女の理性が極限まで働いている結果、警鐘を鳴らしているものであり、昼ぐらいは休ませてあげたいという彼女の優しさともいえる自制心だ。
まだ、目的地にも到着していないのに、最初から飛ばしていくと後が大変なことになってしまう。全力の愛を打つけた結果、全力の愛で返されてしまったら後は、互いの想いに溺れていくのみ。
そうなってしまえば、一日を寝床の上で過ごしてしまい、イヅナを放置してしまう可能性が生じてしまうので、流石にマズい。
二人だけの旅行であったのならば、制限など無く突き進むことが出来るのだが、流石に子ども連れではそうもいかない。
また、旅行中にそんなことばかりをしていても華が無いので、それは最低限にして観光の方を楽しまなければならないのだ。
もっとも、一緒に居られるのならばそれだけで十分楽しめるのには違い無い。
「ふふ…お預けね」
そう結論付けた彼女が場を後にしようとした時、事件は起きた。
「回って捻って…っ!?」
外そうとした視界の端の弓弦が、空中でバランスを崩し掛けたのだ。
それに動揺を覚えた彼女はすぐさま視線を戻そうとして、
「っ!?」
ペキッという木の枝が折れる音、つまり、この場で最も立ててはいけない音を立ててしまったのだ。
「わ、わんわんわんっ!! あお〜んっ!!」
非常に耳が良いハイエルフの犬耳相手に無音は、一度音を立ててしまった時点で逆効果であるので、動物の鳴き真似をして誤魔化しに入るフィーナ。犬の鳴き真似をしてしまったのは日頃の習慣によるものだ。犬の鳴き真似をする習慣ーーー果てし無く謎であるといいたいのだが、要は二百年程前にそう躾けられたのである。もっともそれは、彼女の潜在意識がそうさせたものではあるのだが。
「…何だ、犬か」
どうにか誤魔化せたようだ。
弓弦は再び体操を再開したので、彼女は音を立てないよう最大限に配慮しながらその場を後にした。
「‘…あ、危なかったわ…っ’」
イヅナの居る場所に帰る道すがら、木に凭れたフィーナは走って荒くなった息を整えている。
「(まさか…あんなミスをしてしまうなんて……でも、誤魔化せて本当に良かったわ。…もし見付かったら何をされるか……楽し…いいえ…堪らない…っっ!? 堪ったものじゃないわ…ふぅ)」
脳内に、もしもの想像が展開されていくが、イヅナを前に蕩けた表情を見せるのは憚られたので気を取り直して歩みを進める。
「(それにしても凄かったわね。久々の解放感がそうさせたのかしら、あんな素敵な笑顔を見せて…ふふっ、可愛い人……)」
泉とイヅナの居る場所は少し距離があるので、片道数分は要する。その丁度中間の場所を通過したので少女の下へは後少しだ。
「(…でも少し…浮かれ過ぎていたような気がするのは気の所為かしら。幾らあの人でもどこか…あの笑顔はあからさま過ぎたような……?)痛っ」
考え事をしながら歩いていた所為であろうか。何かに打つかった彼女は後退って顔を上げた。
「おいおい、余所見してるからそうなるんだぞ? フィー」
弓弦がそこに立っていた。
「…あ、あなた」
歩幅の関係で途中抜かされてしまったのであろうか。いつの間にか先を越されてしまった彼女は、「こんな所でどうしたんですか?」と、まるで先程の出来事など無かったかのように訊いた。
「あぁ…少し探しものをしているんだ」
「探し物…何かを落とされたのですか?」
「……」
漆黒の瞳が一瞬、キラリと光ったような気がした。
「あぁ、動物を探しているんだ。『わんっ』て犬のように鳴く動物なんだよ。この島確か、そんな鳴き声をする小動物は居なかったはずなんだけどな? ははっ♪」
「あ、あ〜、そうね、居たわよっ! 珍しい動物だからあなたは見たことないのよ、きっと!! その動物は私も直接見たことはないからっ!」
楽しそうに笑う彼から後退るようにして距離を取るフィーナ。彼女は、最も肝心なことを失念していたとも知らずに必死に誤魔化しに入った。
「フィーが見たことないって言うのならきっと、珍しい動物なんだな。つまり鳴き声は聞いたことがあるってことだよな?」
「え、えぇぇ勿論よ。本当にたま〜に、わんわんって聞こえてくるの…!」
「はははっ、そっか! 珍しい動物なら尚更良かった! 俺もそう思ってさ、ずっと……魔力を追ってたんだよ」
なのでその言葉に、表情を青褪めさせることとなった。
「ぇ……」
幾ら息を潜めようとも、足音を忍ばせようともーーー魔力は隠し切れない。
そもそも、意識を向けられた時点で結果は決まっていたのだ。
「…覗き見、いけないことだよな?」
「…な、何のこと…かしら?」
「シラを切ると」
「シラを切るも何も、何が…何だか分からないわよ?」
そう、
「…自分から白状した方が良いぞ? じゃないと直接…訊いてやらないといけなくなるからな……」
「……っ」
「お説教とお仕置き…どっちが良い?」
こうなることは、決まっていたのだ。
九十度変わった視界に映る弓弦に彼女は、手と、首のチョーカーから魔力の紐を伸ばした。
「…両方、お願いします…っ♡」
その後暫くしてから島中に、子犬が鳴くような切ない声が何度も何度も木霊した。
「…解放し過ぎだよ弓弦!? 幾ら何でも不健全過ぎやしないかいっ!! いつからこんな…こんな……良いなぁ」
「…うーん? きっとユ~君にも溜まってるものがあったんだよ」
「アプリコット少尉?!」
「悩んでたみたいだからつい口出ししちゃった。ごめんね」
「い、いやそんなことは! …無い、です。あは、あははは……」
「えへへ」
「…。えっとアプリコット少尉はどう思いますか?」
「ユ~君のこと?」
「はい」
「可愛いなぁって思うな、私」
「可愛い?」
「うん、新しいことを覚えたばかりの子どものように思えてね。可愛いなぁって、思うんだ」
「子どもって……‘どこか棘があるような’」
「それにユ~君の楽しそうな顔を見ていると、私まで楽しくなってくるの。素敵だよね、ユ~君……」
「…アプリコット少尉は、ユ~く、じゃなかった、弓弦のことが好きなのですか?」
「秘密♪」
「えぇ?」
「ディオ君、それフ~ちゃんにでも聞かれたら冷たい眼で見られるよ?」
「ど、どうしてですか?」
「そう言うことを女の子に言わせちゃ駄目。女の子の心に土足で踏み込むようなものだよ?」
「…はぁ」
「仲の良いお友達だったら答えてくれるかもしれないけど…相手を選ぶ質問だと思うよ、私はね? 他の女の子がどうかは分からないけど」
「……」
「まぁ兎に角、私が言いたいことはこれかな。他人を羨ましく思う暇があったら、自分を磨きなさい。はい復唱」
「え? 他人を羨ましく思う暇があったら、自分を磨きなさい」
「うん♪ 良く出来ました」
「…ありがとうございます…?(頭を撫でられた…何か興奮してくるよ)」
「じゃあ今回は私が予告するよ? 『Aieee! 弓弦が居ない。弓弦が居ないよ、ドウシテっ!? 昨日の今日で早速居なくなっちゃうなんて早過ぎると思う。これは…事件だね。事件は迷宮入りする前に解決しなきゃ! たった一つの真実を見抜く、見た目はJK、中身は人妻(※個人の意見です。実際とは異なる場合があります)、その名はーーー次回、変態偵チカゲ』…こうしちゃ居られないッ! …あ、そっか。私もやることがあった、じゃあねディオ君♪」
「……頭を撫でられただけなのに…ドキドキが止まらない……」