クリスマス短編2 “妖精乙女のクリスマス”
頭上に広がるのは灰色の雲。
呼気と共に口から零れる白い息を手に当てることで、悴む手を温めている少女は、今首にマフラーを巻いた人物の顔を見上げた。
「…ありがとう」
ボソボソと抑揚の無い声で礼の言葉を伝えた少女に、微笑みかけながら隣を歩いていた女性は、灰色がかった雲が広がる空を見遣る。
「雪が……降るかもしれないわね」
ーーー世界座標【51694】『オエステ』
「…うん…雪が降るかもしれない」
西の王国『オエステ』の入口に立った二人は、手を繋いで街の中へと足を踏み入れる。
日光が差し込まない空の下、石畳の道が冷たい風をそのまま跳ね返して街中を駆け抜けていく。それによるものなのか、道行く人々が身震いしているのを横眼に、少女は再び女性を見上げた。
金糸のように美しく、長い髪を被っているキャスケットで押さえた女性の名前は、『フィリアーナ・エル・オープスト・タチバナ』という。通称、フィーナ。
この世界を二百年前に災厄から救った、『二人の賢人』と呼ばれる英雄の片割れであり、今では絶滅したとされるハイエルフと呼ばれる種族でもある。
翡翠色の瞳から凛と放たれる、聡明さを窺わせる眼差しに道行く人々が思わず足を止める。絶世の美女とは正しく彼女を表すがために作られた言葉であるのかもしれないと、一様に彼等は感じたのだ。
彼女の隣を歩いているのは、『セリスティーナ・シェロック』こと通称セティ。
本名を、『イヅナ・ルフ・オープスト』というこの少女は、フィーナとの名前の共通点から察せる通り、彼女の身内ーーー妹に当たる存在だ。
艶のある黒髪を一括りにしている赤いリボンが特徴的であり、瞳の色がフィーナと同じ翡翠色であることから、誰の眼にも彼女達に血の繋がりがあるように見えるのは明らかであろう。
彼女もまた美少女であり、周囲の光景をチラチラと見回している様子はとても愛らしくあった。
そんな二人がこの街を訪れたのはある目的がある。もっとも、目的が無かったとしても家族であるこの二人が、街を歩くのに目的を必要とする必要性は無いのだが。
「イヅナは以前、この街に来たことがある?」
「…ううん。…今回が初めて」
「そう。なら目的地に向かう前に街を一通り歩こうかしら。どう?」
「…コク。…観光気分でレッツゴー」
「ふふ…レッツ、ゴー♪」
大通りは多くの人々で賑わっており、並ぶ煉瓦造りの家の窓からは、各々の生活の様相を垣間見ることが出来る。
ーーーねぇねぇママ!!
「どうしたのイヅナ?」
通りを歩く最中、突然足を止めたイヅナに手を引っ張られるようにして引き戻されたフィーナが怪訝そうに首を傾げると、近くの家から子どもの声が聞こえてきた。
ーーー今年もサンタさん来るかなぁ?
ーーーさぁてどうでしょうねー?
ーーーえー、来ないのー?
ーーー良い子にしてないと絶っっっっ対に来ないわよ?
ーーーうーん…はーい、良い子にするー!!
家から聞こえてくるのは母娘の会話であろうか。そんな内容であった。
「…サンタさん」
それを見つめる少女は、瞳に形容し難い複雑な感情を宿してその言葉を呟く。
それは、寂しさであろうか。
それとも、羨望の感情が現れたのであろうか。あるいは、そのどちらもか。
「…良い子にしてると会えるんだって。イヅナは良い子にしているからきっと、サンタさんが来てくれるわ……♪」
フィーナはそんな少女の頭をそっと撫でながら、ふと、思考の海に足を浸した。足を浸したというのは、思考に集中するあまり少女へ意識が向かなくなってしまうことを防ぐための行為であった。
「…フィーナ、次行こ?」
「えぇ、そうね」
時期柄なのであろうか。
街中は、所謂“その日”に関する何某かで染まっており、歩けど歩けど先程の家から聞こえてきた光景が、眼に見えるものになって再現された。
その度に足を止めようとして首を微かに振る少女に、フィーナの瞳が憂いを帯びる。
「この街に連れて来たの…失敗かしら」と、そんな嫌な考えがその度に彼女の頭を過ってしまうのだ。
それは、まず彼女が少女をここに連れて来た目的の一つに、「気分転換」があることに由来する。
大人達の事情によって、これから満足に外出が出来なくなる前に、「彼女の気分転換のため」という題目の下、こうして外に連れ出したフィーナ。が、この外出は誰にも伝えていなかったりする。
所謂無断外出なのだが、彼女達が生活している戦艦、『アークドラグノフ』の艦長を務めている男はそれを咎めることなど無いであろう。
「(…こんな時、あなたはどうする? この子に元気が無いように見える時、あなたは……)」
脳裏に浮かんだ人物に助けを求めようとしてしまうのは、それだけ彼女が焦っていることの現れであろうかーーーと、いうよりは、
「(…まぁ、決まっているのだけど)」
その人物なら、どのような行動に出るのかふと、試したい気持ちになるというちょっとした現実逃避をしたくなったのだ。それはその人物が、本当に困った時にする情けない行為なのだが、成る程。それはそれでなんとなく分かる感覚がする彼女だ。
「買物がしたいわ」
「…え?」
「私凄く買物がしたい。ね、ね? ちょっと買物に行きたいわ。あっちのお店、行くわよイヅナ?」
因みにその人物は彼女の、ハイエルフとしての夫だ。名前を『ユヅル・ルフ・オープスト・タチバナ』といい、もう一つ、『橘 弓弦』という名前も持っている。前者がハイエルフとしての名前であり、後者が人間としての名前だ。
その人物は現在とある重要な任務に就いており、この場には居ない。
「…わ、わ〜」
姉の突然の行動に驚かされながらも、イヅナは店の中へと引っ張られて行った。
店の中もまた、外と同じように人で賑わっていた。
「わぁ…っ、凄い…っ♪」
二人が入ったのは、衣料品店である。
並べられた衣類を手に取ってはしゃぐ女性達や、次から次へと試着室へと駆け込む女性達。後は、それを各々個性のある男性達が眺めて居たりもしていた。
「へぇ…初めて来たけど中々悪くない店ね。ふふっ」
「…悪くない」「あっ、待ちなさい!」
楽しそうに笑みを浮かべるフィーナに同意したイヅナは、パタパタと人混みに紛れて行ってしまい、すぐにその姿が見えなくなってしまった。因みに、消える間際にその瞳が光ったのはいうまでもないだろう。
「ふふ…本当に、悪くない店ね」
服選びに夢中になってしまった少女の姿が遠眼に窺える。
ハイエルフは、生きているものの体内に流れている魔力を探ることでその居場所を判別することが出来る。イヅナを今は、本人の自由にさせることにしたフィーナは、自身も服選びをすることに。
「えっと……」
店内を見回してみると、様々な衣類があることが分かる。
フィーナは何となく、冬物のコートを探すことにするのだった。
「(イマイチ、かしら? 値段は安いのだけど……安ければ良いってものじゃあない訳だものね)」
「(あ、これ良いわね。…でも、お値段が…ちょっと。別に余裕が無い訳じゃないのだけど…どうせならそのお金はあの人や、あの子のために使いたいわ)」
「(これ…良い形してるわね。でもこの赤とか黄色はちょっと好きなタイプじゃないのよね。白とか紺とか…黒でも良いわ。あの人黒色とか、落ち着いた色が好きだもの…ふふ。…でも…無さそう…ね)…あの、こちらの服って、ここにある色以外の物ってありますか?」
「…こちらの服で御座いますか。はい、直ちに確認させて頂きますので少々お待ち下さいませ」
ーーーすっかり買物に夢中になるフィーナである。
イヅナのことを忘れている訳ではないのだが、服選びには当然、本気になってしまうのが恋する乙女というもの。自分に合い、かつ、一緒に歩きたい想い人が、一緒に歩きたがるような服を選ぶのは必然ではないだろうか。
「申し訳御座いませんお客様。こちらの服は現在、当店の在庫には無い状態となっておりまして……」
「そう? 無いものは仕方が無いわ。ありがとうございました」
「失礼します」と一礼して去った店員には聞こえないように、小さく溜息を吐いた彼女は気持ちを切り替えて、他の衣類を物色し始めた。
所々で視線を感じたが、慣れているので気に留めず店内を回る。
「はぁ…(もぅ…中々、これって思うのは無いわね……)」
そして、一時間程時間が経過した頃であろうか。
結局先程、在庫に無かった服のような、これと思えるコートは見つからず、壁際に設置された椅子に彼女は腰掛けていた。
「(どうして欲しいと思った物に限って無かったりするのかしら? 本当、良く出来た話だこと…もぅっ)」
しかし、それはフィーナ個人の、私的な目的であるので、彼女は瞑目して、イヅナの位置を探した。
「(あ、居た)」
程無くして見つかったので瞼を開けると、その方向でキョロキョロと、服を物色している少女の姿があった。その手には、ハンガーに掛けられた服が三着程提げられているので彼女は苦笑する。
そして、彼女がそんな様子を窺っている先でもう一着増える。すると、あまり人が居ない場所へと移動して、四着のハンガーを広げた。
「(選び兼ねているのかしら…?)」
すると、今度は壁に立て掛けられた鏡の前に立って、順に自分の身体に当てがっている。一通り終えると、もう一度それを繰り返し、「これは微妙」と判断したのか、二着元の位置に戻しに行くのが見えた。
「(ふふ、絞れたみたいね。…あら?)」
これで残り二着に絞れたと思った矢先。なんと、彼女は一着新しい服を見つけてしまい、それを手に取ってしまった。
再び苦笑させられたフィーナに見守られ、三着が自身に合っているかどうか、真剣そのものの表情で確認しているイヅナ。悩んでいる彼女にとっての、鶴の一声をと自分の意見伝えに向かおうとしたフィーナなのだが、それはすぐに挫折させられることとなった。
答えは簡単。三着共全てが彼女に、似合い過ぎているのだ。あまりに酷過ぎるデザインや、あまりに似合わなかったら言葉を伝えられるものの、今のイヅナが持っている服は、どれもが等しく彼女に似合い、甲乙が付け難い。
「強いて言うならっ!?」と自問自答で自身を追い詰めてみる彼女ではあるが、それは答えの出ない問い掛けとなりそうだった。
「(…あの人の優柔不断さを笑えないわね。それとも…似ちゃったのかしら? 決められない女って…我ながら情けないと思うわ。けど…あの人に似せられてしまったと考えると悪くない感覚なのよね。でも…あの人が選べない分、私がしっかりとあの人の意見を汲んだ上で、代わりに選ぶことが出来なきゃ駄目…はぁ)」
「…フィーナ?」
「(…うぅん…きっと、あの子を可愛過ぎると認識してしまう、色眼鏡がこの際問題なのかもしれないわ。もっと客観的な、ロジカルな発想で選んであげなきゃあの子のためにならないもの。それに、最終的に選ぶのはあの子である訳だから、私が変に悩んでいても始まらないわよね? …えぇ、そうよ。私は思ったことを伝えれば良いだけよ…ッ!!)」
「…フィーナどうしたの?」
そうして、結局思考に集中してしまっていた彼女は、突然眼前に現れた少女の姿に眼を数度、瞬かせる。
「いえ別に。何でもないわ。…それで、その服で良いの?」
少女が持つ服はいつの間にか、一着のみとなっていた。
一人で決めることが出来た少女の姿を微笑ましいように思いながらも、どこか寂しく思えてしまうのは何故であろうか。いずれにせよ、複雑な心持ち故にそれ以上の思考を深めるのを止めた彼女は、鞄から財布を取り出し立ち上がった。
「コク…この服が良い」
「そう。じゃあお会計を済まさないといけないわね」
「…フィーナは何も…買わないの?」
「…あまり気になる服が見つからなかったのよ。ふふ、私のことは気にしないで、さ、買いに行くわよ?」
会計を済ませた二人は店を後にして、改めて当初の目的であったカフェに向かうことにした。
因みにイヅナが選んだ服の値段は手頃な価格だった。
「…ここ? …ここが…弓弦と、フィーナのお気に入り?」
「えぇそうよ。ここのコーヒーとパフェが私もあの人も大好きなの。きっとあなたも気に入ると思うのだけど……甘い物はどれぐらい好き?」
「…幾ら食べても飽きない。…けど、太るとだらしないからいつも抑えてる」
「ふふ、なら丁度良いかもしれないわ」
メニューの一部分を指で示して店員に注文を済ませたフィーナは、先に配られた水を飲んで喉を潤わせる。
イヅナもそれに倣うように水を飲むと、一息吐いた。
「疲れた?」
労わりの言葉に少女が首を左右に振ると、髪がその動作につられて揺れる。
「…全然。…フィーナこそ、疲れてたりしない?」
「あら? どうしてそう思うの?」
「…弓弦が居ないから」
「あら」と心中を当てられ彼女は、少女の勘の鋭さに舌を巻くと同時に、自身の単純さにも驚いていた。
本人としては、絶対に表出しないよう常に心掛けて過ごしていたはずなのに、ピタリと当てられるとは思わなかったのだ。
事実これまでも少女の前では、寂しい素振りなど見せずに振舞っていたつもりだ。いつもの通りに過ごし、いつもの通りにいつもと少し違う日常を過ごすーーーそうやって、やり過ごせていると思っていた矢先に、当てられた。少し悔しいと思う彼女だ。
しかしどこかで、「やっぱり分かり易いわよね」と、納得が生じていた。
「そんなことないわよ? 私はこの通り、元気だも「お待たせいたしました〜! こちら、『ストロベリーブルーベリーラズベリーベリーベリーバナナチョコホイップ特盛レインボ〜アイスクリスマススペシャルバージョンパフェ』でございます!!」…の?」
ズドーンと机に置かれるレインボーで巨大なパフェ。
それは相変わらず、その空間に居る存在全ての視界を虹色に染め上げるのだが、今回はまた、一段と進化していた。
具体的にいうと、アイスクリームの数が減って、フルーツの数が増えたのだ。それはもう、フィーナの言葉の最後が疑問符になってしまう程にだ。
「…これが…お気に入りなの?」
「そうよ。ちょっと…進化しているみたいだけど」
置かれた長めのスプーン片手にイヅナが瞳を輝かせる様子に、机の下で小さく手を握るフィーナ。
「いただきます」と手を合わせてからホイップクリームを口に運ぶと、翡翠色の瞳が大きく見開かれ、すぐに次の一口に繋がった。
「…凄く美味しい。…美味でございます」
「ふふ、風音の物真似?」
「…言ってみただけ」
フィーナも少しずつ食べ始める。
一見、パフェに適当にかつ乱暴に詰め込んでみただけのデザートのように思えるが、中々どうして味の統制が取れており、一つのデザートとして完成されている。フォークで刺したメロンを口に運ぶと厚みと甘みのある果肉が、噛む度に果汁を溢れさせている。
そんなパフェの味を楽しみたいフィーナではあったが、今日の主役はイヅナなので少な過ぎず、多過ぎないように食べ進めていく。
「全然飽きない不思議な味。…だけど…どこかで食べたことのある味かもしれない……不思議」
店の外を歩いている通行人が、パフェを食べる少女と女性をチラリと一瞥してはどこかへと歩いて行く。中には以前見たような気がする顔もあるようにフィーナは思えた。だが、あくまでそれは、気がするというだけであり、また気にする必要性など皆無である人物達が多かった。多かったというのは、実は、一名だけどうしても気にする必要性がある人物が通り掛かったのだ。
遠眼に窺っただけなので向こうは気付いていなかったようだが、彼女の瞳はその人物をハッキリと捉えていた。
「(あの時の商人……気付いて…いなかったわよね?)」
ふと、そんな疑問が過ぎりもしたが、「ごちそうさま」と言った少女の言葉にそれは霧散した。
「ふふ…美味しかった?」
「…うん。…弓弦とフィーナが気に入るの…分かった」
「それは良かったわ。まだ、食べたいものある? 何でも好きな物頼んで良いわよ?」
「…どうして?」
顎に人差し指を当てて思案する。「どうして」と訊かれどう答えれば良いのか少し、迷ったのだ。
だが、眼の前に置かれた空になつまったパフェや、楽しそうな通行人達の姿を見ている内に一つの考えが浮かんだ。
「今日がクリスマス…だからよ。これは私からのクリスマスプレゼント…と言うことで、どうかしら」
「…コク。…クリスマスプレゼント…」
「クリスマスは…分かるわよね?」
「…勿論」
「ありがと」とイヅナは頷いた。
言葉こそ少ないものの、その表情は花が開いたかのように晴れやかであり、フィーナも心が温かくなるのを感じた。
そんな時、先程までより一際冷たい風が吹く。
思わず身震いしたフィーナは、流石にそろそろ“シュッツエア”を使用するべきかと悩んだが、思い止まった。イヅナの黒髪に、白い何かが付いていたからだ。
「あっ」「…? あ」
気付かれるのを待っていたかのように、頭上から白い結晶が降りてきて、二人は同時に声を上げた。
犬耳を通して感じられる空気中の魔力では、氷属性の魔力が一段と活発化しており、逆に火属性の魔力は沈静化している。
「雪…ね」と、結晶の名称を呟いた彼女は、去年も似たような時期に雪が降ったことを思い出し、改めて「あの頃からも一年…経ったのね」とこれまでの毎日を回顧する。
主人と出会った二百一年前。世界を滅ぼそうとした大悪魔の復活に際し、二人で挑み、これを打ち倒したあの日。そして、主人の探し人を待つため共に氷像となって過ごした長い時ーーーそして今に至るまで、彼女は彼のことを考えなかった日は殆ど無い。
「…あ」
そして思い出す。
クリスマスプレゼントをまだ、一度も貰ってなかったことにーーー
「?」
「何でもないわ。何でも……」
明らかに何かを誤魔化している態度にしか見せれない自身に、遠い眼をしたくなる彼女ではあったが、幸い追及はなかったので安堵の息を吐いた。
「他に何か食べたいものはある?」
「…コク」
イヅナがまだ何かを注文するつもりであったのなら、彼女もまたコーヒーを注文するつもりであったので、その頷きに微笑むと店員を呼んで注文した。
「…ふぅ。悪くない味ね」
机に運ばれてきたコーヒーを口に含むと、先程甘過ぎるパフェを食べたことによるものか、いつもより苦味の強い味が口に広がった。
「……」
というか、苦かった。
苦過ぎて流石に顔に出てしまったのかもしれないと、対面に座る少女を一瞬見遣るが、気付いていない様子であった。
「美味しい?」
「…コク。…嬉しい」
ケーキを頬張る彼女の頬は、綻んでいる。
「…楽しい。…大好き」
「…そ、そう」
まさかそこまで喜んでいるとは思わず、言葉を詰まらせてしまうフィーナだ。
「…少し食べる?」
「あら、じゃあ少しだけ貰っちゃおうかしら…ん、美味しいわ。ありがとね」
食べたケーキは、直前のコーヒーの苦さも相まってかとても甘かったが、美味しいことには違いなく、その言葉に少女は嬉しそうにはにかむのだった。
それから暫くして、カフェでの一時を終えた二人は『オエステ』を後にして、戦艦『アークドラグノフ』に戻って来ていた。
帰って来たのは夜であったので、イヅナにシャワーを浴びてからすぐに布団に入ってもらったフィーナは隊長室へと向かった。
「入るわよ」
ノックしてからその言葉と共に入室したフィーナを、艦長、レオン・ハーウェルは暢気な声で迎えた。
「お〜お〜、無断外出の件なら気にしなくても良いぞ〜」
「そう、感謝するわ。…あの人は?」
彼女がこの部屋を訪れたのは二つの理由がある。一つは無断外出の謝罪で、もう一つは、主人の現況を訊くためだ。
「ん〜、分かっていれば答えてやりたいところなんだがな〜。こっちには何も情報が入ってきていないんだ〜。つまりさっぱり分からんな!」
沈黙が下りる。
フィーナは一呼吸置いてから、「そう」と短く返事をして退室するのであった。
「……はぁ」
静まり返った艦内を歩いている最中、フィーナは深い息を吐き、行先を変更する。
金属が踏まれる際の独特な音を艦内に響かせ、扉を開けると、冷たい空気が彼女の身体を通り抜けていった。
前が閉じられていないコートの裾をはためかせて外に出ると、扉の隣にある壁を指でなぞっていくと、ある一点でその指が止まったーーー否、元々その一点で指を止めるつもりであったのだが、彼女の意思以外の別の要因によって止めさせられたのだ。
「え…っ?」
その一点ーーー五芒星を示す指が彼女が見つめる先で輝きを増していく。
それは、魔法が使用されている証であり、この魔法が発動するということは、何かがここへ転移してくるということであった。
彼女が驚いた声を発したのには理由がある。
この五芒星はつまり、小さな魔法陣であり、その魔法の名称は『シグテレポ』ーーー彼女の夫が使う長距離転移の魔法だ。
だが、輝きを発したのは、魔法陣ではなく、彼女の左指だ。
「まさか」という淡い期待を持って、輝きを注視する彼女の前に何かが現れる。
「あ…」
左指にはめられた指輪の上で魔法陣が展開し、物質が現れる。
それは、リボンに包まれた箱状の物質であった。
『ィー…フィー、聞こえるか?』
彼女の脳内に響く、男性の声。
焦っているように聞こえるのは、急いでいるためであろうか。
『そっち…クリスマスなんだってな? だから…俺からのクリスマスプレゼントだ。受け取ってくれ』
「……っ!?!?!?」
箱の中にあったのは何と、今日買うことが出来なかったあの、紺色のコートだ。それが綺麗に畳まれて包装されていた。
まさか、あるとは思わなかった彼女の内心の動揺が最高潮に達しようとするが、それを無理矢理抑えて、
「…あ、ありがとう……っ」
ーーーと、何とか礼の言葉を発した。
『ん…はは、実は少し前に突然イヅナから知らされてな。アデウスを通して連絡が無かったら、きっと贈れなかっただろうから…あの子にも感謝してやってほしい。まぁ、俺とあの子からのフィーへの贈り物だ。じゃあ、切るな?』
一方的な魔法を用いた念話が終わると、彼女は、プレゼントを胸に抱く。
道理でイヅナが早く寝る訳なのだ。それに、まさか欲しいと、今日思ったばかりの服をプレゼントしてくれる辺り、彼女に対する彼の理解度が高いことが窺えるであろう。
贈られたばかりのコートに袖を通してみると、自然と頬が温かくなる。
「‘…愛しているわ……’」
それは、自然と出そうになった言葉だ。だが、それは今ここで言うべきではなく、本人に直接伝えた方が良いと判断した彼女はその言葉を発しなかった。その代わり、
「‘…駄目ね。渡すのなら直接来なさいよ…馬鹿な人…もぅ’」
贈物と、言葉だけを送ってきた主人に対して不満を口にする。
相手が今、自分と話せるような状況に居ないであろうことは分かっているのだが、そうやって不満を口にしたかったのだ。寧ろ欲を出すのならば、二人で夜を過ごしたくもあったのだ。
しかしそれは、欲を出せばの話だ。
彼女としては、プレゼントを贈ってくれたこと、それだけ満足であったのだからーーー
「…妖精乙女のクリスマス…ねぇ? どうしてこんなタイミングでテコ入れ話がやってくるんだか。フィーナばっかり優遇されてるし、変なの。大体だよ? ずっとフィーナの出番ばかりがあって、ようやく私とかが出られる章に移ってからこの有り様だよ!? もう信じられないったらありゃしない! それで、それでだよ!? この次の話も私出番全く無いの! と言うか、弓弦の出番すら無い!! ねぇこれどう言うこと? 訴訟だよ訴訟! ほらこれ見て、証拠! 『クリスマス。それは、とある男にとっても特別な、忌みを持つ日であった。十数年の時を遡り、明かされる一つの男の過去。それはーーー次回、クリスマス短編3 “渡したかった、渡せなかったモノ”』…これ、もう語るまでもない鬱展開のような気がするけど…年末にどうしてこんなものを投稿するんだろ? …気紛れだろうね、きっと」