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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
第四異世界
185/411

宴に笑う

 翌日。『シリュエージュ城』の最上階にあるヨハンの下を訪れると、ヨハン、ディーとジェシカの三人がオルレアの顔を見て表情を安堵のものに変える。

 温かく迎えられたオルレアも照れ臭そうな笑顔で彼ら前に進み出た。


「オルレア・ダルク、復活っす」


「オルレア…嬉しそうなの」


 そんな彼女の様子を背後から見ているシテロは、自分のことではないはずなのにとても誇らしい気分に包まれていた。彼女の笑顔が嬉しいのだ。

 彼女が笑顔であれば笑顔である程、シテロの心は温かいものに包まれるのだ。

 しかし、どこか寂しい感覚にも包まれつつあったのは何故であろうかーーー否、理由は既に彼女の中で出ており、それはある種、悪魔である彼女のものとしては当然のものでありまた、彼女が人の女性として抱いた感情としても当然のものであった。


『そっか…じゃああなたも私と一緒だね』


 それは、彼女が最近ある人物から訊いた言葉だ。

 その人物は、ある人物に対して深い恋慕の情を抱いているのだが、それを知影とは逆の方向に向けた人物だ。相手の幸せを自らの何よりの幸せとして行動する彼女には思わず、畏敬の念を抱くことを禁じ得ない彼女は、その言葉が嬉しかった。

 しかし実際だ。微かに心にわだかまる感情が彼女の心に影を落とそうとしていた。

 この感覚は彼女にとって、初めての感覚だ。分かってはいるのだ。幾らこの感覚を覚えてもキリが無いということは。

 彼女の視線の先で、三人に囲まれている美少女は表情豊かに談笑をしているのだが、そんな様子を見ていると寂寥感に包まれてしまう。「もう少し構って、お話して」とそんな言葉が今にも口を衝いて出そうになるのだ。

 そうして、そんな小さな願いが叶うとすぐに、次の願いが現れて、それが叶うことを切に願ってしまう。

 欲張りになるのだ。より多くのものを得ようとしてどうしても。


「……」


 そんな彼女を風音が横眼で見ている。想うものが同じならば考えていることは同じなのだ。


「…ハンさん、ジェシカさん、ディーさん」


 そんな彼女達の様子を見たのか。突然改まった声音になったオルレアは、今晩ここを発つことを三人に伝える。


「…レオン・ハーウェルの部隊に戻るのか」


「はい」


 微かに渋面を作ったヨハンにジェシカとディーの表情も固まるのだが、ヨハンは「そうか」と眼尻を下げただけであった。


「だからその前に、先輩の家で揚物パーティーをするんすけど……皆さんもどうっすか?」


 その言葉に彼女を囲む三人の視線が一人に注がれる。


「……こいつの頼みを私が断れると思うか?」


「なら僕ぁ行こうかな。オルレア嬢ちゃんの頼みを断るのは気〜が引けるからね」


「私も行きましょうか。…あなたは?」


「…構わん、俺も行こう」


 その言葉に亜麻色髪の少女は、小さく握った拳を自分の胸元に引き寄せるのだった。











「いぃぃやっほ〜! なの〜っ!」


 陽気な声がアンナの家の前では上がっていた。

 出来上がったシテロがはしゃいでいるのだ。


「ほえやふぉぉひぇにぇにょぉぉぉっ!!」


 そしてこちらは、出来上がっているどころか、元から人として何か壊れている部分に拍車が掛かっている知影。

 もはや人語ですら解せていないようで、辛うじて衣服を着用し人の姿を保っているといっところであろうか。もう、色々と駄目な女である。


「クス…弓弦様…どうです一献?」


「だ〜からっ、僕ぁその弓弦って人じゃないからそ〜んな気を遣ってくれなくて良いって!!」


 風音も既にアルコールが回っており、ディーが弓弦に見えているようで甲斐甲斐しく世話を焼いている。もっとも、それが彼女の演技とも限らないのだが。


「…あ、あなたもどうですか、その…一献?」


 そんな様子を受けてなのか。それとも、彼女なりに謎の対抗心を燃やしてしまったのか。ジェシカが徳利をヨハンの猪口に傾けようとする。


「ジェシカ、慣れないことはするな。手が震えている」


「は、はいですから…ちゃんと受け止めてください…!」


「っ!? 待て急に注ぐと溢れる……っ」


 普段は麦酒をグラスに注いでいるジェシカだ。

 彼女にとって、徳利も猪口も初めてであり、不慣れな手付で注がれた酒は、かなりの頻度で猪口から溢れる。

 しかし、この愛妻家ヨハン。妻に注がれた物を当然として無駄にするはずはない。手近な器を空いた手に持っている彼は、溢れ出てくる酒をその器を用いて、器用に受け止めていた。

 奇妙な絵面である。が、二人の間に流れる空気は非常に和やかそのものだ。


「追加分、揚がったっすよ〜!」


 一同が盛り上がっている中、一人衣が付けられた食材を次々と揚げているのは、オルレアだ。

 髪を結い上げエプロンを着用している彼女は、齷齪あくせくと動いて揚物を追加していく。その表情は活き活きとしており、楽しそうであるのは側で様子を見ている女性によるものか。

 レタスを付き合わせ用に、適当な一口サイズ切っている彼女を見守るようにして、木にもたれているアンナはお酒に強いのか、なんと酒瓶に直接口を付けて飲んでいる。男らしい飲みっぷりだ。


「先輩。そこの串カツとレタス持ってって良いっすよ〜」


「…味噌は」


「レタスの隣っす。持ってくのも二度漬けするのも駄目っすよ」


「分かっている。まだお前は食わんのか、オルレア」


「ふふ。食べてるし、飲んでるっすよ。皆沢山食べてくれるっすからこのまま食材使い切れそうっすね」


 顎で示された即席調理台の上に置かれたグラスは、半分程度酒が残っている。まったく飲んでいないという訳ではなく、既に二度程注ぎ直しているが彼女の眼にはまったく飲んでいないように映っているようで不満そうだ。

 仕方が無いので一杯分飲み干してみせると、満足そうに元の位置に戻って行く先輩の姿を見て、苦笑を浮かべる。どうも彼女は人に飲ませるタイプのようである。知影のように襲って来ないだけまだ良いのだが、お代わりを取りに来る度に、ある程度飲まないと戻ってくれないので苦笑はそれによるものだ。


「新しい御酒を頂戴しますね」


「ついでにそこの皿も持って行ってほしいっす」


 「畏まりました」と酒を取りに来た風音が、酒と揚物が盛られた皿を持って行くと、足取りが微かに覚束無い後姿に向ける、オルレアの瞳は細められる。


『悩ませてくれる。中々に聡明な女性だ…面白い』


「‘…う〜ん…確かに微妙なところっすね……’」


 脳内に響く落ち着いた、明朗な悪魔の声に小さく同意する。

 元の場所に戻った風音は再びディーへの酌を開始しており、終始笑顔を崩していない。なのでそれはまるで、仮面を被って、自分を揶揄からかっているかのように彼女は思えてならない。

 心を覗けば何を思っているのかはすぐに分かるのだが、それは例え、弓弦であってもしないことであり、それがオルレアなら尚のことである。もっとも、彼女はオルレアであって弓弦ではないのだが。

 しかし、彼女は今のこの状況を、ちょっとした遊戯として楽しんでいたりする。風音がどんなことを考えているのか、予想するのが面白いのだ。


「ゆっづる〜♪」


 彼女が、グラスを傾けた瞬間いつの間に背後に居たのであろうか。知影がその背中に抱き着いてきたので思わず、酒を溢しかけてむせてしまう。


「ゴホッゴホッ…ち、知影。いきなり抱き着かないでほしいっす」


「ゆっづっる〜っ♡」


「ひゃっ!? 危ないから胸を揉むのも止めてほしいっすぅっ!!」


 回された手が、すぐに胸を鷲掴みしてくるので艶のある声を発してしまったオルレアは、その手を強めに払い除けようとする。が、あの知影、変態の知影が一度掴んだ獲物を逃すはずもなく、その手が胸元から中に侵入を図ろうとした。


「じゅるるっ、ふぇへへ…弓弦の弓弦が弓弦れ弓弦ら…らりるれろ〜♡」


「あ、あのね知影…駄目っすよ? ボク今、油使ってて危ないから離れてほしいっす……っ!?」


 その時であった。


「おい」


 オルレアの背後の知影の背後。

 そこに、何かが立っていた。


「貴様……ッ」


 その人物は、その場に居る者全てを威圧するそれはまるで、鬼の如きオーラだ。


「人の可愛い可愛い、それはもう本当に可愛くて仕方が無い後輩に…!!」


 振り上げられた白い得物は月光に当てられ、薄青く染まっているように見える。そして、


「手ぇ出すなぁぁぁぁッ!!」


 オルレアの背後で連続で響く、子気味良い音に一同の視線が集まる。

 打ち上がった知影の真下で片足を上げ、そのままハリセンを振りかぶったアンナは、


「こんのっ、ぶっ飛べぇぇぇぇっ!!!!」


 タイミングを合わせて知影にハリセンを当てて、吹き飛ばした。遠くに消える彼女をオルレアは相手にもしない。


『キシャ』


「ん、分かったっす」


 だがどうやら知影は、アデウスによって無事どこかに着陸したようだ。

 オルレアがチラリと後ろを見ると、そこには既にアンナの姿は無い。代わりに彼女が元居た位置を見ると、そこにもう戻っていた。ハリセンは持っているようだが。

 それに相当酔っているようで、言葉も怪しかった。

 あまり見れない先輩の様子が見れたことに心を躍らせつつも、食材を揚げていくとようやく終わりが見えた。


「これで、終わりっすよ!」


 そこから暫くしてオルレアは、全部の食材を揚げ終えることが出来た。

 そして皿に盛り付けた揚物を机に運ぶと、ようやく腰を下ろして一息吐いた。


「お〜疲れさんだ。い〜や凄いなこれは」


 ディーもヨハンも、人より多く食べる側の人間であるのだが、その彼等が満腹感を覚え始める程に提供された揚物は、相当な量だ。もし「一人でやるっす」とオルレアが言わなければこの場の女性陣総出で調理していたであろう。


「構わんっす。楽しかったっすから」


 揚げたてホヤホヤの野菜をパクパクと食べているオルレアは、グラスの酒を一気に煽った。


「あなた。オルレアちゃんが来ましたよ」


「…。そうか…っと…」


 ブルーシートの中心に置かれた机を囲むようにして座っている人物達の順番は、アンナの家側から時計回りにオルレア、風音、ディー、ヨハン、ジェシカだ。

 本来ならばジェシカから知影、シテロ、アンナと続くのだが、知影はどこかに飛んで行き、アンナは木の下で一人、酒を飲んでいる。因みにシテロは潰れて寝ている。

 既にかなりの量を飲酒しているのか、船を漕いでいたヨハンの肩をジェシカが揺さ振ると、彼の顔が上がった。


「オルレア…か。飲んでるか?」


 酒が回っているのかその顔は赤く、言葉もどこか辿々しい。


「飲んでるっすよ」


「グラスが空いているな。ジェシカ、注いでやれ」


 ジェシカによってオルレアのグラスが満たされる。


「ヨハン。こ〜こは一つ、乾杯とでもい〜くのはどうだ?」


「構わん。…オルレア、頼む」


「分かったっす。でもその前に……」


 オルレアが背後を振り返ると、アンナの家の扉が勝手に開いて中から、かなり足下が怪しい知影が現れる。


「知影も先輩も、早く来るっすよ〜!」


 その言葉でアンナも、一同の下に歩いて来る。


「こう言うのは皆でやるって相場が決まってるっす! じゃあ、行くっすよ〜っ!! 乾杯っ!!」


 オルレアの音頭の下、全員が酒が注がれた容れ物を月夜に掲げる。

 照らされる半透明の液体は光を静かに反射し、夜空を映し出す。


「ゆ〜る〜っ♪」


 突然起きたシテロが、グイッと一杯煽ったオルレアの前に腰を下ろして、身体を後ろに倒してくる。


「ゆ〜づ〜る〜っ♪」


 横からは知影が。


「うふふ…♪」


 その反対側からは風音が身体を預けてくる光景は、非常に百合百合しい。


「んうっ!?」


 そんな女性陣に寄り添われて思わず、天を仰ぐとその口に、酒瓶が当てられた。

 流れ込んでくる液体を溢れないように何とか飲み込んでいると、彼女の背後から「オルレア、飲めぇっ!」と声が。


「せ、せせ先輩?」


 声の主はアンナだ。空になった瓶を上機嫌で見て、くしゃくしゃと後輩の髪を撫でている。


「良い子だなぁオルレアは…本当に本当に、可愛い奴め…フ、よしよし」


 「ふぁ…や、止めてほしいっすぅ…っ」と最初は抵抗を見せるオルレアだったが、やがて眼を閉じされるがままになっていく。安心感を覚えてしまった彼女は、自然と身を先輩に任せてしまうのだ。


「女狐に私の弓弦が手懐けられてりゅ…そんな女の言いなりらなんれやらよ私の弓弦…それに、この巨乳さん…」


「…すぴー……」


「寝てるし…これじゃあ私の弓弦が潰れちゃうよぉ…こんな、こんな胸…反則。れも弓弦…大きい方が良いのかなぁ」


「あらあら…諸行無常で御座います。いつか大変なことになりますよ」


 風音の声音に温かみは無い。

 笑顔ではあるが、明らかに眼が笑っていなく、背中に冷えるものを感じたヨハンとディーはそっと、視線を百合百合光景から外した。

 外した視線が向かう先は、二人の間に座るジェシカ。彼等にとって彼女は、この場の清涼剤だ。


「そうかなぁ? 確かに、いつかはそうなるかもしれないけろ。フィーナとかいつまで経っても不思議な魔法で老けないらろうなぁ」


「永遠の若さで御座いますか。求めて止まない方もいらっしゃるそうですが…そうですね。確かにフィーナ様でしたら弓弦様のために、いつまでも無理の無い程度に御姿を保たれるとは思いますが…果たして如何程の時の流れを必要とするのでしょうね……」


「そ〜らよね…二百年経っても弓弦、姿全く変わってないし…大体らいたい本とかの『ハイエルフ』って数百歳でも老けてないしなぁ。妖精さんって凄いけど、ズルい……」


「クス、そうですね」


 暫く経った頃であろうか。

 アンナは自身に掛かるオルレアの重みが、微かに増えたのを覚えた。撫でている手の速度を緩めて彼女が、後ろから覗き込むようにして少女の顔を窺うと、


「……フ」


 小さく優しい笑みを零す。

 彼女の視界に映ったのは、瞼を優しく閉じて柔そうな唇から小さく寝息を立てる少女の姿。と、身動ぎによって彼女の服を微かに押し上げる淡い膨らみに顔を当てて寝ている女性の姿だった。


「‘…こうして直視すると確かに…いや、どことなく面影がある…か’」


 そんな女性達の様子を見てヨハンがポツリ、「意外だな」と脳裏に浮かんだ言葉をそのまま零す。


「元帥嬢ちゃんにあ〜んな顔をさせるなんて、オルレア嬢ちゃん余程(よ〜っぽど)大切にさ〜れてるんだね」


 素直な感想を返したのはディーだ。

 ジェシカに注がれた酒が入った盃を月に翳し、そうしてから酒をグッと煽る。


「お前も、たまには飲まないのか?」


「いえ、私は…こうしてお酌をさせて頂くだけで良いです」


 ジェシカは酒が得意な方ではない。全く飲まないという訳ではないのだが、ヨハンの前で痴態を晒すことに抵抗があるのだ。

 また、場所としても問題だ。彼女はここ、『シリュエージュ城』の侍従長だ。城仕えのメイドを率いる者として、また同時に城主を支える家内として、公衆の面前では痴態を晒せないのだ。


「ヨハンの言う通り、た〜まには良いと思うけどな」


「断らせて頂きます」


「…。まだ“あのこと”根に持ってたりす〜るのかい」


「何のことですか?」


 ジェシカの眉が上がる。


「あ〜の「よく聞こえませんでした」」


 彼女の迫力によって無理矢理黙らされたディーがあらぬ方向を見る中、ヨハンはその当時のことを思い出ーーーそうとしたところで同じくジェシカの、無言の迫力に晒され妨げられるのだった。


「‘まったく…どこかで勘付いているのか? …お前さえ気付いて…ない心の奥で…な……’」


 オルレア髪に手櫛をしていたアンナは、突然瞼が重くなるのを感じた。

 元から酒が回っていた彼女だ、頂点に達して眠りに誘われるその時は、刻一刻と迫っていたのだろう。最初はそのまま倒れて寝ようと考えていた彼女だが、結局、自らの腕の中の存在を抱きしめるようにして、意識を手放した。

 そんな女性陣の姿を見たヨハンとディーは、互いに頷くと魔法を発動させた。体感気温を調整する“シュッツエア”に、火の魔力マナによって対象を温める、弱めの“ラジェーション”だ。

 その間にジェシカはサッと、背後で、遠眼に酒盛り一同の様子を眺めていた部下達に合図をすると、自分は立ち上がって場の片付けを始めた。


「「「「「お持ちしました」」」」」


「ご苦労様です」


 暫くして彼等が持って来た毛布をヨハン、ディーと一枚ずつ眠り姫達に掛けると、彼女達の警護を命じた。


「あなたも、ディーさんも場所を移されては如何でしょう。私は片付けがありますのでここに残りますが、積もる話の続きをされては」


 顔を見合わせた男二人は、頷く。


「分かった。先に寝ておくと良い」


「じゃ〜、お〜休みなんだな」


 しっかりとした足取りで場を離れていく二人の背中を見送り彼女はまるで、慈母の微笑を浮かべながら片付けを再開するのであった。












「ど〜うする?」


 ヨハンの執務室に場所を移してからこれが、ディーの最初の発言だ。

 「何を」と返そうとしたヨハンだったが、どうするのか訊いている対象が分かったので言葉を飲み込んだ。

 薄暗い部屋を照らすのはランプの光であり、淡い光に当てられ液体の透明色がまるで、黄金色のようになる。それを煽るとヨハンは「行く」と新たな言葉を返した。


「あれとも交戦したと言っていたからな。詳しく話を聞かないといかん…こればかりはな」


 彼等の脳裏に浮かんだのは、先日遭遇したある存在だ。

 言葉すら交わさずその場から消えたが、二人の眼に映ったその存在は、彼等の内の片方ーーーヨハンにとって地獄の沼に溜め込まれた呪いにも似た衝撃であったのだ。


「ほ〜いほい。じゃあ僕ぁそれに、お〜共しないといけないんだな」


「何か用があるのか?」


「ちょ〜いっと野暮用だな」


 「そうか」と視線を盃に注いだヨハンは、小さく溜息を吐いた。


「…こうして居ると、昔を思い出すな」


 揺れる液面に彼は、何かを見ている。それはかつて、まだ二人が現役の隊員として同じ部隊に所属していた頃にまで遡る話だ。


(む〜かし)、か。あ〜の頃と比べると身体(か〜らだ)(う〜ご)かなくなったもんだ。お〜互い、歳を取ったもんだ……」


「まだ現役と言って差し支えない動きをしていたように思えるが、な。お前がそう思うのならそうなのだろう」


「こ〜うして老いを考えてみると、あの御方の(す〜ご)さが分かるね。…や〜っぱり、“彼”なのかねぇ」


 彼等が尊敬している人物。その人物を殺めたであろう男の顔が浮かぶ。

 ヨハンが苦い顔をしたのは、あの時男の逃走を許してしまったことによるものだ。

 数多くある問題を、さらに増やしてしまったのだから、酒を飲むまで彼は内心憤慨していたのである。もっとも今は、そんな暗い感情は旅立ってしまったのだが。

 最後まで言い切ってから、彼の表情を見て気付いたディーが「仕方(し〜かた)無いよ」と励ます。


相手(あ〜いて)が相手だ。君にも僕にも、到底(と〜うてい)手に負える存在じゃな〜いんだな、これが……?」


 言葉が尻窄みになっていったのには理由がある。何故なら、


「……zzZ」


 いつの間にやら既にヨハンは、意識を旅立たせてしまったからだ。

 机に突っ伏する旧友に何か掛物でも掛けようと、ディーが席を立った時だ。


「…?」


 別に気配を感じた訳ではなく、ただ直感的なものであったのだが、ふと彼が窓を見た時。そこに誰かが居たような気がして彼は瞳に不審の色を宿したのであった。

「…お~…」


「…隊長、どうかしまして?」


「…あ~、何かな~…少し気になる部分があってだな~。この部分だ~」


「この部分…あぁ、そうですわね。確かに匂わせ振りな書き方がされていますわ」


「…居たのか~?」


「…さぁ? 分かり兼ねますわ。ですがきっと、可能性としてはあり得るのかもしれませんわね」


「…これは~、何かの意味があるのか~?」


「『ある』より『あった』が正しいのかもしれませんわ……」


「…?」


「まだそれは説明出来ませんわ。もう少し…待ってもらえませんと」


「ん~?」


「…あの夜のことですわ」


「…。あ~…」


「…でしょう?」


「そうだな~。ま~、そう言うことになるんだな~」


「それに…ここで幾ら探っても、向こうに持っていけるお話ではありませんわよ?」


「分かっとる分かっとる。じゃあ予告だな~」


「…(わたくし)は書類の整理があるので失礼しますわ」


「あ、お~い! …何だ、連れない奴だな~。ま~良いか~、ん``んっ。『束の間の宴は夜と共に終わり、迎えた朝は旅立ちの朝。ヴェアルからの頼まれ事を済ませるため、オルレアは街に居たーーー次回、朝に響く』…次回も、ビールとつまみ片手に楽しめよ~?」

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