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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
第四異世界
176/411

黒く呑まれる

 もし、運命と言うものを決める存在が居て、そこに何者かによる意思が働いているのだとしたら、人はどう考えるのだろうか。

 俺だったら…そいつをせめて、一発殴り飛ばしてやりたい。それが例え、宗教、聖書に謳われる神様だったとしてもだ。…殴ってやらないと気が済まないからだ。

 「人事を尽くして天命を待つ」…多くの人は、本当にどうしようもない事態に陥った時、そこに何者かによる救済を求める生物だと、俺は考えている。

 こう考えている以上、俺にもそんな時期はあった。頼りたくても誰にも頼れず、本当に、本心からの願いを抱いていた時期はあったものだ。勿論それは、俺個人のエゴイズムに基づいているものだとの自覚はある。

 だが、願わずには居られなかった。何故かって? それはな……


「被検体番号八〇、時間だ」


 俺が、化物だからだ。


「ぐっ!?」


「何だその反抗的な眼は。被検体は被検体らしく、ビクビク怯えていろ! 化物めッ!」


「がっ!?」


 自らが異物と認めたものに対して人は、徹底的に排他的になる。人を人とも認めず、日頃の鬱憤を晴らすかの如く力を振るう。それが例え、歳若いまだ、学校にすら通っていないような子どもに対してもだ。…そして呼ぶ時は名前ではなく番号だ。「どうしてこうなった…」なんてものじゃない。

 そう、ここは地獄なんだ。屑と下衆の吐き溜まり。

 国だか何だか知らないが、国家のためとか謳ってモルモットにする。「命に関わるあるものとしても認められないただの実験道具」…と、同じようにこの地獄へ連れて来られ身体を弄くり回された四肢の無い男が以前俺に、教えてくれた。…優しい人だったがその人はもう、帰らない。廃棄されたそうだ。

 成る程、その言葉通りだろう。

 ここに連れて来られてもう、数年が経過するが俺の周りの人はその数を減らしていっているのだから。もう何人増えて、何人減ったのか…正直言って、覚えていない。が、沢山であったのは間違い無いんだ。

 人当たりの良い奴、凄く物知りな奴、騒がしかった奴、落ち込んで泣いてばかりだった奴、逆に馬鹿みたいな程元気だった奴…老人、親の腕に抱かれているような幼児、男、女…沢山、沢山だ。本当に種類に富む人達だったが共通することは、その誰もが既に、この空間に存在しないこと、だ。

 沢山出会って、沢山別れを経験したのには理由がある。俺が、どうも「生かされている存在だから」だそうだ。

 皮肉か、俺はどうも何か、特別扱いであるらしい。化物の中の特別扱い…つまり、化物の中の化物…だそうだとか。


「……」


 向こうから誰かが歩いて来る。


「オラ歩け!!」


「ぐぅっ!!」


 今横を通り過ぎた子ども…見ない顔と言うことはつまり、新入りだ。

 どうやってここに連れて来られたのだろうか…家族に売られた? それとも、俺みたいに家族を殺された…とか…いや、どちらも辛いな。きっと。どちらが残酷であると言う訳でもなく、ただ等しく、絶望を味わった者であることには違い無いのだからだ。

 …にしても、家族か。あの日のことは多分、忘れることはないだろう。

 いつも通りの通学路、いつも通りの家…なのにその中は……

 …。そう言えば俺に乱暴するこの男、確かあの時居た黒服の一人だ。

 帰って来た俺を待ち構えていたのは家族ではなく、無残に荒らされた家と黒服の大人達。

 あの時俺は、嫌な予感がして逃げた。その時から自分の中で蠢く異質な力の胎動を覚えていたからだ。

 だがそれを阻んだのは数の暴力だ。所詮は子ども、何十人の大人に追い掛け回されて逃げ切れるはずがなく、連行。その時俺は、「家族が殺された」と言うことを、不愉快極まりない表情を浮かべた大人達に言われたものだ。

 …だが当時。当初はそれが信じられなくて…いつか俺を助けに来てくれるものだと信じていた。だから牢獄の中から必死に神頼みしたものだ。「助けてください」って。

 だが結局、助けが来るなどの都合の良いことは起きなかった。あの時俺の中を、諦めの感情が支配したんだろうな。だからこんな、作り話めいた現実の話をさも、作り話のように自分の中で独り、誰とも知れぬ存在に語っているような感覚に囚われる。

 救助の諦め。

 平和の諦め。

 希望の諦め。

 生への諦め。

 全てを諦め、今の俺が居る。毎日が同じことの繰り返しだ。打たれ、引き摺られ、調べられ、嘲られそして、また牢獄に放り込まれる…そんな毎日の。


「入れ」


 そして今日も、ようやく終わった。二人、姿が見えない。


「廃棄されたか…」


 少し耳を澄ますと啜り泣きが聞こえる。絶望への慟哭など、この牢獄の夜では日常茶飯事とも言えるものだ。気持ちの良い笑顔なんて今や、どこにもない。

 …こんな場所が、現実が夢のように思えて以前数度、自殺を決意したことがある。だがその都度、耳障りなブザー音と共に黒服が来る。俺達化物は、監視されているんだ、常に。

 精神が磨耗していく…そんな毎日でもあると言える。この現実に耐え切れなくなった人は発狂して暴れる。そしてそんな姿を見て他の人間が精神を擦り減らす…それが繰り返されるんだ。何度も、何度も。

 そんな中、俺が怒りを憶えているのは研究中に身体に打ち込まれるアンプルだ。文明発達の産物であるそれは、生きるための最低限の栄養物が混ぜられており、このありがたい栄養剤のお陰で飢えることがない。死にたくても死ねない状況の完成だ。

 退屈だ。退屈だが、心落ち着く退屈だ。何もされることが無いのが心地良いんだ。例えば睡眠の時間も、清涼剤と言って間違いは無い。

 だが時間が経って起きればまた地獄が始まってしまう…死刑を待つ死刑囚はこんな気持ちで毎日を過ごしていたのかもしれないと考えながら、固いタイルの上に身体を横たえ、薄いボロ布を巻き付けて寒さを耐え忍ぶ。

 鼻に香るのは鉄の匂いだ。黒ずんだ染みに鼻を当てるとそれは強くなる。

 本当はここまでボロ布だった訳ではない。以前はまだ原型を留めていた寒さに震える少女に渡した小さな善意。その成れの果て……

 どうもこの場所で善意とは、悪意に変わる定めにあるものらしい。これはその戒めだ。 

 そしてこの香りは俺にとって…果てしなく、心地良いものだ。

 …自分でもそう思う、化物だと。こんな…血の香りを求め、生き血を啜ろうとする人間なんて存在しないのだから。そんな抑えたくても抑えられない衝動…血を恋し、ただそれを求め続けたくなる衝動。 …俺はここに居て当然の化物なのかもしれない。もし、あのまま何事も無く毎日を過ごしていたら、平和を脅かす存在となっていたのだろうから……

 血の甘い香りと、思い出すかのような温かな感覚…心地良く、満たされているかのような充実感を覚えさせてくれる。

 そして、これに包まれながら意識を沈ませていく。

 いつか…いつか、死ねる日が来ると良い。俺が欲しいのは……静寂だ。だが……


ーーー本当に、そう?


 時々聞こえてくる、謎の声がそれを妨げる。ほら…聞こえた。静寂の堪能を邪魔する声が。

 ここ数日、毎日ように眠りに就こうとすると聞こえてくる。当たり前のことを何度も繰り返して聞いてくるのが相当、鬱陶しい。酷い時はこれの所為で眠れない日だってあった程だ。お陰様でその次の日は、睡魔に負けそうになった俺が殴られたり蹴られたり、散々だった。


「…俺には…眠る権利すら与えてもらえないのか…?」


 零れた言葉は掠れていた。

 渇きを覚えている喉が水分を欲するが、当然、無い。

 これを紛らわしたかったのも理由なのに、今日も今日とて散々だ。


ーーー違うでしょ、そんなこと思ってない。


「…煩い」


 どうしてそんなことが分かるんだか。分かったような口を叩かれるのが一番鬱陶しい。…分かられて堪るか。腹が立つし何より、邪魔だ。

 邪魔だ、何もかも。自分ですら分からないのに知ったか振りは止めてほしい。反吐が出ると言うやつだ。頼むから止めてほしい。

 …頭が狂っているみたいに思えて虚しくなってくるから。


 …。


 ……。


 ………静かになったか。

 しかしこの幻聴…いつから聞こえるようになったのだろうか。ここ数日…いや、ここ数ヶ月前か? …。 毎日が同じ事の繰り返し過ぎて時間感覚もとうの昔に麻痺しているか。…まぁ、決められたことが終わる頃にはこうして夜になっているのだから、必要無い感覚であるのは間違い無い…か。

 …人らしい感覚か。俺には後どれだけの、人間らしさが残っているんだろうな。まだ全然残っているかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ、こう悩んだり、考え事が出来る内は人間で居られているような気がして…足掻きなのか、こうして無意味に思考を巡らせている。 それなりに時間を潰すついでに考えているから、個人的には効率が良いように思える。寝落ち…なんてことも出来るしな。

 寝落ちか……普通に暮らしていたあの頃は良かったなと思う。

 一人の兄と妹に三人の姉…普通に考えて大所帯な家族だ。毎日が楽しかったなと、今思い返してみれば理解出来る。…もっとも、戻らない毎日ではあるが。

 それが今やずっと一人だ。孤独…には正直慣れないものがあるが、そうでないともがけばもがく程、それは俺の前に突き付けられるものだ。この毛布然り…だ。現実は常に、過酷な結果を見せてくれる。

 …幸いと言えるもの。いや、幸いと言えるのかどうかは分からないんだが、俺の中にあるこの化物の力は世界を滅ぼしかねない程のものだそうだ。俺がその気になれば、世界を壊せる…言い方としてはアレだが、黒服の言葉を盗み聞きする限りでは可能な話らしい。昔は、悪役みたいで嫌な気分になっただろうが、今は一抹の不快感すらない。ただ壊せる、壊せることの出来る力がある。それだけなんだ。

 それを行使するために何とかして力の使い方でも知ることが出来れば良いんだが。そこは研究施設、俺には不可解なデータばかりで未だ手掛かりを殆ど得られていない状況だ。得られた情報も、「イメージする」と言う訳の分からないもので、意味不明だ。イメージで世界が壊せたら世話無い。事実、試したことはあるが何も起きなかった。どれ……


「助けが現れますように…なんてな」


 どうせ何も起きないんだ。こんな馬鹿なこと言ってみるぐらい許してもらえるだろう……


* * *


 虚空を見つめていたクロは気配を感じて背後を振り返る。


「首尾はどうだったかにゃ?」


「キシャ」


「なの」


「ふむ」


 振り返った先に現れた三体の悪魔は、それぞれ、後ろに何者かを従えていた。形は分かるのだが、暗闇に包まれていてそれが誰なのかは分からない。それは当人達も同じであり、その存在達も、自らの他にここに居る存在のことが認められなくなるようにされていた。


「にゃはは。(みんにゃ)手際良いのにゃ。僕は今から“彼”の下に行くというのに…速過ぎにゃいかにゃ?」


「それは当然なの。想いの第六感を侮るべからずなの」


「キシャシャ」


(にゃ)る程にゃ。やっぱり、分かる人にはどれだけ(はにゃ)れていても分かっちゃうものにゃんだにゃ。…だけど『支配の王者』、君が行った割には物分りが良かったと驚いているのにゃ。警戒されにゃかったのかにゃ?」


 蝙蝠型の悪魔の背後に立っている存在を一瞥してからクロは首を傾げる。この一悪魔と一人は、深い因縁がある組み合わせだ。突然眼の前に現れたら警戒されて当然だと思っていたのだが、他の二悪魔と同じようなタイミングで現れたことによって生じた疑問であった。


「我が現れた殆ど刹那に『連れて行け』と云いよった…彼奴に似て、事を急ぐ嫌いがある。誠に、似るものよ」


「ふむふむ…にゃ。流石は…って感じかにゃ? …じゃあ、僕はもう一人の所に行って来るのにゃ」


「…キシ」


 三悪魔が歩いて来た方角とは別の

方角へ歩いて行こうとしたクロは、強い静止の雰囲気に、足だけを止める。


「クロル…やっぱり危険だと思うの。二人を同時には無理なの」


 その尻尾は下がっている。まるでその先で起こること全てを理解し、受け入れているかのように。


「…僕がやらにゃいで誰がやるにゃ。この(にゃか)で替えが効くのは僕だけにゃんだから…弓弦を助けるためにゃら僕の存在くらい、くれてやるにゃ」


 それはクロ以外の悪魔達にも受け入れられなければならないことだった。今から行うことの唯一の代償を選ぶため、弓弦にとって必要な悪魔を、上から順に除外していく。

 『支配の王者』の名の通り、悪魔としての格が上であるバアゼル、空間魔法の因子の要であり、消費魔力(マナ)が多い魔法を多用するためには欠かせないアデウス、とある事情により、悪魔としての希望を託されているシテローーーするとどうしても、クロが最後に残ってしまう。それは確実であり、必至だ。

 今の弓弦を助けるためには、あることをしなければならない。そしてそのためには、彼の存在と同化している強大な魔力マナを持つ存在が、五体必要なのだ。

 残念ながら彼の中に居る悪魔は四体。一体足りない状況で事を行うには誰かが重複する他無いのである。しかし、当然問題が発生する。これは弓弦の回路パスと、彼らの莫大な魔力マナを用いて行ういわば、奇跡のようなもの。人為的な奇跡には、何らかの代償が発生する可能性がある。無論バランスが取れているのならそれは起こらないであろうが、重複となるとそれは、確定される未来への投了となるのだ。


「…消滅を承知ですると云うのか。此れまでとは違い、完全なる無への岐路を選ぶと…」


「そんなの駄目なの! 皆一緒、こうして、思うがままに在れるのに…笑い合えるのに…」


「…キシャァ……」


「にゃはは。僕は『凍劔の儘猫じんびょう』…そのにゃの通り、我儘気儘にいかせてもらうだだし天秤は決しているのにゃ…はにゃ、持たせてほしいのにゃ」


 訪れるであろう消滅。悪魔故に恐怖という感情は覚えないが、寂しくはあった。

 主を通して見た景色、触れた人々、交わした会話…そのどれも、訪れてしまえば永遠の別れとなってしまうのだから。


「嫌なの! 皆で…皆でお祝いしてくれるって言ったの、クロル!! 言った本人が消えるのは約束破りっ、駄目なのっ!! 私だって約束した、頑張るって…まだ機会に恵まれていないけど…ちゃんと、やるのっ! それにクロルが居ないと…居ないと…」


 小さくなっていく言葉だが、やがて大きく息を吸ったかと思うと、


「雑用係が居なくなるのっ!!」


 ーーークロは転けた。


「…もう時間がにゃいのにゃ。にゃあ…締まらにゃいにゃあ…じゃあ」


「クロル!!「黙すと良い『萠地ほうじ然龍ぜんりょう』」んーっ!? んんーっ、んんんーっっっ!!!!」


 起き上がりゆっくりと、確実に歩みを進めるクロの下に駆け寄ろうとするシテロであったが、バアゼルの“サイレント”によって口を封じられ、アデウスによって道を阻まれた。親の仇を見るような瞳で両悪魔を睨み付ける彼女だったがやがて、その瞳から大粒の雫が零れ落ちる。


「…キシャ、キシャァ」


「…そうだな。我も同意だ。同胞はらからの勇姿、確と、見届けよう」


 猫の先に、扉が現れる。

 それは彼にとって、冥府の門だ。潜ればもう、彼がこの心休まる空間に戻って来ることは、不可能。


「んーっ!! ーーーーッ!!!!」


 彼の歩みには、一片の迷いすら無かった。結果を受け入れ、今生の別れへの惜しみを尻尾の一振りで打ち消した彼の前で扉が開く。

 背後でシテロの声にならない声が聞こえる。アデウスもバアゼルも珍しく、どこか憂いを帯びた雰囲気に身を纏わせている。

 弓弦と三体の悪魔と、一体の悪魔で静止する生の天秤。揺れることを止めた天秤は結末の暗示だ。

 クロルという悪魔の消滅で、弓弦を助け出すーーー「美味しい役をもらえたものにゃ…」と内心で独白しながら彼は開いた扉の先を見る。


「…?」


 そして、その先に微かに見える、“何か”に軽く眼を見張った。思わず息を詰まらせてしまったのは、それが信じられなかったためだ。


「無数の物質があるのならば分銅となる存在もまた、無数…ならば」


 そうしている間に“何か”は、扉から空間に足を踏み入れると、固まるクロの瞳を静かに見つめた。

 背後の三悪魔も、固まる。


「天秤が決する可能性の数もまた、無数だ。…久しいな。暫く見ない間にみな、情にほどされるようになったか…」


 その背後に連れられている存在の姿を認めたバアゼルが、悟ったかのように唸ると、悪魔達それぞれが連れている存在達から突然光が発せらた。

 四つの光は一箇所に集まり、閃光を生じさせる。直後、そこに扉が現れた。


「…にゃ、はは…これはまた…悪魔の覚悟を踏み躙ってくれる登場だにゃ…「なの〜っ♪」ふごふっ!? し、ジデロ…潰で…で…」


「ごめんなさいなの」


 四つの存在はいつの間にか、その扉に手を掛けて中に入って行ってしまった。気が急いでいたのもあるのだろう。後一人の到着を待たずして彼らは弓弦の救出に向かってしまった。

 お膳立ては終わったので、向こうはもう、向こうに任せることにして、悪魔達は悪魔達で突然現れクロの見せ場を見事奪った存在を迎えた。


「これも主の賜物か…成る程、面白い…」


「…いつ同化した。我らが気付かないはずはないはずだが…『紅念の賢狼』」


 利発そうな顔立ちをした金毛の狼は自らの二つ名を呼んだ同胞の姿を視界に入れる。


「今来たのだよ。元より、そのつもりではあったがな…」


「お出でませなのヴェアル。助かったの〜♪」


「…彼女は?」


「…アシュテロ…にゃ。お…おぼい…「む〜っ、失礼なの〜」にゃ、ぁ、ぁ…ぁぁ」


 押し潰されるかのように身体が沈んでいくクロだが、沈んでいっているのは地面ではなくシテロの身体にだ。

 興味深そうにそんな彼女を見るヴェアルに彼の助けを求める視線は届かない。


「アシュテロ…『萠地の然龍』か。成る程…器では魂を計れないとはこのこと。肉体と魂の差異…重力に囚われていてはそれも判らぬことか。やはり解放されてみるものだな…まさか、早々に発見に有り付けるとは…面白い」


「キシャ、シャッシャッ!」


「…希望? 先程も聞こえたが一体…」


「シャシャッ! シャッキーシャッキー、キキキシャア!!」


「…成る程、面白い試みだ。それについては私も一枚噛ませてもらうとしよう。それが祝砲となることを信じてその引き鉄を共に、握らせてもらおう」


「ぁ…ぅぅ……が、頑張るの…っ」


 優し気な光を宿して向けられた視線に、顔を赤くして彼女は身を捩らせる。

 和やかな雰囲気が流れ始めるがしかし、バアゼルだけは最初を除いて視線を扉へと向けている。扉が開くのを今か今かと待っている彼の様子はどこか落ち着きが無い。アデウスに視線を向けられるとそっと逸らしたが、その後すぐにまた向けた。


「…頑張るの…私…私も女の子だから…なってみたいの…」


「……ガク」


 クロが召された。


「気勢は立派だ。しかし、勢いだけではどうにもならないのが摂理と言うもの。だがそれでどうにかしてしまうのが、若さと言うものかもしれない。これが若さか…っ」


「若い内に沢山頑張らないといけないって、本で見たの。だけど…ぁ…ぅぅぅ…ユールの……ぅぅ…はぅぅぅ…はわわわ…ひぇぇぇぇ…」


「キシャァ…」


 来て早々に独特な雰囲気を放ちながら一悪魔慄いているヴェアルに、何を想像したのか一悪魔悶えているシテロ。


「キシャ?」


 バアゼルが虚空を見上げたのに連れ、同じように見上げたアデウスの眼に、彼らにとって信じたくないものが映し出されていた。

 人間の男の手に埋まっているそれはまるで、胎動の如く脈動しており、怪しく光を放っていた。男の言動からまさかと思っていた彼らだが、それを理解すると思わず、視線を新入りに向ける。


「……」


 静かだが確かな感情に燃えるような瞳ーーーそれが答えだった。


* * *


 ディーは霞み始めた視界を鮮明にしようと眼を細めながら、悪魔の力を振るうサウザーと交戦していた。

 刺し違える覚悟で飛翔した最初とは違い、今は幾分かの余裕を持てるようになっており、消耗は極力抑えて戦闘を続けている形だ。

 その助けとなっているのが、突然現れた二人の女性だった。地上からの正確な矢と、飛行魔法を用いていないのにも拘らずありとあらゆる壁や床を蹴りあたかも、鳥が空を舞う様を思わせる斬撃。様子や会話内容から、今アンナに回復魔法を掛けてもらっている少女と関係があるのは察せられるのだが、その実力には驚かされていた。


「余所を見るいとまがあるとは随分な挑発よリーシュワァッ!!」


「っ!! 僕ぁ教師だからね、教室に居る生徒の様子を(か〜く)認することと大して変わりはないんだな!! そ〜ちらさんこそ、背後には…注意だ!!」


「その通りで御座います」


 言葉の直後に風音の薙刀が間近に迫っていた。それを弾くのだが、追撃の直前に下方から矢が飛来する。


「足下にも注意ってね。ねぇ、いい加減降りて来てくれないかな。矢で串刺しにするのも悪くはないんだけどどうせなら、弓弦の痛みをその身体に刻み付けてあげたいんだよね…」


「あらあら、頭上に注意で御座いますよ…うふふ♪」


 すると今度はどういった原理なのか、天井に足を付けてから放たれた、焔の斬撃波が飛来する。

 その間にディーは、球体型の悪魔と対峙した。


「っ…女が…付け上がるなッ!!」


 次々と入れ替わる戦闘相手に翻弄されていたサウザーが、手に埋まっている物を掲げた。

 起こる衝撃波に当てられ、三人が別方向に吹き飛ばされたのを見下ろした光景を、漆黒の闇が彩る。 ハルスの闇魔法だ。

 戦闘は一見、ディー達有利で進んでいるように見えるのだがその実、軍配はサウザー達に上がりかけていたのだった。


「……」


 集中しているのか、瞑目しているアンナの姿を見遣ってから傲岸な視線に真っ向からぶつかると、再び闇魔法が一行を襲った。反応した風音がアンナに向かった分も対処するが、防ぎ切れなかったのか身体の至る箇所に傷が見られた。


「…少しヤバい?」


「あら…まだまだで御座います」


「風音さんもだけど…ディーさん」


 そしてそれはディーも同じであった。蓄積されてきた疲労がここにきて身体を押し潰し、素人眼にも分かる程明らかに、肩で息をしていた。長時間における“ベントゥスアニマ”の使用にもう魔力マナが、殆ど残っていない彼は、苦笑しながらも呼吸を整えた。


「多分そろそろ休んだ方が良いと思うけど…」


「…(な〜)前知ってたんだねお嬢さん方。オルレア嬢ちゃんから聞いたのかい?」


「はい、そのようなものです。それで…如何でしょうか」


「……分かった」


 すぐに彼は折れることにした。

 このまま向こうに行っても何も出来ず攻撃を受けるだけなので、それを踏まえての決断だ。

 それに二人は頷くと、再び敵に向かって行き、彼はオルレアの側に片膝を突いた。攻撃がいつ飛来してと良いように武器から手は離さないがこうして一息吐くと、自分が相当無理をしていたことが強く感じられる。彼は苦笑しつつ、自分の老いを実感するのだった。

「あ、あなた!」


「お前か。血相を変えてどうした?」


「ここはどこなのでしょうか…? 気付いたらこのような場所に居たのですが……」


「…その手に持っている紙は何だ? …何やら文章が認められているようだが」


「あら私いつの間にこのような紙を」


「どれ…『読め』と書いてあるようだな。…ここはそう言う空間なのか」


「…宜しいのですか? あなただけでなく、私がこのような大役を……」


「お前が読まないのなら俺も読まん。分かっていることだろう?」


「…そうですね」


「…間があったな」


「少し溜めただけですよ? 本当に些細な事でも気にされますね」


「一城の主が細事に眼を届けられない等無様なこと、出来ないからな」


「あら? 私の知っているあなたは多分に不器用な方で、細かい事に気が付かれますがその結果、余計に大事にされてしまうような方でしたが…?」


「…昔、不器用でも構わんと言ったのはお前だったと記憶しているが」


「不器用でも一途な部分に惹かれましたから」


「…直接的に言うか」


「直接的に伝えないとあなたには伝わりませんもの、昔から。問題があるのでしたら止めますけど」


「構わん」


「ふふ、即答ですね」


「…読むぞ!」


「分かりました。それでは、あなたからどうぞ」


「いや、お前からだ」


「あなた」


「お前」


「ヨハン」


「ジェシカ」


「ヨハン」


「…ジェシカ」


「ヨ~ハ~ン~さ~ん?」


「…。『絶望とは常に、希望あるべくしてその対となるものとして存在するもの』」


「ふふ。『彼にとっての絶望が、希望に基づくものとして存在したのならばそれは、すぐそこにーーー』」


「「『次回、光に抱かれる』」」


「その時彼の頬を伝うのは、何か」


「…そう言えば。あなたもあまり、意固地にならない方が良いと思いますよ」


「…何のことだ」


「秘密です」

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