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過去からの願い

 これから待っているのは逃亡生活になる。

 あれだけ事を荒立ててしまったのだから無理もないんだけど、戦いたくない人物はたくさん居る。

 例えばディー先生だ。 戦いたくない人ではまずこの人の名前が挙がる。 それだけお世話になったんだから。

 『セイシュウジャミング』の効果で暫くは隠れて居られるはず。 どれだけ時間を稼げるかは分からないけど、一週間は保ってほしい。

 …向こうがどこまで躍起になって探してくるかは謎だ。

 ただこの『アークドラグノフ』は色々特殊だ。

 取り敢えず僕がやれることは、常に逃げの一手が打てるように対策を続けていくこと。

 【リスクX】との戦闘もそうだ。

 大掛かりな戦闘を行えば向こうに気付かれてしまう。

 頼りの綱は弓弦君だ。

 きっと彼なら、何かを、起こしてくれるはずだ。

 …そう言えば今日はレオンの姿が見えない。

 隊長業務がないからどこに行こうとも良いんだけど、まさかあの丘に行ったんじゃないよね。

 …あそこは多分まだ監視があるから危険だけど……

 そう言えばオープスト大佐と副隊長もどこかに出掛けてるね。

 ……うん、まぁ、それなりには自由が一番かな。


* * *


 ここは地獄か。

 地獄だよな、そうとしか思えないんだよ…!!


「弓弦様。 集中集中…で、御座いますよ♪」


 ……先程の発言で見事、墓穴を掘ったという訳だ。 はぁ……


『俺とあいつがあの子にしてやれることは驚く程少ない。 ここにも頼れる奴は居るが、何せ俺達の娘だからな。 一番信用出来る者に託したい』


『そいつは…まさか』


『そのまさかだ。 今は俺達の霊力で押さえ込んではいるが、それも保って二十年だ。 そう遠くない日に必ず事は起こる。 そう、必ずだ』


 先程とは打って変わって、深刻そうな話の雰囲気だ。

 押さえ込んでいる…その言葉で最初に浮かんだのは、先程『ロソン』に見せてもらった風音の異変だ。

 真紅に染まった瞳…渇きを覚える喉……きっと、そのことだろう。

 だが風音は、どこまで自覚しているのだろうか。


『二十年…短時間過ぎやせんか? …二人で押さえ込んでそれは…』


『…風音は俺達の霊力を受け継いでいる。 そして葛葉のを引き継いだ』


『…分かりやした、引き受けやしょう。 もしもの場合はあっしが…』


『…あぁ。 しかし、駄目な親だなぁ俺達』


『仕方がありやせん。 そうしやせんと、あっしは…』


『そうならないために、俺と葛葉は……』


 最後の言葉を濁している理由は何となく分かる。

 だがこれは確かに、風音に聞かれたら困っていた話だな、色々と。


『…賢人の目覚めはおそらく、今から十五年後。 北の国から始まった騒乱から二百年後だ。 時々で良い。 それまで、世話を焼いてやってくれ』


『…分かりやした。 賢人についてはどうするんで?』


『お前の一存に任せる』


『…分かりやした』


 …そうか、成る程な。 一大商会の取締役が俺を信用したのにはこんな背景があったという訳だ。

 …この人の手の上で行動させられているような気がするな。

 …手を握っている風音の力が強くなった。

 親がまるで、異質な存在なように思えてならないんだろう。

 そして自分も……


『…じゃあそろそろ、あっしは風音ちゃんの顔を見に行きやす』


『あぁ、相手してやってくれ。 箱入りだから『音弥』と『真音』ぐらいしか遊ぶ相手が居なくてな』


「…音弥、懐かしい名前だな」


 あの眼鏡の従業員…最期は風音が手を下したらしい。

 風音の咎の意識の大半は彼に向けてのものだろう。


「…そうですね」


 …震えているのだろうか。

 俺が彼女に出来ることは……


「ぁ…弓弦様…」


「一人じゃない。 俺が居る」


 多分その手を強く握り返してやることだ。


「…はい」


『…真音に死相が見えたな。 残念だがあいつはもう、十年生きられないだろう。 音弥も…はぁ。 参ったな』


 独り言で、死相か…穏やかな話じゃないな。


『俺と葛葉も三年は保たない。 じきに時は来てしまう…か。 五歳…曲がらないか心配だが、これも星の巡りか。 となると、本当にうちの愛娘を託さないとならないのか。 参ったな…』


 大きな独り言だな。

 まるで誰かに聞かせているよ……まさか。


『賢人…確かユヅル…そう、そんな名前だった。 四神もおそらくそれを見越したのか…お見逸れ入る。 邪気は感じなかったから善心持った男のはずだ。 後はあの子が気に入るかどうかになるが…どんな縁なのか、はて…良縁か悪縁か…どのような男なのだろうか…』


「…クス…素晴らしい御方で御座いますよ。 御父様」


「風音…」


 俺の身体が透け始めた。

 握る風音の手も透け始めており、映像はここまでと言うことになる。

 周りの光景も光に包まれ、どんどん白く染まっていく。


『そう…か。 それを聞いて父さんは安心した。 婿君、不甲斐無い子だが俺達の娘を末長く…頼むぞ』


「「っ!?」」


 本当に驚いた。

 まるで俺達が視えていて、聞こえていたかのようなタイミングで言葉が返ってきたのだから。


『…と言いたかったが、それも叶わぬ夢か……』


 …言ってみただけか。 なんだ、驚いて損したじゃないか。


『達者でな……』


 だが…光で満たされていく中でその瞳はまっすぐ、俺達を捉えていたような気がした……












* * *


 炬燵空間に戻った途端、風音は崩れ落ちた。

 瞳から滂沱のように雫を溢れさせ、嗚咽している彼女に俺は声を掛けられずに居た。

 あれが本当に起こったことだとすると、風音が五歳の時にあの両親は彼女の下を去ったのだ。 そしてその時から彼女は一人に。 女将という仮面を被り、演じ続けていたのだろう。

 出会った頃の彼女と今の彼女は明らかに違う。

 女将と言うより、一人の女の子に戻ったんだと思える。

 今もそうだ。


「ぅぅ…ぅわぁぁぁぁぁぁんっっ!!!! 御父様ぁっ、御母様ぁぁぁぁっ!!!!」


 少女に戻っている…そんな彼女らしからぬ幼い泣き方だ。

 十三年振りに会えた両親。 あの独り言のお陰でまるで、自分の声が届いたように思えたのだから。

 俺ももし、あんな風にでも家族と再会出来たのだとしたら、泣いていたかもしれない。

 …そんな彼女に対して俺は、何が出来るのだろうか。

 何を…するべきなのだろうか。

 どうすれば……いや、決まってる。


「直々に頼まれてしまったな」


 そう言いながら、風音の震えている肩を背中からそっと抱きしめる。

 俺が出来るのは、これぐらいだ。


「……」


 それだけ言ってただ、彼女を待つ。

 もう少し気の利いた言葉でも掛けてやれれば良いんだがな……

 それだけしか出来ないのが歯痒くてしょうがない。

 …。 心配だったが、幸いにも彼女の肩の震えは収まっていく。


「……頼まれてしまいましたね」


 そう呟いた彼女は、身体を俺の方に向け…向け…てぇぇぇぇぇっ!?!?

 ヤバ…俺、やらかしてる!? やらかしたなこれはっ!?


「す、すまん風音…俺からやっといて何だがその、あ、当たってるから…っ!!」


 わ、忘れてた…今俺達…裸…っ!! …って、何故力を強めるぅっ!?


「クス…当てているのですよ♪」


 何故その言葉を知っているんだっ!?

 訊きたくなかったっ!! っていつの間にかもう向こうのペースに持ち込まれている……!?


「映像とは言え…私の両親に挨拶をされ、正式に許可を戴いたのですから……うふふ♡」


「だから強めるなぁっ!?」


 か、感触が伝わってくるぅっ!?

 い、いかん…ただでさえ風音は着痩せするタイプだからフィーやシテロとまではいかなくともユリや知影よりかは大きな訳で……じゃなくて!


「そう言えば…ユリさんに匂いを教えられたとか」


「な、何故それをっ!?」


 確かに『カズイール』でのデートの際にユリがそんなことを言っていたし、あれから知影みたく人の匂いを嗅ごうとしていたが!!


「クス…私にも」


 口を犬耳に寄せて妙に艶っぽい声を発する風音に冷えるものを覚える。


「御教授願えますか? 弓弦様の匂いと言うものを……うふふ♡」


 くっ、Sモード全開じゃないか…!!

 凄い楽しそうで結構だが原因は絶対さっきの映像だ。

 何言ってくれてるんだよ風音のご両親ッ!! 思いっきり娘の不純異性行動を促進しているじゃないか!!

 あぁもうこそばゆいと言うか気持ち良いと言うか…って、じゃなくて!


「そんなもの教えたつもりはない!! なぁ頼むから離れて、な?」


「クスッ♪ 自分で学べと仰るのですね?」


「違ぁぁぁぁうっ!! 学ばなくて良いから取り敢えず離れて、な?」


 俺だって男なんだよ!! 全裸の美人に抱き付かれるとその…反応しちゃう訳だ。

 しかも隠すものが…隠すものが…!


「嫌です、嫌です御座います、御断り致しま…す…? あらあら…♡」


 無いから気付かれました。

 俺の人生が終わった瞬間で御座います……


「クス…御慰みして差し上げましょうか♪」


「やらなくて良いっ!! 頼むから離れてくれぇっ!!」


「…ぐすっ、私の身体は…私の身体はっ、魅力が無いので御座いますねぇぇ…っ」


「そんな訳ないだろ! 顔もスタイルも性格も全部魅力だらけじゃないかッ!! って何言ってるんだ俺はぁぁっ!?!?」


 例の如く、よよよと崩れ落ちようとした彼女の肩を強く掴んで俺は、深く考えず思ったことを言っていた。

 こんなんばかりだが物凄く恥ずかしい……


「よ、よしっ、帰るぞ! 帰らないとな、帰りたいなっ!!」


「ここに居ましょう、一緒に居ましょう、今暫く居ましょう!!!!」


 背後からムギュッと身体を押し付けて、人の肩に顔を乗せている姿に…まぁ、頰が熱くなる感覚を覚えさせられたし、ここを出てからは話し掛けられなくなるから気持ちは分かるんだが、一つ問題点がある。

 『ソロンの魔術辞典』内の空間とは違い、ここでは時間が外と完全にリンクしている。 つまりここで経過した時間はそのまま、外でも経過していることになる。

 昼寝のような形でベッドに入ったし、少なくとも二時間は経過しているはずだ。 自分から進んでアンナの機嫌を損ねる訳にはいかないからそろそろ起きないといけない。


「ここを出れば弓弦様は、オルレア様として振舞わなければならないではありませんか! 私は弓弦様と…!」


 オルレア…オルレアかぁ…はは。

 一応俺としての意識はあるんだが…何かな、俺であって俺でないと言うか、それでも俺なんだが…別人格として扱ってほしいものなんだよな、アレ。 所謂黒歴史と言うか暗示と言うか気持ちを切り替えていると言うか、自分でも驚く程に価値観が変わっちゃうんだよな。

 …。 あの状態については深く考えないでおきたいが、取り敢えず風音や知影に構える時間は少なくなってしまうのが一番の問題だろうか。 人前で堂々と話す訳にはいかないし、そうでなくても誰に見られているか分かったもんじゃないから話し掛けられない。

 …そう言えばどうして風音がここに居るのだろうか。 まさか、勝手に『同化』してしまったのだろうか。


「あの…弓弦様」


「ん?」


「今仰った言葉はその…本当ですか?」


 言葉? まさか考えを口に出してたか?


「…俺何か変なこと言ったか?」


「変なことではありませんが…『価値観が変わる』と仰りましたよね?」


 うわっ、口に出してたか…参ったな…って、精神世界だから当然か、はぁ……


「あぁ、変わると言うか暗示みたいなものを掛けて役に入り込むんだ。 だからオルレアに姿を変えた時はアンナの希望通り、先輩に心酔する美少女に心も身体も変わっているはずだ」


 二重人格に近いが、全ては俺の妹で女優志望だった『橘 木乃香』と一緒に、演劇の練習をやっていた時に培った技術だ。

 もっとも俺は未熟者だから、形からある程度入らないと出来ないんだよな。


「ですが御姿を変えられた直後はまだ、弓弦様として振舞われていたではありませんか。 それにスイッカとは一体?」


「スイッチな。 文字通り人格の切り替えのことを木乃香と俺はそう呼んでたんだ。 自分でも意識することの他にも何かの弾みで切り替えちゃうこともあるんだが……」


 敢えて言葉を濁した。


「まさか…御召し物を無理矢理変えた際の弾み…で御座いますか?」


「あぁ。 無理矢理変えたと言う認識があることに驚いたが、そうだ。

 本当は入れるつもりなかったんだけどな……」


 一度入れてしまったんだから、用事が済むまでの間、俺は『オルレア・ダルク』としてアンナの隣に居ようと思っている。

 知りたいんだ、彼女と言う人間を……浮気にならないか心配だがフィーは許してくれるだろう…って…いや、夫になるのかこれでも。

 贔屓だなこれは…はぁ。


「それでは暫く弓弦様は、アンナさんものになられてしまうのですね。 …寂しいです」


 きっと知影もそう思ってるだろう。 だから人の下着に変身して毎日履いてもらおうとしているんだろうな。

 …妥協すべきだろうか。

 だがな…一応、女の子なんだよな、美少女様なんだよな…変態とは言え…それを下着に変えた挙句に履く…それって、自分も変態扱いされそうな気がして嫌なんだが。


「ならない…とは言い切れないが、まぁ従者的なものにはなるだろうな。 そうだ、風音は何に姿を変えようと思っているんだ?」


「私ですか? 装備品になろうかと考えています」


「装備品か…ん? まさか」


 お前もか!?


「いえそんな、知影さんではないのですからそう言ったものでは御座いませんよ」


 安心した…だが残ね…な訳ないっ!

 危なっ、変態になるところだった。


「じゃあ何だ? また小物か?」


「アク、セサリーになろうと考えています」


「それは良いが…戦闘中に外れる可能性があるやつはマズいぞ?」


 前回彼女を羽に変えた時は危うく彼女を殺してしまうところだった。

 戦闘中外れるのは無理があるんだよな。

 その点では知影の案は、悪くはないんだが…ははは。


「クス…きっとよく、似合うと思いますよ」


「…で、何なんだ?」


「首輪です」


「あぁ、チョーカーか。 良いなぁそれ」


 フィーにもよく似合ってるし、確かにオルレアの雰囲気にも合うような気がする…良いじゃないか。


「いえ、首輪です」


「ははっ、だからチョーカーだろ?」


「首輪です♪」


「チョーカーって言ってくれ!」


「はい? フィーナ様がいつも着けておられる物ですよ?」


「あれはチョーカーだ。 断じて首輪じゃない」


 チョーカーから魔法の紐が伸びて、引っ張ることは出来るからそう思われても仕方が無いが、チョーカーだ。 強いて言うなら首輪型のチョーカーだ。


「それは失礼致しました。 ですがそう言うことです」


「…まぁチョーカーなら良いか」


 可愛いと思えるしな。 それにフィーと…ん``んっ、贔屓禁止。


「弓弦様の首を絞め付ける感覚…支配する感覚…うふふ、あはは♡」


 …おい、引くぞそれは。 正直滅茶苦茶困るんだが……


「ふぅ…♪」「っ!?」


 なんでそこで人の犬耳に息を吹きかけるんだよっ!? 変な気持ちになるじゃないか……っ。


「あらあら…弓弦様可愛いっ♡」


「ひゃうっ!! か、噛むなぁ…っ!!」


「クスクス…御身体が仰け反っておられますよ? うふふ」


 絶妙な力加減が…っく、風音め…また上達したなぁっ!?


「ぐ…激し…ぃっ、はぁ、はぁっ、な、ふぁぁっ!?」


 どうして急に止めてからさらに激しくするんだっ!? ただでさえ一番俺の犬耳の弱点を知り尽くしていると言うのに……

 あ、いかん…何か…何かヤバい…


「ーーーッッ!!!!」


 何か、何か……っ!!!!












* * *


 知影とアンナが啀み合いを止めた切っ掛けはオルレアの寝言だった。


「…駄目…ぇっ♡」「…あら…温かい…♡」


 なんとも、艶のある声で寝言を言っている二人を見下ろしたアンナの瞳は据わっている。

 知影も、今にも風音の寝首に短剣の刃を添えそうである。

 そして薄暗い明かりを鋭く反射する刃が、二つ。

 その刃の先は手前の女性に向けられていた。


「…? 私てっきり弓弦に向けると思ってたんだけど…気が合うね」


「フン、ここで寝ているのはオルレア…私の後輩だ」


「…ふーん」


 さして興味が無いと言わんばかりに視線を対象に戻して、切先を振り上げた。


「あらあら…誰を狙われているのですか?」


 しかし次の瞬間ベッドで寝ている人物が、一人減っていた。


「…さて、何のことか。 おいオルレア、起きろ」


「…う、うん…ん? ぁ、先輩……お休みっす…」


 薄く瞼を上げたオルレアは彼女に微笑みかけると、再び夢の世界へ。

 「起きろ馬鹿者」と、その手を引っ張って起こしたアンナは、彼女の犬耳がいつものように立ったことを確認して、風音を睨み付けた。


「…風音さん、私の弓弦に、夢で何してたの? 随分と艶っっぽーい声を出したけど」


 知影はまだ彼女に斬りかかろうとタイミングを窺っているが、風音はクスリと笑い、「何も」と返した。


「…それ、あるって言っているようなものだけど。 …まぁ良っか。 夢の中ぐらい何しようと自由だし。 それで弓弦…じゃなくてオルレア、そろそろ姿を変えてほしいかなって思ってるんだけど」


「ふぁ…ぁ。 下着は駄目っすよ…」


 眠たそうに瞼をこすりながら再び欠伸をして、深く息を吐き出す。

 「まだ眠たいのか?」とアンナが呆れ顔をした。


「えーーっ!? だって下着だったら安全でしょ! 脱げることもないんだからさ!」


「…はしたないっす。 もう少し…まともなのを考えてほしいっす」


「ちゃんと考えたからこうして言ってるんだよ」


 深く溜息を吐いたオルレアは、あまりに変態過ぎる彼女に対して、慟哭したい気分であった。


「考えた上でその言葉が出ると言うことは、考え足りていない証拠っす」


「やだよ! 冗談じゃないっ、私は神ヶ崎 知影なんだよ!!」


「女の子として、やって良いことといけないことが分からないっすか」


「分からないよ! 女の子である前に弓弦のお嫁さんなんだから! …分からないよ…分かりたくもないよ…」


 瞳を潤わせた知影に対して、自分の方がそうしたい気持ちは山々であったが、頭を振ると「分かったっす」と、やがて折れた。


『真なる幻、其は理を捻じ曲げ我が身を化せん!!』


 “エヒトハルツィナツィオン”の詠唱が完成すると、知影の姿が光に包まれる。

 閃光が弾け、眼を瞑ったオルレアの視界が元に戻ると彼女の前には、先程まで知影が着用していた私服が床に落ちており、その一番上に、下に履く下着があり光を放っていた。


『うわぁ…本当に姿が変わっちゃった。 魔法の力って凄い! さぁさ、履いて履いて♪』


 自分が変態になったような気がする怖さに、二人の視線から逃げるようにして通路の闇に紛れると、感覚だけを頼りに脱衣していく。

 衣擦れの音が妖しく通路内に響くが本人はそれどころではない。 通し口に右足を通して、次に左足を通して上へと上げていく。


『ドキドキ…ドキドキ…ふぇへへ♡』


 そして、履いてしまった。


「…もうボク…お婿に行けないっす…ぅぅっ」


 何故か涙が止まらない。

 とても大切なものを失ってしまったような、そんな感覚が彼女の心を埋め尽くしていた。


『あうっ、な、何これ…ピッタリしてるから、弓弦が一歩歩くだけで私の形が変わっていくよ…♡ 私…新しい幸せ見つけちゃったかも♡』


 さらに歩く際に聞こえる知影の声が、非常に心臓に悪く追い討ちをかけてくるのでもう、泣けて泣けて仕方が無い。


「うぅ…えぐっ…先輩…風音ぇ…っ!!」


 そんな彼女の声が聞こえていたのか、部屋に戻った途端に彼女は、風音の腕の中に収まっていた。


「あらあら…大丈夫ですよ」


 優しく髪を撫で、悲しみに暮れる彼女の心を癒した風音も、“エヒトハルツィナツィオン”で姿をチョーカーへと変えた。


『クス…弓弦様の御首は私が守らせて頂きますね♪』


 チョーカーを通して伝わってくる風音の温かさに感謝しながら、左側の扉から現れたアンナに準備が出来たと伝えた。


「…これでようやくここを離れられるか。 時間が掛かったな」


「…ごめんっす」


「フン、お前を責めてる訳ではない。 では行くぞ」


 知影の衣服を、“アカシックボックス”を使用して収納したオルレアは再び、左側の扉へ入っていたアンナに続いて奥に進む。

 その部屋にあった台座に何か、光る物があったが、さらに奥の扉を開いた彼女に付いて行くと細い通路へ。 さらに進むと、広い空間に出た。

 アンナが点けた照明に照らされた鉄の塊ーーー彼女が所有している小型飛空挺『ピュセル』を見上げていたオルレアだが、アンナが乗るのに合わせて彼女も乗った。


「ん? 先輩何か言いました?」


 エンジンを起動させる音に混じって、アンナの声が聞こえたような気がした彼女だが、ハンドルを握ったアンナは「いや…」と首を振った。


「‘聞こえたような気がしたけど…?’」


 「付き合わせて悪いわね」と呟いたように思えたのだが、気の所為だと考えを打ち切って、彼女はシートに身体を預けて視線と意識を外の景色に向けた。 聞きたくなかったのだ、『やっ…擦れてる…んっ♡』と変な声を出している知影の声が。

 

『クス…スケーティングミッションの始まりですね♪』


「‘…滑ってどうするっす’」


「何か言ったか?」


「何も言ってないっす」


「…。 揺れるぞ、しっかり掴まっておけ」


「了解っす!」


 こうして四人を乗せたピュセルはアンナの操縦の下、『ヴァルハラ城』を後にした。

「…はぁ。 セティ、少し私の愚痴を訊いてもらえないか?」


「コク。 …別に…構わない」


「うむ…実はな、ここから暫く私の出番が無いそうだ」


「…出番?」


「展開の都合上は仕方が無いし、確かに前章は私もメインを張っていた訳になるのだから分からなくもないのだが…何も居残り組を描写しておいて、私だけ仲間外れにされるのはどうかと…そう思うのだ」


「…登場人物が多い以上出番が少なくなるのは仕方が無い話。 …起伏があるだけのこと」


「ううむ…それでまた、次回から次の章に移行するのだろう? また登場人物が増えるのだろうか。 そうしたら私のみならず、登場回数が減るやも…」


「…新しい場所に行ったら新しい人が登場する。 …続投するかどうか一発屋かは謎だけど…増えるのは間違い無い話」


「そうか…確かに一発屋の可能性があるか。 盲点だったぞ…うむ! 得心がいったと言うものだ。 これで心置き無く予告が出来るな!」


「…フレー…フレー」


「うむ。 『革新派と保守派を分離するために行動を開始したアンナ殿とオルレアを乗せて、ピュセルは世界を越える。 越えた先で繰り広げられるのは日常か、陰謀か果たしてーーー次回、闇に蠢く』…次の話も、捉えたぞ!」


「…パチパチパチ」


「うむ、決まったな!」

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