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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
“非日常”という“日常”
16/411

顕現する“恐怖”

──激闘の始まりより、時は少し遡る。

 時折呻く声を上げる男を前に、深々と吐かれた溜息が空気に溶ける。


「隊員のピンチにこれで何が隊長だ…」


 医務室にて。

 セイシュウは、気絶したまま眼を覚まさないレオンを見下ろしていた。


「あの子、シェロック中佐がSOS…救難信号を送ってきた。これがどう言うことだか、分からない君じゃないよね? 馬鹿だけど」


 さり気無い罵倒にも、眠るレオンは眉一つ動かさない。

 動かしてほしいのが本音だ。いつもこの馬鹿は、感情が表情に出易いというのに、どうしてこんな時に限って。

 歯噛みするセイシュウの頭の中に、警鐘が鳴り響いている。

 副隊長(シェロック中佐)は、滅多なことでは救難信号を出さない。そんな彼女が救難信号を寄越す時は、決まって彼女一人では対処出来ない事態に陥った時だ。

 もしレオンがこんなざまでなければ、ディオの代わりにユリを現地に向かわせていた。これは彼等が属する隊全体の決まりなのだが、少尉は未熟故、余程安全が確保されていない限りは異世界への派遣が出来ないのだ。

 しかし今回、それを行った。誤魔化せばどうとでもなるが、一応懲罰ものである。行うしかなかったのはあるものの。

 ユリ(三番手)を救援に割いても、艦に隊長《一番手》が居れば──それは夢物語となり、現段階の最強戦力を防衛に配置するしかなくなった。

 副隊長の援護に、大尉と少尉。

 艦の防衛に、中佐と少尉二名。

 戦力的には、どうしても足りない。

 だから、レオンにはどうしても眼を覚ましてほしかった。


「おまけに、現在いつもの陰共から攻撃を受けている。前者はオルグレン中尉とルクセント少尉が、後者はクアシエトール中佐と弓弦君達に行ってもらっている状況だ。なぁレオン。冗談みたいな理由で倒れたのはまだ良いとしてだが、早くしないと手遅れになる。…いい加減起きてくれよこの脳筋。頑丈であってこその肉体派だろうに……」


 セイシュウはレオンに語り掛けるように、時々悪態を交えて言語り掛ける。

 しかし彼が眼覚めるような様子は無い。

 そんな遣り取りを繰り返していく内に、ただ時間だけが無意味に過ぎていく──。











「博士!!」


 どれぐらい経ったのか。

 否、時間はあまり経っていないのだろう。

 だが、どれ程声を掛けようとも起きないレオンに、セイシュウは焦れつつあった。

 リィルが慌てた様子で医務室に入って来たのはそんな時であった。

 入室するなり、彼女は小脇に抱えた携帯端末のディスプレイをセイシュウに向ける。


「これは…一体…」


 画面は二分割されていた。

 映像は、ディオとユリのインカムに付けられたカメラから出力されているのだろう。

 映像の内容は対象的だった。

 ディオ──つまり、副隊長の援護に行ったメンバーはボロボロの彼女を抱え、転移装置の起動を行っている。

 ここまでなら朗報だ。副隊長の状態から鑑みるに、大方戦い疲れて動けなくなったところを思わぬ強敵に出くわし、救援を求めたといったところか。救援に向かった二人が、思いの外傷を追っていないことからも頷ける。

 しかしユリの方は、異常事態だった。

 映像に映されている存在を認識したセイシュウの脳が、数多に渡る知識の中から答えを弾き出す。


「…『アデウス』…? そんな、馬鹿なことが…」


 しかし画面越しにも伝わる禍々しい気配、一対の鎌は不気味な輝きを放っている──間違い無い、アデウスだ。

 だが、何故。

 この空間に【リスクS】以上の敵が現れることなんて、今までに一度も無かったはず。いや、この空間だけではない。

 この世界と世界の間の空間においては、【リスクS(分類上上から五番目)】より強い個体が今までに現れた記録がなかった。

 だから、『アークドラグノフ』を始めとした戦艦の多くははこの、『挟間の空間』と呼ばれる空間に停泊しているのだ。

 だというのに、記録上初めてのことが起こってしまった。

 にわかには信じ難い。しかし、そういうことなのだろう。


「…っ、かくなる上は、これを使うしかないな」


 【リスクA】はこれまでに現れたという記録があった。記録上は。実際は、精々【リスクD】程度だ。

 もしもの場合を考え、毎回毎回この『挟間の空間』での戦闘では、一応の万全を期す為に、副隊長やユリ、今はここで昏睡状態のレオンが接近される前に魔物群を討ちに行っていた。

 だが、【リスクS】の上、【リスクSS〜H】なら(それでも十分危険なのだが)まだしも、【リスクX】──強さが未知数の相手であるだけに、あの三人だけでは勝てる見込みがまず無い。それどころか砂漠の中で、一粒の砂金を見付けられる可能性の方が高いとすら思える。

 そう考えたセイシュウは懐から注射器を取り出した。

 怪し気な光を湛えた液体が中に入ったそれを、レオンの首筋に刺して注入した。


「その薬は一体、何ですの…?」


「とっておきの気付け薬『セイシュウスペシャル』だ。まだ試験段階だったんだけど…ね」


 気付け薬にしては、色がおかしい。

 薬は毒々しい程の緑色だ。


「これで起きなければ諦めるしかないけど、まぁ、起きるはずだ。…ほら」


 怪し過ぎる名前の薬(?)を打つや否や、レオンの身体がビクンッと大きく仰け反った。

 見事なまでの海老反り。腰を中心として描かれたアーチが、内に溜め込んだ電気を放出する。


「よし! レオン! …レオン!!」


 レオンの瞼に力が入るのが分かると、リィルの表情が輝きを帯びた。


「…お~? セイシュウ…?」


 そして彼が薄く瞼を開いた。

 同時に、艦が大きく揺れる。


「ッ!? 何だ~今の衝撃は!?」


 半開きだったレオンの眼が完全に開かれると、文字通り彼はベッドから飛び起きた。


「これは…? 博士!!」


 窓の外を染めた光が収まっていく。

 レオンが外を確認する中、セイシュウとリィルはモニターを確認していた。


「今の光は…クアシエトール中佐の“ジャッジメントレイ”か! 映像は…く、カメラが壊れてしまったか! となると、外は相当危険な状態…時間が無い! レオン! 今すぐ甲板に急いでくれ、手遅れにならない内に!」


「了解だ~ッ!!」


 起きたてであるにも拘らず、すぐに状況を判断する。そこは流石に隊長と言うべきか──いや、考えることを放棄して取り敢えず行動に移っただけなのかもしれない。

 レオンの行動は早かった。セイシュウの言葉を聞く前に素早く用意を整え、彼が言い終わると同時に了承して医務室を飛び出て行った。


「隊長…間に合いますわよね?」


「…間に合わないはずがないさ。もしもの時は僕も出るし、緊急転移の用意もしておかないといけないね。リィル君、機関室でエンジンの様子を確認して来てくれるかい?」


「…分かりましたわ」


 砂嵐状態で見えないディスプレイの半分を見詰める二人。

 リィルとセイシュウは、彼等が無事撃退を果たし、一人も欠けることも無く生還することをただ──心より祈った。


* * *


 光が収まった。

 声にならない断末魔の中も止み、『アークドラグノフ』に迫っていた陰の大多数は姿を消した。

 しかしその中で──最大にして最悪の危険が、依然として存在している。


「はぁ…っ、…引き摺り出せただけか…っ」


 ユリが肩で息をしながら吐き捨てるように呟いた。

 今しがた彼女が放った魔法──“ジャッジメントレイ”は光魔法の中でも上級魔法に位置するかなり強力な魔法だ。現在ユリが使える攻撃魔法の中では、二番目に強い魔法でもある。

 高密度に圧縮された、触れたものを全て浄化しょうめつさせる文字通りの裁きの光。光は陰の形をした魔物達を包み込み、消し去るはずだった──だったのだ。

 だが唯一、アデウスだけは無傷で存在している。

 正確には、その身を守る障壁だけを消し去ることに止まっていた。


「(だが…障壁を穿てただけ、重畳…!)」


 高位の陰や魔物と呼ばれる存在は、殆どが固有の障壁を有している。

 穢れた存在が身に纏う障壁は、あらゆる攻撃からの防壁となる。これがある限り、真面まともなダメージを与えることは不可能なのだ。

 障壁は一定時間を置いて復活するが、これでダメージソースは作れた。

 障壁すら消せないことに比べれば、十分善戦しただろう。


──グウォォォォッ!!


 咆哮が空気を震わせる。

 どうやらその身を包む障壁を一つ破壊したためか怒らせてしまったようだった。

 アデウスの咆哮は、ユリの周囲に眼前に小さな剣状の陰を幾つも出現させた。


「な…っ!」


 切先がユリに向けられ、一斉に襲い掛かる。

 不規則に襲来する剣が、ユリの身体を狙った。

 しかしそこはユリ。射撃で鍛えた視力を活かし、見事な身体捌きで間一髪避け続ける。


「…つぅっ!!」


 だが剣状の陰が急に加速し、その内の一本がユリの脇腹を掠めてしまう。


「ユリ(さん)!?」


「なっ…! く…」


 いや、加速したのではない。ユリが減速させられたのだ。

 崩れ落ちる動作すら緩慢。異変に気付いた弓弦と知影が駆け寄る。

 その動作は、ユリの眼には一瞬で眼前に来たように見えた。


「…わ…た…し…は…良…い…っ、は…や…く…や…つ…を…っ!!」


 “ディレイ”。

 闇属性魔法の一種で、対象の体感速度を二分の一にする魔法。

 アデウスが使用したのだろう。攻撃を回避させられる中で、ユリはむざむざと魔法陣上に誘き出されてしまったのだ。

 動きが鈍くなっている今の自分が、既に戦力外だということを分からないユリではない。

 が、そうだとしても譲れないものが彼女にはあった。

 体感速度を二分の一にされたのなら、二倍の速さで言葉を喋り、通信をすれば良い。だが身体全体の動きとなるとそういう訳にもいかない。

 故に戦闘を、二人に託すしかないのが歯痒かった。

 しかしそれ以外に希望を繋ぐ方法が、彼女には思い付かなかったのだ。


『…二人共聞こえるか…? これまでの戦闘記録からの情報だが、奴…アデウスは二種類の障壁を持っているとされている』


 託すために必要な物──それは、情報だ。


『二種類の障壁…? どうすれば無効化出来るの?』


 弓弦はアデウスを引き付けに入った。

 代わりに知影が続きを促す。


「うぉぉぉぉッ!」


 弓弦は甲板を飛び降りると、アデウスの下へと迫った。

 牽制射撃を放ちながら、悪魔の注意を逸らしていく。

 こちらに攻撃を仕掛けてくる素振りが見られないのを確認してから、ユリは促された通りに話を続ける。


『良いか、奴自身の魔法により奴の本体は基本的に位相が擦れた別空間に居る。今私達の前に居るように見える(・・・・・・・・)奴は、見えない壁を間に挟んだ文字通り別空間の存在──窓の先の存在と言う訳だ』


 出来る限りの早口で捲し立て、言葉を紡いでいく。

 思考を回し、必要な情報を伝えるのがこんなに大変だとは。熱を持ったかのように痛くなり始めた額を押さえ、次へ次へと話していく。


『しかしその見えない壁…『位相差次元層』という呼称があるが、その障壁は先程私の魔法で破壊した。だから今の奴は、こちらの空間に引き摺り出されているはずだ。だから奴の身体を守る障壁は、残り一つ。もう一つの障壁…『亜空間障壁』は一点集中攻撃を行えば衝撃を反らさせることなく貫ける…だから…』


 言葉は最後まで続かなかった。


『ぐ…っ!?』


 弓弦がアデウスの攻撃を直に身体に受けて吹き飛ばされた。


「弓弦ぅッ!」


 宙を舞う弓弦に、知影が悲鳴を上げた。

 彼が吹き飛ばされた方向にあるものを見、ユリの表情が固まった。


「──ッ!?」


 同時に、彼女は全身に異常なまでの倦怠感を覚えていた。

 二倍の速度で思考するといういわば、魔法の抜け穴のような荒業は全霊の集中力を要した。

 いうなれば、思考回路のショート。

 ユリの意識が、一瞬遠退いた。

 その間にも弓弦は、アデウスの斬撃に晒された。

 キィィィィィンッ! という甲高い音の連鎖。それは弓弦が剣で斬撃を弾いている証だ。

 しかし人は地に立つ生命体。踏み止まるための環境が一切存在しない空中で、弓弦の身体は彼方へと押しやられていった。


「弓弦!! 避けてぇっ!!」


 その先にはアデウスが作り出したであろう、無作為転移陣(ゲート)が開いていた。

 弓弦に攻撃しながら、アデウスは空間の境界線を切り裂いていたのだ。

 切り裂かれた空間の穴は、戦艦一隻を丸々と呑み込めてしまう程。中に窺える、ダークカラーに彩られた捉えようのない揺らぎが不安を強く煽る。

 飛ばされたら、二度と戻ることが叶わないであろう悪魔の口。その行き先は悪魔のみぞ知る。

 知影が天に願うような気持ちで彼に回避をするよう叫んだが──回避は不可能。


『う、うわぁぁぁぁっ!?』


 彼女の叫びも虚しく弓弦は呑み込まれ、切り裂かれた空間の闇に消えた。

 彼の悲鳴のような声が、分厚い雲に覆われた空に虚しく響き渡る。


「嘘…でしょ……っ」


 ──そしてそれは、彼女が最後に聞いた彼の声となろうとしていた。


「弓弦…え? えっ?」


 自身の見た光景が受け入れられず、呆然と立ち尽くす知影。


『弓弦…殿…クッ…知影殿!! 気を確かに!!』


 知影に言葉は届かない。

 このままではいけない。格好の的だ。ユリは自分に注意を向ける為アデウスに照準を合わせ、放つ。


「チィ…ッ!!」


 当然、障壁に阻まれ弾かれた。

 カウンターとしてだろうか、アデウスが多数の魔力弾をユリに向けて飛ばす。

 回避は難しいので撃ち落そうにも、今の状態では限界がある。


「(だが…せめてぇッ!!)」


 それでもせめてもの足掻きと、動体射撃を数発行った。


「(…ここまで…か)」


 ──弾は、全て外れた。

 一つたりとも数を減らすことのなかった魔力弾がユリの命を散らそうと、接近してくる。

 あまりにも呆気の無い終わりに、自嘲の笑みを浮かべながら彼女が瞳を閉ざした時。


『足が速いの子供の憧れ…クイック!!』


 声が、聞こえた。

 そう、待ちに待った、待ち焦がれた声だ。

 遂に本命の人物が現れた。

 “ディレイ”の反撃魔法(カウンタースペル)でもある“クイック”。風属性初級魔法の効果は、体感時間の倍加──即ち、行動時間の倍加に繋がる。

 鈍化させられた時間から、本来の時間の倍速に。それは彼女の時間が四倍にまで加速したことを示す。

 ユリは自分の身体が羽のように軽くなったのを感じると同時に照準を合わせ──引鉄を引いた。


「二度は外さん…っ!!」


 響く銃声。

 狙い通りの位置を、鉛弾が走る。

 一発、装填、二発、再装填、三発、四発…ある弾は跳弾させ、またある弾は他の弾で弾いて弾幕を作り、撃ち落としていく。

 そうして──艦に迫っていた全ての魔力弾が瞬く間に打ち消された。


「──ォッ!」


 疾風が駆け抜け、ユリの髪が持ち上がった。

 短い踏み込みの音の後、なおも風を切るように重力に抗うのは一人の男。

 鍛えられた腕に力を込めて。大剣を上段に構えたまま、己が宿した風を移し込める。

 疾風の刃が、振り下ろされた──!


──ビュゴウッッ!!


 分厚い雲が、一瞬線上に切り裂かれた。

 衝撃が、空気を震わせる。

 金属音に近い、金切り音が数度。耳をつんざくまでに激しく鋭い、刃の風。


──!!!!


 アデウスの巨大な体躯が、音の度に後退する。

 まるで重い一撃を連続して見舞われているかのように弾き飛ばされる中、ユリの隣に着地音が立つ。


「…ふぅ」


 額に伝った汗を拭い、効果が切れつつあった“プロテクト”を掛け直す。

 体勢を立て直せる段階まで持ち直せたために、安堵の息を吐けた。


「…隊長、遅過ぎだ」


 その男は、大剣を構えて彼女の隣に並んだ。

 『アークドラグノフ』実行部隊隊長、レオン・ハーウェル少将の参戦であった。


「…すまんな~、弓弦は?」


 レオンは戦場を見渡す。

 不気味に接近して来るアデウス、隣に立つユリ、離れた所で崩れ落ちている知影──一人、足りない。


「アデウスに跳ばされた。今頃どことも知れぬ空間だ」


「──ッ!!」


 碧玉色の瞳が見張られる。

 暫しの瞑目。立てた歯がギリリと音を立てた。


「そうか~、だが今は」


 自らの失態を悔いるのは、後にでも出来ること。

 「今」を生き抜かなければ、その先は無い。


「──全員生き抜くぞッ!!」


「無論だッ!!」


 短い会話の後に大剣を振りかぶり、レオンは突撃する。

 そのまま前衛を彼に任せた彼女は、後方から援護射撃を──ではなく、知影の元に急行すると肩を揺さ振った。


「知影殿、しっかりしろ!!」


 俯いている彼女の表情を覗き込んで息を飲む。

 揺れる瞳からは滂沱の涙。連続した荒い呼吸は、過呼吸を起こしている。

 まるで別人と思える程に、病的な様子であった。


「(ここまでの心理的衝撃が…。知影殿はそこまで彼を……)」

 

 焦点の定まり切らない瞳が、ユリを映す。

 縋るような瞳だと、そんな感想を抱いた。


「…弓弦が…弓弦は…?」


「…っ、今は眼の前の事に集中してくれ! あの悪魔を倒すには、知影殿の力も必要なのだ!!」


 「弓弦」と、何度も繰り返しては居るはずのない姿を探す知影。

 大切な人を眼の前で失う気持ちはユリには分からなかった。彼女にとって大切な人と呼べる家族は、まだ遠い世界に生きているのだから。

 誰かに好意を抱いたことはあるが、それは人としての好意に限る。故に居なくなれば寂しくは思うが、それによって自ら命を断つようなことは決してしない。

 しかし、知影はどうだ。まるで、自分の半身──否、存在価値を失ってしまったとばかりの狼狽え振りだ。

 彼女の悲しみは分からない。同じような状況に立ったことがないから、ユリは知影ではないのだから。

 だがそれでも、そうだとしても。「今」アデウスを討たないことには、何も始まらない。

 ここに居る全員に等しく終わりが待つだけだ。

 だから彼女の苦しみが如何程のものであろうと、今この時だけは奮起してもらわなければならない。


「…私には弓弦の方が大切…。弓弦さえ居てくれれば後はどうでも良い…。良いんだよ…。良いのに…どうして弓弦…。弓弦どこ……」


 知影の瞳に光は戻らない。

 彼女にとって弓弦は、そこまで大切な存在なのか──分かるような分からないような、答えの出なさそうな疑問が湧く。

 しかしユリも、引き下がるわけにはいかない。


──うぉぉりゃぁぁぁぁッ!!!!


 こうしている間にも、一人で【リスクX】と対峙しているレオンは消耗していく。ユリ自身も疲労を感じており、最大威力の魔法は後一発が限界だ。

 だから、決定打を与えるためには次の一撃で決めなければならない。そのために味方が一人でも多い方が良いのだ。

 ここでもし弓弦に続き、知影まで欠けてしまうことだけはどうしても避けたかった。

 ユリは悩み、少しの間唸る。

 程無くして、ふと一つ──名案を思い付いた。


「知影殿、聴いてくれ」


 願いを、希望を込めて。

 ユリはゆっくりと知影に話し掛ける。


「奴、アデウスは空間を司るとされている悪魔。そして弓弦(・・)はどこかの異世界に、奴の魔法によって転移させられた。だが転移させられただけだ。弓弦は、生きている。ここに居ないだけなのだ」


 彼女の心に強く語り掛けるため、敢えての弓弦呼び。

 他者の名を呼ぶ時、決まって「殿」という敬称を用いるユリは、特に親しくない限りは下の名前を呼ぶことはない。

 部隊の中で、彼女が下の名前で呼ぶのは入隊以来の友人であるリィルだけ。それ以外、まして異性の名をこうして呼ぶことは全くといっていい程なかった。

 状況が状況とはいえ──少し恥じらいを感じた。

 状況が状況なので、そうもいっていられないが。


「奴を…最低でも撃退出来ないことには、弓弦を探すことは叶わない。隊長殿は部下を絶対に見捨てない男だ。だから奴さえどうにか出来れば、弓弦はきっと見付け出せる」


 ユリはそこで話を一旦区切り、知影の反応を見る。


「……」


 どうやら一応ユリの話を聴く気はあるのか、心を動かされているのか──彼女は沈黙していた。

 もう一押しとばかり、ユリは話を続ける。


「…こう考えてみてはどうだ? アデウス(悪魔)に囚われてしまった弓弦を、知影殿が助け出すと」


 知影の心を動かすためには、兎にも角にも弓弦を話に絡めなければならない。ふと浮かんだ童話を語るような感覚で、彼女は語り始めた。


「弓弦を…私が…?」


 効果はすぐに現れた。

 純粋な乙女程、乙女チックな浪漫のある話に弱いのだ。

 彼女が純粋かというと──。

 兎に角、弓弦に対する思いだけはひたすらに純粋であるのだから。


「そう。弓弦を、知影殿がその手で、助け出すのだ」


 言葉を区切り、強調するようにして話してみると彼女の瞳に光が戻り始める。

 肌の色も、見る見る内に生気が宿っていく。

 そして──


「…分かった、やろう。私が弓弦を助けるんだ…っ。そうすれば弓弦はさらに…ふふふ」


 ユリの中では、これでもかと言うほど稚拙な発想だと思ったが、知影は意外と乗り気になったようだ。


「(…よし!)」


 光明が、見えてきた。


『知影ちゃんユリちゃん、合わせるぞ、全力でいけ!!』


 レオンも知影が動けるまで待っていたようで、丁度良いタイミングで通信が入ってきた。

 「了解」と短く返事をすると、ユリはすぐに詠唱を始めた。

 狙うはレオンが攻撃を加え続けていた一点。よくよく見ると、傷が入っている障壁だ。

 破壊するなら、そこしかない。

 ユリは精神を集中させた。


「待って、私に提案があります!」


 だが知影がそれを止めた。

 強烈な一撃でアデウスを弾き飛ばしたレオンにも後退するように伝え、自らの考えを口にする。


「二人のありったけの魔力を私の矢に込めて、それを打つけましょう! 多分ですけど、一点集中ならそっちの方が効率が良いです!」


 弓弦の記憶の中にあった、とあるゲームの知識。

 その中では強固な守りを持つ敵に対して、とある弓兵が味方の魔力を込めた一矢を放って窮地を突破する場面があった。

 どうせ衝撃を加えるなら、一点突破に決まっている。ならば各々が攻撃を打つけるよりも、やじりという一点に破壊力を集中させた一撃の方が最も効果が高いはず。

 無論貫ける保証は全く無い。だが、賭けるには十分。

 知識が──弓弦が力を、勇気を貸してくれている。

 それだけで、彼女は何者にも負ける気がしなかった。


「成程な〜。別に俺は良いと思うぞ~、ユリちゃんは?」


「私も問題無いぞ」


 先程までの姿はどこへやら。

 完全復活した知影が出した提案はユリ、レオンにとっても妙案だった。

 そもそもレオンが駆けつけたからといって、状況はよろしくない。辛うじて戦えてはいたが、全員の疲労が蓄積するに連れて悪くなる一方なのだ。

 また弓弦がどこに飛ばされたか分からない以上、可能な限り早急に奴を撃退し、弓弦を探す必要もあった。

 だから──この一撃で、決める。終わらせる。


「行くぞ~ッ!!」「はいっ!」「うむ!!」


 ──いつからか自身の思考が、敗北ではなく勝利を前提としていることにユリは気付いてなかった。

「それでは今回もいってみましょう! 今回のお題は…真面目に、魔法属性についてしましょうか!」


「え。リィル君それ…長くならないかい? 相変わらず本編大変なことになっているんだけども」


「だからこその息抜きですわ。なるべく簡潔にしますので、お付き合いくださいまし」


「……」


「逃げても無駄ですわよ」


「分かってるよ。早くしてくれ…」


「は、い?」


「お願いしますッ!」


「良くってよ。さて、まず魔法について語る上で欠かせないのが属性と魔力(マナ)です。属性は基本属性と副属性とに分かれ、基本属性は「火」、「水」、「風」、「地」、「氷」、「雷」、「光」、「闇」の六種類に分けられます。大多数の人はこの六属性に覚醒しますわね」


「僕とリィル君は、雷属性魔法の使い手だ。人の身に流れる魔力(マナ)は、一つ…人間は、生物学的に一つの属性しか扱うことが出来ないんだ」


魔力(マナ)は血液と極めて近い関係性にありますわ。人は血液の他に、気、魔力(マナ)の二つの流れを持つというのが常識ですわね。もっとも、血液以外は潜在的に人体を巡っているために、何かしらの切っ掛けがないと表に出て来ませんけど」


「要は知覚の可否だよ。身体中を流れているのは確かだから、知覚出来るようになって初めて、行使出来るかどうかのスタートラインに立てる。じゃあここから何が言えるのか。魔法を扱えるようになるには、それなりの鍛錬が必要だと言うことだね」


「…博士。人の説明を奪わないでくださいまし」


「いやぁ、長くなりそうな予感がしたから、先んじて簡潔に拳が僕の頬ぉッ!?」


「さて。魔力(マナ)は元々、身体を流れているものの一つ……と言うことをここまで話しました。では、いつ、どのようにして身体に流れる魔力(マナ)の性質が決まるの話に移りま──」


「結論から言うと! 遺伝要素、環境要素プラスアルファだ。一つ、対象者から遡ること、三親等内の者が覚醒した属性。二つ、対象者が生活する環境中の大気に漂う魔力(マナ)の中で、多くの割合を占めている属性。三つ、前者二つに該当しない基本属性。または突然変異(イレギュラー)…要はバリアンスだけども僕の腕が異なる方向にぃッ!?」


「…はぁ。三つ目は滅多にありませんから置いといて。一つ目と二つ目の要素が絡めば絡む程、該当する魔力(マナ)に触れる機会が増えます。つまり、その属性への覚醒率が高まると言うことですわ」


「…か、完全に極ま…っ、いたたたたたっ!」


「…はい、離しますから。もう邪魔しないでくださいまし」


「さて分かり易い例で例を挙げよう! 一、両親や祖父母の計六人中に氷魔法使いが三人。火属性魔法使いが二人、闇属性魔法使いが一人居る。二、一家が暮らすのは、年の半分以上が雪に覆われた地域。この場合、氷、火、闇属性の順に覚醒する確率が一般的に高い」


「……」


「だが火と闇の割合に関しては、時と場合により前後する。これは大気中には多かれ少なかれ、八属性全ての魔力(マナ)が漂っていることが理由だ。氷雪地帯である以上、八属性の中で最も多くを占めるのは氷属性。逆に最も少ないのは、火属性。熱の少ない環境だから僕の関節が異様な熱感と激痛をぉおおっ!?」


「…氷、火、闇の順になるのは、主に陽の光が射し込む昼間。これは大気中の魔力(マナ)の中で、火と光の割合が高まり、相対的に他の魔力(マナ)が…絶対的に闇の魔力(マナ)が少なくなるからでしてよ。逆に夜は、闇、氷、水の魔力(マナ)が高まります。そうなると、覚醒率は氷、闇、火の順になりますわ。このように、魔法属性は遺伝的要素と覚醒に至るまでの環境的要素が複雑に絡み合って決まる奇跡的な現象に基づいて選択されるのですわ!」


「……これ、折れてる感じがするんだけど」


「弓弦君と知影ちゃんは、どんな魔法属性に覚醒するのでしょうか。今から待ち遠しいですわね。さて、予告ですわ! 『揺蕩たゆたう者、楯突たてつく者。立ち向かう者、躊躇ためらう者、戦う者。未来への希望が、誰もの胸に煌めいていた。直面せし絶望の彼方に、誰もが手を伸ばしていた。果敢に抗う者共を前に、悪魔は吼える。空間が軋む。かの者の二つ名は、「空間の断ち手」──次回、Battle of “ADEUS”』…世界の扉が、叩かれる。でしてよ!」


「…ちょっとリィル君…これ、折れてるんだけど。あらぬ方向に曲がってる。洒落にならないんだけど」


「ではさよ〜なら〜」


「…良いよ、自分で治すから……」

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