元帥
一番最初にここを通ったのは一体いつのことだったか。
最初はまさか、そんな効果を持った魔法具が身近にあるとは思わなかったから驚いた記憶がある。
あいつの姿が一瞬の内で消えたから見つかった、発見。
いつ、誰に見つかるか分からなかったから、緊張と恐怖と好奇の心を抱きながら進んだを覚えている。
…今は、どうだろうか。
少なくともあの頃のような好奇心は、無い。
きっと今僕の心を占めているのは、恐怖だ。
僕は…あいつの大切なものを、二度奪った。 取り戻すと自分の心の内で豪語しておいて、取り戻すどころか奪ってしまったんだ。
許してくれたあいつの意思を無視して自分を許さなかった挙句、さらに裏切った。
それは、『禁忌』に手を出してしまった故なのかもしれない。
その事実は、僕を苛む。
だから、先程の彼女の好意も踏み躙った、踏み躙ってしまった。
昔のように僕のことを呼んだのに、応えなかった。
幸せは重ならないのに、不幸ばかりが重なっていく。
“あの時”から積まれた不幸はそうして、これまでも、これからも“罪重なって”いくんだ……
* * *
ーーーヴァルハラ城六階、天聖の回廊。
隠し通路を抜けた一行は、周囲を警戒しつつ、下への階段を目指して歩みを進めていた。
セイシュウ、リィル両名からすれば勝手知ったる通路は、特に警備兵らしき人間の姿が見えないので、響く音と言えば、四人が靴を鳴らす音が微かに聞こえるぐらいであり、足音を忍ばせているはずなのに響いてしまう辺り、静かだ。
かといって緊張を解けるはずもなく、四人共直ちに戦闘態勢を取れるように、常に武器に手を触れさせている状態だ。
しかし妙ではあった。
外での戦闘がいかに激しいものであったとしても、こうも警戒されていないと怪しいものがあるのだが、フィーナ曰く「心配無いわ。 あの男の魔力は下の方から感じられるわ」なので、救出対象であるレオンは四階の『浄罪の回廊』から続く螺旋階段からのみ、向かうことが可能な処刑台前の部屋に拘留されていることは間違い無いであろう。
「考え過ぎだろうか…」と、不吉な予想を追いやりながら、窓の外に鋭い視線を向けたセイシュウの足が止まる。 つられて視線を向けたフィーナまでも固まってしまったので、リィルもその隙間から外を覗く。
「‘…どうされましたの?’ …はい?」
外の光景は、思わず声を潜ませるのすら忘れてしまう程に驚愕的なものだった。
「…? …あ…楓」
行方不明になったアンナの捜索のため、弓弦が風音と二人、部隊を離れていた際連絡役として彼が遣わした、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花を見事に体現した、第三の和装美女、玄弓 楓の姿が外にあったからだ。
「…弓弦君のお手伝いに来たのかな」
「…おそらくそうですわね。 ですが何ですの、アレ?」
かつて弓弦の指揮能力訓練のために、別部隊から選出されて結成した部隊の隊員の一人であるらしい彼女が一時期、『アークドラグノフ』に滞在していたのはそう昔ではなく数ヶ月前のことだ。
突如としてアンナの飛空挺『ピュセル』で弓弦の下へと向かってしまい、会えずじまいであったがまさか、このような場所で再会するとは思わなかったーーーというのはセイシュウ達からの視点で、実際はアンナが無意識で『ピュセル』を自分の下へと呼び寄せたことで、それに巻き込まれる形で異世界転移をしてしまったので、別れを言う暇が無かったのだ。
リィルが震える声で指差したその先では、その楓が、龍を駆って群がる隊員を蹴散らしている。 以前『廃都ルクセリア』において、彼女が通った道の凄惨さを後に聞き、その実力をある程度察していた二人であったが、あの和の出で立ちから竜騎士を想像しろというのは無理な話だろう。 だがこれなら、相当な実力を持っているという点について納得が出来る。
「‘ご主人様…何かしら、胸が騒つく…?’」
「…フィーナ?」
「…ふふ、セティは可愛いって考えていたのよ」
顔を強張らせたフィーナをセティが不思議そうに覗き込もうとするが、優しく頭を撫でられて、されるがままになる。
「‘…楓はご主人様が風音の助言を受けて女装した姿。 言動が風音に似るのは仕方が無いとは思っていたけど…あれは幾らあの人の演技力でも…いいえあの人だもの。 出来るわよね、きっと…ふふ’」
フィーナは楓の正体について、事実とは多少異なっているがある程度、本人から伝えられている。 なので彼女の疑問はもっとも、と言える。
しかし薙刀を、炎を、龍を自分の手足のように使いこなし、戦場の中で圧倒的な存在感を放つその威容は、姿こそ艶やかな大和撫子そのものであるものの、彼女の中では主人の姿が確かに重なった。
「‘…素敵ですわ’」
弓弦から指輪を贈られてから、彼を想う時は決まって、彼女は指輪にそっと触れる。 そうすれば彼が近くに居てくれるような気がして、癖になってしまっているのだ。
そんな彼女をリィルは、羨望の眼差しで見つめ、溜息混じりに歩き始めた男の背中を見る。
「立ち止まっている時間は無いよ。 向こうもいつまで持ち堪えるか分からないから急ごう」
抑揚の無い声でそう言いながら、戦闘を歩くセイシュウは眼鏡を押さえる。 彼の脳裏にはひたすら、過去の記憶がフラッシュバックしている。
やがて階段を降り、五階『天仰の回廊』を進む。
『天聖の回廊』より通路の豪奢さは薄れたが、それ以外は変わらない。 人は居なく、回廊内は不気味な程に静まり返っている。
「‘やっぱり…嫌な予感がするわ。 でも魔力は穢れていない…じゃあこの騒つきは何だと言うの…?’」
フィーナがそう呟いた時だった。
彼女の帽子の中の犬耳がピコンと立った直後、城が揺れた。
直接的にではない。 魔法による衝撃の余波で間接的に揺れたのだ。
「…どうやら向こうが押され始めたみたいだね。 急ぐよ皆」
その声に、一行は駆け出した。
少し離れた外で爆発するように増大した二属性の魔力。
このタイミングで増大し、衝撃をもたらしたということは、敵が魔法を放ったということだ。 それも、さらに強力な。
しかしフィーナの胸騒ぎはそれだけが原因ではない、まだ何か嫌な予感を覚えていたのだ。
そう、強い光属性の魔力と、鋼属性の魔力の以外にもーーー
* * *
「ありゃ…囲まれちゃったか」
弟の晴れ姿に感動していたレイアは、自分を囲むようにして放たれている殺気から、孤立してしまったことを知る。
しかし実は彼女、先程からずっと攻撃に晒されていたのだ。 無意識的に攻撃を捌きつつ、その視線は、意識は愛する弟に向けられ続けていた。
では何故今気付いたのか? 理由は特に無い。 何か切っ掛けがある訳ではなく、なんとなく気付いたのだ。 恐ろしい程に呑気であるが、この時最も恐ろしかったのは、彼女を囲んでいる隊員からしての彼女だ。
幾ら魔法を放っても傷一つ付けられないーーー実際には全て弾け飛ばしているだけだが、常人に捉えられる速度を遥かに上回っている鎌の軌道は常に風を纏っているが如し。 近付けば問答無用で斬り刻まれ、命を刈り取られる。
これも実際には、強制転移させられるだけなのだが、近付いた瞬間に味方の姿が消滅するというのは、畏怖の対象なのだ。
「ユ〜君…えへへ。 お姉ちゃんも頑張らないと♪」
本人にその気はないのだが、全てを斬り裂く最中微笑を浮かべている彼女の姿は、鎌と合わさり、まるで美しき死の宣告者。
その笑みには男女問わず多くの者が心を奪われるーーーそう、自らに忍び寄る死の気配に気付かない程に。
一人が倒れた。
しかし、その者が倒れたことに気付く者は居ない。
その時にはもう、彼女の周りで立っている存在は心だけでなく、意識までも奪われていた。
「ありがと、バル」
“マインドスリープ”を発動させて包囲網を全滅させたレイアは、漆黒の鎌に姿を変えている悪魔にお礼を言い、弟の下に急ごうとしたところで、妙な寒気を感じた。
「…ありゃ」
次の瞬間、彼女は高速で地を蹴っていた。
丘に迫りつつある大軍を翻弄し、突き出される武器や、魔法の嵐を大きく跳躍することで避ける。
「大丈夫っ!?」
放たれた鉛弾を斬り裂いて彼女が駆け付けた時には、傷付いたディオと知影がユリに“ヒール”を掛けてもらっており、トウガが一人で敵隊員と交戦をしていた。
「ぬぐっ…ぐぁっ!!」「っ!!」
しかしそのトウガも相手型の光線魔法を食らい、レイアに受け止められた。
「ぐ…やられた…っ」
見たところ重症のようで、四人をここまで追い詰めた相手の隊員の顔をニコニコと睥睨する。
「おろ」
その先頭に立つ、硝煙を背負う男に彼女の視線は止まった。
向けられた銃口越しの熱い視線が、彼女を貫いている。
「……」
その男が戦場に立ち、敵として対峙したのならば、吼える銃声が命を奪う。
「っ!!」
空いた方の手によるクイックドローでの射撃を斬る。
「嘘…あの距離で銃弾を弾くの…!? 私でも難しいのに…痛たっ!」
「『癒せ』…レイア殿ならば勝てるやもしれないな…」
その男の瞳には一切、感情の色が無い。 唯一熱を帯びているのは、二門の銃口のみ。
銃声を響かせる対象は、全て。
男は自分にさえも引き鉄を引く。
故に、男は命を奪うことを躊躇わない。 例え相手が、かつて共に戦場に立った者達ーーー俗に言う、仲間達であったとしても。
しかし、男が四人を圧倒したのは、四人が攻撃を躊躇した訳ではない。 ただ、男の実力が四人を凌駕していただけだ。
しかしそれも、当然であると言える。
彼らの眼の前に立つ男の名はカザイ・アルスィー。
元帥の階級を持つこの男の実力は、階級そのものが示している。
「…ユ〜君の方も戦闘が始まったみたい。 だから退いてくれると私、嬉しいんだけどな」
「……」
遠方で天を貫く程の光の剣が二振り伸び、振り下ろされる。
轟音が地を砕きーーー否、物理的に地が砕かれ、岩盤となり、辺りに飛び散った。
* * *
巻き上がった粉塵に咳込みながら、楓は参ったと言わんばかりに頭を掻いた。
「なんでこうなった…っ!!」
「余所見をするなぁッ!!」
「どわぁっ!?」
「ひぇぇぇぇぇっ、怖いのぉぉぉっ!!」
龍の姿からは想像も出来ない、女性特有の柔らかな声が悲鳴を挙げる。
「貴様という男は…貴様という男はっ、女装して、それだけでなく、お、女に乗るとはいい度胸だ! 成敗されろッッ!!!!」
戦場の会話としては何ともおかしな会話だが、方や全力で“エクスカリバー”を振るい、方や龍を駆って全力で逃げ回っている。
「仕方無いだろ? 気持ち良くて止められないんだから」
「この変態大馬鹿者ッ!! 見境無い、不埒にも程があるッ!!!! 斬り殺す!!」
怒髪天を突破している彼女は、もう片方の元帥ジャンヌベルゼ・アンナ・クアシエトールであり、彼女の思考は反乱部隊の殲滅という当初の目的に見せかけたある作戦から眼の前の、立てば女を口説き座れば女を堕とし、歩く姿は女を孕ませる男の、更生という名目の殺害へと完全に変化していた。
楓の姿であるはずなのに弓弦と認識している理由は『廃都ルクセリア』でのルフェル戦の折、囚われの身をその楓に助けてもらっているからだ。
もっとも、その時楓を見ての第一声が弓弦に向けられた言葉であるので彼女は、楓を見て一眼で弓弦と見抜いたことになるのだが、真相は謎だ。
「はははっ、なら捕まえてみろよ! 俺は隠れはしないぞ、逃げるけどなっ!!」
「…!!!! 馬鹿者……どうして…っ!!」
形状の異なる長剣をそれぞれ、両手に握りながら天を仰いだアンナは、暫くそのまま佇む。
「どうして……どうして……」
同じ言葉を何度も呟いているその姿は、彼女のことを知っていれば知っている程、不気味なものに思えてくるだろう。
「…何故同じことを呟いているんだ」
それは嵐の前の静けさなのだから。
『か、風音っ!! 頼む、頼むからもうらそれ以上アンナを煽らないでくれっ!! 後々俺が冗談抜きで殺される!!』
だから、『玄弓 楓』の主人格を務めている風音にはその恐ろしさが分からず、彼女に身体を奪われている弓弦だけが、恐怖に肝を冷やす。
「‘…あらあら…私は常日頃の弓弦様を演じさせて頂いているだけで御座いますよ。 何か問題がありますか?’」
『有り有りだ! なぁ俺に恨みでもあるのか? そうとしか思えないんだが!! やっぱり今のタイミングでの楓がいけなかったのか!? 頼むからもう変わってくれっ』
「‘…畏まりました’」
拗ねた声音の風音から身体を返してもらうと、これまで夢見心地のような感覚だったのが一気に、現実味を帯びる。
取り敢えず身体を返してはもらったが、どうしたものかと考えあぐねていると、遠くーーー転送装置がある方で魔力が爆発的に増大したのが視えた。
「…そうか、組織の敵だもんな。 あいつも敵として立ち憚るか…ま、五体一で姉さんも居る。 流石のカザイも簡単には下せないはずだ…おわっ」
ボヤいていると、乗っていた龍の姿が光の粒子に変わり、女性の姿へと戻る。 弓弦が反射的に飛び退いて着地すると、衝撃が襲った。
「ユール、ユール!! 怖かったの…凄く怖かったの…っ!!」
余程アンナに追い掛けられるのが恐ろしかったのか、眼に涙を一杯溜めて胸に顔を埋めた彼女の背中に手を回し、軽く抱きしめる。
人格こそ弓弦だが、身体は楓なのでその様子は百合百合しい。
「ま、あんな鬼の形相で追い掛け続けられるているとそりゃあ、怖くもなるよな。 よく頑張ったよシテロ。 思い付きだったが、龍に乗るって感覚悪くなかったし」
「…えぐっ、私もなの``…ユールに乗られでいる感覚…凄く気持ち良かったの。 私上に乗られるのが好きなのー」
『弓弦様は女性の上に乗ることが御好きなようですね。 私も乗られるよりは乗る方が好みで御座います」
「…そ、そうか。 ならまた今度、一緒に空を飛ぼうな」
機嫌を戻す気配の無い風音の冷ややかな声音に、冷や汗を感じた弓弦はふと、シテロの呼吸が規則正しいものに変わっていることに気付いて、彼女の顔を覗き込んだ。
「……すぴー」
やはり夢の世界に旅立っていた彼女を戻すと、恐る恐る眼の前に立つ鬼に視線を移していく。
「……どうして貴様は橘 弓弦なのだどうして、貴様は存在しているのだ。 どうして…」
「…なんか変な哲学論をやってるし…どうしたんだアイツ」
ひたすら自分の意義について問い掛けられていたら首を傾げるだろう。
アンナは上の空状態なので、今の内にと、弓弦は踵を返そうとしたところで殺気を感じ、動きを止めた。
「…貴様、戦場で敵に背を向けるとは何事だ」
「敵じゃないだろ? 一応お前は味方だと思ってる」
「フン…甘い」
剣を地に突き立てると、封剣紙が次の瞬間その指に挟まれていた。
「『不滅の刃』、『轟雷放つ剣』!!」
「は?」
眩い閃光が弾けると、彼女の前に二振りの剣が浮かんでいた。 突き刺してあった剣にそれぞれカードを当てると剣がその中に吸収される。
弓弦が見ている中でそれをどこかにしまうと、先程の剣とは明らかに輝きが違う剣を握った。
予想するに先程彼女が叫んだ名前が剣の銘であろうが、そのどちらも、弓弦の記憶にある“聖剣の銘”と一致し、彼を戦慄させた。
「…これを人間相手に振るうのは貴様が初めてだ、感謝しろ」
「だろうな!? あ、アンナお前…本気でそれで斬るつもりか…っ」
「せぇぇぇいッ!!」
振り下ろされる二刃を、真っ向から受け止めようとはせずに、刃を受け流し目的で滑らせる。
相手の居なくなった剣が地面に触れた瞬間、地が裂け、雷が直線状に連続して落ちる。
「本気かよっ!!」
冗談ではない。 正面から受け止めれば確実に剣は折られるし、剣に込められた魔力による雷をその身に受けることになる。 かといって剣術ではアンナの方が何枚も上手であり、現在の据わっている光の無い瞳から、既に自分はもう人として見なされていないような気がした。
「あぁ本気だとも。 デュランダルで貴様の頭を連打し、カラドボルグで雷を何度も落とす。 そうすれば貴様とて…!!」
「確実に死ぬよな!?」
「以前言ったはずだ…私のために死んでくれとなッ!!!!」
『あらあら…説明してもらえますか弓弦様』
「うぐ…っ」
弓弦ある所に修羅場あり。
頭を悩ませられた弓弦の回避動作は徐々に遅れ始める。
「後回しだ!」と投げやり気味に攻勢に転じた弓弦は薙刀の刃の反対側に焔で刃を形作り、そちらの方で双剣を受ける。
「ぐ…大人しく斬られろ…!!」
「っ…断固拒否だからな…!!」
「何故だ!!」
名高い剣を受けられるはずもなく、刃が貫通するが、身体に届く前に弓弦はアンナの真上に転移する。
「その言葉そっくり返してやる!!」
真下に向けての“烈炎波”を繰り出し、斬撃を飛ばしていく。
「アンナこそ何故なんだッ!!」
刃を突き出し、焔を纏って急降下。 先程風音が使用した技、“焔襲落”を放つが、交差した剣に挟まれて勢いを殺され、固められる。
力勝負の後に、隙を突いて弓弦が、刃の挟まれている空間のみを一瞬転移させて拘束を外し、反対側の刃を振り上げる。
「貴様が情けないからだッ!!」
彼女は下からの一撃に体勢を崩されつつも、続いて放たれた“焔烈閃”による上からの一撃に見事に対応する。
「っ!!」
そこから反対側の刃による“焔烈閃”、連続技である“焔閃二連”まで防ぎきると、アンナはなおも叫ぶ。
「仮にも同門の人間である貴様が、情けなさ過ぎて苛々させられるからその性根を、叩き直したくてしょうがないッ!!! その曲がった性根を一から叩き直し、真っ当な人間に更生させるのが私のッ!」
カラドボルグの魔力が高まっていく。 迸る雷鳴が地を撃ち付け、それが収った途端、
「使命だぁぁぁぁぁッ!!!!!!」
振り下ろしと同時に一気に解放される。 間一髪彼女の背後に転移した弓弦の視線の先で、轟雷が疾駆する。
「この…ッ!!」
斬り払った背後に弓弦の姿は無い。
「焔の舞ッ!!」
炎の嵐が彼女を飲み込む。
「っ…」
追撃に移ろうとした弓弦は突然、世界が反転したかのような感覚に襲われ、その場で膝を付く。
魔力過耗症の症状の表れを堪え、深呼吸する。
どうやら派手に暴れ過ぎたようでそんな自分に苦笑していると、莫大な魔力の爆発を三箇所で感じた。
眼の前と、丘とーーー城。
感じたことのない魔力に全身が粟だつのを覚えた。
「…まさか三本目、神滅の焔刃を抜くことになるとは思わなかった。 だがこれで…覚悟してもらうぞ」
霧散する焔の中悠然と、真紅の刃を閃かせ歩くアンナを前に、自分が追い詰められつつあることに歯噛みしようとするが、それすら出来ない程に身体の力が抜けていた。
『…ッ!!』
「きゃあっ!?」
風音が代わりに身体を動かそうとするも、バランスを崩して崩れ落ちる。
「あらあら…どう致しましょうか」
『さぁな…バッサリ斬られるかもしれんな。 だがアンナの狙いは俺だ。 風音、同化を解除するぞ』
「…畏まりました」
楓の身体が二つに分かれ、風音と弓弦に戻ると、弓弦の身体が崩れ落ちた。
「弓弦様…」
風音の分の魔力が抜けたことで、弓弦は気絶したようだ。
彼女は、身体が動くことを確認すると弓弦の手から、薙刀を受け取った。
「…フン、そんなことだろうとは思っていたが、女を取り込むとは恐ろしい男だ。 そこを退け」
「御断り致します。 弓弦様の命を御渡しすることは致しかねますのでアンナ様こそ、御引き取りを」
「…別に命を取るようなことはしない。 安心しろ」
「弓弦様が弓弦様でなくなるのならば意味は同じです。 そう」
眼を細め、鋭い視線を投げかけながら風音は拒絶の意思を込めて薙刀を構える。
「弓弦様の記憶を奪われるその算段、叶わぬものと御理解願えないでしょうか」
身体が、燃えるように熱くて風音は思わず眼を伏せた。
また青白い炎が身体の奥底で燃えている。
「別に貴殿の許可を必要とするものではない。 邪魔をしないでくれ」
「あらあら…自らの主人を守ることを、邪魔などと仰るのですか? 私はアンナ様の方が邪魔者だと思うのですが、その認識は間違いだと?」
「…悪いが力尽くで奪うことになる。 その男をそれ以上野放しには出来ないのでな」
「クス…力尽く? 私からこの御方を奪えると御考えなら止めた方が宜しいかと」
「…貴殿の火属性魔法はこの剣の前では無意「長広舌を振るわれるのは結構です」…なに」
伏せられていた風音の瞳がまっすぐアンナを捉える。
「時間が無駄になりますので可及的速やかに始めましょうか…うふふ」
獲物を前に品定めをするような視線を向ける彼女の瞳の色は焔のように赤く、
「折角状況を整えたのですから後は確実に、頂戴しなくては…」
「っ、貴殿は一体…!?」
血のように紅く、変わっていた。
* * *
時は少し遡る。
「出来ない相談だ」
交差された銃口を起点に展開された魔法陣から大質量の鋼魔力が放たれる。
『友と重ねた日々は色褪せず、記憶は枯野を駆け巡り、癒す。 おいでユニ!』
鋼属性上級魔法“バスターキャノン”を容易く真っ二つにしたレイアは、癒しを司る精霊“ユニコーン”を召喚し、背後に庇う四人を癒しの魔力で包み込ませる。
「本当に、訊けないの?」
レイアは困惑混じりに、上目遣いで訊いた。
「……」
「…そっか。 なら」
寂しそうに笑った彼女が獲物を構えたのに合わせて、動けるようになった四人が武器を構えようとする。
「えっ!? どうして…」
「っ、レイア殿」
だがその身体が動くことはなく、口の他に唯一動かせる視線だけ、驚きの色を帯びさせて彼女に向ける。
「一人でやるつもりかアプリコット!!」
「これだけの数を一人でなんて危険だよっ!!」
「ごめんね…」
謝罪の言葉は、その場に居る全員の、頭の中に響く。
「!!!!」
彼女がしようとしていることに気付いたらしいカザイが、雰囲気に呑まれたのか何らかの言葉を言おうとして言葉を詰まらせる。
「…だけど、だから皆に嫌われてたんだよ?」
「今は無関係の話だ」
全てを支配する、王者の魔力。 噴き出すように周囲を打ち付ける魔力が彼女の雰囲気を変えていく。
【…そういうところが似ちゃったの、分かってる?】
玲瓏たる声が弱い心を蝕んでいく。 若草色から紫に染まった瞳は、意識を吸い込んでいくと、男の瞳に初めて、動揺の色が見て取れた。
レイアは怒っていたのだ。
それはプンプンと擬音が付きそうな怒り方であったが、それはいつもの彼女だったらの話だ。
【めっ、だよ】
「……」
その髪が、何物にも染まらない純白に染まった瞬間に、カザイの背後に居たはずの隊員達は消し飛ばされていた。
【少しだけ痛いかもしれないけど、一瞬で終わらせてあげる】
「駄目だレイア殿、今のカザイ殿に攻撃を加えたとしても届かないぞ!!」
【えへへ、問題無いよ】
攻撃を防ごうと重ねられた銃が弾き飛ばされる。 同時に発射された銃弾は全て途中で、その物理法則を支配され、跳ね返す。
【ここはもう、全てが私の支配下だから…おろ?】
言葉の途中で彼方を見やった彼女が首を傾げる。
【……】
「……」
カザイも同じようにその方角を見やり暫く、無言の静寂。
「……」
その静寂を破ったのは、突然カザイが地面に倒れ伏す音であった。
「な、何が起こったんだい…?」
「分からん。 だが…元帥を圧倒するか…!!」
その姿が転移されていく様に、トウガが息を飲み、ディオが呆然とする。
「ありがと、バル。 ふぅ…張り切り過ぎちゃったかな」
疲労を感じたのか、大きく息を吐いたレイアの姿が元に戻り、場の空気が弛緩した中、知影が心配そうに声を掛けた。
「レイアさん…弓弦に…何かあったの?」
「おろ、どうして?」
「弓弦の心が覗けないし、さっきから向こうの方で火柱が上がったり、雷が落ちたり…凄い戦闘が起こっているような気がして…」
「…うむ、私も気になっていたが…城の方も気になる。 何か爆発らしきものが見えたのだ」
ユリも知影の言葉に同意して自分達以外の隊員の姿が見えなくなった平原を見渡す。
「ディオルセフ君、トウガ君。 転送装置お願いしても良いかな」
「了解だ。 俺達のことは気にしないでくれ」
「うん、左に同じで」
二人の了承を得てからレイアは、レヴを召喚して、背中に乗るように指示した。
「おろ…レーヴ、怯えてるの?」
顕現したレヴは、頷くかのように彼女の顔を見つめた。
「狐さんか…擬人化したらイケメンなんだろうなぁ…じゃない、弓弦…大丈夫かな…」
「…知影殿、風音殿のことを忘れていないだろうか?」
「…え。 あ、ううんっ! 忘れてる訳ないよ!? そうだよねー風音さんも大丈夫かなー!」
眼が泳いでいる知影だ。
「知影殿……」
「…さ、ユ〜君の所に行くからしっかり掴まっててね」
肩越しに、身を縮込める二人を確認してから彼女は進行方向を指差し、「さぁ行けレーヴ」と、早口で言った。
「…お袋…俺は…」
「隊長………」
「はぁ……帰還してからと言うものの、ここまで二人が残念だとは思わなかった。 ロイはまだしもメライは訳が分からない。 確かに綺麗な人だった。 だけど男なのに…」
「あの素晴らしさは分かる奴にしか理解出来ない。 キール、お前は恋をしたことがあるか?」
「ないけど」
「俺は一眼で恋に落ちた。 多分な」
「はいはい、言っておいて。 さて、次は僕の番だ『出逢ってはいけない出逢い、見たくなかったそれ、現実はいつも、得てして過酷に向かわそうとする。 それは、夢の続き。 終わらされた、終わらせてしまった夢への、続きーーー次回、軋む歯車』…そして歯車は、回り始める」