変態仮面はあいつだ
「弓弦ーーっ♪」
レイアの隊員登録と業務が終わった頃、元気な声と共に隊長室の扉が開けられて知影を始めとした女性陣が部屋に入って来た。
弓弦も彼女を迎え……ようとするのだが、
「…何を着ているんだ?」
上も下も自分の服を着られているのを見ればツッコミを入れずには居られない。
寂しかったのは分かるが、成る程、ヤンデレの彼女が大人しかったのはこれが原因と彼は理解せざるを得なかった。
「弓弦弓弦弓弦すーはーすーは…弓弦弓弦弓弦弓弦…」
しかし抱き付いてくる彼女を無下にあしらうことも出来ず、その背中をポンポンと叩いていると、なんとも言えない表情を浮かべたユリが視界に入った。 弓弦の匂いを嗅いでいる彼女の姿に思うところがあるのだろう。
「おわっ」
もう一人、彼にタックルをするものが居たーーーセティだ。 知影に比べれば衝撃は小さい方なので、優しく受け止めてその頭を撫でる。
「…お帰り」
「あぁ、ただいま。 俺が居ない間寂しくなかったか?」
「…少しだけ寂しかった」
「はは、そうか…じゃあ今日は一緒に寝るか」
「…!!!! コクコクコク!!」
激しく首肯する義妹の頭を撫でながらフィーナを見ると、彼女も笑顔で頷いた。
「じゃあ今日は、私と、ご主人様と、セティと、知影で寝ることになるのね。 ふふ…楽しみだわ♪」
トコトコとフィーナの方に走って行ったことで空いたセティの隙間に、今度は風音がそっと収まった。
「クスッ、微笑ましいですね」
「知影が迷惑を掛けたな。 「うちのが抜けてるよ」…はいはい、うちの知影が迷惑を掛けたな」
「きゃっ♪ “うちの知影”って…弓弦ったら♪」
無視。
「いえいえ御気になさらず。 当然のことですよ、弓弦様」
「当然と言ってくれるあたり、流石だな。 ありがとう」
「あらあら…うふふ、‘御礼は楓で’」
後半は耳打ちでの言葉だ。 ちゃっかりしている彼女に苦笑しつつも、弓弦は「紹介は済ませたのか?」と、レイアに声を掛けた。
「うん、終わってるよ。 だから早くユ〜君「っ!?」のお部屋を見たいな」
「…フィーナ、どうしたの?」
「…ふふ、なんでもないわよ?」
「よし、じゃあ行こうか」
任務の完遂報酬で一気に潤った隊員証をポケットに入れる。
「弓弦「!?」私は部屋に戻ろうと思う」
知影が反応したが、気にし出したらキリがないので無視する。
「そうか…はい、これ報酬な」
「うむ」
ユリと別れて一行は506号室へ。
「ユリちゃん…後で滅ぼしてあげな」
久々に知影の頭に振り下ろされたハリセンが気味良く音を立てる。
「うん駄目だからな? 物騒だから止めてくれ」
「だが断」
ハリセン。
「クスッ、楽しそうですねフィーナ様」
「そうね。 見ていてご主人様が帰って来たんだと実感するわ」
「…フィーナ様」
「…なに? 改まって」
部屋に入ると、レイアが感心したかのように弓弦の頭をよしよしと撫で、女性陣は固まった。
「あのな、頼むから頭撫でないでくれ…子どもじゃあるまいし」
「ありゃ…ちゃんと部屋が綺麗に片付いているからつい…」
「はぁ…まぁ、俺達の部屋はこんなところだ。 ね、レイアの部屋はここの隣507号室だから、行くか…っ!?」
ヒソヒソと話している知影と訊いているセティの姿に冷たいものを感じた弓弦は、人前では姉さんと呼ばないようにすることに努めようと、決心するのだった。
一方謎の余裕を見せているフィーナと風音は別口で話しているみたいであったが、そっちの方は良く聞き取れなかった。
話し合っている面々はそっとしておいて、レイアと二人で隣の部屋に入った弓弦は呼び方の話を切り出した。
「ありゃ、そっか…うん、大変なことになりそうだから良いよ。 二人きりの時だけでも呼んでくれれば、それで良いから」
「はは…すまないな」
「ううん、謝ることはないよ? ‘それだけで良いのだから’…ほら、皆の所に戻ってあげて。 お姉ちゃん一人で大丈夫だから」
「ほらほら」と優しく背中を押されて彼女の部屋の外に出されると、背中から温かく抱擁された。
背中越しに伝わる彼女の鼓動、小さな息遣いや擽ったくて、どこか懐かしく、心が安らいでいく。
「寂しくなったらお姉ちゃんの所にお出で。 お姉ちゃんはいつでもユ〜君の味方だから…ね?」
彼は、言葉では返さなかったが、代わりに自分の胸に回された彼女の柔らかな手をそっと握り返した。
少し寂しくなった背中の感覚と共に、背後で扉が閉じる気配がした。
名残惜しいと思った自分を笑ってから、自室へと引き返す。
「よし、じゃああの女狐を殺しに「行かせないからな」…ちぇっ」
相変わらずの嫉妬振りを発揮しようとした知影の進行先を阻むと、その胸に飛び込まれた。
全力で好き好きアピールをしてくるので参ったが、一週間以上放っておいた手前突き放すことは出来ない。
「ひゃ…っ!? ち、知影止めてくれ」
しかし首筋に謎の感触を覚えたらその限りではなく、少し強引に彼女を離させると、不満気に口を尖らしてそっぽを向かれた。 彼がさすっている首筋は赤くなっており、チラチラとそれを見ている知影の頰が緩んだ。
「…シャワーを浴びてくる」
「え!? 弓弦それはちょっと、酷くない?」
「違う…ふぁ…っ、眠たいんだ」
「…コク、眠い…」
時刻は二十二時。
疲れは当然、ずっと覚えていたので、身体を洗って早く寝たいのが弓弦の本音だ。
幸い瞼の重そうなセティが同意してくれたので、知影の頭をポンポンと撫でて脱衣所に入ろうとした時、
「おい…っ!!」
「あ、気にしないでね♪」
「いやいやいや! 気にするなっておかしいだろ!? 何故っ」
そのまま一緒に入って来たものだから驚くのも無理は無い。
「だって、約束したじゃん」
「約束?」
「『気持ち良いことしてやる』…って……きゃっ♪」
「は?」
その約束は知影を落ち着かせるために、フィーナが風音に声真似をしてもらって約束したもので、当然本人が知る由も無い。
しかし彼女が嘘を吐いている様子でもなく、考えあぐねている、
「まぁ良いか」
ーーーのも面倒臭いので、極力意識しないようにして構わず服を脱いでいくと彼女の息が荒くなり、キャーキャーと黄色い声を上げながらその服を着ていく。
「って、おい!?!? お、おまっ、な、なななっ、なななななななぁっ、なんて物を穿いているんだっ!!!!」
チラリと視界に入った艶かしい下半身に明らかな異物。
彼とて、彼とて別に見たかった訳ではないのだ。 ただ入ってしまったのだ。
「ん? これ? ふふふ…見て分からない?」
「見て分からないから訊いているんだ…! なんで俺のパンツ穿いているんだよ!?」
「うん、これは弓弦のパンツだよ」
「答えになってないからな!? なんで穿いているんだって訊いているんだ!」
「だって、幸せな気持ちになるんだもんっ♪」
「可愛く言っても誤魔化しにならないからな…!?」
「良いでしょ? 弓弦の…欲しかったんだもん…♡」
無言でシャワー室へ逃げ込み、扉に鍵を掛ける。 変態とは相手にするだけ無駄なのである。
上半身裸、下半身に自分の下着を着用した彼女の姿を地平線の彼方に追いやった弓弦は髪と身体を洗い終えふと、怪しい物音が聞こえる扉の外を見た。
照明の加減で影が映っていることが、知影がそこに居る証明である。
その彼女は何かを頭上まで持ち上げて暫く静止したかと思うと。
「ぶっ!?」
それを自分の顔に押し当てているようだ。 何度も大きく肩が上下している辺り、深く息を吸っているようで彼としては、変態の所業に辟易である。
「ぶーーーっ!?!?」
否、辟易どころではない。
それを頭に被った彼女の狂行は既に彼の、理解の範疇を超えており、見てしまった以上これは一言物申さねば気が済まなかったので扉を開けた。
「お、おい知影!! 百歩譲って俺のパンツを穿いていることは良い!! だがそれは、それは女として終わってるから止めてくれ!!」
図らずもそれはフィーナが彼女に言ったことと殆ど変わらない内容の言葉であったが、実際に眼の前の光景は女としてあるまじき行為なのだ。 恋に狂う乙女恐るべし。
「別に? ほら、良い香りがする花って沢山の生物が寄って来るでしょ? それと一緒だよ♪」
『……此れは…女子とは到底云えたものではないな…っ!!』
『キシャ…キ、キ、キキィ…ッ!?』
『アデウスと被るけど…これはもう、傷物どころじゃにゃいにゃ…僕が人間だったらこんにゃ女の子嫌にゃぁぁ…っ』
『…流石にばっちいの』
悪魔勢も見事、バアゼルですらドン引きしているようだ。
因みにアデウスは「これ…ヤンデレとやらが治ったとしてもお前から離れるのか…!?」と、言っている。
シテロの言葉に少し刺さるものがあったが、全面的に同意せざるを得ない、得なかった。
「止めてくれ…止めてくれ知影…!」
「きゃっ!? え、えーと…弓弦そんなにガッシリ掴まれても心の準備が…っ♪」
「失礼ッ!!」
「…んっ、そ、それぐらい自分で脱げるのに…弓弦の変態さん♡」
被っているパンツを剥がした時に感じた、湿り気のようなものを脳裏から消去して、知影の身体に素早くタオルを巻き付けると穿いている物を脱がす。
何かやってはいけないことのような気がしたが、構わずシャワーで彼女の頭を濡らし、シャンプーを付けて泡立てる。
頭皮を傷付けないよう指腹部に力を込め、片手で頭を押さえて洗っていくと彼女は最初、「や…は、激しい…っ♪」と謎の言葉を呟いていたが次第に、眼を閉じてされるがままになっていった。
済し崩し的に女性の髪を洗っている以上、手を抜くような弓弦ではない。
髪にダメージを残さないように、またダメージを消していくように、姉妹に仕込まれ、ユリにも披露した洗髪テクニックが発揮されていった。
「知影の髪って相変わらず、綺麗な髪だよな」
シャワーを浴び終え、弓弦は、ドライヤーで知影の髪を櫛で梳かしながら乾かしている。
不覚なことに、焦るあまり彼はあの時腰にタオルを巻いていなかったので、隙を突いて振り向いた知影に色々されそうになったが、なんとかやり過ごせた。
慣れているのか物怖じしない彼女を止めるには手こずりはしたが、無事で何よりといったところであろうか。
「ふふふ、そうかな?」
「あぁ。 少し…伸びてきたか、そろそろ切らないとな」
「たまには弓弦が切ってよ。 出来るでしょ?」
「ん…まぁ出来ないことはないが。 でもそれぐらい自分で切れるだろ?」
「弓弦に切ってもらいたいな」
「すまん、ミスった時の責任が取れないからパス」
「私との結婚で手を打ってあげよう」
「こちらからお断りさせていただきます」
「断る権限無しだよ!」
「結婚相手を選ぶ権限は欲しいんだが?」
「与えない。 私が居るんだから」
しっかりと髪を乾かしてから待っとくように知影に言って、紙と鋏を用意する等準備をすると、やれやれと言わんばかりに彼女が座る椅子の背後に立った。
『結局切るんだにゃ』
「‘悪いか’……長さはどれぐらいが良いんだ?」
「弓弦が一番可愛いと思える形と長さが良いな」
「ふぅ…そうか。 んじゃあ動くなよ」
「〜っ! うん…っ♪」
フィーナ達はどこかに行っているのか、今は二人きりだーーー否、物影から赤いリボンが覗いているが、そっと見なかったことに。
「ねぇ弓弦、元の世界ってどうなっていると思う?」
「元の世界?」
「うん。 ディオ君の世界って、二つあったよね」
「そうだな」と相槌を打って後ろの毛先を揃えるよう意識しながら切っていく。
「なら私と弓弦が居た世界も、あの世界みたいにパラレルワールドであるような気がするんだよね……で、もしかしてその世界では別の私達が居て、まったく違った生活を送っている……ことってあるかな?」
「…無きにしも非ず、だな。 異世界は無数にあるし」
「弓弦は元の世界に戻りたい?」
「ん? …あぁ」
「どうして?」
「どうしてって…家族が居るからな。 一度でも行ければ魔法を使って、いつでも行けるはずだから」
彼女に同じ問いを訊き返そうとは思わなかった。
訊かなくても彼女は言うーーーそのためにこの話を切り出したのだから。
「私は戻りたいとは思わない。 私が戻る場所はいつまでも一つだけなんだから」
訊かせることで弓弦を自分の下に縛り付けたかった。 彼は優しいからそれを、利用する。
酷い女だとは思ってるが、彼女からしたら、本当のことで、事実で、何よりも、“そう”と断言出来ることなのだから。
「私……弓弦と離れたくない。 前も言ったけど、私の居場所は君の隣だけなんだから」
最近彼の心が自分から離れているような気がした。
話す回数は減り女狐がひたすら言い寄ってくるーーー今回も、ユリと二人で任務だ。
自分がどれだけ寂しかったか、苦しかったか彼は知らない。
フィーナ達が気を回してくれていたのは分かっているが、衝動は止められない。 理性と本能は別なのだから。
こうしている間もずっと、頭の中では「どうすれば彼の心を知影という存在で埋めさせることが出来るのか」と、考えている。
知影が弓弦に依存しているのと同じように、弓弦が知影に依存してくれるようになればーーーそんな彼女の理想。 彼と違う、彼女の理想。
二人に共通しているのは、それぞれがそれぞれの立場と、同じステージに持っていこうとしていることだ。
本質は同じ、向かう方向は逆。 このことが摩擦を起こして、何かを起こすーーーその何かが怖いのだ。
薬でも、魔法でも、なんだって良い。
彼という人間ががただ自分を求めてくれるようになってくれれば、初めて二人は両想いになって、永遠に愛し合える、互いを求め続けられるーーーこの論理が道徳的に破綻しているのは分かっているが、理性と本能は、やはり別なのだ。
「ねぇ弓弦」
「…ん」
「ねぇ…どうすれば私だけを見てくれるの? どうすれば私だけを愛してくれるの? どうすれば…私のものになってくれるの? 私は弓弦が欲しい、弓弦の愛が欲しい、弓弦の身体が欲しい。 弓弦の全てを蹂躙して、私色に染めて、求め合っていたいのに……」
すれ違いは亀裂を作るーーーそれだけは、避けたい。
誰も居ない、二人だけの今が、攻め切るチャンス。
チャンスを手放すような女ではない、彼女は天才なのだから。
「意思を奪えば……私のものになってくれる? 腱を切れば歩けなくなるし、可愛い可愛い犬耳を縛り上げて思考がとろけそうな程に快感を与えていれば、魔法は使えない。 弓弦がずっとベッドの上で、私に愛を囁いて、一生を送ってくれたら良いなぁ♪」
だからその考えは、常人には理解出来ない。
「はい、終わりだ」
ハッとして鏡を見ると、醜いことを考えている黒い自分ではなく、弓弦の向けた笑顔に頬を染めるオッドアイの女の子が居た。
「…倦怠期に離れると、お互いの大切さが分かるというのはよく聞く話だが…悪化したな」
「うん、弓弦への愛は日々育っていくんだよ」
黒い感情は消えていた、彼という太陽に照らされて。
彼の左の瞳の色が眼に入った。 混ざり合った瞳、神ヶ崎 知影の、夜空の瞳。 彼の瞳に映る自分の瞳、自分の左の瞳ーーー彼の瞳。
「…一体どこまで育つんだ?」
「愛で想像妊娠出来るレベルまで…かな?」
「おい…っ!! はぁ……まぁ良い。 良いぞセティ、出て来い」
「え…い、居たの? セティもしかして、聞いてた?」
ひょこっと現れたセティが弓弦の背後に隠れるーーー答えだ。
「…ふふふ、セティを少し大人にさせちゃったかな?」
「もう良いから、とっととベッドで寝てくれ……「お姫様」…はいはい」
セティに手を出さないか心配な弓弦であったが、その心配は必要無さそうで、安心しながら久々の自分のベッドで横になった。
* * *
隣の部屋、507号室のレイアの下を訪れる人物が居た。
ロックされていない扉を開けて中に入ると部屋の主が振り向き、微笑む。
「入るわよ。 久し振りね」
「おろ、久し振り…になるのかな」
「えぇ、まさかとは思ったけど見間違えるはずないもの。 そこまでされるとね」
「している訳じゃないよ、これが私だもの。 ユ〜君が大好きなお姉ちゃんのね?」
「そう。 変わっていないようで結構だわ」
「そういうあなたも、変わっていないみたい。 家でもクリスマスの時にユ〜君からプレゼントされた犬耳、時々付けていたもんね」
「今のは本物だからそれは言わないで」
二人の間に流れている空気は、古くからの友人に会っているかのような親し気なものだ。
「本当の意味での犬になれたみたいで嬉しい? えへへ、訊くまでもないかな」
「…馬鹿にしているの? …いいえ、それで素だったわね。 でもこれからずっとあなたの顔を見ることになるなんて…困ったものね」
「私はまた会えて嬉しいよ? えへへ…いつか一家勢揃いにならないかな」
「……遠い日の話ね。 いいえ、私達の関係ですら遠い夢の話なのだから遠い尽くしと言ったところかしら。 それに振り回されているなんて随分と滑稽なものだけど」
「……」
ーーー否、探り合いだ。
二人は、お互いがどこまで“お互い”なのか、どこまで理解しているのか、それを言葉の裏の問いとして投げ掛けていた。
「…「その名前では呼ばないで」…おろ、どうして?」
「その名前は私のものではないわ。 あなたはどうか知らないけど…今の私はフィリアーナなのだから」
「ありゃ、そっか。 ならフィーちゃんで」
「駄目よ、その名前を呼んで良いのはあの人だけ。 あなたに呼ぶ権利は無いわ」
「変な所に拘るよね…ユ〜君限定だなんて。 私達家族じゃない」
その発言を訊いた瞬間にフィーナの雰囲気が変わった。
彼女に向ける視線は、冷たく、鋭い。
「誰がいつ家族になったのよ。 ハイエルフの血を引いているとは言ってもあなたと私達は違うわ。 それは止めて」
「でも私ユ〜君公認のお姉ちゃんだよ」
「…それ、本気で言っているの」
眉を吊り上げて迫るフィーナにレイアは頷いた。
「うん、勿っ!?」
「姉の立場を使って言い寄るなんて、最低ね。 見損なった」
「ぁ、待って…ゆ」
それはレイアに対してフィーナがぶつけた否定の意思だった。
呆然としたレイアは、赤く腫れた頬を摩りながら彼女が消えた跡を見つめていた。
「どうでした?」
「黒。 だけど残念な黒ね」
「…頬を打たれる音が聞こえました」
「えぇ…私としたことがつい、ね」
壁に身体を預け俯く彼女の顔は寂し気だ。
「あの人の想いを利用したことが許せないのよ…カッとなってつい……知影を笑えないわね、本当、馬鹿みたい…」
「…もう御休みになられてはいかがでしょう。 イヅナは弓弦様の隣で寝ているはずです」
「えぇ」
「辛い時の、家族ですよ♪」
「…ふふ、そうね。 激励感謝するわ風音」
「クス、橘家の従者として当然で御座います」
「ふふっ、出来た従者ね。 でも主人の寵愛は受けさせないわよ?」
「寝取るのみで御座います」
左手の薬指にはめた指輪に触れるフィーナと、笑顔の風音、静かに火花が散る。
「っ、言ってくれるわね。 身体だけであの人を奪えるなんて思わないことよ?」
「クス、身体だけで奪えるとは思っていませんよ、考えていませんよ、想像もしていませんよ? 第一それで奪えるような御方でしたらこの様な気持ちは決して、抱きません」
「ふふふふふ…」
「クスクスクス…」
「……そう言えば風音、あなたお土産貰っていなかったわよね? 何もお願いしていなかったの?」
「はい、弓弦様が無事で戻られただけで、十分過ぎる御土産ですよ」
本当のことは言わない風音。
女は秘密が多ければ多い程魅力が増すのである。
「そう、あなたらしいわ」
彼女と別れ部屋に戻ったフィーナは机の、自分の引き出しの鍵を外して中に入っている箱を取り出すと、指輪を入れる。
その引き出しは彼女しか開けられないプライベートゾーンであるので、主人である弓弦にもあまり見られたくない秘密の物や、宝物が整理されて数多く入っている。
その一つである、家族写真が視界に入る。
これも魔法具の一つであるが、名前はまだ無い。 何故ならフィーナが自作した魔法具だからだ。
和風建築の家の前でセティを挟んで弓弦とフィーナ、弓弦の側に控えるようにして、風音が写っている写真の隣に箱を置いてから、引き出しをしまい魔法の鍵をかける。
シャワーを浴び終えてから寝間着に着替えて布団に入ると、イヅナを挟んで隣で寝ている弓弦が身動ぎした。
「…浮かない顔だな、何かあったか?」
どうやら起きていたようだが、知影に密着されて寝苦しいのかもしれなく、薄暗闇の中でもハッキリと見える彼の顔は困っているように見えた。
「はい…変なことを訊きますが、良いですか?」
「あぁ…別に構わないが?」
「……レイア・アプリコットを、姉として認識しているということは…本当ですか」
彼は最初、驚いたように眼を瞬かせたがやがて瞑目した。
「そうだな…認識せざるを得ないと言うか……姉代わりだとさ。 不思議な女の子だよな…」
「何故かな、杏里姉さんに似ているんだよ」と続けて深く息を吐く彼の手を握る。
「そう…ん``んっ、面影を重ねるなんて、弓弦のシスコン男」
「うぐ…すまん」
面影を重ねているのは事実であるから、否定出来る材料など彼には無い。
「他人を姉呼ばわり出来る心根は一体、どこにあるのかしら」
「…色々本人と重なるんだよ。 馬鹿みたいだとは思うが」
「もぅ…本当に馬鹿よ、あなた」
力を込める。
「う``っ」
「馬鹿馬鹿馬鹿、シスコン馬鹿」
「…っ、フィ、フィーナやっぱり今日、ずっと怒ってるよな?」
「えぇ勿論よシスコンご主人様」
「シ、シスコンシスコン言わないでくれ…! 激しい自己嫌悪に陥るから「ん…弓弦…ちゅ」ぅ…前門の虎後門の狼…なんでこうなった…っ」
寝惚けているとはいえ知影が弓弦を求めるのは変わらない。
犬耳に口付けされて、彼の身体に変な電流が流れる。
「もぅ…違うわ、前門に居るのは卑しい雌犬よシスコンご主人様」
レイアに対して抱いた怒りを弓弦にぶつける、八つ当たりをしていた。
内心ではそんな自分に反吐が出そうな気分だが、喋る口は止まらなかった。
「……悪かった、悪かったから機嫌直してくれ…」
弓弦は兎に角もう謝るしかない。 彼は彼で情けなさに反吐が出そうな気分であった。
「…彼女を姉として認識したければ、私を妻として認識して。 これが条件よ」
「…妻は駄目だ。 家族としての認識じゃ駄目なのか?」
「……。 では何故あの指輪を贈ったの? あれは結婚指輪……知らなかったとは言わせないわよ。 女をその気にさせておいて…知らん振りが許される程、世の中は甘くないわよ」
こんなことが言いたい訳ではないのに、日頃思っていたことが次々と口を衝いて出る。
でも、言っておきたかったのは事実だ
彼は好意を無意識に抱かせ過ぎる。 誰かが悪役になって彼を咎めなければ、いずれ彼は文字通り地獄を見ることになる。 女の争いはそれ程に恐ろしいものなのである。
いや、彼はそうやって嫌われ者になることを願っているのかもしれない。 酷い男を演じて、一人になって、破滅する。
決められないから、見下げ果てて去ってくれることを願っているのだ。
でももしそうなれば彼は、歪む。
孤独を好む存在も居るが、彼はそうではない。 関わりを断ち、一人で長い時を過ごす内に精神が荒廃して、壊れる。
悪魔取りが悪魔になるーーーそうなった彼はもう、誰にも止められない。
孤独を癒すために、人を孤独に追いやる存在になってしまったとしたら……最悪の想像だ。
しかしそれは、基本的にあり得ない。
今彼の下に集まっている女は彼女を含め、心から彼を愛していると断言出来る人物達なのだ。 そして当然、彼が悪魔となることを望まない。
あのレイアが、姉ならば、それを望まず何としても阻止するはずだ。
彼女が弓弦の幸せを第一にする存在なのは、彼女にとっても既知だから。
だが彼を一人にすることが可能な人物は居るーーーそう、神ヶ崎 知影だ。
彼女が使える魔法は時間を操作する魔法。
そして彼女の望みは弓弦の愛を一身に受けることーーー彼が孤独のまま永遠の時を過ごすという最悪のケースは彼女にのみ実行出来てしまうのだ。
「そう…だよな。 良かれと思ってやったとしても…それが良いこととは限らない。 あぁ…良く分か「でもね」…?」
「でもね? お人好しで、優しいあなただから…私はあなたを好きになったのよ。 何度言わせるのもぅ…馬鹿な人」
だがこれは悪役というより、美味しい役の解釈の方が正しいだろうか。 それが下げて上げるベタ惚れ女、フィーナだ。
「すまん…じゃないな、ありがとう…って、俺が浮かない顔にさせられてるんだけど気の所為か?」
「さぁて、ね?」
「…人の言葉を取るな」
「取ってないわ。 もう何年一緒に居ると思ってるの? 移ったのよ」
物は言いようであるが色々互いに移ったのは事実だ。
「契り自体はまだ一周年だけど、同棲は今年で二百一周年。 ここまで一緒に居れば移らない方が不思議だと、そう思わない? あなた♪」
「ッ!? い、今ゾクッとしたんだがその呼び方は止めてくれ、ご主人様の方が呼ばれ慣れている分まだマシだ、頼む…! くぅ…っ、〜〜っ!!!!」
フィーナは時々「ご主人様」ではなく「あなた」と呼んでいるのだが、この反応は面白い。
弓弦の萌えのツボを確実に押せるので、可愛いもの見たさに言いたくなってしまうのだ。
タイミングを誤れば流されてしまうのだが、ドンピシャだとこの通りになる。
「あなた♪」
「〜〜っ、そ、それ以上言うな、頼む、頼むッ!」
「あ・な・た♡」
「た、たっ!? 〜〜〜〜っっ!?!?!?」
萌えのキャパシティを突破した弓弦は顔から湯気を立てて気絶するーーーのが彼女の予定であったのだが、手負い弓弦はただではやられなかった。
霞む意識の中彼女の犬耳に狙いを定めて全力の噛み付き。
「きゃっ!? な、なんでそんな力強く…きゃわんっ、だ、駄目…駄目よ…飛ぶ…飛んじゃっ、駄目ぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!! ……ぁ、ぁぁ…っ♡」
予期せぬ反撃に彼の身体をギュッと抱きしめながら、彼女の意識もまた、彼と同じように彼方に飛んでいき、逝った。
「…弓弦…フィーナ…惚気夫婦」
バカップル二人の間で寝ていたお陰で起こされたセティは、不機嫌である。
位置的にもう少し上ならばフィーナの胸に圧迫されていたので、その点は幸いであろうか。
上を見ると、二人が幸せそうに額をくっ付けて寝ており、弓弦の後ろでは寝惚けた知影が弓弦の腰に手を回していた。 何をしているのかセティには分からなかったので割愛する。
起こされたことには不満であったが、二人の夫婦仲が円満であることは彼女にとって、大変喜ばしいことであったので、彼女は抱き合う二人の腕の間に頭を突入させ無事抜けると、
「…でも…仲良きことは美しき哉…♪」
左右から二人の息が掛かる程の位置を陣取り、満足気に夢の世界へと旅立った。
「レオン、遂に、遂にこの物語をお届け出来るよ……!!」
「う~ん? どういうことだ~? と言うかお前さんこんな所に居て良いのか~?」
「お互い様だよレオン。 それに次の話はなんと、なんと、これだよ!!」
「お~? ……っ、こいつはまさか~まさかなのか~ッ!?」
「まだ、そんな描写は無かったよね!? 夏の終わりに始まったからね!!」
「お~お~、これは遂にだ~!!」
「いくよレオン! 『青と白のコントラスト。 そこを駆ける人の影』」
「お~! 『打ち際に踊る肌色は砂浜と戯れ、景色に彩りを加える』」
「『一人眺めるその者は、大海原に何を馳せるのか』」
「『ーーー肌色成分多目でお送りするお祭り騒ぎの次回、◯◯ッ!? ◯だらけの水平線を』」
「「『皆で見ようっ!!』」」
「ビールとつまみ片手と」
「糖分ちゃんと用意して」
「「楽し(んでくれ)めよ~?」」