出口をめざして
「こんなところか」
そんな声と共に出て来た弓弦はチャコールグレーのシャツに黒の上着を着用して青のジーンズを穿いていた。 襟から覗く胸元に彼女ーーーだけでなく店の女性までもが頰を染める。
そのことに少しだけ嫉妬心を抱くユリだが、それでは知影なので邪な心を追い出す。 因みに彼女の時も男性店員が眼を奪われていたのだが、彼女自身は弓弦の視線で思考が停止していたので気付かなかった。
「…良く、似合っているぞ…うむ」
「はは、ユリの方が似合ってるが…ま、素直にありがとうと言っておくよ」
「ありがとうございましたー!」と、店員の声に送られて外に出ると、太陽は南中の気配を見せていた。 同じように人の賑わいも昼の盛り上がりを見せ、人々は平和を謳歌し、闊歩していた。
時間帯といえば時間帯なので二人は昼食を摂ることにして、街内のレストランに腰を落ち着けた。
「しかし弓弦、警備をサボっての散歩などよくアンナ殿が許可してくれたな。 どうやって交渉したのだ?」
「ん、あのアンナが許可してくれるはずがないし、無断に決まっているだろ? 姉さんは知っているけどな」
「む…それは、大丈夫なのか?」
「あぁ、まぁなんとかするさ」
因みにこの時、ユミルではアンナの、弓弦に対しての怒りが頂点に達しているのだが、それを彼らが知る由はない。
「あの堅物騎士様もちょっとぐらいは許してくれるだろうしな。 それに警備はロダンとヤハクが居る。 まぁ万が一何かあったら跳ぶさ」
「さながら、助けに跳ぶ騎士という訳か…ふっ、弓弦らしいな」
「騎士なんて柄じゃないさ。 ただ、守りたいものを守ろうと、そう言っているだけさ」
「それが騎士らしいと言っているのだ。 因みに、守りたいものの中には私も入っているのか?」
弓弦はスプーンに乗せた食べ物を口に運び、飲み込むと得意気に笑う。
「さぁて、な?」
「…誤魔化すな、教えてくれ」
「さぁて、な?」
納得はいかなかったが、つられて昼食を食べ進めていく。
「ずっと気になっていたのだが何故弓弦はレイア殿のことを、『姉さん』と呼ぶのだ?」
「ん、気分だ」
「き、気分?」
「あぁ。 ん、あぁ悪いが、コーヒーと…」
「カフェラテを頼む」
通りがかった店員に飲み物を注文してから「そう呼びたいと思ったからだ」と、弓弦は答えを返した。 しかしユリはそれが嘘なような気がしてならない。 何か彼が隠しているような、そんな気がした。
「……何かあったのか」
「ん?」
気付いていないはずがないのだ。 彼女の眼から見ても、アンナの眼から見ても、二日前に二人でどこかに向かってから、レイアを遠ざけていたはずの弓弦が、彼女に対する呼び方を変えたのだ。 あからさま過ぎて唖然としてしまうようなものではあるが、本人達は兎も角、見ていたはずのユリ達でさえも違和感を感じない程の、自然体の接し方。 それはまるで、もう何年も前からそう呼び合っているかのようで、レイアが「ユ〜君」、弓弦が「姉さん」と呼び合うのをアンナが嫌っている。 最初は弓弦に対しての怒りかと思っていたが、どうやら何か違うようにユリには思えた。
「私には教えられないことなのか?」
「…いやまぁ…その、な…恥ずかしい話なんだけどな」
弓弦は『豊穣の杜』での出来事を掻い摘んで彼女に話した。
「…ボロ負け?」
「あぁ。 見事なまでのボロ負けでな、それで勝負前の約束通り、あいつが姉代わりになったという訳だよ」
「手加減した訳ではないのだな?」
「ユリの時じゃあるまいし勿論だ。 全力で勝ちに行って、それで負けたんだよ」
「な…っ、わ、私の時は手加減していたと言うのか!?」
弓弦は墓穴を掘るスタイルだ。
「い``っ!? そ、そんなことはないから安心しろ、な? あの時もそれなりには全力で戦ったんだから…あ」
繰り返す。 弓弦は、誰かさんと同じく墓穴を掘るスタイルだ。
「…そ、それなりに…だとっ、つまりそれは手加減していたということだな、そういうことなんだな弓弦」
「い、いやその「言い訳は訊きたくないぞ」…はい」
「‘引き分けだと…思っていんだけどなぁ…。’ これは…嘘を言った罰を与えないといけないようだな」
「…軽い奴にしてくれ」
勿論ユリとて、弓弦が中々本気を出さないことは知っている。 なんだかんだ彼は手加減をしてしまうのだ、しかしどれだけ本気でと言われてもそうしてしまうのが男ではないだろうか。 余程冷酷無比な人間でない限り仕方が無いともいえるが、もし弓弦が本気を出したら、大抵はひとたまりもないのだ。 銃弾は空間魔法によって全て弾かれるし、それこそアンナの時のように支配魔法で相手を操り、自滅させることも出来るのだから。
「うむ、このケーキが食べたいぞ」
「…ん、レアチーズケーキだな。 分かった」
コーヒーとカフェラテを運んで来た店員に、新しくレアチーズケーキを注文してコーヒーを口に運んだ。
「ふぅ、悪くない味だ。 どこに行っても美味いコーヒーに出会えるのは、ちょっとした幸運かもしれないな」
満足そうに舌鼓を打つ彼に対して彼女は少しだけ眉を顰める。
「弓弦は運が良いのだな。 これは…微妙だ」
「そうか…少し飲んで良いか?」
「うむ…」
許可をもらって口に運んでみると、意外にも悪くない味であった。
「あ」
「少し苦めだが、俺は悪くないと思う。 ユリには苦過ぎたのかもな」
「…う、うむ。 あ」
置かれたカップに視線を注ぐユリの顔に朱が差していく。 彼女はそれをすぐさま手に持つと、僅かな逡巡の後に口に含んだ。
「…うむ、甘いぞ。 凄く…甘いぞ」
「はは、まぁ無理するなよ?」
「〜〜っ、む、無理などするものか! 本当に甘いのだ!」
何故かムキになる彼女に少々面食らいながらも、それがおかしくて声を出して笑う弓弦。 程無くして運ばれて来たレアチーズケーキを見つめ妙な渋面をする彼女は、そんな彼にフォークを手渡した。 「食べて良いのか?」と訊いた弓弦に「馬鹿」と返して口を少しだけ開いた。
「まさか…おいまさか…っ!?」
「知影殿やフィーナ殿達にはやっているのだろう? なら私もこれぐらい、良い思いをさせてくれないか?」
「…〜っ! 分かった、分かったからそんな眼で俺を見ないでくれ…いや、ください…っ」
二人の他にも風音が以前、間接キスでショートケーキを食べさせてもらっていたことをバッチリ見ていたユリは、この機会を虎視眈々と狙っていた。
キスこそ就寝時以外の時間では難しいのでおいといて、弓弦からの、“あ〜ん”がまた、なんとも幸せなシチュエーションなのだ。
慣れた手つきで取り分けられたケーキがフォークに乗って、まっすぐ運ばれる。
「ほら、あ〜ん」
「〜〜〜っ!!!!」
チーズのまろやかな味わいが広がっていき、溶けていく。 普段食べるケーキよりずっと美味なのは、弓弦が食べさせてくれているという一種の恋愛補正があるためか。
「美味しいかー?」
「うむっ!! 弓弦の、もっと欲しいぞ!」
「ははっ、そうか? なら嬉しいよ」
彼女が嬉しそうに頬を染めるのが可愛くて、弓弦も自然と笑顔を見せる。 先程のユリの発言を耳にした男性の一部が彼女を見るが、舌打ちと共にその視線を戻す。
しかし光景としては二人が談笑しているようにしか見えないように、弓弦が“ディスミスト”の魔法を使用している。
「…はぁ、こんなことばかり慣れてしまったなぁ…」
「気にするな、私は楽しいぞ」
「はは、楽しんでもらわないと困るぞ? 凄い恥ずかしいんだからな、これ」
「ならもっと恥じらっても良いと思うぞ? 今の弓弦はどこか、やっつけ作業をしているみたいでな、心ここに在らずといった感覚がするのだ」
固まる弓弦に、早く次を食べさせてくれるように口を少しだけ開けて急かす。
「…しかしこうやっていると、小動物を餌付けしているみたいで楽しいな。 腕は疲れるけど」
「小動物…私は弓弦に、小動物として見られているのか……うむ、悪くないぞ」
「そりゃあ褒め言葉のつもりで言ったんだからな。 具体的にどんな小動物かって訊かれると困るんだが」
「うむ…では私はどんな小動物に見えるのだ?」
「おい…っ!」
直前の言葉を完全に無視した問いに弓弦からツッコミの言葉が入るが、彼女は相変わらず、手に口に急かす。
「ユリは…土竜なの…っ!?」
「なの?「噛んだだけだ、気にするな!」…うむ」
土の竜と書く名前に案の定シテロが反応し、何故か弓弦の語尾を変えさせたのだが、咳払いと共に戻す。 最後のケーキを彼女の口に持っていくと話を続けた。
「恥ずかしがり屋で、少し強がって外に出てみるけど、怖いものがあるとパニックになるとか似ていると思わないか?」
「む…私は恥ずかしがり屋ではないし、怖いものを見てもパニックにならないぞ」
「本当に…そうか?」
真顔で見つめてくる彼に、ユリはなんともいえない不安感に駆られるのだが、会計を済ませた彼にそのままどこかに連れて行かれた。
「ぁ、ぁぅ…っ、ゆ、弓弦ここは駄目だ、こんな所に入るなんてそんな馬鹿なことは止めてくれ…っ」
二人は『人形の館』とボロボロの看板が立てられた建築物の入口に立っている。 何故か街の内部にあり、周りの空気と溶け込んでいることから、木を隠すなら森の中、建物を隠すのなら街の中を優に表していた。
しかしそこだけ空気が違うのも確かであり、いかにも何かがありそうな雰囲気を醸し出していた。
途中までは弓弦に手を引かれて赤くなっていたユリであったが、この場所に立った瞬間その表情は青褪めた。
「怖いもの、大丈夫なんだろ? そら行くぞ」
「ぁぅぁぅぁぅ…っ、弓弦…っ」
「ならユリを小動物に例えると土竜になるって、認めてくれるのか?」
「み、認めるものか…っ」
「…可愛くて良いと思うんだけどな? 本当に行くのか? 引き返すのなら、今の内だぞ?」
挑戦的な彼の視線に見つめられたユリは、胸元のロケットペンダントを握りしめて勇気を奮い立たせる。
「参るぞッ!!!!」「あ」
死地に赴く突撃兵の足取りで彼女は、一人で館内に突入した。 今回は本人も居るのだ、例え何かが出たとしても怖くないと自分に言い聞かせていると、音が聞こえたので振り返った。
「ふ…ふっ、どうだ弓弦! 私は怖がりなどではなぁぁぁぁぁぁっ!?」
すると、それを待っていたかのように扉がひとりでに閉まり、頼りにしていたその当人と離されてしまい扉を叩くが、扉はビクともしなかった。
「ぁ、ぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅ」
ガクブルガクブル。
「ユリ!」
「っ、弓弦!!」
扉の外から聞こえてきた弓弦の声に返事をして、扉を開けようと銃を構えた。
「こちら側からじゃ開けられなさそうだ! そっちはどうだ!?」
「っ!!」
引き鉄を引いて銃弾での破壊を試みるも、何かの障壁に弾かれて傷一つつかない。
『我は天帝より遣わされし審判者! 其の裁き則ち、邪たる者を滅する聖なる光、也! 光あれかし、穿ち、滅却せよッ!!!!』
“ジャッジメントレイ”も、
『紡ぎし言葉は其の魂呼び覚まし、紡ぎ声音は其の魄呼び寄せん! 我が呼び声に応え万象一切浄化せよッッ!!!!」
“プルガシオンドラグニール”でさえも扉に傷を付けることは出来なかった。
「この、壊れろぉッ!」
『光魔力擬似核爆発弾』を装填し発射するも、爆発はどこかに吸い込まれたかのように消え、やはり無傷であった。
「っ、凄い音がしたが大丈夫か!?」
「ぁぅ…弓弦どうしよっ、ど、どうすれば良いのだ…!!」
もう打つ手は無い。
持てる最大限の火力を放って傷一つ付かないのだ、彼女にはもう、外に居る弓弦に助けを求めることしか出来ない。
「っ、強力な魔法抵抗だな。 だがどうやら裏口があるみたいだからそっちから回る、そこまで行けるか?」
「…っ、う、うむ! と、取り敢えず奥まで進めば良いのだな!」
「あぁ! ここの館、出るらしいが、ユリなら大丈夫だよな。 よし、じゃあ裏口で落ち合おうな!」
彼女に比喩的に雷が落ちた。
出る、ということはつまり、そういうことだ。
遠去かる足音に心細さを覚えつつも、ユリはライフルに弾を装填した。
「……。 参るぞ、私!!」
裏口というからにはつまり、二階部分には行く必要が無いということであり、そのことだけは重畳であった。
足音を殺し、周囲を十分に警戒しながら素早く移動してエントランスの扉を引くと、開かない。
「な…っ」
視線を落とすと、錠が掛かっており、この先に進むには鍵が必要なようだ。
背中に冷たいものが流れるような気がしたが、別の扉を順に見ていくと、一箇所だけ開く扉があった。 生唾を飲んでその奥へと足を踏み入れていくと、何かの気配があるような気がして銃口を向ける。
ユリは狙撃者という立場柄、気配に敏感だ。 どのような気配でも感じ取り、リスクマネジメントをする。 そんな彼女が気配を一瞬だけ感じ、何も感じなくなった。 確かに感じたのに、だ。
それはまるで、彼女が気配を感じ取るよう意図的に放たれていたように思えて、気味が悪かった。
「誰だッ!!」
誰何の声を上げても当然、帰ってくる言葉は無い。
胸のペンダントを握って気持ちを落ち着かせて一歩、また一歩も奥へと進む。
ーーーピタ…ッ。
「っ!?」
何かが蠢く音に身を縮こめるーーー扉の先だ、錠は掛かっていない。
深呼吸の後に意を決して扉を開け放つと、館の住人だろうか、人が居た。 人が居たことの安心感と、不自然な違和感という二つの感覚を覚えながらも声を掛けると、その背中が動いた。
「住人の者か、良かった…まず突然邪魔したことを詫び…?」
鼻をつく謎の臭いに眉を顰めるーーー何かがおかしい。
住人らしき人物がゆっくり、ゆっくりと振り返ったその瞬間、ユリは自分の眼を疑った。
「ぁ…ぁ…っ」
爛れた皮膚、眼球の抜け落ちた眼。 何故気付かなかったのか分からない程にボロボロである服、鼻をつく腐敗臭ーーー
「きゃぁぁぁぁぁぁああっっっ!!!!」
認識した瞬間、反射的に引き鉄を引いていた。 兎に角眼の前のモノは怖いと、本能が、悲鳴を上げている。 発射連射乱射。 もう見たくない、聞きたくない、全てを拒否したくて、銃弾を、魔法を放ち続ける。
館自体は魔法で破壊出来ないことを幸いとして、彼女は最大火力をぶつけて、部屋を光に包んだ。
「はぁ…っ、はぁ…っ、鍵…」
何も居なくなった部屋に落ちていた鍵。 きっとこれで、どこかの扉が開くのだろう。
そしてその先にはーーーというところで考えを打ち切る。 今は裏口に出ることが最優先だ。
「っ!?」
引き返すと背後で扉が閉まり、鍵から光が放たれ、一つの扉の錠に当たったので、身を縮めて扉の前へと向かい、錠を外してその先へ。
「……」
カタカタと震える銃をなんとか支えて、奥の扉を開ける前に、注意深く観察すると、上に“泥人形の間”と血文字で書かれていた。
何が来るか分かったものじゃないので、魔法を発動待機状態にして、扉を蹴り開けた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!?!?」
何かドロドロしたモノが居たので即発動。 疲労感を覚えつつも無事、消滅させた。
調度品が割れて凄惨たる惨状になっている部屋を見回すと、やはり鍵が見つかった。 策略めいたものの予感がしながらも、弓弦の信頼に応えるために彼の力を借りて、引き返す。
同じように扉を開けて奥へと進むと、“藁人形の間”と書いてある扉の前に着いた。
「助けて弓弦ぅぅぅぅううっっっ!!!!」
モノが視界に入る前に部屋内を浄化させる。 どんなに怖くても、視界に入らなければ大丈夫なのだ。
素晴らしい発見をした自分を褒めてやりたかったが、それは後回しにして、次の扉へと進んだ。
* * *
「……」
「弓弦、落ち着くにゃ」
「落ち着くのー」
ソワソワと忙しなく館の裏口を歩いていた弓弦は、悪魔一人と一匹に宥められて壁に凭れた。
ユリが館に入ってから一時間。
この場所に着いてから、彼は落ち着いてはソワソワ落ち着いてはソワソワの繰り返しなのだ。
「しかしだな…さっきからユリの悲鳴が聞こえてだな、心配なんだ」
「にゃら何故こんにゃことをしたのにゃ? これまでのことから、どう考えてもこうにゃることは予想出来たはずにゃ」
「昔ある人が、友人にお化け屋敷に入れられて、死にそうな思いで脱出した時からお化け嫌いが改善したそうだ。 だからユリにも効果があるかなぁ…って思ったんだが…これが思いの外…なぁ」
「でもよくこんにゃの思いついたのにゃ。 魔力は大丈夫かにゃ?」
弓弦は今、この状態を作り出すために途方も無い程の魔力を消費している。
銃弾とユリの悲鳴が聞こえて来る館内に向けようとする足は微かに覚束無い。
「見ての通りだ。 まぁユリならここまで来てくれると勝手に考えている訳だが、どうも駄目だな」
「ユールは心配性なの、だからここで私とお昼寝するの。 気持ち良いのー♪」
「はぁ、地べたで寝ないでくれ。 汚れるぞ」
横になろうとするシテロを立たせてクロを戻す。
魔力の浪費は避けたいのだが、彼女は戻してもすぐ出て来てしまうのだ。
一日中構ってやれなかったのもあるのでそうそう無理にすることも出来ず、出突っ張りにさせているのだ。 困ったものであるとはいえ、なんとかならないものかとは思うが、どうにも出来ない。
しかし弓弦一人だと、今頃彼女の下に行っていたであろうことを考えると、その点では助かっていたりする。
『脱出までにどれぐらいの時間を想定しているのにゃ?』
頭に響くクロの問いに思案する。
「三時間は絶対に越えないはずだ。 後大体、三十分ぐらいで出て来る……はず」
『にゃはは、悪化しにゃいと良いけどにゃぁ。 光魔法使いがお化け嫌いにゃんて、ギャグにしては笑えにゃいんだから』
「女の子は弱いけど強いの、強いけど弱いの。 でも強くて弱いのー」
「あぁそうだな、心の持ちようで変われるんだ。 きっと…大丈夫だ」
『今の言葉でよくそこまで汲み取れたのにゃ、凄いにゃ』
「はは、一緒に居れば少しずつだが分かるような気がするものなんだよ、な?」
弓弦が得意気な視線をシテロに向けると、シテロも同じように向けていて二人笑った。
「そうなの、私もユールのこと少しずつだけど分かってきてるの」
『はいはい、惚気ご馳走様、にゃ。 知影に殺されにゃいよう注意するのにゃ』
弓弦が知影達のことを忘れたことは一度も無い。
時々フィーナと連絡を取って様子を聞いているし、今日街を回っている間、さり気なくお土産を物色していた。
勿論ユリとのデート中に他の女の子の物を買うなど御法度も良いところなので明日買いに行くつもりではあるが、フィーナの指輪だけが中々見つからなかったりする。
こう、ピンとくる物が一つ足りとも見つからなかったのだ。 今回は彼女に一番迷惑を掛けているため、例の件も兼ねて、ちゃんとした物を贈ってやりたいのだが……
「はは、まずはそれより先にアンナに殺されそうだ」
『言えてるにゃ』
しかし目処が立っていない訳ではなく、明日は明日で遠出をすることになりそうであった。
「ん…この音は」
館から謎の音楽が流れてくる。 それはユリが最後の間に辿り着いた合図と証拠であり、彼はホッと胸を撫で下ろすのだった。
* * *
「はぁ…っ、はぁ…っ」
その部屋は、空気がこれまでの部屋とは違った。
開けた途端、蝙蝠が彼女の横を通り過ぎる。
思わず腕で遮り、通り過ぎたことを確認してから見た部屋は、多くの、今にも動き出しそうな、恐ろしい表情を浮かべた蝋の人形と、壁に飛び散ってた痕のような何かと液体とがまるで、「助けてくれ」と叫んでいるように思えた。
視界が白いものに包まれていくーーー霧だろうか。
弾倉にある残弾の量を確認して、装填する。
「ーーー!!!!」
悲鳴、自分のものではないそれが聞こえたかと思うと、雷鳴が轟く音が響き渡る。
閃光の中で映った黒い影が何かに貫かれていく光景、泣くように恐ろしい音が人形達から聞こえ、耳を劈く笑い声までも何処から聞こえた。
ーーーha!
次の瞬間、恐怖の淵に堕とされた彼女の中で、何かが決壊した。
「もういやぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああっっっ!!!!」
謎の音楽が流れる中で彼女はありったけの銃弾を発砲していく。
方向、残弾、一切構わずただ引き鉄を引き撃鉄の音を響き渡らせる。
銃弾が発射されないことを分かると、懐から特殊弾を取り出して装填、ひたすら撃つ、撃つ、撃つ。
霧が薄れると、中央にあった人形が突然動き出し、彼女を見る。
人とは思えない程に白い顔に眼元が黒縁で囲われた異形の相貌を持つ化物が現れた瞬間、銃口を向けて引き鉄を。
「私の前から消えてぇぇぇぇぇぇぇぇええええっっっっ!!!!」
奥への扉が開くと、涙声で叫びながら脇目も振らず部屋を突破していく。 後ろで扉が閉まろうが、何が現れようがもう、関係無い。
直線上の道の先に見える光に向けて彼女は走る。
「ーーー!!!!!!」
居た、光を背負うようにして彼が。
館に入ってからずっと、彼女が一番会いたかった人が立っていた。
しかし、疑問符が浮かんだ。
“彼は本当に橘 弓弦”なのかと、実は彼もお化けではないのかとーーー館内での出来事は彼女を疑心暗鬼に陥らせるには十分過ぎたのだ。
しかしこの安心感は何だ、確かな存在感と彼女を迎えようと広げられる腕。
心労からか顔色を悪くしながらも一生懸命作った笑顔を向けてくれている彼から放たれる優しい気配は。
本人とか、本人でないとかもう、どちらでも良かった。 違ったらその時はその時なので、彼女は彼を押し倒さんとする勢いで抱き付いた。
「おわっ!?」
「ぁぅ、この匂い…この感触…弓弦だぁ…っ!!」
抱き付いて、それが本人だと確信すると彼女の中で波が押し寄せる。
一度決壊した彼女の心は、ただひたすらに彼を求めていた。
「私、頑張った…っ、一人で行けたよ…っ!」
「あぁ、良く頑張ったな。 もうこれで怖いものは無いという訳だな」
「うん…っ、もっと褒めて…」
「はは、偉い偉い。 ユリなら突破してくれると信じていたが、本当に良かった」
頭の上に乗せられる温かい感覚。 頰が緩んで笑顔になって、緊張の糸が切れ腰が砕けてーーー負ぶわれる。
胸から伝わる規則正しいリズムが彼女の心を落ち着かせ、癒していく。
「弓弦、なんでこんな場所に連れて来たの」
「ん…ユリが怖がりを否定したからそれを、証明するためじゃなかったか?」
「私は土竜じゃないよ」
「それは頷けないな、ユリは土竜だ。 ……だがなんで、そんなに土竜が嫌なんだ?」
答えるのが恥ずかしいのか、ユリは沈黙し、少しの間を置いてからポツリ、「可愛くない」と呟いた。
「ぷ…っ、はははははっ!! 十分可愛いじゃないか! 俺は好きだけどな、土竜」
「……本当か? 本当に、可愛いの……か?」
「あぁ、可愛いしユリにピッタリだと思うな…って、犬耳触るな」
見えないだけで、犬耳がある位置を触ってみると感触があったので、彼女は片方の手で触っている。
頰を赤くしながら横眼で見てくる彼の姿は、可愛く思えてくる(※彼女視点)
「弓弦は、犬」
「はは…あぁ、自意識過剰だと思われたくないが自覚しているよ。 それ以前に犬耳あるしな」
「わー♪」
魔法が解除されたことで現れ、ピコピコと動かされた犬耳にユリが歓声を上げる。
彼女らしくない珍しい声のトーンに思わず弓弦は咳払いをした。
あまり人に見られたくないので、本日何度目か分からない幻魔法“イリュージョン”を使用して人眼から隠れると、ユリに掛けていた“ディスミスト”を解除して茜色に染まる街を歩く。
「わ、私重くない?」
「重くない重くない、軽いぐらいだ」
「そ、そう……か、う、うむ、そうか」
「口調戻すんだな、アレはアレで良かったのに」
「は、恥ずかしいの……だ。 な、慣れない口調だから…な」
「はは、どっちが慣れていないんだか。 今相当ぎこちないぞ、あの口調の方がすんなり出ていたけどな…ってひゃうっ!? み、耳は食べ物じゃなぁぁっ!?」
犬耳を甘噛みされることで、身体中を駆け巡るように流れる電流に耐え切れない彼は、路地裏まで走り彼女を降ろした。
そのままジリジリと彼女から距離を取るように後退る。
「これは私に襲え、と言っているの……だな」
不敵な笑みを浮かべるユリ。
「言っていないから。 何を突然、馬鹿なことをするんだよ…はぁ」
「何って…仕返し……だ」
「は?」
「私が気付かないとでも思った? あの館は弓弦が作った幻覚だってこと、バレているから……な」
そう、ユリは怒りを覚えていた。
そして弓弦が人気の無い場所まで自分を運ぶように仕組んだ。
口調以外は全て、自分を散々怖がらせた弓弦に仕返しをする作戦の下準備だったのだ。
「怖かった…怖かったの……だ。 なのに幾ら助けを求めても来ないし、向こうから助けに来てくれるかと期待していたのにも裏切られ、挙句出口で悠々と待っていたとは憤懣遣る方無いの……よだ!」
静かに顔を俯かせた弓弦の肩が、震える。
「……は、はははははっ!! それは本人に言ってほしいものだな!!」
「……っ!!」
面の上がった彼の顔には、何も無かった。 眼も鼻も、口も、全てが。
「まんまと騙されるとは…っ、はははは!! 幽霊を橘 弓弦と勘違いするとは…余程怖かったと見える!!」
ユリの背後に結界の気配。
どうやら閉じ込められたようで、幽霊を見る眼に怯えの色が塗られ始める。
「しかし嬉しいぞ? これはあの男もきっと喜ぶよな、怖がりのお前が怖がるべき対象相手に心を落ち着かせていたのだから!」
「……っ!」
銃口を向ける彼女を、高笑いする弓弦?はおかしそうに見下ろす。
「怖いか、苦しいか…! 例え鎧を纏おうと…心の弱さまでは守れないのだ…!!」
嘲笑う者に向けて震える銃口をから放たれた銃弾は寸前で阻まれたものの、それが狙いだ。
「…土竜は確か鼻が優れていて、匂いで立体的に相手を判断出来ると聞いたことがある。 弓弦の言う通り私は土竜なのかもしれない」
突如として膝を付く弓弦?にユリは歩み寄る。
「またその唾液には麻酔作用もあるらしいから、少し真似してみたけど、やった効いてきたみたい……だな」
「……」
無いように、“見させられていた”弓弦の顔のパーツが現れる。
先程掛けられた“ディスミスト”が解除されたのだ。
「…もしかして全部、演技だと分かっていたのか? だとしたら俺凄〜く馬鹿な…ことをしてた…ことに…なるん…だが…?」
「うん、凄〜く馬鹿なことをした、偽者だと言った時なんか特にね……な。 間違えるはずがない、だって私……」
麻酔による猛烈な眠気に意識を奪われそうになっている弓弦は、舟を漕ぐ頭を必死に抑えながら、近くにある彼女の得意気な顔を見上げると、彼女は視線を逸らしかけるも、すんでのところでその視線を重ねて、顔を茹で蛸にした。
「あなたの匂い、覚えちゃったから」
「〜〜〜〜っっっ!?!?!?!?」
それが、この日の皇都カズイールでの、最後の記憶になるのであった。
「っ…あの男め…フラフラフラフラとどこをほっつき歩いているんだ…っ」
「ありゃ…荒れてるね…」
「でもお兄さんのやってることはいけないと思うなー、なーなー」
「そうだ、あの男のやっていることは責任放棄、外道のやることだ…っ、あぁ腹が立つ!」
「ユ~君は女の子に優しいんだよ。 放っておけないんだから仕方が無いと思わない?」
「フン…ならば私のことも少しは配慮してほしいものだがな」
「配慮して「しーっ!」」
「…もう良い。 帰って来たらみっちり締め上げてやる…ッ!!」
「あ、待ってよー! レイちゃん、私追い掛けるね!!」
「おろ…元気だなぁ、えへへ。 なら私が予告ってことになるのかな。 よーし。『感謝の想い。 これまでも、今回も助けられっぱなしのユ~君は、あの子に、とっておきのプレゼントを贈ろうと考える。 …わざわざそんなことまでしちゃって…他の女の子に嫉妬されても知らないよーーー次回、贈る指輪』…ユ~君が襲われないようにお姉ちゃん、頑張らなきゃね♪ 歌と想いが、力になるよ。 大好きなユ~君、お姉ちゃんはいつでもユ~君の味方だからねー♪」