若い二人は
洞窟で一晩を過ごし、見事朝帰りを果たした弓弦とレイアは宿屋の前で正座していた。
二人の眼の前では般若が降臨している。 召喚魔法でも、悪魔でもなく、アンナだ。
ーーーこの世界に来てから八日目、豊穣祭六日目。
「もう一度訊く。 何をしていた」
「いやだから二人寝ていただけ「だけであるはずがなかろうッ!! 言え、何をしていたッ!!」
「…あ、アンナちゃん本当のことだから信じて…ね?」
「分かっている。 庇わなくても良いのだ…この男には制裁が必要なのだからな」
「何も分かっていない」…と二人の心情が一致する。
先程からこれの繰り返しで弓弦は、いつまで経っても解放されない。
「巫女…肌を傷付ける。 頼むから正座を止めて家に戻れ…なに、悪いようにはせん」
「…レイア「……」…姉さん、俺は良いから「姉でもない人間を姉と呼ぶなこの馬鹿者ッ!」
弓弦ももう、どうして良いか分からなくなっている。
『姉さん、俺は良いから』
『でも…お姉ちゃんの所為でユ〜君が怒られてるんだから…』
『俺は良い。 だが今日と、明日…姉さんも、フレイも神楽を奉納しなきゃいけない。 体力は温存しとかないと…だから、な?』
『…………』
『姉さんが倒れるようなことがあっては駄目だろ? 俺は、嫌だな』
“テレパス”で会話をしている二人だが、アンナから見ればアイコンタクトをしているように見えてやはり、腹立たしい。
「…アンナちゃん、ユ〜君をあまり怒らないであげてね」
「……」
「ユ〜君、ごめんね」
「良いって。 ほらもう身体休めに行ってくれ」
悲しい光を帯びた瞳を伏せるとレイアは、ゆっくりと、途中何度も振り返りながら家に戻って行った。
「…本当に何もしていないのだな?」
「あぁ。 疲れて二人で寝ていただけだ」
「……どうして洞窟に行こうと思った」
「……俺が誘ったんだ。 不思議な場所を見つけたから一緒に行かないか……って」
勿論嘘だ。 しかし罪を被るのは自分だけで良いと、そう弓弦は思っていた。
「それで巫女を危険な目に合わせたのか」
「危険な目?」
「惚けるな、戦闘があっただろう…【リスクX】ルフェルとのな」
「は? あいつが現れたのか!?」
誤魔化していると思ったのか、苛立たしげに腕を組んだ彼女は抑えた声音で話す。
「あれ程辛酸を舐めさせられた化物の魔力…ハイエルフでなくとも分かる。 …本当に何も知らないのか? 怪我とかも?」
「…回復魔法を掛けられた感覚も無いからな。 奴が現れたのなら怪我を負っていないというのは不自然だろ?」
低い声で唸りながら暫く考え込んでいたが、結論が出なかったようで舌打ちと共にそれを止める。
「もう良い、怒る気も失せた。 とっとと私の前から消えるが良い」
「? あぁ、そうさせてもらう」
背中を向けた彼女を置いて、弓弦は宿の中に戻って行った。
それを確認してからアンナはその場を後にする。
「『ルフェル』は居た…だがあの男は嘘を言っていない。 つまり、何かあったとするなら巫女…になるのか」
戦闘があったのは間違い無いはずなのだ。 しかし弓弦もレイアも無傷というのはおかしく、なら戦闘自体が無かったと考える他あるまい。 例えば威嚇のみに止めたとか、興味が失せて帰って行ったか。
ルフェルは気紛れな【リスクX】なのでその可能性もあるが、弓弦が本当に覚えていないということはつまり、レイアと何かしらあったということになってしまうのだ。
ならばレイアとルフェルが戦闘を行ったという線は?
「そんなことがあるものか。 馬鹿者か私は」
取り敢えず否定してみたものの、その線で考えてみると辻褄は合う。 レイアの性格から鑑みても、何故か彼女が弟と認識しているあの男、弓弦のために立ち上がり、彼を守るために立ち向かう可能性は大いにあるのだ。
とすると、なおさら無傷というのがおかしく思えて仕方が無いのだ。 回復魔法とは基本的に光系統に属する魔法であり、地水火風の属性にも一応無くはないのだが、いずれも上級魔法であり使える隊員は少ない。
レイアがこれらの魔法をどれか一つでも使えたとするのなら話は違うが……
が、結局のところレイアが一人の力で勝利したという可能性は、ある。 かつてアンナとカザイが二人がかりで撃退した悪魔を一人で、無傷で倒すことが出来る可能性は、あるのだ。
しかしいずれにせよ栓無きことであり、これ以上考えても無意味でしかないので彼女は頭を振ると、剣を抜いた。
相手が居ないのが少々物足りないが剣士たるもの、研鑽の日々に終わりは無い。
「…ッ!!」
縦に振るう。
次に突き、払い、それに重ねるように交差斬り、勢いを活かし捻って横一閃。
「…違う、もっと疾い」
思い通りの太刀筋にはまだ遠く、口に出して相違点を言ってみる。
弓弦に「遅い」と言っておいて自分がこのザマなのだ。 あの時のような速さの斬撃は放てそうになく、手を強く握りしめ歯噛みする。
そう、あの男には負けていられない。 絶対に、
「私の方が強くなければ…いけないんだ…ッ!!」
あの男に負けるようでは自分の立場は無いし、不甲斐無さに腹が立つ。 曲がった根性を叩き直したくて仕方が無いのだ、特にあの男は自らの手で一から叩き直してやりたいと、そう強く願っているのだ。
あの時弓弦に向けて言った言葉は嘘ではなく、彼女の本心からの気持ちだ。 故に本気の感情が込められた“エクスカリバー”は今までに無い程の威力を以って弓弦を吹き飛ばしたのだ。 本人からすれば素晴らしい程にいい迷惑極まりない。
「…ッ」
また妙に苛々させられる。 魔力を調節して殺傷性を減らしたとはいえ、ああも何事も無かったように帰って来られるのは癪なのだ。
死なれても困るが、死の危機に、これまでの自らの行いを反省して悔い改め、生まれ変わるのなら、手ずから騎士道を教えてやりたい。 真面目な人間に更生してくれれば……
「…フッ。 叶わない願い程、こうも叶うことを願いたくなるものだ…」
やはり栓無きこと。
静かに頭を振ると、心の赴くまま、自然に構えを取る。
「…一ノ太刀を抜いて、砕く」
鞘を走らせ、抜刀と同時に斬り抜け、納刀。
「二つの斬撃裂いて、断つ」
再び抜刀して交差斬りを放つ。
「三つの軌跡が縛り、封じる」
再び斬り抜けると同時に三度斬り付け、納刀。
「四つの閃き闇を、喰らう」
抜刀。 二度の回転斬りから、飛び退りながらの斬り上げの直後、大きく踏み込んで、右下からの逆袈裟斬りを放ち、納刀。
「…!!!!」
身体が軽い。
太刀筋も、身体捌きも記憶の中のものと寸分違わないものが放たれていく。
「五つの刃が星を、描くッ」
抜刀と同時に刹那の内に駆け抜ける。 五芒星を擬えるように何度も斬り抜けると同時に刃を光が覆い、切先が伸びていく。
「ハァァ…ッ!!」
最も抜刀術に適した、刀の形をしている得物にもう片方の手を添えて、突撃する。
「六つの突きは疾く、鋭くッ!」
真空刃を纏いながらの鋭い突きを連続して放ち、突き抜けると同時に納刀すると、大きく踏み込む。
「…ユ「何をしているんだ?」ッ!?」
肩をビクッと震わせると鞘から抜こうとした手を止め、その背後の人物に、
「つぐぉっ!?」
ラリアット。
「いっつッ!!」
「私の背後に立つなこの大馬鹿がぁッ!!」
「や、止め…う、腕が変な方向に…っ、曲がったぁぁぁぁぁっ!?」
からの腕ひしぎ十字固めが極まり、憐れな弓弦の悲鳴が村に響き渡った。
「っ!?」
「う…腕があらぬ方向に…ぃっ」
アンナが気付いた時には既に、弓弦の意識は飛びかけており、その身体はプルプルと震えていた。
「ふん」
グギリ…ッと聞こえてはいけない音を聞こえさせて彼女は彼を解放する。
「ふん…惰弱だな。 この程度で音を上げるとは」
「……」
「おい、何とか言ったらどうなんだ橘 弓弦」
しかし、返事は無い。
身体を地面に投げ出したまま閉じた瞼も上がらず、聞こえてくるのはある程度規則的な呼吸だけーーー見事なまでの気絶であった。
最初は放っておこうと考える彼女であったが、以前地べたに寝ると身体を痛めると言った手前そのままにしておくのもどうかと思えてしまい、結果、
「…ふん、私の器量の広さに感謝するが良い」
膝枕になる訳であった。
「ん…んん…っ」
朝、眼を覚ましたユリはまず、隣を見る。 そこに彼が寝ているか寝ていないかで朝のテンションを決めるのだ。
「……」
居なかった。 彼女の隣で寝ている彼は今朝もどこかに行っているようであり、早朝には隣で寝ている姿を見たのだが、いつの間にか外に出て行っていて、当然彼女は若干不機嫌に頬を膨らませることになった。
「弓弦殿…」
ここでの生活も、今日含め残り二日。 この任務に就く前より仲は進展したように思えるが、そうでもない。 全然独占出来ないのだ。
例えば昨晩も、突然起きたと思ったらどこかに飛び出して行った。 妙に焦っていたのが気になって聞こうと思ったのだが、それを許さない雰囲気であったので仕方無しに、彼の温もりが残る布団に篭って寝ていると、暫くして帰って来て、「これでやっと…っ」と彼女が喜んだのも束の間、また起き上がると外に出て行った。 そして今の今まで帰って来ていない。
悔しいし、寂しいので取り敢えず窓から外の空気を吸おうと顔を出したところでその動作は止まったーーー否、信じられないものを見て固まったという表現がこの場合は正しいのかもしれない。
確かに普段のその、人物達を見ていれば眼を疑ってしまうであろうことは間違い無いのだ。 まして、未だかつてその者の、そこまで柔らかい表情を見たことがあろうか。
彼女は気付かれないようにそっと身体を引っ込めると、そのままへたり込んだ。 確かにそんな感覚はあった。 こうして事実を見てしまうとそういった感情に対する行動としても取れてしまえる。
「…いや、そのようなことは…うむ」
自身を何度も落ち着かせると、意を決して扉を開け外に出ようと試み、開け放つ。
「む?」「ん?」
下に降りようと一歩踏み出すと隣から、先程まで下に居たはずの人物が現れた。
「アンナ殿?」
「…クアシエトールか、今日は早いな」
鎧を脱いで、首にタオルを掛け軽装の彼女は風呂上がり直後らしく髪が項に張り付いており、袖から覗く肌から湯気が上っている。
「うむ…弓弦殿の姿が見当たらなくてな。 何処に居るのか、アンナ殿は知らないか?」
「…あの男なら人の説教の途中で堕ちたからそのまま捨て置いた。 フン…つくづく腹立たしい輩だ」
怒りを滲ませている声で言いながら壁に寄りかかり、頭を押さえる。
「まったく良い度胸をしているものだ…私を、ここまで怒らせているのだからな…!!」
「“エクスカリバー”」や、「塵一つ残さず」と、続々不穏な恨み節が呟く、剣呑な雰囲気に呑まれた彼女が何も喋れないでいると、怒り心頭に達したのか、アンナは扉を乱暴に閉めて中に戻って行った。
「そうだ弓弦殿は」
外に出ようとして、一瞬見えた背中に振り返ると、机に突っ伏するようにして探し人が寝ていた。
「…すぅ…ん」と小さく寝息を立ている彼の姿に後ろ髪引かれる思いではあったが、我慢してその背中に上着を掛けると、扉を開けて、
「……」
そっと閉めた。
どうやら先程上から見た光景は見間違いであったようで、確かに人二人が寝ているのだが、どちらも男であった。 別に特段嫌悪感を抱くという訳ではないが、ユリとしてはあまり見たくない光景ではあった。 肩が上下していないような気はしたが。
宿の中に戻った彼女は弓弦の身体を揺すって眼を覚まさないことを確認すると、その正面に座った。
「…ぅ…Zzz」
時々聞こえる彼の声が妙に艶っぽく聞こえ、もっと聞こうと耳をそばだてる。 接近し過ぎて息が耳にかかると、背筋がゾクゾクゾクッとする、寒気ではない不思議な感覚を覚え、鼓動が速まるのを感じた。
「ぁぅぁぅぁぅ」状態で、他者から見れば若干どころか、大いに挙動不審である。
「弓弦殿…良い香りがするな…っ♪」
髪の匂いを嗅ぐと、風呂にある石鹸の匂いに混じっていつもの彼の匂いがする。
しかも今日はいつもより匂いが強いような気がしてもっと匂いを嗅ぎたくなる。
「?」
違う。 これは彼の匂いでない、これはーーーッ!?!?
「……ん」「ッ!?」
身動ぎした彼の肩から落ちそうになった上着を整えると、その顔が上がった。 開ききっていない瞳を見るに、寝惚けているのだろうか。
カクンカクンと首が船を漕ぎ、いつ椅子から転げ落ちるのか分からない程危なっかしく、気が気でないユリはふと、頭上ーーー二階から視線を感じたような気がしてその視線を辿り二階を見る。
するとなんというタイミングの悪さか、弓弦の身体が大きく揺れ、椅子から投げ出されそうになり、咄嗟に彼女は、隣からそれを抱き留めた。
「ひゃぅ…」
「〜〜っ」
犬耳に息がかかった彼の口から溢れた変な言葉に、彼女の顔から湯気が出て、抱きしめる力が強くなる。
「弓弦殿ぉ…それは反則だぞ…っ」
眼の前の生き物の愛らしさ(※彼女視点)が止まるところを知らな過ぎて真剣に困る。
日頃の格好良さ(※個人の意見です)を見ていれば見ている程、ギャップにやられる。 まぁ男を抱きしめて恍惚とした表情を浮かべている女の図がここに出来上がる訳ではあるが、誰にも見られていないのが幸いか。
「……」
「……」
否、当事者が見ていた。 ユリではなく、弓弦が。
「その…苦しいから離してくれないか?」
「す、すまぬっ」「どわっ!?」
解放され尻餅を付いた弓弦は、埃を払いながら立ち上がった。
「ん? つつ…首が…っ」
「首? どれ、見せてみろ」
彼が手で押さえる首筋を見ると、打撲痕がそこにあった。 すぐさま彼女は“ヒール”を使い傷を癒すと、それは消えた。
「うむ、痛みは無いか?」
「…あぁ、無い無い。 ありがとな」
「そうか、それは何よりだぞ…あ、そんなに首を回すな「ぐっ」…言ったそばから…」
「つつ…すまん…」
『…癒せ』
再びの“ヒール”で痛みは引いていき、今度は慎重に首の筋肉をほぐしていく。
「…しかし何故こんな所を痛めたのだ? 明らかに背後から殴られた様子だが…」
「あぁ…何かを見てから何か食らって…眼が覚めたらここだ」
「随分と抽象的だが…強い打撃というのは間違い無い。 まるで男の一撃だな」
「…うーん、女性じゃないか? どこか覚えがあるような…気の所為か?」
「一撃に覚えが? 弓弦殿まさか」
「Mじゃないからな、うん。 だが…そんな気がしたんだ」
痛みに覚えがあるような気がしてならない弓弦である。 あまり気にし過ぎてもしょうがないのでそこで思考を打ち切ると、身体を捻った。
「さて…行くか?」
「? まさか」
「あぁ、豊穣祭も今日と明日で終わりだ。 ま、明日には帰らないといけないし、なんだかんだ言って誘ってもらったお礼もしていない訳だ。 昨日約束したしな、行くぞ」
弓弦が差し出した手、
「うむ…うむっ!!」
迷うことなくその手を握ったユリの視界は光に包まれた。
「無事に転移出来たみたいだな」
通りの路地裏に転移した二人は周囲を見渡す。
「? ここはどこだ?」
「ここか? 『皇都カズイール』だ」
ーーー皇都カズイール。
「カズイール? あぁ成る程、通りであの城が見える訳か…しかし、危険ではないか?」
隙間から見える大通りには兵の姿もチラホラと見受けられ、「もし捕まるようなことがあれば……」と、ユリは眉を顰める。 なにせ捕まるようなことや、変な騒動に巻き込まれでもしたら折角のデートが台無しになってしまうのだ。 神経質にもなるであろう。
「大丈夫だ、姿を変えれば良いんだからな。 服は……うん、こういうタイプの服だな、よし」
“エヒトハルツィナツィオン”を使い、それぞれの姿を変化させる。 服装は道行く人々を参考にし、自分達の原型を残しつつもその姿が変わっていく。
「ん、こんなもんか」「っ!?」
弓弦から発せられた声に驚き視線を彼に戻そうとすると、身体のバランスに妙な違和感を感じる。 具体的には身体の一部に感じる重さが増えていたり、動作の途中に自らの髪が視界に入ったりしたのだが、そんなものは気にならない程、弓弦の声は衝撃的だったのだ。
そして次に、その姿に衝撃を受ける。 その姿を見ればその声は納得いくのだが、あまりに眼の前の光景が信じられなさ過ぎて……
「ゆ、弓弦殿、その姿は…っ!?」
今度は自分から発せられた、はずの声に驚く。 意識していないはずなのに発せられた声は、少し低く、落ち着きがあると同時にどこか優し気な大人の声をしていた。
「……」
しかし彼から返事はもたらされなかった。 彼自身も彼女の姿に驚愕している様子で、しばらくの間唖然として見つめていたが、咳払い一つで元のペースに戻した。
「別人に変化させる訳にもいかないし、イメージ的に二十代半ばまで成長させる感覚で変身させたんだが…すまん、想像以上で見惚れた」
「見惚れ…っ、た、確かに弓弦殿も大人の魅力溢れる姿に変わっているが…っ、ぁ、ぁぅぁぅぁぅ…っ」
“アカシックボックス”で取り出してもらった全身鏡で自分の姿を見てみると、その良い意味での変わりように固まってしまった。
桃色の髪は肩甲骨の辺りまで伸び、同じ色の瞳は優し気な色を讃えている。 曲線的な身体はより女性らしく丸みを帯びていて、出るところは変化前より出ていた。 しかし奇妙な大きさという訳ではなく、あくまで見栄えとしても丁度良い大きさだ。 服装も露出が無い、大人な出で立ちであった。
対する弓弦は眼光こそ優しいものの雰囲気には一切隙が無く、かといって相手を威圧するような圧迫感を放っていない、そんな今の彼が成長したらこのような姿になるであろう、姿という可能性を見事に示していた。 彼女に向ける笑顔の、影の差しようといったら、完全に責任を背負う大人のそれで、彼女の心は鷲掴みにされた。
「…しかしここまで変わるものなんだな。 大人の魅力…と言うのか? さっきとは違う、今の、大人のユリにしか出せない良さが伝わってくる」
「そ、そうか……う、うむ、わわ、悪くは無い…」
自分であって自分でない自分がそこに居るような気がした。 湧き上がる自信と、安心感。 鏡に収まっている弓弦の隣に自分が居て当然という妙な肯定感も、あった。
「…準備万端だな。 じゃあ行くか」
「うむ、参ろうではないか…婿殿♡」
故に彼女の箍が外れてしまったとしてもなんら問題無い。
「〜〜っ!?!?!? な、何を突然言い出すんだ…」
「ふっ…良いではないか。 減るものではないはずだぞ?」
「それはそうだが…その、な?」
「後はこう…すれば良いのだ。 ほら弓弦、この鏡に映っている私達、似合っていると思わないか?」
鏡に映る腕を組んだ二人は、いつかの写真撮影よりも間の雰囲気が成熟しているように彼女には思えた。 「後で写真館を探さねば」とは彼女の心の言動であり、彼女が楽しそうにすればする程、弓弦も満更ではなくなっていく。 弓弦の気分が良くなれば良くなる程彼女も楽しくなるので、良いスパイラルがここに起こっていた。
「これならフィーナ殿にも負けていないと思うぞ」
「そ、そうか…まぁ負けてないん…じゃないかな、は、はは」
「何故言葉を濁す。 まさか弓弦は既に…フィーナ殿と…」
「急に話に出すからだ。 それに、ユリはユリらしい可愛さってのがあるんだから、比較するな」
「〜〜っ!!」
頭に置かれた手が髪を撫でる度心臓が張り裂けそうになる感覚が襲ってくる。
「そういうのは反則だと思うぞ…」
「ん? 個人的にはその拗ねたような言い方の方が反則だと思うがな?」
「それをあっけらかんと言うのか…むぅ、負けた気がする」
「はは、いつ勝負が始まっていたかは知らないが、俺は思ったことをそのまま伝えただけだよ」
「それが反則だと言っておるのだ……まさか私で遊んでいないか?」
「まさか」
そのまま大通りに出て城下町を歩く。
人の足によって踏み慣らされた石畳の道は朝の風を弾ませ涼気を二人に届ける。 服装の効果もあってか格好で衆目を集める訳でないはずだが、妙に多くの視線を感じるような気がしてユリは弓弦の耳元に口を寄せた。
「‘どういうことだ? 私の眼から見てもそう奇抜な服ではないと思うのだが視線を感じるぞ’」
「‘…はは、こればっかりは仕方無いな。 一応そんな気はしていたが’」
二人が二人、対する異性からそれぞれ視線を集めていた。 どうも側から見れば美男美女のカップルに見えるらしく、熱っぽい視線に苦笑いを浮かべる。 もっともこれ以上の視線を放つ女性が居るのも事実で、彼としては慣れてしまっている類の視線ではある。
「‘まぁ良いじゃないか、害は無いんだから。 でもそうだな…魔力に働きかけ’「‘気にするな、私は構わないぞ’」…そうか? なら良いか」
視線の意味を理解した彼女は恥じらいを見せながらも組む腕に力を込める。 形を変えた彼女の豊かな胸に感嘆の息が。
「‘…あのな、見せびらかすのは結構だがそういうのは人前でやる必要無いと思んだがな’」
「‘…む、そうか。 しかし人前でなければ構わないと受け取っても良いのだな?’」
「‘…よしなに受け取ってくれ’」
いつも通り押しの強い連れ合いにどうでも良くなってきた弓弦。 まともに相手しても墓穴を掘りかねないためその言葉は投げやりである。
「うむ、では後程の楽しみにするとして、どちらに参るのだ?」
「ユリさえ良ければ、街をぐるりと一周しながらショッピングでもしたいと思っているんだが…どうだ?」
「うむっ!!」
日は時間が経つにつれて登っていき、穏やかな日差しを街に届けていく。 街灯は光を落とし、開かれるカーテンや窓、数を増やしていく人々が表すのは一日の訪れ。
増えていく視線を感じながらも二人は街を気の向くままに歩く。 最初は変わった姿に戸惑いもあったのだが、それも自然に消えていき、まるで最初から、姿であったかのように振舞っていく。
「変わったな」と弓弦が思うのはユリからの呼ばれ方であり、今の所謂、『大人状態』になった彼女は彼のことを「弓弦」と、殿を抜いて呼ぶのだ。 だが変に意識するまでもなかったので、それ程気にしている訳ではない。
「弓弦」
「ん?」
「この服はどうだろうか?」
所々に兵の姿は見られるものの、街中は平和そのものであり、二人は開いたばかりの店に入った。 様々な服を手に取り悩んでいたユリであったが、「試着してみればどうだ?」と、弓弦の鶴の一声で現在に至る。
「あぁ、良いんじゃないか?」
「…む、もう少し褒めてほしいのだが…」
試着室から現れたユリは白の肌着に蜂蜜色のショールに青のデニムパンツを着用していた。 隊員服や白衣とは違い、彼女の個性が現れたボーイッシュコーディネートであり、ふと弓弦は、視界に入った帽子を取りに行き被せた。
「ならこれで、ん、グッジョブ」
「〜〜〜っ!? ぁ、ぁぅ…っ、弓弦!?」
「どうだ? 中々似合っていると思うんだが」
「…ぅ、ぅぅ…うむ…っ」
「ん、よし」
恥ずかしさのあまり、彼女が俯いている間に弓弦は会計を済ませたらしく、顔を上げた時には財布の口を閉じていた。
「あのー!」
魔法が解除されて元の姿に戻った服を畳んでいると、彼が店員に呼び出された。 一言二言言葉を交わすと、手招きされたのでそれに応じて彼の下に新しい靴で歩いて行く。
「どうしたのだ?」
「あぁ、何でも店のモデルとして街を歩いてほしいそうだ」
「はい、宜しければという形ですが、ご協力のお礼として当店から男性の方の服を一式進呈させて頂きますよ」
「だそうだ。 ユリさえ良ければになる」
「うむ、私は構わないぞ」
二人共モデルに選ばれるということは揃って店の基準を満たしていることになる。 それがお似合いだと言われているようで、彼女は嬉しくて即答した。
「はは、そうか」
「ではこちら…とこちらをお願いします。 札は切ってあるので」
「あぁ。 じゃあ少し待っていてくれ」
そう言い残し、弓弦は試着室の中へと消えた。
「…なんと」
「お~お~、何だ~?」
「なんとなんと」
「あらあら…一体どうしたのでしょうか」
「なんとなんとなんと」
「何なのですわ?」
「なんとなんとなんとなんと」
「…水鳥拳」
「…伸ばすね意外と」
「大方俺達、居残り組全員をこれで出すつもりなのだろう」
「なんとなんとなんとなんとなんと」
「もぅ…伸ばし過ぎよ知影」
「…ノリが悪いよ皆。 折角今回でお話が、百話に達したのにお祝いしようって気持ちは無いの?」
「無い訳ではないが…橘が居ないというのは首を捻るものがある」
「まぁ…ルール上仕方が無いけどね。 上で出番がある人がここまで出張しちゃったら、ただでさえ少ない僕達の出番が減っちゃうし」
「…ですが博士が居ませんわ」
「ま~あいつはあいつで何か、忙しいんだろ~。 それに出ていないメンバーについては、まだ居るしな~」
「…そうですわね。 確かに忙しいのかも知れませんわ。 変なことを言ってしまい、申し訳ありませんですわ」
「ん~? 気にすることないと思うがな~わざわざ忙しいのにここに来てもらうのにも悪いしな~」
「そうですわね。 ところで隊長、業務は?」
「…。 勿論、やったぞ~」
「嘘を言わないでくださいまし、連行ですわッ!!」
「お、お~い!? それはないだろ~っ!?」
「連行ですわぁぁぁぁっ!!」
「…人に押し付ける云々言っていた割には随分と余裕ねあの男。 今日分の仕事を明日に回されても、私がやるかどうかは分からないのに」
「それでも結局やっちゃうんだよね。 弓弦が少しでも楽出来るようにさ」
「…それは言わないの」
「あらあら…うふふ、健気ですねフィーナ様」
「ふふ、素直に誉め言葉として受け取っておくわ。 ご主人様が好いてくれた私の面の一つとしてね」
「クス…私は言葉通りの意味で御伝えしたのですが…まさか、別の意味で御受け取りになりましたか?」
「さぁて、ね?」
「…ゴクリ」
「ディオルセフ、人の女に欲情してはいけないな」
「よ、欲情してなんかないよ!! それはちょっと、可愛いなとは思ったけど!!」
「クス…だそうですよ?」
「そう。 社交辞令として受け取るわ」
「うわ…冷たい反応。 もう少し優しく言えないの? 弓弦の時みたいに」
「知影、私はあの人に身も心も捧げた女よ。 断らなければならない時は、ハッキリと断った方が相手のためで、あの人以外の男に心を許すつもりはないわ」
「…コク。 …フィーナ…弓弦のもの」
「ふふ…そうよセティ。 良く分かってるわね…偉いわ」
「…ん…気持ち良い」
「なんかキッパリとフラれたよ!? なんでこんな話に持っていくのさ、分かっていたじゃないか!!」
「当たって砕けるのが男だぞ」
「砕けたくないんですけど!? それに話の軸が逸れていっているよ!?」
「そんな細かいことより、俺の部屋行くぞ」
「え、なんごふっ!?」
「慰めてやるから大人しく来い、ご託は訊かんぞ」
「…むさ苦しいよ…はぁ」
「行っちゃった」
「あらいけません。 御洗濯物がありました…」
「…私もよ。 もう知影がご主人様の服を沢山着るから困ったものだわ」
「…お手伝いする」
「ふふ、なら小さなお手伝いさんにお願いしようかしら♪」
「えぇそうですね、そうですよ、それが宜しいかと思われます」
「え、ちょっとお祝いはどうするの!?」
「今日は外の天気が良いから、洗濯物回さないと。 お祝いはまた今度よ」
「えぇーっ!? そんなぁ…っ、折角だったのに…」
「悪いわね。 お祝いしたい気持ちはあるのだけど…、こんな良い天気なのに洗濯物干さないなんて勿体無いわ」
「知影さんには申し訳ありませんが、フィーナ様や私の分まで頑張って頂きたいです」
「…あ。 はぁ…結局私一人になっちゃったよ…弓弦に会いたいよ…弓弦~弓弦…ちぇ。 良いよ、予告言うから……『一歩間違えれば黄泉路を歩むこととなるそこは決して、生ある者が足を踏み入れるべきではない、飢えた呪いの舘。 霧の立ち込むその舘に、恐怖に震える彼女の勇気が試されるーーー次回出口をめざして』…これは…あーうん、なんか色々予想が出来ちゃいそう。 百話越えたけど、これで終わるはず、ないよね? 異世界だってそこまで行けてないし…うん、じゃあこの次も? サービスあるかも!! ……お祝い、やりたかったなぁ」