七夕短編 “夏笹”
あの頃を、思い出すことがある。 今が始まる前の、昔。
あれは……そう、星が綺麗な夜で、杏里姉さんが笹を持って帰って来た日のことーーー
* * *
ーーーただいまー!
扉の外から橘家長女、杏里の声が聞こえて弓弦は顔を上げた。
「駄目よユ〜君。 私と一緒にせめてここまで復習しましょ、ね?」
「優香姉さん…もう十分やったと思うし、杏里姉さん帰って来たから終わりたいんだけど」
彼の隣には、薄着の橘家三女、優香が眼鏡を掛けて彼の勉強を見ていた。
「駄〜目♪ ユ〜君はこの部屋で、私と一緒に、熱い夜を過ごすのよ?」
後半は耳元での囁きだ。 部屋には鍵が掛けられ、外部から遮断されており、扇風機も冷房も使うわけにはいかないので部屋内は暑い。 弓弦も優香も汗を掻いているのだが、優香は何故か息が微かに荒い。
「全力で断るからね。 そもそも84点取れれば十分でしょ? 平均60ちょいだったし」
「それでも最高点ではないわ。 それに私のユ〜君には100点を取ってもらわないと」
「そんな無茶な…だって姉さん、最後の最後で捻った問題出すじゃないか、時間足らないよ。 それに僕は姉さんのものじゃないよ」
「…もぅ、それでも解ける子は居るわよ。 ユ〜君は一つの問題に時間をかけ過ぎているの、まぁその分ケアレスミスは他の子より少ないから偉いんだけどね」
「偉い偉い」と言って彼の頭を撫でる彼女だが、やはり息が荒い。
「…暑いんなら終わろうよ。 もう夜ご飯の時間だよ」
「暑い訳じゃないわ。 ユ〜君の頰に滴る汗を舐めたくて舐めたくて興奮してるだけよ」
「…もう嫌だ」
眼の前の問題と、隣の姉。 二つに対しての、心からの言葉だ。
「駄目よ」
「…お願いします」
「駄〜目」
「キス一回」
「…だ、駄目よ」
「ディープ「分かったわ」ふむ…っ!?」
この姉弟、否、この家族の倫理観は世間一般とかーなーりっ、ズレている。 主に姉達だが、頭のネジが一本跳んでいる人として扱っているのがこの弟、橘家次男、後の物語の主人公こと弓弦である。
それをいうのならこの弟も大概ではあるが。
「…はぁ、はぁ…お姉ちゃん今、凄く興奮してる」
「……な、何で?」
「教師と生徒…姉と弟…もう少し、いただきますっ」
「ふむぐっ」
世間一般でズレているといえば、ここの人間の美形率である。 何をどう采配を振るえばそうなるのか、橘家は美男美女揃いなのである。 近所で美形が多い家と言えば、この家が挙げられるし、モテモテなのだ。
天は二物を与えずを体現してはいるのだが、欠点としてまともな人間が少ない。 母に長女から四女、長男に至るまでブラコンであり、つまりモテモテ一家にモテモテなのがこの次男弓弦なのだ。 なんという一家であろうか。
現在も彼は眼鏡を外した彼女に抱きしめられながら唇を求められている。 この家の倫理観は崩壊している。 長男は刑事であるにも拘らず!!
「ぷはっ…ユ〜君、大好きよ」
「…はぁ、はぁ…っ、姉さん、激し過ぎ…」
弟と姉の唇から掛かる透明なアーチ。 普通に考えて、掛かってはいけない。
「…もう少し、先に進も、ね?」
「断るよ、全力でね…じゃ」「あっ」
優香の隙を突いて部屋の鍵を奪い返した弓弦は自室を脱出。 階段を慌ただしく駆け下りた。
「おかえり杏里姉さん」
「おろ、ユ〜君…えへへ、ただいま♪」
リビングでは既に、杏里が夕飯の支度に取り掛かっており、美味しそうな匂いが立ち込めていた。
「ユ〜君、さっきから呼んでたのに来ないってどういうことよ!! キモッ!!」
「…ぁぁっ、お兄ちゃんです!」
こちらは机で何かを書いている様子の次女、美郷と四女、木乃香。 二人は弓弦の姿を認めるなり彼に詰め寄る。
「大好き…です♪」
「はは、木乃香は甘えん坊さんだな」
「…甘え…ますっ♪」
「ちょっとユ〜君、本格的にキモいんだけどっ!!」
「美郷、まぁ良いじゃないか」
ソファに腰掛けてテレビを観ていた橘家長男、恭弥がいきり立っている彼女を諌めるが、
「ふん、恭弥の分際で私に口出ししないで」
「なっ」
撃沈。 仕事で忙しい父の代わりとして妹達の世話をしていた豆腐メンタル男はソファで蹲る。 しかし、愛情を込めて育てた愛娘に「もう一緒にお風呂、入りたくない」と言われた父親の心情、それが今の彼の心情だと考えれば理解も容易であろう。 悲しそうに打ち拉がれる彼の姿は哀愁漂う。
「美郷姉さん、恭弥兄さんにそんなことばっか言っている姉さん、僕嫌だな…」
「え…? 嘘…でしょ?」
「兄さん、大丈夫?」
「おぉ弓弦…っ、お前だけだ、お前だけは兄さんに優しいな…っ」
弟に肩を叩く兄の背中を悲しいと思うことなかれ、現場において最も頼りにされている背中。 その背中を幼い頃より最も支えているのは、弟なのだ。 決してホモではない。
「…私…ユ〜君に嫌われちゃった…どうしよう…っ、どうしよう…」
こちらはこちらで、世界の終わりを目の当たりにしている美郷。 自分は「キモい」と連呼しているのに、弓弦に嫌われると猛烈に凹む。 要するにツンデレなのだ。
「美郷姉さん」
「ユ〜君……」
「僕が嫌いになる訳ないじゃないか…でも意地悪は駄目だよね?」
「……仕方無いじゃない、ユ〜君はすぐ恭弥か杏里姉さんに助けを求めるし…さっきだって優香とイチャコラしてたんでしょ? それを考えたらもうキモくてキモくて…っ」
「イチャコラって…キスをしただけだよ。 何なら姉さんもする?」
美郷の頭からドーナツ状の状況が噴き出る。 あたふたと視線を彷徨わせる彼女の顔は真っ赤だ。
「ば、馬鹿じゃないの…っ」
「ふぐっ!?」
正面からの突然の衝撃に後頭部を床に打ち付けた弓弦は、唇に柔らかいものを押し当てられる。 頭がボーッとする感覚に身を委ねていると、その感覚は唐突に離れていった。
「…そんなこと言われたらしない訳、ないじゃない…馬〜鹿」
マウントポジションを取った彼女は、口を窄め拗ねたように弓弦を見下ろす。 体勢的に彼女の豊かな胸の大きさが分かってしまうので、妙に居た堪れなく、日頃意識していない部分を意識してしまうので居心地が悪く、弓弦は視線を逸らした。
「…ユ〜君」
「…どうかした?」
まるで丁度良い場所を探しているかのようにモゾモゾと動き、ある一点でピタリと止まる。 言うのが躊躇われているのか、自分の髪をクルクルと弄る彼女はこういう時、
「…ユ〜君の上って…落ち着く。 特にこの辺り…うん」
決まって変なことを言うのだ。 恭弥が「弟の上に乗って女の顔をする姉の姿…悲しい、兄さんは悲しいぞぉ…っ」とさめざめと泣いているのだが、彼は相手にすらされない。
「…美郷姉さんだけズルい…です」「うわぁっ!?」
突き飛ばされた彼女は木乃香に場所を奪われ恨めしそうな顔をするが、ハッとしてそっぽを向く。 つまり今度は木乃香の番ということで、姉妹な火曜順番を大切にしていることに弓弦は涙が出てきそうであった。
「お兄ちゃん…」
「木乃香その…退いてくれるか? 流石に…な?」
彼女は美郷と同じく、お腹の下辺りに体重を掛けているので変な気分になってくる。 男として、兄として(?)の本能が発動する前に彼女を退かそうと試みるも、太腿でガッチリと彼の身体を挟んだ彼女が離れるはずもなく、暫くそのやり取りを続けられる。
「退いてく、れ!」
「嫌、です!」
「頼むか、ら!」
「嫌、です!」
「お願、い!」
「ん…っ」
ピシリと空気が凍ったような擬音を、弓弦は確かに聞いた。 リビングの壁際と扉の、外。 さらには台所の方から口にするのも憚る熱波が放たれ、それは灼熱地獄と凍結地獄が同時にこの場に現れたようであり、恭弥は今も遠い地で働いている父母の帰りを心から切に願った。
「ユ〜君」
調理を終えたらしい杏里が木乃香を退かして彼を立たせる。
「配膳手伝ってね」
頷くしかあるまい。 助け舟ではあるし、断る理由も無いのだから。
「はーい」
台所に移動すると、今日は洋食らしく、様々なサイズのオムライスが六つあった。 コンロではリビングに立ち込めていた香りの正体であるミネストローネが煮立っており、ローリエが抜かれカップに注がれていく。
「それを机に持ってってね、名前はケチャップで書いてあるから」
ザッと見てみると確かに名前が書いてあり可愛らしいと思った。 取り敢えず美郷と木乃香の分を持って行き、次に恭弥と杏里の分を、最後に自分と優香の分を置くと、扉が開かれて優香が入って来て席に着いた。
「はーい皆座って」
調理器具を洗い終えた杏里が盆に載せたミネストローネとスプーン、フォークを置いていく。 彼女の声で他の面々も席に着いていき、置き終わった盆を彼女が片付けたところでその日の夕食が始まった。 恒例の弓弦の隣の席争いは、オムライスが置かれている以上座席は固定なのでこの日は起きなかったが、隣じゃない姉妹勢から向けられた寂し気な視線や、いつもより気持ち少ない彼のオムライス以外変わったことはなかった。
「そう言えば美郷姉さんも木乃香もさっき、何を書いてたの?」
食事も終わり団欒の時間。 食洗機の音が流れたリビングで彼は、寛いでいる二人に訊く。
「テレビ見れば分かるわよ、そんなもの」
「…です」
「はぁ…」
よく分かっていなかったが、取り敢えずリモコンをテレビに向けスイッチを押す。 時間帯としてはニュースやバラエティー番組ばかりの時間帯なので、一番をを押す。
「…あぁ、成る程」
今日は七月七日。 七夕の日であるようで、テレビでは七夕に関する様々なものが放送されていた。 お祭りで賑わう人や、笹の葉に短冊を結び付けている人達ーーー「良いな」と思える映像が流れていた。
「保育園で子ども達に配られた笹なんだけどね、折角だからってお姉ちゃん達先生も貰ったの。 だから皆も何か一つお願いごとをしてみたらってね♪ はいこれ、ユ〜君の分」
弓弦が腰を下ろしたソファの隣に座った杏里が机を寄せる。 膝には木乃香が乗り、反対側には美郷がそれぞれ陣取る。
「…くっ、しまったわ…」
乗り遅れた優香が悔しそうに指を噛むが、「でも…悪くないわね…っ」と意味不明なことを呟くと、恭弥と共に、別の机で短冊に願い事を書き始めた。
「願い事は一人一つだからね? 欲張りしちゃ、めっ、だよ」
「はは、分かってるよ…だけど、木乃香、退いてくれ」
隣で密着されるのはまだしも、膝の上に座られては書けるものも書けず、彼は苦言を呈すがそこは妹、聞き届けない。
「木乃香、退きなさい。 お姉ちゃんが隣譲ってあげるから」
「! お姉ちゃん…ありがとう!」
しかしそこは長女。 弟のためなら喜んで身を引くのだ。 彼女に弓弦が甘えるのも分かるであろう。
「ごめんね姉さん」
「えへへ…良いよ。 ユ〜君や木乃ちゃんのお礼が訊けただけで十分だから♪」
頭を優しく撫でられるとどうしても、嬉しくて頰の筋肉が緩んでしまうのは仕方が無い。 昔からずっとそうなのだから。
しかし母親と思ったこともない。 彼女は母親代わりではあるのかもしれないが、姉であるのだから。
しかしいずれにせよ弓弦にとって、家族とは一緒に居て心休まる人達のことであり、大切な人達であることに変わりない。
七夕ーーー彼が願うことなど既に決まっているので、一緒に渡されたペンを短冊に付ける。
流石に配慮しているのか、それとも後で見る楽しみを増やすためか、美郷も木乃香も短冊を視界に入れないようにしているので、サササッと書き終えると机の上に伏せさせた。
「皆書き終わったみたいね。 じゃあ…これに結びつけて、飾ろっか」
お裾分けのものなので笹は本当に小さかったが、各々が願い事を書いたカラフルな短冊をそこに結び付けていく。 結び終わると、杏里が部屋の隅の箱にそっと刺した。
「〜♪」
彼女が七夕の歌を鼻歌で歌っていて弓弦もそれに倣う。
『〜♪』
美郷も優香も木乃香も恭弥も、それに倣って歌う。 いつの間にかテレビは消えており、静かな部屋に一家の合唱が静かに2コーラス程続き、「えへへ…皆ありがとねー♪」と、杏里の声で終わった。
その後は勿論、「誰が何のお願いを書いたのか」に話は移り、弓弦は姉妹の質問攻めにあった。
「さぁユ〜君、お姉ちゃんに教えなさい!!」
「そうよ。 皆言ったんだから教えないと…襲うわよ?」
「教える…です」
「いやそもそも、皆が勝手に言ったんじゃないか。 それに僕の願い事なんて訊いても意味ないでしょ?」
「「「意味大有り(です)!」」」
「親が早く帰って来ますように」と願った恭弥は美郷の、ラリアットにノックアウトされている。 それで良いのか警察官といいたいが、あくまで精神的なダメージが大き過ぎて倒れたことをここで明確にしておきたい。 因みに美郷は「ユ〜君に愛されながらいつか、結婚出来ますように」で、優香は「ユ〜君の生涯の伴侶になれますように(子どもは一人か二人で)」で、木乃香は「お兄ちゃんと、病める時も健やかなる時も、いつまでも一緒」だ。 要するに三人が三人共弓弦との結婚を願っているのだ。 まぁ今更ではある。
「さ〜教えるのよ〜? じゃないと、そのキモい身体に訊いてあげるんだけど」
「ふふ、分かってるわよ。 お姉ちゃんと結婚したいって書いたのよね? ユ〜君照れ屋なんだから♪」
「…お兄ちゃんは…私と結婚します…幸せになるん…です!」
「ちょっと優香、木乃香、ユ〜君は私のよ。 ここは年長者の私に譲りなさい」
「駄目よそんなの。 ユ〜君は私と相思相愛の関係なんだから、無理矢理美郷姉さんと結婚させられるって酷だと思わない?」
「…お兄ちゃん…っ」
醜い女の争いである。 しかし述べておきたいのは、普段は優しい姉達ということだ。 ただ弓弦との結婚等が関わるとこれなのだから、女とは怖いものだ。 ある種ツッコミ所はあるが、彼女達の将来の相手は彼と、何故か決まっているのだ。 つまり都条例に喧嘩を売っている。 そういうことである。
馬鹿みたいにルックスが整っているはずなのに彼女達がそういった関係性の男を作らないのは、そういうことなのである。
「こーら三人共、ユ〜君困ってるでしょ!」
そんな年甲斐も無い彼女達の争いをいつも諌めるのは、杏里で、流石は長女といったところか。
「もうユ〜君も教えたら? そっちの方が早く片付くよ」
「……。 恋人」
「「「ッ!?」」」
「……」
弓弦の言葉に三人、否この場の四人全員が反応する。 弓弦は絞り出すような声で、
「恋人が欲しいって…書いた」
顔を真っ赤にして願い事の内容を言った。 彼女達が待ち望んでいた願い事を、言ってしまったのだ。
行動は迅速なり。 三人は瞬時にして部屋から消え、やがて一枚の紙を手に戻って来た。 察しの良い方はお分かりであろうが、それは既に殆どの項目が書かれており、後は彼の名前を書いて印鑑を押せば提出出来るようにされていた。
「「「……」」」
神妙な様子で正座する三人に差し出された紙の名前を弓弦は読み上げた。
「…婚姻届」
「「「私と結婚してください」」」
「…姉弟じゃ出来ないし木乃香も僕も結婚年齢に達していないからどのみち無理だよ」
本気で懇願している三人を一蹴して弓弦は立ち上がった。 勿論いつもの光景だ。 しかし、それにしても今日は杏里の立ち位置がいつもと違うような気がする。 いつもより椅子の位置が棚寄りなのだ。 彼女はいつものような光景をいつものように、微笑まし気に見つめているがまさか……?
「あ、ユ〜君、お話があるから付いて来て」
「ん、分かったよ」
部屋を出ようとすると、杏里にそう声を掛けられた。
三人分の視線を受けながら二人は階段を上り弓弦の部屋に入る。 日頃の行いが幸いしてか杏里に関しては他の女性陣に比べてマークが薄いのだ。
「んー♪ ユ〜君の良い香りがするなぁ」
「……」
「おろ、本当よ? 一緒に居て安心する香り…お姉ちゃんが一番大好きな香りなんだから」
部屋の電気を点けずにベランダに出た彼女は、月星の美しささえも自分の美しさを引き立たせるスポットライトにしているような、そんな静かな笑みを浮かべる。 知らず知らずの内に弓弦も隣に足を運び、手摺に二人、身を預ける。
「姉さんも用意しているの?」
「おろ? 何のこと?」
「婚姻届」
その言葉に彼女は言葉を詰まらせ、彼の真意を探ろうとしているのか、静かにその黒曜の瞳を見つめる。 やがておかしそうに笑うと、
「用意してあるよ」
と、肯定の返事を返した。
「…どうして皆、用意しているの?」
「それは…えへへ、皆ユ〜君と、本気で結婚したいって考えてるからよ。 お姉ちゃんも…うん、ユ〜君が選んでくれたのなら受け入れる覚悟はあるから……でもそれはユ〜君が決めることで、お姉ちゃんの一番の望みはユ〜君の幸せなんだから、これはその延長線上の用意」
「それって…どういうこと?」
「お姉ちゃんの一番の望みはユ〜君の幸せで、ユ〜君がもし、お姉ちゃんとの結婚を幸せと考えてくれたのなら、その準備はしてあるよってことよ」
「お姉ちゃんの欲も入ってるけどね?」と片眼を閉じてウィンクをする姉の姿に、一瞬胸の奥が高鳴ったような感覚を弓弦は覚えた。 彼女だけでなく、他の姉妹にも覚えたことがあるのだがそれは、いけない感情だと、思って抑え込んでいるものだ。
気持ちと考えを切り替えるため、今度は杏里の願い事について彼は訊いた。
「お姉ちゃんのお願い? 安心して、皆のようなお願いじゃないから」
当然だ。 それは違うを正解とする確認の質問で、確認出来たからその内容が気になった。
「ありゃ…本当に、気になる?」
「うん」
「笑ったり…しない?」
「うん」
「えへへ…じゃあ…言うよ?」
照れ臭そうに髪を弄りながら数回の咳払いと深呼吸。 緊張している様子の姉の言葉を今か、今かと待っていると唐突にその言葉はもたらされた。
「また、皆と会えますように」
「え?」
「お姉ちゃんはそうお願いしたのよ」
何を言っているか、弓弦はよく分からなかった。 その「皆」が誰を示しているのか、それが。 だが静かに空を見上げる彼女の放つオーラはそれを止めさせ、彼はそんな姉を見つめていた。
「見て」
「?」
「天の川、綺麗ね」
夜空に輝く星々の川は、彼が見上げるのを待っていたかのように静かに強く、瞬く。 その美しさは圧巻の一言に尽き、そのまま静かに見上げていた。
ふと先程より、触れ合う面が多くなったような気がして眼線を下げていくと、近くにいつもより赤みを帯びた杏里の顔があった。
「織姫様と彦星様。 別たれた二人が一年に一度だけ会える特別な日。 それが今日、七夕よ」
「うん」
語るような口調に弓弦はただ頷く。
「時は流れる。 二人の仲がまた別たれてもまた、会える日はまた来る。 想った長さだけ、想った数だけ、想いは募っていく……二人は今、会えていると思う?」
「…どうかな?」
「えへへ、どうだと思う?」
「会えてると、思うよ」
深く考えずに答えた。
「そうね、この日を楽しみに待っていたんだから……お姉ちゃんも会えてると思う…うりうり」
「……止めてよ姉さん」
頰を人差し指で押され、彼は姉から顔を背ける。
「ありゃ…そっか。 でもこれぐらいは良いでしょ」
反応を楽しんでいるのか、身を寄せる彼女は姉というより、一人の女の子のように思えてまた一段と胸が高鳴った。
「縁のある人は必ずまた出逢う。 一度、本当に離れ離れになったとしても、必ず逢えるの…想いは受け継がれてね。 あ、流れ星、ユ〜君お願いしなきゃ!」
二人、手を合わせて願い事を呟く。 一回、二回、三回ーーー流れ星が消えてしまう前に間に合ったかどうかは分からないが、確かに二人は願い事を唱えた。
「おろ、ユ〜君もお願いしたの?」
「うん、なんか…姉さん話を訊いてたら自然と出てたよ。 誰とかは知らないけど、“また皆と会えますように”ってね? わっ!?」
温かい感覚と、確かに伝わる鼓動があった。
「逢えるよ……いつか、きっと、絶対に、また……」
彼は言い終わると同時に、抱きしめられていた。 それもいつもの抱き方よりも強く、求めるように。
「えへへ…お願いしてくれてありがとね。 ユ〜君もお願いしてくれたんだもの…きっとまた、逢えるよ」
「…うん」
どこか自分にも言い聞かせているような言葉で、弓弦は頷くことしか出来ず、されるがまま頭を撫でられている。
「…挫けても立ち上がって、辛くても前を向いて。 お姉ちゃんが守ってあげるから…ユ〜君は強く、強く生きるのよ……」
* * *
なんでまた、このことを思い出しているのか分からない。 だけど、本当に遠い日のことに思えるのは、これまで過ごしてきた時間が濃かったことを示しているのかもしれない。
“また皆と会えますように”と姉さんがお願いした理由は謎だが、それが叶ってほしいという願いは強く持っているつもりだ……
…。
……。
………。
だが、だけど、「きっとまた逢える」と「守ってあげるから」という言葉が妙に引っ掛かった。
杏里姉さんは何を思って、誰を想ってそんなことを言ったんだろうか?
背後を視界に入れないように振り向き、窓から覗ける夜空を見ると、その答えがもうすぐ、見つかるような、そんな気がした。
太陽歴とか太陰暦とか、今という日が日本時間で何月の何日になるかは分からないし、単に今の状況を誤魔化しにかかっているだけなのかもしれないが、ハイエルフの勘というものだろうか、どうも今、ここまでハッキリとあの日を思い出せたことに意味を見出そうとしてならない。 しかしただ一つ、確かに分かることがある。 空を見ていてのことだーーー
明日は、綺麗な満月を拝むことが出来そうだ。
「はー…こんなことがあったんだね…」
「七夕という風習はジャポンにもありました。 しかし弓弦様の御家族の方々は本当に御美しい方々ばかりですね」
「今日は予告要らないんだって。 前回ロリーさんが早とちりでしちゃったから、私達ここに居ても意味無いんだよ風音さん」
「クス、ですがこうして登場する場を与えてもらえている以上、なにかしら活用した方が宜しいですよ 」
「そう言えば、今回メインキャラで出てきたの弓弦だけだけど、他の皆はここに出ないのかな? 私またカザイさんの硝煙に包まれている感満載の予告を聞きたいんだけど…」
「不可能なものは不可能で御座います。 それに予告は出来ませんよ、この場に出られただけで十分です」
「はぁ…あれ、でもこれ弓弦の願いってフラグなんじゃないの?」
「恋人が欲しい…確かにその後のことを考えてみると、そうとも取れますね。 ですがこの頃の弓弦様…初々しいですね♪」
「そうだね。 今も時々出るけど…ま、どっちの弓弦でも私は良いけど」
「クス、私もですよ」
「そうそう、もう一つ気になっていることがあるんだ」
「もう一つ…私も一つだけありますね」
「でしょ?」
「はい」
「近親相姦だよね」「御姉様の願いの内容ですね」
「「……」」
「あっれれー? おっかしいなー?」
「…いえ、確かに知影さんの仰ることも一理ありますが、一択ではありませんか?」
「えぇ…だって婚姻届を用意している辺りやるっ!! …って思ったんだけど」
「…クス、確かにそうかも知れませんね。 いえ、そういうことにしておくべきでしょうね」
「…なんか棘があるんだけど」
「ありませんよ、決してありませんよ、断じて御座いません」
「……弓弦、お姉さんにまた会えると良いけどなぁ」
「逢えているかもしれませんよ」
「え? どういうこと?」
「クス、どうで御座いましょうか?」
「むぅ…何か隠しているような気がするけど…まぁ良いや。 ばいばーい♪」
「‘そうですよね……弓弦様’」