遠い日の子守唄
ユリの心は舞い踊っていた。 なんと、いや当然、一組の護衛に充てがわれた部屋は当然一つであった。 ベッドは二つあるが、祭りの開催期間ーーー短くても後一週間はこの部屋で、弓弦と寝泊まり出来るからだ。
彼女が弓弦と寝室を共にしたのは、昇進試験の打ち上げパーティーの日のみ。 しかも、朝起きたら弓弦を囲むようにして一同が寝ていたという記憶しかなかったのだ。 …納得出来るはずがない。 知影も、フィーナも、毎日毎晩彼と床を共にしているのだ。 ズルいと思っていたのだ。
だが、やっと天運が自分に味方してくれた…そう思った。 思えたのだ。
弓弦は今シャワーを浴びている。 終わったら彼女と交代で、今部屋に居るのは彼女一人…これから訪れるであろう幸せな任務に想いを馳せるには十分過ぎだ。
「おろ?」
入り口の扉からレイアが顔を覗かせるまでは。
「…きゃぁぁぁぁっ!?」
ユリは慌てふためき、ベッドに躓く。 そのまま布団に顔を突っ込み、真っ赤になった顔を必死に隠してそのまま中に入って行く。 暫くして、動かなくなった。
「…ありゃ、隠れてるつもりなんだろうねぇ…あ」
「ん?」
シャワーを浴び終えた弓弦が部屋に戻って来た。 シャツに短パンを履き、タオルを首に掛けたラフな格好。 ボサボサの髪に乗る微かに光る水滴ーーー知影辺りが興奮しそうな姿である。
「……」
ここにも居た。 布団の中から桃色の瞳がこっそりと覗いたまま、やはり動かない。 瞬きもしないままその視線は弓弦の風呂上がり姿へ。
「わっ!?」
その神聖な姿(※ユリ視点)に触れる無粋な手。
「凄い…硬い…うわぁ…っ♪」
興奮している様子。 シャツの上からでも分かる、引き締まった腹部にペタペタと触る巫女の姿に弓弦は所在無さげに視線を迷わせた。
「えへへ…やっぱ良いなぁ…っ、ありゃ、ごめん」
手を離す。
「…巫女殿は、何しにここに来たんだ? ここに来ても何も無いぞ?」
「ユ〜君に会いに来たの。 …ごめんね! ちょっと外に出てくれない?」
「ごめんね」を強調したのは、ユリにも向けて言った言葉だったからだ。
そのまま弓弦を外に連れ出したレイアは周囲に、人が居ないことを確認してから小さく咳払いした。
「巫女殿は堅いよ。 これからはレイアって呼んでね、同じハイエルフなんだからさ」
これまでの会話から、知影と同じ匂いを感じた彼は、彼女とあまり関わらないことにしていた。 初対面の男に対して踏み込んでいくような女性はあまり好きではないのだ。
「おろ? ユ〜君、機嫌悪い?」
更に言うのなら、どうしても弓弦の記憶の中の人物と重なる彼女の声すら、聞きたくなかったのだ。
どうかしてるとは自覚している。 だがネガティヴになってしまうのだ。
「…ワザとなのか」
「……」
「…っ、何でも無い。 用事があるのなら言ってくれ、手短にだ」
彼とて折り合いは既に着けている。 いい加減前を向かねばと思っている。 妄想に浸り、甘えるのは夢の中だと決めていた。 決めていたのだ。
なのに、
「ユ~君は、生まれ変わりって信じる?」
そんなことを言うものだから、
「何が言いたいんだ」
否定したくて、
「おかしいだろ…おかしいだろっ!! 何が生まれ変わりだ!! 何が…っ」
怒鳴ってしまった。
「…えへへ、冗談冗談。 ちょっと雰囲気に合わせてそれっぽいこと言っちゃった♪」
「…帰るぞ俺は…明日にしてくれ…」
我慢ならなかった。 大切な人の名を騙られるのは良い気分ではない。 この時弓弦の中で、レイア嫌いの方式が立つのである。
彼を俯いたまま、宿屋のドアノブに手を掛ける。 手を掛けて…止まった。
「手と手繋いで〜」
聞き覚えのある唄。 忘れるはずもないメロディー、歌詞ーーー
弓弦の意識は、深い眠りの海にへと沈んでいくのだった。
* * *
「私の側で、お〜やすみ〜♪」
この唄が好きだった。
いつ聞いても、好きだった。
「ありゃ、ユ〜君どしたの? 料理、それとも、唄に釣られて来ちゃった?」
調理台の前に立っていた橘家長女、橘 杏里(十三歳)は調理の手を休め、小さなお客様の目線の高さまで膝を曲げた。
「どっちもだよ」
小さな来客の名前は橘 弓弦。 今年で四歳になる橘シスターズの天使だ。
彼に下に橘 木乃香という二歳になる橘家四女がいるのだが、彼女は今両親と、高校一年生になる橘家長男、橘 恭弥と共に遊びに行っている。 先程出掛けたばかりなので暫くは帰らないであろう。
一応この家には後二人、次女の美郷と三女の優香がいるのだが、二人はまだ学校だ。
因みに時間は昼過ぎ。 この日は考査で中学校が早く終わったので、杏里は家にいたというわけだ。
考査期間中に勉強しなくて良いのか? 良いのである。 そこに弟がいるのだから。
「もう少しで出来るけど…食べる?」
「ううん、できるまでまつよ」
待つと言いながら、その視線は杏里が作っているカレーに注がれていた。 そんな彼が愛おしくて堪らず軽く抱きしめてしまう。
「良い子。 ユ〜君大好き♪」
「えへへ…ぼくも、あーねぇだいすきだよ」
抱擁を解くと、弱めていた火を少しだけ強める。
「私の大切な〜あなた、私はいつでもあなたの味方〜…♪」
背後でご飯が炊き終わり、杏里は今度こそ火を消して皿を取り出してご飯を盛る。 カレーを掛けて、それを机の上に置くと弓弦がピョンッと椅子に座った。
手を合わせてから二人きりの昼食を始め、口に運んでいく。 甘めにしてあるので弓弦も美味しそうに食べている彼の、笑顔を見ていると自然と杏里も笑顔になった。
ほんの少しだけ眠たそうなのは、彼女が『ユ〜君子守唄』を口遊んでいたからで、小さい頃からずっと聞かせていたせいか、この唄を少しでも聞いてしまうと彼は眠たくなってしまうのだ。
妹達も弓弦を眠らせようと必死に歌詞を覚えているが、そこは杏里。彼女達の前ではあまり歌わないし、彼女のオリジナル曲なので母にも教えていない。 橘家の女性に共通するブラコン趣味ーーー杏里も、美郷も、優香も三人揃って弓弦が大好きなのだ。 弟として…よりは女として。
要するに揃いも揃って都条例に真っ向から抗っているのだ。 自分達のような、世間から排斥されてしまう弱者を、虐げる全てのものに対して…!
因みに最近杏里がパソコンでこっそり見ているアニメはヨス○ノ○ラである。 美郷と優香はkis○×si○をこっそり見ているので、本来そういうアニメを見る立場にあるはずの恭弥が、「何故BR◯THERS C○NFLICTとか見ないんだ…?」…と虚しさに、部屋に篭って枕を濡らしたとか…どうかは定かではない。
食べ終わって皿洗いを済ませてからは、弓弦と一緒にお昼寝で、短縮授業とは正に弓弦と二人きりでお昼寝をするためだけにあると彼女は思っている。
「手と手繋いで〜お〜や〜す〜み、私の側で、お〜やすみ〜♪」
「…すぅ…すぅ…」
寝ながら身体を預けてくる天使の寝顔に胸を撃ち抜かれながらも、背中を優しく叩く手は止めずに唄い続ける。 もう少ししたら小学校が終わるので妹達が帰って来るし、出掛けている両親も帰って来るだろう。
弓弦を独り占め出来る時間はそう長くない。
それにいつか、いつか反抗期を迎えて姉離れされるのが怖いのだ。 このままでいくと、遠い日、彼に言い寄る女性も決して少なくはなくなる。
この家の男女は、全員顔立ちが整っているのだ。 杏里自身も小学校の頃から、男子の告白が絶えていない。 美郷や優香もよくされるのだ。 恭弥も家でのヘタレっぷりを知らない女子から多くのチョコとかをもらっているーーー近所でも有名なのだ、橘家の美男美女ぶりには。 なので彼を婿に欲しければ、自分達を全ての面で上回るようなパーフェクトな女性でなければならないと、以前妹達と話したことがある。
勿論あげるつもりはないので、それぞれが自分磨きに余念がないのだ。 杏里は母を始めとした様々な人から料理を始め、家庭的な技術を教わり、美郷は武術を極めている。 優香は昔から物覚えと要領が良いので、覚えられること全てーーーこれらを、この時期から自主的にやり続けているのだから習い事を必死にさせているお受験ママ達ですら脱帽させてしまうものであった。
目指すものは一流学校への進学や金銭面で苦労しない就職ではなく、兄弟結婚が認められる地での永久就職という違いはあったが。
「……」
杏里の瞼も自然と落ち始める。
そのまま幸せそうにゆっくりと瞼を閉じた彼女は腕の中の天使によって微睡みへと誘われていったーーー
* * *
ユリの心には、シベリアの寒気を思わせるほどの吹雪が吹き付けていた。
彼女の視線の先では、さっきレーヴに運ばれて来た弓弦が寝ている。 寝顔を見れるのは悪い気分ではなかったが、負けた気分がしたのだ。
「弓弦殿…弓弦…何故お前はそんなに女を惹きつけるんだ…会って一日で巫女と仲良さ気に…っ」
やっと掴めたチャンス…いや、掴めてすらいなかったのだろうか。 どこに行っても、どれだけ頑張っても結局自分は二人きりになれないのだろうかーーーそんな考えが彼女の頭を埋め尽くしていた。
「…二人きり…か、今は二人きり、どうせなら…!」
挫けるのは彼女の性分ではない。 前向きに考えるポジティブシンキングこそ彼女の座右の銘だ。
弓弦に起きる気配がない今、ちょっとぐらい良い思いをしてもバチは当たらないはずだ。
「ん? 何してるんだユリ?」
起きてしまった! しかもユリが寝る準備を一通り済ませた後布団の中に入った直後にだ!
「ぁ、ぁぅ…っ、そ、そのだな…」
驚きと緊張のあまりしどろもどろになる彼女を半開きの眼で見て、眠たそうに欠伸をした。
「…入りたければ入っても良いぞ。 何か今日はもう、猛烈に眠たくてな…寝かせてくれ…」
それで良いのか護衛。 …と、いつもの彼ならツッコミを入れるのだが、瞼と身体が重くてしょうがないのだ。
「う、うむ」
許可が下りてしまえば悩むことはない。 迷わず彼女は、そのまま弓弦の背中に寄り添うように定位置を決めて収まる。
心臓の鼓動が早くなり、止まらないーーー普通は逆のはずなのだ! ユリが布団に入ってきたことで弓弦がドギマギするーーーこれが普通のはずなのに!
「……zzz」
この男、寝ているのだ! まるで真隣でユリが寝ていることなぞ気にしていないかのごとく! 寝息を立てて、規則正しいリズムで横隔膜を上下させて、余裕綽々と寝ているのだ! ユリとてシャワーを浴びた直後。 彼女の身体からは石鹸の優しい香り、所謂女の子の香りが漂っていてそれが弓弦の鼻腔を貫いていないはずがないのに全く動じていない。
単に寝ているだけとも取れるが、それはユリの自尊心、いや、女のプライドを傷付けた。
「……やるわ、私…っ」
背後から狙いを定めてゆっくりと迫る。 口調なんて一々気にしていられなかったのだ。
これまで直接同士で触れ合ったのはあの正月のアクシデントのみ。 抱き着きこそしたものの、今からやることは彼女にとって大きな勇気を必要とすることに違いなかった。
「……今っ「んん」」
何たる偶然だろうか。
それが触れようとした瞬間弓弦が寝返りをして、位置がズレる…それだけならまだしも、
「〜〜〜〜〜っ!!!!」
アクシデントが、再来した。
「……すぅ…」
何かが流れ込んでくるような感覚と、柔らかい感触。 呼気が肌に触れ、触れた面から赤くなっていく。 何も分からないとはこのことなのだろうか、見当識が障害されてしまったのだろうか?
ユリは自分が今、どこで、自分が何をしているのか分からなかった。 分かる以前に、感じるのは自分の中を何かが満たしていく様子、自分の中から何かが、どこかへ流れ出ていく様子…そして、
誰かが部屋の中に入った気配だった。
「白昼堂々何をやっているのだ貴様はッ!!」
「うぼぁっ!?」
鉄拳制裁が弓弦に落とされ、どこぞの皇帝のような声を上げてラッキースケベ男はベッドから転がり落ちた。
「ふぅ…危ないところだったな、他に何かされていないか?」
「…う、うむ」
ジャンヌベルゼ・アンナ・クアシエトール降臨。 彼女は何とも哀れな被害者を“エーリヴァーガル”もかくやの冷視線で睨み付けると、
「私の所へ来るか? ここの隣だが、こんなスケベ男と夜を共にするよにはマシだろう」
「…人が気持ち良く寝ているのを邪魔するとはいい度胸だな…っ」
話の流れは分かっていないが、良眠を邪魔されて半ギレ状態の弓弦はその視線を真っ向から受け止めた。
「ふん、人の部屋の隣で、破廉恥極まりない行為に及んでいるとは貴様こそいい度胸だ…斬り捨てるぞ」
「斬り捨てる? 突然現れたと思ったら実力行使に実力行使を重ねる、暴挙を許せるほど俺もお人好しじゃないんだが…!」
「良いだろう、斬り捨ててやる…! 外に出ろ!」
アンナが剣の柄に手を添える。
「はん、そこに座れ、説教してやる…!」
指で弓弦が自分の前を示す。
「ぁぅ…二「何故私が貴様の説教なぞ訊かねばならん! その曲がりに曲がった根性と傲慢さ、叩き直してくれる!」…ぁぅ」
ユリの小さな訴えはアンナの怒声に上書きされる。 今にも剣を抜きそうなアンナの前に詰め寄った弓弦の眉が寄っていく。
「傲慢なのはどっちだ! 別に叩き直されなきゃいけないほど曲がっていない!」
「貴様のどこが曲がっていないと言うのだ! どこをどう見ても曲がりに曲がっているようにしか私には見えんぞ!!」
「どこをどう見ても…? っ、人を見ただけで決め付けるお前の方が曲がっているとは思わないのか!」
「…っ、言わせておけば、ここで斬り捨ててくれる! 救いようのない貴様へとせめてもの情けだ、一太刀で逝かせてやる!」
「ゆ、弓弦!? きゃぁぁぁぁぁっ!!」
とうとう抜刀し、刃が弓弦の身体を両断。 ユリの悲鳴が上がり、斬った本人も信じられないように瞳を揺らし剣を取り落とす。
「…ったく」
ボヤく声と共にアンナの背後に弓弦が現れ剣を拾う。 斬られた弓弦は炎となって消え、ユリの顔が青褪めた。
「…趣味の悪い男だな」
「平気で人を、斬り殺そうとした人間にその言葉そっくり返してやる。 はぁ…にしても本当に斬られるとは思わなかったが、これでやっと話を訊いてもらえるな」
「…ゆ、ゆゆゆ幽霊でははは…っ、あ、あ、あうあう、あう…」
弓弦は呆れ顔でズザザ…と部屋の端に逃げ込んだユリに近付いて、
「ほら」
その頬を引っ張った。
「き、貴様『バインドアイス』っ!?」
アンナの足が氷に包まれ動きを止める。 彼女が自力で砕けるような硬さにならないよう魔力を調節し、そのままユリの頬をムニムニと引っ張る。
「ふぁ、ふぁひふぉすふんふぁ!」
「な、何をするんだ!」と言っている。
「人を幽霊扱いした罰。 大人しくやられとけ」
「ふぉ、ふぉんふぁ…ひぃふぁふぇふひゅひゅひゅひょひょひゃひゃゆひんひゃ!」
「そ、そんな…斬られる弓弦殿が悪いんだ!」…と、言っている。 揉みしだかれている割には楽しそうな響きだ。
「俺、幽霊か?」
「ふぉ、ふぉんふぉふぉふぁ」
「ほ、本物だ」…と、言ったので弓弦は彼女の頬を解放した。 若干腫れて赤くなっているが、それにしてはやけに赤いような気がした。
「勝手に人を殺すな。 面と向かって幽霊扱いされると凹むんだぞ?」
「な、なら何故あんなむざむざと斬られたのだ! 疑うではないか!!」
「いや、寸止めかな…と思ったんだがバッサリといかれたから参った。 これからは注意しておかないとな…チラ」
横眼で後ろを睨むと、居心地悪そうに視線を逸らされた。
「……詫びんぞ、元はと言えば貴様が彼女と床を共にしているのがいけないのだ」
「は?」
「だから、床で互いに唇を重ねておいて言い訳をするのか? 私は貴s…っ、何故そんな顔をする!?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔を見てアンナが怪訝に眉を顰める。
「…キス、してたのか?」
ユリに向けての質問だ。
壊れた人形のようにギギギ…と首を回して彼女の方を向く。
「………………………………………………………………………じ、事故だ」
意識を彼女に集中させる。
『私は首筋にちょっと、ちょっとだけしようと思っただけ…だから事故、そう、事故なの…だから嘘は付いていないから大丈夫、バレない…よね』
『…ドンマイにゃ、完全に回路が繋がってるにゃ』
「…そうか…そう…かぁ…は、はは、ははは…っ」
クロの言葉で弓弦は逃げ出したい気分であった。 これではフィーナ達に悪いし、思考を覗かれる頻度が増えるというのは中々ショッキングな出来事である。
『女の子の心の最も深い所に君がいる時、女の子の方からキスをされれば繋がるよ』
彼の頭の中で、ロソンの言葉が繰り返される。
彼女の言っていることが本当ならば、ユリの心の最も深い所にいるのは自分…ということになるのだ。
確かに好意を持たれているのかな…と、自意識過剰気味に考えてみたこともあるにはあったのだが、物的証拠が出てしまえば認めざるを得ない、というか、分かり易過ぎる。
「…それで、アンナは何故ここにいるんだ? …まさか、もう一人の巫女の護衛というのは…」
「私だ。 …これから護衛同士、協力していければと思っていたものを貴様という男は…っ!」
「そうか、なら護衛同士、協力していくぞ」
「ふん、誰が貴様何ぞと組みするものか、私が協力を申し出たのさは貴様に対してではない…貴殿に対してだ、クアシエトール」
魔法の効果を打ち消ししようと歯をくいしばる…仕方が無いので魔法を解除すると氷が溶けて霧散する。
「…巫女は姉妹、なら、一緒に護衛した方が良い。 …だが…っ」
「…橘 弓弦とは床を共にするな。 次襲われでもしたら助けられないかもしれないからな」
「……」
アンナの弓弦への態度は厳しいものだ。 アンナの視線に耐えかねたのか、それともふと散歩に行きたくなったためなのか、弓弦は二人を残して外へと出て行った。
「あ、弓弦…」
「ふん、今日は物分りが良くて結構だ…いつもそうだと良いのだがな」
アンナの一仕事終えたといった言葉に、微妙な違和感を感じたユリはそれを言葉にする。
「…何故そうもアンナ殿は弓弦から女性を離すのだ? 別に彼が特別私に危害を加えたわけではないということぐらい分かっていると思うが」
「あんな情け無い男に、花の蕾が蹂躙されているのを私は断じて許せない。 本来ならばこのまま連行したいほどなのだ、これがせめてもの妥協点だと自負している。 貴殿もあのような輩は止めておいた方が良い、捨てられるぞ」
「あのような輩」と言っている割には彼女の瞳に蔑みの色は無い、寧ろ、彼女の鳶色の瞳はまったく別の感情を帯びていたような気がするが、それも一瞬。 瞬き一つでいつもの鋭い視線に戻る。
「失礼を承知で訊くのだが、アンナ殿は弓弦の何を知っているのだ? その口振りだと私の知らない弓弦を知っているように聞こえるぞ」
「ああいった男はそういうものだと相場が決まっている。 これまでそんな男を何人も見てきたのだ。 知っているとするのなら、貴殿の知らないであろうあの男の非道な面だな」
決め付けにも等しい言い方で、知影が聞こうがものなら彼女の怒りが怒髪天を突破しただろう。
「…私には全くそうは見えないのだが分からないものだ」
だがユリが分からなかったのはやはり、彼を決め付けるアンナだった。 決め付けているのにその理由が何とも微妙なのだ。 適当に言っているような響きにさえ、聞こえたような気がした。
「…明日から催される豊穣祭、巫女の護衛について打ち合わせをしたいのだが良いか?」
「…そうだな」
疑念も、二人きりを邪魔されたという不満もあるが任務完遂が第一。 私情を押し殺して彼女は隣のアンナの部屋へと場所を移した。
* * *
村付近にあった寝心地の良さそうな木の枝に乗って弓弦は空を見ていた。
この世界に月は一つしかないようで、月が二つじゃない世界というのはここにきて初めてのことであった。
「…ん、そうなのか。 昔…か」
側から見れば独り言だが、一応木と会話をしている。
半ば部屋を追い出されたようなものなので帰るわけにもいかず、眠気も覚めてしまったので、たまたま眼に付いた弱った木に自らの魔力を流して込んで活性化させ、元気にして回っていたところを木からちょっと世間話を持ち掛けられたのだ。 木と世間話とはこれいかに。
「精霊との契約か…一度やってみたいものだな…ん? やってみないと分からないだろう? 時間があったら訊いてやってみるさ………っと、じゃあ気が向いたらまたここに来る。 …絶対召喚してやるからな? 楽しみにしておけ」
木から降りると辺りの魔力を探る…先ほどからずっと気になっていたのだ。
「はぁ…誰だ」
木々の魔力に紛れて明らかに違う魔力を感じた弓弦はその人物の見当を付けてから誰何の声を掛ける。
すると木の陰に隠れていたのか、ひょこっと顔を覗かせた。
レイアそっくりの顔立ちの女の子が駆け寄って来るーーー弓弦は纏っている魔力の量で見分けを付けたが、そうでもしないと分からないほど似ていた。
「見分けがつくんだ! へ〜! へ〜へ〜へ〜へ〜!!」
どこぞのボタンのように「へ〜」を連発してから弓弦の下にやって来たもう一人の巫女。
「レイちゃんを演じきって隠れてたんだけど分かるんだ! すごーい! 初めてだよお兄さん、こんなの、初めてだよ!」
元気な女の子だ。
格好までレイアとそっくりだと思ったのだが、どうやら性格も似ているようだ。
「あ、ごめんね突然。 私の名前はフレイ・アプリコット。 レイちゃんの妹で人呼んで………ま、良いや、ヨロシク!」
「橘 弓弦だ。 こちらこそ、宜しく」
「人呼んで?」
「人呼んで? …そうだな、ハイエルフ?」
「それは分かってるから、もう少しインパクトあるのをお願い!」
無邪気な子どもの戯れなので弓弦もそれに合わせるように、薄く笑った。
「…ク、ククク…ッ! 俺の名前は…って、何をやってるんだ俺は……すまない、これ以上は無理だ」
「……」
一人ノリツッコミを盛大にスベらせて閉口させてしまう。 徐々に俯いてしまうレイアに弓弦が困ったようにぽりぽりと頬を掻いていると、
「……ぷっ」
突然フレイが堪えかねたかのように吹き出した。
「ぷ…ぷぷ…っ、お、お兄さんレイちゃんと全く一緒だよその切り方と言い方と頰の掻き方…ぷっ、やっぱお兄さん、レイちゃんの予言の王子様なんだ…っ」
そのまま一頻り笑ったと思うとフレイは走り出す。
「お、おい!? 今の言葉…どういう意味なんだ!?」
「レイちゃんの王子様じゃーねーっ!!」
「……」
二度も言われると弓弦も理解出来る…が、理解出来ない。
何と言われたのかは理解したのだが、何を言われたのかが理解出来なかったのだ。
既に彼女の姿は見えなくなっており、追い掛けるわけにもいかず弓弦は棒立ちのまま固まっていた。