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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
平和な毎日
120/411

物語は、夢オチと共に

 眼を開けると、見知らぬ天井ならぬ、見知った未来の旦那様の顔。


「おはよう知影、よっぽど頑張ったんだな。 まさか座った途端人の膝枕で寝るとは思わなかったよ」


「……」


 うわぁぁぁぁぁん!! こんなのって…こんなのってないよっ!! 何で!? 凄く良い終わり方だったよね!? 私の物語は夢物語だったの…って、どこのありゃ…失礼、噛みましただよ!? あの後はエピローグに決まってるよ! 『ーーー十年後』とかあってもおかしくないよね! 私と弓弦の描かれなければならない未来図は!?

 子どもと一緒に、帰って来た弓弦を迎える成長した私の描写は!? それが一番大事だよ! お願いだよぉ…っ!


「起きてるか〜?」


「…弓弦」


「何だ?」


 だけど実際は右手で頬杖しながら、優し気に私のことを見ている。


「夢オチって、残酷だね…」


「何の話だ?」


「だから、夢オチだよ夢オチ。 残酷だねって」


「夢は覚めるものだろ、残酷も何もないと思うが?」


 夢はいつか覚める…かぁ…。 私からしたら少しタイムリーだ。 変そうだよね…泡沫うたかたの夢は覚めるものだから…。


「…こういう夢がどうこうの台詞はもう少しシリアスな場面で使うべきだと思うんだ」


「…よく分からんが、良いのか? 誕生日なのにいつまでも人の膝で寝ていて」


「だってお祭りで負けちゃったし…弓弦に」


 もう膝枕でも良いかなぁ…って思うんだよねこの際。 このままボーッとしてるのも…うん、弓弦の大事な部位が後頭部に触れているのが中々良いと思うんだ…あ、太腿ね。

 …ん? ちょっと待って。


「今何て言ったの?」


「ん? 誕生日なのに人の膝で寝ていて良いのかって話だ」


 そうだ、今日は誕生日なんだよ誕・生・日! そうだよ!


「そうだよね…誕生日だからね…っ!」


「あぁ、誕生日だ」


 立ち上がった私にはにかむ。 イケメンスマイル、いただきました。


「ここに連れて来てくれたのってお祭りだけじゃないよね? どんな予定だったの?」


 時計を見ると、寝ていたのは一時間程度。 夕方だからお店が閉まっているわけじゃないと思うし、お姉さん達に沢山仕込まれている弓弦が予定を立てていない訳ないはず。


「そんなものを訊いてどうするんだ? 行きたい所を言ってくれればどこにでも連れて行く。 知影次第だ」


 うん、ちゃんと用意してるみたい。 だけど私の意思を優先して言ってる…さっすが♪


「弓弦が行きたい所で良いよ。 …で、どこに連れて行ってくれるの?」


「そうか。 なら、城に行こうか」


「お城って…そこの?」


「あぁ。 行くぞ」


 手を引いてエスコートしてくれる弓弦。 全てにおいて私を優先してくれて、今日一日は私の弓弦でいてくれるって実感出来て…良いなって思った。 勿論手の繋ぎ方は恋人繋ぎ。 私が繋ぎ方を変えたらそれに合わせてくれた。 何か…初々しかった。


「こんな日常も…あったんだよね」


 学校に通って、適当に部活に励んで…弓弦と毎日を過ごす、そんな日常が。


「どうだろうな…俺はそこまでレベルが高くない大学への進学希望だったから…知影とは釣り合わなかったかもしれないな」


「その時はきっと、私が合わせてたよ。 先生に反対されてても、弓弦と一緒にいることを望んだと思う。 私の将来の夢は、橘家への永久就職だからね?」


「…あの姉さん達を納得させれればの話だ」


「駆け落ち…とか?」


「むざむざと逃がしてくれると思うか? 地の果てまで追いかけて来るよ。 普通は逆になるんだがな?」


『姉さん達に向かって「弓弦を私にください!!」って言う知影の姿か…うわ、絶対戦争になりそうだ…』


 …最近になって、家族の話を出しても弓弦が暗い顔をすることがなくなったような気がする。 一年近く経ってやっと乗り越えることが出来たのかと思うと安心するな。


「でももしあのままだったら、私と結婚とか…してたりしてね?」


「さて、な?」


『多分…してたな。 姉さん達と結婚出来るわけではないから結局知影が押し切って…って感じだろうな。

 知影と結婚…か…悪い気はしない』


 心の声が聴けるって、素晴らしい。 弓弦のツンデレがもう…堪りませんなぁ…っ♪


「私のこと、好き?」


「さて、な?」


『大好きの部類に入るのは間違い無いが…どうだろうな』


 心を覗かれているとは思っていないのか、弓弦は私にウィンクをする…バレたら怒るだろうけど、バレなきゃ犯罪じゃないっていうし、問題無い。


「まぁ、アレだ…嫌いだったらそもそも一緒に出掛けたりはしないな」


 二重のデレキターーーッ!! これが本当の意味での二度美味しいだね、うん。


「じゃあ好きってことだよね? ありがと♪」


 弓弦の腕にしがみ付く。 所謂、「当ててるのよ」状態。 私の胸別に小さいわけじゃないし。 ちゃんと弓弦の腕を挟める程度には、大きい。 あ♪ ちょっと顔が赤くなった♪


「…人前だ。 少しは自重してくれ」


「人前じゃなければやって良いってことだよね?」


「……」


『知影の胸…相変わらず中々のものだ…確か83だったよな。 これで小さい方なんだから恐ろしいもんだ…』


 弓弦…知ってたんだ。 私言った覚えないはずだけど。


「ここだ」


 まるで訪れ慣れているかのように迷い無く弓弦が扉を開けると、甘い香りが鼻腔をくすぐる。 私の視界に入ってきたのは、


「「「あ、お待ちしておりました!」」」


 …メイド、しかも可愛い。


「そちらの方が昨日…」


「あぁ。 紹介する…」


 冥土に送ってあげよっかな…メイドを冥土に…ふふふ♪


「うぁっ!?」


「ほら、下らないことは考えずに挨拶ぐらいしろ」


 ハリセンで叩いてからの説教…っ、腹が立つほどフィーナが弓弦と重なる。


「こんにちは、初めまして」


 一応、礼儀マナーだからね。 弓弦の視線が痛いし、やっておかないと。


「申し遅れました。 ソフィアです」


「ナンシーです」


「クレアです」


 丁寧に一礼をするファンタジー世界の女性キャラみたいな名前のメイドさん…皆み〜んな可愛い女の子橘…しかも見た所、全員二十代前半。 弓弦はハーレムメンバーを少しずつ増やしていってるみたい…死神さんのノートが欲しくなるね…ふふふ。

 メイドさんが大きなホールケーキをワゴンに載せて引いて来て、弓弦がそれを大きな長机の上に置く。 椅子を静かに引いて私を待っている姿にフィルタァァオォンッッ!! 私の脳内で、弓弦はノリの効いた燕尾服を完璧に着こなす執事と化していた…うん、萌えぇ…っ♪


「さぁ、座ってくれ」


 変換完了。


『お嬢様、こちらにどうぞお座り下さいませ』


「うん…♪」


「俺の菓子作りの友人達と、皆で誕生日ケーキを作ったんだ。 フィー達のことだから、皆は皆で用意していると思うが、俺からこのケーキを贈らせてほしい」


 変換完了。


『僭越ながら、私がお嬢様の為に腕を振るった一品にございます。 どうぞご賞味下さい』


「ありがと♪」


 お皿に取り分けられたケーキに向かう。


「知影、十九歳の誕生日おめでとう!」


「「「おめでとうございます!!」」」


 パーンッとクラッカーが鳴らされて、メイド達が部屋の壁側に並ぶ。

 弓弦に勧められるがまま、ケーキを口に運ぶ。


「…おいひい…っ」


 程良い甘み、苺の酸味…これはそう、ツンとデレ…そこにあるのは、弓弦から私に宛てられた愛のメッセージ…弓弦の…愛。

 私は弓弦を食べているんだぁ…♪ 弓弦…私の弓弦…。


「美味しいか?」


「うん…っ!」


「…少し動くなよ」


「へ? んん…っ」


 食べている内に頰に付いたホイップが弓弦の口に…じゃなくて手拭いで取られた。 そこは普通舌で舐め取らなきゃいけないよ…それが残念だけど、執事スタイルに免じて許す。

 一人でこれを食べるのも悪くはないけど、


「弓弦は食べないの? 一緒に食べようよ」


「知影に全部食べてもらいたいな、俺は」


「うん、食べる♪」


「…だが要らなくなったら言ってくれ。 全部というのは出来ればの話で、無理に食べなくて良いからな?」


 気遣い…弓弦の気遣い…あぁ、幸せ…こんな日が毎日続けば良いのにな。


「…だよな?」


「後々」


 弓弦のお菓子作りの腕前は最近になってまた一段と上達したんだ。 元から美味しかったんだけど、ホワイトデーの時より美味しい。 …もう食べ終わっちゃった。


「…ふぅ。 本当にありがと」


「お粗末様。 こちらこそ、全部食べてくれてありがとな」


「弓弦が作った物を私が残すわけないよ。 何でも食べるよ」


「はは、作り甲斐があるってやつだ」


 ピコピコと動く犬耳が見えたような気がした。 可愛いなぁ…っ!


「よし、じゃあ遅くならない内に帰るか。 皆が待ってる」


「うん! 大好き!」


「…じゃ、悪いが頼む」


「「「はい」」」


 弓弦は敬語キャラが好きなのかなぁ。 …どちらかというと、メイドさんが好きなんだろうなぁ。 でも何かな…弓弦が悟りの表情をしているのが気になるから覗いてみよう。


『…はぁぁぁぁぁ…』


 凄い溜息。 顔には出していないけど疲れてるみたい。 覗かれてないって思ってるんだろうなぁ。 だから色々萌える一言を聞けるんだけど。 残念かなぁ…って覗いてる私が悪いんだよね、きっと。


「帰ろっか。 私少し疲れちゃった」


「俺は構わないが…良いのか?」


「うん。 十分、楽しめたよ。 記念品も貰えたし…アレってしまったよね?」


 迫るカブ祭りの記念トロフィーと、優勝商品のカブ。 …大丈夫なのかなぁ、私が言うのも何だけど。

 でも実際ここで開催されてるんだから問題無しっと。


「カブはお裾分けだ。 そんな沢山は要らないからな。 …と、忘れてた。 ソフィー」


「はい?」


「これを以前頼んだ場所に貼っておいてほしい」


「これが例の…分かりました」


 弓弦が何かを手渡したみたい。 奪ってやろうかと思ったけど、我慢。 何度でも言うよ、私の心は海のように広いってことを。 首を捻った人は…頭、冷やそっか。


「え?」


 身体が持ち上げられた。


「疲れているんだろう? 最後のサービスだ」


 お姫様抱っこ♪ 流れるような動作は見事だよね〜慣れてるんだな〜…。


「っと」


 弓弦が何か呟くと、いつの間にか私達は城の屋上に立っていた。 見下ろせる町並み、屋根がとっても鮮やかで、例えるならお伽の国。

 遠くに臨む山々はまるで、ドラゴンが住んでいそうな雰囲気があって、冒険してみたいな…『勇者弓弦と目覚めし星空の戦士たち』とか、『続、勇者弓弦と呪われし神々の大地』や『そして伝説へ…勇者弓弦と導かれし天空の花嫁』

 …完璧だよ。 この三部作完璧だよ!! 特に最後、花嫁の辺りからもうニヤニヤが止まらない…ふぇへへ…最後二人は結ばれて更に続くんだ♪ 次の三部作にね。


「ここに居ただろ?」


 ドキッとした。


「? 何のこと?」


「走っていた時に、この辺りから知影を感じたんだ。 帰れって言ったし、風音が居たんだから気の所為かと思っていたが…居たな?」


「居たとして、それがどうかしたの?」


「ふと思い出しただけだ」


『あの姿を見られるのは恥ずかしかったからな』


 成る程ね…大丈夫、可愛かったよ…とは言わないよ? 私だってそんなミスは犯さないよ。


「…あの時、知影の声が聞こえたような気がしたから、俺は頑張れたんだと思う…ありがとな、知影」


「弓弦のことを考えてたら浮かんだんだ♪ そっかぁ…ふふふ…あ」


「そうか…やっぱり見てたんだな」


「ふぇ? 何のこと?」


「あのな、何でそうわざとらしく分からないですアピールをするんだ…そうか…見ていたのか。 まぁ気にしてはいないけどな?」


『…はぁ』


 物凄く気にしてるよ。


「えと…ごめんね?」


「…気にしてないから別に良い、分かっていたしな。 …人の心を覗いていたことも含めてな」


 え? もしかして、


「…バレてた?」


「バレバレだ、分かってて無視してたんだよ。 一々人の心を覗いて…楽しいか?」


「うん、楽しい」


「即答か!? はぁ…許すのは今日だけだからな」


 弓弦は仕方無さそうに許してくれた。 きっと、言っておきたかったんだよね…ごめんね弓弦。


「じゃ、今度こそ帰るか…」


 まるで重さを感じていないかのように(キャッ♪)お姫様抱っこのまま、私と弓弦はアークドラグノフの甲板に立っていた。

 弓弦の空間魔法って便利だよね…私の時魔法も負けていないと思うけど、“コメット”とか使えないしなぁ…少しだけ時を止められる程度の魔法って、こっそり弓弦のあられもない姿を拝んだり、お触りしたり出来るけど…それぐらいだからなぁ使い道。 もっと長ければ薄い本みたいに、時を止めている間弓弦を襲うことも出来るのに、現実は上手くいかないものだよ本当。


「…“アカシックボックス”…あった。 ほら」


 私を降ろすと、空中に開けた穴から弓弦が何かを取り出した。


「これ…矢筒?」


 任務ミッションに欠かせない、矢を入れておくための筒を受け取った。


「あぁ。 確か今使ってる矢筒、ボロボロだろ? 任務ミッション中に壊れたりでもしたら面倒だからな、もう一つの誕生日プレゼントだ」


「ありがとう…? これ、幻じゃないよね?」


 本当にあるかどうかが疑わしくなってしまうほど、弓弦がくれた矢筒に重みはなかった。 感触がある分、不思議だと思う。


「本物だよ。 正真正銘革の素材で出来た矢筒だ。 何故軽いのかは秘密だが」


 早速結び付けてみたけど、やっぱり何も感じない。 眼鏡をずっと掛けている人が「メガネメガネ」してしまうように、結び付けているのを忘れてしまいそうだよ。 何かの魔法かな…凄いなぁ弓弦、流石だよ弓弦。


「気に入ったか?」


「うん♪ ずっと付けておくね?」


「風呂に入る時もか?」


「それは外すけど…あ、私の裸想像した?」


「していない」


「見せてあげよっか?」


「興味無い」


「“ね”を付けようよ。 無口っ!?」


「すまん、手が滑った」


 いつもより少しだけ優しく叩かれたような気がする…って、


「私はフィーナじゃないんだから叩かれても嬉し…ふぅ…♪」


 撫でられるのは嬉しいんだ…はぁ、このくしゃぁって感じが良いんだよね…。 弓弦が無意識にやってるのが良いね。 毎回のようにハッと気付いて止めちゃうけど、毎回頭を撫でてくれる…これじゃあ叩かれるのが嬉しい変態だよ…フィーナと一緒にされたくはないよ。 あんな…「あぁっ! ありがとうございます! ありがとうございますご主人様ぁっ♪」とか? 「ぁぁ…そんな激し…駄目で…っ、きゃぅぅぅぅぅぅんっ!!」…これで萌えちゃう人がいるんだから変態って怖いよね…うんうん。 普通の女の子である私からしたらあり得ないよね?


「私って普通の女の子だよね?」


 可愛くクルッとターンを決めて、スカートを翻す。 中が見えないギリギリのラインで決めるのが難しいんだ。 見えるか見えないか…男子の夢だよね♪ 見えたら価値が無い、見えなさ過ぎてもやっぱり意味は無い。 ギリギリ…ギリギリこそが男の子の心をギリギリと刺激する…これぞチラリズム…さて、弓弦の反応は…!?


「…何やってるんだ?」


 素で理解出来なかったと言わんばかりの困惑顔。 弓弦の鈍感…そこは反応してよ、弓弦がリアクションに困ると私もリアクションに困るのに。


「私、普通の、女の子、だよね?」


「絶対に違うな」


 またまた。 きっと心の中では私のことを…


『しまった。 ついそのまま言ってしまった…何かフォローを入れないと』


「そ、そうだな…普通…だと…思う…な、なぁ…」


 うう…ぐすっ、覗くんじゃなかった…自分で自分の心に痛恨の一撃を叩き込んじゃったよ…っ。 そもそも私、もう高校生じゃないのに何でコスプレなんてしているんだろ…。


「…普通って…何だろ?」


 普通? 何が普通なの? 普通の女子高生って…何ぞや? あれ? 私って一体、何? 私って…あれ? あっれれ〜? おかしいな〜?


「…私は一体…誰なんだろ?」


「は?」


「私って一体…?」


「…。 おい…! どんな思考回路をしているんだまったく…知影、お〜い、知影〜!」


 弓弦の顔が行ったり来たり。


「教えて?」


「…神ヶ崎 知影、今日で十九歳、身長153cm、体重は伏せておくが、スリーサイズは上から83.57.82。 俺の嫁を自称するヤンデレ美少女で、俺の大切な家族の一人だ…どうだ?」


 弓弦の家族…うん、良いことが訊けた♪ これはきっと、私が記憶喪失になっても弓弦が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるんだようん。

 ねぇ、妄想して良いかな、良いよね? どうせ今回と前回は私メインのお話なんだし、問題無いよね? ね?

 それじゃあ、行ってみよう♪










* * *


 ーーー病院。


 ここに入院して二週間が経ったみたい。 みたいというのは、目覚めてからの記憶が私にないのが理由。 因みに私が目を覚ましてからは一週間が経過していた。

 最初は本当の意味で右も左も分からなかったけど…今は担当医や職場の同僚を始めとした友人や家族、ある人のおかげで自分のことは大体理解出来ていたり、思い出せていたりする。

 私は何でも、車に撥ねられて、その時のショックでエピソード記憶を失ってしまったとか。 意味記憶は問題無いみたいだから、言葉の意味は分かるのでその点については苦労しないけど…思い出が思い出せないのが悲しい。 特に、私の中にいたはずの“誰か”が誰か分からないのがもっと悲しかった。


「ん、起きていたのか」


 控え目な音が部屋に響いたかと思うと、男の人が入って来た。


「橘さん…こんにちは」


「あぁ、こんにちは」


 優しそうな笑みを浮かべて入って来たその人は、手に沢山の果物が入った籠を提げていた。


「退院、明後日だったな。 身体の調子はどうだ?」


 お花の水を替えてからベッドの足側にあるパイプ椅子に腰を下ろす。


「元気です」


「そうか…何か果物でも食うか?」


「じゃあ林檎をお願いします」


「任せてくれ」


 私の視線の先で手品師のように果物ナイフを取り出すと、慣れた手付きでスルスルと皮を剥いていく。 あっという間に林檎は綺麗に剥かれて、一口サイズに切り分けられる。


「ほら」


「ありがとうございます」


 新鮮なのだろうか、瑞々しくて、蜜がとても美味しい。


「いつもありがとうございます、美味しいです」


 微かに胸の奥にわだかまる違和感。 私はこの人に対してこんな話し方で良いのだろうか…毎日のようにここを訪ねてくれる。 でも、以前の私とどんな関係だったか詳しくは教えてくれない。 幾ら訊いても、


「ただの友人だ。 それ以上でもそれ以下でもない、普通のな」


 毎回この答えが返ってくる。 看護師さんに彼のことを訊いても首を振って「本人から訊いてあげてください」の繰り返し。 同僚だと言う皆さんに訊いても首を振る。 でも、家族ーーーお母さんやお父さんにその話をすると、寂しそうな顔をしたのが印象的だ。 友達…友達…か。


「記憶はどれぐらい戻ったんだ?」


「おかげさまで、殆ど戻っています。 退院したらそのまま職場に復帰するつもりです」


「そうか。 良かった…本当に」


「おや?」


「あら?」


 満足そうに微笑みながら、私に背を向けた時だった。 扉が開いて私の両親が入って来た。


「橘君…」


「失礼します」


 脇を通り抜けて橘さんが部屋を出る。


「待って弓弦さん」


 お母さんは元空手家。 彼の肩を掴んでそのまま部屋の中に戻す。


「あなたはこのままで良いの? 忘れられたままで」


 橘さんが私の両親とは合わないように時間を調節していたとしたのなら、何故そうしたのだろうか。 ただの異性の友人…にしてはお父さんもお母さんも親し気な気がする。


「自分は、それまでの人間ということです。 それに知影…さんにはきっと新たな出会いがありますよ。 っ、では」


 そう言って、まるで逃げるように部屋を出て行ってしまう。

 去り際に何かを落としていったみたいで、お母さんがそれを拾った。


「折角のチャンスだったのに本当に困った人…」


「そうだな…でも強がっちゃうものだよ。 まるで昔の僕みたいだ」


「…知影、あなたもまだ…思い出せないの?」


「え?」


「良いのか?」


「私が焦れたことが嫌いということ、知っているわよね?」


 そう言ってお母さんが私に紙切れを見せる…ううん、紙切れじゃない、写真だ。


「橘さんはあなたに、なんて言っていたの?」


「普通の友人だって言ってた。 私もそうなのかなぁ…って…違うの?」


 いつも私と少しだけ会話をすると帰って行ってしまう人で、本人が頑なにそう言うものだから私もそう思っていた。


「普通の友人が、毎日欠かさず、仕事の合間を縫って来てくれると思う? 私達も毎日は来れないのに…私達より忙しい彼が」


 忙しいんだ…初めて知った…ってわけではないんだよね、きっと。


「あの若さでこの人より年収良いの。 …実力で勝ち取った立場だけど」


「はは…彼は違うだろ? 本来なら別世界の人なんだからさ。 初めて直接会った時のことを昨日のように覚えているよ…二つの意味で、眼の前に人がいたらね」


 彼の仕事…そう言えば知らない。 覚えていないが正しいんだけど。


「役者だよ。 子役からずっと芸能界にいる、誰でも一度は名前を聞いたことがあるぐらい有名な…ね」


 …役者。


「…どう? 何か思い出せない?」


「…何でそんな人が私に?」


「じゃあ…これは?」


 写真を見せられる。


「これ…私」


 橘さんが落としていった写真に写っていたのは、橘さんと私。 あの人の腕に身体を預けている私の笑顔が眩しかった。

 バチ…ッと頭の中で何かが弾けるような感覚がした。 何度も、何度も…何度も何度も何度も何度も…!


* * *


「…って痛いよ橘さん!!」


 ハリセン片手に荒い息を吐いている弓弦に抗議。 これからが良いところだったのに!!


「お前がいつまで経っても帰って来ないからだ!! 俺がどれだけ叩いたと思ってる!!」


「良いところだったんだよ!? 後少しで二人が結ばれそうだったのに!!」


「後少しって何だ!! 軽く二時間は飛んでいたぞ! 心配したじゃないか!!」


「…ごめん」


『誰が役者だ…まったく』


 弓弦…覗いてたんだ…キャッ♪


「行くぞ、皆待ってる」


「うん♪」


 この流れは、アレだよ。 私の物語が次回もあるパターンだよね?


「今回までだ」


「へ?」


 …嘘だよね? だってこの後皆にお祝いされる私視点の今日の描写があるんだよね!? 夜は? 私と弓弦の夜の描写は!?


「だから無いな。 妄想を入れるからだ」


「そ、そんなぁ…っ、待ってよ…待ってよぉぉぉ…」


「こうして知影と俺の二人きりの一日は終わるのであった…以上」


 待って、待ってよぉ…っ。


「…っ、なら最後に…!!」


「どわっ!? …はぁ、部屋の前までだぞ?」


「うん♪」


 弓弦におぶわれて、私は部屋に戻るのだった。 私的に残念だけど…おしまい♪

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