謳う…謳われぬ
「おわっと!? 「隊長!」 危ないな〜!」
床が抜け、下の階に落ちそうになったレオンの手をトウガが掴み、引き上げる。
「しかし急に脆い床が増えだしたな〜…おちおち歩いてもいられんぞ〜」
「…元より脆い箇所が大きな衝撃にによってさらに脆くなった…と言ったところね。 これから先はさらに酷くなると思うわ」
「いざという時しか飛行魔法は使わないから注意することね」と、フィーナ。
「衝撃…きっと楓ちゃんと弓弦が何かと戦った時の衝撃だよね。 うわぁ…」
「本当にどんな戦闘をしたらここまであちこち風圧で崩れるんだ〜…お陰で遠回りだらけじゃないか〜」
「あの陰共が出てこないのだけがせめてもの幸いだな。 こんな所で戦闘でも起きようがものなら戦ってられん」
「あの2人が俺達のために片付けておいてくれたのかもしれないな〜」
足下に注意しながら進むレオン達から少し離れてユリとディオとセティが歩いている。
「い、いいい今何何何かが、何かがとととお通らなかったか!?」
「…ユリ…落ち着く。 …情け無い」
「し、しかしだな…ぁ、ぁぅ…」
セティが宥めるもユリは落ち着く様子が無く、頻りにキョロキョロと周囲を見る。
「……」
「…ディオ?」
「……」
しかしそんなユリ以上に様子がおかしいのはディオだった。 浮かない表情でトボトボと歩みを進める彼にセティが声を掛けるも返事は無い。
「…楓さんって今弓弦と風音さんと一緒にいるんだよね。 3人…なんだよね」
「…えぇ、そのはずよ。 空気中の魔力に混じって、微かにご主人様の魔力を感じるわ。 …宝珠がある以上過耗症になることは無いと信じたいけど…」
「過耗症?」
「気にしないで、こっちの話よ。 あと知影、前を見なさい」
「え? うわっ…ありがとう」
穴を避ける。
「…じゃあ弓弦、綺麗な大和撫子2人連れて両手に花状態なんだ…最初はシャワーシーンから始まり変わったと思ったら月夜の中やっぱり裸…弓弦の裸…ふふふ…ユリちゃん! 重力波動砲、スタンバイ!」
「……な、何を言えば「スタンバッてます」…セティ殿?」
答えたのはユリではなくセティ。
「んじゃ、発射!」
勿論何も発射しない。 仮に発射したら恐ろしいものであるが…。 そんな知影の謎発言に何故か見事に対応するセティに知影を除く全員が唖然とした。
「凄ーいっ! ユリちゃんどこでその知識仕入れたの!?」
1人盛り上がる知影。
「…秘密」
「…弓弦仕込み?」
「…秘密」
「知影。 セティを苛めない」
セティにズイズイと迫っていく知影を諭すような声音でフィーナが止める。
「苛めてないよ! 酷いよフィーナ」
「そう? そう見えたから…謝るわ」
真面目に相手するのも疲れるので適当に流す。 何故こうも緊張感が彼女にないのかとフィーナは頭を抱えるが、余裕のある方がこの先に待ち受けているであろう強敵に対処し易いと思考を切り替えて、やはり、彼女の言葉は極力聞き流すことにした。
「…そ、そうだ…いざという時のために…あった」
1人、ユリが隊員服の裏のポケットからロケットペンダントを取り出す。 花嫁衣装の装飾品として送られ、写真撮影をした際にも着用した物だ。 中には勿論、写真が入っている。
「ふっ…♪」
その写真を見つめて鼻笑。 決してそこに嘲りを始めとしたマイナスのニュアンスは一切込められていない。 そこにあるのは、心からの安堵である。
「…クアシエトール大佐、どうしたのですか?」
「ッ!? 何でもない。 行くぞ」
少しの間見つめていただけなのだが、今のディオが声を掛けてくるほど夢中になっていたことに少し反省し、先に進む。
「…あ〜あ、ここも崩れて先に進めないぞ〜…どうするんだ〜」
遠くに扉が見えるのだが、そこまでの道が完全に崩落しており先に進めない。 これで先に進めない箇所、五箇所目。 タイムロスにもほどがあった。
「…何あの扉…どうやってあそこまで行けば良いんだろ…」
「…あの扉の先からご主人様の魔力を感じるわ。 仕方無いわね、今全員に飛行魔法「うわーっ!」
…何今のワザとらしい声は」
「大丈夫か?」
「…ごめん、躓いちゃった…」
一番最後尾を歩いていたディオが何かに躓いて転けていた。 トウガに軽く詫びて壁を支えにして立つと、
「おわっ!? な、何だ!?」
レオンの足下の辺りから突然、床が延びて扉のある場所へと繋がった。
「お〜お〜。 こんな仕掛けがあったんだな〜…お手柄だぞディオ〜!!」
「…ありがとうございます」
「怪我の功名というやつだな。 そうか…これで…っ」
「じゃあこれであの扉の先にいる弓弦に会えるんだよね! 隊長さん!」
「お〜し! 行くぞ〜!」
「あ、待ちなさい! …もう…っ!」
レオンを先頭に橋を渡り最後にセティが橋に乗った時、弓弦達の時と同じように、ボーンドラゴンが四体空から現れたのだった。
*
楓から弓弦に戻り、適当に城内をぶらつくことにした彼はふと中庭に視線を向ける。 年齢は分からないが、少年が大人に混じって剣を振っている姿は微笑ましいものだ。 遠目に見ても育ちの良さが分かる中性的な顔立ちと、銀髪と海のような青い瞳が弓弦の中で誰かに重なった。
『弓弦様?』
「何でもない。 さて、どうしたものか…」
時刻は昼頃であろうか、中庭で訓練している騎士達とは別に城内を歩く騎士が増え、どこからか美味しそうな香りが。
『…何か召し上がります?』
「一般開放されているのなら食べれるとは思うが…ま、言ってみるか」
『はい♪』
たまたま通りかかった騎士に食堂の場所を教えてもらい、城の食堂へと足を向ける。
「ちょっと良いか?」
食堂の店員らしい女性に声を掛ける。
「はい?」
「この城の食堂は一般開放されているのか? 可能ならば食事をさせて頂こうと思うのだが…」
「えぇ、無償という訳には参りませんが、一般の方々にも開放されています」
「そうか、じゃあ何か今日のお勧めみたいなもの…あるか?」
「はい、こちらです」
脇に抱えているメニュー表を開いて見せてくれる。 店員服を押し上げる、ある身体の一部分に危うく目が行きそうになるが風音の咳払いで視線をメニューへと移した。 …当然読めなかったのでこっそり“アカシックルーン”を使う。
「じゃあこ」
言葉の途中でカーンッ!! と、背後から何かで強打される。 眼の裏に星が見えたと思ったら、激痛が彼を襲う。 頭を押さえながら背後を見ると、フライパンを握りしめた店員が3人そこに立っていた。
「あ、あなたねぇ…よりにもよって私達のお姉様に近寄るなんていい度胸ね!」
「そうよ! 客のフリを装ってお姉様に近付こうなんて、そうはいかないわよ!」
「ほら! あっち行きなさいっ!」
口々にそんなことを喚きながら彼女達ガンガンと何度も頭を叩く。 『お姉様』と呼ばれた店員は止めようとしているが、食堂の人間も遠目に気の毒そうな目で見るだけで弓弦を助けにくる気配は無い。
「……ッ!」
「「「…っ!?」」」
転がってフライパン地獄から逃れるとゆらりと立ち上がる。
「………」
「な、何よ…」
「私達が悪いって言うの…」
「…もしわ、私達に手を出したらお父様に言い付けるわよ!」
ブチッ。 …という音を風音は聞いた。 相手3人はこの国の貴族子女。 もし弓弦が手を出したら、最悪牢屋である。
「…お前らな、いい加減にしろよ…っ」
「ね、ねぇ…本当に言うわよ! どうなっても私達は…っ」
据わった眼で歩いてきた弓弦から、最初に彼をフライパンで叩いた女性店員がジリジリと下がる。
「…フ」
「「「…フ?」」」
姿が消える。
「…ッ!?」
1人目。
「フライパンを!」
「きゃ!?」
2人目。
「粗末に!!」
「ひゃっ!?」
3人目。
「扱うなぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
なり行きを見ていた人間が一斉に椅子から転げ落ちる。
「「「「そこなのかぁぁぁっ!?」」」」
殆ど満場一致のツッコミを受けて満足そうに頷いた弓弦はフライパンをお姉様と呼ばれた店員に渡して、自らは席に着く。
「…ふぅ。 納得いかなかったんだよ。 調理器具は大切に扱わないとな」
『…御気持ちは分かりますが、この場合は少々怒られる対象がズレているかと思います…』
無必要に女に手を上げるな…と、姉達に教育されている弓弦に攻撃を加えるという選択肢は無い。 仮にしようがものなら夢に出てきて襲われ…怒られてしまう。 文字通り、様々な意味で食べようとしてくる姉達は恐怖以外の何者でもないので、あれがせめてもの落とし所だった。
「お待たせ致しました」
「よし、食事するか」
「…あの娘達が迷惑を掛けたこと、謝るわ」
「皆悪い娘じゃないんだろ? なら別に良い」
「…せめてものお詫びとしてお代は、無しにしておくわ」
「あぁ、助かるよ」
丁寧にお辞儀をしてから3人娘の下へと叱りに行ったのを横目に食事を始める。
『…食べたことの無い味です』
「俺もだ。 世界が違うから当たり前だが、面白いものだ」
ちゃちゃっと食べ終えて立ち上がり、礼を言ってから食堂を後にする。 去り際向けられた視線に熱っぽいものがあったような気がするが弓弦は気付かなかったことにした。
次にふらっと向かったのは騎士団の詰所。 騎士は全員中庭に行っているらしく、誰もいなかったが、“イリュージョン”で彼はこっそり忍び込んだ。
『…勝手に覗いて、宜しかったのでしょうか?』
「まぁ良いだろ。 勉強だ勉強…どれどれ…ん? 騎士団の派遣記録か…面白そうだ」
『…左様ですか』
棚から分厚いファイルを取り出して広げる主人の姿を精一杯の冷めた瞳で見るが、当の本人はまったく気付いていない。 夢中である。 どこに、いつ、どのような目的で派遣されたのかを食い入るように見ている。
「…魔物は出るんだな。 戦争が無いのは良いことだが…他国との交流は何をしているんだ? 地図地図…ん、これか」
『あら? これは…』
地図を取り出して広げて、今度はそれをじっくりと見ていく。
「…ここ、がこの国…ル、何だ? 塗り潰されているな…。 …透け…ないか、まぁいい。 だとすると、成る程な…だからこそ、納得がいかんが」
地図によると、この国は丘の上にあり、正攻法で攻めるのならば南から丘を登り攻略するしか方法が無いという、地理的に非常に有利な位置にあった。 しかし、丘を降りると東西を二つの国の砦に挟まれており、この二国の間で戦が起ころうがものなら巻き込まれてしまいそうだ。
「…となると、騎士団の派遣は牽制…と考えて間違いなさそうだな。 他国に攻め滅ぼされた…とするのならそれを、防げば良いのか?」
『人殺し』というフレーズが弓弦の脳裏をよぎる。
『…気にされておられるのですか?』
静かだった風音が突然口を開く。
「…まったく気にしていないと言えば、嘘になる。 今更『弓弦様』」
「今更1人を殺そうがそれ以上を殺そうが意味は同じだ」と言おうとした弓弦の口を風音の言葉が噤ませた。
『…例えそうであったとしても、口には出されない方が宜しいかと思います。 …せめて、峰で』
「…あぁ、そうするさ。 あんな感覚、慣れたくはないが、慣れてしまったら、終わりだ」
弓弦も、風音も既に一度はその手を血に染めている。 エゴだと分かっていても、彼は彼女に、彼女は彼に、修羅道へと堕ちてほしくなかった。
「だがな…いや、それはもしもの時に話すとするか。 時間は?」
『…夕刻、でしょうか』
詰所の窓から見える空は、茜色。
「ん…? あれは…」
丘の麓に多くの人が集まっているのが見えた…武装した人が。
「敵襲だ!」と、誰かの声がした。 慌ただしく人が走り回る気配と、微かに香る、血の匂い。 先んじて敵国の兵が城内に潜り込んでいたのだ。 何という警備体制の薄さか。
「やるぞ」
『畏まりました。 ですが』
詰所を飛び出た弓弦は剣戟の音が聞こえる方へと走る。
「…様をお守りしろ!!」
「もう中庭にまで攻め込まれているのか!? 『弓弦様、交代です!』は?」
勝手に口が“エヒトハルツィナツィオン”を唱えて、弓弦から楓になる。
『おい!? 酷くないか!」
「此方の方が都合が宜しいですッ!」
中庭に飛び降りて侵入者と対峙する。
「あ、あんた…」
状況を確認する。
戦えそうな味方は30人ほど、背後に先程の店員を始めとした人々を背に庇って戦っていた。
「…私が御時間を稼がせて頂きます。 その間に、退却を」
「すまない、だが必ず戻る」
騎士団主導の下、城内に入っていく人々を肩越しに見ながら剣を抜く。
「ここから先は、何人たりとも御通し致しかねます」
『…様子がおかしいな』
侵入者の敵兵に、生気は感じられなかった。
「…っ!」
放たれた矢を身体を捻ることで避ける。 全身を覆う甲冑の隙間から、黒い陰。
『…峰打ちの必要性は無さそうだな。 じゃあ交代だ。 剣じゃ戦い難いだろう? 薙刀、取り出した方が良くないか?』
「問題有りませんよ。 薙刀は…」
剣を横に向け、鍔元に手を添える。
「シフト」
そのまま刃面の上を滑らせると、
「モード、ハルバード」
弓弦が聞き覚えの無い、変形機構の起動ワードを言った。
『は?』
剣がその形を変形させる。
「焔よ!」
焔を纏い、薙刀に変形した得物を構えて陰兵達の周囲を一周。 彼女の駆け抜けた後には、燻る小さな炎が。
「参ります。 焔の舞!」
一瞬にして炎が噴き上がり、うねり、嵐となって呑み込んだ。 塵すら残さず、兵達は消える。
『風音! 上の橋にも兵がいる!』
「…っ!!」
何と、壁歩き。 壁歩きをして中庭からその上にかかる橋に移動して扉の前に立ち塞がる。 薙刀を巧みに扱って1人、また1人と胴を斬り裂く。
「あんた、こっちだ!」
全て倒した後、扉が開いて中へと手招きされる。 楓が入ると中の騎士が壁にある隠しレバーを操作して、橋を格納した。
「結局任せっきりだったな。 だが避難は無事に終了だ。 避難用の隠し部屋に避難者は隠れているからこれで安全なはずだ」
「左様ですか…それは何よりです」
扉に何か細工をしていた兵士が敬礼をしてから報告をする。
「…扉の封印、完了しました!」
「ご苦労。 …っ、平和ボケしていたからこうなったんだ」
「…状況は芳しく…ありませんか」
扉の先を忌々しげに睨み、溜息を。 そして二脚並ぶ玉座を見る。
「…この国は、終わりだ」
「『…』」
重苦しい雰囲気が玉座の間を支配していた。 四隅に4人の騎士がそれぞれ体操座りをしており、玉座には2人の騎士がバーンアウト症候群を患ってしまったボクサーのように腰掛けていた。
『ツッコミ所多いな!? 全然重苦しそうに見えないのだが…』
弓弦のツッコミは風音にしか聞こえないので反応出来るのも彼女だけだ。 思わず笑ってしまいそうになるのを堪える。 それを同意、と受け取ったのか言葉は続けられる。
「大方二国で同盟…と言ったところか。 報告がなかったということは成り代わられていた。
おそらく外は既に本隊に蹂躙されている。 あんたも…災難だな」
「この場所は安全なのですか?」
「一度内側から封印すると外からは開けられないそうだ。 使用したのは今回が初めてだが、信じるしかあるまい。 我々“ ”騎士団がここにいるのは、そこの扉が破れるというもしもの時のためだ」
何故か騎士団の名前が楓に聞こえなかった。
『引っ掛かるな。 強制力…というやつか』
それを知ってしまうことで何かしらの不都合が生じてしまうのかもしれない。
何かしら、が、何かは分からない弓弦ではあったがそんな気がしたのである。
『俺達が知るべきではないことなのか? …だが知ったところで何にどう関係するんだ? レオンじゃないが、さっぱり分からん…知影なら』
ピクッ。 その言葉が唯一聞こえる人物の眉が一瞬上がる。
『いや、フィーも分かりそうだな。 魔法の知識だったら間違いなくあいつだ』
ピクピクッ。
『ユリは医療班のリーダーらしいから医学的知識は豊富だよな…セティは…可愛い(ワケが分からない)』
名前を挙げている順番に決して悪意があるわけではない。 決して…。
『風音は…って、今そんなことを考えるのはおかしいか。 今は現状の打開策を考えないと…』
「…何か、暑くないか?」
「…あぁ、暑いぜェ…暑過ぎるぜェ…」
周囲の温度が徐々に、上昇し始めていた。
「……」
楓を中心として。
「そ、そうだ、あんたの名前を訊きそびれていた。 名前を伺っても良いか?」
「…名乗るほどの者ではありませんよ。 強いて申し上げるのなら、唯の流浪人で御座います」
怒っている。 よく分からないが怒っている、と騎士の考えが揃う。
『…不気味なあの兵達は一体何なんだ。 この城…国が滅びた原因は分かった。 …この世界、俺達が気付いていないだけで崩壊点ギリギリなのか?』
一番気付かなければいけない人間が気付いていなかった!
『…隠し部屋が気になるな。 一度見てみるのも良いかもしれない。 風音、訊いてみてくれないか?』
「…他の方々は隠し部屋へと避難されていらっしゃるのですよね?」
風音は女将であり、従者である。
例え自身が多少イラついていてもそれを他者にぶつけること無く自らを律して礼節を弁えていなくてはならない。
そう、からかうために“ワザと”自分だけ除け者にした意地の悪い主人に、どのような仕返しをしようかと意地の悪い笑みを内心浮かべていてもそれを表に出すことはしなかった。
「ふむ…一旦様子を確認した方が良いか。 ヴォルダー、頼む」
「ハッ」
玉座に燃え尽きたように腰掛けていた2人の内、片方の騎士がその後ろに掛けられた王の肖像画と壁の間の空間に手を入れてそこにある隠しスイッチを入れる。 …柱の裏の壁が動いて奥への通路が。
ーーーきやぁぁぁっ!? と突然奥から悲鳴が玉座の間にいる全員の耳に届いた。
「セルゲイ団長!」
「…っ、馬鹿な…総員、続け!」
騎士達が通路の奥へと消える。
『俺達も急ぐぞ!』
「はい!」
楓も急いで通路の奥へと走り、先にあった階段を下っていく。
『急げ!』
陰が滲み出るように人の形を模り、現れた。
「せやぁっ!」
斬り捨てて先へ。
『嫌な予感がする…間に合ってくれ…っ!』
ーーーうわぁぁぁぁっ!!
男の悲鳴が聞こえた。
ーーー何なんだよこの陰! おい、アーザー! しっかりしろ! っ、ぎゃぁぁぁっ!?
ーーーヴォルダーッ!!
騎士達の悲鳴だ。 一体この先で何が起こっているのだろうか。 焦燥に駆られながら急ぐと通路の端に、避難したであろう人や騎士の死体が見られるようになる。
「…何があったのでしょうか」
『…っ、穢れた魔力が…集まってくる!? 気を付けろ風音!』
何か不吉なものが周りの死体の中に入り込んでいくのが楓の瞳に映った。
「『…ッ!?』」
死者が起き上がった。 自然の摂理に反する、『この世ならざるもの』として。
「…死者への憑依とは余り頂けるものではないですね…!」
『怖かったら変わるが、大丈夫か?』
「交代、してほしいのですか?」
二度と利用されないようにするのがせめてもの慈悲と、“焔烈閃”で焼き払いながら、薙刀を後ろ手に構えて先へと進む。
『あぁ。 交代してくれ』
「御断り致します」
敵も、言葉もバッサリと斬り捨てる。 風音は女将であり従者である以前に、乙女なのだ。
状況の切迫性を理解しているが、それを阻害しない範囲での些細な仕返しである。
「御昼の時の御言葉を大声で仰って下さるのでしたら考慮は致します」
『…す「せやぁっ!」…言わせる気無いだろ!』
「クスッ…何か仰いましたか♪」
『…もう良い』
悲鳴や剣がぶつかる音が近くなるにつれてそんな会話も少なくなる。 もうどれだけの死体を葬ってきたのか分からないが、楓に疲労の色はまったく無かった。
「御無事ですか!」
「…っ、あんたか!!」
セルゲイと呼ばれていた騎士と2人の騎士が背中に数人の生き残りを庇った状態で必死に応戦していた。 彼女はその彼等を壁際にまで追い詰めているアンデッドを弾き飛ばして間に立った。
「怖いですお姉様…っ」
「… 大丈夫。 ほらあなたも」
「…ぅ、ぅぅ…」
フライパンで弓弦を最初に叩いた店員、お姉様と呼ばれている店員、訓練に参加していた少年を沈痛な面持ちで見、セルゲイが楓の隣に並んで剣を構える。
「…刃に倒れた仲間も、人々もその瞬間に自分に刃を向けてくる…これは悪夢なのだろうな。 生き残りはこの3人だけだ…」
「…左様ですか。 脱出方法は」
「これだ」
牽制しながら会話を続ける。 楓が説明を求めると、セルゲイは小さなペンダントを取り出す。
「自分の家に伝わる魔法の道具だ。 何でも1人だけ転移が出来るらしい」
『…空間属性の魔力を感じるな。 何らかの空間魔法が込められた魔法具だな』
弓弦がそのペンダントが本物かどうかを判断する。 このままでは助かるのはこの中の1人だけであった。
「…もう話し合って、脱出する人間は決まっています。 …彼です」
「…ぅぅ」
「“ ”君。 この国の皇位継承権第九位だった子よ。 私はこの娘を置いて逃げれないし、セルゲイ団長も最後までお付き合いしてくださるみたいだから。 あなたはどうするの?」
「私は…いえ、私達も脱出させて頂きますよ」
「(方法、ありますよね?)」と心の中で弓弦に訊くと、
『…思い付きだが、ある』
返答は、内容のわりに確信に満ちた響きを持っているみたいであった。
『俺の吸収魔法でその魔法具の魔法を吸収する。 転移に必要な魔力が1人分しか込められていないそれより俺の魔力を使った方が、転移人数は増えるはずだ』
1人しか本来は転移出来ない。 つまり、この少年1人だけここから脱出することが正史なのだ。
何かを変えるために、楓がこの時間軸に来たというのなら、分岐点は間違い無くここだ。
『全員で脱出すれば、何かが変わる』…弓弦は、彼を通して風音もそう思い至った。
「セルゲイ様」
「何だろうか」
「そのペンダントを、私が頂いても宜しいですか?」
「……」
セルゲイは振り返って3人を見る…3人共頷いた。
「分かった。 じゃあ自分が囮を引き受ける…その内に脱出を」
「いえ、その必要はありません」
弓弦の指示に従って“バリア”を使い、アンデッドを周囲から弾き飛ばして進入不可にする。
「ペンダントを」
「あ、あぁ…」
『魔力、見えるだろ? それを引き出すというイメージを頭に強く描け』
ペンダントを両手で包み、楓が強くイメージすると頭の中に詠唱が浮かんできた。
「皆様、私に掴まって下さい! 説明は後程致しますので御早目に!」
4人が楓の身体に触れるのを確認してから詠唱を始める。
『…我等を運び給え、テレポーテーション!!』
楓達は城が望める丘の上に立っていた。
「ペンダントを御返し致します」
「…そうか、自分達は…助かったのだな」
剣を横に置くと、後ろ向きに倒れる。 疲れていたのだろう。 すぐに深目の眠りに就いていた。 フライパン店員(名前を知らない)がそんな彼を横から覗いている。
「…無理しちゃって」
「カーシャ…あまり嬉しくなさそうに見えるわよ?」
カーシャという名前のようだ。
「だってお姉様、信じられないんだもの…こうして生きていることが。 …ねぇあなた、良ければお名前を伺っても宜しいかしら?」
「…楓、と御呼び下さい」
「私の名前はティリエーラよ。 楓、あなたはこれからどうする?」
「そうですね…」
『…ここままだったら彼女達と行動を共にするべきだが』
分厚い雲が、空を見渡す限り覆っておりもう太陽を見ることは出来ない。 空気中の魔力がどんどん穢れていく…世界の崩壊が始まったのだ。
「うわっ!?」
突然少年の前に、光を放つ扉が現れていた。 それはこの時間軸での楓が行うべき役目の終わりを意味していた。
「な、何だろうこの扉?」
『…どうやら帰らないといけないみたいだな。 元の時間軸に戻るための扉だ。 開けたら最後、ここに戻ってくることは出来ない。 適当に別れの話を切り出して帰るぞ』
楓はこの時間軸、ひいてはこの世界の人間ではない。 扉が現れた以上はここに留まっても意味が無い。 それにこれは一種の寄り道、2人の目的はアンナの捜索だ。
「…御別れの時間の様です」
3人の視線が楓へと注がれる。 突然別れと言われて驚くのも無理はない。
「可能ならば皆さんに御一緒させて頂きたかったのですが…」
「うわっ!?「ぶごっ…」ぁ、団長…」
扉を開けると近くにいた少年が吹き飛んでセルゲイの腹の上へ。
「…戻らねばならない場所がある為、失礼させて頂きます。 願くば皆さんの旅路に幸多からんことを
…」
楓が扉の中へ消えると、扉は跡形も無く消え去る。
「…天女のような人だったな」
衝撃で起きていたセルゲイが立ち上がる。
「さ、気持ちを切り替えてどこかの国に亡命しないとな。 ん? あれは誰だ?」
彼等の下に駆け寄ってくる人物が1人…2人いた。 この2人と出会えるのは本来、少年ただ1人であった。
しかしこの場には少年と、少女達と、若き団長の4人がいる。
四本の糸がある。
謳われる物語と交わる糸もまた、四本。 四本の糸が謳われるであろう、謳われなければならぬ物語にどう影響を及ぼすのか誰も分からない。
だが、謳われるはずのない物語の幕が上がったのは確かなのであった。