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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
“非日常”という“日常”
10/411

ユリと、彼女

 ほうけていた。

 温かい闇の中を漂いながら、ずっと夢を見るように。


「あーあ」


 一人暗闇の中で、溜息。

 何だかとても怠かった。


「…私…駄目だなぁ」


 弓弦を守れなくて。

 無我夢中で身体を動かしてみたけど、敵わなかった。

 隊長さんが、凄く強い人だってことは分かっていた。でも、私なら何とか出来るかも…って期待はあった。

 急に身体も動かなくなったし、もしあれが制限時間だとしたら…私はどうやっても勝てなかった。攻め切れなかった。


「はぁ…ぁ」


 暗闇の中に、光が見えた。

 何だろうな…。あ、もしかした天からの迎え?


「…私も疲れたんだ。なんだか、とてとも眠いんだ……」


 きっと天使様が迎えに来たんだ。

 だから、お決まりの言葉を言って召されようとする。

 死んでしまうとは情けないけど、こうなったら仕方無い。私は天から弓弦を…。


──知影ちゃん。


 …あれ。天使って眼鏡着けてたっけ。

 それに…二人しか居ないのは寂しくない? もっと数人で迎えに来てくれれば…。


──起きてくださいまし!


「…あ」


 光が、弾けた──。


* * *


「ん…うん……」


 瞼の裏が眩しい。


「(瞼の裏? 私いつの間にか弓弦の身体を乗ってしまったのかな…)」


 そうだとしたら、弓弦君はどこに居るのだろうか。

 自分の内側に意識を集中させても、彼の気配は感じられず。

 おかしいと思って瞼を開けると、そこに。


「あ! 眼覚めましたわ、博士!」


 リィルさんが居た。


「お! やった、成功だ!!」


 博士さんも居る。

 二人共どうしたのだろうか。何か随分と喜んでいるように見えるけど。


「気分はどう?」


 博士さんが心配そうに見てくる。

 その周囲には、様々なコードや、知的好奇心を刺激されそうな本の数々──つい最近、見たばかりの景色だっま。

 視線を巡らすと、ここが研究室だと言うことが分かった。


「私…一体」


 呟いた声が、掠れていた。

 まるで眠りから覚めたばかりに。


「あれ……私」


 聞き覚えのある声。

 借り物じゃない、いつか聞いたことのある声で、いつも聞いていた声。


「ほら…」


 リィルさんが机に置いてあった鏡を見せてくれる。

 そこに映っていたのは──


「いやぁ、成功して良かったよ。どうだい? 自分の身体に戻った気分は」


 間違い無く、私──「神ヶ崎 知影」の姿だった。


「どうして…」


 私の身体は、確かに世界と共に消えてしまったはず。

 それなのに今、私は姿は存在している。…瞳の色が違ってるけど、袖を通している制服までご丁寧に新品同然の再現度。

 これ、夢…なのかも。


「まぁ…っ」


「…い゛っ!」


 頬を抓っても、覚めない。

 でも信じられなくて、抓り過ぎて涙眼になった私が映っていた。


「どうして…」


「説明しまむぐっ!」


「いや、僕から話そう」


 リィルさんの口を押さえ、博士さんが説明してくれた。


「順を追って話そう。まずは君が消えてしまった経緯について…」


 ──話は、私と弓弦がこの艦に来る直前にまで遡った。

 崩壊しつつある世界で一刻を争う事態であった隊長さんは、艦に戻るために転送装置に飛び込んだ。

 何でも、世界を行き来する方法は艦で直接行く方向と、行きたい世界に設置した転送装置を使って転移する方法があるのだとか。

 装置は予め、決められた時間後に起動するよう設定されていた。時間制限内に装置に触れる必要があったのだけど…。


「間一髪、君は間に合わなかった。世界の消滅に巻き込まれてしまったんだ」


 ──時間切れ。

 転移装置の有効範囲内には入れた。

だけど弓弦と手を繋いで走る最中に、私は崩壊に追い付かれてしまった。

 足先が崩壊の余波に触れてしまったらしい。そこからどんどん私は侵食され、崩壊の渦に引き寄せられてしまった。

 だから私の存在は薄れていき──消えた。

 それが私が消滅した真相だと、博士さんは話す。


「だがその時、同時に不思議なことが起こっていた。…世界と運命を共にしつつある君の身体から、魂魄が抜け出したんだ」


 ──だけどその瞬間。私を離したくない弓弦と、彼から離れたくない私の想いを引鉄に、幽体離脱現象が起きたとか。

 身体を離れた私の魂魄は、弓弦の中へと入り込み、弓弦の一部(・・・・・)となったために消滅を免れた。


「一つの身体に、複数の生体反応を確認した時…まさかと思ったよ。もっともすぐに一人分の反応になったけどね」


 それは、奇跡のようなものだったとか──そう語る博士さんは、どこか納得がいっていない様子を見せている。

 確かに、非科学的だ。信じられないけど、可能性としては一番あり得る。

 何より想いの力とか…超ロマンティック♪ 私好み♡


「瞳の色が左右で違うのも、一時的とは言え魂が同化した時の名残だね。肉体は…魂に応じて形を変えるとも言うし。…それは兎も角」


 ──そこで博士さん達は、一つの仮説を立てた。

 弓弦の魂から私を切り離し、それを用意した別の肉体に宿すことが出来れば──神ヶ崎 知影と言う存在を取り戻すことが出来るのではないかと。

 そのために、私から弓弦のどちらかが、身体を張って(・・・・・・)でもパートナー(♡)を守らなければならない状況を作り出した。


「目論見は無事に成功。仮想空間を利用し、君の魂は弓弦君の下を離れた。後は、事前に用意した身体に宿して今に至ると言う訳さ」


「…そうだったんですね」


 何だか、信じられないくらいに凄い方法。

 それを当たり前のように話してくれる辺り、ここは私の知る常識が通じないこともあるんだなって実感する。


「でも、身体はどうやって準備を?」


 博士さんは、面白そうな笑みを浮かべて眼鏡を指で押さえる。

 会心の笑みだ。とっても誇らしそう。


「ま、科学の力で再現したってところかな。安心して、ちゃんと生理的行動は可のぶっ!?」


 そんな博士さんの首に、鞭が。


「…はしたないですわよ」


「(うわぁ…)」


 巻き付いた鞭を外そうとする博士さんだけど、顔色が徐々に青褪めていく。

 めっちゃ締め上げてる。苦しそう。


「知影ちゃんも一発良いですわよ?」


 と話すリィルさん。

 今度はリィルさんが楽しそうな笑顔を浮かべている。


「う〜ん」


 確かにセクハラ言われたけど。博士さんは恩人。暴力振るうのは何か…申し訳無い。


「(…そうだ)」


 私は立ち上がると、身体を慣らすついでに、研究室中の棚等を物色した。


「っ!?」


 探せば探す程、巧妙に隠された菓子袋の数々。

 宝探し気分で楽しんでいると、背後の雰囲気が凍り付いていく。

 声無き悲鳴が上がってるけど、知らない♪


「何で知ってるの? みたいな顔をしてますね。博士さん」


 ブンブンと頷く博士さん。

 いつしか身体全体が震えていた。


「同類の思考は、読み易いんですよ。ふふふっ」


「っ!?!?」


 とても楽しい。

 動けば動く程、身体が自分に馴染んでいく。

 これもファンタジーパワーなんだろうな。何だか現実味が無い。


「おほほ…素敵な仕返しですわ、知影ちゃん」


「いえそれ程でも。…えっと、私」


 鞭を締める力を強めていくリィルさん。

 博士さんへの態度とは打って変わる優しい表情で、私に微笑み掛けた。


「あなたの身体はあなたのもの。あなたの時間もあなたのもの。…失くした人生をやり直せると思って、どうぞ好きにしてくださいな」


 空色の瞳が、私をまっすぐ見詰めた。

 若者を見守る大人の優しさが、そこにはあった。


「後で隊長室に向かってくださいまし。隊長が呼んでいますわ」


「──!! はい!」


 自分達は当然のことをしたまで。

 時には命を賭してまで当たり前のように助けてくれた人達に、私は深く頭を下げた。

 まずは隊長さんの下へ挨拶に行こう。お礼を言って、暴走を謝ろう。

 お楽しみは、やることをしっかりやってからが一番楽しめる。

 やっと、会えるんだ。

 やっと、直接言えるんだ。

 これからは、ずっと一緒に居られるんだ! こんなに嬉しいことってないんだから!


「ありがとうございましたっ!」


 高鳴る鼓動を胸に、私は研究室を飛び出して行った。


* * *


 眼が覚めた時、俺は見知らぬベッドで寝かされている訳──でもなく、普通に医務室で寝かされていた。


「ん? 弓弦、眼が覚めたのかい?」


 俺がベッドから身体を起こそうとしたのを見てか、丁度部屋に入って来たディオが背中を支え、手伝ってくれた。他には…誰も居ないな。


「…俺は…あぁ、レオンの攻撃に耐えられなかったのか」


「…うん、でも仕方が無いよ。だって相手は一部隊の隊長なんだよ? 僕だったらもっと早く負けていたよ」


 だが悔しいものは悔しい、そうだろ?


「(…?)」


 寝ているのだろうか。

 色々助けになってくれたし、一度は呼んでしまったし。ならばと気持ちの切り替えで折角…名前で呼ぼうかと思っていたんだが。


「…弓弦、訊いてる?」


「ん、訊いていないがどうした?」


「いや訊いてよ…」


 肩を落とすディオ。コイツ、とても弄り甲斐があって楽しい。

 だがそれよりも今は、寝息も聞こえない彼女のことだ。

 …何で俺は、こんなにアイツのことが気になっているんだ?

 …アレだ、子どもが急に静かになると、親と言うものは心配になるそうだ。元気なアイツの声が聞こえないと言うのは少し…。

 いや、寂しい訳じゃないからな? ただ…そう、静かで良いなって思っただけだ。

 だから返事が無いからって寂しいと感じている訳ではないんだ、決してな。


「…ねぇ、聞いてるかい?」


「ん、訊いていない」


「……」


 ほ、本当に寂しくなんかない、そ、あ、アレだ、いつも傍に居てくれた人が突然消えると喪失か…じゃなくて、寂…。っ、張り合いがないんだよ! あぁ、張り合いがない! これが正解だ!


「……弓弦」


「…ん? 居たのかディオ!! 気付かなかった」


「それは返し方として既におかしいし、前後の会話無視しているよね!? …存在が無かったことにされるのは悲しいんだけど」


「冗談だ。…それで、あれからどれぐらいの時間が経ったんだ?」


 ディオは机に置かれた時計に眼を遣る。


「二時間ぐらいかな。隊長はもう業務に戻ってるよ。『落ち着いたら隊長室に顔を出せ~』…だって」


 二時間…。それなりに眠っていたな。まぁ、あれだけ圧倒されたんだ、当然か。

 ずっと剣を握って戦ってきた人間相手に対して一矢でも報いることが出来ればと…そう思っていたんだが…はぁ。そんなご都合主義も無いか。


「…じゃあ僕は今からちょっと、出掛けるから」


「あぁ」


 何か思い詰めた様子のディオ。

 そんな彼が扉を開けると、外から別の人物が入って来た。


「…む、ルクセント少尉か。話はもういのか?」


「うん、僕この後任務(ミッション)があるから」


「うむ…そうか、オルグレン中尉と共に頑張ってくると良い。

怪我をしたら治してやる」


 肩口で切り揃えた桃色の髪に、同じ桃色の瞳。黒色の隊員服の上にセイシュウの白衣とは違った別の白衣に身を包んだ彼女の名は──そう、ユリ・ステルラ・クアシエトール。

 これまた美人で、歳は…確か十九歳。これまで数度話した印象としては真面目な性格をしていると、言ったところだ。

 そんな彼女の特技は、手料理なのだとか。『ユリちゃんの料理は美味いぞ~! 食堂の新メニューを考案したりしてくれるしな~、か~っ!! あの子の夫になる男は幸せ者だぞ~っく』…とはレオンの談だが、俺も実際に食べてみたかったりする。

 アイツとユリ、どっちの美味いのだろうか…っと、いかんいかん。またアイツのことを考えてるぞ、俺…。


「彼が居れば大丈夫だよ。行って来ます」


「うむ」


 因みに医療班のリーダー兼実行部隊ナンバー3と言う、特殊な立場に居る。狙撃手で、その最大レンジはなんと、3275m(マール)までなら誤差無く、対象を狙い撃てるらしいが──生身の人間がそんな距離を狙撃出来るのだろうか。噂の域を出ないし、信憑性に欠ける。

 まったく…そんな超次元的な話は二次元で十分だ。


「橘殿、身体の調子はどうだ?」


 ディオと入れ替わるようにして、ユリは俺の側に来た。

 柔らかい香りがする…って変態か俺は。


「…ま、この通りだ」


 両手を簡単に動かしてみたり、身体を捻ってみたりする。

 すると、


「ぐおっ!?」


 ギクリ! と、俺の腰の辺りから聞こえてはならない…音……がぁ……っ。


「…ふぅ、確かに、見ての通りではあるな」


 折角起こしてもらった身体も、こうなってはベッドに沈むしかない…痛っ!

 くそ、ディオめ…俺の身体を起こしやがって…っっ。後で覚えてろよ…。


「…悪い顔をしているな」


 八つ当たりを考えてると、顎に手を当てたユリがまじまじと俺の顔を見た。


「寝ておけ、念のため検査をさせてもらう。まだ身体を休めておいた方が良い。終わるまでは絶対安静だ、分かったな橘殿」


 八つ当たりを考える表情は、痛みに耐えている表情に隠されたようだった。


「…あぁ」


 苦笑を浮かべて答えると、ユリの姿が視界から消える。

 その代わりに、キーボードを叩く音が聞こえてくるようになった。

 暫くして入力止めると、彼女は俺の身体を触診し、顎に手を当てて再び何かの作業に戻る。


「ふぁ…ぁ…」


 やることもなく、眠たくなってきた…。


「…影響は…見当たらない…メンタルの異常も…無し…バイタルは安定しているな…うむ、まずは良さそうだ」


 ………。


「保存して…うむ、おしまいだ」


 ………。


「橘殿、起きているか?」


 ………。


「…寝ているか…ならば、うむ。寝ている間に──」











 頭が、ボーッとする。


「…ん?」


 暗くなっている視界を、明るくする。

 いつの間にか俺は寝てしまっていたようだ。

 時間は十八時だから…あれから三時間ぐらい経っただろうか。


「(はは…こんな中途半端な時間帯に寝ておいて、夜も寝れるか…?)」


 疲れによるところが多いのだろう。

 いや、本当どれだけ疲れたんだか。


「起きたか、橘殿」


 声が聞こえてから程無くして。

 視界に覗き込むようなユリの顔が入ってきた。


「ん…。ん?」 


 身体を起こそうとして──腰の痛みが引いているのに気が付く。

 ギックリ腰ってこんなに早く治るものなのか? まぁ良いか。

 若さ、素晴らしい。


「っと。おはよう」


 取り敢えずは挨拶。


「うむ…む? こんばんは…ではないのか?」


「ん…ならこんばんは」


「うむ、こんばんは」


 何だこの遣り取りは。


「…何なのだ、この遣り取りは」


 俺も訊きたい。


「もう検査は終わったのか? 終わったのなら部屋に戻りたいんだが…」


 どうせ寝るのなら、自分の部屋で。

 医務室は薬の香りがして…妙に落ち着かない。

 落ち着かないのはそれだけが理由じゃないんだが、な。


「まぁそう急ぐな。折角だ、共に夕餉ゆうげに行かないか?」


 夕餉…か。夕飯のことだよな。また古めかしい言葉を使うなぁ。

 意識してこの言葉を使ってるというのなら微笑ましい。

 そんなことはないだろうが。

 さて、どうしたものか…。


「んー。そうだな」


 お腹が空いていないと言えば嘘になる。

 身体を動かしたら、減る。人間の胃袋はそんな感じに出来ているんだ。


「そうか…! 良かった、では早速参ろうか!!」


 そう言うと、俺の手を引いて引っ張って行く。


「~♪」


 そんなユリは、嬉しそうだ。

 鼻歌まで歌って…手も柔らかいな…って何を考えているんだ俺は…はぁ。


「‘暫く様子を見るように言われていたが、本人が飯を食べに行きたいと言っているのだ。これは仕方が無いこと…’」


 随分と乗り気なユリだが、どうやら空腹だった様子。

 何やらモゴモゴ言っているから、俺の聞き間違いかもしれないが…。察するに、レオンか誰かに頼まれ、俺にほぼ付きっ切りだった…と言うことだろうか。

 だとしても、飯ぐらい食べに行っても良いだろうに。随分と真面目なもんだ。


「‘セティ殿も居ないし、たまにはこう言うのも悪くないかも…うん。’…うむ」


 何か別の生物…と言うか、心の声ようなものが聞こえたような気がするが、気の所為だよな…うむ。…伝染ってるし。

 それにセティって、誰だろうか? ふと疑問に思った。


「(ま、いずれ会えるか…)」


 なんてことを考えながら、早歩き気味のユリに付いて行く。

 ズイズイと歩む足取りは、腹の虫にでも突き動かされているのか。

 そのまま俺は、空腹な彼女に手を引かれて食堂へと向かった。











* * *


 あれ? 見間違いかな…。弓弦君今、白衣を着た…女狐に手を引かれて食堂の方に向かった気がするけど…?


 …。


 ……。


 ………。


「(モヤモヤするんだけど…)」


 私のことを忘れられているような気がして…何か嫌だ。

 私だけを見てほしい、私のことだけを見ていてほしい…。

 弓弦の手を握って良いのは私だけ。弓弦の笑顔を間近で見て良いのは私だ、彼は私だけのもの、私だけのもの、私だけのもの、私だけのもの…私だけのもの私だけのもの私だけのもの私だけのもの私だけのもの私だけのもの私だけのもの──ッ!!


 あの女…。どう抹殺してやろうか………?


「‘はっ!? いけないいけない。今は隊長さんの所に…’」











 …待っててね弓弦。

 もう直ぐで、逢えるよ…フフフ♪


* * *


 ──時は、少し遡る。


「…博士」


 歓喜に満ちた感謝の言葉が、扉の奥に消えた。

 朗らかに笑っていた二人は、静かに表情の色を変えていた。


「…これで、本当によろしいのでして」


 二人切りになった。

 セイシュウは機材を片付けつつ、ヒビの入った眼鏡を卓上に。

 生じていた沈黙を打ち破ったのは、リィルの嘆息であった。


「あんな……」


 俯く。

 震えた拳には、怒りと悲しみが込められている。

 堪え続けた感情を打つけるように、彼女は嘆きを口にする。


「あんな“嘘”で、本当に二人が救われると思っているのですか…?」


 “嘘”。セイシュウは先程、知影に対して伝えた偽りのことである。

 リィルは最後まで反対していたのだが、セイシュウは最後まで突き通してしまった。


「…あぁ、今は(・・)救われると思っているよ」


「今はって…! そんな無責任な!!」


 訴えかけるように声を荒げるリィルの言葉も、気にしてないとばかりのセイシュウ。

 スペアの眼鏡を取り出し、息を吹きかけてからレンズを磨く。


「彼女に“真実”を伝えて、どうするのさ。…地獄に叩き落とせと? …現実は、あまりにも過酷過ぎる」


「だからって…」


 そんなのは、あんまりであった。

 結局二人は、いつの日か“真実”に直面する。それが突然であればある程、衝撃も大きいはずだ。

 でも今“真実”を伝えれば、未来に備えることは出来る。限られた時間を謳歌出来る。結末を、少しでも満足のいくものにするために。

 それすらも、許されないというのか。言葉で言っても分かってもらえないし、拳で訴えてもそれは同じ。

 遣り場の無い気持ちに、やるせなくなる。


「あぁ、騙すのはいけないことだよ。…だけど今は嘘でも、いずれ真実にすれば良い。直面する前に真実になれば…それは晴れて、嘘ではなくなる。時間も…手段も、存在してはいるのだからね」


 そんな彼女を尻眼に、セイシュウは眼鏡を掛け直す。


「あの二人が生き延びたのは、単なる偶然じゃない。それが誰の意思なのか…ひょっとすると世界の意思と呼ぶべきものかもしれない。世界がわざわざ逃した命…そこには何かしらの理由がある。もしかしたら、『奴等』に対する切り札なのかもしれないんだ」


「…博士……?」


 何を言っているのだろうか。

 昔から彼のことを知るリィルですら、発言の意図が読めない。まるで知らない別世界の言語のように、耳を通り抜けていく。

 頭の理解が追い付かなかった。


「…僕達がやるべきなのは、滅びた世界の意思を引き継ぐことなんだ」


 意味が分からない。

 だがどうしてだろうか。

 妙に心が騒ついて──知っている人が、知らない人に変わっていくような──そんな不安に駆られた。


「…博士、あなたは何をしようとしていますの…?」


 リィルはセイシュウの真意を探ろうとした。

 しかし照明を反射したレンズの先から、その心中を窺い知ることは出来なかった。

「…さて、今回は医務室について説明しますわね」


「…顔色が悪いぞ、リィル。何かあったのか?」


「何でもありませんわ。では医務室についてですが…医務室は、艦の内外問わず、負傷や罹患した乗組員を治療する部屋ですわね。治療は主に、ユリを主任とする医療班が担当しますの。班員は、全員医療従事者…艦に来る前は、全員医療に携わっていた方達ですわ」


「…それで押し通すのなら付き合うが…。全員、医療職だったんだな」


「医者も、看護師も居る…要は診療所ですわね。病床数は、九床。弓弦君が横になっていた集中治療病床の他に、一つ奥の部屋に六床、その奥に隔離病床が二床ありましてよ。設備的には簡単な手術も出来ますわ」


「…意外とスペース取ってあるんだな」


「当部隊のセールスポイントの一つですので」


「…そうか。色々突っ込みどころがあるが…どんなセールスポイントがあるんだ?」


「ズバリ! 美女医師による手厚い医療付き! ですわ!」


「何だその投げやりなセールスポイントは。もう少しマシな表現は無かったのか…」


「意外と効果はありますのよ? 艦乗組員の中で密か結成されたファンクラブの会員は、大体この売り出し方を始めてからの人達ですので」


「…ファンクラブなんてものがあるのか」


「美しさと甲斐甲斐しさと強さを兼ね備えていますもの。当然でしょうね」


「にしては、意外と周辺が静かだが。…医務室も俺以外居ない様子だったしな」


「本当に必要な時以外には利用しない。…会員に優劣の差を生じさせないため、だそうですわよ」


「…ま、ヘマをしてユリに嫌われたくないって魂胆が見えるな」


「では話を戻します。医務室があるのは、艦の西ブロック南…。食堂に近い方ですわね。研究室は、西ブロック北…艦橋側の突き当たりにありますの。隊員居住区は東ブロックなので、反対の区画ですわ」


「俺とディオが研究室に向かった時は、艦橋側に歩いて行き止まりを左に曲がった先の、突き当たりにあったな」


「その丁度中間地点である十字路を右に曲がれば艦橋、左には隊長室がありますわよ。研究室に入らず、左向け左な通路の途中に医務室はあります。東ブロックだと、503号室の位置ですわね。医務室を出て、右。行き止まりを左に曲がった先のT字路で右に曲がれば、食堂へ。直進すれば東ブロックに行けますわ。ちょっとした回廊型になっていますのよ。回廊と言っても、全ての部屋が全く同じ高さと言う訳ではなく、実は艦橋側の通路にある階段で一階層分高さが異なっていますの」


「……成程…な。そう言えば研究室に向かう時、通路が途中から緩やかな階段になっていた気がするな」


「…気付いていませんでしたの?」


「…考え事ばかりしていたからな」


「…お詫びしますわ」


「…どうしてリィルが謝るんだ」


「…何でもありませんわ。さぁ、説明も程々に。予告を言いますわよ! 『ユリとの食事を堪能する弓弦。絶品料理を口にしつつ談笑する彼であったが、背中に刺さる視線は止まらない。それは、羨望か、嫉妬か。いずれにせよ、負の感情は褒められたものではない。向けられた矛先は、容易に人を傷付けるのだから──次回、彼女と、ユリ』…あなたは、耐えられますか?」


「…耐えなければならないのなら、耐えるだけ。挫けるのは簡単なことだからな…」


「…言うだけなら、簡単ですわよ」


「…リィル?」


「……」

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