酒場兼宿にて
朝チュン表現、堕胎に関する言及がありますので、良い子は注意してください。
頭が痛い。
胃がむかむかする。
完全に、二日酔いの様だった。
気分の悪さに顔を顰めながら、ミナセは体を起こそうとし、——自分の残念な胸を鷲掴みにする他人の手に気が付いた。
寝起きで密着する別の体温に気づかないとは、自分も焼きが回ったな、とミナセは霞がかった頭で考える。
ミナセが首を捻ると、至近距離に脂下がった髭面があった。
因みに付け加えるなら、彼等がいるのは寝台の上で、二人とも素っ裸だ。
——飲んだ後に寝たのだな、とミナセは冷静に考える。
十年近くに及ぶ戦場の生活を経た身で、今更おぼこ娘を気取る気はないし、ミナセは諸々の事情により、すっかりやさぐれてもいた。
ミナセの傷んだ髪が、汗ばんだ体に張り付いて、なかなかに気持ちが悪かった。
シャワー浴びたい、と呟くつもりが、ミナセは上手く声を出せなかった。
眠りながらも頑固に纏わりついて来る髭面を、ミナセは肘鉄で押しやる。
悶絶する髭面を尻目に、水差しから水を飲むと、ミナセは一息ついた。
「おい……」
涙目で睨んで来る髭面は、まったくもって可愛くない。
「堕胎薬は?」
「あ?」
顔を引き攣らせる髭面に、ミナセは少々苛立った。
この男、一夜の戯れにおける男の義務を怠ったのだ。
ミナセが知る限り、経口避妊薬などという便利な物はこの世界に存在しない。その為、女の側が身を守るためには、堕胎薬などという危険性の高いものに手を出さざるを得ないのだ。
「だから、堕胎薬をよこせって言ってるの」
「なんでだっ?!」
元々そのつもりのなかったミナセは持ち合わせがない。そして、腹立たしいことにこの髭面も持ってさえいなかったらしい。
「あんた、馬鹿?」
絶対零度の瞳を向けるミナセに、髭面は固まった。
◆◆◆
「おばちゃん、堕胎薬扱っているところ知らない?」
「あんた、役人に喧嘩売るつもりかいっ?!」
長く続いた戦乱のせいで人口が著しく減少しため、現在彼等がいる国では人口増加政策がとられていた。堕胎の禁止も、その一環である。
「わたしみたいなのが母親になったら、子供がかわいそうだよ」
吐き捨てる女の瞳の昏さに、宿屋の女将はぞっとした。それは、戦時によく見られた——戦場帰りの男たちのものより、更に酷いものだったのだ。
「いや、俺が悪かったから、落ち着いてくれ……」
何故か縋りついて来る髭面を、ミナセは足蹴にする。
「うせろ、髭面」
「でっ! ちょ、……ひげって。いや、悪い意味で目立つから、その殺気は抑えた方がいいぞ……」
髭面に指摘され、ようやくミナセは周囲の人間達を怯えさせていることに気づき、嘆息した。
ミナセが最後の戦場を経験したのは二年前のことだが、彼女は未だに戦争を引きずり続けている。
ある日突然叩き込まれた世界は、ある日突然終わりを告げた。
ミナセに決断を許すことなく。
中途半端に途切れてしまった、胸の奥深くで燻り続ける熾火を、ミナセはまだ消しきれていない。
「——ん?」
ふと、感覚に引っかかった気配に、ミナセは自動的に唇が吊り上がるのを感じた。
またか。
呟いた声は虚ろ。
もういらないものだからと、押し込めようとしていた自分が、暗闇の奥から浮かび上がってくる。
そしてミナセは、視界の端で、女将がへたり込むのが見えた。
ああ、また怯えさせてしまったな。
そう思うものの、ココロが凍っていくのを、ミナセは止められない。
何も望まれなくて。
それでも帰りたくて。
それしか教えられなくて。
……それしか、出来なくなって。
結局、こうなってしまった。
カウンターに迷惑料を置いて、ミナセは歩き出す。
「——おい、どこに行くつもりだ?」
困惑した髭面の問いかけを、ミナセは故意に無視した。




