三話 問題発覚
放課後の楽しみと言えば寄り道、僕は小学生の頃から今まで続けているものだ。
もちろん今後もしていくつもり。
午後の3時に2学年理系3組の担任、綴崎に「教室から出て行け」と言われてから2時間後。
太陽が段々と西の大地へ降りている。
寄り道で行くところと言えばゲームセンターや公園だが今回は補習とあって秋沢と中古ショップに行った後すぐ解散となり今は河原のベンチに1人で座っているところだ。
補習というものは実につまらんものだ。
記録87648号
こんなつまらない寄り道は久しぶりだ、馬鹿じゃなきゃ良かった。
自分為にも国語を頑張って良くしたいけどさ・・・無才能だから・・・僕って本当に無能だからできないんだよな。
越前先生の為にも転校しようかな。
「よし、書いた・・・」
書いてて本当に悔しいな・・・今後僕の人生に希望は訪れないんだろうな。
***
自宅に戻ったのは6時半頃、僕は1013号室の扉にキーカードをタッチして番号を入力して家に入った。
「ただいま・・・」
・・・・・まだ帰ってこないのか。
叔父さんは深夜1時頃に帰ってくるのは知っているが心細くなる。
実は叔父さんの家から進学校が近いから居候しているわけではなく、保護者が叔父さんしか居ないから居候させてもらっているのだ。
両親がいなくなった理由は多額の借金だ。
毎日借金取りが来たわけではないがさり気なく見た父親の口座通帳に-200000000と赤字で書き込まれていた。
一体どんなことをしたら2億と言う莫大な借金を抱えるのか未だにわかっていないが、2億の借金を持っていることは事実だ。
日めくりカレンダーをめくる事に母親の宝石が消えていき、今から5年前。
僕が中学校に入学した直後に『徳川埋蔵金を探してくる』との置き手紙を残して失踪した。
入学式にあんなに号泣してると思えば喜んでいるわけじゃないんだな、と思いその日は絶望日記を82件書いた。
この前叔父さんに『仕事は何やってるの?』と尋ねた所、叔父さんは『日本銀行埋蔵金ハンターをやっている』と笑いながら言っていたがその時の僕はかなりショックを受けた。
そんなハンターをやっている叔父さんは帰ってこない日もあるのでほぼ一人暮らしである。
そのため僕用と叔父用の書斎が別々にあるが叔父さんの書斎にはキッチリ整頓されたエロ本しかない。
それに比べて僕の書斎はCDやペン、紙などが散乱している。
そんな書斎の机に堂々と置いてあるデスクトップパソコンに入っているデータの1つがその絶望目録だ。
僕は靴箱に靴を入れてリビングのソファーに飛び乗り寝っ転がった。
そのまま目を瞑った
***
夢のなかで知らない人に怒鳴られ目が覚めた僕。
デジタル時計はAM00:29と表示されている。
「あっ・・・、晩御飯食べてない」
本当なら夜の8時くらいにスーパーでご飯を買って作るのだが流石にこの時間帯はコンビニしかやっていない。
外に出ると色々面倒なので宅配ピザを頼むことにした。
久々に運良く1時前、電話で頼みピザを待つ間にパソコンをいじることにした。
パソコンで行うことはメールボックスを開いて携帯で書いた絶望日記をテキストドキュメントにコピーする。
テキストドキュメントを絶望目録フォルダーに入れる。
以上
今日は20ピッタ、やることが無いので久々に絶望目録を読み返すことにした。
初めて絶望日記を書き始めたのが12年前の5月14日の木曜日、この時は手書きの紙日記だったと考えると時の流れを感じる。
最初の約7年間はちょびちょび程度で絶望の具合も今のと比べると大事ばかりで数が少なかった。
しかし絶望日記7年目になる前に両親の失踪によって絶望日記のペースは異常になり、紙や携帯の容量では足りなくなりパソコンを使い絶望目録が始まった。
「あれ?」
懐かしき絶望日記の題名を見てると時折『記録○○号』のケツにβと書いてある。
「おかしいなぁ・・・」
試しに開いてみると相変わらず絶望的なことが書いてあるが一人称が私になっている。
一番不思議なことは今日の絶望日記にもβが幾つかある。
「な、何が起きたんだよ・・・」
おかしい、家を貸してくれているハンターの叔父さんでもパソコンが使えないようにロックを掛けているし、第一メールボックスには自分の絶望日記と宣伝しかない。
もちろん自分の絶望日記だけを絶望目録に入れているはずだ・・・。
「僕ってもしかしたら多重人格なのか?」
ついに自分を疑い始めてしまった。
インターホンが部屋中に響き渡る。
応答ボタンを押して僕は「はい」と言った。
「佐川ピザです」
「どうぞおあがりください」
疲れてるのかな、
「ピザ食べたら寝よう」
記録3015号β
ついに気づいたか、久々に希望が見えてきた。