学校
「片山、次の時間視聴覚室でヒヤリングのテストだから、準備頼む」
英語教師の柴田孝行が、教室のドアから顔を覗き入れて言った。
「え、また、あたしですか?」
里美と雑談していた志穂がパッと振り返って言った。
「今日、立川が休みでさ」
立川由美子はクラス委員だった。真面目で成績優秀、はつらつと元気も良い。そして、普段掛けている眼鏡を外すと、意外に可愛い事を志穂は知っている。
ただ、生理痛が重い体質らしく、毎月一日、二日は学校を休む。
男子のクラス委員もいるのだが、殆どの仕事は由美子がやっていて、彼女が休みだと、何故か志穂に仕事を頼む先生が多いのだ。
「しょうがない、あたしも手伝うよ」
一緒に雑談していた里美が言った。
おそらく先生は、志穂に頼めば、他の誰かも手伝ってくれる事を知っているのだ。
この学校の校舎は少し古い。志穂が入学した時は、白い外壁が薄茶色とねずみ色の混ざった、変な色に染まっていた。長年の汚れと日焼けによる変色だろう。
去年、全面的に色が塗り替えられ、外見は綺麗なクリーム色になった。そして、春に内装の補修が一部行われ、その時に一階の空き教室が視聴覚室になった。
英語教師の柴田は今年の春に他から赴任してきたのだが、一見ひ弱な外見と打って変って明るい楽しい先生だ。
耳に掛かるほどの髪に、緩くパーマをかけたその容姿は、細身の体型も相まって、実年齢よりも少し若く見えるかもしれない。
志穂は、職員室で柴田から受け取った教材を視聴覚室に運んだ。
「なんか、あたし一人で大丈夫だったね」
「いいじゃん、どうせ暇なんだし」
里美はそう言って、ヒヤリング用のテープを二本だけ手に持った。
以前は教室にラジカセを持ち込んでヒヤリングをやったものだが、視聴覚室を使えば、個々の机に付属したヘッドホンから音声が聞き取れる為、授業が進め易いのだ。
「由美子、何だって?」
教壇の上に教材をドサッとのせた志穂が、思い出したように里美に訊いた。
「風邪じゃない」
里美は視聴覚室の机に腰掛けて「帰りに、寄ってみる?」
「そうね」
音響システムのボタンをカチカチと悪戯しながら志穂が肯いた。
由美子の家のチャイムを鳴らすと、ドアを開けたのは四十歳過ぎの眼鏡をかけた細身の女性だった。
「あら、いらっしゃい」
それが由美子の母親だ。
すでに何度か会った事があるのでお互いに知った間柄だったが、志穂も里美も初めて見たときに、まさしく由美子の母親だとすぐに確信できた。
細身の身体に眼鏡姿の母親は、それだけ由美子に似ていた。いや、正確には、由美子が母親にそっくりなのだろうが。
「こんにちは。あの、由美子さんの具合どうですか?」
二人は放課後、担任に由美子の欠席の理由を訊いていた。生理痛だったら、別に見舞いに行く事もあるまいと思ったのだが、やはり、軽い風邪との事だ。
軽い風邪ぐらいで見舞う必要も特に無いのだが、つまり、彼女達にとっても暇つぶしなのだ。
「熱も直ぐ下がって、意外と元気よ。どうぞ、上がって」
由美子の母親は、笑顔で言った。
二人は二階にある由美子の部屋に通された。ドアを開けると、由美子は上半身を起こして読書をしていた。
「あら、来てくれたの」
彼女は眼鏡に手を添えて微笑んだ。
三人はクラスでも比較的仲が良い。比較的、と言うのは、仲良しグループに固執して他の娘達とは殆ど話もしない連中とは違い、三人共、他にも仲の良い娘がいるからだ。
ただなんとなく、ここ一番の時は三人が集まる。と言うか、本当は四人なのだが……
「もう一人、お客さんよ」
由美子の母が、そう言って部屋のドアを開けた。
「ご機嫌いかが?」
入ってきたのは風見玲子だった。
彼女の父親は六本木ヒルズに会社を構える企業の社長だ。スラリとした長身と品の在る顔立ちは、同じ制服を着ていても、違う服に見えてしまうから不思議だ。
ツヤのある黒い巻き髪も、何処か高校生離れしている。
「ずるいわ、あたしを除け者にして」
玲子はそう言って、里美の隣にぺタッと座りこんだ。
こう言っては何だが、玲子はクラスでも友達は少ない。別に彼女の家が金持ちだからと言ってツンケンと威張り散らしている訳ではないのだが、一種の妬みが彼女を受け入れないのだ。
最初は志穂も敬遠していたが、里美があまりにも普通に接しているのを見て、何となく一緒にいるようになり、付き合ってみると意外に人がいいし、他の娘には無い人懐っこさがあった。そして、何より……
「これ、みんなで食べてくださいな」
再びノックの後にドアが開いて、由美子の母親が大皿いっぱいの夕張りメロンを持って来た。
「お母さん、どうしたの? それ」
由美子が眼鏡の奥で目を丸くしている。
「風見さんのお見舞いよ」
みんなの視線が玲子に集まって
「手ぶらでくるのも、ねぇ」
玲子は無邪気な瞳で笑う。
手ぶらで来てしまった志穂と里美は思わず顔を見合わせた。
そうなのだ、彼女と一緒にいると、こんな事がしょっちゅうで、玲子にしてみれば、彼女なりの気の利かせ方なのだが、他の娘達は時にそれが鼻につくのだろう。
勿論、この部屋にいる三人は慣れっこで、それを楽しんでさえいる。
以前、玲子に誘われて一緒にJリーグの試合を観に行ったら、送り迎えはリムジンで、席はガラス張りのVIP席だった。
「玲子は相変わらずね。有難う」
由美子はそう言って、笑った。
由美子と玲子は、いかにも接点が無いように見えるが、外国の何とかという恋愛文学小説の話で盛り上がり、意気投合したらしい。
「玲子、今日ピアノの日でしょ。だから、声かけなかったのよ」
里美が言った。
「そんなの、時間をずらしてもらったわ」
彼女はさらりと言って、メロンを一切れ手に取った。
志穂もメロンを口にして、何気に窓から外を覗いて「やっぱり」と呟いた。
通りを塞がんばかりに大きな白いロールスロイスが、家の前に停まっていたのだ。
この四人にとってお互いが、一番気が置けないホームとなる。そして、当然のように他にも付き合いはあるのだ。
洋服や化粧品の趣味の合う友達や読書の好きな友達。部活やサークルの中間たち。玲子だけは、他の付き合いと言うと、令嬢としての外交的付き合いの方が多いようだが……
「ねぇ、これって誰のか判る?」
志穂は三人に青色の熊のキーホルダーを見せた。
「ずいぶん年期が入ってるわ」
玲子が眺めて言った。
里美がキーホルダーを手に取って
「玲子のじゃない事は、間違い無いわ」
「あたし、似たのもってるけど……」
由美子はそう言って、ベッドの横に置いていた携帯電話を取って見せた。その携帯にぶら下がっているのも、確かに青いテディーベアだった。
「これと記憶違いしてたのかな」
志穂は、由美子の携帯を手に取って、ストラップに付いている熊を眺めた。
里美が手に持っていたキーホルダーを志穂に返し「これが、どうかしたの?」
「ウチの、玄関で拾ったんだけど、前に何処かで見覚えがあって」
「それで、持ってたんだ」
「きっと、由美子の携帯ストラップが記憶にあったのね」
志穂はそう言って、キーホルダーを鞄に仕舞い込んだ。