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 お経を読む坊さんの声が、独特の低い周波数で空気を震わせながら、開いた窓から入り込んでくる。

 志穂はどうにも気が進まなかったが、あの窓を開けたままにはしておきたくない。そう思うと仕方なく窓辺に近づいた。

 窓は二十センチくらい開いていて、墓地を覗くのには十分だった。窓に手を掛けたちょうどその時、読経は止んで、思わず志穂は窓の下を覗いた。

 すぐ下、家の裏手の隅に新しい墓石は建てられていた。

 いつの間に建てたのだろう。新しいお墓を建てる場所なんて在ったかしら?

 どうやら、生い茂る雑草の一部を排除して場所を作ったらしい。お坊さんを含め三人の後ろ姿が見え、墓石の横に造ってある小物入れのような場所に骨壷を収めている所だった。

 志穂は、何故か背筋に悪寒が走って、ハッと窓から顔を遠ざけると急いで窓を閉めて、しっかりと鍵をかけた。


「ここにもまだ埋葬できる場所があったのね」

 志穂が階段を下りてキッチンへ入ると、母の文江が言った。

「いままで一度も無かったよね」

 志穂はトースターに食パンを差し込んだ。

「そうよね。てっきり満席だと思ってたわ」

文江は少しだけ笑って「お父さんも、ここなら近くていいわね」

 冗談でお墓の話をするのは、皆、健康で元気な証拠である。

 志穂は焼香の匂いを振り払うように、コーヒーを飲んだ。

トーストにマーガリンを塗りながら「浩志は?」

「まだ寝てるんじゃない。どうせ遅くまでゲームでしょ」

「お墓の前に住んでいて、よくゾンビのゲームができるもんね」

 志穂は呆れ顔で呟きながら、トーストを齧った。

 浩志は最近、ゾンビ退治の人気ゲームに夢中なのだ。

 テーブルに乗せていた志穂の携帯電話が鳴った。着信は里美からだ。

「ああ、里美。なに?」

「これから買い物付き合わない?」

「うん。いいよ」

「じゃぁ、入間駅に十二時ね」

 里美はそう言って電話を切った。志穂は携帯をたたみながら、再びトーストを齧る。

「出かけるの?」

 洗い物をしながら文江が言った。

「うん。里美と買い物」

「気を付けてね」

 そう遠くへ行くわけでも無いし、車を運転するわけでもないのに、いちいちそう言う母に志穂は笑って

「判ってるって」

 彼女はシャワーを浴びる為に浴室に入った。

 髪の毛に焼香の匂いが着いていそうで、シャンプーを手に取り、丹念に髪の毛を揉み解すように洗う。

 髪の毛がお湯に濡れたせいか、再び香の匂いが浴室全体に広がって湯気と絡みあった。

「シホ……」

 囁くような、消え入りそうな小さく細い声だった。

 志穂は、一瞬髪を洗う手を止めた。

「お母さん?」

 彼女は目を閉じたまま耳を澄ました。

 シャワーのお湯が自分の身体に当たって弾けながら流れ落ち、排水溝へ流れ込む音しか聞こえない。

 頭の上に乗った泡が額に滑り落ちて来て、鼻を伝った。

 顔を両手で拭って、薄目を開けて浴室の入り口を見たが、扉の擦りガラスに人影は無い。再びシャンプーの泡が流れ落ちて来て目に入りそうだったので、彼女は慌てて目を閉じた。

 志穂は手早くシャンプーを洗い流し、素早くリンスを済ませると、急ぐようにして浴室を出た。

 目を閉じている事が不安でたまらなかったし、何時もはまったく気にも留めない浴室の閉ざされた空間が、無性に怖くなった。

 志穂はTシャツに頭を通しながらリビングへ行くと

「お母さん、今洗面所で呼んだ?」

 見ると、母親はテレビを見ながらお茶を飲んでくつろいでいる。

「えっ、何?」

 答えを聞かなくても、志穂にはわかった。

「ううん、何でもない」




 駅と一体化した地元のステーションビルにも、いろいろ買い物できる店はあるが、彼女達は大抵所沢か新所沢まで出る。気分転換にもなるからだ。

 新宿や池袋には滅多に行かないが、どうしても欲しいものや、行きたい所があれば、惜しまず遠征する。最寄りの駅ビルなら学校帰りに何時でも立ち寄れるのだ。

「どうしたの?」

 新所沢駅に隣接するファッションビルの一画、輸入雑貨屋の中で里美が志穂に声を掛けた。

 彼女は外国製の洗顔フォームを握ったまま、何かを考えているようだった。

「ん?あ、別に」

「それ、和美が使ったみたいだけど、高いだけで良くないらしいよ」

 里美が、志穂の掴んでいた商品を指して言った。志穂は小さく笑ってソレを棚に戻した。

 志穂は、浴室で聞いた声を思い出していた。彼女は、あの声に聞き覚えがあったのだ。

 あれは、母の声じゃない…… しかし、それなら誰の声だったのか、今はどうしても思い出せなかった。

 頭の隅に追いやられたあの声の記憶は、なかなか引きずり出す事が出来なかった。

雑貨屋を出た二人は、少し遅い昼食を取った後、ショッピングビル内に入っている本屋へ立ち寄った。里美が探したい本があると言ったからだ。

 志穂は、ぶらぶらと店内を歩いて時間を潰していた。

「片山」

 若い男の声だった。

志穂は声のした方へ振り返って「あ、智也」

 クラスメイトの仲村智也だった。

 智也とは一年の頃からずっと同じクラスの為か、男子の中ではかなり親しい。

 背がトビッキリ高いわけでもなく、めちゃくちゃイケメンというわけでもないが、彼の笑った時にできる目尻のシワが、志穂はチョットだけ好きだった。

「一人?」

 智也は片手をポケットに入れたまま訊いた。

「ううん。里美と一緒。その辺にいると思うけど」

「そっか」

「あんたは?」

「俺は一人さ」

 二人は暫しの時間を潰すように、立ち話をしていた。智也は、一人でふらりと洋服を買いに来てここへ立ち寄ったらしい。

「あれ、仲村じゃん」

 二人が振り向くと、里美が立っていた。

「よう」

 智也は里美に軽く手を上げると、「じゃぁ、俺行くから」

 そう言って、一足先に本屋を出て行った。

「本、在った?」

「うん、無かった。取り寄せだって」

「取り寄せなら、近所で頼んだ方がいいよね」

 二人は本屋を出ると、同じショッピングビル内に在るレディースショップが連ねるフロアーに行く為に、エスカレーターに乗った。




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