記憶(1)
「来たよ」
「どうしよう、志穂」
「頑張って、千絵」
銀杏並木が立ち並ぶ歩道の前方から一人の高校生がやって来る。紺色のブレザーにグレーのズボンを履いている。
世田谷の中学校に通っていた志穂とその親友太田千絵は、下校途中の細い路地で彼を待ち伏せしていた。
「さぁ、行って」
志穂が千絵の背中を強く押す。石のように強張った千絵の体と両足は、強く押さなければ動きそうに無かった。
志穂に押された千絵は、トトトッ……と、路地から並木通りに出た。
そこには、ちょうど高校生の彼が立っていた。突然飛び出てきた千絵に、少し驚いている。
「あの…… これ、読んでください」
千絵は、高校生の彼に向かって、手紙を差し出した。
今時………と、思うかもしれないが、メルアドも知らないのだから、最初はこういう手段しか思いつかなかったのだ。
もちろん、手紙には千絵自身のメルアドを書き込んである。携帯は持っていなかったからパソコンのメールアドレスだった。
高校生の彼は、ただ驚いて立ち尽くしていたが、とりあえず千絵の差し出した手紙は受け取ってくれた。
しかし、十代の二〜三歳の差は大きい。高校生から見た中学生は、子供そのものだった。
千絵はそのまま志穂の待つ路地へ戻り、二人は反対側の通りまで走った。
「やったぁ!」
走りながら千絵が叫んだ。
「しっ、まだ彼に聞こえるよ」
志穂は駆け足のまま、千絵の身体を肘で軽くつついた。
高校生の彼は、ほぼ毎日この並木道ですれ違うのだ。初めて見た時から千絵は心が惹かれ、足掛け半年、ついに心の内を明かした手紙と自分のメールアドレスを彼に渡した。
それは、志穂にとってもまるで自分の事のように喜ばしい事だった。
しかし、翌日千絵は学校に来なかった。
心配した志穂は、学校の帰りに彼女の家に寄った。
玄関でチャイムを鳴らす。
千絵の家も共働きの為、この時間もしも誰かいるとしたら千絵だけのはずだ。
静まり返った気配が家の中から漂っている。
千絵、いないのかな…… 志穂がそう思っていると、ガチャリと玄関のドアが細く開いた。
思わず、志穂はその隙間を覗き込む。すると、ドアの向こうから覗くように顔を出す千絵とぶつかりそうになった。
「ひゃあ、びっくりした」
志穂は、ビクっと身体を後に引いて小さく叫んだ。
「あ………志穂。来てくれたの」
千絵は、力無く志穂を見つめて言った。
「どうしたの?風邪?」
「うん…… 失恋の病」
志穂はとりあえず千絵の部屋まで上がって、彼女の話を聞いた。
「昨日の夜、瀬田さんからメールが来たの」
「瀬田?」
「あ、昨日の、高校生の彼。瀬田アキオさんて言うの」
千絵は、とりあえず二つのグラスにオレンジジュースをついで、一つを志穂に差し出した。
「彼、なんだって?」
「彼……」
千絵の目から涙が溢れてきた。
「ど、どうしたの?彼、なんだって?」
志穂は、慌てるように、彼女の涙の理由を尋ねた。理由が判らなければ、もらい泣きもしてあげられない。
「彼ね、彼女がいるんだって」
千絵がティッシュで涙を拭いながら言った。
なんともありがちな結末に、志穂は小さく溜息をついて肩をすくめた。
ホラーなのに、なんか、ほのぼのしてすみません…ちゃんと話はホラーの方へ進みます。