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焼跡

 千絵の家の周辺に来ると、志穂が道案内をしながら住宅地を抜けた。銀杏並木の通りを抜けた時、ふと、焦げ臭い臭いが鼻を突いた。

「なんだろう」

 里美が言うと

 由美子が口を開いて「火事かな?」

 その臭いは、志穂が案内する方向に近づくにしたがって、次第に強くなっていった。

 通りの角を曲がった時、路地の先に幾つもの赤色に輝く回転灯が見えた。火の手は既に見えなかったが、消防車から伸びる白いホースが、何本も路上を這っている。

「あそこかな、火事」

 智也が身を乗り出すようにして言った。

 放水作業はもうしていなかった。数人の消防士がホースを巻き取ったりしている。

「これじゃあ通れ無いわね」

 玲子の言葉に、志穂が

「通らなくていいよ。あそこだから」

 智也が少し驚いて後を振り返った。

 志穂には判った。路地を曲がった瞬間に、消防車が止まっているのは千絵の家の前だと言う事が。

 何故だか判らないが、隣や周辺の家だとは思わなかった。燃えたのは千絵の家に違いないと思った。

「ここで止めて」

 志穂は冷静な口調で言った。

 消防車が数台、パトカーが二台止まっている少し手前で車を止めた。辺りは、緊急車両の赤色灯に照らされて真っ赤に映し出されていた。

「まさか……」

 智也が声を掛けた時、志穂は既に骨壷を抱えたまま車を降りていた。智也も車を降りて志穂を追った。

 二人は赤色に侵食された景色の中を駆け抜けた。

 里美も智也に続いて車を降りようとした時

「ここにいましょう」

 玲子がそう言って、スモークの窓を全開にした。

 里美はその言葉に従い、開けかけた左のドアを再び閉めた。

 三人は息を呑んで、志穂と智也の後ろ姿を見守った。

「大丈夫かな、志穂」

 由美子がそう呟いた時

「この辺の方? ここに停められると困るな」

 警官が窓の外から運転手に声を掛けて来た。




 激しく立ち込める焼け跡の臭いが鼻を突いた。

 化学繊維やプラスチックなどの石油精製品の溶けた臭いと、木造家屋の焼けた臭い。そして、おそらく一緒に焼けたであろう人体が、異臭を放っているのかもしれない。

 庭を囲むブロック塀は残っていたが、二階部分は完全に焼け落ちて、一階部分も崩落し、家の姿はなくなっていた。

 真っ黒に焼け煤けた柱と梁が数本と、僅かな壁が残っていた。あちらこちらから、白い煙が僅かに立ち昇っている。

 あたり一面は延焼を防ぐ為にしきりに放水された水で池のようになっていて、道路脇の排水溝に、けたたましく流れ込む水の音が聞こえる。

 さっきまで燃えていた炎が発した余熱が、アスファルトをも熱くさせていた。

 鎮火した為、やじ馬も減ったのか、辺りの住人がうろついている意外は、消防と警察官だけだった。

「あなたが第一発見者?」

「ええ、私が火の手を見て直ぐに通報したんですが。三十分やそこらでこんなになるもんですか?」

 消防員と近隣の人の話す姿が見えた。

 その横では壁の焦げた隣人宅の住人が、アレの修復はどうなるのかと、消防士を捕まえて訊いている。

「危ないから近寄らないで」

 警備の警官が促す。

 門の在った入り口の傍まで志穂は近づいていたのだ。

 志穂はその時数メートル先、ちょうど千絵の家と道路の境目辺りに落ちているモノに目が止まった。彼女はとっさに警官の横を擦り抜けて手を伸ばした。

「こら! 危ないだろ!」

 落ちていた物を掴んだ時、志穂は警官に取り抑えられた。彼女は拾ったものを素早く上着の内側へ隠した。

「すみません、悪気はないんです」

 智也が、慌てて後から警官の肩に手を掛けて、宥めるように声を掛ける。

「キミもこっちに入っちゃいかんよ」

 志穂と智也は乱暴にその場から押し出された。

 志穂はそっと上着の内側から、今拾い上げたモノを取り出す。彼女が必死で拾い上げたモノ。それは、一枚の写真だった。

 千絵と志穂が二人で無邪気に笑う写真。

 中学二年のとき、日光へ遠足に行った時のものだと、志穂にはすぐに判った。

 周辺が少しだけ焦げていたが、何もかも全てが焼き尽くされた中で、それは奇跡的に燃え残ったのだ。

「千絵……」

 志穂の目から大粒の涙が零れて、それは止まらなかった。

 智也は少しだけおどおどして

「おい、大丈夫か?」そう言って、志穂の肩に手を掛けた。

「うん。大丈夫。少しの間、放っておいて」

 最後に千絵に会った時、新宿の駅構内で志穂は別れ際に

「じゃぁ、またね」そう言った。

 じゃぁ、また…… それは叶わなかった。この先も永遠に叶わないのだ。

 赤色灯の明かりが照らし出す焼け跡に漂う、つんと鼻を突く臭いと、それを取り巻きながら事務的に動き回る消防員や警官達を背景に、志穂は写真と骨壷を抱きしめて小さな子供のように声を出して泣いた。

 志穂のポケットの中で携帯の着信音がしきりに鳴っていた。

 里美、由美子、玲子の三人は、生暖かく焦げ臭い風が吹き抜ける車の中から、ただその光景を静かに見つめる事しか出来なかった。三人の頬には同じ雫が光っていた。

「志穂、大丈夫かな……」

 由美子が鼻を啜りながら呟いた。

「大丈夫だよ」

 玲子が言った。

 里美には、志穂が大事に抱える、あの骨壷から発せられていた微かな光は、もう見えなくなっていた。




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