呪縛(2)
志穂は来客用の正面玄関から出た為、昇降口の横を通って正門へ向かっていた。
「片山」
後から誰かが走ってくる足音と共に呼びかける声。教員のものでは無い。もっと若い同年代の声だった。
「充彦」
綱島充彦が昇降口から駆け出して来た。彼は、千絵と同じく、志穂が世田谷の中学にいたときのクラスメイトだった。
「後ろ姿がどうもお前っぽくて、追いかけて来たんだ」
充彦は息を切らせながら言った。
「あたしって、そんなに変ってないかな?」
志穂は髪を、少しかきあげた。
「変っても俺にはわかるんだよ」
志穂は充彦の言葉が嬉しかった。充彦は中学時代一番側にいた男の子だったからだ。
転校する際、充彦との別れが、千絵との別れよりもある意味辛かった。女同士なら何時でも会えるという考えがあるが、彼氏彼女の関係でもない充彦とは、もう会えないのだという思いが志穂の中にはあったからだ。
「髪伸ばしたんだね。野球辞めたの?」
充彦は中学時代丸刈りだった。その丸刈りで笑う笑顔が、志穂は好きだったのかもしれない。
そうか、智也の笑顔は充彦に似てるんだ。目鼻立ちは違っているのに、その笑顔が醸し出す雰囲気が似ているのだと志穂は感じた。
駆け出して来た彼の黒髪は、耳を半分隠して、風にそよいでいた。
「今はサッカーだよ」
充彦はそう言って笑った後、顔を曇らせて
「千絵の事……」
志穂は、彼の言わんとする言葉を察して肯いた。
「あんな事になるなんて」充彦がポツリと言った。
「柴田って教師、ここにいたの?」
「柴田って、事故で亡くなった柴田かい?」
「うちの学校にいたのよ」
「片山の? そうか、変な偶然だな」
「ねぇ、柴田先生と千絵は付き合ってたの?」
充彦は少し驚いた顔で「何で、それを?」
「やっぱり付き合ってたのね?」
「そんな噂はあったよ。でも、確かな事は判らない」
その時、六時間目の修業のベルが鳴った。
「やべ。じゃあ、俺行くよ。会えてよかったよ」
充彦はそう言って、手を上げながら昇降口の中へと消えて行った。
志穂はただ笑ってそれを見送るように手を振った。
また会いたい。そんな気持ちは何故か沸き起こらなかった。
駅へ向かいながら志穂は携帯電話を掴んでいた。
千絵の家にかけてみよう。携帯のメモリーから番号を呼び出して通話ボタンを押す。コール音が鳴っている。数回のコール音が異常に長く感じた。
「はい」向こうの受話器が上がった。
「もしもし、片山志穂です」
「ああ、このまえは、わざわざありがとう」
「あのう……」
「どうしたの?」
千絵の母親は心成しか穏やかな口調だ。
「あのう、千絵の具合はどうですか?」
「ええ、まぁ、あの通りだから、気長に構えるしかないのよ」
「千絵は……千絵は九月に死んだんじゃないですか?」
少しの沈黙があった。
「何を言ってるの急に? 千絵は今も部屋で休んでいるわよ。この前会ったでしょ」
「千絵が、あたしの所に来るんです」
志穂は歯止めが効かなかった。
「未練仏の墓地に千絵を埋葬したんじゃないですか?」
「千絵はここにいます。ここにいる千絵が本当の千絵なの。お墓に入れたのはただの骨の燃えカスよ。ここで千絵は生き返ったのよ」
母親の口調が激しくなっていた。
「やっぱり、千絵は死んだんですね」
「違うわ、ここにいるもの」
「おばさん、そこにいる千絵はちがうよ。そんなの千絵じゃない」
「あたしはね、姿、容のある千絵がいいの。お墓に入ってしまったら傍にいられないじゃない」
その時、電話の向こうの彼女は、瞬き一つしない、麻色の腐敗しかけた顔で傍に佇む娘を抱きしめていた。
狂っている……やはり千絵は禁断の墓地へ埋葬されたのだ。墓地の力で蘇えったと言うのか……いや、あれは全く違う、別の何かだ。
「おばさん、だめだよ。千絵を成仏させてあげなきゃ、かわいそうだよ」
志穂の目から涙が零れた。
「あたしがいいって言ってるの。主人も賛成してるんだから、もう家に構わないで!」
電話はいきなり切れてしまった。
遺族の強い未練が、あの家に千絵に似た何かを創らせたのだ。柴田への憎しみに終止符を打った今、千絵は、彼女は成仏したいはずだ。
志穂は千絵の家へ向かう電車のホームへ降りた。
違う……千絵の家に行っても解決しない。墓地だ、あのお墓を何とかしなければダメなんだ。
志穂は引き返して階段を駆け上り、駅の歩道橋を渡って反対側のホームへ降りると、上り電車に飛び乗った。
智也、そうだ、彼なら助けになるかもしれない。まだ授業中の時間だったので、志穂は電車の中から智也にメールを送った。