事故(2)
小学生の頃のある日、里美は母親に頼まれたお使いで、近くの大通りに面した親戚の家に来ていた。
片側三車線の国道十六号線は、里美の家から自転車で十五分程の距離だった。
お使いの帰り道、ニッサンディーラーの前を通った時、側道から犬が飛び出てきた。
ダックスフンド、いや、ミチュアダックスだった。
飛び出して、と言っても、走ると言うよりは早歩きと言う感じで短い足を細かく動かしながら、タレ耳をなびかせて歩道を横切る犬の姿を、里美は呆然と眺めていた。しかし、その先は片側三車線の大通り。大型トラックもバンバン行き交う幹線道路だ。
里美は自転車を投げ捨てるように飛び降りて、犬を追いかけた。
「渡っちゃダメ!」
里美が叫んだ声に犬が反応して立ち止まり、こちらに振り返った。しかし、そこは既に一番左の車線の真ん中だった。
呼ぶんじゃなかった…… 里美は後悔した。しかし、自分も既に車道に飛び出していた。
その時、大型トラックが近づいていた。犬の姿は確認出来なかったが、飛び出た女の子の姿は、すぐに運転手の目に留まった。
大きなクラクションと同時にブレーキが鳴った。
ドラマのように道路を突っ切って向こう側へ行けない事は、里美には判っていた。真ん中の車線の車は途切れていなかったからだ。
犬を抱えた彼女は、元いた歩道へ跳んだ。思ったより犬は軽かった。トラックの前輪は、里美が最初に飛び出した場所を越えて停止した。
「バカ野郎!」
後続車にはお構いなくトラックをその場に停めたまま、運転手が凄い剣幕で降りてきた。しかし、それは、「俺は悪くない」と言う、周囲へのアピールに過ぎなかった。
「大丈夫か?」男は歩道に倒れている少女へ駆け寄った。
「里美?」
路地から犬を追いかけて走って来た風見玲子が、自分の犬を救った少女の顔を間近で見て叫んだ。
里美は玲子の連絡で飛んで来た執事によって、近くで一番大きな病院へと運ばれたのだ。
連絡を受けて駆けつけた彼女の両親には、風見家の執事から説明と謝罪があった。玲子も謝っている姿が、病室の扉の向こうにチラリと見えた。
里美の両親は、大げさに広い病室に比べ、娘の怪我の軽さに思わず笑っていた。両親共に比較的呑気なのである。
「大げさね。こんな大きな病室に」
ベッドの上で里美が玲子に向かって言った。
玲子が笑って、「当然の事よ。ラッキーの恩人ですもの」
「ラッキー?」
「あの仔の名前よ」
「ラッキーねぇ」
里美は自分のアンラッキーに肩をすくめて笑った。
しかし、彼女の怪我は、膝と肘を擦りむいて、頭を少しぶつけただけだった。
玲子の方でどうしてもと、一晩入院させられたが、ことさら元気だった里美は、どうにも退屈なのと、翌朝わざわざ看護士が検温に来たので、とても恥ずかしかった。
翌日の午後、玲子の家のジャガーで家まで送ってくれた。もちろん、玲子も一緒に来ていた。
「ねぇ、玲子。車で登下校するのはいいけど、裏門に着けてもらった方がいいんじゃない?」
「どうして?」
「みんな、僻むわ」
「そう言うものなの?」
「たぶんね」
「判った。里美の忠告なら聞くわ」
玲子は屈託の無い笑顔で言った。