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短編2

病弱な幼馴染とご一緒に

作者: 猫宮蒼
掲載日:2026/10/26



「いやあれは長生きするよ」


 その一言でエヴァンスの心は吹っ切れたと言ってもいい。


 エヴァンスには婚約者がいる。アンソニー・ブランソディア。

 いずれはブランソディア家に嫁いで夫となるアンソニーを、ブランソディア家を、領地を支えていくつもりであった。

 そのためにエヴァンスは一生懸命学んだ。苦手なものもあったけれど、苦手だからやりたくないなどと我侭は言えない。貴族の家に生まれて育ってきたのだから、そういったものは理解していた。

 辛い事もイヤな事もあったけれど、それらをあからさまに表に出す事はなく。


 けれども我慢にだって限界はある。


 アンソニーには幼馴染がいて、その幼馴染は病弱で。

 幼い頃からの親しい友人がアンソニーくらいしかいなくて、彼だけが頼れるのだという事でアンソニーはそんな幼馴染を度々優先していた。


 エヴァンスと共に出かける約束をしていた日だって何度かキャンセルされた。

 ただ街でデートしましょうね、みたいなものならまだしも、二人揃って参加しなければならない催しなどはアンソニーがいかなくなったからとて、エヴァンスも不参加で、とはいかないものもある。

 既に参加します、と連絡を入れていたものもあるのだ。

 だからそういったものはエヴァンスが一人で参加して、一緒にくるはずだったアンソニーが来ない事を主催に詫びたりするなどして、少々肩身の狭い思いをしたりもした。


 アンソニーも最初の頃はエヴァンスに対して申し訳なさそうな態度であったけれど、何度も続けばそれは当たり前になってくる。

 やがて、予定をキャンセルするような事になってもエヴァンスに対して申し訳ないという言葉すら吐かなくなった。それどころか幼馴染だって好きで病弱じゃないんだから、仕方ないだろうと言い放つ始末。


 最初の頃はエヴァンスだってアンソニーの幼馴染とやらを心配はしていた。

 けれどそのせいで自分があまりにも蔑ろにされ続けていけば、一体いつまでこんな状態が続くのか……と思ってしまうのも仕方のない話で。


 明確に期限が決まっていれば、終わりが見えていればそこまでは……と耐えただろう。

 けれどもこの先もずっと、それこそ結婚した後も何かあれば幼馴染の元へすっ飛んでいく夫の尻拭いをし続けなければならないのだろうか、と考えれば。

 子が生まれた後もそれが続くようなら……と考えれば。


 さっさと元気になるか、それか死んでしまえばいいのに……と、どす黒い感情が浮かぶようになってしまって。


 このままではいずれ、確実にアンソニーとの仲は悪い方に傾くだろう。

 そう思えば婚約の見直しをしたい……と思うようになるのも無理のない話であった。


 そうはいっても、仮に婚約を解消できたとして、エヴァンスの次の相手がそうすぐに見つかるとは限らない。そうなれば、今まで婚約者の尻拭いをし続けていた挙句婚約を解消した後マトモな相手も見つからない行き遅れとして社交界ではさぞ笑い話のネタになるだろう。

 そう考えると、それよりはまだ我慢してアンソニーと結婚しておいた方が……とも思ってしまうわけで。


 正直既にアンソニーに対してそこまでの想いは抱いてすらいないけれど、結婚して夫人としての役目を果たしつつアンソニーとは違う、想いを向ける事ができる相手を別に作った方が……なんて思ってしまったのである。

 勿論跡取りとなる子を産み育てた後の話なので、新しい夫ではなく所謂愛人というやつになるが。


 結婚前からそんな事を考えるのもどうなのかしら……と思う部分も勿論あるけれど。

 それでも、未来なんてどうなるかわからない以上、今以上に悪い結果が待っているかもしれないと考えると、中々アンソニーとの関係をバッサリ断ち切るという選択も選べなかった。



 そんな中、エヴァンスはアンソニーと共に祭りに参加する……はずだったのだが。


 案の定と言うべきか、幼馴染の元へアンソニーは行ってしまった。

 それだけなら、まぁいつものことだと諦めもついた。

 けれど年に一度のお祭りは今日を逃せばまた次の年までないわけで。

 エヴァンスは自分付きの侍女でもあるソレッタと共にお祭りに参加する事にした。


 アンソニーと共にいけないからとて、屋敷にこもるのももったいないと思ったので。



 ソレッタはエヴァンスが幼い頃からずっと身近にいた存在だ。アンソニーよりもよほど親しいと言えるだろう。

 そんなソレッタと共に色々と見て回っていくうちに、アンソニーにまた幼馴染を優先されたという事実は頭の片隅から更に遠くに追いやられるようになっていたというのに。


 見知らぬ少女を伴って楽しそうに移動しているアンソニーを見てしまったのである。


 病弱だとかいう幼馴染の少女だろう、とは思ったけれど。

 随分元気そうですわね……?


 なんて思えば、エヴァンスとしてはやはり面白くない。

 かといって、あの二人の前に立ち塞がって「随分と楽しそうですわね」なんて言うつもりもなかった。


 だって、なんだかそれって。

 恋愛小説にありがちな悪役令嬢みたいではないか。


 エヴァンスの人生の主人公はエヴァンスである。

 なのでむしろアンソニーに対して婚約者より幼馴染を優先した挙句、随分と楽しそうですわね、と釘を刺すような事を言うのは正当だと思っている。


 けれどアンソニーの幼馴染の人生の主人公はエヴァンスではない。

 こちらからすれば正当な言い分であっても向こうからすれば難癖をつけられたと思われるかもしれない。


 それに。

 普段は本当に身体が辛くて、今日はお祭りだから折角だし……って事で参加して、お祭りの雰囲気に浮かされて身体が辛いなんて事を一時的に忘れているだけかもしれない。

 そこにエヴァンスが出ていって何かを言った事で、忘れていた不調を思い出して倒れでもしたら。


 そうなればエヴァンスのせいで……と言われるかもしれない。



 そんな風に考えると、エヴァンスはあの二人の前に出ていくなんてできるわけがなかった。臆病者と言われてしまえば否定はできない。


 そんな中、エヴァンスは少し離れた場所で占いをやっている老婆が視界に映ったので逃げるようにそちらへと向かった。

 占いなんて普段は信じていないけれど。


 エヴァンスが何かを言うよりも先に占い師はエヴァンスの状況をズバズバと言い当てたのである。


「凄い……! まだ何も言ってないのに」

「驚いたかい? あたしゃ魔女だからね。これくらいはお見通しさ」


 いっひっひ、と笑う占い師――否、魔女は、未来を見通すのが得意でね、なんて言っている。


「ま、未来なんて変えようと思えばいくらでも変えられるからね。こういう未来が見えた、ってあたしが言ったからって絶対にその通りになるとは限らない。あくまでもその可能性が現時点では高いってだけで」

「そう。それなら、あそこにいる二人の事も?」

「なんだい、知り合いかい?」

「えぇ、まぁ。

 それで、あちらの少女の未来をできれば見てもらえませんか? 病弱らしいから、先が長くないかもしれなくて」


 エヴァンスの言葉に魔女はふぅむ……? と唸るような声を出すと、台の上に置いてある水晶玉を覗き込んだ。エヴァンスとソレッタの目には水晶玉の中心に何かもやもやとした光が浮かんだのは見えたけれど、それが何を示しているかまではわからない。

 それでもまさか水晶玉にそんな変化が出るとは思っていなかったからこそ、目を丸くして「わぁ」と驚きの声を上げていた。


 そうして言われた言葉が――


「いやあれは長生きするよ」


 である。


 それを聞いたエヴァンスは、じゃあこの先もずっとアンソニーが幼馴染を優先し続けるのか、と思ってしまった。仮にエヴァンスが幼馴染はこの先もずっと生き続けるし長生きしますよ、と伝えたところでエヴァンスの言葉であれば信じてもらえるかも疑わしい。

 だが魔女の言葉であるのなら……?


「その、頼みがあるのですが」


 だからこそエヴァンスは魔女にそう声をかけていた。

 魔女もまたエヴァンスの望みを聞いて、それくらいなら構わないよと言った。


 その場では一度魔女と別れ、後日改めて会う約束を取り付けた。

 お祭りは、後はもうどうにでもなーれ! の気持ちと共にソレッタと楽しんで。



 そうして後日、関係者が集められた。

 と言っても、婚約に関してと事前に伝えていたにも関わらずアンソニーはやはり来なかった。いつものように幼馴染の元へ行ったのはエヴァンスからすればわかりきった事であったが、エヴァンスの父ケインと、アンソニーの父であるブランソディア伯は怒りや戸惑いが滲み出ていた。一応今までも報告はしていたが、まさかここまでとは思っていなかったのかもしれない。


「それじゃ、始めるとしようかねぇ」


 呼び出された魔女はよっこいせ、と言いながらも机の上に水晶玉を置いた。

 透き通った水晶玉は何の変哲もない物にしか見えなかったが、魔女が手をかざし何やら呪文を唱えれば、水晶は輝きふわりと光が溢れた。


 そうして水晶の上に光は集まり、光は薄く引き伸ばされたように広がっていく。


 そこには、祭りの日に魔女が水晶で見た未来そのものが映し出されていた。

 普段であれば自分が見たものをそのまま伝えるだけで済ませるのだが、それでは他の者には何が映し出されているのかわからない。いつもならそれで構わないのだが、今回は違う。

 この場にいる者にもわかりやすく見せる必要があった。

 だからこその魔法である。


 そこに映し出された未来は、アンソニーの幼馴染とやらが元気いっぱい過ごす日々であった。

 それでも寂しいと感じた時にアンソニーに頼るのか、彼女はそういう時だけ憂いを帯びた様子でアンソニーに手紙なり人をやって縋る。アンソニーも断り切れずに彼女の元へと行くべく、妻となったであろう女性――エヴァンスである――に手短に何かを告げると足早に去っていった。

 そう遠い未来ではないのだろうか。エヴァンスもアンソニーもそこまで年をとったようには見えない――が、その表情は酷く疲れ果てていてなんだか彼女一人だけがぐっと年をとったようだった。


 何かあればすぐアンソニーを頼る幼馴染のせいで、エヴァンスとアンソニーの仲は微妙といってもいい。

 その逆にアンソニーと幼馴染の仲はますます近づいている様子だった。


 その光景を見て、ケインの表情はますます難しいものになっていく。目には苛立ちや怒りといった感情が浮かんでいた。

 ブランソディア伯の困惑はますます増していく。

 婚約者との仲に関して、問題ないと聞いていたのだ。だがしかし、どう考えても問題しかない。


 映し出された光景のアンソニーは何やらエヴァンスに仕事を押し付けるようにして去っていったのである。

 確かに、時と場合によって妻に任せる事だってあるかもしれない。だがそれは、幼馴染の元に駆けつけるためにする事ではないとブランソディア伯も理解はしていた。


 正直エヴァンスよりも幼馴染と共にいる時間の方が長いくらいである。

 何かあればすぐ呼び出されていくせいで、夫婦としての役目もロクに果たせていない。

 そのせいで子供は中々できず、そしてそれはエヴァンスのせいであるかのように責められていくのだ。


「もう……限界だわ」


 そんな風に映像の中のエヴァンスが呟いてふらりと向かった先はバルコニーで。

 ふらふらとした足取りのまま進んでいって、彼女はバルコニーから身を乗り出して――


「あっ、待て、待つんだ」

 その様子に待ったをかけたのはエヴァンスの父ケインである。しかし映像の中のエヴァンスにその声が聞こえる様子はない。

 そうして彼女の身体はバルコニーの向こう側へと落ちていった。

 落下した直後の音は聞こえなかった。それより先に映像が消えたからである。


「まぁ、このままいけばアンソニーとやらの幼馴染は長生きするよ。それこそ、そこのお嬢さんよりもね」


 今しがたのショッキング映像もなんのその。魔女はそんな風にあっさりと言ってのけた。


 正確にいつの出来事かはさておき、娘の死を目の当たりにさせられたケインとしてはそれどころではない。

 このまま婚約を続け、娘がブランソディア家へ嫁げば今のような未来が待っているとなれば。

 決して娘を殺すために嫁がせるのではない。


「魔女よ、この未来は絶対のものなのか?」

「未来はいくつもの可能性に満ちている。あたしが映せるのはこのままいけばそうなる可能性が一番高い未来だけだね」


 他の可能性はある。

 そう言われてホッと安堵の息を吐いたものの、しかしケインの心は穏やかではない。

 エヴァンスがアンソニーと向き合おうとしたところで、アンソニーにそのつもりがなければ意味がない。

 エヴァンスが幼馴染より自分を優先させろといったところで、アンソニーがそうすると決めなければ結局は無意味だ。

 ブランソディア伯がアンソニーに対して叱りつけたところで、果たして効果があるかはわからない。

 その時はおとなしく素直に返事をしても、内心で言う事をきくつもりがなければ結局はここに行きつくからだ。


 ブランソディア伯も流石に目の前で息子の嫁になる女性が自ら死を選ぶまで追いつめられる光景を見せられては、これからも息子を頼むなど言えるはずがない。言った時点でケインに殴られるのが目に見えていた。仮に自分がケインの立場で相手からそう言われたら、自分だってぶん殴っているからだ。


「それで、この幼馴染というのは?」

「エカート子爵家のミティルだ……」

「病弱という話だったようだが?」


「このままいけば彼女は長生きするよ。大往生だ」


 魔女が言って再び水晶に更なる未来を映し出す。

 しわくちゃの老婆になった彼女の周りには孫だろうか。ともあれ大勢の人に囲まれている。


 ケインの視線が鋭くブランソディア伯に向けられた。

 ブランソディア伯も自分のせいではないけれど、気まずくて思わず視線を別の方向へ向けてしまった。

 それというのも当事者のはずのアンソニーがこの集まりを軽んじてすっぽかしたからだ。アンソニーがいれば、彼もこの光景を見ていれば少しは違ったのかもしれないが、いない以上どうしようもない。


「私は娘を若くして死なせるつもりはない」

「わかっている」

「どうやら病弱というわりに長生きするようだし、多くの子に囲まれている様子でもあるのだから、そちらのアンソニーはミティルと結婚させればよいのではないか? 婚約者でなくとも寄り添い続けているようではあるし、それなら婚約させても問題なかろうよ」

「そう……だな」


 ケインの言葉を否定できる要素がどこにもない。

 こんな光景を見せられなければ、病弱と言われている娘と結婚させたところで跡取りが生まれないだとか、色々と言える事はあったに違いない。

 だがなんだかんだ長生きして挙句周囲に孫と思しき子供たちに囲まれているミティルの面影がある老婆を見せられてしまえば。


 ブランソディア伯も何が何でもエヴァンスを嫁に、とは言えるはずもなかった。

 既にケインはエヴァンスを嫁に出す事を渋っている。それでもどうしても、というのなら婚約の条件を見直されるのは言うまでもない。


 確実にエヴァンスにとって有利な条件を結ばれるのはわかりきっている。

 アンソニーにきっちり言い聞かせたところで、恐らくこの未来の光景を見る限りは無意味だろう。


 それならば本当にこの婚約を解消して、アンソニーの妻にミティルを据えればまるく解決するように思えてきた。


「そうだな、そうしよう」



 かくしてこの日、当事者の約一名が不在のままアンソニーとエヴァンスの婚約は解消されたのである。



 ――アンソニーとの婚約を解消したところで、他の婚約者がみつかるかどうかもわからない……とエヴァンスが悩んでいたのが嘘みたいに、すぐに新たな婚約者が見つかった。

 アンソニーがすっぽかしてエヴァンス一人で参加する事になった催しの際、それらを目撃していた者の中の一人が新たな婚約者である。


 婚約者に軽んじられていてもなお堂々とした振る舞いでいたエヴァンスの事を、なんて気高い人なんだ、自分だったらあんな素敵な女性を悲しませるような事はしないのに……と密かに恋慕の情を抱いていたらしい。

 当時のエヴァンスの心情としては、堂々も何もという話だ。内心では泣きたいくらいだったし。けれどそれを態度に出してしまえば余計に周囲はエヴァンスを哀れな娘と見るだろうとわかっていたから、私全然可哀そうじゃありませんけど? という態度でいたにすぎない。いわば虚勢である。


 けれどもそれが結果として新たなお相手を見つける事になったのだから、人生何が起きるかわからないものである。


 新たなお相手でもある男性はエヴァンスを悲しませたりしない、と自ら誓った事を違えるつもりは一切なく、まるで宝物みたいにエヴァンスを大切に扱った。

 今の今まで放置されつづけていたエヴァンスは最初こそ戸惑っていたけれど、今までが当たり前などではなかった、と思うようになってからは同じだけの気持ちを相手に返すようになっていった。

 おかげで社交界ではすっかりおしどり夫婦として有名である。


 そんなエヴァンスの様子を婚家にもついていったソレッタは、お嬢様が……いえ、奥様が幸せで良かった、と満足そうに見つめ、頷いた。


 娘が幸せそうだという事実を娘からの手紙とソレッタからの手紙、両方で確認できているケインもにっこりである。

 あの時婚約解消しておいて良かった。声には出さないが、そう思っているのは間違いじゃない。




 一方、アンソニーとブランソディア家、それから幼馴染のミティルはというと。


 エヴァンスとの婚約は解消した、代わりにミティルを嫁にする事にした、と父から言われたアンソニーは最初こそ戸惑った。だってミティルは病弱で、妻にするにしたって……という程度にはアンソニーも考えていたからだ。

 だが魔女から未来の光景の一部を見せられたブランソディア伯からすれば、病弱っていったってなんだかんだ元気いっぱい長生きするのがわかっている。

 だからこそ問題ないとミティルの家にも話を持ち掛けに行った。


 アンソニーがこの時点で何を言ったところで、エヴァンスとの婚約は既に解消されてしまった。

 彼が何かを言おうにも、行動に移ろうにも今更であった。


 そうして二人は結婚した。

 最初こそ戸惑う様子のミティルも、これからは婚約者の存在を気にしながらもアンソニーを頼る必要がない、となって少しずつ元気を取り戻していくようだった。


 一応これでも、ミティルだって婚約者がいる事は理解していたのだ。それでもミティルにとって頼れる相手はアンソニーしかいなかったので、婚約者(エヴァンス)に対して申し訳ない気持ちはあった。けれども今は自分が彼の伴侶なのだ。であれば、誰に気兼ねするでもなくアンソニーと共にいられる。

 

 後ろ暗い気持ちはあった。それでもアンソニーを諦められなかった。


 諦めなかった結果、こうしてミティルはアンソニーと結ばれる事になったのだからこれを幸せと言わず何と言おう。


 そう、確かにミティルは幸せになれた――はずだった。


 今まではただの幼馴染だった。

 けれども今はアンソニーの妻だ。

 つまりは、貴族夫人としてやるべき事をしなければならない。


 最初のうちは身体が弱かったから、というのもあって周囲もまだ色々身体が追い付いていないだろうと、不慣れであると思っていたからこそ優しい目を向けていた。だがそれとていつまでも続くわけではない。

 いつまで経っても不出来な様を見せられれば周囲の目は段々と厳しいものへと変わっていく。


 それはアンソニーも同様だった。


 ミティルだって努力はした。それでもすぐになんでもできるようになるわけではない。

 それでなくともミティルは今まで家の中で大人しく過ごすのが当たり前で、精力的に動き回るような事はなかった。させてもらえなかった。

 多少動いたとしても、それは屋敷の中で好きな事をするだけ。

 もし途中で具合が悪くなっても精々使用人のやるべき事が増えるだけで、それ以上の迷惑をかけるでもない。


 だが今は違う。

 己の限界を感じ休憩を入れても、自分がやるべき事を誰かがかわりにこなしてくれるわけでもない。

 ただの令嬢だった時はやるべき事というものがそこまでなかった。けれど夫人として家を切り盛りしなければならなくなった今、自分がやらなければならないものというのが確かに存在する。


 伸し掛かる責任。

 一日でありったけの体力も気力も使い果たすわけにはいかない。そうして翌日以降、寝た切りになってはやるべき事はいつまでたっても片付かないし、周囲の目はますます厳しくなっていってしまう。


 だからこそ、己の限界がどれくらいなのかを見極めて、そこに至らないように、限界を迎える前まで気力も体力もセーブしなければならない。明日もマトモに動けるだけの分を確保しておかなければならないから。

 けれどそれでは到底足りない。


 こんなに大変になるのなら、結婚なんてしないでずっと友達のままでいた方が良かったのかもしれない……


 そんな風に思うようになるまで、そう時間はかからなかった。


 それでもミティルのやるべき事が全て免除されるわけではない。


 子を宿し、産む。


 そうして育てていって――数年後、彼女はとうとう限界が訪れたらしく意外とあっさり儚くなった。



「――どういう事だ」


 アンソニーが魔女の住処を突き止めて乗り込んだのは、それから数か月後の事だった。


 この頃にはもうとっくにエヴァンスと婚約を解消するに至った流れも聞いていたし、ミティルが長生きする事だって聞いていた。父が魔女に見せられた未来の事も聞いてはいたが、しかしミティルは亡くなった。死に顔は案外安らかであったけれど、彼女はもっと長く、それこそしわくちゃの老婆になるまで長生きすると聞いていたのに。

 魔女が見た未来とは違うではないか。


 そんな気持ちでもってアンソニーは魔女を糾弾したのである。

 しかし魔女はというと、呆れた表情を隠しもしなかった。


「未来なんていくつもの可能性が存在しているんだから、そりゃ途中でいくらでも変わるだろうさ。

 あたしゃ確かに言ったよ。このままいけばこうなる可能性が高い、ってね。

 結果として周囲は未来を変えようと動いた。このままいかなかったから未来は変わった。それだけの話じゃないか」


 そんな当たり前の事で未来が違った、嘘を吐いたんだな、なんて言われても魔女だって困る。


「そもそもの話、未来を知った時点でその未来が変わる可能性は大いにあるんだよ。

 このままいけば不幸になると知ればどうにかしようと足掻く。このままいけば幸せになると知った場合でもだ」

「幸せになるのなら変えようとはしないんじゃないのか」

「馬鹿だね。幸せになるための努力を放棄するのさ。このままなら幸せになれる。なら、別に何もしなくてもいいか、なんてね。結果として幸せになれるはずだった未来が滑り落ちていく事だってよくある話だよ」

「だったら、どうして未来を見せた」

「そりゃあ、そうしなかったらあのお嬢さんが死ぬかもしれなかったからね」

「…………ッ」


 言われてアンソニーは黙り込んだ。

 父から聞かされた未来の話。可能性の話。

 あのままエヴァンスと結婚していたとして、それでもなおアンソニーはミティルを優先し続けた。結果として様々なものをエヴァンスに押し付けて、限界を迎えた彼女の心は生きる気力を失って。

 そうして死を自ら選んだ。


 聞いた時はそんな馬鹿な、と思った。

 だがきっと、そうなっていたのだろう。アンソニーがミティルを優先し続ける限りは。


「あのままなら、あのお嬢さんの犠牲の上であんたとあんたの幼馴染とやらは楽しく暮らしていっただろうね。けどお嬢さんが死んだ後、今更のようにそれがどれだけの事だったかを知ってあんたらは引き離される。

 そうしてあんたの幼馴染は遠くへやられる形で嫁がされて、そこでどうにかやっていった。それがあたしが見せた未来。多くの子や孫に囲まれて逝くはずだった未来は、あのお嬢さんが一抜けした事で別の方向に舵を切った。

 たったそれだけの話だろうに」


 未来を知るというのは必ずしもいい事ではない。

 このままいけば幸せになれる、という未来を見せられたとして、見た者はこの先何をしなくても勝手に幸せになれると思い込んで、そうして堕落し破滅の道へ足を踏み入れても気付けない。

 このままだと破滅の未来が訪れる者になら、見せたところでそこまでではない。変えようと足掻くからだ。破滅する未来が変わる分にはいいが、幸せになれるはずの未来を不幸に変えるつもりまでは魔女にはなかった。


 といっても、エヴァンスの犠牲の上に幸せになれていたはずの二人は不幸になってしまったけれど。

 だが誰かの犠牲の上でのうのうと幸せになれていても、それだって永遠ではない。いずれそのツケを払う時が来る。それだけの話だ。


「幸せになれたのなら、その幸せには何が支払われた結果か。それを考えたかい?

 病弱な幼馴染が健康になっていったのは、どうしてか。自分のペースでのんびり無理なく過ごしていけばそりゃあ悪くなるような事にはならないだろうね。でも、そうじゃなかったら?

 言っとくけど、毎日己の限界まで全ての力を使い果たす人間なんていないよ。いたとしてそんなの限度を知らない幼子くらいのものさ。大抵は次の日の事も考えて限界を超えるような真似はしない。

 一日限界まで働いても次の日に何もかも回復してるわけじゃないからね。むしろ下手に身体を壊して長く動けなくなったら本末転倒だ。そうだろう?」


 その言葉にアンソニーは何かを言おうとした。

 けれど言葉は出てこなかった。


 父から聞いていたからだ。

 ミティルは健康になると。

 見せられた未来では健康になって、子どもも孫もたくさんいたのだと。


 だからアンソニーの中ではすっかりミティルは健康なものだと思って――思い込んでいた。

 時々辛そうにしていても、以前の事を思い出して甘えているのかもしれないと。


 だが本当はそうではなかったのなら。

 自分が、彼女を追い詰めた。


「……ぁ……」


 言葉にならないまま、喉の奥から小さな音だけが吐き出される。


「あんたに見せる未来はないよ。見せて、悪い結果で自棄になられても困るし、良い結果で安心した結果調子に乗ってまた悪い方に傾いても困るからね。そうなってからまた泣きつかれてもあたしだってなんでもできるわけじゃない。ほら、話は終わったんだろ? だったら帰っとくれ。

 あんたにはまだやるべき事がある。ここで油を売ってる暇なんてないよ」


 しっしっ、とまるで犬を追い払うみたいにアンソニーは魔女の小屋から追い出された。


 追い出されたアンソニーはしばらくの間、小屋の前で蹲っていたが。


 魔女が改めて外を確認する頃にはいなくなっていた。

 彼がどうするかまでは魔女の知った事ではない。アンソニーの人生はアンソニーのものなので。





 ――十数年後、成長したブランソディア家の跡取りが家を継いだという話を聞いて。

「なんだい、ちゃんとやるべき事は見失わなかったようだね」

 魔女は大鍋で煮ていた馬鹿みたいに甘ったるいお茶を柄杓で雑にカップに注いで飲み干したのである。

 次回短編予告

 ある日、王女の姿が消えた。第一王妃の産んだ王女は忽然と、どこに行ったのかも定かではない。第二王妃の子である王子は心配し、また父王も草の根掻きわけてでも探し出せと命じた。

 ただ一人、第一王妃だけは。

 まるでこうなる事をわかっていたようだった。


 次回 聖女はどこへ消えたのか

 毎回あらすじに困ってるけどこの次回予告の文章そのままあらすじでもいいのでは? と最近思うようになりました。

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