ドントの影について
エルムン・ドントは、朝、会社に出勤していると、自分になにか足りないと感じた。
ふと足許を見ると、自分の影がなかった。
人混みから抜け出してみても、どんなに目を凝らしても、自分の影は出てこなかった。
ドントは、そんな日もあるか、と足を早めた。今朝は、昨夜にかけたはずのアラームが鳴らず、遅刻しそうなのであった。
遅刻ギリギリで会社に着くと、上司から「ドント君、君の影の退職届は受理されたぞ。」と告げられた。
ドントがはてな、と思っていると、「まったく、おかげでプロジェクトの人員が減ったよ。勘弁してくれ」と上司が続けた。
ドントの影は、すでにドントのもとから離れていっていた。
ドントは、影の退職によって生じる仕事量の増加と、他社員からの冷たい視線を予想して、すっかりくたびれていた。
昼休憩に外へ繰り出すと、定食屋の列に並んでいる影を見つけた。もう彼は逆さまではなく、他の人間と同じように直立していた。ドントが会話を盗み聞きしてみると、他の人間の影が、ドントから離れた影を珍しがっているようだ。大体の影は、元の人間から離れたくないと思っているからだ。
「イヤァ、君はどうして離れようと思ったのかね」と他の影が聞くと、
「別に恨みとかはないんですがね、つまらない人生に付き合わされたくないと思っていたらね、もう離れてしまおうかと思って。昨日会社に退職届を出しに行ったところです。会社が受理しようがしまいがもう行くつもりはないですけれどね」とドントの影は答えた。
自分の人生をつまらないと言われ、ドントの心はさらに押しつぶされた。
それから1年が経って、ドントは会社を辞め、ろくな人付き合いもしないまま、真っ暗な部屋に引きこもっていた。
上司から、「影のいない役立たずは光の当たらぬ場所で生活していればいい」と言われたからである。
上司は、彼の影が辞めてから彼に対して当たりが強くなり、遂に彼に対して言ってはいけないような暴言まで言うようになって、周りの社員が流石に彼を哀れんで上司を告発したので、クビにされた。
彼も、周りの社員に助けてもらったのだということを強く思いすぎて精神がおかしくなり、周りの社員の助言により退職することになった。
そんな時、ふと思い立った彼は、心配して世話をしてくれている母親が持ってきた郵便物たちを漁った。
彼はすぐにそれを見つけることができた。
エルムン-ドントより、エルムン・ドント宛の手紙。
手紙の内容は、影の結婚だった。どうやら同じ境遇の女性の影を見つけ、意気投合して結婚したようだった。ドントは、影の性格の悪さに腹を立てたが、一筋の希望に賭けて、彼に手紙を書いた。
エルムン-ドントへ
頼むから戻ってきてくれ。私は君を必要としているんだ。頼む。お願いだ。
エルムン・ドントより
1週間後、少し明るくなった部屋に訪れた母親が、また郵便物の束を持ってきた。郵便物の束は、引きこもり始めた時と比べて、明らかに薄くなっていた。
母親が帰った後、ドントは希望を胸に郵便物の束を漁った。
あった。影からの手紙だった。彼が開けてみると、そこにはこう書いてあった。
エルムン・ドントへ
もう勘弁してくれ。俺は戻らない。こっちは新たな人生を歩み始めたんだ。こっちは幸せに生きてるんだ。だからもう戻ってきてくれって内容の手紙は送ってくるな。俺はお前を必要としていない。
エルムン-ドントより
エルムン・ドントは、その場に立ち尽くした。
読んでいただきありがとうございます。
エルムン・ドントは、ヨルムンガンド(北欧神話に登場する大蛇の怪物)から名前を取りました。カフカの「変身」みたいに、めっちゃ理不尽な感じのことを書いてみたかったので、グレーゴル・ザムザみたいな名前はないかなと思っていたらふと頭に浮かびました。なぜかは知りません。
以上です!




