第三話 アンチ運動教 ①
「さて、今日からいよいよ授業なわけですが」
今日は法科高専での授業初日である。私たち三人は少し早めに寮を出て、学校へ向かう通学路を歩いていた。もっとも寮と学校の間はごく近いので、五分も歩けば到着だ。
「何よ、イチョウ。もったいぶって」
「授業の前にクラス発表があります」
「で?」
「私たち三人のクラスが別々になる可能性も否定できません」
「たしかにそうですわね」
ミヤさまは神妙な顔でうなずいた。
「そこで、あたしはアカリんのことが心配です」
「は?」
「アカリんは性格悪いからねえ。クラスで孤立してしまわないか、イチョウお姉さんは心配しているのです」
私は黙ってイチョウをぶった。
「いてっ!そういうとこだよアカリん!そうやってすぐ暴力をふるう女の子はモテないんだよ!」
「モテなくて結構。大体なんで私があんたの妹扱いなのよ、普通に考えて逆でしょ逆」
「モテるかどうかは大事だよ、アカリんもみゃーちゃんも。十代も後半、リアルを充実させないと。アオハルってやつ」
「『青春がしたい』なんて言うやつほど青春はできないし、そもそもそんなことをリアルで言う時点で若干キモいからやめた方がいいよ」
「あっ、またそういうこと言う。毒舌キャラがもてはやされるのは平成後期のライトノベルまでだよ。あっでもでも、最近はドSキャラが再ブームを迎えてるから、アカリんにもチャンスはあるかもよ!」
私は黙ってもう一度イチョウをぶった。
「『毒舌キャラ』や『ドSキャラ』とは何ですの?」
私はミヤさまのナイトである。彼女を決して目覚めさせてはならない。
「ミヤさま、この世界には特殊な性癖をもった人たちがいるんだよ」
「性癖……?」
そんなこんなのうちに私たちはあっという間に校舎に到着した。一階のホールにはクラス名簿が大きく掲げられ、多くの新入生が食い入るように見つめていた。
「江坂アカリ、青山ミヤ、加古川イチョウ……すごい!全員同じクラスだよ!やったあ」
イチョウは満面の笑みを咲かせ、私たち一人一人とハイタッチをした。私も正直に言うと嬉しい。一年一組、それが私たちのクラスだ。
「アカリさん、私はこういうのは初めてなのですけれど、教室に入る時にクラスメイトの皆さんに挨拶でもしたほうが良いのでしょうか」
ミヤさまは少し恥ずかしそうに私に耳打ちする。
「いや、自己紹介の時間があるからその時にすればいいと思うよ」
しかし隣を歩いていたイチョウは廊下を突然走り始めて教室の扉を開け、
「加古川イチョウ、参上!みんなよろしくねっ!」
と大声で叫んだ。
「……って、あれ?」
教室は一瞬にして静まり返り、誰かの咳払いだけが響いた。数名がこそこそと「あれって乗艦式に遅刻した……」とか「なんかヤバい人が来た……」などとささやいている。だがその微妙な空気は、ミヤさまの登場で一変した。
「えっ、もしかして新入生代表!?」
「うちのクラスなんだ!名前はたしか、ええと……」
「青山ミヤ、と言いますわ」
「そう、青山さん!あの時のスピーチ、めっちゃかっこよかったです!尊敬してます!」
「いえ、あの、ありがとうございますわ」
あっという間にクラスメイト達に囲まれ、ミヤさまは注目の的になってしまった。ミヤさまが何らかの言葉を発するたびに周りの女子が黄色い声を上げていて、まるでアイドル扱いだ。
「今のトレンドはお嬢様キャラなんだね」
「そうそう、最近は転生したらどこかの貴族令嬢でしたっていうのが流行りで……って、違うからっ!」
私は黙ってもう二度、イチョウをぶった。
一時限目であるホームルームの開始を告げるチャイムが鳴ると、私を含めたクラスメイトたちは一斉に自らの席に戻って静かに担任が来るのを待った。担任の名はまだ明かされていない。
チャイムが鳴って数分、入ってきたのは白衣を身にまとった見覚えのある女性だった。
「一年一組の担任、北白河エリカだ。以後よろしく」
北白河教官。乗艦式の日、風紀委員から私たちを助けてくれた人だ。彼女は無造作に束ねた焦げ茶色の髪をほどき、その髪を広げた。
「やはりコーヒーがないとやってられんな。ホームルームは手短に済ませるから、あとは君たちで何とかしたまえ」
北白河教官は白衣のポケットからくしゃくしゃの一枚紙を取り出すと、それを読み上げ始めた。
「えー、皆さんご入学おめでとうございます。担任の【ここに名前を入れる】……あっ、ここに私の名前を入れるのだな。担任の北白河です。皆さんと一年間ともに学ぶことを楽しみにしています。続いて皆さんの自己紹介を……これは面倒だから飛ばすか」
明々白々な棒読みにクラス一同が困惑している。
「……ここから読めばいいな。各クラスを代表する『総務』を各クラス二名、選出することが艦則で定められています。立候補したい方はいらっしゃいますか」
クラスメイトのかなりの数の視線がミヤさまに向くけれど、本人には特にやる気はないらしく黙って座っている。それを見た男子一人と女子一人がおずおずと手を挙げ、それなら私が、と名乗り出た。
「ふむ。じゃあここからは君たち二人に任せる。ホームルームで決めるべきことは全てこの紙に書いてあるから、決まった内容を書いて私の部屋まで提出したまえ」
「あの、まだ職員室の場所を知らないのですが……」
「三階の端っこだ。階段の所にフロアマップがあるからそれを見たまえ。では私は失礼する」
そう言うと北白河教官は気だるそうに教室の扉を開け、立ち去ってしまった。
* * *
「まさかあの先生が担任だったとはね」
「驚きましたわ。……あまりにも無気力なことにも、ですが」
私たちは昼休み、食堂で昼食をとっている。
「あたしは法科高専でも普通に数学の授業とかやるんだ、ってびっくりしちゃった」
「あんたは本当になんで入学できたのよ。……って、次の授業は体育だけれど、カレー大盛りなんて食べてて大丈夫なの」
イチョウのトレーには、お茶碗数杯分のご飯が乗っかり、その周りにカレーの海が広がっていた。学園艦名物の『ながとカレー』というメニューで、海軍カレーをベースに作られているらしい。
「えっ、体育!?そんなの聞いてないよ」
「時間割に書いてありましたわよ」
「そもそも、法律学びに来てるのにどうして体育なんてやらなきゃいけないんだろ。おかしいよ、ホント」
「へえ、イチョウは体育嫌いなんだ」
「ううん、勉強よりは好き!」
イチョウはスプーンを持つ手で器用に親指を立ててみせた。私とミヤさまは同時にため息をついた。
「そろそろ着替えに行かないといけませんわね。イチョウさん、申し訳ないですが急げますか?」
「あたしのことは良い……先に行って……ッ」
「死亡フラグを立てるんじゃない。また遅刻しないでよ」
こんな次第で私たちは体育の授業に向かったのだけれど、私たちはそれでも遅い方で、既に七割方のクラスメイトは着替えを済ませていた。
「よおし、何とか間に合った」
イチョウが息を切らしながら集合場所のグラウンドに到着したのは、チャイムが鳴るわずか十秒前。四捨五入したら遅刻である。
「それでは体育の授業を始めます。担当の舞洲と言います、よろしくお願いします。まずは点呼を……」
体育の舞洲教官はあまり体育教師らしくない。背も高くないし、体型もあまり鍛えていそうな感じではない。そして、声が小さい。男子の側は早速グラウンドを走らされているけれど、そのかけ声にかき消されそうなほどだ。
「ねえ、舞洲教官って全然体育教師っぽくなくない?」
イチョウは小声で私に囁き、私も頷いた。同じような感想を他のクラスメイトも持っているようで、怖くない体育教師に拍子抜けし、最初の張り詰めた緊張感が無くなっている。
「……って、あら?楠葉さんがいませんね。総務さん、彼女は今日はお休みですか?」
「ええと、最初のホームルームでは全員いたはずなのですが」
一時限目に無投票で選出された女子学生が伝えると、舞洲教官は捨てられた子犬のような困った顔をした。
「集合場所が分からないのでしょうか……それとも保健室に……?困りました……こういう時はどうすれば……ああ……」
「舞洲教官、後ろから誰か来ています。楠葉さんかも」
総務の人が言うように、たしかに後ろから誰かが来た。けれど彼女は体操服に着替えていない。
「私は、以下の事実を自明のことと信じる!」
「えっ、何」
突如として始まった演説に皆は目を丸くした。
「すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であって、その創造主により『運動しない自由』という不可侵の権利を与えられていることを!」
「まるでアメリカ独立宣言ですわね」
ミヤさまが呟く。しかしアメリカの建国者たちが『運動しない自由』などという自由を謳っていた記憶はない。
「にもかかわらずッ!学園艦〈ながと〉には幽霊が出る--『運動』という幽霊が!」
まさかこの前の純白の髪の少女のことかと一瞬背筋が凍ったけれど、何やらよく分からないことを叫んでいる。
「今度はマルクス『共産党宣言』ですわね」
「へえ……詳しいんだね」
「九つの時に読みましたの」
お嬢様が共産主義になんて走っていいのだろうか。
「しかし諸君!人は皆、何にも縛られない自由な身で産まれるのだ。ところがひとたび社会の一員になるや否や、私たちは『運動』に束縛される!」
「次はルソー『社会契約論』の一節でしょうか」
どうやらこの演説は、世界中の名著の数々を切り貼りしたものらしい。
「私は満足した豚であるよりも不満足な人間であることを望む。なぜなら人は豚と違い、運動などせず頭で考えることによって人間たりえるのだから。我動かじ、故に我あり!」
「前半はミル『自由論』、後半はデカルト『方法序説』ですわ」
舞洲教官は自らが体育教師であることを忘れて今にも泣きそうな顔で途方に暮れている一方、楠葉さん的にはここで演説のクライマックスに入ったようで、更に声を張り上げてその右手を胸に当てて宣言した。
「私はここに『アンチ運動教』の成立を宣言する!宗教上の理由により体育を受講する事はできない!」
学園艦〈ながと〉で、世界三大宗教である仏教、キリスト教、イスラム教に割って入る新たな宗教が誕生した瞬間だった。いやいや、そんなわけあるか。




