第二話 働いていませんが、働いているんです。③
「どうも皆さん、勤務お疲れ様でした」
金山さんは勤務終了時刻である午前十時きっかりに管理人室に現れた。
「報告書を拝見しますね……ふむ、純白の髪の少女がビル内の部屋から出てきた、と」
「はい。法科高専の制服でしたので、法科高専生だと思うのですが。金山さんのお知り合いですか?」
「……ええ。ですので、お気になさらないでください。驚かせてしまったのなら申し訳なく思います」
驚いたどころじゃない。特別手当を貰いたいくらい精神的なダメージを負った気がする。
しかし、金山さんの知り合いだと言うのなら管理人室に何の用事だったのだろう。あんなに強く扉を叩いていたのだ、それなりに重要な用事だったんじゃないのか。まあ、たかがバイトが詮索する話じゃないと言われればそれまででもある。
「報告書に特に問題はなさそうです。これにて勤務終了です。早速給与の方をお支払いいたしますね」
「いやあ、給料が手渡しで貰えるのはポイント高いですよ〜、金山さん」
「こちらが本日の給与となります。お疲れ様でした。それでは」
金山さんは給料の入った封筒を私たち三人に渡すと、勤務開始の時と同じようにそそくさと去ってしまった。イチョウは金山さんには目もくれず封筒の中身を確認し始める。
「えーっ!お賃金少ないんですけど!」
私も封筒の中身を見ると、一万円少々しか入っていなかった。ミヤさまの試算によると一万五千円は固いということだったけれど、これは……?
「原因は『仮眠時間』ですわね。仮眠時間の四時間が労働時間から除外されていますわ」
ミヤさまは同封されている給与明細書を眺めながら呟いた。
「たしかに寝てたけどさ、そんなのおかしいじゃん!だって、だって、ええと……そう、あたしは働いてないけど働いてたんです!」
「イチョウは寝てばっかりだったからあんまり文句言う筋合いないと思うけれど」
「でもイチョウさんの言う通り、寝ている時間であっても何か異常があれば私たちは対応しなければならなかった訳ですし、実際、あの少女が現れた時は仮眠どころではなかったですわ」
「やっぱおかしいよね!まあ、あたしはその女の子のこと全然知らないんだけどね」
「でも金山さん、もうどこかへ行っちゃったしなあ……これで我慢するしかないかな」
そう言いながら私は一万円札を眺める。正直に言うと、私は早く寮に帰って寝たい。
「私は納得いきません。労働には正当な対価が与えられるべきですわ」
「そうは言ってもね……理想はミヤさまの言う通りだけれど、現実の社会はそう上手くも行ってないし」
「〈法〉は理想の社会を示すものです。法が現実に合わせるなんて、そんなの論理が逆転していませんこと?」
「違うよ。〈法〉は現実に追いつきっこない」
「アカリさん、この前も『〈法〉は何もしてくれない』と言っておられましたが、なぜそんなに〈法〉を信じないのですか? それならなぜ、法科高専に入学したのですか」
ミヤさまはやや鋭い目で問いを投げかけた。
「……言いたくない」
そんなこと、思い出すだけで反吐が出る。中学でもこんな感じで誰かと喧嘩して、何となく教室に居づらくなった経験が頭をよぎる。
「ごめん、先に帰るね」
私はそう告げると、一人足早に寮に戻った。イチョウは気遣って声をかけてくれたけれど、応えることはできなかった。
* * *
自分の個室に戻った私は、着の身着のままでベッドに横たわり、天井を眺めていた。私が法科高専に入学した理由--復讐のため。あの時、私を見捨てた全ての人間に対する復讐。あるいは、私を守らなかった〈法〉そのものに対する復讐。
〈法〉を扱う人たちはいつも正義だとか公平だとか言って理想を語る。そんな人たちに一度聞いてみたい。〈法〉が一度でも理想を実現したことがあるのか、と。どうせ裏切られる運命にあるのに、なんでそんなものを信じるのだろう。
あの時、私の訴えを冷酷にも棄却した判決を思い出し、自然に目頭が熱くなってくる。こうなるから思い出したくなかったのに。部屋には誰もいないけれど、私は枕に顔を埋めて涙を隠す。
そんな中、不意にポケットの中のスマホが震えた。
『加古川イチョウ 着信五件』
きっと彼女は私のことを心配してくれているのだろうけれど、放っておいてほしい。じゃないと、またさっきみたいに言い合いになる。でもイチョウは、それでも電話をかけてきた。六回目だ。
『……しつこい』
『ごめん!でも、どうしても今すぐ来て欲しくて。風紀委員の事務所に来て欲しい』
『え?またあんた何かやらかし--』
自分の要件だけを伝えてイチョウは電話を切ってしまった。また厄介事を起こしたのだろうか、疫病神め。しかしこうなると私とて、風紀委員の事務所に行くほかはない。あれでも友達なのだ。
「あっ、来た来た!」
私が事務所に着くと、イチョウは先ほどの一件など無かったかのように私に大きく手を振って部屋の一室に招き入れた。けれど、彼女の周りにいる面々は不穏だ。
「曽根崎さんと、湊町さん?」
「この前はどうも。今日は少なくとも、君たちの敵になる気はないから安心しろ」
曽根崎はそう言うけれど、その眼差しは依然として敵意がこもっている。風紀委員の曽根崎と湊町。この前、私たちと一悶着あった相手だ。私も少し警戒しながら席に着く。
「……お待ちしていましたわ」
「……うん」
ミヤさまの姿を見て、心がちくりと痛んだ。ミヤさまとはまだ目が合わせられない。
「で、一体全体何があったらこんなシチュエーションになるんですか」
「加古川イチョウが突然ここの事務所に駆け込んできてな。『助けてくださーい!』なんて言うものだから、何か事件にでも遭ったのかと思って話を聞いたのだが、緊急性は特になかった」
湊町が冷静に説明する。曽根崎は私たちに対して恨みを募らせているのかやたら敵対的な目線を向けてくるけれど、湊町はあくまで事務的だ。
「事件は事件でしょ!私たち、搾取されてるんですよ!さ・く・しゅ!」
「たしかに君たちがそれっぽっちの給料しか貰えなかったのは気の毒だが、私たちには引き受けられない」
「労働紛争も風紀委員会の管轄であると、入学案内には書いてありましたわよ」
「チッ。知識のある学生は面倒だな……分かったよ、正直に言う。労働紛争はな、面倒なんだ」
曽根崎は一丁前に足を組みながらしたり顔で話し出す。
「面倒、と言いますと?」
「労働紛争はたしかにウチの管轄。その気になりゃ臨検もできる。でも、ウチらには校則違反を一日十件以上摘発しないといけないっていうノルマがある。そろそろ分かるだろ」
「労働紛争では会社側が理論武装をして抵抗してくるので、手っ取り早く摘発できない、ということですね」
「そうそう、理解が早くて助かる。だから、風紀委員会の誰も労働紛争なんて手を出さない。あ、言っとくけど私たちもやらないぞ?話を聞く限り面倒くさそうな案件だし」
「なにそれーっ、風紀委員会って学園艦の秩序を守ってくれるんじゃないの?」
「まあ、毎日のノルマを早々と達成できるようなプロの風紀委員にでも相談するんだな。そういう奴はヒマしてるだろ」
イチョウの異議申立てを軽く却下した曽根崎は湊町とともに席を立ち、事務所の一室の扉を開けた。しかしそこには、一人の女性が立っていた。
「曽根崎委員、湊町委員。話は聞かせてもらったわ。この案件、私が引き受ける」
「い、委員長……!」
湊町は颯爽と敬礼し、曽根崎はワンテンポ遅れて敬礼した。
「委員長、いつから聞いていらっしゃったのですか」
「あら、最初の方から聞いていたわよ。風紀委員の事務所なんて一般生徒は誰も近寄らないのに、助けを求めて誰かが来ただけで珍しいもの」
風紀委員長はその肩書きに違わず風格がある。漆黒の長い髪を後ろにくくっており、灰銀の眼はまるで全てを見透かすようだ。
「ですが委員長……委員長はお忙しいのでは……」
曽根崎がおずおずと尋ねる。
「私はもうノルマは終わらせてあるわよ。駐輪場所違反四件、交通違反三件、独禁法違反一件、マネーロンダリングが二件」
「さ、さすがですね……そもそも、マネロンって風紀委員の管轄内だったんですね……」
「ほらね。文句ないでしょ?私はヒマよ。曽根崎委員、湊町委員、貴方たちのノルマはあと何件?」
湊町が即答した。
「あと七件です。服装違反を三件摘発済みです」
「分かった。なら、この案件を手伝ってくれたら今日のノルマは達成ってことでいいわよ。いや、今週一週間のノルマを達成したものとみなします」
「えっ、いいんすか!?やります!やらせてください!」
「いやさっきと全然態度違うじゃん……これが権力かあ」
イチョウがしみじみと声を漏らした。
「自己紹介がまだだったわね。私は和光クロネ、法科高専の五年で風紀委員長をやっているわ。貴方たちは、その赤髪のポニーテールの子が江坂アカリさん、藍色のロングの子が青山ミヤさん、金色のショートの子が加古川イチョウさん。間違いないかしら」
「すごい。どうして」
あまりの驚きに思わず和光さんに尋ねてしまう。
「新入生全員の資料に目を通しているから。それにしても、貴方たち三人がルームメイトなのね。面白い」
「は、はあ……」
「話を戻すとして、和光さん。私たちのこの一件に対して何か良い案でもお持ちなのですか?」
ミヤさまの疑問に和光委員長は襟を正し、満面の笑みで答えた。
「決まってるじゃない。『権力』を行使すればいいのよ」




