第二話 働いていませんが、働いているんです。②
「ここですわね」
バイトに応募するとものの数十分で返信が来て、今日からでもシフトに入って欲しいということだった。どうせ寮にいても春休み延長戦を過ごしているだけの私たちは、それを二つ返事で引き受けたのである。
「うん、合ってる。ながとみらい二丁目十番地……ここ、薄暗くてちょっと気味悪いかも」
私は辺りを見回し、そう呟いた。
「そう?あたしの地元もこんな感じだったけどなあ。こんな感じで薄暗くて、街灯も切れかかってて」
「そんなホラー映画みたいな……」
私たち三人の間を強いビル風が吹き抜ける。四月とはいえ、夜はまだかなり冷え込む。
「君たちがバイトに応募してくれた三人かな?初めまして、担当の金山と言います。〈ながと〉経営大学の二年生です」
金山と名乗る眼鏡をかけたお姉さんは、笑顔で私たち一人一人と握手した。けれど、握手の手はびっくりするほど冷たかった。
「それでは、仕事場所を案内します」
金山さんはそう言うと、すぐそこのビルの中に入っていった。
「ここが管理人室です。皆さんにはここのモニターを監視して頂き、何か異常があれば適切に対処してください」
管理人室はビルの外よりは暖かいけれど、その雰囲気は金山さんの手のようにどことなく冷たい。
「『適切に』とは、どのようにすれば良いのでしょうか」
私もそう思う。国会答弁じゃないんだから具体的にお答えください、金山総理。
「各事象の対応方法はこちらのマニュアルに記載してありますので、マニュアルの通りにして頂ければ結構ですよ」
たしかにモニターのそばには『対応マニュアル 三訂版』と書かれたファイルがぶら下がっている。
「えー、なんかやっぱり大変そう」
「ふふ、ご心配なく。異常事態なんて今まで起こったことなどないですから……おっと、そろそろ勤務開始の時間ですね。終了時にまた来ますので、異常があれば報告書に記入しておいてください。それでは」
行ってしまった。管理人室には私たち三人だけが取り残され、時計はちょうど午後十時を指した。
「さーてと、仮眠取りますかあ」
イチョウはさっそく管理人室にあるパイプ椅子を三脚ほど並べて、制服の上着を毛布代わりに寝転がる。
「ちょっとイチョウ、仕事してよ」
「ちゃーんと働いてるよ?じゃ、おやすみ〜」
私はすかさず真ん中のパイプ椅子を引き抜く。イチョウはVの字になり、
「あがっ!」
と叫んで崩れ落ちた。無様だ。
「火災報知器が鳴ったとき……停電が起こったとき……モニターの電源が切れたとき……。たしかに、起こりそうなことは大抵マニュアルに書いてありますわね」
「ふうん、なら何とかなるかな。停電なんて学園艦じゃ滅多に起こらないだろうし、火の元もなさそうだしね」
イチョウはVの字の姿勢から未だ回復できずにいる。景気回復と同じで、V字回復は大変なのである。
「そうですわね。ただ、これだけ心配ですわ」
ミヤさまはマニュアルの十三ページを私に見せてくる。
「不審者対応……うわあ、これ女子高生にやらせるの?大の男でも来たら勝てっこないよ」
「そうなのです。私はせいぜいメイドに護身術を習った程度ですし……」
「うんミヤさま、普通の人は護身術も習ったことないから大丈夫」
イチョウはようやく立ち上がり、パイプ椅子を元あった通りに並べ、その一つに座った。
「にしても、このモニター面白くないね。全然動きがないじゃん……ってあれ?このビルって、テナント入ってないんだ」
「動きがあったら一大事でしょ……」
そう言いながらも、私も管理人室に架けられているこのビルの入居者一覧を眺める。六階建てで部屋数もそれなりにあるだろうに、テナント欄は全て空白だ。
まあ、だからこそ監視役が必要なのかもしれない。空室で勝手に部活を始めたりだとか、いかにも学園艦で起こりそうなことだ。少なくとも、そう思わないと怖くて仕方がない。
️『十時十五分 異常なし』
ミヤさまは報告書にそう書き留めた。このまま報告書が『異常なし』で終わることを祈るばかりだ。
* * *
それは勤務開始から三時間後に起こった。
「アカリさん、ここのエレベーターは何階に停まっていたか覚えていますか?」
「うん……?何階だったかな。今は?」
「モニターから見る限りは五階ですわね。先ほどは六階だった気がしたのですが、私の見間違いかもしれません」
「イチョウはどう思う……って寝てるし」
彼女は気持ちよさそうに寝息を立てている。あまりにも気持ち良さそうなので、とりあえずそっとしておくことにする。
「あら?今度は四階になりました」
「え、うそ」
モニターから見えるエレベーターホールの階数表示は、今度は4となっている。そして、3、2、1。他の場所には何にも動きはないのに、階数表示だけが変わっていた。
「あっ……」
私とミヤさまは思わず息を飲んだ。開いたエレベーターの扉から純白の髪の少女が出てきたからだ。その髪は月の光を浴びて美しく輝き、彼女全体に不思議な光をまとわせている。
「あの制服、私たちのものと同じ……彼女も法科高専の学生に間違いありませんわ」
しかし妙だ。彼女はエレベーターの前から動こうとしない。まるでお人形さんのようにその場に立ち尽くしている。
「もう少し映像を拡大してみますわ」
ミヤさまがマニュアル片手にモニターを操作すると、純白の髪の少女の姿はより鮮明になった。しかしその瞬間、彼女もモニター越しにこちらを見た。モニター越しに目が合った私たちは叫び声を上げた。
「「ひゃぁっ!」」
「何でこっち見てるのあの子、何なのあの眼。『こっちを見たな』っていう眼じゃん。幽霊?幽霊だよね?大体なんでこんな廃ビル同然のビルの中にいたわけ?幽霊以外に考えられ……」
「お、落ち着いてくださいアカリさん」
それでもミヤさまの手は震えている。
「アカリさん、見てください……彼女、歩き始めましたわ」
「どこに?出口?」
「あちらがエレベーターホールですから、この向きは……管理人室、ですわ」
「け、消される!私小学校で借りた怪談本で読んだことあるよこういうの!見てはいけない存在を見てしまったからって消されるやつ!」
「しっかりしてください、アカリさん!」
ミヤさまは震えが止まらない私の両手を彼女の両手で包み込んでくれる。互いの両手は震えているけれど暖かくて、まだ生きているのだと少しだけ安心する。
「か、彼女が幽霊だと決まったわけではありませんわ。管理人に何か用事があるだけの可能性も十分あります。このビルの雰囲気がちょっと変わっているから幽霊だと思うのです」
「ちょっとどころじゃないよ、全部だよ全部……ビルの場所もそうだし、テナントに誰もいないのもおかしいし、金山さんもちょっと変だったし。ああもう、フラグだらけじゃん!」
刹那、カン、カン、と管理人室の鉄扉を叩く音がした。
「先ほどの方でしょうか……こういう場合は開けて要件を聞いた方がよいのでしょうか」
「いや絶対開けちゃダメ、開けたら絶対幽霊に消される。それにほら、マニュアルでも『絶対に管理人室に他人を入れないこと』って書いてあるし」
さっきから暇つぶしにマニュアルを読み込んでおいてよかったと思うけれど、マニュアルの表現が不穏で余計に怖くなった。
扉を叩く音は、ガン、ガン、と次第に強くなってきた。
「怖い……怖いよ……消されるんだ……もうおしまいだ……」
「大丈夫ですから。幽霊なんて護身術でぶっ飛ばしますわ」
「幽霊には透過能力あるからそれは無理だと思う……」
ガン、ガン、ガン、ガン、ガン。扉が開かないのに苛立っているのか、扉を叩くペースは次第に早くなってきた。それに合わせて私の心拍数も高まる。もうおしまいだ。消される。私も幽霊にされてしまうーー。
「あーもう、うっさいなあ」
扉を叩く音で目を覚ました寝ぼけ眼のイチョウは、あろうことか扉を思いっきりバンと叩き返した。突然の出来事に頭の理解が追いつかない。
「は……っ?えっ、イチョウ、何してんの……」
「むにゃ……?あれ、皆してなんでこっち見てるの?あたし、また何かやっちゃいました?」
「この作品は異世界チートものじゃないっ!なんで今扉を叩いたわけ!?幽霊がブチ切れだよ」
「え?扉が何って?」
イチョウはドアノブに手をかける。
「ダメっ、幽霊に消される……って、あれ?」
イチョウが開けた扉の先は、ただ長い廊下が続いているだけだった。誰かがいた気配は全くない。
「アカリん、幽霊ってどういうこと?案外そういうの信じるタイプだったんだね。意外だねえ、かわいいねえ」
「……うっさい」
「幽霊ではないと思いますけれど、たしかにここには誰かいたはずなのですが……」
「誰か来たの?誰もいないけどなあ。すいませーん、誰かいませんかー」
イチョウの声は長い廊下にむなしく響くばかりで、返事は返ってこない。
「私たちが出てこないので、あきらめて帰ってしまったのでしょうか。何事もなくて良かったですけれど」
「にしてもやっぱり変だよ。幽霊じゃなかったとしても、このビルにはテナントが入っていないのにどうして人が私たち以外にいたわけ?」
「私たちには分かりませんわね。金山さんの同僚だったのかもしれませんわ。ビルの点検とかでここにいらしていたのかも」
「だと良いけれど……なんか、ものすごく疲れた。イチョウ、さっきまで寝てたんだから交代してよ。私はもう寝る」
「あらあら、拗ねちゃった。りょうかーい」
『一時ニ十分 幽霊がモニターに映る』
私は報告書にそう書きなぐると、少しばかり仮眠をとることにしたのだった。まったく、イチョウのせいで散々な目に遭った。けれど、私たちに襲いかかる不幸はこれで終わりじゃなかった。




