第二話 働いていませんが、働いているんです。①
私は今日、嫌な目覚め方をした。
「アカリん、花札しようよ!」
「断る」
私は布団を頭からかぶり、イチョウに対する拒絶反応を示す。
「もう朝七時だよっ!起きようよお、遊ぼうよお」
風紀委員さん、こいつを何かしらの校則違反で連れて行ってくれませんか。そもそも『もう』朝七時なのではない。『まだ』朝七時なのだ。どうせ学校が始まったら早起きしないといけないのに、どうして今から早起きせにゃならんのだ。
「おやおや?ベッドの下にあるこれは、いったい何ですかあ?アカリん、もしかしてえっちな本でも学園艦に持ち込んでるのかな?どれどれ……」
私はベッドの下に潜り込もうとするイチョウの頭部に回し蹴りを食らわせた。ぼさぼさのくるくるのふわふわ金髪はその場で倒れ込み、くぅーんと悲しげな鳴き声を発した。お前はホンドタヌキか。
「えへへ、これで目が覚めたでしょ。私の勝ちだね」
「このクソ女……」
「待って、女の子が言っちゃいけない言葉言ってるよっ!?」
学校が始まってからもこんな具合じゃないことを祈るばかりである。
「で、なんで花札なわけ?」
花札で遊ぶことを私は全く承諾していないのだけれど、イチョウはポケットから花札の札を取り出して準備を始めた。
「今から、賭け花札をします!」
「それ犯罪だから!」
私は花札の札を片手で吹っ飛ばし、美しい柄の札たちがちらちらと舞う。
「待ってよアカリん、お金なんて賭けないよ」
「じゃあ何、命でも賭けるってわけ?負けた方が地下施設に行くとか?」
「負けた方に、朝ごはんを買ってきてもらいます!」
「私は朝ごはんあるからパスで。自分で買いに行きなよ」
「うーん、やだ!動きたくない!社会が怖い!」
「私はあんたの方が怖いけど。とにかく、花札なんてしないから」
イチョウは部屋のテーブルの上に勝手に花札をせかせかと並べているけれど、無視して共有ルームに行くことにした。
「あら、おはようございますわ」
うーん眩しい。これから毎日ミヤさまの満開お嬢様オーラを浴びながら朝を過ごすと思うと、とても気持ちが良い。魂が洗われる。
「ミヤさま、おはよう。もう朝ごはんは食べた?」
「ええ。五時には起きるようにしていますの」
お嬢様は朝五時には起きている。また一つ、新しい知識を得た。一方、私は普段、朝十時くらいに起きる。
「みゃーちゃん、花札しなーい?」
まだ私の部屋に居座っているイチョウが、部屋の中からミヤさまに呼びかける。ミヤさまをパシらせようだなんて、いい度胸じゃないか。
「かまいませんわよ。昔はよくメイドとやったものですわ」
ミヤさまにメイドがいたのは当然として、お嬢様は花札をする。また一つ、新しい知識を得た。一方、私は花札をしない。
「……負けました」
イチョウはしなしなとへたりこんだ。これで五連敗目だ。
「久しぶりにやると楽しいものですわね。ではイチョウさん、お使いを頼んでもかまいませんか?私は朝ごはんは済ませておりますので、別の物を買ってきて欲しいのですが」
「うぅ……分かりました……働きたくない……」
ミヤさまに買ってきて欲しいもの数点を言い渡されたイチョウは、ふらふらと寮室を出て行った。花札なんてしなけりゃ働かなくて済んだのに。それにしても、ミヤさまも意外に容赦なかった。彼女はにこやかに笑いながらイチョウをおくりだしている。
「昔はよくメイドとも勝負して、いつも勝ったものですわ」
お嬢様は花札に強い。
* * *
共有ルームの時計は午前十時を指している。元々私が起きるはずだった時間だ。怨念を送るべくイチョウの方を見ると、ニコニコ手を振ってくる。この鈍感め。
乗艦式から学校が始まるまでには一週間ほど猶予がある。その間に新入生は身の回りを調え、〈ながと〉に慣れておけという趣旨なのだけれど、実際のところは春休みの延長戦にすぎない。
私はスマホでネットサーフィンをし、ミヤ様さま学生自治会発行の新聞を読み、イチョウはスマホを横向きに向けて床に寝っ転がっている。どうせろくでもない動画でも見ているのだろう。ほっと一息、安心できる時間だ。
私たち三人が思い思いの時間を過ごす中、不意に寮室のインターホンが鳴った。
「あれ、新宮先輩?」
放送部の新宮ミサキ先輩。情報高専の二年生で、例の通信ケーブルを引いていた人だ。今日は作業服ではなく、制服を着ている。
「昨日は本当にありがとう。皆さんが声をかけてくれなかったら、今ごろケーブルは切られてた。改めてお礼をしようと思って」
共有ルームに先輩を招き入れ、四人でテーブルを囲む。新宮先輩が持ってきたのは手作りのクッキーだった。
「これ、ほんのお礼。美味しいかは自信ないけれど……」
「えっ、ありがとうございます!食べていいですか?」
どうぞ、と言われるまでもなくイチョウはクッキーを頬張り始めた。私とミヤさまもイチョウに倣ってクッキーを口に入れる。
「手作り、って味ですねっ!」
「雑な感想ね。でも、本当においしいです」
私たちが感想を述べると、新宮先輩は穏やかな笑みを見せた。けれど、その表情に少しばかり疲れも見える。
「あの後、また風紀委員に何かされていませんか」
ミヤさまも気づいたのだろう、気遣うように新宮先輩に目を向ける。
「ううん、全然。また放送部に押しかけてきて部員の人たちと怒鳴り合いにはなったけれど、それはいつものことだから」
もう一枚クッキーを食べようと思い、お皿に手を伸ばしたが、もう無くなっていた。誰の仕業かはおおよそ予想がつくけれど、少しがっかりする。
「……じゃあ私は、この辺で。クッキー、美味しく食べてくれてよかった」
「えーっ、もう?もう少しいてもいいんですよ?何ならキッチンでクッキーをもう一度……」
「うちのバカがすみません。でも、そんなに急がなくてもいいのに」
「あはは……。でも、バイトがあるから」
「何のバイトですか?あたしも最近、バイト探してるんですよねえ。高収入で楽なバイトとか知らないですか?」
さっきまで『働きたくない』と言い張っていたやつが何を言っているのだろう。
「機械の修理だよ。結構大変だからおすすめはしないかなあ……あっ、もう行かないと。じゃあまた。昨日は本当にありがとう」
新宮先輩はそう言うと、後輩の私たちに一礼して寮室を去っていった。本当に律儀な人だ。
「時にイチョウさん、入学二日目なのにもうバイト探しを?」
「そうそう、今どうしても買いたいものがあって。カメラなんだけどね」
私たち〈ながと〉の学生には、政府から奨励金という名の生活費が月に一度、支給されることになっている。けれど、それは健康で文化的な最低限度の生活を送ることができる最低限の額で、もう少し贅沢をしようと思うとアルバイトをするしかないのだ。
「へえ、なんでカメラ?スマホでいいじゃん」
「甘いなあアカリんは。クッキーくらい甘い。女子高生の今のトレンドくらい抑えておかないと。今は一眼レフの時代なんだよ。それが結構いい値段するんだよね~、見てこれ、十万はするんだよ!」
何がどう転べば一眼レフがトレンドになるの、という言葉は飲み込んでおく。トレンドに理由を求めるのが無粋であることくらいはわかる。例えば、なぜタピオカが突然流行し始めたのかを考えることに意味はない。
「十万……たしかに、そう簡単に手が出せる金額ではありませんわね」
「ありゃ、みゃーちゃんのことだから『十万くらいなんてことないですわ』とか言うと思った」
「とんでもないですわ。たしかに私の家はお金はあるかもしれませんけれど、豪快に使うことはありませんのよ。母から厳しく教えられてきましたわ」
本物のお金持ちというのは質素倹約に努めているというけれど、ミヤさまもその一人らしい。
「それで、今気になってる単発バイトがあって、これとかどうかなーと思って」
『監視モニターを見るだけのお仕事です!勤務は仮眠時間含め十二時間、時給千五百円!学年不問!』
「うっわ、めちゃくちゃ怪しいじゃんそれ。辞めときなよ」
「えーっ、でもめちゃくちゃコスパ良さそうだよ?そこのコンビニでバイトするより絶対良いよ」
「仮眠時間があるということは、勤務は夜間になるのでしょうか」
「うん、午後十時から次の朝の十時までだって」
「なるほど。ということは、深夜割増も考えればこれで一万五千円は軽く超えますわね」
「でしょでしょ!ということで、皆さんにお願いがあります」
イチョウは急に佇まいを正す。
「一緒にこのバイト、応募しませんか」
「断る」
「ちょっとアカリん、早いよ!アカリんもさあ、お金欲しいでしょ?」
「だってそのバイト、怪しいし当然のように夜勤じゃん。労基法のお世話になるのだけはごめんだよ」
そもそも私は、いま現在特にお金に困っているわけではない。実家のおばあちゃんが少しばかりではあるけれどお金を渡してくれているからだ。
「私はかまいませんわよ。イチョウさん一人ではアルバイトで何かやらかさないか心配ですし……」
「やったあ、持つべきものはみゃーちゃんみたいな友達だねっ!……って、全然信用されてない!?」
「うーん、たしかにイチョウだけだとろくなことにならないよね。よし、やろう」
私は思い直した。私はイチョウの飼い主として、その責任を果たさなければならない。
「なんか、嬉しいけど悲しい……」
まだこの時は、まさかあんな目に遭うなんて少しも思っていなかった--と言えば嘘になる。なぜなら、イチョウが関わる物事には必ず厄介事が待ち受けているからだ。
参考裁判例というわけではないですが、司法と花札にはちょっとした因縁があります。気になる方は「司法官弄花事件」で検索してみてください。大津事件で有名な児島惟謙が失脚するきっかけになった事件です。




