第五話 コートの争いは、コートで解決 ②
体験入部当日、私たちは体操服を着てテニスコートにやってきた。てっきり私はよくテレビで見るアスファルトのコートかと思っていたのだけれど、グラウンドと同じように砂を撒いてあるコートだった。クレーコートと呼ぶらしい。
「お待たせしました。それでは新入生の皆さん、本日はよろしくお願いします!」
私たち三人とほか数人はそれに合わせて「お願いします」と頭を下げる。にしても、テニスコートの広さの割に参加者が少ない気がする。指導役を務めるらしい女子部員の先輩は、用具一式を持ってくると言って一旦離れていった。
「これがテニスコートかあ。この白線は何?」
イチョウは右足でテニスコートに埋め込まれた白線をなぞった。
「サービスラインですわね。サーブ、つまり最初に打つ球はこの範囲内に入れないといけないのですわ」
「ええっ、なんか狭くない?」
「ちなみに、二回サーブを失敗すると相手に点が入ってしまいますわ」
「厳しいっ!サーブくらい何回でもやらせてよ」
「ですが、良いサーブを決めたら相手が打ち返せないこともありますわよ」
それは私でも知っている。サービスエース、というやつだ。あまりにも打ち返しにくい球が飛んできて、ラケットに当てることもできず茫然自失……。
「ちょっと、誰よ! こんなことしたのっ」
コートの横の倉庫から突然、怒声が聞こえてきてきた。思わず私たちは倉庫に向かい、何があったのかを確かめに行く。
「うわっ、これは酷い……」
倉庫では床一面に軟式ボールが散乱し、元々は綺麗に整頓されていたのだろう、棚に置いてあったはずのラケットもぐちゃぐちゃにほおり出されていた。
「泥棒でも入ったみたいじゃん」
そう言いながら軟式ボールを一つつまんだイチョウに、例の指導役の先輩は顔を真っ赤にしてつぶやいた。
「泥棒……アイツらだわ。絶対そう」
「アイツら?」
「硬式部の連中よ……噂をすればっ」
先輩が指さす方を向くと、赤色のポロシャツを来た女子軍団が私たちの前に立ち塞がった。そのうちの一人が先輩の方へ歩み出て、にやにやと薄ら笑いをしながら言った。
「あら、そんなに顔を赤くしてどうしたの?何か嫌なことでもあった?」
「嫌なこと? ええ、あるわよ。なんでボールがこんなに散らかってるわけ。ボールかごの中にしまっておいたはずなのに」
こんなにたくさんのボールを保管するには、それなりの数のかごが必要になるはずだ。ざっと見渡す限り、倉庫の中にはボールかごは見当たらない。
「ボールかご?ああ、あれは元々ウチらのものだから、回収しておいたわよ」
硬式部のリーダー格らしき女は、その金髪のツインテールのくるくるを触りながら意地悪そうに答えた。
「何言ってるの!あのボールかごは私たちのものに決まってるでしょ! かごには『女子軟式テニス部』って書いてあったはず」
「はあ?あれは去年あんたたちが勝手にマジックで書いただけでしょ。油性ペンで書いてんじゃないわよ、汚れを落とすのが大変なんだから。ねえ?」
ツインテールが後ろに控える提灯持ちの硬式部の女子部員に同意を求めると、一斉に彼女たちは同意を意味するように笑った。
「そ、そんなの泥棒と何が違うのよ! ここは私たち軟式テニス部の倉庫なのに、どうして勝手に持ち出したりするのよっ」
部員の数で劣勢に立たされている軟式部の先輩はそれでもツインテールに食い下がった。けれど、ツインテールはそれを鼻で笑った。
「だって、そのかごはウチらがウチらの予算で買ったものだもの。去年はあんたたちに貸してただけ。私たちの所有物を私たちの倉庫に戻して何が悪いのよ」
「適当なこと言わないで! あれは軟式部のものだって卒業した先輩が言ってた」
「あんたたちの先輩は嘘つきだったのねえ」
ツインテールが先輩を挑発してみせると、取り巻きたちもバカにするような目で先輩を見る。
「ちょっと! ボールかごが硬式部のものかどうかなんて知らないけど、こんな乱暴なやり方しなくたっていいじゃん!」
イチョウは手に持っていた軟式ボールをツインテールに示す。ボールかごの中身をわざわざひっくり返してかごだけ持ち去るなんて、悪意しか感じられない。
「誰よ、あんた……って、軟式部の体験入部にでもきたおバカさん? 軟式部なんてやめといた方がいいわよ。ウチらと違って部員も全然いないし、皆下手くそだし。コートを交代で使わせてあげてるだけでもありがたいと思いなさい」
「ふん。そんな性格悪い人がいる部活になんて入りたくないね」
「はあ? 誰に向かって口聞いてるわけ?ウチら、何回もインターハイ出てるのよ」
気分を害したらしきツインテールが少し苛立たしげに言い放つと、取り巻き連中の「そうよ」との声が一斉にイチョウに降りかかった。
「そうなんですか?」
小声で先輩に尋ねると、先輩は黙って首を縦に振った。
「インターハイとかどうでもいいの! 早く返してあげてよ」
「なんで返さないといけないのよ。私たちのものなんだから返す必要なんてないじゃない」
なおも開き直る硬式部員たちに話は通じないようだ。ボールは床に散乱しているままだというのに、ツインテールたちは拾おうともせず汚いものを見るような目でそれを眺めていた。
「……それはもっともかもしれませんわね」
「えっ、みゃーちゃん、あんな連中の味方する気!? なんであんな泥棒の肩を持つのっ」
「違いますわよ。彼女たちにはスポーツマンシップのかけらもありませんわ。決してコートでお相手などしたくありません。しかし、もしボールかごが硬式部の所有物というのが本当なら、軟式部の方たちに返させたところで意味はないのでは、と思いまして」
「えっ、どういうこと」
と思わず問うてしまった私にミヤさまは続ける。
「軟式部に一旦はボールかごが戻りますが、その後、硬式部は改めて『そのかごを返せ』と言うでしょう。これに対して軟式部は反論できず、結局は硬式部に取られてしまいますわ」
「だから言ってるじゃない。返す必要なんてないのよ」
「あなたには話しかけておりません。黙りなさい」
ミヤさまがきつく睨みながら冷たく言うと、ツインテールは精神的ダメージを食らったのか、動きがフリーズしてしまった。いつも一緒にいるから勘違いしそうになるけれど、ミヤさまに怒られることほど恐ろしいことはないのだ。
「……ですから、硬式部の人たちが泥棒と一概には言えないと思うのです」
「じ、じゃあ私たちは泣き寝入りするしか……」
軟式部の先輩は肩を落として床に散らばるボールを見つめる。倉庫の中は暗くて良く見えないけれど、本当に涙しているようだった。
「そんな……っ!本当に硬式部のものだったとして、最初から軟式部の人たちに『返してください』って言えばよかっただけじゃん!こんな酷いやり方……ないよっ!ないっ!」
イチョウは肩を震わせる先輩の背中をさすりながら一緒にボール拾いを始めた。私たちもそれに倣い、ボールを拾い集めてとりあえずまとめて置いておく。
「ふん、哀れねえ。かごもないのにボールを集めてどうするのよ。さすが、軟式部は時間の使い方がお上手ね」
と嘲るようにツインテールが言うと、周りの取り巻きは私たちがせっかく集めたボールを蹴飛ばし、せっかくの苦労を水の泡にした。黄色いボールは転がり、また倉庫の床はぐちゃぐちゃになる。ぐちゃぐちゃ……。これは……見たことがある。
私の視界はぐにゃりと歪み、上下左右に回り始めた。荷物の封が剥がれ、中身の果物がボールのように転がる道路。本来の姿をとどめていないほどに部品が散乱した自動車。身体中のそこかしこから血を吐き出す人間。そして……
「は……」
頭に血が上り、呼吸が荒くなる。ボールの黄色が赤色に見える。ボールに血が付いている。誰の血? 誰がやったの? トラックのモーター音が聞こえる。クラクションの音が聞こえる。なんで、聞こえないはずなのに、ここは学園艦なのに……。
「お前がやったんだろ」
ツインテールがそう言ったように聞こえた。その顔が真っ赤な血で汚れていたからだ。そばにあったラケットを手に取り、私は一心不乱にツインテールに襲いかかろうとした。
「アカリさんっ!」
ミヤさまは私の右手からラケットを引き剥がすと、暴れようとする私をおそらく護身術の応用でねじ伏せた。
「離してっ!私じゃない、私は何もしてないっ……」
ツインテールはあまりの剣幕に恐怖して腰を抜かしてしまったのか、取り巻きたちに支えられながら立っている。イチョウもびっくりして手に持っていたボールをポロポロと落としてしまった。そのボールが床に跳ね、私の顔に当たった。軟式ボールなので痛くはないけれど、現実に引き戻す程度の触感はあった。朱色に染まっていたはずの世界は、すうっと元の色に戻って行った。
「あれ……私、いま、何を……」
ミヤさまは私の腕を解き、ハンカチで私の顔を拭ってくれた。ねじ伏せられた時に付いた土汚れもそうだけれど、特に私の目の辺りを念入りに拭いた。
「私……泣いてる?」
自分では分からなかった。あの時の私はまるで別の人間に支配されているような感覚だった。そしてそれは、五感の一部が回復していないという形で、今もその痕跡を残していた。
「ええ。落ち着くまでじっとしていてください」
「……ごめん」
私は倉庫の床にへたりこんだ。一方、ツインテールは何とか姿勢を回復し、
「な、なんなのよ!暴力をふるうなんてそれこそ暴行罪じゃない!通報するわよっ!」
などと再び威勢よくきゃんきゃん吠え始めた。ただその声はまだ震えたままで、ミニスカートから伸びた長い足も生まれたての子鹿のように震えていた。私が悪いのだけれど……。しかし、通報する必要はなかった。
「風紀委員の川端です。こちらで騒ぎがあると聞いて来ました。……えー、中央事務所、応答願います。ただいま現着しました、事件処理を開始します」
誰が風紀委員に通報したのかは知りようもなかったけれど、とにかく、この一連の事件は風紀委員の裁定に委ねられることになったようだ。結局、硬式部は泥棒を働いたのか、そもそもボールかごの持ち主は誰なのか……。何もかも未解決のままだ。




